精神

3章 人の構造 - 9節 精神

個々の記述の真実度: 999.3-1000
節全体の真実度: 1000
節全体の活動性: 1000

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精神とは

  • (1000/1000) 精神とは、意識が構築した、あらゆる表現が造化される場としての内的構造のひとつです
    • 自己という主観性である意識が、無形体の機能系統を通して、分霊の心の有する機能特性を活用し、精神で表現を造化します
    • 精神は、自覚できる意識の領域と、自覚できない意識の領域の双方に縦断して構築されており、精神でおこなわれる「表現を造化する工程」も、自覚できる意識の領域でおこなわれる工程と、自覚できない意識の領域でおこなわれる工程があります
  • (1000/1000) 精神では、意識の「自己という主観性」を通して、自覚的/無自覚的に認識した内容と、自覚して理解した内容が、表現として造化され、認識/理解せずに造化される表現はなく、必ず認識/理解した後に表現が造化されます
    • 意識が認識した後に、意識の認識した内容が表現として造化されるのであり、造化した表現の内容を意識が認識するのではありません
    • 同様に、認識して造化した表現の内容を意識が理解した後に、意識の理解した内容が表現として造化されます
    • 内容の認識は、自覚的/無自覚的におこなわれますが、内容の理解/実証は、必ず自覚しておこなわれ、自覚できるものの自覚なく、あるいは、無自覚的に(自覚なく)内容を理解する状況はなく、また、自覚して理解した内容を自覚できるものの自覚なく、あるいは、無自覚的に(自覚なく)実証する状況もありません
    • なお、外環境へ表現する際には、自覚して認識した内容は、自覚して外環境へ表現できますが、一方で、自覚なく認識した内容は、外環境へ表現されず、また、自覚できるものの自覚なく認識した内容は、自覚なく外環境へ表現されます
    • 「無自覚的に(自覚なく)認識する」とは、自覚できる意識の領域でおこなわれている活動であり、自覚できない意識の領域でおこなわれている活動ではありません
(1000/1000) 自覚の有無と認識/理解
(1000/1000) 自覚の有無と認識/理解
  • (1000/1000) 自覚的/無自覚的な認識は、分霊の成長段階に相応する「認識する次元の程度」に基づいておこなわれ、同じ内容を認識しても、認識する次元が異なれば、認識して造化された表現の内容が有する程度も異なります
    • 分霊の成長段階で属する次元に基づいて認識/理解/実証でき、属する次元よりも高い次元に基づく認識/理解/実証や、属する次元よりも低い次元に基づく認識/理解/実証はできません
    • 認識している次元の程度は、表現に付与されている活動性の程度として表れます
    • 例として、表現に付与されている活動性の程度が1-600未満では、認識している次元の程度は4次元に相当し、付与されている活動性の程度が600-700未満では、認識している次元の程度は5次元に相当します
    • 分霊の成長段階で属する次元については、3章3節 分霊を参照してください
  • (1000/1000) 精神で造化された表現は、表現へ自覚的/無自覚的に意識が向いている間のみ保持されており、意識が向かなくなれば消え去ります
    • 造化された表現へ意識が向いていることで、表現へ活動性が継続して付与され、表現を実体として維持しています
    • 造化された表現へ意識が向かなくなれば、表現への活動性の付与が途絶え、表現を実体として維持できなくなり、表現は消え去ります
    • これは、成長の観点から捉えた場合に、成長を求めることへ意識を向け続けているのならば、成長へつながる誠実な表現/愛の行為を継続しておこなうようになり、逆に、利己性/自己中心性/欲望へ意識を向け続けているのならば、利己的/自己中心的な思考/感情を造化し続け、不誠実な発言/行動/態度をおこなうようになる状況と関連しています
    • 加えて、悩みへ意識を向けていれば何時[いつ]までも悩み続け、悩みへ意識を向けなくなれば悩んでいたことも忘れてしまう、あるいは、痛みに意識を向けていれば痛みを強く感じ取り、痛みへ意識を向けなくなれば痛みを感じ取らなくなる、また、自覚できるものの自覚のない習慣/囚われに基づいて自覚できるものの自覚なくおこなっている行為(思考/感情/発言/行動/態度など)へ自覚できるものの自覚なく意識が向き続けているために行為へ気づくことなくおこない続けている、などにも関連しています
  • (1000/1000) 精神で造化される表現は、形状、性質、種類、付与された活動性の程度、から構成されています
    • あらゆる表現は、表現の内容に関わらず、形状、性質、種類、活動性、の4つを必ず有しており、これらの組み合わせによって無数の表現が生み出されています
    • 有形的な形状の表現は、形状、性質、種類、活動性、の4つに加えて、真実度を有しています
    • 真実度については、1章2節 真実度を参照してください
(1000/1000) 表現の分類
(1000/1000) 表現の分類

有形界での精神のはたらき

  • (1000/1000) 有形界では、分霊の心が有する機能特性を活用しておこなわれる表現の造化に、物質の心/大霊の心が影響を与えます
    • 分霊の心が、物質の心/大霊の心から一切の影響を受けずに表現を造化する状況はみられません
  • (1000/1000) 有形界において、精神で造化され、外環境へと表現が可能な表現の種類には、感情、思考、直観、閃き、愛、活動性の性質の表現、の6つがあり、更に、それぞれの種類の表現は、表現の形状と、表現の性質に区別があります
    • 表現の形状には、無形的な表現、有形的な表現、の2つがあり、表現の性質は、誠実、不誠実、の2つに区分されます
    • 活動性の性質の表現を除く、これらの表現は、必ず有形体/無形体を通して外環境へ表現されるとは限らず、精神で表現として造化されても、外環境へは表現されない場合もあります
    • 活動性の性質の表現は、必ず外環境へ表現されます
  • (1000/1000) 有形界において、精神で造化されるものの、外環境へと表現することのできない表現には、克己、利己性/自己中心性/欲望、の2つがあります
    • これらの表現が有する形状は、無形的な表現のみで、有形的な表現へは変換できず、また、外環境へ表現するための表現でもありません
    • 克己は誠実な性質のみを有しており、一方で、利己性/自己中心性/欲望は不誠実な性質のみを有しています
    • 利己性/自己中心性/欲望は、物質の心によって造化される場合と、分霊の心によって造化される場合があり、克己は、物質の心によって造化される利己性/自己中心性/欲望を相殺するためにのみ造化される表現です
(1000/1000) 有形界で造化される表現の種類/性質
(1000/1000) 有形界で造化される表現の種類/性質

無形界での精神のはたらき

  • (1000/1000) 無形界では、分霊の心が有する機能特性を活用しておこなわれる表現の造化に、大霊の心が影響を与えます
    • 無形界では、有形体を用いないために、有形体の内包する物質の心も有しておらず、物質の心によって利己性/自己中心性/欲望が造化される状況はありません
    • 相殺する対象がないために、克己も造化されません
    • 分霊の心が、大霊の心から一切の影響を受けずに表現を造化する状況はみられません
  • (1000/1000) 無形界において、精神で造化され、外環境へと表現が可能な表現の種類には、感情、思考、直観、愛、活動性の性質の表現、の5つがあり、更に、それぞれの種類の表現は、表現の形状と、表現の性質に区別があります
    • 無形界では、「閃き」の表現が造化されません
    • 表現の形状には、無形的な表現、有形的な表現、の2つがあり、表現の性質は、誠実、不誠実、の2つに区分されます
    • 活動性の性質の表現を除く、これらの表現は、必ず無形体を通して外環境へ表現されるとは限らず、精神で表現として造化されても、外環境へは表現されない場合もありますが、精神で表現が造化された段階で、無形体の放つ輝きに、表現の内容/性質/活動性に相応する色彩が表れます
    • 活動性の性質の表現は、必ず外環境へ表現されます
  • (1000/1000) 無形界において、精神で造化されるものの外環境へと表現することのできない表現には、利己性/自己中心性/欲望があります
    • この表現が有する形状は、無形的な表現のみで、有形的な表現へは変換できず、また、外環境へ表現するための表現でもありません
    • 無形界で造化される利己性/自己中心性/欲望は、物質の心によって造化されるのではなく、分霊の心によってのみ造化されているために、克己は造化されません
(1000/1000) 無形界で造化される表現の種類/性質
(1000/1000) 無形界で造化される表現の種類/性質

表現の形状

  • (1000/1000) 表現の形状には、無形的な表現、有形的な表現、の2つがあります
    • 無形的な表現は、内容が、特定の形状を有しない「印象」の形状で表現され、無形的認識に基づいてのみ認識でき、また、それぞれの表現(印象)のつながりを網羅的に理解することもできます
    • 有形的な表現は、内容が、特定の形状を有する「文字、言語、図表、動作、など」の形状で表現され、有形的/無形的認識に基づいて認識でき、有形的認識に基づいて認識した場合には、表現と表現のつながりを系列的に理解することもできます
    • 有形的/無形的の定義については、1章1節 サイトを読むにあたって #有形的/無形的の違いを参照してください
(1000/1000) 表現の形状と認識/理解
(1000/1000) 表現の形状と認識/理解
  • (1000/1000) 表現の形状は、相互に変換できますが、変換前の内容と変換後の内容が同じにはならず、また、変換は不可逆的であり、変換された内容を変換前の内容へと戻すこともできません
    • 表現の形状の変換は、変換前の表現の内容を「造化の設計図/工程の手順」、認識方法を「工程の方向性」として、変換後の表現を原素材から造化します
    • 例として、無形的な表現を有形的な表現へと変換する場合は、無形的な表現の内容を設計図/工程の手順、有形的認識を工程の方向性として、原素材から有形的な表現を造化しますが、更に、造化された有形的な表現の内容を設計図/工程の手順、無形的認識を工程の方向性として、無形的な表現を造化しても、造化された無形的な表現の内容は、有形的な表現へ変換する前の無形的な表現の内容とは異なり、同じ内容とはなりません
(1000/1000) 表現の変換と内容
(1000/1000) 表現の変換と内容
  • (1000/1000) 有形的/無形的な表現から有形的な表現へと形状を変換する場合には、変換した程度を「真実度」として数値で示すことができるようになります
    • 真実度は、定義の範囲を規定することで成り立つ文字/言語/図表などの表現媒体を用いて、表現の内容を変換し、変換する前の表現の内容が、どの程度に規定された範囲を有する定義で表されているのかを示すことができます
    • なお、表現へ付与された活動性の程度(内的成長度と関連)と、表現の変換の程度(真実度と関連)は、どちらも数値で示すことができますが、それぞれは異なる指標であり、両者に関係はありません
    • ただし、多くの場合では、表現へ付与された活動性の程度と、真実度は、おおよそ同等の数値が測定されます
    • 真実度については1章2節 真実度、内的成長度については4章3節 内的成長度を参照してください
(1000/1000) 表現の変換と真実度
(1000/1000) 表現の変換と真実度
  • (1000/1000) 無形的な表現は、複数の表現の内容を、ひとつの内容へまとめて表現を造り出せます
    • 無形的な表現は、それぞれの印象が無限の範囲を有しており、無限の範囲は範囲の全体が重なり合うために、それぞれの印象を、ひとつの印象へ包括することができます
    • 一方で、有形的な表現は、それぞれの表現が文字/図表などで規定された範囲を有しており、規定された範囲は範囲の全体が重なり合わないために、それぞれの有形的な表現を、ひとつの有形的な表現へ包括することができません

表現の性質

  • (1000/1000) 表現の性質には、誠実な性質、不誠実な性質、の2つがあります
    • 造化された表現は、必ず、どちらか一方の性質、あるいは、両方の性質を有しており、どちらの性質も有していない表現はありません
    • 造化された表現が誠実な性質のみを有している場合には、表現は「誠実な性質」を示します
    • 造化された表現が不誠実な性質のみを有している場合には、表現は「不誠実な性質」を示します
    • 造化された表現が誠実/不誠実な性質の両方を有している場合には、表現は「不誠実な性質」を示し、誠実な性質を示しません
  • (1000/1000) 誠実な性質を示す表現は、有形界では、物質の心によって造化される利己性/自己中心性/欲望の干渉を受けることなく分霊の心によって造化された表現、あるいは、分霊の心が有する経験の機能特性に保存されている「誠実な性質の表現を造化する習慣」に基づいて造化された表現となります
    • 無形界では、物質の心を内包する有形体を有していないために、経験の機能特性に保存されている「誠実な性質の表現を造化する習慣」に基づいて造化された表現のみが、誠実な性質を示します
    • 表現の示す誠実の性質は、表現に付与された活動性の程度によって、未誠実、誠実、至誠、の3つの程度に区分されます
  • (1000/1000) 不誠実の性質を示す表現は、有形界では、物質の心によって造化される利己性/自己中心性/欲望の干渉を受けて分霊の心によって造化された表現、あるいは、分霊の心が有する経験の機能特性に保存されている「不誠実な性質の表現を造化する習慣」に基づいて造化された表現となります
    • 無形界では、物質の心を内包する有形体を有していないために、経験の機能特性に保存されている「不誠実な性質の表現を造化する習慣」に基づいて造化された表現のみが、不誠実な性質を示します
    • 物質の心から干渉を受けた程度、あるいは、有している「不誠実な性質の表現を造化する習慣」の強さによって、表現に付与された不誠実な性質の活動性の程度が決まります
  • (1000/1000) 表現の内容が有している誠実/不誠実の性質は、世界の進化に与える影響の「方向性の違い」を示しています
    • 誠実な性質を有する表現の内容は、世界の進化を促進させるように、はたらきかけます
    • 不誠実な性質を有する表現の内容は、世界の進化を停滞させるように、はたらきかけますが、世界の進化を退行させる状況はみられません
    • 加えて、表現に付与された活動性の程度は、世界の進化に与える影響の大きさを示しており、誠実な性質を有する表現では誠実の程度として、不誠実な性質を有する表現では不誠実の程度として表されます
    • 世界の進化については、2章2節 大霊 #世界を参照してください
(1000/1000) 表現が世界の進化へ与える影響の方向性/大きさ
(1000/1000) 表現が世界の進化へ与える影響の方向性/大きさ
  • (1000/1000) 自由意志で「外環境へ表現する」と自覚的に(自覚して/自覚できるものの自覚なく)選択できる種類の表現では、有形界/無形界に関わらず、外環境へ表現する際と、内環境のみで考察する際には、誠実な性質を示す表現は、必ず自由意志の自覚のある選択に基づいて造化されますが、一方で、不誠実な性質を示す表現は、自由意志の自覚のある/自覚できるものの自覚のない選択に基づいて造化されます
    • 誠実な性質を示す表現は、自由意志で「表現を造化する」と自覚して選択したうえで造化するために、表現が造化された状況を明確に自覚できます
    • 誠実な性質を示す表現が、自由意志で「表現を造化する」と自覚できるものの自覚なく、あるいは、無自覚的に(自覚なく)選択して造化される状況はみられません
    • 不誠実な性質を示す表現は、自由意志で「表現を造化する」と自覚して選択したうえで造化する場合では、表現が造化された状況を明確に自覚できますが、一方で、自由意志で「表現を造化する」と自覚できるものの自覚なく選択して造化した場合では、表現が造化された状況を自覚できるものの自覚していません
    • 不誠実な性質を示す表現が、自由意志で「表現を造化する」と無自覚的に(自覚なく)選択して造化される状況はみられません
    • 自由意志で「外環境へ表現する」と自覚的に選択できる種類の表現には、感情、思考、直観、閃き、愛、の5つがあります
    • 自由意志で「外環境へ表現する」と自覚的に選択できない種類の表現には、活動性の性質の表現、克己、利己性/自己中心性/欲望、の3つがあります
    • なお、自由意志による「外環境へ表現する」選択と、「表現を造化する」選択は、選択する段階が異なり、ある段階で、自由意志で選択できる選択肢の幅の中に、「外環境へ表現する」選択肢と、「表現を造化する」選択肢が同時には存在していません
    • 先[ま]ず、表現の造化を決める段階として、自由意志で「表現を造化する」あるいは「表現を造化しない」選択をおこない、「表現を造化する」選択をしたのならば精神で表現を造化した後に、外環境への表現を決める段階として、自由意志で「外環境へ表現する」あるいは「外環境へ表現しない」選択をおこないます
(1000/1000) 表現を造化する自覚の有無と造化される表現の性質
(1000/1000) 表現を造化する自覚の有無と造化される表現の性質
  • (1000/1000) 経験へ保存されている習慣は、造化した表現の誠実/不誠実の性質によって、形成/強化される習慣の誠実/不誠実の性質が決まり、更に、表現を造化する目的の誠実/不誠実の性質が表現を造化する際に影響を与える習慣の誠実/不誠実の性質を決めています
    • 誠実な表現を造化することで、誠実な性質の表現を造化する習慣と、誠実/不誠実の性質と関係しない習慣を形成/強化しますが、不誠実な性質の表現を造化する習慣は形成/強化しません
    • 不誠実な表現を造化することで、不誠実な性質の表現を造化する習慣と、誠実/不誠実の性質と関係しない習慣を形成/強化しますが、誠実な性質の表現を造化する習慣は形成/強化しません
    • 誠実な目的で、誠実な性質の表現を造化する習慣と、誠実/不誠実の性質と関係しない習慣を用いて、誠実な表現を造化できますが、不誠実な表現は造化できません
    • 誠実な目的で、不誠実な性質の表現を造化する習慣と、誠実/不誠実の性質と関係しない習慣を用いて、誠実な表現も、不誠実な表現も造化できません
    • 不誠実な目的で、不誠実な性質の表現を造化する習慣と、誠実/不誠実の性質と関係しない習慣を用いて、不誠実な表現を造化できますが、誠実な表現は造化できません
    • 不誠実な目的で、誠実な性質の表現を造化する習慣と、誠実/不誠実の性質と関係しない習慣を用いて、誠実な表現も、不誠実な表現も造化できません
    • 誠実/不誠実の性質と関係しない習慣は、必ず、誠実な性質の表現を造化する習慣、あるいは、不誠実な性質の表現を造化する習慣とともに用いられ、単独で表現の造化へ用いられる状況はありません
(1000/1000) 造化した表現/表現を造化する目的の誠実/不誠実の性質と習慣の性質
(1000/1000) 造化した表現/表現を造化する目的の誠実/不誠実の性質と習慣の性質

表現の種類

  • (1000/1000) 表現の種類には、感情、思考、直観、閃き、愛、活動性の性質の表現、克己、利己性/自己中心性/欲望、の8つがあります
    • それぞれの表現の種類は、表現として造化された程度、表現の形状、表現の性質、外環境への表現の可否、表現の内容を認識/理解する可否、に区別がみられます
(1000/1000) 表現の種類からみた比較
(1000/1000) 表現の種類からみた比較
  • (1000/1000) 自覚的に造化できる表現の種類と、無自覚的に造化する表現の種類は決まっており、自覚的に造化できる表現を無自覚的には造化できず、同様に、無自覚的に造化する表現を自覚的には造化できません
    • 誠実な性質の、思考、直観、閃き、愛、克己、は自覚して造化し、自覚できるものの自覚なく造化しません
    • 不誠実な性質の、感情、思考、は自覚的に(自覚して/自覚できるものの自覚なく)造化し、直観は自覚してのみ造化します
    • 活動性の性質の表現、利己性/自己中心性/欲望、は無自覚的に(自覚なく)造化します
(1000/1000) 表現の種類と造化する自覚の区別
(1000/1000) 表現の種類と造化する自覚の区別
  • (1000/1000) それぞれの種類の表現は、表現を造化する工程に違いがみられます
    • 分霊の心のみ、あるいは、物質の心のみで造化の全工程を経て造り出される表現と、大霊の心から支援を受けることで分霊の心に造り出せるようになる表現があります
    • 単独の造化の工程を経て造り出される種類の表現と、他の表現を造化する工程へ組み組まれることで造化される種類の表現があります
(1000/1000) 表現を造化する工程の比較
(1000/1000) 表現を造化する工程の比較

感情

  • (1000/1000) 感情とは、主に外環境を認識した際に、物質の心によって造化された利己性/自己中心性/欲望の干渉を受けるか、あるいは、経験の機能特性に保存されている不誠実な性質の表現を造化する習慣に基づいて、造化の工程で不誠実な性質を有する思考/直感が造化されようとしたものの、明確な内容の印象として造化されなかった不完全な表現です
    • 感情は、造化の工程で完全に処理されずに造り出された「不明確な内容を有する印象」のために、感情そのものを、文字、言語、図表、などを用いて外環境へ表現することはできず、有形体/無形体の動作を用いてのみ外環境へと表現されます
    • なお、感情的な内容の記述や、暴言/罵倒/悪態などの発言は、感情そのものではなく、造化された感情が、思考を造化する工程へ組み込まれて造り出された「思考の内容」です
  • (1000/1000) 感情は、始めに、快/不快の印象(根となる感情)として造化され、次に、利己性/自己中心性/欲望の内容と結びついた快/不快を土台とする印象(枝となる感情)が造化されます
    • その後に、経験の機能特性に保存されている様々な習慣に基づいて、いくつもの印象が結びつき、派生した感情(葉となる感情)が生み出され、更に、派生した感情が組み合わさり、有形体/無形体の動作を通して外環境へと表現されます
    • 快/不快の印象は、相反する方向性の内容を有していますが、快/不快が様々な割合で組み合わさり、多くの派生した感情を生み出しています
  • (1000/1000) 感情は、有形体の活動に用いられている磁気的作用力の均衡や原素材の調和を崩し、不健康/病を生み出す要因となります
    • 内的構造のはたらきと、外的構造のはたらきは、緊密に連携しているために、内的構造の精神で造化された感情が、外的構造の有形体の活動へと影響を与えるようになるのです
    • 有形体の不健康/病については、3章5節 有形体 #健康を参照してください
(1000/1000) 感情の造化
(1000/1000) 感情の造化

思考

  • (1000/1000) 思考とは、精神で造化される表現の中で、最も基本となる種類の表現であり、あらゆる行動の土台となる、想念、思念、意思、考え、想像、などが含まれ、記録の機能特性に貯蔵されている内容に基づき、漸次的[ぜんじてき]に造化される表現です
    • 思考は、始めに、無形的な表現の印象として造化され、その後に、有形的な表現へ変換されると、記号的思考、図像的思考、の2つに区分されるようになり、更に、記号的思考/図像的思考は相互に変換が可能です
    • 記号的思考は、文字、言語、などを用いた線状の思考で、文章の記述、発話、などの行動を通した外環境への表現と密接に関連します
    • 図像的思考は、図表、画像、などを用いた平面状/立体状の思考で、絵画、造形物、音曲、などを通した外環境への表現と密接に関連します
  • (1000/1000) 思考は、他の思考や、様々な種類の表現を造化の工程に組み込むことができるために、いくつもの表現の内容を統合して造化できます
    • 感情/直観、他の思考、大霊の心から送られてくる印象/活動性を組み込むことができます
    • 思考を造化する工程が漸次的におこなわれるのは、様々な表現を造化の工程へ組み込んでいくためです
(1000/1000) 思考の造化
(1000/1000) 思考の造化

直観

  • (1000/1000) 直観とは、主に外環境を認識した際に、経験の機能特性に保存されている内容と、記録の機能特性に貯蔵されている情報/知識に基づき、即時的に造化される表現です
    • 個体が過去に体験を通して得た内容が、外環境の状況に誘発されて、思考を差し挟むことなく呼び出され、直観として造化されています
    • 個体が過去に体験を通して得た内容とは、今回の地上での生活に限らず、これまでの無形界/地上でおこなってきた生活の中で様々な体験を通して得た「経験/記録」の内容を指しており、「体験そのもの(思い出)」の内容を指しているのではありません
    • 「体験そのもの」の内容も、記録へ貯蔵されている情報へ含まれますが、体験そのものは、直観の造化には関係していません
    • 直観の内容は、必ず自覚して認識されますが、直観の表現が造化された時点では内容を理解できず、その後の経過とともに、直観の内容が思考を造化する工程へ組み込まれ、思考として造化されることで、直観の内容に相応する内容を理解できるようになります
    • ただし、直観の内容と、直観の内容に相応する思考の内容は、全く同じ内容ではありません
(1000/1000) 直観の造化
(1000/1000) 直観の造化

閃き

  • (1000/1000) 閃きとは、大霊の心(無限の叡智)から精神伝達で送られてきた印象が、思考を造化する工程に組み込まれて造化される表現です
    • 閃きは、単独の造化の工程を有しておらず、無限の叡智から送られてきた印象を組み込んだ思考が「閃き」の表現となるために、閃きは思考のひとつといえます
    • 無限の叡智から送られてきた印象そのものは外環境へ表現できず、印象を組み込んで造化した思考が、外環境へと表現が可能な内容を有する閃きとなります
    • 無限の叡智より送られてくる印象は、世界の総体として有している知識の内容であり、その内容を、個体の有する知識/経験に基づいて処理するために、同じ内容の印象が送られてきても、個々の有する知識の内容/程度や経験の内容/強さによって、閃きとして造化される内容は異なります
  • (1000/1000) 閃きは、有形界では造化できますが、一方で、無形界では、閃きを造化する必要性がないために造化されません
    • 有形界では、有形体から受ける鈍重で粗雑な感覚によって、無限の叡智から送られてきた印象の内容を鮮明に認識し難く、直接に印象の内容を自覚して認識/理解できないために、思考を造化する工程へ印象を組み込まなければ、印象として送られてきた内容を自覚して認識/理解できないのです
    • ただし、無限の叡智から送られてきた印象の内容と、閃きとして造化した内容は、全く同じ内容ではありません
    • 無形界では、無限の叡智より送られてきた印象の内容を鮮明に認識できるために、直接に印象の内容を自覚して認識/理解できます
  • (1000/1000) 無限の叡智より送られてくる印象は、不誠実な性質の表現を造化している状況や、自由意志で印象を受信しないと選択している状況では、印象が送信されていても受信できません
    • 精神で不誠実な性質の表現を造化している際には、意志が利己的/自己中心的な方向性へ向いており、この方向性へ向いている状況は、自由意志で自覚的に(自覚して/自覚できるものの自覚なく)印象を受信しないと選択していることを指しているために、印象が受信できません
    • 同様に、自由意志で自覚できるものの自覚なく「印象を受信する」と選択しても、印象は受信できません
    • 送信されてきた印象を受信するには、自由意志で自覚して「印象を受信する」と選択している必要があり、これは、個体へしがみつかずに、全体からの支援/援助を受け入れる意志が必要とも言い換えられます
(1000/1000) 閃きの造化
(1000/1000) 閃きの造化

  • (1000/1000) 愛とは、大霊の心(無限の愛)から精神伝達で送られてきた活動性が、思考を造化する工程に組み込まれて造化される表現です
    • 愛は、単独の造化の工程を有しておらず、無限の愛から送られてきた活動性を加えた思考が「愛」の表現となるために、愛は思考のひとつといえます
    • 無限の愛から送られてきた活動性そのものは外環境へ表現できず、活動性を加えて造化した思考が、外環境へと表現が可能な内容を有する愛となります
    • 無限の愛より送られてくる活動性は、世界の総体として有している「⾃⼰を⾃⼰以外のために役⽴てたい」という思いを表す無数の方向性であり、その方向性を、個体の有する知識/経験に基づいて処理するために、同じ方向性の活動性が送られてきても、個々の有する知識の内容/程度や経験の内容/強さによって、愛として造化される内容は異なります
  • (1000/1000) 造化された愛の表現には、「⾃⼰を⾃⼰以外のために役⽴てたい」という思いの方向性が有する強さの程度に相応する特性がみられます
    • 思いの方向性が有する強さの程度は、表現に付与された活動性の程度として表され、付与された活動性の段階ごとに特性がみられるようになります
    • 活動性の段階ごとにみられる特性については、この節の本編 #表現の活動性を参照してください
  • (1000/1000) 無限の愛より送られてくる活動性は、不誠実な性質の表現を造化している状況や、自由意志で活動性を受信しないと選択している状況では、活動性が送信されていても受信できません
    • 精神で不誠実な性質の表現を造化している際には、意志が利己的/自己中心的な方向性へ向いており、この方向性へ向いている状況は、「⾃⼰を⾃⼰以外のために役⽴てたい」という思いの方向性と相反しているために、活動性が受信できません
    • 同様に、自由意志で自覚できるものの自覚なく「⾃⼰を⾃⼰以外のために役⽴てたい」と選択しても、活動性は受信できません
    • 送信されてきた活動性を受信するには、自由意志で自覚して「⾃⼰を⾃⼰以外のために役⽴てたい」と選択している必要があり、これは、個体へしがみつかずに、全体のために個体を役立てる意志が必要とも言い換えられます
    • 「⾃⼰を⾃⼰以外のために役⽴てたい」という思いを自覚して有しているのならば、⾃⼰を⾃⼰以外のために役⽴てる内容の印象と、⾃⼰を⾃⼰以外のために役⽴てる方向性の活動性が、大霊の心から常に同時に送られてくるために、「閃き」と「愛」は不可分な表現ともいえます
(1000/1000) 愛の造化
(1000/1000) 愛の造化

活動性の性質の表現

  • (1000/1000) 活動性の性質の表現は、活動性の有する誠実/不誠実の性質に基づいて造化される表現です
    • 経験の機能特性に保存されている「誠実/不誠実な性質の表現を造化する習慣」に基づいて造化され、有形界/無形界に関わらず、無形的な表現のままで、必ず自動的に外環境へ表現され、有形的な表現へは変換できません
    • 活動性の性質の表現は、誠実な性質の表現と、不誠実な性質の表現、の2つに区分されます
    • 自己が造化して外環境へと表現している「活動性の性質の表現」は、基本的に自覚できませんが、一方で、他者が造化して外環境へ表現している「活動性の性質の表現」は、意識が感覚として感じ取り、また、表現にみられる特性の一部(輝き/暗闇)を霊眼で視ることもできます
  • (1000/1000) 活動性の性質の表現は、単独の造化の工程を有しておらず、他の表現が造化される工程で同時に自動的に造化されます
    • 「活動性の性質の表現」のみが造化される状況はなく、造化された「他の表現」へ付与された活動性の性質に基づいて、活動性の性質の表現が造化されます
  • (1000/1000) 誠実な性質の表現には、輝き、静謐、があり、輝きは、美(美しさ)とも呼ばれています
    • 「輝き」と「静謐」は、誠実な性質を有する「活動性の性質の表現」を、異なる特性の側面から捉えているだけであり、別々の表現ではありません
    • 誠実な性質を有する「活動性の性質の表現」を造化している者は、静謐の特性のために、挙措が穏やかで、その者の近くにいると落ち着きを感じ取り、同時に、周囲へ輝きを放つ様子が霊眼で視えます
  • (1000/1000) 不誠実な性質の表現には、暗闇、騒擾[そうじょう]、があり、暗闇は、瘴気[しょうき]とも呼ばれています
    • 「暗闇」と「騒擾」は、不誠実な性質を有する「活動性の性質の表現」を、異なる特性の側面から捉えているだけであり、別々の表現ではありません
    • 不誠実な性質を有する「活動性の性質の表現」を造化している者は、騒擾の特性のために、挙措が粗雑で騒がしく、その者の近くにいると落ち着きのなさを感じ取り、同時に、周囲へ暗闇を漂わせる様子が霊眼で視えます
  • (1000/1000) 思考、感情、無形体、物事、現象、自然環境、鉱物、植物、無脊椎動物、建造物、造形物、装飾品、衣服、絵画、動画、音曲、書物そのもの、書物へ掲載されている内容、などの、あらゆる造化された実体には、実体を維持するのに活動性が付与され続けており、「活動性の性質の表現」も同時に自動的に造化され続けているために、造化され活動性を付与され続けている実体を通して、付与され続けている活動性の性質/程度に相応する「活動性の性質の表現」も外環境へ表現されています
    • 造化された実体に、誠実な性質の活動性のみが付与されているのであれば、輝き/静謐が造化されて外環境へ表現され、一方で、僅かにでも不誠実な性質の活動性が付与されているのであれば、暗闇/騒擾が造化されて外環境へ表現されます
    • 精神で造化した思考/感情などの表現を、無形体/有形体を通して外環境へ表現しなかったとしても、思考/感情などが造化されるのと同時に自動的に「活動性の性質の表現」も造化され、「活動性の性質の表現」は外環境へ表現されます
    • 外環境へと表現されている「活動性の性質の表現」は、有形界では、大気の4次元の側面を構成する一部となります
    • 造化された実体に付与された活動性の程度と同等の活動性の程度が「活動性の性質の表現」にも付与されており、付与された活動性の程度が高くなるほどに、「活動性の性質の表現」にみられる特性も強く表れます
    • 「活動性の性質の表現」へ付与された誠実な性質の活動性の程度が高くなるほどに、強い輝きを放ち、静謐さを増大させ、一方で、付与された不誠実な性質の活動性の程度が高くなるほどに、暗闇は濃くなり、強い騒擾が外環境へ表現されます
(1000/1000) 活動性の性質の表現の造化
(1000/1000) 活動性の性質の表現の造化

克己

  • (1000/1000) 克己は、有形界で、物質の心が造化する利己性/自己中心性/欲望から受ける干渉を制御するために、分霊の心によって造化される表現です
    • 物質の心によって造化される利己性/自己中心性/欲望は、物質の心が自動的に造化し、分霊の心には造化される状況を直接的に制御できないために、分霊の心が造化できる克己を用いて間接的に制御しています
    • 克己は、利己性/自己中心性/欲望で構成される様々な誘惑に打ち克[か]とうとする意志に基づき、大霊の心から活動性の支援を受けて、自覚して造化され、自覚できるものの自覚なく、あるいは、自覚なく造化される状況はありません
    • 克己の造化は、自由意志によって、造化する/造化しないを選択でき、造化しないと選択した場合には、利己性/自己中心性/欲望から受ける衝動のままに、不誠実な性質の表現を造化するようになります
    • 克己は、利己性/自己中心性/欲望を制御するためにのみ造化される表現であり、外環境へ表現する表現ではありません
  • (1000/1000) 克己を用いた制御は、物質の心が造化する利己性/自己中心性/欲望の影響力を、相反する影響力を有する克己で相殺しておこなわれています
    • 影響力を相殺して、分霊の心がおこなう表現の造化へ干渉されないように防いでいるだけであり、利己性/自己中心性/欲望の表現そのものを、克己で消し去っているのではありません
    • 克己によって、利己性/自己中心性/欲望の影響力を相殺できなくなると、分霊の心がおこなう表現の造化へ干渉を受けて、不誠実な性質の表現を造化するようになります
    • 無形体の貯蔵する原素材の量が減少する(無形体の疲労が強くなる)ほどに、原素材の消費を節約するために克己の造化は抑制されますが、物質の心が自動的に造化する利己性/自己中心性/欲望の造化は抑制できないために、克己で利己性/自己中心性/欲望を相殺し難くなり、干渉を受けやすくなります
    • 無形体の疲労については、3章4節 無形体 #疲労を参照してください
  • (1000/1000) 克己は、有形界/無形界に関わらず、経験の機能特性に保存されている習慣に基づいて造化された利己性/自己中心性/欲望を相殺しません
    • 分霊の心が、習慣に基づいて造化した利己性/自己中心性/欲望は、分霊の心によって直接に制御できる(自由意志で造化する/造化しないを選択できる)ために、克己で間接的に制御する必要性がありません
    • 同様に、無形界では、物質の心を内包する有形体を有しておらず、物質の心によって利己性/自己中心性/欲望が造化される状況もないために、克己も造化されません
(1000/1000) 克己の造化
(1000/1000) 克己の造化

利己性/自己中心性/欲望

  • (1000/1000) 利己性/自己中心性/欲望は、物質の心によって造化されるか、あるいは、分霊の心が有する利己的/自己中心的な意志に基づいて造化される表現です
    • 無形界では、物質の心を内包する有形体を有していないために、利己的/自己中心的な意志に基づいてのみ造化されます
    • 利己性/自己中心性/欲望は、分霊の心へ、不誠実な性質の表現を造化するように、はたらきかけます
    • 利己性/自己中心性/欲望は、不誠実な性質の表現を造化するように「はたらきかける」ためにのみ造化される表現であり、外環境へ表現する表現ではありません
  • (1000/1000) 物質の心によって造化される利己性/自己中心性/欲望は、分霊の心がおこなう表現の造化へ干渉して、不誠実な性質の表現を造化させるように、はたらきかけます
    • 物質の心が造化する利己性/自己中心性/欲望は、有形体の維持に必要とする内容を分霊の心へ伝え、有形体への対応を求めるためにのみあり、他の表現を造化する工程とは独立した、単独の造化の工程を有しています
    • 物質の心が造化する利己性/自己中心性/欲望は、活動性の性質の表現(暗闇/騒擾)へ変換されず、外環境へ表現されないために、有形体の均衡/調和を崩すように、はたらきかけません
    • 物質の心が造化する利己性/自己中心性/欲望は、分霊の心には造化を抑制できないために、分霊の心に造化できる克己で相殺して制御されます
  • (1000/1000) 分霊の心が有する利己的/自己中心的な意志に基づいて造化される利己性/自己中心性/欲望は、経験へ保存されている「不誠実な性質の表現を造化する習慣」を喚起して、不誠実な表現を造化するように、はたらきかけます
    • 本来では、分霊の心は、利己性/自己中心性/欲望を造化しませんでしたが、精神で物質の心が利己性/自己中心性/欲望を造化することで「利己性/自己中心性/欲望の表現を造化する習慣」が経験の機能特性へ保存され、利己的/自己中心的な方向性の意志を有すると、この習慣が喚起されて、自動的に利己性/自己中心性/欲望が造化されるようになります
    • 分霊の心が造化する利己性/自己中心性/欲望は、利己的/自己中心的な方向性の意志に基づいて造化される不誠実な性質の表現と同時に造化され、単独の造化の工程を有していません
    • 不誠実な性質の表現が造化されるのと同時に造化された利己性/自己中心性/欲望は、連鎖して不誠実な性質の表現を造化するように、はたらきかけます
    • 造化された利己性/自己中心性/欲望は、活動性の性質の表現(暗闇/騒擾)に変換され、有形体/無形体を通して外環境へ表現されるために、有形体の均衡/調和を崩すように有形体へ、はたらきかけ、不健康/病を生み出す要因となります
    • 分霊の心が造化する利己性/自己中心性/欲望は、分霊の心が自由意志に基づいて造化しているために、克己で相殺されません
    • 分霊の心が造化する利己性/自己中心性/欲望が有形体の不健康/病を生み出す要因となることについては、3章5節 有形体 #健康を参照してください
  • (1000/1000) 利己性/自己中心性/欲望のそれぞれは、誘惑を構成する3つの方向性を表しており、3者は不可分で密接に関連しています
    • 利己性は、他者を不利益に貶[おとし]めてでも、自己と、自己に都合の良い範囲の利益のみを求める方向性を有した誘惑の側面です
    • 自己中心性は、あるがままに物事を捉える一貫性をもたずに、瞬間瞬間に移り変わる自己に都合良く、物事を捉えようとする方向性を有した誘惑の側面です
    • 欲望は、あらゆる物事を、際限なく追い求める方向性を有した誘惑の側面です
    • 誘惑については、5章3節 誘惑を参照してください
(1000/1000) 利己性/自己中心性/欲望の造化
(1000/1000) 利己性/自己中心性/欲望の造化

表現の活動性

  • (1000/1000) あらゆる表現は、分霊の有する生命の活動性が原素材へ加えられ、実体として造化されているために、様々な程度の活動性を有しています
    • 表現の有する活動性の程度は、分霊の同調する活動性の程度(生命の有する活動性の程度)を、おおよその上限として、自覚的/無自覚的に付与されています
    • 表現には、分霊の成長の程度で有している活動性の程度と、おおよそ同等の活動性の程度を付与されている状況が多くみられますが、必ずしも同等の程度とは限らず、自由意志による自覚的/無自覚的な選択に基づいて、同調する活動性の程度と同等の活動性の程度や大幅に低い活動性の程度が付与される場合もあれば、一方で、天使たちの支援/援助を受けて、同調する活動性の程度よりも高い活動性の程度が付与される場合もあります
    • 表現を造化する工程で、「工程の方向性」として加えられる活動性の性質は、誠実な性質の活動性、不誠実な性質の活動性、誠実/不誠実な性質と関係しない性質の活動性、の3つに大別されます
    • 誠実/不誠実な性質と関係しない性質の活動性は、必ず、誠実/不誠実な性質の活動性とともに加えられるために、造化された表現は、誠実な性質の活動性を有する表現、不誠実な性質の活動性を有する表現、の2つに区分されます
    • なお、誠実な性質の活動性と、不誠実な性質の活動性が混在して付与されている場合には、造化された表現は、不誠実な性質の活動性を有する表現となります
    • 活動性の性質については、2章2節 大霊 #生命も参考にしてください
(1000/1000) 付与された活動性の性質と表現の有する性質
(1000/1000) 付与された活動性の性質と表現の有する性質
  • (1000/1000) 表現に付与された活動性の程度は、世界の進化に与える影響の大きさを示しており、表現の内容が有する誠実/不誠実の性質が世界の進化に与える影響の方向性とともに、世界の進化を促進する程度、あるいは、停滞させる程度を決定しています
    • 表現に付与された誠実な性質の活動性の程度が高いほどに、世界の進化を強く促進するようになり、一方で、表現に付与された不誠実な性質の活動性の程度が高いほどに、世界の進化を強く停滞させるようになります
    • 表現の内容が有する誠実/不誠実の性質が世界の進化に与える影響の方向性については、この節の本編 #表現の性質を参照してください
  • (1000/1000) 表現に付与された活動性の程度が、世界の進化に与える影響の大きさを数値で表した場合に、測定値の1の差は、101(10の1乗)の大きさの違いを示しています
    • 例として、誠実な性質の活動性を有する表現に付与された「誠実な性質の活動性の程度」が300の場合には、世界の進化に与える影響の大きさを10300(10の300乗)として表すことができ、世界の進化を10300(10の300乗)の大きさで「促進させる」ように、はたらきます
    • 一方で、不誠実な性質の活動性を有する表現に付与された「不誠実な性質の活動性の程度」が150の場合には、世界の進化に与える影響の大きさを10150(10の150乗)として表すことができ、世界の進化を10150(10の150乗)の大きさで「停滞させる」ように、はたらきます

誠実な性質の活動性を有する表現

  • (1000/1000) 誠実な性質の活動性を有する表現へ付与されている活動性の程度は、「自己を自己以外のために役立てたい」という思いの程度を表しており、思いの強さ、思いの対象となる範囲、などによって、活動性の段階ごとに特性がみられます
    • 表現へ付与された活動性の程度は、有形界で付与できる活動性の程度の上限を1000と規定して、数値で表すことができ、筋反射検査での測定が可能です
    • 思いの程度が強くなるほどに測定される数値は上昇し、有形界では1000までが測定され、一方で、無形界で付与できる活動性の程度は、1000の上限に規定されないために、1000よりも高い数値を示す場合もあります
    • それぞれの段階にみられる特性は、相対的に下位の特性を内包した総合としてみられ、無形界の各界層でみられる特性とも共通しています
    • ただし、表現の特性にみられる段階の数と、無形界の界層の数は相応していません
    • 筋反射検査については、1章3節 筋反射検査を参照してください
(1000/1000) 誠実な性質の活動性にみられる特性の段階
(1000/1000) 誠実な性質の活動性にみられる特性の段階

不誠実な性質の活動性を有する表現

  • (1000/1000) 不誠実な性質の活動性を有する表現へ付与されている活動性の程度は、「自己のために自己以外を役立てたい」という利己的/自己中心的な程度を表しており、利己的/自己中心的な強さによって、活動性の段階ごとに特性がみられます
    • 利己的/自己中心的な程度(不誠実の程度)は、物質の心に由来する「恐れ/怯え」を土台としており、有形界/無形界に関わらず、活動性の段階は200未満(199が上限)で構成されています
    • どれほどに利己的/自己中心的な程度が強くなったとしても、200以上の数値を示す状況はありません
    • それぞれの段階にみられる特性は、相対的に下位の特性を内包した総合としてみられ、無形界の人霊界にある地獄層でみられる特性とも共通しています
  • (1000/1000) 表現へ付与されている不誠実な性質の活動性の程度が100を越えると、土台となる恐れ/怯えを自覚して認識する段階となりますが、恐れ/怯えを自覚して認識したとしても、本人は恐れ/怯えを有している状況を認めようとはしません
    • 自身の内面に有する恐れ/怯えと向き合う「意志の方向性」と「意志の強さ」を有していないために、自身が恐れ/怯えを有していると認めた(受け入れた)のならば、際限なく恐れ/怯えを増大させると自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく思い込んでいるのです
    • 恐れ/怯えを有していると自覚して認識したために、何としてでも「恐れ/怯えを有していない」と思い込むために自身を騙[だま]し、また、恐れ/怯えから眼を逸らし逃げ回るために、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく外環境へ向ける意識を強めていきます
    • もしも、恐れ/怯えを有していると自覚して認識していない(100未満の段階に相当)のならば、自身を騙[だま]し、恐れ/怯えから眼を逸らして逃げ回るために、外環境へ向ける意識を強めてはいきません
  • (1000/1000) 表現へ付与されている不誠実な性質の活動性の程度が125を越えると、土台となる恐れ/怯えから自覚的に(自覚して/自覚できるものの自覚なく)眼を逸らし逃げ回る段階となり、意識が外環境へ向く程度も強くなるために、それぞれの段階にみられる特性に加えて、外環境へ表現される発言/行動/挙措などの行為へ、乱雑さ、粗雑さ、粗暴さ、粗野さ、粗放さ/疎放さ、が明確にみられるようになります
    • 何としてでも恐れ/怯えを引き離そうとする内面の騒乱/混迷/無秩序な状況(精神に強い騒響[ざわめき]のある状況)が、外環境へ物的に表現されているのです
    • 不誠実な性質の活動性の程度が125未満でも、外環境へ表現される行為に、乱雑さ、粗雑さ、粗暴さ、粗野さ、粗放さ/疎放さ、はみられますが、明確にみられるほどの強さを有していません
(1000/1000) 不誠実な性質の活動性にみられる特性の段階
(1000/1000) 不誠実な性質の活動性にみられる特性の段階

付与された活動性を捉える際の留意点

  • (1000/1000) 表現へ付与されている誠実/不誠実な性質の活動性の段階ごとにみられる特性は、明確な境界線で区切られているのではなく、特性が徐々に移行するグラデーションを成しています
    • ひとつの段階の中では、付与された活動性の程度が高くなるほどに、徐々に特性が強くみられるようになります
    • ある段階と隣接する他の段階との間では、双方の段階の間に明確な境界線はなく、双方の段階が接する付近では、両方の段階の特性が融合してみられます
(1000/1000) 表現の特性の段階にみられるグラデーション
(1000/1000) 表現の特性の段階にみられるグラデーション
  • (1000/1000) ある活動性の程度が付与された誠実な性質を有する表現の内容には、その活動性の程度と同等の成長段階で学ぶ必要のある内容が含まれています
    • 例として、付与された活動性の程度が350で測定される「書物に掲載されている内容」には、内的成長度で350に相当する成長段階で、成長のために学ぶ必要のある内容が含まれています
    • 学ぶ内容は、文字/図表などで表現されている有形的な内容ではなく、有形的な内容を通して表されている無形的な印象の内容です
    • ただし、成長への学びにつながる内容が含まれているのは、誠実な性質の活動性を有する表現のみです
    • 加えて、表現の内容から、学びを得ようとするのか、あるいは、学びを得ようとしないのかは、自由意志による選択に委ねられており、表現の内容から必ず学びを得られるのではありません
    • 不誠実な性質の活動性を有する表現には、学びにつながる内容が含まれていないだけでなく、文字/図表などで表現されている有形的な内容を通して表されている無形的な印象の内容は、分霊の成長を阻碍するように、はたらきかけます

精神の状況

  • (1000/1000) 精神で様々な表現が並列/並行して造化される状況は、騒響[ざわめき]/静けさとして表すことができます
    • 騒響/静けさは、意識が、精神で表現を造化する状況から受ける感覚です
    • 騒響/静けさは対となる状況を表しており、精神でおこなわれる造化の工程や、造化された表現に「騒がしさ」がみられると騒響のある状況となり、騒がしさが強くなるほどに強い騒響として表されます
    • 逆に、騒がしさが鎮まれば、静けさとして表されます
    • 騒響/静けさを譬[たと]えると、騒響は大勢の人数が集まり喧騒の中で作業している状況であり、一方で、静けさは少人数で黙々と作業をしている状況といえます
    • 意識の受ける様々な感覚は相互につながりを有しており、また、個々によって感じ取る感覚も様々なために、騒響は粗雑さとして、静けさは精細さとして感じ取る場合もあります
    • 意識が受ける感覚については3章8節 意識 #意識の受ける感覚、騒響/静けさについては5章3節 誘惑 #騒響/静けさの違いを参照してください
  • (1000/1000) 精神に騒響が起きる状況には、並列/並行しておこなわれる表現を造化する工程に統制がとれていない、造化された表現が「騒がしさ」を有している、の2つがあります
    • それぞれの表現を造化する工程に秩序のある統制がとれているのならば、静けさのある状況となり、逆に、統制が緩み秩序を維持できなくなるほどに騒響は強くなります
    • 造化された表現の種類、形状、性質、活動性の程度によって、表現の有している「騒がしさ」の強さが異なり、強い「騒がしさ」を有しているほどに騒響は強くなります
    • ほとんどの表現は、様々な強さの騒響を起こしますが、「克己」と「静謐(活動性の性質の表現)」は、騒響を鎮静させるように、はたらきます
(1000/1000) 意識の受ける騒響/静けさの感覚
(1000/1000) 意識の受ける騒響/静けさの感覚

至言の紹介

(1000/1000)「瀞沁」
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自己の内面で絶え間なく生み出される
無数の様々な表現は
自己という
小宇宙そのものを創り出しています
秩序ある調和した宇宙となるのも
混沌とした不調和な宇宙となるのも
すべては自己が選択した結果なのです
そして、この小宇宙こそが
自己の生き方を表しているのです

質疑応答

  • それぞれの質問文を押すと、応答文が表示/非表示されます
    • すべての応答文を一括して開くには、「すべての質疑応答を開く」ボタンを押してください
    • すべての応答文を一括して閉じるには、「すべての質疑応答を閉じる」ボタンを押してください

精神全般について

(1000/1000)

 はじめに、有形体を通して受け入れる情報のすべては、外環境を自覚的に認識できる範囲から受け入れており、一方で、無形体を通して受け入れる情報は、自覚的に認識できる範囲と、無自覚的に認識できる範囲の両方から受け入れています。有形体/無形体を通して自覚的/無自覚的に認識できる範囲については、3章8節 意識 #質疑応答の「自覚的/無自覚的に認識できる範囲と意識の範囲には、どのようなつながりがありますか?」を参照してください。

 有形体を通して外環境から受け入れる情報は、自由意志で受け入れる/受け入れないを選択できる情報と、選択できない情報、の2つに大別されます。自由意志で受け入れる/受け入れないを選択できる情報には、主に視覚/味覚によって受け入れる文字、映像、食物の味、などがあります。自由意志で受け入れる/受け入れないを選択できない情報には、主に触覚/聴覚/嗅覚によって受け入れる触圧/感触、音/声、匂い/臭い/香り、などがあります。なお、無形体を通して外環境から受け入れる、すべての情報は、自由意志で受け入れる/受け入れないを選択できます。

 有形体を通して主に触覚/聴覚/嗅覚によって受け入れる外環境の情報は、自由意志で受け入れる/受け入れないを選択できず、絶え間なく受け入れており、情報の受け入れが途絶える状況はないために、常に精神で受け入れた情報に基づく表現が造化されています。この表現から受ける感覚(造化された表現)へ自覚して意識を向けないようにすれば、外環境の情報を絶え間なく受け入れていても、意識を向けていない間のみ表現が造化されていません。精神で造化した表現から意識が受ける感覚については、3章8節 意識 #意識の受ける感覚を参照してください。

 有形体を通して主に視覚/味覚によって受け入れる外環境の情報は、自由意志で受け入れる/受け入れないを選択できるために、自覚的/無自覚的に受け入れると選択した場合には、精神で受け入れた情報に基づく表現が造化されます。外環境の情報を受け入れると選択することは、同時に、外環境から受け入れた情報に基づいて造化される表現(表現から受ける感覚)へ自覚的/無自覚的に意識を向けると自由意志で選択しているために、造化された表現へ必ず意識が向いており、表現へ意識が向いていない状況はみられません。一方で、外環境の情報を自由意志で自覚して受け入れないと選択した場合には、精神で外環境の情報に基づく表現が造化されません。外環境の情報を受け入れないと選択することは、同時に、自覚して外環境へ意識を向けないと選択しているために、有形体の視覚/味覚によって情報を受け入れなくなります。有形体が情報を受け入れなければ、情報が有形体から精神へ送られる状況もないために、精神で表現が造化されません。受け入れないと選択する際には必ず自覚して選択し、自覚できるものの自覚なく、あるいは、自覚なく選択しません。

 有形体を通して受け入れる外環境の情報を、自覚できるものの自覚なく、あるいは、無自覚的に(自覚なく)受け入れないと自由意志で選択する状況はみられません。

 無形体を通して受け入れる外環境の情報は、自由意志で受け入れる/受け入れないを選択できるために、自覚的/無自覚的に受け入れると選択した場合には、精神で受け入れた情報に基づく表現が造化されます。外環境の情報を受け入れると選択することは、同時に、外環境から受け入れた情報に基づいて造化される表現(表現から受ける感覚)へ自覚的/無自覚的に意識を向けると自由意志で選択しているために、造化された表現へ必ず意識が向いており、表現へ意識が向いていない状況はみられません。

 自覚して受け入れないと選択した場合には、精神で外環境の情報に基づく表現が造化されません。有形体を通して情報を受け入れる際とは異なり、無形体は外環境から絶え間なく情報を受け入れており、情報の受け入れが途絶える状況はないために、常に精神で受け入れた情報に基づく表現が造化されています。この表現から受ける感覚(造化された表現)へ自覚して意識を向けないようにすることで、外環境の情報を絶え間なく受け入れていても、意識を向けていない間のみ表現が造化されていません。

 自覚できるものの自覚なく受け入れないと自由意志で選択した場合には、精神で受け入れた情報に基づく表現が造化されます。外環境から絶え間なく受け入れている情報に基づいて、常に精神で表現は造化されていますが、この表現から受ける感覚(造化された表現)へ自覚して意識が向いていないだけであり、自覚できるものの自覚なく意識が向いています。言い換えると、外環境の情報を自覚できるものの自覚なく受け入れないと選択することは、外環境から受け入れた情報に基づいて造化される表現(表現から受ける感覚)から自覚できるものの自覚なく意識を逸らしているといえます。

 無形体を通して受け入れる外環境の情報を、無自覚的に(自覚なく)受け入れないと自由意志で選択する状況はみられません。

 この質疑応答に関連する内容には、3章6節 内的構造 #質疑応答の「書物、テレビ、ラジオ、などの情報媒体の違いは、内的構造が受け入れる情報に違いとして現れますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000) 受け入れる情報の選択と精神での表現の造化
(1000/1000) 受け入れる情報の選択と精神での表現の造化

表現の形状

(1000/1000)

 無形的な印象は、有形的な言語/図表などで表された有形的な表現から受ける感覚よりも精細であり、印象の内容へ意識を集中させていなければ、有形的な表現から受ける粗雑な感覚によって、印象の精細な感覚が埋もれてしまい、印象の内容を保持し難くなります。表現は、意識が表現へ向いていることで活動性が継続して付与され、実体として保持されており、意識が表現へ向かなくなれば活動性の付与が途絶えるために、実体を保持できずに消え去ります。意識が印象の精細な感覚を感じ取り難くなれば、意識が印象へ向かなくなるために、印象を保持できなくなるのです。

 有形的な表現には、言語/文字/図像で思考する(有形的な表現を造化する)、文字を読む、外環境の音声/音曲を聴く、他者へ話しかける、他者から話しかけられる、周囲でテレビ/ラジオ/音曲などが流れている、料理の香り/煙の匂い、物的な風/気温/水温、などがあり、これらの表現から受ける粗雑な感覚が意識を埋めるようになるために、印象から受ける精細な感覚を感じ取り難くします。

 自己が有形的な表現を造化しないように抑制することはできますが、周囲の音/光/匂いなどを消すことはできず、また、他者の発言/行動を制御することもできないために、強い意志で、印象から受ける精細な感覚へ意識を集中して、印象を保持するように努める必要があります。これは、瞑想で高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚へ意識を集中して高い活動性の程度へ同調していくようにする状況や、天使たちから送られてくる印象の受信へ意識を集中し印象へ意識を集中させたままで受信した印象を閃きとして造化する状況と同じです。瞑想については、5章5節 祈り/瞑想を参照してください。

 「意識を必要とする一点へ集中する習慣」を形成し強めていくことで、大量の粗雑な感覚の中へ埋もれている精細な感覚へ意識を集中できるようになり、加えて、印象へ意識を向けたままで、会話/執筆などの粗雑な感覚を生み出す物的な活動をおこなえるようになります。

(1000/1000)

 生活の中で使用する言語の違いは、無形的な印象の内容を有形的な表現へと変換する際に、それぞれの言語を構成する文法/文字の特性によって、変換しやすい内容、あるいは、変換し難い内容がみられるようになる状況を表しています。同じ内容の印象であっても、ある言語では変換しやすく、他の言語では変換し難い状況がみられる場合もあるのです。

 また、それぞれの言語にみられる特性は、有形的な表現を造化する際に、特定の方向性を有する「工程の方向性」として、はたらくために、その言語が用いられている社会の既成概念、思考の方向性、文化の性質、などと密接に関連しています。これは、ある社会で用いられている言語に含まれる単語の定義を、他の社会で用いられている言語の単語へ適切に変換できない状況にも表れており、両者の社会が有する既成概念、思考の方向性、文化の性質、などが異なるために、類似する定義の単語は存在していたとしても、同じ定義の単語が存在していないのです。

 なお、言語の中で用いられている単語の定義、文法の規則、などは、情報/知識として記録の機能特性へ貯蔵され、一方で、単語/文法を組み合わせて用いる技術は、経験の機能特性へ保存されます。単語/文法を情報として取り入れるのは即時におこなえますが、これらを組み合わせて用いる技術は徐々に形成されるために、技術の習熟が言語の習得に期間/時間を必要とする原因となっています。

 加えて、現在の地上社会が有する成長の程度では、無形的な表現から有形的な表現へ変換できない内容もみられます。例として、外環境の活動性の程度を認識して造化した印象、行為に占める利己性/自己中心性/欲望の割合、活動性の程度にみられる認識の近さ/遠さ、などが挙げられます。この状況は、現在の地上社会の成長段階では、有形的に表現するための表現媒体が存在していないために生じており、多くの場合では、どの地域で用いられている言語にも、適切に定義された語が存在していないことで、印象の内容を文字/図表などで表現できません。今後に、地上社会の成長の程度が向上するのにともない、適切な語が創り出される可能性はあります。

表現の性質

(1000/1000)

 物質の心によって造化される誘惑(利己性/自己中心性/欲望)の干渉を受けて分霊の心が造化する不誠実な表現と、経験の機能特性に保存されている「不誠実な性質の表現を造化する習慣」に基づいて造化される不誠実な表現には、造化される表現に明確な違いはみられません。

 ただし、干渉を受けて分霊の心がおこなう不誠実な表現の造化は、経験に保存されている「不誠実な性質の表現を造化する習慣」の形成と、「活動性の程度を付与する習慣」の形成に関与し、更に、形成された習慣の強さへ影響を与えます。一方で、経験に保存されている「不誠実な性質の表現を造化する習慣」に基づく表現の造化は、受ける干渉の程度や、干渉を受けて分霊の心がおこなう不誠実な表現の造化へ影響を与える状況はありません。経験へ保存されている習慣については、3章7節 心 #分霊の心を参照してください。

 表現へ付与する活動性の程度からみると、分霊の心が誘惑の干渉を受けて表現を造化する場合では、物質の心によって造化される誘惑(利己性/自己中心性/欲望)から「分霊の心が表現を造化する工程」に受ける干渉の程度は、克己の影響力で誘惑の影響力を相殺しきれなかった大きさで決まります。もしも、自由意志で自覚して克己を造化する選択をせずに、受ける干渉を制御するように努めていないのならば、同時に、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく「制御しない」と選択している状況でもあり、受ける干渉そのままの程度が表現へと付与され、高い程度の不誠実な性質の活動性を付与するようになります。克己での相殺については、この節の質疑応答「誘惑の利己性/自己中心性/欲望は、克己によって、どのように相殺されるのですか?」を参照してください。

 同様に、経験に保存されている「不誠実な性質の表現を造化する習慣」に基づいて表現を造化する場合では、表現の造化を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく制御するように努めていないのならば、「高い活動性の程度を付与する習慣」が際限なく強められ、高い程度の不誠実な性質の活動性を表現へ付与するようになります。経験の機能特性へ保存されている「活動性の程度を付与する習慣」の強さが表現へ付与する活動性の程度へ与える影響については、この節の質疑応答「習慣の強さと表現へ付与される活動性の程度には、どのようなつながりがありますか?」を参照してください。

(1000/1000) 誘惑/経験による不誠実な表現の造化
(1000/1000) 誘惑/経験による不誠実な表現の造化

 誘惑の干渉を受けて造化される不誠実な表現と、経験の機能特性に保存されている「不誠実な性質の表現を造化する習慣」に基づいて造化される不誠実な表現の、どちらの場合でも、表現へ付与する活動性の程度が199を上回る状況はありません。どれほどに干渉の程度が強くなり、また、どれほどに習慣が強くなっても、不誠実性の根幹である物質の心が内的構造への要求に用いる199の活動性の程度を上回ることはないのです。なお、活動性の程度を付与する習慣は、表現へ199の程度を付与する段階まで強められた時点で習慣の強さが上限へ達するのではなく、習慣が際限なく強められても、表現へ付与する活動性の程度は199となります。習慣の強さに上限はありません。

 表現/行為へ付与された不誠実な性質の活動性の程度によって、表現/行為にみられる特性は変化しますが、どれほどに習慣が強くなったとしても、199の程度でみられる特性からは変化しません。しかし、表現/行為へ付与された不誠実な性質の活動性の程度が上限となる199であったとしても、習慣の強さが異なれば、表現/行為にみられる狡猾性/残忍性の程度は異なります。199の程度が付与された複数の表現/行為からは、傲慢、虚勢、差別、軽蔑する、愚弄する、侮辱する、嘲[あざけ]る、侮[あなど]る、などの同じ特性がみられますが、表現/行為を造化した土台となる「不誠実な性質の表現を造化する習慣」を強く有しているほどに、表現/行為には狡猾性/残忍性が強く表れるようになります。狡猾性/残忍性は、表現/行為へ付与された不誠実な性質の活動性の程度が1からみられ、「不誠実な性質の表現を造化する習慣」が強くなるほどに、習慣に基づいて造化された表現/行為に表れる狡猾性/残忍性が際限なく強くなります。

(1000/1000) 習慣の強さと表現/行為にみられる特性
(1000/1000) 習慣の強さと表現/行為にみられる特性

(1000/1000)

 経験の機能特性に保存されている「誠実な性質の表現を造化する習慣」に基づいて造化される誠実な表現と、大霊の心から支援を受けて造化される誠実な性質の表現には、造化される表現に明確な違いはみられません。どちらの場合であっても、自由意志による自覚のある選択に基づいて造化し、自覚できるものの自覚なく造化する状況はありません。

 大霊の心から支援を受けて造化される表現では、自覚して大霊の心から印象/活動性を受け取る選択をしている場合に、送られてくる印象/活動性を受け取り、表現を造化できます。印象/活動性を受け取る選択をしていないのならば、どれほどに印象/活動性が送られていても、受け取ることができない(送られている印象/活動性へ気づけない)ために、表現を造化できません。なお、印象/活動性を受け取る選択は自覚しておこないますが、印象/活動性を受け取らない選択は自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なくおこなわれます。印象/活動性を受け取る選択については、4章10節 天使 #質疑応答の「高い活動性へ同調するように努める誠実な生き方をしている人が、天使たちとの疏通を拒むような状況はありますか?」も参考にしてください。

 自由意志による自覚のある選択は、「表現を造化する/造化しない」の選択と、表現を造化すると選択した際に「表現を造化する量」を選択します。加えて、表現へ付与する活動性の程度は、自覚できるものの自覚なく表現を造化する場合に比べ、自覚して造化する場合では、同調する活動性の程度に相応する高い活動性の程度を付与しやすくなります。

 表現へ付与する活動性の程度からみると、経験に保存されている習慣に基づいて造化される表現では、同調する活動性の程度を上限として、造化する表現の内容ごとに「活動性の程度を付与する習慣」を形成し、表現を造化する際に、形成している習慣に相応する活動性の程度を表現へ付与するようになります。一方で、大霊の心から支援を受けて造化される表現では、同調する活動性の程度を上限として、活動性の程度を付与する習慣を形成しますが、この習慣のみで表現は造化できず、大霊の心から印象/活動性を受け取ることによって、表現を造化できるようになります。形成されている「活動性の程度を付与する習慣」は、表現を造化する際に、表現へ付与しやすい活動性の程度を決めます。経験の機能特性へ保存されている活動性の程度を付与する習慣の強さが表現へ付与する活動性の程度へ与える影響については、この節の質疑応答「習慣の強さと表現へ付与される活動性の程度には、どのようなつながりがありますか?」を参照してください。

(1000/1000) 経験/大霊の心の支援による誠実な表現の造化
(1000/1000) 経験/大霊の心の支援による誠実な表現の造化

(1000/1000)

 小説、漫画、映画、ビデオゲーム、などの内容に、戦い、争い、殺人、暴力、騙し合い、怒り、憎しみ、強奪、などの攻撃的な内容が多くみられるのは、物質の心から受ける誘惑(利己性/自己中心性/欲望)の干渉を通して、物質の心に由来する狡猾/残忍な性質が著者/製作者の有している経験の機能特性へと保存され、保存されている「狡猾性/残忍性」が造化された著作物/制作物へ発露しているためです。物質の心は、有形体を維持できなくなる状況への恐れ/怯えを根底に有しており、有形体を維持するためには、どれほどに残忍で狡猾な行動であったとしても、おこなわせるように分霊の心へ、はたらきかけます。経験の機能特性については、3章7節 心を参照してください。

 そして、大霊の法則のひとつとして「類似する性質は引き寄せ集まる」ために、読者/鑑賞者の有する経験の機能特性へ保存されている「狡猾性/残忍性」が、小説、漫画、映画、ビデオゲーム、などの攻撃的な内容に引き寄せられているのです。加えて、性的な描写、物欲/味覚への拘[こだわ]り、などの表現を用いて、読者/鑑賞者の誘惑を強め、欲望を喚起している場合も多くみられます。

 攻撃的な内容の表現が何時[いつ]までも社会から減少しない(寧[むし]ろ、社会に増加している)のは、社会を構成している個々の成長の程度が低く、不誠実な生き方をしている者が多い状況に原因があります。社会で物的に攻撃的な行動をおこなえば法律/罰則へ抵触し不利益を被[こうむ]る(自身に都合が良くない)ために、自身が不利益を被ることなく、自身に都合良く狡猾性/残忍性を満たすために、また、膨れ上がる狡猾性/残忍性を発散するために、小説、漫画、映画、ビデオゲーム、などの媒体を利用しているのです。個々の成長の程度が高くなるほどに、攻撃的な内容や、欲望を喚起する内容の表現は、社会から受け入れられなくなり、減少していきます。

 誠実な生き方を求め、自己の有している習慣に基づいておこなう行為を常に内省し、習慣を修正するように努めているのならば、経験へ保存されている「狡猾性/残忍性」は徐々に弱くなっていくために、攻撃的な内容の媒体へ引き寄せられる状況はなくなり、更に、攻撃的な内容を避けるようになります。そして、調和、美/輝き、自己を自己以外のために役立てる愛への献身(恋愛ではありません)、真摯な努力、などの内容へ引き寄せられるようになります。

 なお、小説、漫画、映画、ビデオゲーム、などにみられる攻撃的な内容と同様に、落ち着きのない騒々しい音曲は、誘惑の干渉を通して、物質の心の有する「恐れ/怯え」が著者/製作者の有している経験の機能特性へと保存され、保存されている「恐れ/怯え」が、幻想の安定性を求めて発露しており、それらの音曲へ、鑑賞者の有する経験の機能特性へ保存されている「恐れ/怯え」が、幻想の安定性を求めて引き寄せられています。幻想の安定性については、5章2節 幻想を参照してください。

表現の種類: 感情

(1000/1000)

 「悩み」は感情ではなく、思考に含まれます。悩みは、いくつもの思考の表現が、ひとつの方向性(現状の解決)へ向けて進行せずに、円環を成して巡っている状況を表しています。悩みは思考経路の状況を指しており、思考そのものを指しているのではない点に留意してください。

 悩みの内容は、完全に造化されているために、「何を悩んでいるのか?」が明確であり、文字/言語を用いた有形的な表現が可能です。一方で、感情の内容は、造化が不完全なために内容が不明確であり、文字/言語を用いた表現はできず、有形体の動作を通してのみ有形的な表現が可能です。ただし、悩みとして表れている思考の内容が有する性質は、思考の内容によって、誠実な場合もあれば、不誠実な場合もあります。

 なお、「ストレス」と呼ばれている表現は、悩みと類似していますが、抑鬱/抑圧に含まれる感情の表現です。ストレスが悩みと結びつく(抑鬱/抑圧を消し去るための解決ができない)ことで、様々な心身症を引き起こす要因となっています。

(1000/1000)

 感動/感激は、感情に含まれません。感動/感激は愛に由来しています。

 「感情」は、主に外環境の表現を認識/反応することで造化される不誠実な性質を有する表現であり、強く認識/反応した場合は、血圧の上昇、失禁、気絶、赤面、などの、有形体の急激な変化をともなう「情動」となります。感情/情動は、多くの場合に、強い騒擾[そうじょう]をともないます。一方で、「感動」は、愛の表現に触れることで造化される誠実な性質を有する愛の表現であり、強く認識した場合は、落涙、言語にならない昂[たか]ぶり、などの、有形体の急激な変化をともなう「感激」となります。感動/感激は、多くの場合に、「静謐な喜び」をともないますが、騒擾はともないません。

 感情の「快」に区分される表現であり騒擾をともなう「楽しさ/嬉しさ」と、感動/感激は、表面的には類似しているようにもみえますが、両者は土台となる方向性が全く異なります。楽しさ/嬉しさは、自己のために自己以外を役立てた状況で感じ取り、一方で、感動/感激は、自己を自己以外のために役立てた状況で感じ取る、あるいは、他者が自身を自身以外のために役立てた状況を観察して感じ取ります。

 この節の質疑応答に関連する内容には、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「他者の状況へ共感する場合もあれば、共感しない場合もあるのは、自己の状況と関係がありますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 ある感情が、他の感情の造化を制御する状況はあります。ある感情が他の感情の造化を抑制する状況や、逆に、ある感情が他の感情の造化を促進する状況としてみられます。

 ただし、ある特定の感情が、他の特定の感情が造化されるのを抑制/促進すると明確に決まっているのではありません。特定の感情から影響を受けて、造化を抑制/促進される感情には傾向がみられるものの、個々の生活環境、習慣の内容/強さ、疲労の程度、有形体の状況、などによって、抑制/促進される感情は異なります

 地上の様々な地域で発展してきた伝統医学では、ある特定の感情が、他の特定の感情を制御する傾向を、それぞれの観点から捉えて体系化しています。例として、中医学では、五行(木火土金水)のつながりから、五行のそれぞれに対応する感情の制御の関係性を考察しています。五行から捉えた感情の制御についての詳細は、中医学の書物を参照してください。6章1節 推薦書物 #無形体の経絡系統に関する書物にも中医学の書物が掲載されていますので参考にしてください。

(1000/1000) 五行からみた感情の制御
(1000/1000) 五行からみた感情の制御

 加えて、ある内容の感情は、同じ内容の感情を連鎖して造化させ、精神でおこなわれる無数の造化の工程を埋め尽くそうとする場合もあります。例として、怒りが湧き上がってきた際に、怒りを鎮静しようとせずに、怒りに意識を向けて集中する(怒りに身を任せる)と、際限なく怒りが増幅され、我を忘れて怒りのままに暴力を振るうなどの行動がみられるようになります。

 なお、ある感情が他の感情の造化を抑制/促進したとしても、精神で感情の表現が造化されている状況に変わりはなく、また、感情が有形体の均衡/調和を崩し、不健康/病を生み出す要因となる状況にも変わりはありません。感情の種類によって、原素材を有形体の全体へ行き渡らせる方向性や、磁気的作用力を作用させる方向性に影響を与える場合もあります。これは、精神で、ある特定の感情によって他の特定の感情が造化されるのを抑制/促進する状況が、有形体内で原素材を全体へ行き渡らせる方向性や、磁気的作用力を作用させる方向性へ、方向性の相乗/相殺として現れることを示しています。例として、怒りは上昇の方向性を強く有しており、激怒は頭部に向かって急激に原素材を集め、他の部位へ行き渡る量/速さを減退させるために、頭部での出血、眩暈[めまい]、昏倒、眼の充血、落涙、鼻血、耳鳴り、四肢蒼白/痺れ、などを引き起こすこともあり、同時に、下降の方向性を有している恐れ/怯えを和らげる場合もみられます。

 この質疑応答に関連する内容には、5章2節 幻想 #質疑応答の「虚栄心とは何ですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000) 感情にみられる方向性の例
(1000/1000) 感情にみられる方向性の例

表現の種類: 思考, 直観, 閃き, 愛

(1000/1000)

 論理的思考、抽象的思考、などは、複数の表現が有する内容を関連性(つながりの強さ)から捉えた、有形的な表現としての思考の区分です。

 この節の本編で用いている思考の区分(記号的思考/図像的思考)は、文字、言語、図表、などの、表現媒体に基づく区分であり、この区分の中に、表現の有する内容の捉え方として、論理的思考、抽象的思考、などがあります。表現媒体に基づく区分は、表現の内容に関係しない区分の方法ですが、一方で、表現の有する内容の捉え方としての区分は、内容と内容のつながり、全体の中で重点を置く内容、全体をまとめて要略した内容、などの、表現されている内容への「焦点の範囲」と「つながりの程度」によって区分されています。なお、論理的思考、抽象的思考、などの捉え方は、有形的な表現の思考のみに区分することができ、無形的な表現の思考(印象)は区分できません。

 論理的思考/抽象的思考などの「表現の有する内容の捉え方としての区分」は多岐に渡り、分類の定義も様々であり、同じ名称の分類方法が、必ずしも同じ定義で用いられているのではない点に留意しておく必要があります。

(1000/1000)

 閃き/思考は、意識の受ける両者の感覚の違いによって判別することができます。閃きは、思考を造化する工程へ組み込まれて造り出されますが、閃きは全体である大霊の心に由来しているために、個体である分霊の心に由来する思考よりも、常に、透明/精細/無重の感覚を受けます。表現の種類から意識の受ける感覚の違いについては、この節の質疑応答「精神で造化される表現によって、意識が表現から受ける感覚は異なりますか?」も参考にしてください。

 ただし、意識の受ける感覚は相対的なために、常に同等の感覚として感じ取るとは限りません。熱、有形体/無形体の疲労、有形体/外環境の無数の周期の組み合わせ、内面の状況、などによっては、閃き/思考から受ける感覚の違いを鮮明に感じ取る状況もあれば、一方で、不鮮明で違いが感じられない状況もあります。特に、自覚の有無に関わらず、熱/疲労などを有していると、意識の受ける感覚が不鮮明となりやすく、閃き/思考の両者を混同してしまう状況も多くみられます。もしも、意識の受ける感覚から両者を判別し難い場合には、筋反射検査を用いて判別することもできます。

 なお、筋反射検査を用いて閃き/思考を判別する際には、熱/疲労などを有していると、自覚できるものの自覚のないままに精神へ騒響[ざわめき]を起こしている場合も多く、筋反射検査の条件を適切に満たしていない状況もあるという点に留意する必要があります。筋反射検査は、精神の状況から鋭敏に影響を受けるために、「精神へ静けさを保持している」と明確に自覚できない状況では、検査を避けるほう適切です。筋反射検査については、1章3節 筋反射検査を参照してください。

 この質疑応答に関連する内容には、2章5節 無形界の住人 #質疑応答の「誠実な生き方へ努め、精神で不誠実な思考/感情などを造化しなければ、地獄者/地縛者に干渉を受けなくなりますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 地上での生活において、閃きと直観を区別するのは困難です。閃き/直観の区別が困難なのは、双方ともに、自己の内面より自然に湧き浮かんで来るためです。閃き/直観のそれぞれから意識が受ける感覚を自己の体験に基づいて判別し、閃き/直観を区別していくことは可能ですが、充分な習熟を必要とします。

 閃きは、多くの場合では、外環境の状況や自己の内面の状況に関わらず、切っ掛けとなる何らかの語、文章、映像、出来事、現象、思考、などを通して、自己が天使たちから常に送られている無数の印象に気づくことで造化されるようになります。日常的には、何らかの切っ掛けなしに、天使たちから常に送られている無数の印象に気づくのは困難です。そして、ある切っ掛けによって閃き、その閃きを切っ掛けとして、連鎖して閃くようになる場合もあります。

 一方で、直観は、外環境の出来事を切っ掛けとして、自己の有する知識/経験に基づいて造化されますが、ある切っ掛けによって起きた直観を、更に切っ掛けとして直観が連鎖するように起こる状況はありません。ただし、ある直観を切っ掛けとして、閃きが連鎖して起こる場合はあります。

 また、何らかを切っ掛けとして閃くだけでなく、同調する活動性を高めて、自己の成長の程度を向上させ、様々な囚われ(固定観念/既成概念)を解消し、無形的認識で物事を捉えるように努め、天使たちの支援/援助を常に自覚して受け入れる意志を保ち続けることで、徐々に切っ掛けがなくても閃くようになります。

(1000/1000)

 喜びは、誠実の性質を有する静謐(誠実な活動性の性質の表現)をともないますが、不誠実の性質を有する騒擾[そうじょう](不誠実な活動性の性質の表現)はともないません。一方で、感情に含まれる楽しさ/嬉しさは、不誠実の性質を有するために、騒擾をともないますが、静謐をともないません。

 愛の表現である「喜び」は、外環境の表現を認識しても/認識しなくても、内面より静かに湧き溢れますが、感情の表現である「楽しさ/嬉しさ」は、多くの場合では、外環境の表現を認識することで、その反応として、内面に騒がしさを引き起こします。

 愛/感情の表現には、いくつかの対比される類似した方向性を有する表現がみられますが、表現の有する性質は、静謐(誠実)/騒擾(不誠実)で相反しています。なお、愉[たの]しさは、感情の有する快/不快とは関係なく、また、快楽/快感を得たのでもなく、成長への学びを得ることで静かに感じ取り、学びを得られる状況への喜びに基づいて造化される表現です。

(1000/1000) 愛/感情の比較
(1000/1000) 愛/感情の比較

 上記に加えて、不誠実な表現(感情を含む)と対比される類似した方向性を有する愛の表現には、愛ある無関心、愛ある憤慨、などがあります。愛ある無関心は、外環境へ表現される行動を表しており、他者のおこなう不誠実な行為へ迎合しない/加担しない「自覚しておこなわれる態度」を指しています。一方で、愛ある憤慨や、愛ある哀情(慈悲/憐れみ)、愉しさ、喜び、などは、精神で造化した印象から意識が受ける感覚を表しています。愛ある無関心については、5章6節 愛の行為 #自己が他者/全体の成長を阻碍しないを参照してください。

 愛ある憤慨は、慈悲/憐れみ(愛ある哀情)に含まれ、自己以外への「思いやり」を土台としており、精神で造化した印象から「憤(いきどお)り」に類似する方向性の感覚を感じ取ります。「憤り」に類似する方向性を有していますが、怒りの感情に対比される表現ではありません。自己以外への「思いやり」を土台としているために、相手が不誠実な行為をおこなっているだけの状況では愛ある憤慨を感じ取らず、また、相手が不誠実な行為で自己のおこなう行為を妨害して自己の時間/労力を無用に浪費させている状況に対しても感じ取りません。相手が不誠実な行為で他者のおこなう行為を妨害し、他者の時間/労力を無用に浪費させている状況に対してのみ、愛ある憤慨を感じ取ります。愛ある憤慨は、全体に由来する表現であり、愛ある憤慨と捉える対象は不変です。状況によって愛ある憤慨と捉える対象が変化せず、表現を造化しても精神へ騒響を起こしません。慈悲/憐れみについては、5章6節 愛の行為 #質疑応答の「慈悲/憐れみとは何ですか?」を参照してください。

 愛ある憤慨は、義憤や、怒り/苛立ちではありません。義憤は、個体に由来する表現であり、「自己が正しく、相手が誤っている」という思い込み/囚われ(固定観念/既成概念)に基づいており、状況によって義憤と捉える対象が変化します。誠実な性質を有している場合もあれば、不誠実な性質を有している場合もあり、表現を造化すると精神へ騒響を起こしやすいです。怒り/苛立ちは、利己性/自己中心性/欲望を土台とする感情であり、常に不誠実な性質を有しています。

表現の種類: 活動性の性質の表現

(1000/1000)

 誠実な性質を有する活動性の性質の表現が、無形界では分霊の心が単独で造化しているものの、有形界では大霊の心から支援を受けて造化されるのは、有形界では、分霊の心は大霊の心から絶え間なく支援を受け続けているためです。
 
 有形界/地上では、有形体を用いて生活するために、有形体の内包する物質の心から絶え間なく影響を受け続けており、物質の心から干渉を受けて不誠実な性質の表現を造化し、常に成長を阻碍/退行させやすい状況にあります。そのため、物質の心から受ける影響に打ち克ち、誠実な性質の表現を造化し、成長を促すように、大霊の心からも絶え間なく活動性の支援を受け続けています。大霊の心から絶え間なく活動性の支援を受け続けているために、有形界で造化される「誠実な性質の思考」のすべては、大霊の心から支援を受けて造化される表現へ区分される「愛」の表現となり、愛の表現が造化されるのと同時に自動的に造化される「誠実な性質を有する活動性の性質の表現」も、大霊の心から支援を受けて造化される表現へ区分されるようになります。
  
 表現の種類からみると、「克己」の表現も、「愛/閃き」と同様に、大霊の心から活動性の支援を受けて造化されています。有形界で、分霊の心が大霊の心から支援を受けることなく造化する唯一の表現は、誠実な性質の「直観」のみとなります。
  
 なお、無形界でも、分霊の心は大霊の心から活動性の支援を受けていますが、「絶え間なく」支援を受けているのではなく、眼前の状況にあわせて「適宜に」支援を受けています。そのため、無形界で造化される「誠実な性質の思考」は分霊の心が単独で造化する表現へ区分されるために、思考が造化されるのと同時に自動的に造化される「誠実な性質を有する活動性の性質の表現」も、分霊の心が単独で造化する表現へ区分されます。

(1000/1000)

 静謐の表現(誠実な活動性の性質の表現が有する側面のひとつ)を造化している者の近くで落ち着きを感じるのは、自己の精神で造化された静謐が自己の精神の騒響[ざわめき]を鎮静させるだけでなく、周囲の者たちが、外環境へと表現されている静謐の影響を受けて、誘惑による干渉、感情の造化、などの様々な原因によって引き起こしている精神での騒響を鎮静させることができるようになるためです。活動性の性質の表現は、精神で造化されると必ず外環境へ表現されるために、自身で造化した静謐でなくても、自身の騒響を鎮静させるのです。

 地上では、外環境へ表現されている「活動性の性質の表現」は、大気の4次元の側面を構成する一部となります。有形界は、無形界とは異なり、様々な程度の活動性が同じ場に混在している特性を有しており、お互いの有する活動性が影響を与え合うために、大気の構成に含まれている「静謐」の有する活動性の性質が、自己/他者の精神に起きている騒響を鎮静させるように、はたらきかけます。静謐の表現は、誠実な性質の活動性に含まれる「不安定な状況を安定させる方向性」の性質を有する活動性が付与されています。そのため、静謐の有する性質に影響を受けて、精神の不安定な状況を表す「騒響」を引き起こしている表現の造化が減少し、不安感、焦燥感、などを感じさせる騒響が鎮静され、落ち着き、安心感、などを感じるようになります。有形界の有する特性については、2章3節 有形界の構造を参照してください。

 なお、自己の精神に強い騒響がある状況では、誠実な性質の思考は造化できるものの、静謐(誠実な活動性の性質の表現)は自動的に造化されない、あるいは、僅かにしか造化されません。ある程度に騒響が鎮静された状況、あるいは、騒響のない「静けさ」の状況で、静謐を造化できるようになります。騒響/静けさ/静謐を湖の水面に譬[たと]えると、水面が波立ち波紋の起きている状況を騒響とした場合に、水面の波が消え去り水鏡を成している状況が騒響のない静けさとなります。静けさに加えて、湖の水面だけでなく、湖畔の周囲にある全てが静止したような感覚、時間の停止したような感覚、これらの感覚によって自己と周囲が一体となったような感覚が静謐となります。

 ただし、不誠実な生き方をしている者たちは、誘惑に追従して欲望/快楽/快感を追い求める「騒々しさ」によって、自身の恐れ/怯えから眼を逸らし続けているために、造化され外環境へ表現されている静謐の「騒がしさを鎮める」性質に自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく恐れ/怯えを感じて、静謐を造化している者を嫌厭[けんえん]し、忌避/迫害する場合も多くみられます。誘惑を追い求める騒々しさについては、5章2節 幻想を参照してください。

 誠実な活動性の性質の表現は、「安定した状況を生み出す方向性」として静謐の側面がみられるのに対して、不誠実な活動性の性質の表現は、「不安定な状況を生み出す方向性」として騒擾[そうじょう]の側面がみられます。静謐/騒擾は、活動性の性質が誠実/不誠実に区別される違いがあるものの、騒響と密接に関連する特性を表す軸線での、相反する方向性を有しています。同様に、輝き/暗闇も、活動性の性質が誠実/不誠実に区別される違いがあるものの、明るさ/暗さと密接に関連する特性を表す軸線での、相反する方向性を有しています。

 この質疑応答に関連する内容には、この節の質疑応答の「精神に起きる騒響の強さは、どのようにして決まりますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000) 相反する方向性と類似する特性
(1000/1000) 相反する方向性と類似する特性

表現の種類: 克己, 利己性/自己中心性/欲望

(1000/1000)

 常に、精神で表現を造化する工程と造化された表現(自己の内面の変化)を内省しているのならば、物質の心によって造化される利己性/自己中心性/欲望と、分霊の心の経験に保存されている習慣によって造化される利己性/自己中心性/欲望とを区別できるようになります。

 物質の心によって造化された場合には、強い衝動とともに、分霊の心がおこなう表現の造化や行動を支配しようとする強い強制力を有しています。克己を用いて影響力を相殺しなければ、精神を誘惑の影響力(利己性/自己中心性/欲望の表現)で埋め尽くそうとするために、自由意志で行動を選択する余地がなくなり、利己性/自己中心性/欲望に基づく刹那的/衝動的な行動をおこなうようになります。一方で、分霊の心の経験に保存されている習慣によって造化された場合には、衝動は弱く、強い強制力を有していないために、自由意志で行動を選択する余地があります。

 ただし、物質の心によって造化される誘惑は、経験に保存されている「不誠実な性質の表現を造化する習慣」を喚起しやすく、誘惑による干渉を受けて不誠実な表現を造化するとともに、喚起された習慣に基づいて不誠実な表現を造化している場合も多くみられます。

(1000/1000) 物質の心/習慣に基づく造化
(1000/1000) 物質の心/習慣に基づく造化

(1000/1000)

 はじめに、物質の心が造化する誘惑(利己性/自己中心性/欲望)には、物質の心による「有形体の維持に必要とする内容」の要求によって、一定の活動性の程度(199)が付与されています。そして、物質の心の要求する頻度によって、利己性/自己中心性/欲望を造化する量が決まり、頻度が高くなるほどに造化される量は増大します。物質の心による要求の頻度が、どれほどに高くなっても、利己性/自己中心性/欲望に付与される活動性の程度は199です。

 克己は、自由意志に基づく自覚のある選択によって、「造化する/造化しない」を決定でき、また、造化すると選択した場合は「造化する量」も決めます。克己へ付与される活動性の程度は同調する活動性の程度で決まり、199-1000の活動性の間で付与されます。克己は、物質の心(有形体)を有する有形界(地上)でのみ造化され、無形界では造化されないために、有形界で同調できる活動性の程度の上限となる1000までを付与できます。もしも、同調する活動性の程度が199未満の場合には、克己を自由意志で自覚して造化すると決めたのならば、必ず、天使たち(大霊の心)の多大な支援を受けて、同調する活動性の程度よりも高い199の程度を有する克己を造化することができます。

 造化された活動性の程度が200-1000の克己は、物質の心によって造化された活動性の程度が199の利己性/自己中心性/欲望から受ける影響力を相殺するために、同等となる199の活動性の程度を有する克己へと変換されます。199の程度を有する「ひとつの克己」は、199の程度を有する「ひとつの利己性/自己中心性/欲望」と同等の影響力があり、造化されている利己性/自己中心性/欲望の量よりも多くの克己を造化しているのならば、利己性/自己中心性/欲望から受ける影響力を相殺して、分霊の心がおこなう表現の造化へ干渉させないようにできます。付与された活動性の程度は、程度を下げても総合的な影響力は保持されるために、程度を下げた幅に相応して影響を与える範囲が拡大します。そのため、克己へ付与されている活動性の程度が高いほどに、199の程度へと変換した際に造化される克己の量は累乗的に増大します。活動性の程度を下げる幅と影響を与える範囲については、2章2節 大霊 #生命を参照してください。

 造化され変換された「199の活動性の程度を有する克己」の総合的な影響力で、利己性/自己中心性/欲望の総合的な影響力を相殺し、克己で相殺しきれずに残った利己性/自己中心性/欲望の影響力が、分霊の心のおこなう表現の造化へ干渉して不誠実な表現を造化させます。分霊の心が干渉を受けて造化する不誠実な性質の表現へ付与される活動性の程度は、利己性/自己中心性/欲望から受ける干渉の程度によって決まり、克己で相殺しきれずに残った利己性/自己中心性/欲望の量(影響力の大きさ)が干渉の程度(干渉の強さ)を表します。

 有形体の劣化が進行するほどに、原素材の消費量が累乗的に増大して疲労を起こしやすくなるために、物質の心から受ける誘惑の影響も増大し、日常の些細な活動でも疲労しやすくなり、日常の生活を最低限におこなうだけでも誘惑の影響を強めるようになります。これは、短時間/低強度の活動をおこなうだけでも、物質の心が精神で利己性/自己中心性/欲望の造化を増大させて誘惑の影響力を強める状況を表しています。高い活動性の程度が付与された克己を造化していたとしても誘惑から受ける影響を相殺し難くなり、また、低い活動性の程度が付与された克己を造化しているのならば誘惑から表現の造化へ干渉を受けて不誠実な表現を造化しやすく(不誠実な行為をおこないやすく)なります。有形体の劣化については、3章5節 有形体 #老化を参照してください。

 この質疑応答に関連する内容には、3章5節 有形体 #質疑応答の「高齢となるほどに、頑固さや利己的/自己中心的な行動が際立ってみえるようになるのはどうしてですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000) 克己/誘惑と利己性/自己中心性/欲望の相殺
(1000/1000) 克己/誘惑と利己性/自己中心性/欲望の相殺

(1000/1000)

 克己と静謐(活動性の性質の表現)は、双方ともに、地上では大霊の心から活動性の支援を受けて造化され、精神の騒響[ざわめき]を鎮静させることができます。克己は単独で造化できますが、静謐は誠実な性質を有する思考/直観/閃き/愛などの表現の造化と同時に自動的に造化されます。勿論[もちろん]ながら、克己も誠実な性質を有している表現のために、克己の造化と同時に自動的に、誠実な活動性の性質の表現(静謐)も造化されます。

 ただし、克己は単独の造化の工程を有しており、更に、他の表現よりも優先的に造化されやすい特徴があるために、精神に強い騒響があっても造化できるのに対して、静謐は単独の造化の工程を有しておらず、他の表現よりも造化される優先度が低いために、強い騒響があると造化できません。強い騒響の中で静謐を造化できないのは、騒響を生み出すほとんどの状況は不誠実な性質の表現に起因しており、多くの不誠実な性質の表現を造化するのに「精神全体での造化の工程」が占められている精神では、誠実な性質の表現を造化する余地が少ないためです。克己の造化と同時に自動的に静謐が造化される場合では、強い騒響のある状況で、克己は徐々に造化する量を増大させながら(精神全体での造化の工程に占める割合を増大させながら)騒響を鎮静させていきますが、一方で、静謐は、精神全体での造化の工程に克己の造化が充分な割合を占め、相対的に不誠実な性質の表現を造化する工程の占める割合が大きく減少し、騒響が弱くなってから造化し始めます。静謐は、誠実な性質の表現と同時に造化されるものの、造化された表現と同等の量の静謐が、常に同時に造化されるとは限らないのです。

 加えて、克己は、精神へ騒響を起こす主要な原因となる、物質の心によって造化された誘惑(利己性/自己中心性/欲望)を相殺できますが、静謐には相殺できません。また、克己は自己の精神で造化され、自己の騒響を鎮静できますが、外環境へ表現されないために、他者の精神の騒響を鎮静させることはできません。一方で、静謐は、自己の騒響を鎮静させるだけでなく、外環境へも表現されるために、他者の騒響を鎮静させることもできます。騒響を鎮静する程度は、克己よりも静謐が高いです。なお、克己が鎮静させる騒響は誘惑(利己性/自己中心性/欲望)に由来している場合に限りますが、静謐は「どのような由来の騒響」も鎮静させるように、はたらきます。

(1000/1000) 克己と静謐の比較
(1000/1000) 克己と静謐の比較

 克己/静謐を地上で自覚して造化するには、克己は「誘惑へ打ち克とうとする強い意志」を保持することで造化を促進し、一方で、静謐は「静けさを拡大/敷衍[ふえん]していくという内容の思考」が造化を促進しやすくなります。

 この質疑応答に関連する内容には、この節の質疑応答の「静謐の表現を造化している者の近くで落ち着きを感じるのはどうしてですか?」がありますので参考にしてください。

表現の活動性

(1000/1000)

 はじめに、活動性は、誠実な性質、不誠実な性質、誠実/不誠実と関係しない他の性質、の3つに大別され、それぞれの性質の中に、いくつもの入れ子構造で構成される性質が無数にあります。分霊の有する生命の活動性は、誠実な性質、誠実/不誠実と関係しない他の性質、の2つで構成されており、表現を造化する際に、誠実な性質の活動性が不誠実な性質の活動性へ変質されて表現へ付与される場合もあります。分霊が生命の活動性に、不誠実な性質の活動性を有しているのではない点に留意してください。活動性については、2章2節 大霊 #生命を参照してください。

 生命の様々な性質の活動性(変質して生じた不誠実な性質の活動性を含む)が、精神でおこなわれる表現を造化する工程で加えられ、造化した表現へと付与されます。また、造化で用いられた様々な性質の活動性は、「その性質の活動性を表現の造化へ用いる習慣」として経験の機能特性へ保存され、生命の様々な性質の活動性の中から、習慣に基づいて付与する活動性の性質が、造化の工程で用いられやすくなります。

 造化された表現には、様々な性質の活動性が付与されており、もしも、付与された様々な活動性の性質の中に、不誠実な性質に区分される性質の活動性が僅かにでも含まれているのならば、不誠実な性質以外の性質が付与されていたとしても表現全体としては不誠実な性質となり、表現へ付与された活動性の程度は、不誠実な性質の活動性のそれぞれが有する程度の中で「最も高い不誠実の程度」が測定されます。一方で、不誠実な性質に区分される性質の活動性が含まれていないのならば、表現全体としては誠実な性質となり、表現へ付与された活動性の程度は、誠実な性質の活動性のそれぞれが有する程度の中で「最も低い活動性の程度」が測定されます。なお、誠実/不誠実と関係しない他の性質の活動性は、誠実な性質に区分される性質の活動性か、不誠実な性質に区分される性質の活動性とともに造化の工程で加えられ、誠実/不誠実と関係しない他の性質の活動性のみが単独で表現へと付与される状況はありません。

(1000/1000) 測定される活動性の程度
(1000/1000) 測定される活動性の程度

 ただし、精神で並列/並行しておこなわれる個々(単体)の造化の工程は、相互につながり、組み合わさり、連鎖して表現を造化しています。単体の造化の工程から造り出された表現と、単体の造化の工程から造り出された複数の表現を組み合わせる造化の工程から造り出された表現では、測定される活動性の程度は異なります。

 単体の造化の工程で、造化の設計図に基づいて造り出される(実体のない状況から実体を造り出す)表現では、複数の誠実な性質の活動性のみが付与されているのならば、複数の誠実な性質の活動性の中で「最も低い程度」が測定されます。一方で、誠実/不誠実な性質の活動性が混在しているのならば、複数の不誠実な性質の活動性の中で「最も高い程度」が測定され、誠実な性質の活動性の程度は測定されません。誠実/不誠実な性質の活動性が混在している際に、不誠実な性質の活動性の程度は測定され、誠実な性質の活動性の程度が測定されないことについては、4章3節 内的成長度 #質疑応答の「分霊の成長の程度は、どうして数値で測定できないのですか?」を参考にしてください。

 複数の表現を組み合わせる造化の工程で、既に造化されている表現を造化の設計図/工程の手順として、組み合わせて造り出される(実体に基づいて別の実体を造り出す)表現では、組み合わせる複数の表現へ誠実な性質の活動性のみが付与されているのならば、組み合わせる個々の表現へ付与されている複数の活動性の程度と、経験へ保存されている習慣/技術などに基づいて追加して付与される誠実な性質の活動性の程度を「総合した程度」が測定されます。単体の造化の工程とは異なり、表現へ付与された活動性の程度の中で最も低い程度が測定されているのではありません。一方で、組み合わせる複数の表現へ誠実/不誠実な性質の活動性が混在しているのならば、組み合わせる個々の表現へ付与されている複数の不誠実な性質の活動性の程度と、経験へ保存されている習慣/技術などに基づいて追加して付与される不誠実な性質の活動性の程度を「総合した程度」が測定され、誠実な性質の活動性が付与されていても測定されません。

(1000/1000) 造化の工程と測定される活動性の性質/程度
(1000/1000) 造化の工程と測定される活動性の性質/程度

 複数の活動性の程度を「総合した程度」とは、複数の活動性の程度を俯瞰[ふかん]して捉えた程度を表しています。総合した程度は、筋反射検査を用いて数値で測定できますが、複数の活動性の程度での合計、平均値、中央値、最高値、最低値、などを表しているのではありません。

 日常の中で、精神で造化した特定の思考や感情へ付与されている活動性の程度を測定する際には、単体の造化の工程から造り出された表現と、複数の表現を組み合わせる造化の工程から造り出された表現を区別する必要性はありません。どちらの工程から造化された表現であったとしても、「◯◯(特定の思考/感情)の内容へ付与されている活動性の程度は△△です。」という宣言文で、筋反射検査を用いた測定ができます。様々な考察をおこなう際には、単体の造化の工程から造り出された表現と、複数の表現を組み合わせる造化の工程から造り出された表現を区別して、表現へ付与された活動性の程度を把握する場合もあります。筋反射検査については、1章3節 筋反射検査を参照してください。

(1000/1000)

 経験の機能特性に保存されている習慣は、入れ子構造を成しており、ある内容の表現を造化する習慣の中に、ある内容の表現へ活動性の程度を付与する習慣が無数にあります。同じ内容の表現を造化する場合でも、付与する活動性の程度は様々であり、付与する活動性の程度ごとに習慣が形成されています。

 経験の機能特性に保存されている習慣は、誠実な性質の表現を造化する習慣、不誠実な性質の表現を造化する習慣、誠実/不誠実の性質と関係しない習慣、の3つに大別されます。誠実/不誠実な性質の表現を造化する習慣の中には、それぞれの内容を造化する習慣があり、更に、それぞれの内容を造化する習慣の中に、様々な活動性の程度を付与する習慣が無数にあります。誠実/不誠実の性質と関係しない習慣の中には、表現の造化へ用いる技術などがあり、それぞれの造化へ用いる習慣の中には、様々な活動性の程度を付与する習慣ではなく、技術の熟練の程度などを示す習慣がひとつあります。

(1000/1000) 習慣の入れ子構造
(1000/1000) 習慣の入れ子構造

 習慣は造化へ用いられるほどに強くなり、逆に、造化へ用いられない習慣は弱くなるために、ある内容の表現を造化する際に、造化へ頻繁に用いられる「ある活動性の程度を付与する習慣」は強くなり、「他の活動性の程度を付与する習慣」は弱くなっていきます。そして、ある内容の表現の造化が繰り返されることで、ある内容の表現を造化する際に、造化へ用いる「活動性の程度を付与する習慣」が決定されるようになります。

 誠実な性質の表現を造化する習慣に基づいて造化される表現では、同調する活動性の程度が、表現へ活動性の程度を付与する習慣の形成に関与しています。はじめて造化する内容の表現では、同調する活動性の程度を上限として、自由意志で自覚的に選択した活動性の程度を表現へ付与し、表現へと付与した活動性の程度に基づいて、同等の活動性の程度を表現へ付与する習慣が形成されます。同じ内容の表現を繰り返し造化する場合でも、造化するごとに、同調する活動性の程度から影響を受けて、常に、表現へ活動性の程度を付与する習慣に修正が加えられます。すでに形成されている活動性の程度を付与する習慣の中には、強く修正される習慣もあれば、弱く修正される習慣もあり、また、新たに形成される活動性の程度を付与する習慣もあります。同調する活動性の程度が高くなれば、相応する高い活動性の程度を付与する習慣が形成され強められ、他の低い活動性の程度を付与する習慣は弱められていきますが、一方で、同調する活動性の程度が低くなれば、相応する低い活動性の程度を付与する習慣が強められるために、表現へ高い活動性の程度を付与し難くなります。

 不誠実な性質の表現を造化する習慣に基づいて造化される表現では、物質の心によって造化された誘惑(利己性/自己中心性/欲望)から干渉を受けた程度が、表現へ活動性の程度を付与する習慣の形成に関与しています。はじめて造化する内容の表現では、受けた干渉の程度によって、表現へと付与する活動性の程度が決まり、表現へと付与した活動性の程度に基づいて、同等の活動性の程度を表現へ付与する習慣が形成されます。同じ内容の表現を繰り返し造化する場合でも、造化するごとに、誘惑から受ける干渉の程度に影響を受けて、常に、表現へ活動性の程度を付与する習慣に修正が加えられます。すでに形成されている活動性の程度を付与する習慣の中には、強く修正される習慣もあれば、弱く修正される習慣もあり、また、新たに形成される活動性の程度を付与する習慣もあります。克己で利己性/自己中心性/欲望を相殺するように制御へ努め、利己性/自己中心性/欲望から受ける干渉の程度を弱めていくことで、不誠実な性質を有する高い活動性の程度を付与する習慣は弱められていきますが、一方で、制御することなく干渉を受けるがままにし、また、不誠実な表現の造化を制御しようとしないのならば、不誠実な性質を有する高い活動性の程度を付与する習慣が際限なく強められていくようになります。

 無形界では、物質の心を内包する有形体を有していないために、物質の心によって造化された誘惑(利己性/自己中心性/欲望)から干渉を受ける状況はありませんが、既に形成されている不誠実な性質の表現を造化する習慣と、活動性の程度を付与する習慣に基づいて表現が造化されます。表現の造化へ頻繁に用いられる活動性の程度を付与する習慣は強められ、他の活動性の程度を付与する習慣は弱められていくようになります。

(1000/1000) 習慣の強さと活動性の程度
(1000/1000) 習慣の強さと活動性の程度

 なお、経験へ保存されている習慣が、精神で造化する表現へ直接に活動性を付与するのではない点に留意してください。個体が表現を造化する際に用いられる活動性は、分霊の有する生命の活動性です。誠実な性質の表現を造化する習慣は、生命の誠実な性質の活動性そのままを造化する表現へ付与しますが、一方で、不誠実な性質の表現を造化する習慣は、生命の誠実な性質の活動性を不誠実な性質の活動性へと変質させて造化する表現へ付与します。

 もしも、「不誠実な性質を有する高い活動性の程度を付与する習慣」を強く有している場合には、同調する活動性の程度(生命の誠実な性質の活動性)よりも高い程度の不誠実な性質の活動性を、造化する表現へ付与する場合もあります。表現へ付与する活動性そのものは生命の活動性に由来していますが、付与する活動性の程度は習慣の強さが決定しているのです。同調する活動性の程度よりも高い程度の不誠実な性質の活動性が表現へ付与できることについては、4章3節 内的成長度#質疑応答の「意識に占める物質の心の割合が増大すると、分霊の同調する活動性の程度が下降するのに、物質の心から受ける干渉が強くなると、造化される不誠実な性質の表現に付与された活動性の程度が高くなるのはどうしてですか?」を参照してください。

(1000/1000) 習慣の性質/強さと表現へ付与する活動性の性質/程度
(1000/1000) 習慣の性質/強さと表現へ付与する活動性の性質/程度

(1000/1000)

 不誠実な行為/表現に付与される活動性は、不誠実な性質を有する活動性であり、その活動性の程度は、物質の心から受けた誘惑による干渉の程度、あるいは、経験の機能特性へ保存されている不誠実な性質の表現を造化する習慣の強さ、によって決まり、同調する「誠実な性質を有する活動性の程度」とは無関係です。

 誠実な行為/表現に付与される活動性は、誠実な性質を有する活動性であり、その活動性の程度は、経験の機能特性へ保存されている誠実な性質の表現を造化する習慣の強さによって決まりますが、この習慣の強さには、同調する誠実な性質を有する活動性の程度が反映されています。

 一方で、不誠実な行為/表現に付与される「不誠実な性質を有する活動性の程度」を決定する、経験の機能特性へ保存されている不誠実な性質の表現を造化する習慣の強さには、不誠実性の根源である物質の心から受けた「誘惑による干渉の程度」が反映されていますが、同調する誠実な性質を有する活動性の程度は反映されていません。例として、同調する誠実な性質を有する活動性の程度が150台であれば、造化した不誠実な行為にも150台の不誠実な性質を有する活動性の程度が付与されるのではなく、同調する誠実な活動性の程度が10台であっても、150台の不誠実な活動性の程度が付与された不誠実な行為を造化する場合もあります。

 なお、分霊の成長の程度を規定する「誠実な性質を有する活動性の程度」へ、自己は同調することができますが、一方で、分霊の成長の程度を規定しない「不誠実な性質を有する活動性の程度」へ、自己は同調することができません。活動性の程度に関わらず、自己が同調できる活動性は常に誠実な性質を有する活動性のみです。もしも、「不誠実な性質を有する活動性の程度へ同調している」という表現を用いる状況があるのならば、これは、不誠実な行為/表現の造化を制御しようと努めずに、欲望/快楽/快感を追い求め、利己的/自己中心的で不誠実な生き方をしている状況を表しているといえます。

 この質疑応答に関連する内容には、この節の質疑応答の「習慣の強さと表現へ付与される活動性の程度には、どのようなつながりがありますか?」、また、4章3節 内的成長度 #質疑応答の「内的成長度として測定される同調する活動性の程度の性質は、大霊を構成する無数の性質の活動性の中で、どの性質の活動性ですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 表現の活動性にみられる上位の特性が下位の特性を内包するとは、ある表現が有する活動性の段階でみられる特性は、その活動性の段階よりも下位にみられる「すべての特性」を土台として成り立っていることを表しています。言い換えると、ある段階にみられる特性は、下位の特性のすべてをあわせもっています。

 例として、誠実な性質を有する表現の特性にみられる中立/公平/公正(活動性の程度250-310未満)は、勇気(活動性の程度200-250未満)を土台としており、勇気がなくては、中立/公平な物事の認識はできず、同時に、公平/公正に行動することもできません。そして、意欲(活動性の程度310-350未満)は、勇気を土台とする中立/公平/公正を更に土台として成り立っています。行動を起こす勇気があっても、中立/公平/公正に物事を認識して行動できなければ、積極的に物事を捉え行動するための意欲は湧き上がって来ないのです。

 下位の特性を土台として、ある段階の特性が成立しているのは、不誠実な性質を有する表現の特性の段階にも当てはまります。不誠実な性質を有する表現の場合は、それぞれの特性の根源には「物質の心に由来する恐れ/怯え」があり、その上に、下位の特性が土台となって積み重なり、ある段階の特性が成り立っています。

 また、「ある段階の特性が下位の特性を土台として成り立つ」という表現は、誠実な性質を有する表現の特性では、上位の特性は、石造りの階段のように、下位の特性という強固な土台となる石段の上へ積み上げていくといえますが、一方で、不誠実な性質を有する表現の特性は、上位の特性は、沼の水面という下位の特性から深く水中に沈んでいくことへ譬[たと]えられます。

(1000/1000)

 表現へ付与された誠実な性質を有する活動性の程度が1-200未満では、活動性の程度に特性がみられるほどの強さを有していませんが、活動性の程度が高くなり200へ近づくほどに、表現を造化する際の「意志の強さ」が徐々に強くなっていく様子を、造化された表現から感じ取れます。例として、付与された活動性の程度が120の表現から感じ取れる意志の強さは、付与された活動性の程度が40の表現よりも強く感じ取ります。

 表現から感じ取る意志の強さは、表現に表れる個性の一部を構成しています。表現に表れる個性は、外環境から得た情報の内容/程度、記録へ貯蔵されている情報/知識の内容/程度、経験へ保存されている習慣/囚われ/技術の内容/強さ、などが表現を造化する工程へ影響を与え、与えられた「それぞれの影響の方向性/方向性の強さ」が総合されて、個性の方向性/方向性の強さとして表れています。意志は精神で表現を造化する際の「造化の工程全体を統括する方向性」としての役割を担っているために、表現の造化へ影響を与える様々な方向性/方向性の強さの土台となります。

 表現へ表れる個性の方向性/方向性の強さの土台となる「意志の強さ」が一定の段階(活動性の程度が200)を越えることで、個性の方向性に関わらず、意志の強さが活動性の程度に相応する特性としてみられるようになるのです。複数の表現へ同じ活動性の程度が付与され、活動性の程度に相応する同様の特性がみられても、造化の工程へ影響を与えた外環境から得た情報の内容/程度、記録へ貯蔵されている情報/知識の内容/程度、経験へ保存されている習慣/囚われ/技術の内容/強さ、などは、それぞれの表現(表現を造化したそれぞれの分霊)によって異なるために、表現へ表れる個性の方向性/方向性の強さは表現ごと(表現を造化した分霊ごと)に異なります。

 ある分霊が造化する複数の表現では、土台となる意志の強さ、記録へ貯蔵されている情報/知識の内容/程度、経験へ保存されている習慣/囚われ/技術の内容/強さ、なども同じために、それぞれの表現へ表れる個性の方向性/方向性の強さは類似しており、それぞれの表現によって多少の違いがみられる程度となります。一方で、異なる分霊が造化する表現では、それぞれの分霊が同じ程度の意志の強さを有していたとしても、記録へ貯蔵されている情報/知識の内容/程度、経験へ保存されている習慣/囚われ/技術の内容/強さ、などは異なるために、それぞれの分霊が造化した表現へ表れる個性の方向性/方向性の強さは異なります。

(1000/1000) 意志の強さと表現へ表れる個性
(1000/1000) 意志の強さと表現へ表れる個性

 加えて、表現へ付与された活動性の程度が200へ近づく(おおよそ180-190台)ほどに、外環境/他者から受ける圧力へ抵抗しようとする意志の強さが、特性としては「みられない」ものの、表現には表れ始めます。これは、自己の内面を徐々に積極的に内省し始めるようになる状況を示してます。表現へ付与された活動性の程度が200以上でみられる特性には、自己の内面を内省した結果として、外環境へ「はたらきかける」(内面から外環境へ方向性が向いている)積極的/能動的な状況が反映されているのに対して、特性がみられない200未満では、外環境からの「はたらきかけ」を通して自己の内面への内省を始めていく(外環境から内面へ方向性が向いている)消極的/受動的な状況が反映されているといえます。

(1000/1000)

 誠実な性質を有する表現の特性において、最初の段階にみられる「勇気」は、外環境の物事へ立ち向かう以前に、自己の内面にある恐れ/怯えへ向き合うために必要です。

 自己の内面にある恐れ/怯えへ向き合うためには、内面に有している恐れ/怯えと、恐れ/怯えに基づいて造化される思考/感情などの表現、これらの表現に基づいておこなわれる発言/行動などを自覚する必要があります。これらを自覚して初めて、恐れ/怯えへ向き合うのか、あるいは、恐れ/怯えへ向き合わずに逃げるのか、を自由意志で選択できるようになり、恐れ/怯えへ向き合うと選択(強く決意)した際に、造化される印象から感じ取る感覚が「勇気」と呼ばれるようになります。自由意志については、4章6節 自由意志/運命を参照してください。

 そのため、自己の内面にある恐れ/怯えへ向き合うと決意し、造化する表現の有している誠実の程度が未誠実から誠実へと移行して、最初の段階にみられる特性が勇気となります。勇気なしには、それ以上に高い誠実の程度を有する表現を造化できないのです。そして、自己の内面へ向き合う勇気を有したのならば、外環境の物事へも立ち向かえるようになります。自己の有している捉え方が「自己の認識する外環境」を造り出しているために、自己の捉え方が変化したのならば、外環境の捉え方(自己の認識する外環境)も変化し、加えて、自己が外環境へおこなう言動も変化していきます。自己の認識する外環境については、2章1節 世界全体の構造を参照してください。

 なお、自己の内省へ努め、内省を通して、自己の内面にある恐れ/怯えと、恐れ/怯えに基づいて造化される表現や発言/行動を自覚できるものの自覚していないのならば、自由意志がおこなう選択の中に、「自己の内面にある恐れ/怯えへ向き合う」という選択肢はありません。

(1000/1000)

 同調する活動性の程度に相応する活動性の程度が造化する表現へ付与されてみられる特性と、同調する活動性の程度に相応して変化する自己を内省する範囲/程度のつながりは下記のようになります。

 同調する活動性の程度が向上するのにともない、自己の内面を内省する程度が向上し、内省する範囲も拡大していきます。同調する活動性の程度(内的成長度/表現へ付与された活動性の程度)が、540未満では徐々に内省の程度が向上し、540以上では内省の程度の向上とともに内省の範囲が拡大します。表現へ付与された活動性の程度が200未満では特性がみられませんが、徐々に自己を内省しようとする意志が強くなり、200を越えることで、自覚して内省へ努めるようになります。なお、内省は自覚してのみおこなわれ、自覚できるものの自覚なく、あるいは、無自覚的に(自覚なく)はおこなわれません。内的成長度については、4章3節 内的成長度を参照してください。

 同調する活動性の程度(内的成長度/表現へ付与された活動性の程度)が200を越えると、自己の内面と向き合う「勇気」を有するようになります。勇気は内省をおこなう土台であり、自己の内面と向き合う勇気なしに内省はできません。

 250を越えると、自己の内面を自己に都合良く捉えないための「公平さ/公正さ」を有するようになり、あらゆる物事を自己に都合良く捉えようとする幻想の捉え方を自覚して取り除いていくようになります。幻想の捉え方については、5章2節 幻想を参照してください。

 310を越えると、自己の内面を積極的に観察する「意欲」を有するようになり、内面の状況で鮮明に捉えられる内容だけでなく、比較的に不鮮明で捉え難い内容も捉えるように努めます。

 350を越えると、自己の内面を観察して、自己の都合に関わらず、どのような内容に対してでも「受容」を有するようになり、自己に都合が良くても、都合が良くも悪くもなくても、都合が悪くても、眼を逸らすことなく受け入れるようになります。

 400を越えると、自己の内面にみられる様々な内容のつながりを把握していく「合理性/計画性」を有するようになり、それぞれを点として捉えていた内容を、関係性(つながりの有無)や関連性(つながりの強さ)に基づいて線でつなぎ、平面的/立体的に捉えるようになります。

 500を越えると、自己に都合の悪い内容へ積極的に向き合い、改善/修正へ努めるようになります。同時に、500未満では有形的な内容のみを内省していた状況から、無形的な内容が内省の対象へ追加され、有形的/無形的な内容の相互のつながりを捉え始めます。

 540を越えると、540未満では個体としてのみ内省していた状況から、全体の中での個体として内省し始めます。独立した単独の個体としてではなく、全体を構成する個体のひとつとして、全体の観点から内省するようになり、内省の範囲が拡大し始めます。

 600を越えると、個体/全体の区別が無くなり、全体として自己の内面にみられる様々な内容を統合/総合して内省します。個体の内面は独立したものではなく、全体の一部であり、個体の内面と全体は協調/調和して不可分であると気づき、個であって全、同時に、全であって個、として捉え内省するようになります。

 700を越え、また、850を越えると、内省に質的な変化が表れ、内省する範囲も有形的/無形的に拡大しますが、これらの状況を文字/言語では表現できません。印象を通して、あるいは、自己の体験を通してのみ把握できます。

(1000/1000)

 表現へ付与された不誠実な性質を有する活動性の程度が1以上にみられる「自己への無関心/無頓着」とは、自己の造化している思考/感情や発言/行動を内省しない状況が特性として表れています。自己の認識する外環境は自己の内面が反映されているために、自己の内面や発言/行動を内省しないと同時に、外環境の物事も考察しない状況を指しています。

 地上では絶え間なく物質の心から影響を受け続けているために、自己を内省しなくなると、自己がひとつひとつの行為をおこなっている目的を自覚できるものの自覚しなくなり、行為の目的が瞬間瞬間の自己に都合の良い利己的/自己中心的な内容(幻想の捉え方)へと置き換わっていきます。幻想の捉え方については、5章2節 幻想を参照してください。

 不誠実な性質を有する活動性の程度にみられる上位の特性は、相対的に下位にみられる特性のすべてを内包しています。最も下位(最初)の段階で自己を内省しなくなり、外環境も考察しなくなり、換わりに幻想の捉え方を始めるために、不誠実の程度が高くなるほどに、瞬間瞬間の自己に都合の良い利己的/自己中心的な幻想に基づく捉え方を強めていきます。

 自己への無関心が、あらゆる不誠実な表現/行為の土台となっている点に留意してください。他者/他民族/他国などへの無関心は、自己への無関心が反映されており、他者/他民族/他国などへの嘲[あざけ]り/侮[あなど]り/蔑[さげす]みや、非難/批判/糾弾をおこなう行動と何らの違いもありません。同様に、自己に都合の良くない相手/民族/人種/他国が遭遇した事故、災害、ミス/間違い、などを「当然の報い」として嘲笑し嬉しがる行動も、自己への無関心が反映されています。そして、遠方で起きた事故/災害/戦争などを痛ましく悲惨と感じるものの、自己が遭遇することはない、あるいは、自己が遭遇しなくて良かった、あるいは、自己の生活には影響を受けないと自覚的に(自覚して/自覚できるものの自覚なく)思い込んでいる状況も、利己的/自己中心的な無関心に相当します。無関心は、実在する「自己の内面/行為」へ意識を向けて内省せずに、同時に、実在する「外環境の対象」へ意識を向けて観察/考察しない状況であり、実在しない幻想の「自己の利己性/自己中心性/欲望」を満たすことへ意識が向いているのです。

 なお、このサイトでは、「愛ある無関心」という語も用いていますが、自己への無関心/無頓着が不誠実な性質を有している利己的/自己中心的な表現/行為にみられる特性を表しているのに対して、愛ある無関心は誠実な性質を有している行動を表しています。愛ある無関心については、5章6節 愛の行為 #自己が他者/全体の成長を阻碍しないを参照してください。

 この質疑応答に関連する内容には、5章2節 幻想 #質疑応答の「シャーデンフロイデも幻想の捉え方に基づいておこなわれているのですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 表現へ付与された不誠実な活動性の程度にみられる特性の、自己憐憫[れんびん]、嘲[あざけ]り、侮[あなど]り、などは、幻想の特徴ある行動にも同じ名称を用いていますが、活動性の程度にみられる特性は「意識の受ける感覚」を示しており、一方で、幻想の特徴ある行動は「行動の目的」を示しています。幻想の特徴ある行動については、5章2節 幻想を参照してください。

 活動性の程度にみられる特性と、幻想の特徴ある行動で同じ名称を用いているのは、その名称が、それぞれの内容を適切に表現できるためです。言語には、肉眼に視えない物事/現象を表す単語が少ないために、内容を適切に表現しようとすれば、同じ語(名称)を用いる状況が多くなってしまうのです。活動性の程度にみられる特性が「意識の受ける感覚」を示し、幻想の特徴ある行動が「行動の目的」を示しているために、不誠実な活動性の程度にみられる特性が20台でのみ、幻想の特徴ある行動としての「自己憐憫」がみられるのではなく、30以上でも、20未満でもみられます。同様に、特性が175以上でのみ、幻想の特徴ある行動としての「侮り/嘲り」がみられるのではなく、175未満でもみられます。

 不誠実な活動性の程度にみられる特性は、特性に相応する活動性の程度が表現へ付与された際にみられ、付与された活動性の程度によっては、表現/行為の内容と一致しないように捉えられる特性を意識が感じ取る場合もあります。言い換えると、同じ幻想の特徴ある行動であっても、付与された活動性の程度によって様々な特性がみられます。例として、幻想の特徴ある行動としての「自己憐憫」の行為へ付与された活動性の程度が90の場合には、自己憐憫の行為から悲嘆/悲哀/後悔/落胆の特性を感じ取り、主に自己への悲嘆/悲哀/後悔/落胆のために自己憐憫をおこなっています。一方で、幻想の特徴ある行動としての「自己憐憫」の行為へ付与された活動性の程度が190の場合には、傲慢/虚勢/差別/愚弄/侮辱/嘲り/侮りの特性を感じ取り、主に自己以外(他者/社会など)への傲慢/虚勢/差別/愚弄/侮辱/嘲り/侮りのために自己憐憫をおこなっています。

(1000/1000)

 表現へ表れる個性は、表現へ付与された様々な性質の活動性の総合であり、それぞれの性質の活動性の程度を総合した程度が個性の強さとして表れています。表現へ表れる個性については、この節の質疑応答の「造化される表現へ表れる個性は、表現へ付与された無数の性質を有する活動性と関係があるのですか?」も参考にしてください。

 活動性の程度に基づいてみられる特性は、表現へ付与された様々な性質の活動性の中で、不誠実な性質に区分される活動性が付与されていない(誠実な性質の表現)のならば、誠実な性質に区分される様々な活動性の程度の中で最も低い程度が、相応する愛の段階での特性としてみられます。表現へ付与された様々な性質の活動性の中で、不誠実な性質に区分される活動性が付与されている(不誠実な性質の表現)のならば、不誠実な性質に区分される様々な活動性の程度の中の最も高い程度が相応する利己性/自己中心性/欲望の段階での特性としてみられます。誠実な性質の活動性と不誠実な性質の活動性の両方が表現へ付与されている場合は、表現の特性には、利己性/自己中心性/欲望の特性のみがみられ、愛の特性はみられません。

 表現へ表れる個性は、表現へ付与された様々な活動性と活動性の程度が、個性の方向性/方向性の強さを構成し、これらの総合が表現の個性として表れます。表現にみられる特性は、付与された活動性の性質によって異なりますが、一方で、表現へ表れる個性には、付与された「すべての活動性の性質」が反映されます。

 なお、誠実な性質の表現へ付与された、誠実な性質に区分される活動性であれば、どの性質であっても、活動性の程度に相応する愛の段階の特性が表現へみられます。同様に、不誠実な性質の表現へ付与された、不誠実な性質に区分される活動性であれば、どの性質であっても、活動性の程度に相応する利己性/自己中心性/欲望の段階の特性が表現へみられます。

 誠実な性質の活動性は、どれほどに程度が低くても、不誠実な性質の活動性よりも精細です。逆に、不誠実な性質の活動性は、どれほどに程度が低くても、誠実な性質の活動性よりも粗雑です。誠実な性質の活動性は、程度が高くなるほどに更に精細となり、不誠実な性質の活動性は、程度が高くなるほどに更に粗雑となります。誠実な性質の活動性と不誠実な性質の活動性の両方が表現へ付与されている場合では、精細さを有する誠実な性質の活動性は、粗雑さを有する不誠実な性質の活動性に埋もれてしまい、表現へ付与された活動性の程度として測定されなくなり、「不誠実な性質の活動性の程度」のみが測定されます。そのため、僅かにでも不誠実な性質の活動性が表現へ付与されているのならば、愛の特性は埋もれてみられなくなり、利己性/自己中心性/欲望の特性のみがみられるようになります。

 言い換えると、表現へ表れる個性には、様々な性質の方向性が混在してみられ、それぞれの方向性の強さを相乗/相殺していますが、一方で、表現へ付与された活動性の程度には、表現へ付与されている様々な活動性の程度の中で、相対的に最も粗雑な活動性の程度が測定されることになり、測定された相対的に最も粗雑な活動性の程度に相応する段階の愛や利己性/自己中心性/欲望の特性が表現へみられます。

(1000/1000) 表現へ表れる個性と表現へ現れる特性
(1000/1000) 表現へ表れる個性と表現へ現れる特性

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 天使たちの支援/援助を受けて、同調する活動性の程度よりも高い活動性の程度が表現/行為へ付与される状況は、天使たちの帯同する「地上で生活する人」が、地上での役割を遂行する際に多くみられます。また、地上での役割に関係しない表現/行為であっても、誠実な目的でおこなわれる場合には、天使たちの支援/援助を受けて、同調する活動性の程度よりも比較的に高い活動性の程度が付与される場合もありますが、地上での役割を遂行する際にみられるほどの高い活動性の程度は付与されていません。地上での役割については4章2節 有形界での成長、天使たちの活動については4章10節 天使を参照してください。

 地上で生活する人の誰もが必ず有している地上での役割は、再授肉して地上での生活を始める前に自身で決めています。役割の内容は地上へ帯同する天使たちと共有され、地上の生活で、何時[いつ]頃に、何処[どこ]で、どのようにして遂行していくのか? 、また、役割を遂行するために必要とする知識/技術/経験を地上の生活で蓄積していく過程/順序が天使たちによって詳細に検討され、綿密な計画が建てられます。そして、天使たちは、それぞれの時期に適した準備を周到におこない、役割の遂行へ向けて人を導いてくれています。再授肉については、4章9節 再授肉を参照してください。

 計画に基づいて、人が役割を遂行する際には多大な支援/援助をおこなえるように、事前に準備されているために、役割の遂行となる行為へ同調する活動性の程度よりも高い活動性の程度を付与しやすくなります。一方で、地上での役割に関係しない行為へは事前に周到な準備がされていないために、支援/援助をおこなっても、事前に準備しているほどの高い活動性の程度は付与できないのです。加えて、天使たちが支援/援助として高い誠実な性質の活動性の程度を付与できるのは誠実な目的に基づいておこなわれる行為のみであり、不誠実な目的でおこなわれる行為へは支援/援助されません。不誠実な目的でおこなわれる行為へは地獄者/地縛者たちが干渉して、高い不誠実な性質の活動性の程度が付与される場合もみられます。

 天使たちの支援/援助によって高い活動性の程度が付与される例として、ある著者が記述した複数の作品からみると、複数の作品には、著者の同調する活動性の程度に相応する真実度/付与された活動性の程度を示す作品もあれば、大幅に高い真実度/付与された活動性の程度を示す作品もあります。大幅に高い真実度/付与された活動性の程度を示す作品は、この作品の内容(作品を通して伝えようとしいる印象の内容)を地上へ伝えることを、地上での役割として有しています。著者の自覚の有無に関わらず、天使たちが著者の地上での役割に基づいて、計画的に周到に著者と周囲の状況を様々に準備したうえで、適切な時期に著者へ多大な支援/援助を集中しておこない作品を造り出しています。著者の地上での役割となる作品は、ひとつの場合もあれば、複数の場合もみられます。また、現在の時点では著者が地上での役割となる作品を未だ造り出していない場合もありますが、今後に造り出す可能性を有しています。ただし、ある著者の作品の中で、人気のある作品や拡く認知されている作品が、地上での役割によって造り出されたとは限りません。人気のある作品や拡く認知されている作品は、社会の成長の程度、社会の情勢、地域の流行、などによって決まります。

 なお、作品の有形的な内容を地上へ伝えることが地上での役割ではなく、文字/図表/絵画/画像/立体造形/音声などで表されている作品の内容の土台となる「無形的な印象の内容」を地上へ伝えることを、地上での役割として有している点に留意してください。無形的な印象の内容を文字/図表/絵画/画像/立体造形/音声などの有形的な内容へ変換するのは、著者の同調する活動性の程度や有している知識/技術/習慣だけでなく、社会の情勢、地上での生活状況、なども影響を与えています。これらから受ける影響は地上での生活を始める前には明確に決まっておらず、地上での生活を始めてから変動する状況へ影響を受けています。

(1000/1000) 地上での役割としての作品
(1000/1000) 地上での役割としての作品

 もしも、著者の地上での役割となる作品へ、著者が不誠実な性質の記述をしたのならば、天使たちは不誠実な性質の記述を取り除くように強く「はたらきかけ」ますが、それでも不誠実な性質の記述が取り除かれない場合には、出版/公開そのものを取り辞める(作品を地上へ伝え拡めない)ように周囲へ「はたらきかけ」ます。作品の内容全体が不誠実な性質を示す(不誠実な性質の記述が僅かにでも含まれている)場合には、作品へ誠実な性質の記述が含まれていても、地上での役割として周到に準備していたとしても、天使たちは支援/援助できません。不誠実な性質の内容を地上へ拡めるのは、他者/全体の成長を阻碍することになるために、決しておこなってはならないからです。計画を頓挫させてでも不誠実な性質の内容を地上へ拡めないようにすることが、他者/全体の成長を阻碍しない愛の行為となるのです。愛の行為については、5章6節 愛の行為を参照してください。

 また、ある著者によって、ほぼ同じ時期に造り出された複数の作品には、それぞれの作品が有する真実度、付与された活動性の程度、誠実/不誠実の性質、が大幅に異なる場合もみられます。地上での役割に基づく作品には、天使たちの計画的な支援/援助を受けていますが、一方で、他の作品は事前に計画されていないために、天使たちから支援/援助を受けていても、著者の同調する活動性の程度に相応する真実度/付与された活動性の程度となりやすく、大幅に高い程度にはなり難いです。

(1000/1000) 同時期に複数の作品を造り出す場合
(1000/1000) 同時期に複数の作品を造り出す場合

 地上で出版されている書物などを自身で検証する際には、内容の有する誠実/不誠実の性質の違いによって、測定される活動性の性質も異なる点に留意してください。複数の作品で同等の活動性の程度が測定されても、誠実な性質の内容から測定されるのは「誠実な性質の活動性の程度」ですが、不誠実な性質の内容から測定されるのは「不誠実な性質の活動性の程度」です。

 この質疑応答に関連する内容には、4章10節 天使 #質疑応答の「天使たちの支援/援助は、個体の有する地上での目的/役割と、どのようなつながりがありますか?」がありますので参考にしてください。

表現から受ける感覚

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 理性/気づきの機能特性を通しておこなわれる整合性の確認で感じ取る、違和感、不自然感、矛盾感、などは、精神でおこなわれる造化の工程で発生している不整合性へ気づかせるだけであり、精神へ直接に騒響[ざわめき]を生じさせる状況はありません。理性/気づきの機能特性については、3章7節 心を参照してください、

 ただし、理性/気づきの機能特性を通して造化の工程で発生している不整合性へ気づいたことで、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく、不安感、焦燥感、心配、などの不快の感情を造化すると、造化した感情が精神へ騒響を生じさせます。譬[たと]えると、警報が鳴り響いても、警報に不安を感じ慌てる者もいれば、一方で、不安を感じることなく、警報の示す内容に対して落ち着き冷静に対処する者もいるのです。

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 はじめに、意識が、精神で表現を造化する工程や造化した表現から受ける感覚については、前節の3章8節 意識 #意識の受ける感覚を参照してください。

 意識の受ける様々な感覚は、精神で造化された表現(印象/感情など)ではありません。精神でおこなわれる処理の過程で様々に現れる変化を、精神でおこなわれている処理を統括する意識が感覚として受け取っています。これは、造化された表現の種類、形状、性質、活動性の程度、内容、などから受ける感覚もあれば、造化の工程そのものから受ける感覚もあることを表しています。意識が感覚を受け取っていると自覚している「精神でおこなわれている処理の過程」は、自覚できる意識の領域でおこなわれている処理の過程となります。自覚できない意識の領域でおこなわれている処理の過程からも意識は感覚を受け取っていますが、これらの感覚を自覚できる状況はありません。

 精神でおこなわれる表現の造化は、外環境へと表現する際だけでなく、外環境を認識する際にもおこなわれているために、自己の造化した思考/感情などの表現に加えて、心(物質の心/分霊の心/大霊の心)の位置関係、同調する活動性の程度、様々な物品の有する活動性の程度/性質、他者の言動/挙措、自然現象の変化、などからも感覚を受け取っています。造化の工程から受ける感覚の中で、意識が鮮明に感じ取りやすい感覚は、理性/気づきの機能特性によっておこなわれる「整合性の確認」から受ける感覚です。また、他の機能特性による処理や、貯蔵されている情報/知識からも感覚を受け取っています。意識の受ける感覚は無数にあり、言語で表現できる感覚もあれば、言語で表現が困難な感覚もあります。感覚には、丁寧さ、美、輝き、暗闇、静謐、騒擾[そうじょう]、透明感、浮遊感、高揚感、精細、粗雑、などもみられます。加えて、造化された表現の有する活動性の程度/性質によってみられる、様々な愛や利己性/自己中心性/欲望の特性(表現の特性)は、表現から意識が受け取る感覚の違いを表しています。造化された表現から意識が受ける感覚については、この節の質疑応答の「精神で造化される表現によって、意識が表現から受ける感覚は異なりますか?」を参照してください。

 なお、霊眼で視える輝き/暗闇は、造化された「活動性の性質の表現」であり、また、それらの表現から意識の受ける感覚にも、輝き/暗闇などがあります。同じ語が様々な状況/定義で用いられているのは、肉眼に視えない無形的なものを表すための有形的な語が極めて少ないことに起因しています。

(1000/1000)

 精神で造化される表現の形状、性質、種類、付与された活動性の程度、表現の内容、などによって、意識が表現から受ける感覚は異なります。

 意識が表現から受ける感覚は様々であり、対比される感覚には、活動性の程度から受ける感覚と同様の透明/精細/無重、混濁/粗雑/有重、あるいは、静謐/騒擾[そうじょう]、柔らかさ/硬さ、丸み/角張り、平坦/突っ張り、滑[なめ]らか/ざらつき、乾燥/粘[ねば]つき、などがあります。精細/粗雑の感覚で対比した場合には、表現の形状ごと、性質ごと、種類ごと、付与された活動性の程度ごとに、精細と感じ取る区分と、粗雑に感じ取る区分がみられます。実際には、表現の形状、性質、種類、付与された活動性の程度、表現の内容、などの組み合わせによって、感じ取る精細/粗雑の感覚は変化します。

(1000/1000) 表現から受ける相対的な感覚
(1000/1000) 表現から受ける相対的な感覚

 不誠実な性質を有する表現の中でみられる組み合わせの例として、無形的な表現の感情と、無形的な表現の思考/直観を比べた際には、無形的な表現の思考/直観が、無形的な表現の感情よりも精細に感じ取りますが、一方で、無形的な表現の感情と、有形的な表現の思考/直観を比べた際には、それぞれの表現が有する内容によって、無形的な感情が有形的な思考/直観よりも精細に感じ取る場合もあれば、有形的な思考/直観が無形的な感情よりも精細に感じ取る場合もあります。

 誠実な性質を有する表現の中でみられる組み合わせの例として、同調する活動性の程度がほぼ同等で、同調する活動性の程度が急激に上昇/下降を繰り返すような生活をしていないのであれば、有形的な閃き/愛は、閃き/愛の内容に関わらず、無形的な思考/直観よりも常に精細な感覚を受けます。これは、閃き/愛が全体である大霊の心に由来し、思考/直観が個体である分霊の心に由来しているためです。常に、個体という限定された範囲よりも、全体という無限の範囲が有する性質から受ける感覚は精細なのです。

 意識の受ける感覚の中でも、透明/精細/無重の感覚は、混濁/粗雑/有重の感覚へ埋もれやすくなります。意識が高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚に対して、精神で造化される不誠実な性質を有する無形的/有形的な感情/思考/直観や、誠実な性質を有する有形的な思考/直観などからは、混濁/粗雑/有重の感覚を受けるために、自己が高い活動性の程度へ同調するほどに、これらの表現を精神で造化する状況は、同調する活動性の程度を下降させやすく、はたらきます。

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 精神の騒響[ざわめき]には、絶対的な騒響の強さと、相対的な騒響の強さがあり、絶対的/相対的な強さを総合して、意識が騒響として感じ取っています。絶対的な騒響の強さは、それぞれの表現を造化する工程に統制がとれていない程度(秩序が乱れている程度)と、造化した表現を構成する「形状/種類/性質/付与された活動性の程度」の総合、の2つによって決まります。騒響については、5章3節 誘惑 #騒響/静けさの違いも参考にしてください。

 それぞれの造化の工程に統制がとれて秩序が維持されていれば、騒響のない「静けさ」の状況となりますが、統制がとれなくなり乱れが現れると騒響が起こり始め(騒響の程度は弱い)、大きく乱れるほどに騒響の程度は強くなっていきます。造化した表現が起こす騒響の強さは、表現の形状/種類/性質/付与された活動性の程度の組み合わせによって異なり、表現の形状では無形的な形状よりも有形的な形状、表現の性質では誠実の性質よりも不誠実の性質、付与された活動性の程度では高い活動性の程度よりも低い活動性の程度、で騒響を強く起こしやすくなります。表現の種類でみると、誠実な性質を有する表現では閃き/愛よりも思考/直観、不誠実な性質を有する表現では思考/直観よりも感情で騒響を強く起こしやすくなります。

 造化の工程に統制のとれていない程度が高くなるほどに、強い騒響を起こす表現が造化される傾向も高くなり、また、強い騒響を起こす表現が造化されると、造化の工程に統制のとれていない程度も高くなる傾向がみられます。一方で、造化の工程に統制がとれている「静けさ」の状況では、強い騒響を起こす表現が造化される場合もありますが、比較的に造化され難いです。

 相対的な騒響の強さは、成長の程度/同調する活動性の程度に相応する「認識の程度」に基づいて感じ取ります。同じ形状、同じ種類、同じ性質、同等の付与された活動性の程度で構成される、ある表現を造化した場合に、低い成長の程度(同調する活動性が低い程度)では弱い騒響を感じ取ったとしても、高い成長の程度(同調する活動性が高い程度)では強い騒響を感じ取るようになります。例として、物質の心によって精神で造化される誘惑(利己性/自己中心性/欲望)は一定の活動性の程度(199)を有していますが、成長の程度が高くなるほどに、利己性/自己中心性/欲望の有する199の程度と成長の程度で有する活動性の程度に乖離が拡がるために、利己性/自己中心性/欲望が僅かに造化されても強い騒響として感じ取ります。

 加えて、成長の程度/同調する活動性の程度に相応する認識の程度に基づいて、騒響の強さを相対的に感じ取ることは、同時に、感じ取る「静けさ」も相対的となることを示しています。低い成長の程度で静けさと感じ取っている精神の状況は、中程度の成長の程度からは比較的に中程度の騒響のある状況として、高い成長の程度からは比較的に強い騒響のある状況と感じ取ります。同様に、中程度の成長の程度で静けさと感じ取っている精神の状況は、高い成長の程度からは比較的に中程度の騒響のある状況と感じ取ります。ただし、「静けさ」の感覚は、成長段階によってのみ相対的に変化し、一定の成長段階では、「静けさ」として受ける感覚は変化しません。

(1000/1000) 絶対的/相対的な騒響の強さ
(1000/1000) 絶対的/相対的な騒響の強さ

 痛み、暑さ/寒さ、などの感覚は、はじめは鮮明に感じても、受け続けていることで徐々に不鮮明に感じ取るようになりますが、一方で、静けさは、ある成長段階では常に同等の鮮明度で静けさとして感じ取り、静けさの感覚を受け続けていても不鮮明に感じ取るようにはなりません。現在の成長段階で、一定の精神の状況を、意識は「静けさ」の感覚として受け取ります。そして、成長にともない、以前に静けさとして実感していた精神の状況は、騒響[ざわめき]の残っている状況であり、静けさではなかったと理解するようになります。加えて、造化する「静謐」の表現にも様々な静謐(静けさ)の程度があり、同調する活動性の程度が高くなるほどに、造化する静謐へ高い活動性の程度が付与され、以前に造化していた静謐よりも、更に静謐(静けさ)の程度が高い静謐の表現を造化するようになります。

 自己の精神で造化している様々な表現を内省しないために造化の工程を統制できず、無秩序に/乱雑に表現が造化されている「強い騒響のある」状況は、物品を次から次にと手に入れるものの部屋の物品を整理できない、画像/写真/動画などを次から次にと追加するものの電子端末のデータを整理できない、掃除/片付けができない、発言の内容に一貫性/整合性がない、食生活が乱れる、肥満、などの物的な行動/状況として現れやすいです。精神で造化している表現を内省しないために、意図/意志の機能特性を適切に活用できないのです。意図/意志の機能特性については、3章7節 心を参照してください。

 もしも、親/大人が、精神で無秩序に/乱雑に表現を造化しているのならば、子供は親/大人を模倣して、精神で無秩序に/乱雑に表現を造化する固定観念/既成概念(習慣)を形成し、部屋の物品を整理できない、電子端末のデータを整理できない、掃除/片付けができない、発言の内容に一貫性/整合性がない、などがみられるようになります。精神でおこなわれている造化の工程を統制せずに強い騒響が起きているままに物的な物事を整理しようとしても、配置が変わるだけで無秩序/乱雑な状況は変わりません。精神で眼前の状況に必要とする表現のみを、計画的に、秩序立てて、順序に造化することで騒響が鎮静されやすくなるために、物的な物事を整理していく方法に気づくようになります。

 祈り/瞑想や、愛の行為をおこなう際に、精神に騒響の起きる原因に関わらず、騒響のある状況では高い活動性の程度から受ける精細な感覚を把握し難く、また、低い活動性の程度から受ける感覚を高い活動性の程度から受ける感覚と誤認しやすくなります。意識の受ける様々な感覚の中から、相対的に精細な感覚を探索していくことは、海の水底に沈む貝殻を探す状況に譬[たと]えられ、海の水底に沈む貝殻(精細な感覚)を探すには、海面/海中が波立ち濁った状況(騒響の起きている状況)よりも、穏やかに透き通る状況(静けさの状況)のほうが遥[はる]かに探しやすいのです。

 騒響を起こしている原因に対応する方法を用いて、騒響を鎮静して「静けさ」の状況へ近づけるほどに、高い活動性の程度から受ける感覚を把握しやすくなり、高い活動性の程度から受ける感覚へ意識を集中しやすくもなります。物質の心から受ける誘惑によって騒響が起きているのであれば、克己を造化して対応します。経験へ保存されている習慣に基づいて造化された表現によって騒響が起きているのであれば、自身で表現を造化しないように対応します。騒響を起こしている原因に対応する方法については、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「行為へ意識を向ける/向けないを判断し実践する具体例を挙げてもらえませんか?」を参照してください。

 この質疑応答に関連する内容には、5章5節 祈り/瞑想 #質疑応答の「様々に試しているのですが、高い活動性の感覚を把握できません。どうすれば把握していけるようになりますか?」がありますので参考にしてください。

表現に表れる個性

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 造化される表現へ表れる個性(多様性)は、造化の工程を経て表現へと付与される「それぞれの性質が様々な程度を有する無数の性質の活動性」が総合されて表れています。それぞれの性質の活動性が個性に表れる「無数の方向性」を構成し、それぞれの性質の活動性の程度が個性を構成する「無数の方向性のそれぞれの強さ」となります。

 精神でおこなわれる表現の造化は、主に、外環境の表現を認識する場合と、外環境へ表現する場合の2つがあります。どちらの場合でも、表現を造化するための「造化の設計図/工程の手順」となるものがあり、外環境の表現を認識する場合では外環境の情報(物事/現象/出来事などの内容)、外環境へ表現する場合では記録へ貯蔵されている情報/知識が相当します。これらに基づいて、経験へ保存されている習慣/囚われ/技術などを「工程の方向性」として用い原素材へ活動性を与えることで、活動性の付与された表現が造化されます。

 表現を造化するための設計図/工程の手順となる、外環境の情報、記録へ貯蔵されている情報/知識、また、工程の方向性となる経験へ保存されている習慣/囚われ/技術などは、それぞれが様々な活動性の性質と活動性の程度を有しています。造化の工程を経て、様々な活動性の性質/程度が表現へ付与されると、活動性の無数の性質は表現の有する個性の方向性として表れ、それぞれの性質の活動性が有する程度は個性の方向性の強さとして表れます。

 表現へ付与された無数の性質の活動性によって表れる「方向性」と「方向性の強さ」は互いに相乗/相殺し、総合されることで、ひとつの方向性と、方向性の強さを示すようになります。この総合された方向性と、方向性の強さが、造化された表現に表れる個性の方向性と方向性の強さとなります。

 大霊から分割された時点を起点として捉えるのならば、個体間に違いのみられない(個性がない)状況から、分霊は個体として活動する中で様々な体験を通して、個々それぞれが異なる経験(習慣/技術)を養い、独自の知識を貯蔵することで徐々に個性が培[つちか]われ、これらの経験/知識に基づいて造化する表現/行為へ個体に独特な個性が表れるようになります。地霊の場合では、下位の種族の脊椎動物(動物霊)よりも上位の種族の脊椎動物(動物霊)、上位の種族の脊椎動物(動物霊)よりも人(人霊)になるほどに、個々の有する独特な個性が造化する表現/行為へ表れており、そして、成長の程度を向上させ、また、多くの知識を貯蔵していくほどに、無限に個性を発展させていきます。

(1000/1000) 個性として表れる活動性の性質/程度の総合
(1000/1000) 個性として表れる活動性の性質/程度の総合

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 個性は、本人の自覚の有無に関わらず、生活のあらゆる側面に表れており、個性の表れていない側面はありません。思考の方向性、話し方、用いる語、文字の書き方、挙措、態度、姿勢、物品の使い方、歩き方、立ち方、癖[くせ]、食べ方、歯の磨き方、自動車の運転の仕方、などの、自己のおこなう「すべての行為」に個性は表れており、中でも、笑い方(微笑み方/嗤い方)には個性や生き方が顕著にみられます。もしも、静止して外見的には何も活動していないように視えたとしても、何も活動していないように視える中に個性が表れています。

 また、個性は必ず行為に表れ、個性を隠蔽[いんぺい]することも、偽装することもできません。もしも、個性を隠蔽/偽装しようとすれば、隠蔽/偽装している状況が個性へ反映されます。同様に、個性は常に変化/発達しており、個性の変化が静止/停滞する状況はなく、成長を促進していても、成長が停滞していても、成長を退行させていても、個性の変化として表れています。

 個性には、あらゆる表現に表れる「土台となる個性」と、表現の内容、性質、種類、などの組み合わせによって表れる「表現ごとの個性」があります。土台となる個性は、経験へ保存されている習慣/技術が表現を造化する「工程の方向性」として用いられることで表れます。多くの習慣/技術は、様々な表現の造化へ共通して用いられており、これらは日常生活にみられる発言/行動の方向性や、生き方の方向性と密接に関連しています。一方で、表現ごとの個性は、経験へ保存されている習慣/技術の中で、造化する表現ごとに必要な「工程の方向性」と、記録へ貯蔵されている情報/知識の中で、造化する表現ごとに必要な「設計図/工程の手順」の総合によって表れます。これらは日常生活にみられる、ひとつひとつの発言/行動の内容と密接に関連しています。

 加えて、土台となる個性は、無形体の放つ輝きに「基本となる色彩」として表れ、経験に保存されている無数の「習慣の内容/強さ」が変化するのにともない、色彩にも変化が表れるようになります。習慣は急激に変化せず、徐々に変化していくために、無形体の放つ輝きの基本となる色彩も、僅かずつ変化していきます。一方で、表現ごとの個性は、無形体の放つ輝きに「部分的な色彩の変化」として表れ、絶え間なく造化される様々な表現に相応して、即時に変化します。無形体の輝きについては、3章4節 無形体 #無形体の輝きを参照してください。

(1000/1000) 表現を構成する個性
(1000/1000) 表現を構成する個性

 造化した表現や、おこなう行為のひとつひとつを「方向性」として捉えると、表現/行為を造化する目的の性質/程度(方向性)と、意志の強さによって、様々な方向性と方向性の強さを有する表現/行為が造化されます。この表現/行為の有する様々な「方向性」と「方向性の強さ」の組み合わせが、個性の反映されている状況を指しています。個性の反映された表現/行為の有する様々な方向性が、表現/行為の内容へ表れる多様性(水平方向の範囲)に拡がりを生み出しており、同時に、個性の反映された表現/行為の有する様々な方向性の強さが、それぞれの活動性の程度(垂直方向の範囲)へ表現される多様性を生み出しています。水平方向と、垂直方向での多様性の拡大が、世界の進化を表します。世界の進化については、2章2節 大霊 #質疑応答の「世界の進化とは、何を表しているのですか?」を参照してください。

(1000/1000) 表現/行為の方向性と方向性の強さ
(1000/1000) 表現/行為の方向性と方向性の強さ

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 自己の有する個性の方向性は、言語/図像などで有形的に知ることはできませんが、無形的な印象として気づくことはできます。個性は、あらゆる行為に表れているために、他者の行為を観察して他者の個性には気づいても、自己が絶え間なくおこなっている行為を通して自己の個性に気づくのは困難です。そのため、外環境の様々な物事を通して、自己の個性の方向性を推測していきます。

 外環境の様々な物事の中には、言語を用いて表現できないものの、自己が惹きつけられる内容、惹きつけられない内容、強く惹きつけられる内容、弱く惹きつけられる内容、などがあります。これは、それぞれの物事へ付与されている様々な性質の活動性にみられる方向性と、自己の有している個性の方向性との、親和性が高いほどに強く惹きつけられるようになり、親和性が低いほどに惹きつけられなくなるためです。植物の花を例とした場合では、植物は、無形界の担当者によって造化されている表現のために、それぞれの植物には担当者の個性が表れています。自己が惹きつけられる花の形状、色彩、咲き方、香り、などを通して精神で造化した印象から受ける感覚(方向性)と、惹きつけられる程度(方向性の強さ)に、自己の有する個性の方向性が向いていると推測できます。無形界の担当者がおこなう地上への造化については、2章3節 有形界の構造 #有形界の造化を参照してください。

 なお、花のすべての側面(形状/色彩/咲き方/香りなど)に強く惹きつけられる場合もあれば、花の形状には惹きつけられるものの色彩には惹きつけられない、花の形状には惹きつけられないものの香りには惹きつけられる、などの場合もみられます。花の種族や品種として惹きつけられる/惹きつけられないを判断せずに、花の「どのような側面」に惹きつけられるのかを詳細に観察/考察することで、自己の有する個性の方向性へ気づく切っ掛けとなります。

 加えて、書物のように情報を内包している物体の場合では、著者と読者のそれぞれが有する個性の方向性によって、書物へ掲載されている内容に惹かれる/惹かれ難いがみられるだけでなく、文章の書き方や図/絵画の描き方にも惹かれる/惹かれ難いがみられます。ただし、書物へ掲載されている内容に惹かれる/惹かれ難いは、書物へ掲載されている内容が有する誠実/不誠実の性質、付与されている活動性の程度、読者の成長の程度、読者が現在の成長段階で必要とする学びの内容、読者の生き方の誠実/不誠実、読者の移り変わる内面の状況、などとも関連しており、著者と読者の個性の方向性のみが表れているのではありません。そのため、文章の書き方や図/絵画の描き方へは惹かれても、書物へ掲載されている内容には惹かれない(読みたいと感じない、あるいは、読みたくない)場合もみられ、また、ある書物へ掲載されている内容へ惹かれる時期もあれば、惹かれない時期もあります。

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