内的構造

3章 人の構造 - 6節 内的構造

個々の記述の真実度: 999.3-1000
節全体の真実度: 1000
節全体の活動性: 1000

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内的構造の構成

  • (1000/1000) 内的構造は、心、意識、精神、で構成され、⼤霊に由来する「⼤霊の⼼」、分霊の内包する「分霊の⼼」、有形体の内包する「物質の⼼」、の3つの⼼のそれぞれが有する活動性を意識が統括して精神で表現を造化します
    • 精神での表現の造化は、外環境の表現を認識する際にも、外環境へ表現する際にも、外環境へ表現せずに内環境のみで考察する際にも、常におこなわれます
    • 内的構造の中核は分霊の内包する「分霊の心」であり、大霊の心/物質の心は、分霊の心のおこなう表現の造化に影響を与えます
    • 有形界では、大霊の心、分霊の心、物質の心、の3つの心が精神での表現の造化に関与します
    • 無形界では、有形体を有していないために有形体の内包する物質の心もなく、精神での表現の造化には、大霊の心、分霊の心、の2つの心が関与します
    • なお、内的構造を構成する心/意識/精神は、肉眼/霊眼では視えません
(1000/1000) 内的構造のつながり
(1000/1000) 内的構造のつながり
  • (1000/1000) それぞれの心は、造化を担う、あるいは、造化に影響を与える機能特性を有しており、意識が、無形体の機能系統を通して、心の機能特性を活用し、精神で表現を造化します
    • 有形界で造化される表現の種類には、感情、思考、直観、閃き、愛、活動性の性質の表現、克己、利己性/自己中心性/欲望、の8つがあります
    • 無形界で造化される表現の種類には、感情、思考、直観、愛、活動性の性質の表現、の5つがあります
    • それぞれの種類の表現は、表現の形状と、表現の性質を有しています
    • 表現の形状には、無形的な表現、有形的な表現、の2つがあり、表現の性質は、誠実、不誠実、の2つに分けられます
  • (1000/1000) 内的構造での造化は、心が造化の機能を提供し、精神を造化の場として、意識が無形体の機能系統を通して、精神で心の機能特性を活用することによっておこなわれます
    • 心の機能特性だけでは表現の造化はできず、意識が無形体の機能系統を用いるだけでも表現の造化はできず、精神という造化の場がなくても表現の造化はできません
    • 心、意識、精神、の3者が揃[そろ]うことで、表現を造化できるようになります
(1000/1000) 内的構造の機能の構成と造化される表現
(1000/1000) 内的構造の機能の構成と造化される表現

内的構造のはたらき

  • (1000/1000) 内的構造では、無形体から供給される原素材と、分霊(分霊の心)の有する生命の活動性、大霊の心/物質の心の有する活動性を用いて、精神で表現を造り出しています
    • 精神で造化される表現は、心が直接に原素材へ活動性を与えて造り出しているために、精霊は活動性の中継に関与していません
    • 精神で表現を造化する直前に、表現として造化する内容を認識/理解する活動は意識が直接におこなっており、内容の認識/理解には、活動性も原素材も必要ありません
  • (1000/1000) 内的構造での表現の造化は、外環境の表現を認識する都度に、外環境へ表現する都度に、内環境で考察する都度に、複数の表現が並列/並行して造化されています
    • 外環境の表現(情報)が無形体/有形体を通して受け入れられて、内的構造へと送られ、表現の内容を認識する段階で、認識した内容の表現が精神で造化され、次に、認識した内容の表現を理解する段階で、理解した内容の表現が精神で造化され、更に、理解して造化した表現の形状を変換する段階で、変換され認識した内容の表現が精神で造化されます
    • 同様に、外環境へと表現する際にも、表現を造り出す土台となる「設計図/工程の手順」に基づいて造化される内容を認識した段階で、認識した内容が無形的な表現として精神で造化され、更に、造化した無形的な表現の形状を変換する段階で、変換され認識した内容の表現が精神で造化されます
    • 外環境の認識、外環境への表現、内環境での考察は、「内的構造のはたらき」という工程を異なる側面から捉えているのであり、3者は内的構造での独立した工程ではありません
    • 外環境の認識、外環境への表現、内環境での考察は、相互に組み合わさりながら並列/並行しておこなわれています
  • (1000/1000) 実際には、外環境の表現(情報)を認識して精神で造化した表現の内容を理解しないままに、理解していない内容の表現を外環境へ表現している状況も多くみられます
    • 外環境から受け入れた表現の内容を自己が理解しないままに転用して、そのままの内容を外環境へ表現しているのです
    • 外環境から受け入れ認識した有形的/無形的な表現を、無形的な表現から有形的な表現へ、あるいは、有形的な表現から無形的な表現へ、表現の形状を変換するためには、受け入れた表現の内容を認識するだけでなく、理解しておく必要があります
    • 同様に、外環境から受け入れ認識した有形的/無形的な表現を土台として、有形的な表現を基に異なる有形的な表現を造り出す、あるいは、無形的な表現を基に異なる無形的な表現を造り出す際にも、受け入れた表現の内容を認識するだけでなく、理解しておく必要があります
(1000/1000) 外環境の認識と外環境への表現
(1000/1000) 外環境の認識と外環境への表現
  • (1000/1000) 外環境を認識しても、外環境へ表現しても、どちらも精神で表現を造化しますが、両者にみられる自覚の有無は異なります
    • 誠実な捉え方に基づいて外環境を認識する際には、外環境を自覚的/無自覚的に認識して、精神で自覚的/無自覚的に誠実な性質の表現を造化します
    • 同様に、不誠実な捉え方に基づいて外環境を認識する際にも、外環境を自覚的/無自覚的に認識して、精神で自覚的/無自覚的に不誠実な性質の表現を造化します
    • 外環境を自覚的に(自覚して/自覚できるものの自覚なく)認識すれば精神で自覚的に表現を造化し、外環境を無自覚的に(自覚なく)認識すれば精神で無自覚的に表現を造化します
    • 誠実な意志の方向性に基づいて外環境へ表現する際には、精神で自覚して誠実な性質の表現を造化し、自覚できるものの自覚なく、あるいは、無自覚的に(自覚なく)誠実な性質の表現を造化する状況はありません
    • 一方で、不誠実な意志の方向性に基づいて外環境へ表現する際には、精神で自覚的に(自覚して/自覚できるものの自覚なく)不誠実な性質の表現を造化し、無自覚的に(自覚なく)不誠実な性質の表現を造化する状況はありません
    • なお、外環境へ表現する際の自覚の有無は、外環境へ表現することを自己が自由意志で自覚的に選択できる「思考、感情、直観、閃き、愛」の表現に対してであり、自己が自由意志で自覚的に選択できない「克己、利己性/自己中心性/欲望」(外環境へ表現されない表現)、「活動性の性質の表現」(自動的に外環境へ表現される表現)を除きます
    • 精神で造化する表現の種類については、3章9節 精神を参照してください
(1000/1000) 誠実/不誠実と自覚の有無
(1000/1000) 誠実/不誠実と自覚の有無
  • (1000/1000) 外環境への表現が可能なすべての種類の表現は、有形体/無形体の両方を通して同時に外環境へ表現され、同様に、有形体/無形体の両方を通して同時に外環境の表現を受け入れます
    • 有形体を通して外環境の3,4次元の範囲へ表現されるのは、表現の内容を表すための文字/図表などで、表現の内容を外環境へ表現していません
    • 無形体を通して外環境の4次元以上の範囲へ表現されるのは、有形界では、表現の内容そのものであり、一方で、無形界では、表現の内容と、表現の内容を表すための文字/図表などです
    • 有形界では、外環境へ表現された、表現の内容を表すための文字/図表などを有形体から受け入れ、同時に、表現の内容を無形体を通して受け入れ、有形体/無形体から受け入れた情報を総合し、文字/図表などで表現されている内容として認識します
    • 無形界では、外環境へ表現された、表現の内容を表すための文字/図表なども、表現の内容も、無形体を通して同時に受け入れ、無形体から受け入れた情報を総合し、文字/図表などで表現されている内容として認識します
    • 有形体/無形体を通して外環境へ表現できる次元の範囲については、3章5節 有形体 #有形体を通した基本的な生活行動3章4節 無形体 #無形体を通した基本的な生活行動を参照してください
  • (1000/1000) 有形界では、有形的な表現へ付与された活動性の程度によって、無形体を通して外環境へ表現する際に用いる認識方法が異なり、用いる認識方法に相応する表現の形状で外環境へ表現されます
    • 有形界で、活動性の程度1-600未満が付与されている有形的な表現を外環境へ表現する場合には、文字/図表などそのものは有形的認識に基づいて有形体を通して外環境の3,4次元の範囲へ表現され、一方で、表現の内容は有形的認識に基づいて無形体を通して外環境の4次元の範囲へ表現されます
    • 無形界で、活動性の程度1-600未満が付与されている有形的な表現を外環境へ表現する場合には、文字/図表などそのものも、表現の内容も、無形体を通して外環境の4次元の範囲へ表現されます
    • 有形界で、活動性の程度600-1000が付与されている有形的な表現を外環境へ表現する場合には、文字/図表などそのものは有形的認識に基づいて有形体を通して外環境の3,4次元の範囲へ表現され、一方で、表現の内容は無形的認識に基づいて無形体を通して外環境の5-7次元の範囲へ表現されます
    • 有形界では、外環境の5-7次元の範囲へは無形的認識に基づいて無形的な表現のみを表現できるために、有形的な表現の内容を表現する際には、有形的な表現の土台となる無形的な表現の内容が表現されます
    • 無形界で、活動性の程度600以上が付与されている有形的な表現を外環境へ表現する場合には、文字/図表などそのものも、表現の内容も、無形体を通して外環境の5次元以上の範囲へ表現されます
    • 外環境へ表現されている様々な活動性の程度が付与された表現を、外環境から表現を受け入れた者の同調する活動性の程度に相応する認識の次元の程度で認識/理解します
(1000/1000) 有形体/無形体を通して外環境へ表現されるもの
(1000/1000) 有形体/無形体を通して外環境へ表現されるもの

内的構造での外環境の認識

  • (1000/1000) 外環境の認識は、外環境にある無数の表現(情報)を、外的構造が受け入れて内的構造へと送り、視域、視野、視点、を通して、徐々に情報の範囲を絞り込み、視座による情報の捉え方に基づいて認識した内容を、精神で表現として造化します
    • 視域、視野、視点、視座、のそれぞれは、分霊の心の機能特性によっておこなわれる濾過/抽出の工程を表しています
    • 濾過/抽出の工程を経て情報の範囲が絞り込まれた後に、経験の機能特性に保存されている認識方法(有形的/無形的認識)に基づいて認識した内容が、無形体の機能系統を通して分霊の心の機能特性を活用することで、表現として造化されます
  • (1000/1000) いくつもの工程を経て、外環境から受け入れた情報の内容を認識して造化された表現は、更に、認識した表現の内容を理解することで、理解した内容が表現として造化されます
    • 認識した内容と、理解した内容は、同じではなく、造化を経る都度に、内容は変化していきます
    • 認識した内容は、外環境から受け入れた「情報」のままであり、応用性は小さいですが、一方で、理解した内容は、自己の貯蔵する「知識」となり、応用性の程度が高く、今後の表現の認識/理解、あるいは、外環境へ表現する際に、知識の内容が応用されるようになります
    • また、内容を理解して造化した表現の形状を変換する場合も、始めに、形状を変換した内容を認識した段階で、認識した内容が表現として造化され、次に、認識して造化した表現の内容を理解した段階で、理解した内容が表現として造化されます
    • 更に、理解して造化した表現の内容を、自己の体験を通して実証することで、理解した表現の内容を造化するための「設計図」と、設計図に基づいて表現を造化する「工程の手順」が、形状のない知識として記録の機能特性へ貯蔵されます
    • 設計図は摂理、工程の手順は法則を表しており、実体として造化されている表現の内容そのものではないために、高い応用性を有しています
(1000/1000) 有形界で外環境を認識する流れ
(1000/1000) 有形界で外環境を認識する流れ

内的構造での外環境への表現

  • (1000/1000) 外環境への表現は、表現を造化するための「設計図/工程の手順」として貯蔵されている無数の知識を、視域、視野、視点、を通して、徐々に知識の範囲を絞り込み、造化に用いる設計図の範囲と工程の手順が視座によって選択され、設計図/工程の手順に基づいて表現として造化する内容を認識したうえで、無形的な表現として造化します
    • 外環境を認識する際と同様に、視域、視野、視点、視座、のそれぞれは、分霊の⼼の機能特性によっておこなわれる濾過/抽出の工程を表しています
    • これらの⼯程を経た後に、経験の機能特性に保存されている認識方法(有形的/無形的認識)や習慣/技術などが、設計図/工程の手順に基づいて表現を造化する工程へ方向性を加え、最終的に表現として造化する内容を認識したうえで、無形体の機能系統を通して分霊の心の機能特性を活用することで、表現として造化されます
    • 始めに造化される表現は、印象としての無形的な表現であり、その後に必要であれば、有形的な表現へと表現の形状が変換され、無形体/有形体を通して、外環境へ有形的に表現されます
    • 印象としての無形的な表現は、精神伝達により無形体を通して、外環境へ無形的に表現することもできます
  • (1000/1000) 記録へ貯蔵されている無限の応用性を有する無数の知識(設計図/工程の手順)から、徐々に表現として造化する範囲を絞り込んでいくことで、知識の応用性は減少していきます
    • 更に、絞り込まれた知識の内容が表現として造化され、表現の形状を変換し、また、外環境へと表現するまでの工程が多いほどに、表現の内容が有する知識量は減少していきます
    • なお、精神で造化された表現としての有形的/無形的な知識が外環境へ表現されると、外環境へ表現された知識は、他者にとっては情報となります
(1000/1000) 有形界で外環境へ表現する流れ
(1000/1000) 有形界で外環境へ表現する流れ
視場/視域/視野/視点/視座の違い
  • (1000/1000) 視場/視域/視野/視点/視座とは、精神で表現を造化するために情報などの内容を選択/濾過する過程を指しています
    • 外環境へ表現されている情報を認識する際には、外環境から受け入れる情報の選択/濾過をおこなったうえで、選択/濾過の過程を通過した情報に基づいて精神で表現を造化します
    • 外環境へ表現する際には、自己の貯蔵している情報/知識の選択/濾過をおこない、必要とする情報/知識を抽出したうえで精神で表現を造化し、造化した表現に基づいて外環境へ表現します
  • (1000/1000) 視場とは、視域/視野/視点/視座の土台で、選択/濾過の基礎となる土台を表しています
    • 視場は、山の標高に譬[たと]えられ、山から視える景色は同じでも、標高が異なれば、景色の視え方は大きく変化します
    • 視場は、分霊の成長の程度、同調する活動性の程度によって決まります
  • (1000/1000) 視域とは、無数にある表現/情報/知識の中から、無自覚的に(自覚なく)絞り込んだ受け入れる範囲を表しています
    • 視域は、山から視える景色の、視ているという自覚のない景色の範囲に譬えられます
    • 視域による範囲の選定は、分霊の心が有する感性の機能特性によっておこなわれます
  • (1000/1000) 視野とは、視域が受け入れた表現/情報/知識の範囲の中から、更に、自覚的に(自覚して/自覚できるものの自覚なく)絞り込んだ受け入れる範囲を表しています
    • 視野は、山から視える景色の、視ているという自覚のある景色に譬えられます
    • 視野による範囲の選定は、分霊の心が有する知性の機能特性によっておこなわれます
  • (1000/1000) 視点とは、視野が受け入れた表現/情報/知識の範囲の中で、視座が捉える特定の範囲を表しています
    • 視点は、視ているという自覚のある景色の中で、焦点を当てて視ている範囲の景色に譬えられます
    • 視点による範囲の選定は、分霊の心が有する知性の機能特性によっておこなわれます
  • (1000/1000) 視座とは、視点を捉える基点となり、視野が受け入れた表現/情報/知識の範囲の中から、視点としての範囲の絞り込みと、表現/情報/知識の捉える方向性を選択します
    • 視座が異なると、同じ視点に対する、捉える方向性も異なります
    • 視座は、山の同じ標高での異なる場所に譬えられ、標高は同じでも場所が異なれば、焦点を当てて視ている範囲の景色の視え方も異なります
    • 視座による範囲と方向性の選定は、分霊の心が有する知性の機能特性によっておこなわれます
  • (1000/1000) 視場/視域/視野/視点/視座の「視」とは、「眼で視る」ことを指しているのではなく、「物事を捉える」ことを示しています
(1000/1000) 視場/視域/視野/視点/視座
(1000/1000) 視場/視域/視野/視点/視座

内環境のみで考察する

  • (1000/1000) 精神で造化した表現を外環境へ表現せずに、内環境のみで考察する際には、精神に存在している、いくつもの表現のつながりを把握します
    • 外環境から情報を受け入れて造化した表現や、記録へ貯蔵されている設計図/工程の手順に基づいて造化した表現には、表現の種類、誠実/不誠実な性質の表現、様々な表現の内容、から構成される、認識した有形的な表現、理解した有形的な表現、認識した無形的な表現、理解した無形的な表現、が混在しています
    • 考察では、いくつもの造化されている表現の中で、何と何がつながり(関係性)を有しているのか? どの程度のつながり(関連性)を有しているのか? を把握していきます
    • それぞれの表現のつながりを把握していく過程では、適宜に表現を造化し、また、不要な表現を消去しながらおこなわれています
    • 内環境のみでの考察は、外環境の認識や外環境への表現と並列/並行しておこなわれる場合もあります
(1000/1000) 内環境での考察
(1000/1000) 内環境での考察

至言の紹介

(1000/1000)「瀞沁」
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
眼に視えるあらゆる物事は
そのすべてが眼に視えない思いによって
生み出されているのです
思いは眼に視えないからと
隠せるものではなく
偽[いつわ]ることもできません
言動では隠し偽っているつもりでも
表情に、挙措に、態度に、話し方に
しっかりと表現されているのです

質疑応答

  • それぞれの質問文を押すと、応答文が表示/非表示されます
    • すべての応答文を一括して開くには、「すべての質疑応答を開く」ボタンを押してください
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内的構造の全般について

(1000/1000)

 はじめに、内的構造では、心、意識、精神、無形体の機能系統、原素材、加えて、表現を造化する設計図/工程の手順や、表現を造化する基[もと]となる情報が、すべて揃[そろ]っているからこそ表現を造化できるという点に留意してください。ひとつでも欠けていると表現は造化できないのです。

 それぞれの「はたらき」は、下記のようになります。

  • 心は、表現を造化する工程で、原素材へ活動性を与える機能特性を有していますが、心が直接に原素材へ活動性を与えることはできません
  • 意識は、表現を造化する工程で、造化そのものを担いますが、意識が原素材を直接に扱うことはできず、無形体の機能系統を通して扱います
  • 無形体の機能系統は、原素材を直接に扱えますが、機能系統そのものは原素材の扱い方を有していません
  • 原素材は、あらゆる表現を造り出す源ですが、原素材そのものには何も造り出すことはできません
  • 精神は、表現を造化する工程を内包している造化の場ですが、精神そのものに表現を造化することはできません
  • 表現を造化する設計図/工程の手順や、表現を造化する基となる情報は、造化する表現の内容を決めますが、これらに表現を造化することはできません

 内的構造のはたらきを調理に譬[たと]えると、原素材は食材、意識は料理する人、無形体の機能系統は包丁/鍋/フライパン/ボウル/スプーン/箸[はし]などの食材を整える調理器具、心の機能特性はオーブン/ガスコンロなどの食材へ変化を加える調理器具、精神は台所/調理場(キッチン)、表現を造化する設計図/工程の手順や表現を造化する基となる情報は調理の手順書(レシピ)に相当します。重要なのは、同じ食材を同じレシピに基づいて調理しても、料理する人の腕前(成長の程度や習慣の有無/強さなど)と、調理する目的(誠実/不誠実の性質など)によって、出来上がる料理の程度(造化された表現の性質/程度)は様々になる点です。

(1000/1000) 内的構造のはたらきの調理への譬え
(1000/1000) 内的構造のはたらきの調理への譬え

(1000/1000)

 すべての表現は、原素材から造化され、原素材以外から表現が造化される状況はありません。表現の形状を変換する場合には、変換する基[もと]となる表現の内容を「表現を造化する設計図」と「表現を造化する工程の手順」として用い、「造化の設計図/工程の手順」に基づいて新規に表現が原素材から造り出されます。

 無形的な表現を有形的な表現へと変換する場合を例にすると、無形的な表現の内容を「造化の設計図/工程の手順」として、分霊の心が有する経験の機能特性に保存されている有形的認識の認識方法を「造化の工程の方向性」に用い、分霊の心の有する生命の活動性を原素材へ与えることで造化します。設計図/工程の手順/工程の方向性の違いについては、3章7節 心 # 表現を造化する設計図/工程の手順/工程の方向性の違いを参照してください。

(1000/1000) 表現の形状の変換を例とした表現の造化
(1000/1000) 表現の形状の変換を例とした表現の造化

(1000/1000)

 精神で造化される無形的な表現と有形的な表現は、自覚して識別することができます。ただし、常に自覚して識別しているとは限らず、多くの場合では、無形的な表現/有形的な表現の識別している状況を自覚できるものの自覚していないか、あるいは、無形的な表現そのものを認識している状況が自覚できるものの自覚されていません。なお、自覚の有無に関わらず、認識したうえで表現が造化されているために、もしも、認識していないのならば、表現そのものが造化されません。

 常に自己が精神で造化している表現を内省している(内省は常に自覚してのみおこなわれる)か、あるいは、表現の内容を理解した後に、表現の形状を自覚して変換しているのならば、無形的な表現と有形的な表現を徐々に識別できるようになります。

 また、無形的な表現から受ける感覚は精細ですが、有形的な表現から受ける感覚は相対的に粗雑です。精細な感覚は、粗雑な感覚の中へ埋もれやすいために、意識を精細な感覚へ集中して向けていくことで、無形的な表現を自覚して認識しやすくなります。表現から受ける感覚については、3章9節 精神 #質疑応答の「精神で造化される表現によって、意識が表現から受ける感覚は異なりますか?」を参照してください。

外環境の認識

(1000/1000)

 外環境の認識は、現在の認識に占める有形的/無形的認識の割合に基づいて、それぞれの認識方法に相応する形状の情報を、それぞれの認識方法の割合に相応する程度/量で外環境から受け入れています。

 認識に占める有形的/無形的認識の割合は、同調する活動性の程度に相応する割合を上限として、絶え間なく自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく変化しています。地上では、有形体を通して絶え間なく認識する物的な物事によって、認識に占める有形的認識の割合が自覚できるものの自覚なく増大しやすいですが、逆に、自覚して有形的認識の割合を増大させることもできます。認識に占める有形的認識の割合を自覚して増大させることについては、4章2節 有形界での成長 #質疑応答の「地上では、物的/有形的な物事から影響を受けて、自覚できるものの自覚なく有形的認識が優勢に傾いていくのならば、自覚して有形的認識を優勢にしていくこともできるのですか?」を参照してください。

 現在の認識に占める有形的/無形的認識の割合に基づいて受け入れる情報は、有形体/無形体を通して外環境から受け入れる情報の総合です。有形体を通して受け入れられるのは、有形的認識に基づく有形的な形状の情報のみとなり、一方で、無形体を通して外環境から受け入れられるのは、有形的認識に基づく有形的な形状の情報と、無形的認識に基づく有形的/無形的な形状の情報となります。外環境の同じ範囲から受け入れた情報であっても、受け入れた形状が異なれば、認識する内容も異なります。ある時点での有形的/無形的認識の割合で受け入れた有形的な形状の情報と無形的な形状の情報を総合して認識した内容は、他の時点での有形的/無形的認識の割合で受け入れた有形的/無形的な形状の情報を総合して認識した内容と同じではありません。

 加えて、同調する活動性の程度が高くなるほどに、認識に占める無形的認識の割合が増大するだけでなく、無形体の機能系統や心の機能特性も活性するために、多くの情報量/高い程度の情報を同時に受け入れ処理できるようになります。なお、認識に占める無形的認識の割合が増大すると、相対的に有形的認識の割合は減少しますが、有形的認識に基づいて受け入れる有形的な形状の情報量が減少しているのではありません。無形的認識に基づいて受け入れる無形的な形状の情報量に比べると、有形的認識に基づいて受け入れる有形的な形状の情報量が相対的に少ないだけであり、同調する活動性の程度が高くなるほどに、有形的認識に基づいて受け入れる有形的な形状の絶対的な情報量も増大しています。

 この質疑応答に関連する内容には、3章8節 意識 #質疑応答の「自覚的/無自覚的に認識できる範囲と意識の範囲には、どのようなつながりがありますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000) 認識の割合と外環境を認識する程度
(1000/1000) 認識の割合と外環境を認識する程度

(1000/1000)

 言語や文字/図表、図像、音声、などの形状を有したままの有形的な知識は、実証の対象とならないために、直接に摂理/法則として貯蔵される状況はありません。

 有形的な知識は、有形的認識に基づく範囲の規定された表現内容であり、特定の範囲内でのみ有効な表現内容です。自己の体験を通しても特定の範囲内でのみ有効なままであり、特定の範囲に制限を受けない「不変/普遍/敷衍[ふえん]」の摂理/法則にはならないのです。一方で、無形的な知識は、無形的認識に基づく範囲の規定されない(無限の範囲を有する)表現内容です。

 自己の体験を通して実証するためには、必ず、特定の範囲に制限を受けない「無限の範囲を有する印象」としての無形的な知識からおこなわれる必要があります。

(1000/1000)

 社会の様々な分野で検証/証明された無数の物事/現象などの内容に対して、自己が、納得できない、腑に落ちない、などを感じる場合があるのは、社会の成長の程度と、自己の成長の程度は同じとは限らず、両者の程度に差があれば、検証/証明の程度、また、認識/理解の程度にも差がみられるためです。

 社会で検証/証明された内容は、社会の成長の程度に相応する物事の捉え方や認識の範囲/程度に基づいており、一方で、自己は、自己の成長の程度に相応する物事の捉え方や認識の範囲/程度に基づいて認識/理解/実証します。社会の成長の程度が自己の成長の程度よりも高い場合に、社会で検証/証明された内容に納得できない状況が多くみられます。逆に、社会の成長の程度が自己の成長の程度よりも低い場合であっても、社会で検証/証明された内容に納得できない状況はみられますが、多くの状況では、社会で検証/証明された内容を自己の成長の程度で捉え直し、捉え直した内容に納得できるようになります。

 本質的には、書物/動画などへ掲載されている内容、物事、現象、出来事、などに対して、一切の自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない違和感/不自然感を感じることなく、また、一切の有形的/無形的な疑問の湧き浮かぶことなく、納得できる内容は、自己の体験を通して実証(証明)した内容だけなのです。この実証した内容には、大霊の心(天使たち)を通して送られてくる無形的な印象(閃き)も含まれています。そして、自己が体験を通して実証した内容は、自己の成長にともない、何度でも繰り返し再実証され、内容が更新されていきます。これは、自己の成長の程度が向上すれば、物事の捉え方や認識の範囲/程度も変化するためです。

 様々な教科書、解説書、学術書、などへ掲載されている内容に対しても、盲信することなく、自己の知性/理性を用いて考察/検証し、更に、掲載されている内容ではなく、自己が考察/検証した内容を、自己の体験を通して実証していくことが、物事/現象などの本質を学ぶ最も効率の高い方法となります。なお、効率の高い状況を良い(効率が良い)と捉え、効率の低い状況を悪い(効率が悪い)と捉えるのは、効率を自己に都合良く優劣で捉えています。効率の高い/低いと、良い/悪い(自己の都合)には関係がありません。優劣で捉えることについては、5章2節 幻想を参照してください。

 この質疑応答に関連する内容には、3章3節 分霊 #質疑応答の「自己の有する認識の程度よりも高い程度での思考の内容が理解できないのならば、どうすれば理解できるようになるのですか?」がありますので参考にしてください。

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 はじめに、大霊の心を通して送られてくる無形的な印象(閃き)が、自己の体験を通して実証した内容に含まれることについては、この節の質疑応答の「社会で検証/証明された内容に納得できない場合があるのはどうしてですか?」を参照してください。

 大霊の心(天使たち)を通して送られてくる無形的な印象(閃き)も、自己の体験を通して実証(証明)した内容も、どちらも循環を形成しており、結果として、両者の区別がなくなるためです。

 自己の中核を成す分霊の心を通して体験し実証された内容(形状のない知識)は、大霊(天使たち)の成長へと還元されます。そして、天使たちによって、大霊の心を通して送られてくる無形的な印象(閃き)は、自己の成長を促進するように、はたらきます。どちらも、個体の「自覚できない意識の領域」を通しておこなわれており、お互いが、お互いの成長を促進する循環を形成します。

(1000/1000) 知識と閃きの循環
(1000/1000) 知識と閃きの循環

 同調する活動性の程度が高くなるほどに、成長の程度が向上するほどに、意識に占める大霊の心の割合は増大し、意識の範囲は拡大して、認識の範囲/程度も拡く高くなるために、個体としての分霊の心と、全体としての大霊の心、の両者の区別(境界)が薄れていきます。区別/境界が薄れていくことで、循環が促進されるために、閃きの頻度は増大し、閃きによって自己の成長は促され、実証する程度は向上し、実証する内容も増大します。高い程度で実証され、増大した内容は、天使たちの成長を更に促し、天使たちの成長によって閃きとして送られてくる印象の程度も高くなります。

 なお、直観は、自己の体験を通して得た内容に基づいていますが、必ずしも、この内容のすべてが、理解され実証されているとは限りません。自己が認識しただけの情報、理解しているものの実証していない知識は、自覚できる意識の領域に貯蔵されており、一方で、自己の実証した知識は、自覚できない意識の領域に貯蔵されています。閃きは常に自覚できない意識の領域を通して送られてくる印象に基づいて造化しますが、直観は内容によって様々です。そして、閃きは常に誠実の性質を有していますが、直観は誠実の性質だけでなく、不誠実の性質を有している場合もあります。情報/知識については次節の3章7節 心、意識の領域については3章8節 意識、閃き/直観については3章9節 精神を参照してください。

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 地上で、相手と物的に対面して感じる違和感/反発感などの多くは、両者の生き方が有する誠実/不誠実の性質の違いによって、思考を差し挟むことなく、瞬時に感じ取っています。この感覚は、不誠実な生き方をしている者が誠実な生き方をしている者に対して、また、誠実な生き方をしている者が不誠実な生き方をしている者に対して、両者が互いに感じ取りますが、必ず自覚して感じるとは限らず、自覚できるものの自覚なく感じている場合もあります。なお、違和感/反発感などは、自己に都合が良くない状況で感じる不快感(感情)ではない点に留意してください。違和感/反発感などは、理性/気づきの機能特性によって自己の自由意志とは無関係に感じ取る感覚ですが、一方で、感情は、自己が自由意志による選択に基づいて造化した表現です。理性/気づきの機能特性については、次節の3章7節 心を参照してください。

 ただし、自己/相手の双方ともに誠実な生き方へ努めていても、両者の個性の方向性が大きく異なると、相手へ対応した際に、相手から違和感/苦手感を感じ取る場合もあります。成長の程度によっては、感じ取る違和感/苦手感を否定的に捉える状況もみられ、ぶっきらぼうな応対や素っ気なくみえる応対を威圧されている/見下されている、また、率直な話し方や遠慮のなさを馴れ馴れしさ/横柄などと捉える状況もありますが、両者の個性の方向性が大きく異なっていても、反発、敵意、拒否感、などは感じません。相手に対して無形的に違和感/反発感/苦手感などを感じたとしても、相手へ物的/有形的にどのような反応(発言/行動/態度など)をおこなうのかは、自己の自由意志で選択できます。常に自己の内面を内省し、何に由来して違和感/反発感/苦手感などを感じているのか? どのような反応/応対をすることが自己/他者の成長へつながるのか? を把握したうえで、自覚して相手へ発言/行動などをおこなうように努める必要があります。

 加えて、気が合う、親密感/親近感を感じる、などは、同じ性質(誠実/不誠実)の生き方をしている者たちの間で、有する個性の方向性、成長の程度、などにみられる親和性/近似性/類似性によって感じ取ります。誠実な生き方をしている者は誠実な生き方をしている者に対して、不誠実な生き方をしている者は不誠実な生き方をしている者に対して感じ取ります。これらの感覚も、自己に都合が良い状況で感じる快楽/快感(感情)ではない点に留意してください。

 相手と物的に対面して感じる違和感/反発感とは別に、相手の意見に反感を感じる場合もあります。この場合でも、自己を誠実に内省して、「何に基づいて反感を感じているのか?」を判断する必要があります。他者のおこなった意見の内容に対して現れる「反感」という感覚は、利己性/自己中心性/欲望に基づく幻想の捉え方によって、虚栄心を満たすために反発したいという欲望(誘惑)の場合もあれば、一方で、理性が意見の内容へ違和感を感じたことによる警鐘の場合もあります。反感として感じ取る感覚が、欲望による場合では不快の感情と密接に関連しており、理性の警鐘の場合では意見の内容に不整合性を発見したことに関連しています。もしも、欲望に基づいているのならば、精神に騒響[ざわめき]や、落ち着きのなさ、騒がしさ、興奮、などもあわせて感じます。理性に基づいているのならば、精神に騒響はなく、冷静で、落ち着いています。

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 他者のおこなっている発言の内容ではなく、発言そのものから受ける、透明感、軽快感、清涼感、重厚感、混濁感、鈍重感、軽薄感、粘着感、硬質感、などの感覚は、発言という行為(話し方)が有する活動性の性質/程度を、意識が感じ取っているためです。発言という行為には、様々な性質の活動性が付与されており、それぞれの性質の活動性は様々な程度を有しています。特定の活動性の性質/程度から、特有の感覚を感じ取っているのではなく、様々な性質の活動性/程度の総合から特有の感覚を感じ取っています。これは、料理への味付けへ譬[たと]えられ、様々な調味料を組み合わせて、それぞれの調味料の量を調整することで、料理から感じ取る味が変化します。調味料の組み合わせが異なれば料理から感じ取る味は変化し、また、同じ調味料の組み合わせであっても、それぞれの調味料の量が異なれば、料理から感じ取る味は変化します。活動性の程度から受ける感覚については、5章5節 祈り/瞑想を参照してください。

 発言という外環境への表現には、「発言の内包する情報の内容(発言の内容)」が有する活動性と、「発言する」という行為の有する活動性があります。発言の内包する情報の内容が有する活動性は、精神で造化した思考などの内容へ付与した活動性の程度/性質が表れています。一方で、発言という行為の有する活動性は、成長の程度、個性の方向性、生き方の性質/程度、などによって外環境へ現れる「行為そのもの(挙措/態度)」の有する活動性の程度/性質が表れています。複数の者が同じ文章を話しても、話す者が有する成長の程度、個性の方向性、生き方の性質/程度、などによって話し方は異なるために、発言から受ける感覚も異なって感じ取ります。発言の内包する情報の内容と、発言という行為が有する活動性の違いについては、2章3節 有形界の構造 #有形界の造化を参照してください。

 発言の内包する情報の内容が有する活動性の程度/性質と、発言という行為の有する活動性の程度/性質は、同じ程度/性質の場合もあれば、全く異なる程度/性質の場合もみられます。これは、書物が、「書物へ掲載されている内容」としての活動性の程度/性質と、「物体としての書物」の活動性の程度/性質の、それぞれ異なる活動性の程度/性質を有しているのと同じです。

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 無形的認識に基づいて物事を捉えるとは、地上では、形状を有するために範囲の限定された様々な肉眼/霊眼に視える物事/現象/出来事/情報を、それぞれに区別して捉えるのではなく、総合/包括して捉えることを指しています。一方で、物事の考察とは、物事と物事の「つながりの有無(関係性)」と「つながりの強さ(関連性)」を把握していくことを指しています。無形的認識については、1章1節 サイトを読むにあたって #有形的認識/無形的認識の違いも参考にしてください。

 そのため、無形的認識に基づいて物事を捉え考察するとは、様々な物事/現象/出来事/情報を総合/包括して捉え、有形的認識に基づいて捉えた際に物的/有形的には個々の物事に関係性/関連性がみられないように捉えられる内容であっても、無形的にみられる物事の関係性/関連性を把握していくことを表しています。認識に占める無形的認識の割合が増大するほどに、総合/包括して捉える範囲も拡大するために、総合/包括して捉える物事/現象/出来事/情報も増大します。

 無形的認識に基づく考察では、意識を一部の物事へ偏らせることなく、全体を俯瞰[ふかん]して捉えながら、考察の焦点/中核となる内容と、この内容に関係/関連する可能性のある無数の物事を把握し、更に、それぞれの物事のつながり(関係性/関連性)も把握していきます。自己の成長にともない、認識に占める無形的認識の割合は増大し、無形的認識で捉える程度も向上していくために、総合/包括して捉えられる範囲も徐々に拡大するとともに、それぞれの物事/現象の有するつながりも多く把握できるようになります。

 この質疑応答に関連する内容には、1章1節 サイトを読むにあたって #質疑応答の「ある記述の内容と他の記述の内容とのつながりを把握していくことが網羅的理解ですか?」がありますので参考にしてください。 

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 書物、テレビ、ラジオ、などの物的な媒体(メディア)にみられる、文章、画像、映像、音声、などの表現媒体によって、内的構造への情報の受け入れ方法には違いがみられます。書物などへ掲載されている内容は、自覚して文書を読み進める意志を有していないのならば、文字/図表/画像などで示されている内容を受け入れることができません。内容を読み進める意志を有している(自由意志で読み進めると選択している)からこそ、内的構造へ情報として受け入れられます。

 一方で、映画(映像/音声)、音曲、などの内容は、自覚して内容を受け入れようとする意志の有無に関わらず、内的構造へ情報として受け入れられています。自覚して内容を受け入れる意志が無くても情報として受け入れられていることは、情報に含まれる自己の成長段階よりも相対的に程度の低い誠実な内容、不誠実な内容、既成概念などの囚われの内容、などの影響を自覚できるものの自覚なく受けやすくなる状況を表しています。ただし、内容を自覚して認識/理解(考察)するためには、自覚して内容を受け入れる意志が必要です。

 なお、文章、画像、映像、音声、などの表現媒体の違いに優劣はありません。表現媒体の違いは、内容を表現する形状の違いを表しているだけとなります。

 不誠実な習慣や相対的に誠実の程度が低い習慣は自覚できるものの自覚なく形成されやすいために、自己の生活環境で、映画(映像/音声)、音曲、喋り声、などが、自己の自覚して内容を受け入れる意志に関係なく常に視えて/聴こえているのならば、それらの内容を詳細に考察し、また、自己の行為を内省して、「自己の有する習慣に、何時[いつ]の間にか無用な囚われが形成されていないか?」を確認する必要があります。これには、商業施設で常に流されている音曲、宣伝、なども含まれます。自覚できるものの自覚なく形成されやすい習慣については、5章4節 固定観念/既成概念 #質疑応答の「お互いの活動性が影響を与え合うように、習慣も影響を与え合うことがありますか?」を参照してください。

 情報の受け入れる表現媒体の違いを成長段階から捉えると、同調する活動性の程度が高くなるほどに内的構造での処理速度も向上するために、言語で系列的に発話されるのを遅く感じ取るようになります。表現媒体を通して単位時間あたりに受け入れる情報量の多さでは、動画が比較的に多く、次に画像、文字、発話の順に少なくなります。内的構造での処理速度の向上は、単位時間あたりに処理できる情報量を増大させるために、単位時間あたりに受け入れる情報量が少ないほどに、時間の経過を速く感じ取ります。相対的に、発話を通して情報が逐次に伝えられる速さよりも、受け入れた情報を処理する速さのほうが速いために、発話されるのを遅く感じ取るのです。

 文字を系列的に読み進めるのも単位時間あたりに受け入れる情報量は比較的に少ないですが、情報の伝達が逐次におこなわれる発話と異なり、書物のように伝達する情報の全体が既に掲載されている場合には、自己の文字/言語を読み進める速さを調節することで、単位時間あたりに受け入れる情報量を適宜に変更できます。内的構造での処理速度については、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「行為や瞑想へ意識を集中するほどに、気づくと時間が速く経過しているのは、時間の認識とどのようなつながりがありますか?」も参考にしてください。

 この質疑応答に関連する内容には、3章9節 精神 #質疑応答の「外環境から受け入れる情報を自由意志で選択することと、精神での表現の造化には、どのようなつながりがありますか?」がありますので参考にしてください。

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 地上でも、誠実な生き方へ努めているのならば、あるがままに相手を捉えようとしているために、相手が精神で造化する思考/感情、有している習慣の内容/強さ、固定観念/既成概念などの囚われ、貯蔵している情報/知識の内容/程度、個性の方向性、生き方の性質/程度/方向性、などを自然に感じ取れるようになります。無形界であっても、有形界/地上であっても、自己/他者の内面の状況は、無形体を通して全て外環境へ表れており、隠蔽[いんぺい]することも、偽装することもできません。

 地上が無形界と異なるのは、地上で生活する人は有形体を有しているために、有形体の粗雑で鈍重な感覚と、有形体を通して受け入れた有形的な情報から受ける粗雑な感覚によって、無形体を通して感じ取る精細な感覚や無形的な印象の内容が不鮮明で認識し難くなる点にあります。加えて、有形体の内包する物質の心から影響を受けて、幻想による捉え方へ陥[おちい]っていると、物事/他者を瞬間瞬間の自己に都合良く捉え、あるがままに捉えることができなくなります。幻想による捉え方から脱却し、有形体を自己と誤認する程度を低下させ、高い活動性の程度へ同調するように努めていくのならば、無形体を通して感受する感覚/印象を認識しやすくなります。幻想による捉え方については、5章2節 幻想を参照してください。

 なお、「相手の思考の内容を知りたい」という目的は欲望に基づく不誠実さであり、あるがままに相手を捉えることはできません。誠実な目的で、相手の思考の内容を知りたいと望む状況は有り得ないのです。相手の思考の内容を知りたいと望むことなく、あるがままに相手を捉え、相手の内面を自然に把握したうえで、自己が相手へ、適切な時機に、適切な内容で、適切な程度の愛の行為をおこないやすくなりますが、誠実さは、相手の内面を把握したとしても、相手に対して、何らかの感情や不誠実な思考を造化する状況は一切ありません。

 この質疑応答に関連する内容には、4章2節 有形界での成長 #質疑応答の「どのようにすれば相手の内面が観えるようになりますか?」がありますので参考にしてください。

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