自由意志 / 運命

4章 成長の構造 - 6節 自由意志/運命

個々の記述の真実度: 999.3-1000
節全体の真実度: 1000
節全体の活動性: 1000

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自由意志/運命とは

  • (1000/1000) 自由意志/運命とは、個体のおこなう「ひとつひとつの行為」の選択が、個体の生き方を規定する「流れ」を造り出し、個体の有する流れが総合されて、全体の流れを造り出すことを表した法則です
    • 個体がおこなう眼前の「ひとつひとつの選択」を原因として、その結果に「ひとつひとつの選択」に基づいておこなわれる行為が造り出され、連綿と続く原因(選択)と結果(行為)のつながりによって、ひとつの方向性を示す「流れ」が形成されます
    • それぞれの個体が形成した「流れ」は総合されて全体の「流れ」を造り出し、全体の「流れ」が示す方向性と方向性へ向く強さが、個体の流れへ影響を与えます
  • (1000/1000) 自由意志/運命は、個体から捉えると、分霊の成長の仕方を規定する法則のひとつとなります
    • 全体から捉えると、世界の進化を決定する法則のひとつとなります
    • 天霊/人霊ともに法則の適用を受けますが、動物霊には適用されません
    • なお、方向性を選択/決定する「自由意志」や、流れる方向性を造り出す「運命」は、構造/骨格となる不変の法則ですが、一方で、自由意志で選択/決定する方向性や、運命の流れる方向性は変化します
    • 自由意志で選択/決定する方向性や、運命の流れる方向性は、構造/骨格(法則)を土台として形成された「肉付け」に相当し、法則そのものではありません
(1000/1000) 法則の適用
(1000/1000) 法則の適用

自由意志

  • (1000/1000) 自由意志とは、眼前の状況へ応対するために、複数の「おこなう行為の選択肢」の中から「ひとつの選択肢」を選択する、意志の機能特性が有する役割を指しています
    • 複数の選択肢の中から選択した「ひとつの選択肢」が、精神でおこなわれる「個々の表現を造化する無数の工程」の向く方向性を決定し、決定した方向性に相応する表現が造化されます
    • 精神で造化された様々な表現は、無形体/有形体を通して外環境へ表現され、発言、行動、挙措、態度、などの「あらゆる行為」に表れます
    • 複数の「おこなう行為の選択肢」の中から、常に「ひとつの選択肢」が選択され、「複数の選択肢」を同時に選択する状況はありません
    • 同様に、複数の「おこなう行為の選択肢」の中から、必ず「ひとつの選択肢」が選択され、何も選択しない状況はありません
    • 意志の機能特性については、3章7節 心 #分霊の心を参照してください
  • (1000/1000) 自由意志による選択は、自覚の有無に関わらず、常に絶え間なくおこなわれており、自覚して選択する場合もあれば、自覚できるものの自覚なく選択している場合もあり、無自覚的に(自覚なく)選択している場合もあります
    • あらゆる行為は、自由意志による自覚的/無自覚的な選択の結果として造り出されており、自由意志による選択なしに、行為がおこなわれる状況はありません
    • 何ひとつ行為をおこなっていない瞬間はみられないために、常に絶え間なく、瞬間瞬間の「眼前にある選択肢の幅」の中から、何らかの選択肢を選択しています
(1000/1000) 選択する自覚の有無
(1000/1000) 選択する自覚の有無
  • (1000/1000) 自由意志のおこなう瞬間瞬間の選択は、不可逆的で、ある選択肢を選択した後に、他の選択肢へ選択し直すことはできません
    • ある瞬間での「眼前にある選択肢の幅」の中から、ひとつの選択肢を選択したのならば、同時に、選択しなかった他の選択肢を「選択しない」と選択した状況を表しています
    • あらゆる行為は、自由意志による選択の結果として造化されるために、ある選択肢の選択に基づいて造化された行為は、「他の選択肢を選択しなかった」結果として造化されているともいえます
    • 例として、道を歩いていて、3方向に分かれる分岐に行き当たった場合に、一方の道へ進むと決めたのならば、同時に、他方の2方向の道へ進まないと決めたことにもなります
    • そして、進むと決めた道から途中で引き返して、他の道を選択し直すことはできません
  • (1000/1000) 自由意志のおこなう「瞬間瞬間の選択」の積み重ねによって形成された無数の習慣の総合が「生き方」を造り出し、生き方が、眼前の選択肢の幅を決定し、また、選択する選択肢へ影響を与えています
    • 本来では、眼前にある無数の選択肢の中から自由に選択できるのですが、実際には、これまでに形成した習慣の影響を受け、自覚できるものの自覚のないままに習慣に基づいて選択肢の幅を限定し、限定した選択肢の幅の中から、ひとつの選択肢を自覚的/無自覚的に選択しています
    • 限定した選択肢の幅は、分霊の成長の程度/生き方によって、世界の進化へ与える影響の方向性と、影響を与える程度が異なります
    • 成長の程度が高くなるほどに、選択できる選択肢の幅は拡がります
(1000/1000) 成長の程度と選択肢の幅
(1000/1000) 成長の程度と選択肢の幅

運命

  • (1000/1000) 運命とは、自由意志のおこなう「ひとつひとつの選択」が積み重ねられていく過程で形成された「流れ」を指しています
    • 選択された「ひとつひとつの行為」の有する方向性が、流れていく方向性を造り出し、「ひとつひとつの行為」の有する方向性の程度が、ある方向性へ流れていく強さを決定します
    • 個体の造り出した「流れ」は、これまでに個体のおこなってきた「生き方」を表しており、これからの「生き方」に影響を与えています
    • それぞれの「個体が有する流れ」は総合されて、個体の属する家庭、企業、地域、国家、惑星、などの、入れ子構造を成す「共同体(全体)の流れ」を造り出しており、「共同体の流れ」は、個体の流されていく方向性と、流されていく強さへ影響を与えます
(1000/1000) 選択による方向性の形成
(1000/1000) 選択による方向性の形成
  • (1000/1000) これまでに形成された「流れ」の有する、流れていく方向性と、方向性へ流れていく強さは、現在に、眼前に遭遇する物事を決定しています
    • 眼前に遭遇する物事へ、突然に/偶然に遭遇している状況は決してなく、これまでの「流れ」に相応する内容の物事へ、必然に遭遇しています
    • これまでの「選択の積み重ね」に基づいて形成された、流れていく方向性と、方向性へ流れていく強さは、急に変えることはできず、これからの「選択の積み重ね」によって、僅かずつ変えていくことができます
    • 個体の有する「流れ」は激流に譬[たと]えられ、激流に流されている中では、流れに逆らうこともできず、急に流される方向を変えることもできず、流される先に岩が突き出ているのならば、回避できずに衝突します
(1000/1000) 運命の激流
(1000/1000) 運命の激流
  • (1000/1000) 運命の「流れ」は、無形的な側面を土台として、有形的な側面が形成されており、有形界では、有形的な側面の一部が物的な側面として肉眼に視える物事/現象/出来事などとして現れています
    • 無形界では、無形的な側面を土台として、有形的な側面が形成されますが、物的な側面は現れません
    • 運命の流れにみられる、物的な側面は肉眼に視え、有形的な側面は肉眼には視えず霊眼に視え、無形的な側面は肉眼/霊眼には視えず意識が感じ取ります
  • (1000/1000) それぞれの個体の有する「ひとつひとつの運命の流れ」の無形的な側面が総合され、共同体(全体)の有する「大きな運命の流れ」の無形的な側面を形成し、総合された無形的な流れを土台として有形的な側面が表れます
    • ひとつひとつの運命の有形的な側面が総合されて、大きな運命の流れの有形的な側面を形成するのではありません
    • これは、肉眼/霊眼に視える無数の物的/有形的な物事/現象/出来事などのそれぞれが、直接につながりを有しているのではない状況を示しています
(1000/1000) 運命の流れを構成する側面
(1000/1000) 運命の流れを構成する側面

至言の紹介

(1000/999.1)「新約聖書マタイ福音書7.13-14」
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狭き門より入りなさい
破滅にいたる門は大きく
門へと続く道は広く踏み均[なら]されている
そして、そこから入っていく者が多い
生命にいたる門は狭く
門へと続く道は細く険[けわ]しく見つけ難い
そして、それを見い出す者が少ない
(999.2/1000)「シルバーバーチ」
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各自が自身の運命の裁定者なのです
自身の未来を自身で決定していくのです
自身の内面にある神性を発揮するか、否かは
自身で選択し決めなければならないのであって
誰かが代わりに選択することはできないのです
成長を自身で自覚して求めていかない限り
傍から成長を支援してあげることはできません

質疑応答

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自由意志について

(1000/1000)

 これまでに自由意志によって選択し、選択に基づいて形成してきた生き方(運命の流れ)が、現在の怪我や疾病の多くを造り出しています。

 再授肉して地上での生活を始める前に、自己が事前に決めた「成長に必要とする内容」を除けば、様々な症状も、傷病も、これまでに無形界/地上でおこなってきた生活の中で、全て自己が自由意志によって自覚的/無自覚的に選択し、その選択に基づいて形成された運命の流れによって造り出しているのです。決して、怪我、事故、疾病、などが偶然に起きているのではありません。現在に起きる怪我、事故、疾病、などは、必ずしも不誠実な生き方によってのみ造り出されているとは限らず、誠実な生き方へ努めていても起こり得ます。不誠実な生き方によって造り出されている状況については、3章5節 有形体 #健康を参照してください。

 なお、自己が事前に決めている「成長に必要とする内容」には、怪我/疾病/障碍を通して学び、成長へつなげるという内容が含まれている場合もあります。怪我/疾病/障碍を通して、自己の生き方を内省し、生き方を修正して成長へつなげると決めているのです。この場合には、成長へとつなげる適切な時機に、適切な内容の学びを得られる怪我/疾病/障碍を負うようになります。俯瞰[ふかん]して捉えるのならば、自己が事前に決めている「成長に必要とする内容」もまた、地上で生活する際の「運命の流れ」へ影響を与えているといえます。自己が事前に決めている「成長に必要とする内容」については、4章2節 有形界での成長 #有形界での目的/役割を参照してください。

 ただし、地上での生活を始める前に決めた「成長に必要とする内容」に含まれる、地上の生活で受ける怪我/疾病/障碍などの有形体の状況を通して学ぶ場合には、有形体に負う怪我/疾病/障碍の方向性を決めていますが、怪我/疾病/障碍の内容は事前に決めていません。実際に地上での生活を始めた後に、個体の運命の流れが、他者/社会/国家/地域の有する運命の流れから影響を受けて、有形体に負う物的な怪我/疾病/障碍の内容を決めています。物的な物事/出来事の方向性と、物的な物事/出来事の内容は異なる点に留意してください。事前に決めている「地上の生活を通して得る成長に必要とする学び」の内容は無形的であり、特定の無形的な学びの内容を得るために地上で遭遇する物的な物事/出来事の内容は様々なのです。事前に決めた「遭遇する物的な物事/出来事の方向性」が同じであったとしても、地上で生活する時代や地域、社会/国家/地域の情勢、周囲で生活する他者の有する運命の流れによっては、遭遇する物的な物事/出来事の内容は異なる場合もあります。

(1000/1000)

 あらゆる行為は、自覚の有無に関わらず、必ず自由意志による選択の結果として造化され、自由意志による選択なしに造化される行為はありません。自殺という行動であったとしても、自由意志による選択に基づいておこなっています。

 自覚のある自殺は、地上社会で用いられている「自殺」の定義に相当しており、自由意志で自覚して選択した結果としておこなわれています。特定の物的な物事に自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく囚われ拘[こだわ]り、特定の物的な物事を継続する以外に他の選択肢はないと思い込むために、特定の物的な物事から逃れるには「自殺するしかない」と捉え、止むを得ず自覚のある自殺を選択している状況が多くみられます。特定の物的な物事への囚われを解消することで、自覚できるものの自覚していなかった他の選択肢へ気づくようになり、自殺を選択しなくなります。

 一方で、自覚のない自殺は、固定観念、既成概念、などの習慣(囚われ)から影響を受けて、自由意志で自覚できるものの自覚なく選択した結果としておこなわれています。例として、「食事をしなければ肉体は痩せ細り、いずれ飢餓で死に至る」という常識(既成概念)に囚われていると、飢餓を体験した際に、死ぬことを自覚できるものの自覚なく選択してしまう場合があります。傍[はた]からは、飢餓によって死に至ったようにみえますが、有形体の使用期限に達したのではない限り、自身の有する既成概念によって、自身の用いている有形体の活動を停止させたのです。別の例として、ある大病を患[わずら]い、病から受ける苦しみが長期に渡ることで、「何としてでも回復しよう」という意志が消え去り、生きる意欲が失われてしまうと、自身は死ぬことを自覚して望んでいなくても、自覚できるものの自覚なく死ぬことを選択している場合があり、有形体の使用期限に達する前に死へ至る状況もみられます。

 必ず自由意志による自覚的/無自覚的な選択の結果として行為が造化される状況は、おこなった行為の対価/代償が、行為をおこなった自覚の有無ではなく、行為の有無(行為がおこなわれた/行為はおこなわれなかった)によって決定される状況を示してもいます。これは、自覚できるものの自覚なくおこなっている不誠実な行為であっても、行為の記録(-)の残高へ、行為に相応する程度の量が加算されることを表しています。行為の記録については、次節の4章7節 行為の記録を参照してください。

 なお、有形体が使用期限へ到達したために、自殺と呼ばれる行動を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なくおこない地上での生活を終える状況はありません。自殺は自己の自由意志による選択に基づいておこなわれますが、一方で、有形体が使用期限へ到達したのならば、自己の自由意志による選択を差し挟むことなく、運命の流れに基づいて自動的に有形体の使用を終了します。同様に、地上での役割にも、自己が自殺することで「社会へ自殺について検討/対策させるように促す」という内容はありません。地上での生活を始める前に、地上での目的/役割を遂行するのに必要とする期間を考慮して有形体の使用期限を設定しているために、有形体が使用期限へ到達する前に有形体の使用を放棄する「自殺」を地上での役割として有する状況はみられないのです。

 有形体の使用期限へ到達したのならば、老衰、疾病、事故/怪我、他殺、などの方法によって死を迎えます。どのような方法を用いて死を迎えるのかは、地上での生活を始めてから形成した個体の運命の流れ(地上での生活を始める前に死の迎え方の方向性を決めている場合を含む)だけでなく、社会や地域の有する運命の流れからも影響を受けて決まります。ただし、転落死、凍死、焼死、溺死、などにおいて、死へ至った経緯から物的には自殺と捉えられる状況であったとしても、実際には有形体の使用期限で死を迎えている場合もみられます。同様に、暴行、拷問、陵虐[りょうぎゃく]、陵辱[りょうじょく]、などを受けて死へ至る状況では、物的には他殺と捉えられる状況であったとしても、実際には自殺の場合もみられます。肉眼に視える物的な経緯/状況から、肉眼に視えない無形的な物事(有形体の使用期限、自覚的な(自覚のある/自覚できるものの自覚のない)自殺への意志の有無、など)を適切に判断することはできません。

 この質疑応答に関連する内容には、3章5節 有形体 #質疑応答の「他殺が有形体の使用期限とは、どうしても納得できないのですが?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 眼前の選択肢の中から、「適切」な選択肢を選択し続けていく積み重ねが、成長の促進へつながります。成長の促進へつながる選択が「正解」の選択肢ではない点に留意してください。

 眼前の状況に対して、自己が選択できる選択肢の幅の中に、成長するために正解の選択肢があるのではなく、また、不正解の選択肢があるのでもないのです。成長を促進する程度、あるいは、成長を退行させる程度の様々な選択肢があるだけです。現在の自己が有する成長の程度に対して、ある選択肢は成長を飛躍させる可能性があり、ある選択肢は僅かに成長を促進し、ある選択肢は成長を僅かに退行させ、ある選択肢は成長を大きく退行させる可能性があり、その様々な選択肢の中で、最も成長へとつながる程度の高い選択肢が「適切な選択肢」となります。「適切」については、1章1節 サイトを読むにあたって #質疑応答の「適切と必要は、どのように違うのですか?」も参考にしてください。

 このことは、目的地へ向かう途中にある、いくつにも分岐する道の中で、ひとつの道が正解で、他の道が誤りなのではなく、どの道を通っても目的地へ辿り着ける状況へ譬[たと]えられます。通る道によって、目的地へ辿り着くのに要する期間/時間/距離が異なるだけです。そして、必ずしも、目的地への最短時間/最短距離の道を選択する状況が適切とは限らず、回り道をすることで、美しい景色に出会い、新たな発見をする場合もあります。学びを得ようとする意志があるのならば、あらゆる体験/物事を通して学びを得られるために、眼前の選択肢の中から、成長を促進する適切な選択肢を選択しなかったとしても、成長の歩みは遅くなるものの、個性を培[つちか]い、知識の貯蔵へつながっている場合もあるのです。

 もしも、不適切な程度の高い選択の積み重ねともいえる「不誠実な生き方」によって、あまりにも大きな成長への回り道を選択したとしても、いずれは、回り道をして体験した内容が、成長へつながる足掛かりとなる可能性を有しているといえます。不誠実な生き方をしている間は、成長への学びを得ることはできませんが、その後に、誠実な生き方へ努めるようになってから、不誠実な生き方をしてきたことに後悔する苦しみの中で、これまでの生き方を省みて、成長への学びを得られるようになります。

 どのような内容の行為であったとしても、どの程度に成長を促進/退行する行為であったとしても、行為をおこなうためには、必ず、意志の有無、意志の方向性、意志の強さ、の3つを自由意志で選択する必要があります。この3つは、「行為をおこなう目的」を構成する様々なものが、行為を造化する工程に与える影響の程度を決定しています。行為をおこなう目的を構成する様々なものについては、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「行為をおこなう際の「行為の目的」とは何を表しているのですか?」を参照してください。

 ある内容の行為をおこなう際には、異なる選択肢の幅から、意志の有無、意志の方向性、意志の強さ、の3つを順次に選択しており、最も単純な選択の順序は下記になります。

  • 自由意志による1つ目の選択肢の幅では、行為をおこなうのか? 行為をおこなわないのか? の「意志の有無」を選択します
  • 自由意志による2つ目の選択肢の幅では、どのような手段/方法で行為をおこなうのか? の「意志の方向性(選択肢の方向性)」を選択します
  • 自由意志による3つ目の選択肢の幅では、どれくらいの推進力で行為をおこなうのか? の「意志の強さ」を選択します

 行為をおこなう際には、この順序で必ず選択し、異なる順序で選択される状況はありません。多くの場合では、この順序を1単位として、複数の単位が並列/並行して総合され、ひとつの行為をおこなうための選択を構成しています。ひとつの行為をおこなうための「意志の有無」は、それぞれの単位で「行為をおこなう」と選択した総合となり、「意志の方向性」は、それぞれの単位で選択した「手段/方法の方向性」の総合された方向性となり、「意志の強さ」は、それぞれの単位で選択した「手段/方法の方向性の強さ」が総合された強さとなります。眼前の状況に対して、意志の有無、意志の方向性、意志の強さ、の3つを順序に選択する「それぞれの選択肢の幅」の中に「適切な選択肢」があり、それぞれの選択肢の幅から適切な選択肢を選択した結果として、眼前の状況への適切な行為をおこなえます。もしも、順序に選択する過程で、ある選択肢の幅からは適切な選択肢を選択しているものの、他の選択肢の幅からは適切でない選択肢を選択している場合には、眼前の状況に対しておこなう行為は適切な行為ではなくなり、それぞれの選択肢の幅から選択した選択肢の有する「適切/不適切な程度」の総合が、行為の適切性を決定します。

(1000/1000) 自由意志による選択の順序と行為の適切性
(1000/1000) 自由意志による選択の順序と行為の適切性

 なお、選択した手段/方法/捉え方の発想/着想/着眼点が斬新にみえたとしても、自己に都合良く利己性/自己中心性/欲望を満たす目的で用いているのならば、その手段/方法/捉え方は無価値です。同じ手段/方法/捉え方であったとしても、誠実な目的で用いられてこそ、手段/方法/捉え方に価値が表れるのです。

 この質疑応答に関連する内容には、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「行為をおこなう際に用いる手段と、手段の有する誠実/不誠実の性質は、どのように分類されるのですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 自由意志で選択できる「眼前の選択肢の幅」は、成長の程度が高くなるほどに拡大/増大していきますが、加えて、積極的に選択肢を拡大/増大するように努めていく生き方は成長へとつながります。現在よりも高い程度を求め続ける意志(現在よりも更に適切な選択肢を探求する意志)が成長を促すように、はたらきます。

 積極的に選択肢を拡大/増大していくために、先[ま]ずは、ひとつひとつの物事に対して、現在に有している選択肢の幅の中で「適切な選択肢」を選択する必要がある点に留意してください。不適切な選択肢を選択している状況では、現在よりも更に適切な選択肢を探求することはできないのです。現在に有している選択肢の幅の中から、ある選択肢を選択した結果としておこなう自己の行為を逐一に内省し、習慣の修正へ努め、適切な選択肢を選択し続けるようになったうえで、現在に選択できる適切な選択肢よりも更に適切な選択肢を探求し始めることができるようになります。適切/不適切については、1章1節 サイトを読むにあたって #質疑応答の「適切と必要は、どのように違うのですか?」を参照してください。

 現在に選択できる適切な選択肢よりも「更に適切な選択肢」を探求していくには、現在に選択した適切な選択肢よりも「更に適切な選択肢は存在しない」という自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない思い込み、現在に選択できる選択肢の幅への固執/囚われ、などを捨て去る必要があります。どれほどに成長の程度が高くなったとしても、無限の段階で構成されている世界の中では、自己の選択できる選択肢の幅は、無限に存在する選択肢の中での僅かな範囲に過ぎないのです。

 地上社会の中でみられる具体的な例として、病院でおこなわれる医師の診療において、自己の有する医学知識、診断技術、治療方法、などの選択肢を常に拡大/増大させるように努めていないのならば、患者へ適切な(更に程度の高い)診療を提供できません。日々に増加/更新されていく症例や現代医学の知識/技術にあわせて、現在に自己の有する現代医学の知識/技術を修正し続けるように努めていくことで、患者へ適切な診療を提供できるようになります。なお、現代医学のみを学んだ医師(医療従事者)の中には、伝統医学や民間療法を軽蔑/忌避している者も多くみられますが、伝統医学/民間療法を学ぼうともせずに軽蔑/忌避しているのは、自己の有する現代医学の内容へしがみつこうとしているだけの虚勢に過ぎません。自己が伝統医学/民間療法を学び、自身を通して検証したうえで不要と判断したのであれば、患者への診療へ用いなければよいのです。診療をおこなうための法的な根拠として、現代医学を学んだうえで医師免許を有している必要はありますが、医師免許の取得に必須の現代医学へ固執し他を排除するのと、個々の患者へ適切な診療を提供できるように選択肢の幅を拡大/増大させていくのは異なります。現代医学のみへ囚われしがみついていては、同じ疾病であっても個々によって異なる体質を有している患者たちへ適切な診療をおこなえるとは限らないのです。

 現在に適切な選択肢を選択できる/選択できないに関わらず、固定観念/既成概念に基づく自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない「思い込み」は、様々な物事(選択肢の幅)へ気づかなくさせる要因となっています。日常の例として、静かな暗い夜道を歩いている際に、自己以外に周囲には誰もいないと思い込んでいるのならば、前方から歩いてきた人と至近距離で擦れ違っても気づきません。常に自己の行為を内省し、行為へ現れている固定観念/既成概念へ気づき、固定観念/既成概念の解消へ努める必要があります。固定観念/既成概念については、5章4節 固定観念/既成概念を参照してください。

 自由意志で眼前の状況に適切な選択肢を選択していく際に、外環境から物的に与えられた選択肢の幅と、自己の自由意志で選択する選択肢の幅は、同じとは限らない点に留意してください。外環境から与えられた選択肢には、眼前の状況に適切な選択肢が含まれていない場合も多くみられ、この場合では「どの選択肢」を選択したとしても、眼前の状況に不適切となります。一方で、自己の自由意志で選択できる選択肢の幅の中には、必ず眼前の状況に適切な選択肢があります。ただし、自己が常に適切な選択肢へ気づいているとは限りません。自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない思い込み、現在に選択できる選択肢の幅への固執/囚われ、などによって適切な選択肢へ気づいていないのです。

 もしも、外環境から物的に与えられた選択肢の幅の中に適切な選択肢がないと判断したのならば、自己の自由意志で選択する選択肢の幅の中にある「適切な選択肢」に基づいて、外環境へ物的に適切な選択をおこなう必要があります。言い換えると、外環境にある選択肢の幅へ、自身で適切な選択肢を造り出すともいえます。

(1000/1000) 自由意志の適切な選択で造り出された外環境の選択肢
(1000/1000) 自由意志の適切な選択で造り出された外環境の選択肢

 例として、国政の選挙で、投票する意義のある候補者がいないのであれば、「該当者なし」の投票をおこなうのも、社会/国家/地域の成長を阻碍しないための適切な選択となります。複数の候補者の中から必ず誰かを選択しなければならないのではなく、自己が自由意志で適切と判断する選択肢に基づいて、外環境へ「該当者なし」の選択肢を造り出したのです。ただし、社会/国家/地域の成長を阻碍しないための「該当者なし」の投票が、社会/国家/地域の成長を促進するとは限りません。ある候補者のほうが、他の候補者よりも「マシ」だから投票するのは、適切な選択ではありません。「マシ」だから選択するのは、与えられた選択肢の中に適切とする選択肢がなく、どの選択肢も不適切なものの、最も「不適切な程度」の低い選択肢を選択しています。

 この質疑応答に関連する内容には、4章7節 行為の記録 #質疑応答の「行為の記録へは、自己のおこなった行為のみが加算されるのですか?」がありますので参考にしてください。

運命について

(1000/1000)

 地上だけでなく、有形的/無形的な宇宙を含む世界全体の中で、「偶然」に起きる物事は何ひとつありません。あらゆる物事は、意志/意識を有する霊たち(人を含む)によって「必然」に造り出されています。霊の有する「物事を造化する意志」を原因に、その結果として物事が造り出され、結果を次の原因として新たな結果を造り出す、原因と結果のつながりが連綿と続いているのです。世界については、2章1節 世界全体の構造を参照してください。

 ただし、無限で構成される世界の中で、あらゆる物事が絶え間なく必然に造り出されている「あらゆる状況のすべて」を把握している者は存在していません。それぞれの個体が、自身の成長段階に相応する範囲/程度でのみ、物事が必然に造り出されている状況を把握できます。ある個体によって造り出された物事と、他の個体によって造り出された物事が相互に影響を与え合い、新たな物事を造り出す状況は常に起きていますが、ある個体から観た場合には、相互に影響を与え合い新たに造り出された物事の「必然性」が把握できずに、「偶然」に起きたように捉える場合もあります。しかし、新たに造り出された物事は、ある個体と他の個体によって造り出された物事が必然に相互に影響を与え合い、その結果として、新たな物事が必然に造り出されているのです。言い換えると、自己に様々な原因と結果のつながり(様々な運命の流れ)が観えない状況を「偶然」と呼び、つながりが観えている状況は「必然」と呼んでいます。あるひとつの物事に対して、つながりの観えていない者は偶然に起きていると認識し、一方で、つながりの観えている者は必然に起きていると認識するのです。

 社会の中で偶然に起きたといわれている物事は多くありますが、現在に社会の有する成長の程度(社会を構成する人々の成長の程度)、既成概念(常識の内容/強さ)、社会で共有されている知識の内容/程度、などよりも高い程度の物事や社会として共有していない内容の物事は、物事として現れている様々な原因と結果のつながりを認識できないために、偶然に起きたと呼んでいます。逆に、低い程度の物事や社会として共有している内容の物事は、物事として現れている様々な原因と結果のつながりを認識できているために、必然に起きた(現れるべくして現れた)と呼んでいます。

 現在の地上社会では、肉眼に視える物的な物事へ意識が向きやすく、物的な物事のみの原因と結果のつながりに囚われている状況が多くみられます。肉眼に視える物的な物事は、肉眼に視えない有形的/無形的な物事を原因として造り出された結果です。原因となる肉眼に視えない有形的/無形的な物事へ意識を向けていないために、結果として造り出された複数の肉眼に視える物的な物事の間でのつながりを把握できないのです。眼前に現れる肉眼に視える物的な物事を通して、その土台(原因)となる肉眼に視えない有形的/無形的な物事を把握するように努めているのならば、いくつもの物的な物事が相互に有するつながりへ気づくようになります。

 この質疑応答に関連する内容には、2章2節 大霊 #質疑応答の「書物などで、原因/結果の流れは存在しないと記載されている場合もみられますが、原因と結果の法則と矛盾していませんか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 占いからは、個体、共同体、社会、地域、惑星、などの有する運命の中で、それぞれの僅かな流れの側面を知ることができる場合もあります。占いは、「無数の物事/現象/出来事が相互につながり影響を与え合う」という大霊の法則へ気づき、体験の積み重ねによって蓄積された知識を体系化した方法です。それぞれの占いの方法によって、運命の流れを読み解く程度は様々ですが、真実度では300台を示す方法が多くみられます。また、同じ占いの方法を用いていても、占いを用いる個々によって、運命の流れを読み解いている程度は様々です。

 ただし、占いと呼ばれている全ての方法に、運命の流れを知ることができるのではありません。占いと呼ばれている方法の中には、幻想に基づいて創作された、不誠実な性質を有する占いの方法も多く存在しています。そして、未だ社会の成長の程度が低い現在の地上では、不誠実な占いがもてはやされており、多くの者が占いの内容を利己的/自己中心的に利用しています。知識を体系化して造り出された「運命の流れ」の一部を読み解く誠実な性質を有する占いは、当たる/当たらない、当てはまる/当てはまらない、という判断ができる内容ではない点に留意してください。これらの判断は、眼前の状況が自己に都合良かったのか、あるいは、都合良くなかったのか、で判断しているだけに過ぎないのです。

 なお、自己の成長にともない、無形的認識で物事を捉える程度が高くなるほどに、無数の物事/現象が相互につながり影響を与え合うことで形成され現れている様々な出来事(運命の流れ)へ徐々に気づくようになります。これは、占いを用いなくても、占いの本質を直接に理解できるようになる状況を表しているともいえます。

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 地上の生活では、自己の成長の程度や、これまでにおこなってきた生き方とは別に、地上での目的/役割へ相応するように運命の流れが組まれている側面もみられます。運命の流れは、今回の地上での生活だけでなく、これまでの地上/無形界での生活を通した自由意志による選択の積み重ねによって形成された生き方(習慣)の総合である点に留意してください。今回の地上での目的/役割は、自己が地上で生活する前に、自己の自由意志による選択として決めたのであり、今回の地上で生活を始めてから影響を受ける「運命の流れの一部」を構成しているのです。地上での目的/役割については、4章2節 有形界での成長 #有形界での目的/役割を参照してください。

 地上で生活する人には、他者の有する地上での目的/役割を正確に知ることはできないために、このサイトの著者を例として下記を記述します。

 著者の有する今回の地上での目的/役割のひとつには、「地獄/不誠実の性質と、これらの性質に基づいておこなわれる行為を外環境から学ぶ」という内容があります。これは、自身が不誠実な生き方をするのではなく、地上の生活で周囲の者たちの利己的/自己中心的な生き方や固定観念/既成概念に囚われた生き方を詳細に観察/考察し、また、睡眠中に地獄層で地獄者/地縛者たちの生活を観察/考察して、成長への模範となる誠実な生き方を模索していくことを表しています。なお、無形界で地獄層へ赴[おもむ]く場合とは異なり、有形体を有して地上で生活している期間は、自己の誠実/不誠実な生き方に関わらず、不誠実性の根源である物質の心を内包する有形体そのものが、地獄層と高い親和性を有しているために、地獄層へ容易に赴くことができます。

 先 [ま]ず、著者の地上で有形的に家族と呼ばれている者の中で、1人は強い利己性を、1人は強い自己中心性を、1人は強い欲望を有しています。これは、地上での目的/役割を遂行するにあたって、事前に、地上での生活に密接な影響を受ける両親/兄弟姉妹を適切に選定した結果となります。強い利己性、強い自己中心性、強い欲望を有しているとは、利己性/自己中心性/欲望の中で特に強く行為へ表れているものを指しており、利己性/自己中心性/欲望の中で1つのみを有しているということではありません。利己性/自己中心性/欲望の3つは不可分です。利己性/自己中心性/欲望の1つが強く表れることについては、5章3節 誘惑 #質疑応答の「同じ行動に、利己性/自己中心性/欲望のそれぞれが強く表れている状況を識別できますか?」を参照してください。

 次に、著者が自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく赴[おもむ]く地上の場所/地域、生活する場、などは、常に不誠実の程度が高く、それらの場所/地域の不誠実性に引き寄せられて、相応する不誠実な生き方をしている者たちが多く集まっています。この状況もまた、地上での目的/役割を遂行するにあたって、常に地獄/不誠実を観察/考察できるように運命の流れを形成した結果なのです。もしも、不誠実な生き方をしている者たちが集まる不誠実の程度が比較的に高い場所/地域へ赴き、あるいは、これらの場所/地域で生活するのを厭[いと]い、忌避するのならば、自己が事前に決めた地上での目的/役割を放棄していることになります。

 なお、上記の例は、「類似する性質をもつ物事/人は互いに引き寄せ集まる」という大霊の法則(類は類を呼ぶ)に反しているのではありません。地獄/不誠実を外環境から学ぶという目的/役割の内容に相応する物事/人を引き寄せるように法則が、はたらいているのです。

 この質疑応答に関連する内容には、4章10節 天使 #質疑応答の「天使たちの支援/援助は、個体の有する地上での目的/役割と、どのようなつながりがありますか?」がありますので参考にしてください。

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 個体、地域、国家、惑星、などの有する「それぞれの運命の流れ」が、自己へ困難/試練を与える状況はありますが、困難/試練は災禍[さいか]ではなく、運命の流れが自己へ災禍を降りかからせているのではありません。困難/試練と、災禍は同じではない点に留意してください。

 災禍は、外環境から自己へ降りかかってくる出来事ではなく、自己の内面から外環境へと造り出している表現だということへ気づく必要があります。例として、地震が起き、家屋が倒壊したとしても、その状況を災禍と捉えるのか/捉えないのかは、本人次第です。災禍と捉える/捉えないによって、地震が起き家屋が倒壊したという現実(出来事)が変化する状況はありませんが、降りかかってきた災禍と捉えて嘆き怒り悲しむのか、あるいは、災禍と捉えずに新しい生活を造り出す切っ掛けと捉え生き方を見直すのかは、本人が自由意志で選択できます。どちらの選択をした場合でも、復興のために多くの困難/難題と向き合う必要はありますが、前者は無形的な本人の成長を阻碍し、同時に、物的な復興を遅延させるように、はたらきます。一方で、後者は成長を促進し、同時に、復興を加速させるように、はたらきます。自己の内面という無形的な変化が、外環境へ物的な変化として現れているのです。地上の生活では、遭遇する物的な「肉眼に視える物事/現象/出来事」の内容で善し/悪し(優れている/劣っている、幸/不幸、などを含む)を判断しやすいですが、どのような内容の物事/現象/出来事へ遭遇したのか? が重要なのではなく、遭遇した物事/現象/出来事を通して、どのような内容の有形的/無形的な「肉眼に視えない学び」を得たのか? が重要です。

 運命の流れが自己へ与える困難/試練は、成長を飛躍させる可能性を有しているのと同時に、成長を退行させる可能性も有しています。成長を飛躍させるのか、あるいは、退行させるのかは、自己が困難/試練へ、どのように応対するのか? (自由意志で何を選択するのか?)で決まります。運命の流れに与えられ遭遇した困難/試練へ、向き合い乗り越えるのも、向き合わずに逃げ回るのも、自己の自由意志による選択で決められるのです。そして、困難/試練へ向き合うと強い意志で決めたのならば、必ず乗り越えることができます。これは、あらゆる運命の流れを内包し、最も大きな運命の流れを構成している大霊は「愛そのもの」であり、愛は成長を促すために困難/試練を与えても、愛が成長を退行させるために困難/試練を与える状況はないためです。

 自己の外環境に現れる運命の流れも、自己の内面(内環境)に保存している習慣も、突然に急激に変化せず、徐々に変化する特性を有しており、物事の捉え方や造化した表現が習慣を形成し、特定の習慣を強め/弱め、習慣の総合が運命の流れを造り出しています。同様に、運命の流れが習慣の形成/強化/弱化に影響を与えています。経験へ保存されている習慣と、自己の有する運命の流れは、同じ内容のものを土台としており、土台となるものから現れた側面のひとつが「習慣」であり、別の側面が「運命の流れ」となります。内面に保存している無数の習慣と、外環境に現れる運命の流れは、表裏一体で不可分なのです。

 習慣/運命の流れの「土台となるもの」を、有形的な文字/言語/図表で表現できず、表現するための語も存在しませんが、無形的に感じ取ることはできます。世界全体を大海に譬[たと]えた場合に、習慣/運命の流れの「土台となるもの」は潮流に相当し、個々の有している習慣/運命の流れ、家庭/企業/国家/社会/惑星/銀河圏などの共同体の有する運命の流れ、世界全体の運命の流れ、のそれぞれは海面/表層/中層/深層の潮流から現れたものに相当します。海面の潮流が個体の習慣/運命の流れとして現れる土台となり、深層へ近づくほどに拡い範囲の運命の流れとして現れる土台となります。各層の「潮流そのもの」が、直接に習慣/運命の流れを表しているのではない点に留意してください。そして、同じ層にある無数の潮流は相互に影響を与え合い、また、深層の潮流が中層の潮流へ、中層の潮流が表層の潮流へ、表層の潮流が海面の潮流へ影響を与えているのと同時に、海面の潮流は表層の潮流へ、表層の潮流は中層の潮流へ、中層の潮流は深層の潮流へ影響を与えています。潮流が相互に影響を与え合う結果として、潮流を土台に現れる「それぞれの範囲(個体/共同体)の有する運命の流れ」も相互に影響を与え合っていることになります。

(1000/1000) 大海の譬えと習慣/運命の流れ
(1000/1000) 大海の譬えと習慣/運命の流れ

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 成長にともない、自己の有する運命の流れや、他の様々な運命の流れを把握しやすくなりますが、それでも把握しているのは、全体の中での僅かな部分に過ぎず、自己という個体の運命であったとしても、その全体を把握することも、明確に把握することもできません。

 同様に、個体の運命を内包し、個体の運命よりも更に大きな流れを形成している、家族、地域、国家、惑星、などの運命も、一部を不鮮明に知ることはできる場合もありますが、全体を把握することはできず、また、明確に把握することもできません。これは、小川の流れに流されている木の葉には、小川の流れの全体をみることはできず、また、小川の流れには、いくつもの小川が合流する大きな河川の流れを把握できず、大きな河川の流れには、いくつもの河川が注ぎ込む大海の潮の流れを把握できないことへ譬[たと]えられます。木の葉には、現在に流されている周囲の一部がみえるだけで、ましてや、河川や海の流れを知る由[よし]もないのです。

 この質疑応答に関連する内容には、4章4節 覚醒 #質疑応答の「覚醒者が、大きな運命の流れに逆らうことなく、流れに乗っていくとは、具体的にはどのような内容を指しているのですか?」がありますので参考にしてください。

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 他者のおこなった不誠実な行為の後始末をおこなわねばならない状況へ遭遇するのは、自己の成長へつなげるために、運命の流れによって現れているためです。この状況を自己が頻繁に被[こうむ]るのは、自己が事前に、地上での目的/役割として決めている場合が多くみられます。地上での目的/役割については、4章2節 有形界での成長を参照してください。

 個体としての認識ではなく、全体としての認識からみると、他者が利己的/自己中心的におこなった行為の後始末を自己がおこなわねばならないのは、自己に「物的な愛の行為をおこなう機会」が与えられたと捉えることができます。愛の行為をおこなう機会が与えられたと自己へ信じ込ませる(思い込ませる)のではなく、自己/他者の運命の流れの総合として、自己の成長へつなげるための機会が与えられた状況を指しています。これは、誰にでも与えられる機会ではなく、自己の成長へつなげることができる可能性を有している者に与えられ、成長へつなげられる可能性のない者へは与えられません。愛の行為については、5章6節 愛の行為を参照してください。

 他者が利己的/自己中心的におこなった行為の後始末に対して、自己が、自己の自由意志に基づいて、どのような内面の状況で対応するのかによって、成長を促進するようにもなれば、成長を阻碍/退行させるようにもなるのです。怒り/苛立ち嫌々ながらに対応するのも、精神の騒響[ざわめき]を鎮め自己が他者と同じような行為を自覚できるものの自覚なくおこなって他の者へ後始末させていたのかもしれないと内省しながら丁寧に対応するのも、自己の自由意志で決められます。もしも、他者が利己的/自己中心的におこなった行為の後始末へ、自己を内省しながら対応するのであれば、自己の未だ自覚できるものの自覚していない囚われや、利己性/自己中心性/欲望へ気づく切っ掛けにもなり、自己の成長へと役立てることができます。

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 大霊の原因と結果の法則に基づいて、あらゆる物事は必然に起きており、偶然に起きる物事はありません。自己が遭遇する眼前の状況も全てが必然に起きているために、眼前の状況に遭遇している意味を考察するのは、自己のこれまでの生き方へ気づく切っ掛けとなります。自己の生き方は、自己の有する習慣の総体が表れているために、習慣を修正して、生き方を「自己の願う方向性」へ徐々に変えていくことで成長へつながるようになります。

 ただし、自己が眼前の状況に遭遇している「意味を考察する」ことは、眼前の状況に遭遇している「理由付けをする」のではない点に留意してください。眼前の状況が瞬間瞬間の自己にとって都合が良い/都合が良くない、あるいは、都合が悪いために、眼前の状況へ遭遇している意味を造り出すのではないのです。理由付けについては、5章2節 幻想 #幻想による特徴ある行動を参照してください。

 自己が眼前の状況に遭遇している意味を考察するとは、自己という個体の観点から、眼前の状況を自己の都合に基づいて捉えるのではなく、全体の観点から、全体の流れの中で自己の眼前に現れた状況として捉えることを指しています。これは、川に流されている木の葉(自己)が、川の流れの中から木の葉の状況を捉えようとするのではなく、川の流れ全体を上空から俯瞰[ふかん]して木の葉の状況を捉えることへ譬[たと]えられます。

 絶え間なく移り変わる眼前の「ひとつひとつの状況」に対して、自己が、どのように応対/反応/判断するのかは、自己の自由意志による選択へ委ねられており、眼前の状況で選択できる無数の選択肢を大別すれば、現在の成長段階よりも成長を促進する選択と、成長を退行させる選択のどちらかを、常に選択することができます。眼前の状況に対して選択できる選択肢の幅は、成長を促進する程度、あるいは、成長を退行する程度の違いを表しており、選択した選択肢の成長を促進/退行する程度(誠実/不誠実の程度)によって、選択後からの運命の流れが、選択した選択肢に相応する方向性へと徐々に向いていくようになります。

(1000/1000) 選択が造り出す運命の流れと成長
(1000/1000) 選択が造り出す運命の流れと成長

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