覚醒

4章 成長の構造 - 4節 覚醒

個々の記述の真実度: 999.2-1000
節全体の真実度: 1000
節全体の活動性: 1000

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覚醒とは

  • (1000/1000) 覚醒とは、地上/惑星圏無形界での、学びの修了資格を得る成長段階へ移行した状況を指しており、無形界で無限に学び続けるための、「初歩の成長の仕方」を学べた段階を表しています
    • 成長とは何か? を実感し、自覚して積極的に成長していくことへ覚醒[めざ]めた段階といえます
    • 覚醒の段階へ至ることが、地上で生活する者たちが共通して有している「地上での目的」のひとつとなります
    • 覚醒は、内的成長度で600以上の段階に相当する成長の程度であり、覚醒の程度によって、更に、初期、中期、後期、の3つの段階へ区分されます
  • (1000/1000) 覚醒の成長段階へ至ることは、終着点ではなく、今後の永遠に学び成長していくためのスタートラインへ立てた出発点を表しています
    • 地上/惑星圏無形界での生活/成長は遊戯場での学びに譬[たと]えられ、宇宙圏無形界で始まる初等教育を受けるための準備をしているのです
    • 宇宙圏無形界での生活が、分霊としての本格的な成長の始まりです
  • (1000/1000) 地上で生活している期間に覚醒の段階へ至る/至らないは、地上へ誕生する前に、事前に決められているのではなく、本人の真摯に成長を求める意志と、成長の実践に委ねられています
    • 他者が、覚醒へ至るための道を指し示すことはできても、覚醒させてくれる(成長させてくれる)状況はありません
    • ただし、地上へ再授肉する前に、相対的に成長の程度が高く、地上で覚醒へ至る可能性の高い者は、覚醒後に担う「地上での役割」が、事前の合意によって決められている場合もあります
    • 多くの者は、覚醒の段階へ至る(有形界での学びの修了資格を得る)ように努めることが、事前の合意事項となります

覚醒の成長段階への移行

  • (1000/1000) 覚醒の成長段階へ移行するには、下記の3つの条件を満たしたうえで、経験の機能特性へ保存されている習慣の総合として表される「分霊の成長の程度」が、覚醒の段階に相当する程度まで向上する必要があります
    • 1つ目の条件は、同調している活動性の程度(内的成長度の同調値)が、覚醒の段階に相当する600以上を維持している必要があります
    • 2つ目の条件は、行為の記録の残高が(+)/(-)ともに清算されている必要があります
    • 3つ目の条件は、内的成長度で500台に相当する成長段階での学びを修了している必要があります
    • 内的成長度については前節の4章3節 内的成長度、行為の記録については4章7節 行為の記録、各成長段階での学びについては4章1節 分霊の成長 #体験を通した学びを参照してください
  • (1000/1000) 覚醒の成長段階への移行は、「一度のみ」の不可逆的な移行ではなく、もしも、分霊の成長の程度が、覚醒の段階に相当する程度よりも低い程度へ下降したのならば、内的成長度で500台以下に相当する「覚醒未満の成長段階」へと戻ります
    • 覚醒の段階へ移行したとしても、成長の程度を維持/向上し続けなければ、覚醒未満の段階へと下降していくようになりますが、何度でも、覚醒の段階へ移行し直すことができます
    • 覚醒未満の段階へと下降した後に、再度に、覚醒の段階へ移行するには、上記の、覚醒の成長段階へ移行するための3つの条件を満たし直したうえで、成長の程度を覚醒の段階に相当する程度まで向上させる必要があります

覚醒の段階

  • (1000/1000) 覚醒の段階では、次の段階へ移行する都度に、認識/理解の程度、造化する表現の程度、などの次元も移行していきます
    • 次元の移行は、覚醒未満の段階にはみられない、意識の大きな変容をともないます
    • 覚醒の段階では、無形的認識に基づく物事の捉え方を主軸に物事を捉えるようになり、更に、段階の移行にともない、物事を捉える立ち位置と、捉える範囲に変化がみられるようになります
    • 覚醒の段階での無形的認識に基づいて物事を捉える具体的な例として、鉱物、植物、無脊椎動物、大地、大気、大海、湖川、などの物的な自然環境の無数につながりあう変化を、それらを絶え間なく造化している無形界の造化の担当者たちが有する「造化の目的」を包括して認識/理解しており、物的な物事の変化を通して、あらゆる物的な物事の土台となる無形的な物事を観ています
    • 加えて、人/脊椎動物たち分霊のおこなう、思考、感情、発言、行動、記述、挙措、態度、などの行為を、彼ら自身が自覚している行為の目的、自覚できるものの自覚していない行為の目的、自覚できない行為の目的、意志の強さ、固定観念/既成概念(囚われ)、利己性/自己中心性/欲望の有無/強さ、なども総合して認識/理解しています
    • 次元については、2章1節 世界全体の構造を参照してください

覚醒初期

  • (1000/1000) 覚醒初期の段階は、内的成長度で600-700未満の段階に相当し、これまでの地上/惑星圏無形界での生活では体験したことのない、認識の次元の移行を、初めて体験することになります
    • 認識の次元は5次元に相当し、移行にともない意識の大きな変容を感じ取り、これまでの覚醒未満の段階とは全く異なる物事の捉え方をおこなうようになります
    • 初めて体験する意識の大きな変容のために、全身に表現のできない痛み、外環境の光/音に非常に過敏となる、酩酊感に類似したふらつき、などを感じる状況もみられ、この段階へ覚醒/成長に関する知識を有しないままに移行すると、検査/診断不能の心身症を患[わずら]ったように受け止める場合もあります
    • 意識や認識の急激な変化により、これまでの日常生活を送れなくなる状況も多くみられますが、意識の変容へ徐々に適応していくことで、様々に感じていた症状も徐々に減退していきます
  • (1000/1000) 日常的な物事の捉え方が、無形的認識に基づく捉え方となり、個体の観点ではなく、全体の観点から物事を捉え、行動するようになります
    • 無形的認識に基づく捉え方で、有形界の内から、有形界の物的な物事/現象を捉えます
    • 覚醒の段階へ移行する前に、有形的認識に基づいて捉えていた肉眼に視える物的な物事/現象を、無形的認識に基づいて捉え直します

覚醒中期

  • (1000/1000) 覚醒中期の段階は、内的成長度で700-850未満の段階に相当し、認識の次元は6次元へ移行します
    • 徐々に「閃き」を造化する頻度が増加し、閃きを日常の生活へ活用できる程度も高くなります
    • 無形的認識に基づく捉え方で、有形界の内から、有形界の物的/有形的/無形的な物事/現象を捉えます
    • 無形的認識で捉え直した肉眼に視える物的な物事/現象に加えて、肉眼に視えない有形的/無形的な物事/現象を無形的認識に基づいて捉え、物的/有形的/無形的な物事/現象を総合して認識/理解するようになります
    • 閃きについては、3章9節 精神 #表現の種類を参照してください
  • (1000/1000) 有形体への囚われ/固執がなくなり、自己という認識/主観性と有形体は完全に分離します
    • 有形体は、自己ではなく、地上の生活で用いる道具と明確に自覚するようになるために、有形体へ必要とする最低限の意識のみを向け、必要とするよりも多くの意識は向けなくなります
    • 有形体の様々な状況への関心がなくなり、老いへの恐れ、死への怯えも消滅します
  • (1000/1000) 自己は「あるがままに在る」と理解し、運命の流れに気づき、流れへ不自然に逆らうことなく、流れへ自然に乗っていくようになります
    • 眼前の状況を、個体の都合で判断しようとせずに、全体から捉えて考察するようになります
    • 運命の流れについては、4章6節 自由意志/運命を参照してください

覚醒後期

  • (1000/1000) 覚醒後期の段階は、内的成長度で850-1000の段階に相当し、認識の次元は7次元へ移行します
    • 誘惑からの干渉や、不誠実な性質の表現を造化する習慣に基づいて造化される不誠実な表現を、自覚できるものの自覚しないままに造化する状況はなくなり、造化した際には明確に自覚するようになります
    • 「閃き」と「直観」が、日常の行動を決定するようになり、個体の思惑/感情で行動する状況はなくなります
    • 物事/現象を捉える基点が転換し、無形的認識に基づく捉え方で、有形界の外から、有形界の物的/有形的/無形的な物事/現象を捉えます
    • 有形界の中から認識/理解していた物的/有形的/無形的な物事を、有形界の外から捉え直します
    • 覚醒後期の段階未満で、有形界の内から有形界の物事/現象を捉えるのならば、有形界に適用されている法則を包括して捉え難いために、有形界に適用される法則に基づいて、ある物事/現象が起こり得る/起こり得ない、有り得る/有り得ないを明確に判断し難いです
    • 一方で、覚醒後期の段階で、有形界の外から有形界の物事/現象を捉えるのならば、有形界に適用されている法則を包括して捉えやすいために、有形界に適用される法則に基づいて、ある物事/現象が起こり得る/起こり得ない、有り得る/有り得ないを明確に判断できます
(1000/1000) 捉える基点の転換
(1000/1000) 捉える基点の転換

覚醒者の特性

  • (1000/1000) 覚醒者の外見(有形体の3次元の側面)は、人型の形状をしたままですが、無形体の形状は人型をしていません
    • 覚醒者の有する認識は、多くが無形的認識によって占められているために、無形体の形状が、有形的認識に基づいて規定された人型ではなく、特定の規定をしない無形的な形状で造化されています
    • 無形体の形状については、3章4節 無形体 #無形体の形状を参照してください
(1000/1000) 有する認識と形状
(1000/1000) 有する認識と形状
  • (1000/1000) 自己と森羅万象には分離がなく、統合された「ひとつ」なのだと理解し、統合された状況を実感しています
    • 肉眼に視える物的な3次元の範囲では、自己と森羅万象は分離した存在に視えていますが、自己の有する認識の程度が、有形界を構成する3,4次元の範囲よりも高い「5次元以上」へ移行しているために、有形界の森羅万象は、自己の認識の中で「ひとつ」に統合されています
    • 5次元以上への認識の移行は、物事の捉え方が、個体を基点とする認識から、全体を基点とする認識へ移行している状況を表しています
  • (1000/1000) 完全な受容性、安らぎ、静謐が、「自己そのもの」と自覚しています
    • 自己は、物体(有形体)ではなく、霊であると明確に自覚しているために、地上で自己に危害を加えることのできる物体は存在せず、自己の造化する不誠実な表現のみが、自己に危害を加えることができるのだと理解しています
    • 自己を脅[おびや]かす対象が、地上の外環境には一切に存在していないと理解しているために、外環境の変化に反応して、恐れ/怯えに基づき、騒響を引き起こす表現を造化する状況がなくなるのです
  • (1000/1000) 地上で生活する個々のそれぞれが、全体/社会の中で担う「独特の役割」を有していると明確に理解しています
    • 地上で生活する人には、地上で生活する他者の役割を正確に知ることが大霊より許可されていませんが、覚醒者は、他者が全体の中で担う役割の「おおよその内容」を把握しています
    • 現在に生活する地上に、同じ内容の役割を有している者は同時に存在せず、その役割を遂行できるのは本人のみと理解しているために、自己/他者の遂行する役割を尊重し、役割の遂行を決して妨[さまた]げません
    • 全体の中で担う役割については、4章2節 有形界での成長 #有形界での目的/役割を参照してください
  • (1000/1000) 自己を、無形界から地上へ愛/叡智を届けるための道具(霊媒)であると自覚しています
    • 道具であることに喜びを感じ取り、常に有用な道具でありたいと強く願っています

至言の紹介

(1000/1000)「瀞沁」
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覚醒へ至るのは統計的には稀かもしれませんが
当選するのが稀な宝くじとは異なり
真摯に成長を求めるのならば
誰でも覚醒へ至ることができます
成長を求め実践する強い意志を保ち続け
日々に成長を積み重ねていくのならば
必ず至ることができるのです
(1000/1000)「瀞沁」
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有用な道具でありなさい
湧き溢れる愛を滞りなく流せる水車のように
充溢する叡智を満帆に受け止め回る風車のように
常に自由自在に扱われるように在り続けるのです

質疑応答

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覚醒全般について

(1000/1000)

 覚醒と変性意識は異なります。覚醒/変性意識は、双方ともに、内的成長度(同調する活動性の程度)で600以上を示す活動性の程度へ同調している状況を表しています。

 覚醒は、内的成長度600以上の活動性の段階に相応する学びを経たうえで、その段階の活動性へ同調しているために、同調は恒常的で、分霊の成長に基づいて成されています。成長の程度が、内的成長度600以上に相当する程度にあるのです。加えて、日常の意識に占める心の割合は、大霊の心が、分霊の心/物質の心の合計よりも多くを占めており、内的成長度の最高値/同調値で600以上を示すようになります。意識に占める心の割合については、3章8節 意識 #分霊の活動性と意識を参照してください。

 一方で、変性意識は、内的成長度600以上の活動性の段階に相応する学びを経たうえで同調していないために、同調は短時間/一時的で、天使たちの支援/援助を受けて成されています。成長の程度は、600未満に相当する程度にあります。加えて、日常の意識に占める心の割合は、物質の心が、大霊の心よりも多くを占めており、内的成長度の最高値は600以上を示している場合もみられますが、同調値は600未満を示すようになります。

 ただし、変性意識は、意識に占める心の割合で、物質の心が、分霊の心/大霊の心の合計よりも多くを占める、内的成長度200未満に相当する成長の程度では起こりません。変性意識は、内的成長度200以上600未満に相当する成長の程度でみられ、内的成長度600に相当する成長の程度へ近づくほどに、変性意識の状況を比較的に長く持続させることができるようになります。

 この質疑応答に関連する内容には、6章3節 質疑応答 #各節に含まれない質疑応答の「神秘体験、一瞥体験、サット-チット-アーナンダ、などと呼ばれている状況は何ですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 覚醒と悟りは、全く同じ定義ではありません。「悟り」と呼ばれている定義の中に、「覚醒」が含まれています。

 悟りと呼ばれている状況は、意識の変容を指しています。意識の変容は、同調する活動性の程度が上昇するのにともない認識の程度が向上し、外環境を認識する程度/範囲や、精神で表現を造化する程度が変化するために感じ取ります。意識の変容を感じ取る程度は様々にあり、大きな変容(大悟)もあれば、中程度の変容(中悟)、少しの変容(小悟)、自覚しないほどに僅かな変容もあります。現在の成長の程度に関わらず、短期間に同調する活動性の程度が大幅に上昇する(認識の程度が大幅に向上する)と意識の大きな変容を感じ取りやすく、一方で、同調する活動性の程度が徐々に向上すると中程度/少し/僅かの変容を感じ取りやすくなります。加えて、「認識の次元」の移行や、生き方の性質/程度が移行する「区切り」を越えることでも、大きな変容を感じ取ります。

 覚醒とは、認識の次元が4次元から5次元へ移行して意識の大きな変容を感じ取る「区切り」を表しており、地上/惑星圏無形界での学びが修了した段階を指しています。覚醒の成長段階の中では、5次元から6次元や、6次元から7次元への移行でも意識の大きな変容を感じ取ります。覚醒未満の成長段階でも意識の大きな変容を感じ取る状況はみられるものの、意識の大きな変容を感じ取るだけでは、地上/惑星圏無形界での学びの修了資格を得たことにはならない点が、覚醒の成長段階への移行と異なります。

 意識の大きな変容を感じ取る「区切り」は、内的成長度で200、500、600、700、850へ移行した際にみられ、600以降は覚醒の成長段階に相当します。なお、覚醒と呼ばれ、地上/惑星圏無形界での学びの修了資格を得るのは、内的成長度(同調する活動性の程度)が600を越えた際ではなく、成長の程度が600に相当する段階を越えた際となります。覚醒未満での「区切り」となる段階については、4章3節 内的成長度 #内的成長度の段階を参照してください。

(1000/1000)

 覚醒の成長段階を表す「地上/惑星圏無形界での学びの修了資格を得る」とは、今後に宇宙圏無形界で学ぶための「最低限の基礎を学び終えた状況」を指しています。地上/惑星圏無形界で学び尽くしたために、これ以上は「学ぶ内容が無くなった状況」を指しているのではありません。地上/惑星圏無形界で学ぶ内容は無限にあります。

 地上/惑星圏無形界で学ぶ内容の中で、宇宙圏無形界で学ぶための最低限の基礎となる内容は僅かでしかありません。地上/惑星圏無形界で学ぶ内容の多くは、個々の有している個性を養うためにあります。宇宙圏無形界で学ぶための最低限の基礎となる内容を、鉛直方向へ伸びる細い階段として捉えた場合に、個性を養うための内容は、水平方向へ無限に拡げられる床に相当します。

 地上/惑星圏無形界での学びを譬[たと]えると、大学で医学の基礎を学び、一定の段階まで学びを修了すれば(各種試験の合格/通過を含む)、医師免許を取得し医師として活動することが許可されますが、医師となった後に医学から学ぶ内容が無くなってしまう状況はなく、学ぶ意志があるのならば際限なく学ぶことができ、学んだ内容は日々の診療活動へ活かせるようになります。

(1000/1000)

 無形界から覚醒者を道具として使用する用い方は様々ですが、無形界から直接的に覚醒者を操作する方法ではなく、「閃き」などの間接的な通信方法を通して用いられます。通信方法については、2章7節 無形界の仕事 #質疑応答の「スピリチュアリズムと呼ばれているはたらきかけは、地上へ帯同しておこなわれているのですか?」を参照してください。

 通信方法からみると、無形界から地上へ直接的な通信方法を用いて通信する場合は、地上で生活する人が「ある種の個性の方向性」を有しているのを最低限の条件としており、ある種の個性の方向性を有している者は、地上では「霊媒」と呼ばれています。ある種の個性の方向性を有していない者を直接的な通信方法で用いることはできません。一方で、無形界から地上へ間接的な通信方法を用いて通信する場合は、地上で生活する人の誰に対してでもおこなえます。地上で「霊媒」と呼ばれている者については、3章1節 人全体の構造 #質疑応答の「霊媒と呼ばれている人たちは、特殊な人体構造や能力を有しているのでしょうか?」も参考にしてください。

 地上で、覚醒者の中には、ある種の個性の方向性を有している者もいますが、ある種の個性の方向性を有している/有していないに関わらず、未覚醒者に比べると、覚醒者は相対的に同調する活動性の程度が高く、無形界/天使から送信された印象を受信する程度も、受信した印象へ意識を集中する程度も、受信した印象の内容を認識/理解する程度も高いです。そのため、間接的な通信方法を用いても、無形界から通信するのに必要とする様々な工程が比較的に少なくて済むことで通信回線を維持しやすく、通信内容(印象の内容)の損失/劣化を抑えて通信品質を低下させ難くできます。間接的な通信方法を用いても、印象の内容を伝えやすく、通信効率を高く維持できることから、直接的な通信方法を用いる必要がなくなります。

 間接的な通信方法を用いる際には、地上で生活する人の同調する活動性の程度が低くなるほどに、無形界/天使から送信された印象を受信する程度や、受信した印象の内容を認識/理解する程度も低くなります。天使たちは、できる限り印象を受信しやすくするために、多くの工程を追加して通信回線を維持するように努めるのですが、工程が追加されることで通信回線は維持され印象を受信しやすくなるものの、受信した印象の内容は送信された時点での印象の内容から劣化しやすくなり(通信品質の低下)、結果として、通信効率も低くなります。通信品質を低下させてでも、通信効率が低くなってでも、通信回線を維持して印象を送信しなければ、印象を受信させることができない点に留意してください。印象を受信できないのならば、どれほどに通信品質の高い印象の内容も無価値になってしまうのです。この状況を電話での対話に譬[たと]えると、自己が相手から電話を受けた際に、自己が着信を知らせる電話の受話器を取り、相手の話す音声を聴かなければ、どのような内容を相手が伝えようとしていたとしても、自己には伝わりません。相手の話す音声が雑音で聴き取り難かったとしても、音声が途切れ途切れで聴き取り難かったとしても、先[ま]ずは自己が受話器を取る必要があるのです。無形界/天使からの印象の送信/受信については、4章10節 天使も参考にしてください。

(1000/1000) 同調する活動性の程度による通信効率
(1000/1000) 同調する活動性の程度による通信効率

(1000/1000)

 覚醒者が有する「地上での役割」に共通するのは、地上での「成長への模範」を示すという内容だけであり、個々の有する役割の詳細によって、おこなわれる物的な行動は様々です。覚醒者の有する役割の例には下記が挙げられます。

  • インドの覚醒者として名の知られている、ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、ラメッシ・バルセカール、らは、覚醒初期の段階での物事の捉え方、意識の受ける感覚、などについて叙述する役割を有していました
  • マザー・テレサ、マハトマ・ガンジー、らは、物的な愛の行為の模範を示す役割を有していました
  • アメリカのデヴィッド・ホーキンズは、地上での成長の過程を示す役割を有していました
  • ジェームズ・レッドフィールドは、成長の実践方法を紹介する役割を有しています
  • イギリスのダグラス・ハーディングは、有形的認識から無形的認識へ移行する実践方法を紹介する役割を有していました

 そして、名の知られていない多くの覚醒者たちも、それぞれの役割を遂行しています。

覚醒者の人数

(1000/1000)

 日本に在住する、覚醒の成長段階にいる者の人数は下記のようになります。

 日本に在住の定義は、日常生活の拠点が日本にある状況としています。そのため、人数の増加に関与するのは、国内で分霊の成長の程度が内的成長度で600以上に相当する段階へ移行した者、国外より日本へ移住した覚醒者(生活の拠点を日本へ移した)、が相当します。一方で、人数の減少に関与するのは、有形体の使用期限を迎えた者、分霊の成長の程度が内的成長度で600未満に相当する段階へ下降した者、国外へ移住した覚醒者(生活の拠点を国外へ移した)、が相当します。国外へ渡航中の者(日本が生活の拠点)、国外より日本へ渡航中の者(国外が生活の拠点)は、人数の増減に関与していません。

 覚醒者の多くは、地上で生活を始める前の「事前の合意」により、地上での生活で覚醒に至るのか/至らないのかに関わらず、覚醒後の役割に適した地域をあらかじめに選択したうえで、地上へ誕生しており、覚醒者の国外/日本への移住は、事前に合意した役割に含まれていない限り、稀にしかみられません。地上へ誕生した時点から覚醒後の役割に適した地域に生活しているとは限りませんが、覚醒後に役割を遂行する時点では、役割に適した地域で生活します。

(1000/1000) 日本の覚醒者の人数
(1000/1000) 日本の覚醒者の人数

 覚醒初期の成長段階で人数の増減が頻繁にみられ、中期/後期でほとんど増減がみられないのは、覚醒の段階へ移行した際に感じ取る意識の大きな変容や、認識の変化を、自覚して受け入れているのか/受け入れていないのか、が影響しています。

 覚醒初期の成長段階では、認識の程度、物事の捉え方、などが、覚醒未満の段階とは大きく変化した状況へ、違和感、戸惑[とまど]い、などを感じている場合が多くみられます。しかし、誰もが変化を明確に自覚し、変化を積極的に受け入れているとは限りません。特に、覚醒初期の前半の段階(内的成長度で600台前半に相当する成長の程度)では、これらの変化を心身症、精神病、脳疾患、などとして捉え、病院へ通院している場合もみられます。変化を積極的に受け入れていないのならば、同調する活動性の程度を高めて、成長の程度を更に向上させていくことはできません。変化に対して消極的で、変化を拒絶しているのならば、同調する活動性の程度は下降し、続いて、成長の程度も下降(退行)していきます。成長の程度が覚醒の段階よりも下降した場合には、覚醒者の人数には含まれなくなります。

 ただし、覚醒の段階へ移行したことのある者の多くは、自覚の有無に関わらず、成長を求めており、誠実な生き方をおこなうように努めているために、成長の程度が覚醒未満の段階へ下降したとしても、短期間のうちに、覚醒の段階へ再度に移行する場合もあります。これらの者が、覚醒の段階と覚醒未満の段階との境界付近で移行を繰り返しているために、覚醒初期の段階での、覚醒者の人数に増減がみられやすくなります。

 覚醒初期の後半(内的成長度では600台後半に相当)、また、覚醒中期/後期の成長段階では、認識の程度、物事の捉え方、などの変化を、自己の成長という観点から積極的に受け入れています。自由意志で自覚して選択しない限りは成長の程度が下降(退行)するような生き方をしないために、相対的に低い覚醒の段階や覚醒未満の段階へ下降する状況は稀であり、覚醒中期/後期の段階での、覚醒者の人数の増減はほとんどみられなくなります。覚醒初期の前半段階から更に成長の程度を高めて、覚醒中期/後期の段階へと移行していくには、個体という範囲から全体へと拡大し続ける認識/意識の変化を、一切の抵抗感を抱くことなく受け入れ、更に、積極的に変化を求めていく強い意志を必要としているともいえます。

 なお、覚醒初期の段階で大きな変化を感じる、認識の程度、物事の捉え方、などの無形的な変化を積極的に受け入れようとしない状況が、有形体に様々な症状として物的/有形的に現れる原因となっています。そのため、覚醒初期は、本人の自覚の有無に関わらず、変化を積極的に受け入れていくのに必要とする「現在に自己へ現れている変化についての明瞭/明確な回答」を切実に求めている段階でもあります。これは、成長していくための知識を必要としているともいえます。この切実な求めに対して、覚醒初期の段階に比べると、相対的に極めて低い成長の程度しか有していない地上の社会が、適切に、明瞭/明確に応答してくれる状況はありません。覚醒初期の前半段階にいる者たちの多くは、八方塞がりとも表現できる大きな苦しみを抱えているのです。

(1000/1000)

 現在の地上全体で存命している覚醒者の人数は、2013年当時よりも増加の傾向はみられますが、徐々に増加している程度であり、急増はしていません。デヴィッド・ホーキンズ[David R. Hawkins]と、このサイトで用いている「覚醒者」の語の定義が異なっているために、筋反射検査を用いて測定される人数に差異が表れているのです。筋反射検査については、1章3節 筋反射検査を参照してください。

 様々な書物の内容を比較する場合には、それぞれの書物で用いられている語の定義を明確に把握する必要があります。同じ「覚醒者」という語であっても、語を用いる著者によって定義は様々であり、同じ語を用いて人数を測定しても、定義が異なっているのならば、測定される人数も異なります。用語の定義については、6章2節 書物を読む際の留意点を参照してください。

 デヴィッド・ホーキンズの用いていた覚醒者の定義に基づく、2013年頃の地上全体で存命している人数は、おおよそ6人と測定されていますが、一方で、このサイトで用いている覚醒者の定義では、おおよそ33人となります。デヴィッド・ホーキンズの用いていた覚醒者の定義は、「意識レベル600以上の者」とされていますが、詳細な定義は本人のみが明確に理解しており、本人以外が明確に理解することはできず、推測するしかありません。意識レベル600以上とは、このサイトの内容では、表現へ付与される活動性の程度が600以上を指しているために、意識レベル600以上の者は、日常的に表現/行為へ付与する活動性の程度が600以上の者を表している、あるいは、人数を測定した時点(日時)で表現/行為へ付与していた活動性の程度が600以上の者を表していると推測されます。

 このサイトで用いている覚醒者の定義は、「地上/惑星圏無形界での学びの修了資格を得る成長段階にいる者」を指しています。地上/惑星圏無形界での学びの修了資格を得る成長段階にいる者は、成長の程度が内的成長度(同調する活動性の程度)で600以上に相当しており、日常的に表現/行為へ付与する活動性の程度が600以上となります。ただし、表現/行為へ付与する活動性の程度は、常に同調する活動性の程度と同等の程度を付与しているとは限らず、同調する活動性の程度よりも大幅に低い程度を付与している場合もあります。

 筋反射検査で人数/数値を測定する際には、宣言文に用いた語の定義にみられる僅かな違いが、差として表れやすくなります。覚醒者の人数を測定する場合では、「覚醒者」という語の定義の違い、「現在の時点」という語の定義の違い、などが挙げられます。特に、「現在の時点」という語は、測定する瞬間の時点を表している場合もあれば、測定する直近の数日を表している場合や、測定する週/月/年(今週/今月/今年)を表している場合もあり、測定者によって定義に大きな違いがみられやすいです。

 なお、2023年4月時点での、地上全体に存命する覚醒者の人数は、95人です。

 この質疑応答に関連する内容には1章3節 筋反射検査 #質疑応答の「ある書物へ記述された内容について測定した真実度/活動性の程度が、以前に測定した値と今回に測定した値で僅かに異なるのは、どちらかの測定値が誤っているのでしょうか?」がありますので参考にしてください。

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 覚醒の成長段階へ移行した後の役割を有する者は、他者/社会の成長の程度を「重点的に高める必要のある地域」で生活(誕生)する場合が多くみられます。現在の地上の社会は、どの地域であっても未だ成長の程度が低いために、様々な地域の中でも、社会の成長の程度が「大幅に退行している地域」、あるいは、成長の程度が低い他の地域よりも「更に成長の程度が低い地域」で、成長を推進する先導者としての役割を担っています。なお、地上社会では、覚醒者が断続的に現れる地域(国/地方)を「聖なる地」として崇[あが]める傾向がみられますが、これは、覚醒者(聖者)への偶像崇拝が生み出した誤認に過ぎません。実際には逆であり、何時[いつ]までも地域社会が成長しないために継続して現れているのです。

 ただし、覚醒の成長段階へ移行した後の役割を有する者が、地上の生活で覚醒の成長段階へ必ず移行するとは決まっていない点に留意してください。覚醒の成長段階へ移行するのか/移行しないのかは、本人の地上での生活へ委ねられています。覚醒の成長段階へ移行した後の役割を有していても、覚醒の成長段階へ移行しないままに、有形体の使用期限を迎える者も多くみられます。

成長段階の移行

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 「明け渡す(surrender)」という表現は、自己という意識を、個体から全体へ明け渡すという定義で用いられています。これは、個体としての認識/感覚に囚われしがみつかないこと、そして、全体としての認識/感覚を受け入れ、意識の受ける感覚に全体の認識/感覚が占める割合を拡大していくことを表しており、覚醒の段階への移行だけでなく、相対的に高い活動性の程度へ同調していく際に共通しています。意識の受ける感覚に占める割合については、3章8節 意識を参照してください。

 ただし、「明け渡す」という表現では、個体としての自己を消滅させて、全体へ融合するような誤解を与える可能性も含んでいます。全体の認識/感覚が、どれほどに意識の受ける感覚での大きな割合を占めたとしても、自己という意識が消滅する状況はなく、個体は全体の一部として認識しています。意識が受ける感覚では、「個であって全、同時に、全であって個」とも表現できます。

 このサイトで紹介している瞑想の方法では、吸気とともに意識を透明/精細/無重へと移行し、同時に、呼気で意識を拡大していく過程で、個体という認識/感覚は全体の認識/感覚へと沈み込んでいき、個体を全体の一部として認識するようになります。この認識/感覚の移行は、没我と呼ばれるほどの、強い意志で意識を一点へ集中することによって成されます。その際に、個体としての認識/感覚にしがみついていると、高い活動性の程度への同調や意識の拡大を阻碍する点に留意しておく必要があります。瞑想の方法については、5章5節 祈り / 瞑想を参照してください。

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 地上の生活で、覚醒未満の段階から、覚醒の成長段階へ移行した後も、成長を求める強い意志があるのならば、更に覚醒の各段階を移行していくことができます。成長を求める強い意志は、現在の成長段階に関わらず、成長を促す推進力として、はたらくのです。

 覚醒の段階では、意識の拡大にともない、個体と個体の区別がなく、無数の個体を内包する全体を「自己」と認識しているために、自己が強い意志で成長を求めることは、個体としてではなく、個体を含む全体の成長を促進させる状況を指しています。個体の成長のために、覚醒の各段階を移行していく状況はなく、全体の成長を促進するために、「個体を成長させる必要がある」と捉える強い意志が、覚醒の各段階を移行させていくようになります。全体の成長を促進するために、「個体を成長させたい」のではなく、「必要があるから個体を成長させる」という点に留意してください。必要よりも多くを求めているのではなく、不足しているから、不充分だから、必要としているのです。

 ただし、個々が地上で有する覚醒後の役割によっては、覚醒の初期から中期、あるいは、中期から後期の段階へと移行することなく、現在に属する段階へ自覚できるものの自覚なく留まる場合もあります。これは、成長を求める意志が弱まり失われたのではなく、役割を遂行するために、次の段階へ移行するよりも、現在の段階に留まるほうが適切な場合もあるためです。覚醒の段階では、覚醒未満の段階(4次元)と異なり、初期/中期/後期の各段階を移行するごとに、認識の次元も移行(5-7次元)するために、覚醒後の役割に「最も適した認識の次元」を有する段階に留まるようになります。決して、後期の段階での7次元に基づく認識が、どのような役割の遂行にも適しているとは限らないのです。

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 はじめに、覚醒後の役割に最も適した認識の次元を有する段階に留まるようになることについては、この節の質疑応答の「覚醒の成長段階へ移行した後も、成長を求める強い意志があれば、更に覚醒の各段階を移行していけるのでしょうか?」を参照してください。

 覚醒の段階が初期/中期/後期へと移行していくのにともない、認識の次元も移行(5-7次元)していきますが、認識の次元が変化するということは、個体の観点から捉えると、地上社会の生活で断念しなければならない内容が増加していく状況を指してもいます。社会の有する成長の程度(4次元)と、自己の有する成長の程度(5-7次元)の間にある乖離が拡大していくために、社会での様々な物事の捉え方が周囲の者たちと大きく異なるようになります。周囲の者たちと物事の捉え方が異なれば、会話(意思の疎通)、お互いの行動、などが噛み合わず、成り立たなくなり、必然的に、社会で周囲に支障を与えることなくおこなえる活動の選択肢は減少していきます。成長の程度が高くなるほどに、周囲へ与える影響力は増大しますが、その反面として、周囲の者たちがおこなう物的な活動を「阻碍しないようにおこなえる活動」は減少していくのです。

 そのため、地上での覚醒後の役割によっては、次元の移行が、地上の社会/個体へおこなう役割の遂行へ大きな支障を与える状況もみられるようになるために、役割を遂行するうえで、できる限り支障を与え難い次元の段階へと自覚できるものの自覚なく留まるようになるのです。覚醒の初期の段階では、初期の段階で有する認識の特性によって、個々への物的な支援/援助が愛の行為の中核を成す場合が多くみられますが、一方で、覚醒の中期/後期の段階では、中期/後期の段階で有する認識の特性によって、社会全体/地上全体への無形的な支援/援助が愛の行為の中核を成す場合が多くみられます。

 ただし、成長の程度が覚醒の中期/後期の段階へ移行したのならば、個々への物的な支援をおこなう状況の一切がなくなるのではありません。成長の程度が覚醒の中期/後期の段階へ移行しても、個々への物的な支援が必要な場合には積極的におこないます。覚醒の中期/後期の段階で有する認識の特性によって、個々への物的な支援/援助をおこなうのが困難なだけであり、社会全体/地上全体への無形的な支援/援助を愛の行為の中核として常におこないながらも、必要な場合には、個々への物的な支援/援助をおこないます。この「必要な場合」とは、個体が判断しているのではなく、天使たちによって、個々への物的な支援/援助が必要と判断された場合を指しています。単に個々への物的な支援/援助をおこなうのではなく、おこなう支援/援助を通して、支援/援助される者の成長を促し、また、全体の成長へとつながる場合におこなわれます。なお、個々への物的な支援/援助や、社会全体/地上全体への無形的な支援/援助は、日常的におこなわれる愛の行為を指しているのではなく、地上での役割に基づいておこなわれる愛の行為を指しています。日常的におこなわれる愛の行為は、覚醒の各段階に関わらず、また、物的や無形的に関わらず、「眼前の状況に適切な行為」を率先しておこないます。

 地上での覚醒後の役割に適した段階へ自覚できるものの自覚なく留まる具体的な例として、マザー・テレサ[Mother Teresa]を紹介します。マザー・テレサの成長段階は、覚醒初期の後半の段階(内的成長度で650-700未満に相当)にありました。そして、啓示を受け、啓示に従ってスラム街でおこなってきた活動の目的(地上での覚醒後の役割)は、個々へおこなう物的な支援/援助を通して、それぞれの個体へ無形的な「愛を喚起する」ように促すことにありました。もしも、覚醒中期、あるいは、後期の段階へと移行して、無形的な「愛を喚起する」ように促すという役割を遂行するのならば、個々(それぞれの個体)へ物的な支援/援助を通しておこなうのは、認識の次元の違いから困難となるために、個々に対してではなく、社会全体/地上全体へ、無形的な支援/援助を通しておこなうようになります。マザー・テレサの成長段階は覚醒の初期に属していましたが、マザー・テレサが日常的に造化する行為/表現へ付与していた活動性の程度は、おおよそ700台前半(700-749)です。覚醒者は、常に天使たちの多大な支援/援助を受けて役割を遂行しているいるために、成長の程度や、同調する活動性の程度よりも高い活動性の程度が行為/表現へ付与されています。

 参考までに、マザー・テレサたちが活動の中心としていたスラム街には未誠実な程度の生き方をしている者たちが多くを占めており(不誠実な生き方をしている者は比較的に少なかった)、彼らへの物的な愛の行為を通して、彼らが愛へ気づくように促していました。加えて、マザー・テレサたちの活動へ参加/協力するボランティアたちにも、愛を学び、愛を拡げる機会を提供していました。

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 覚醒者に限らず、あらゆる分霊に「特別」という区分はありません。天使たちの支援/援助は、大霊の法則に基づき、すべて「公平/公正」におこなわれます。特別という区分は、地上の人が創り出している優越感を得るための幻想に過ぎないのです。

 覚醒者が地上で遂行する役割の内容は、大勢の天使たちからの多大な支援/援助を必要としているのであり、大勢の天使たちの多大な支援/援助なしには役割を遂行することができないのです。大勢の天使たちからの多大な支援/援助を必要とする役割には、高い活動性の程度へ同調しておこなう活動を求められる内容が多いために、比較的に高い活動性の程度へ同調している覚醒者に、それらの役割がみられるだけに過ぎません。そのため、未覚醒者であっても、役割の遂行に大勢の天使たちからの多大な支援/援助を必要とする場合には、そのように取り計らわれます。決して、大勢の天使たちからの多大な支援/援助を必要とする役割が、覚醒者のみに限られているのではありません。

 有している役割の内容とは別に、強い意志で自己を自己以外のために役立てようとするのならば、強い意志に基づく誠実な活動性(祈り)に呼応して、多くの天使たちが集まり、必ず支援/援助してくださいます。「自己を自己以外のために役立てようとする」思いが、決して見放される状況はないのです。

 なお、地上の歴史上では、覚醒者の一部の者たちは、本人たちの望まぬままに、崇められ、神聖視され、人を超越した存在として特別視されてきました。逆に、奇人、変人、魔女、などとして危険視され、投獄/処刑されてきた覚醒者たちもいました。これらは、覚醒者の周囲の者たちが、自身のために特別視/危険視したいだけであり、覚醒者本人たちには一切の関係がありません。他者を神聖視/特別視する、あるいは、自己を神聖視/特別視してもらいたいのは、常に不誠実な生き方をしている者たちが、自身の虚栄心/優越感を満たすために相手を利用しているだけに過ぎません。

 神聖視/特別視は、幻想の捉え方に基づいて自覚しておこなわれている行動です。誠実な生き方をしている者でも幻想の捉え方をする状況はみられますが、物事/相手を誠実に捉えるように努めているために、自覚しておこなわれる神聖視/特別視をする状況はみられません。ただし、不誠実な生き方をしている者たちは、神聖視/特別視という行動を自覚しておこなっていますが、虚栄心を満たしたいという目的は自覚できるものの自覚していない場合が多くみられます。神聖視/特別視は、覚醒者に対してだけでなく、社会の中では、スポーツなどで優秀な成績を残している者、芸能人、アイドル、著名人、事業家、などに対しても頻繁におこなわれています。幻想の捉え方については、5章2節 幻想を参照してください。

 地上では、有形体の内包する物質の心から絶え間なく誘惑の影響を受け続けているために、特別扱い、特権、優遇、などを受けると、自己の利己性/自己中心性/欲望を満たすために、狡猾に利用するようになる状況が多くみられます。特定の人物、役職、企業、国家、などへ特権を付与している/優遇している企業/国家/組織/団体/機関/機構は、現在は特権/優遇が機能して円滑に運営されているとしても、いずれは機能不全を引き起こし、運営を阻碍/停滞させるようになります。例として、為政者の免責特権、国際機関での固定された(入れ替わりのない)常任理事、決議の拒否権、超法規的な執行権、などが挙げられます。なお、特定の者への配慮は、優遇ではありません。配慮は公平性に基づいておこなわれますが、一方で、優遇は不公平を助長するように、はたらきます。ただし、個々によって同じ語を用いていたとしても、語の定義は様々なために、社会で用いられている配慮/優遇などの語で公平性を判断するのではなく、ひとつひとつの状況で語を用いている目的から公平性を判断する必要があります。

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 はじめに、未覚醒の段階から覚醒初期の成長段階へ移行して意識の大きな変容とともに現れる、全身に表現のできない痛み、外環境の光/音に非常に過敏となる、酩酊感に類似したふらつき、外環境から切り離されたような現実感のない感覚、強い浮遊感、などは、現在の社会の成長段階に相応する医学の水準では診断も把握もできない点に留意してください。社会の成長の程度が、物的な有形体へ生命の本質(意識/精神などを含む)を求める誤謬[ごびゅう]から脱却して、霊が生命の本質であり有形体は霊の用いる道具と認識する段階へ至れば、医学で把握できるようになる可能性があります。また、覚醒初期の段階へ移行した全員に同様の状況が現れるとは限らず、同様の状況が現れる程度も個々によって異なります。

 覚醒初期の成長段階へ移行して現れる様々な状況は、医学では、離人感/現実感消失症、解離症、解離性障碍、統合失調症、などと診断されている場合もあります。様々な症病として診断される根本的な原因は、覚醒者本人が覚醒/成長に関する知識を明確に有していないままに覚醒の段階へ移行したことにあり、医学の診断に不備や誤りがあるのではないのです。ただし、医学で診断されている内容は、覚醒の段階への移行で現れる状況とは土台が異なります。離人感/現実感消失症、解離症、などと診断される症状の土台には、自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない恐れ/怯えがありますが、一方で、覚醒者の「外環境から切り離され現実感を感じられなくなった」ように認識している状況の土台に恐れ/怯えはありません。覚醒の段階へ移行して現れる現実感のない認識/感覚は、実際には5次元の認識に基づいて「外環境との強い一体感/統合感」を感じ取っているのですが、これまでに属していた4次元の認識では体験したことのない認識/感覚のために、外環境から切り離され現実感を感じられなくなったように覚醒者本人が誤認/錯覚しているのです。

 加えて、覚醒者(5-7次元)と地上の社会(4次元)では、認識の次元が異なっているために、「現実とは何か?」の定義に質的な違いがみられます。医学の診断は、常に、地上社会での「現実」の定義に基づいておこなわれている点に留意してください。また、地上の歴史では、覚醒者の有する「現実とは何か?」の定義が社会と異なるために、覚醒者は、異端、奇人、変人、危険人物、などとみなされ、魔女狩り/迫害の対象にもなってきました。物的な観点から捉えると、覚醒者と、地上社会/地上で生活するほとんどの人々との「現実とは何か?」の定義が異なるために、覚醒者の周囲に多くの「人の協力者」が集まっていたとしても、覚醒者は常に孤独を感じているといえます。なお、認識の次元が段階ごとに移行する覚醒初期/中期/後期でも、「現実とは何か?」の定義がそれぞれ異なります。

覚醒者の特性

(1000/1000)

 覚醒者が、自己の認識している物事を描写する際に、表現に用いる「非二元性(Nonduality)」、あるいは、「一元性(unity)」とは、物事を2つの極性からなる一軸線上での尺度(二元性/Duality)で捉えようとせずに、軸線の全体を包括して捉える方法を指しています。非二元性の捉え方は、一体性、全体性、統合性、などとも言い換えることができ、無形的認識に含まれる「認識の方向性」に基づく捉え方です。非二元性/一元性は、語の異なる同じ定義ですが、非二元性は「二元性ではない」という側面が強調されている表現であり、一方で、一元性は「二元性の軸線を包括している」という側面が強調されている表現です。

 極性は、自己/他者、善い/悪い、過去/未来、遠い/近い、速い/遅い、重い/軽い、高い/低い、する/しない、できる/できない、などの、対となる内容で構成されており、対となる極性を結ぶことで、ある尺度を用いて物事を捉える軸線を形成します。例として、過去/未来の極性からなる軸線上では、軸線上にある「現在」という基点から、昨日、一昨日、1ヶ月前、1年前、また、明日、明後日、1ヶ月後、1年後、などの尺度によって物事を捉えるようになります。二元性/非二元性(有形的認識/無形的認識)による時間/距離/空間の捉え方については、2章3節 有形界の構造 #有形界の時間/空間2章4節 無形界の構造 #無形界の時間/空間を参考にしてください。

 二元性の軸線上にある物事を捉える基点は、軸線上で移動する場合があります。例として、気温が同じ15度であっても、真冬には暖かく感じ、真夏には涼しく感じるようになります。これは、暖かさ/涼しさの極性からなる軸線上で、真冬/真夏で捉える基点の位置が異なり、同じ気温であっても捉え方が変化しているためです。

(1000/1000) 二元性/非二元性の捉え方
(1000/1000) 二元性/非二元性の捉え方

 なお、個体/全体、存在/非存在、誠実/不誠実、などの表現は、対となる極性を構成しているのではありません。全体とは非個体を表しており、全体の中には、成長の程度に相応して認識できる無数の個体が含まれています。また、存在とは、成長の程度に相応して認識できる範囲にある「もの」を表しており、現在の成長の程度では認識できない範囲にある「もの」が非存在となります。不誠実とは、成長の程度に相応して「誠実」と認識する以外を表しています。個体/全体、存在/非存在、誠実/不誠実、などは軸線を成していないのです。地上での覚醒の成長段階では、非二元性の捉え方で全体を包括して物事を捉え始めるために、全体から捉えた自己という個体の存在と、全体の中での自己という個体の非存在について学ぶようになります。

 非二元性の捉え方は、覚醒者が自己の認識している物事を描写する際に用いている状況が多くみられますが、覚醒の成長段階にみられる捉え方の特性ではありません。覚醒の成長段階へ移行したから非二元性の捉え方をするのではなく、どのような成長段階であっても、現在に自己の有する認識の程度よりも相対的に低い程度での二元性の捉え方を、自己の認識の程度で包括した非二元性として捉えることができます。

 ただし、非二元性の捉え方は無形的認識と密接に関連しているために、無形的認識が有形的認識よりも比較的に優勢となる覚醒の成長段階(5次元以上の認識の程度)で、非二元性での捉え方を自覚しやすくなります。逆に、有形的認識が無形的認識よりも比較的に優勢な覚醒未満の成長段階(4次元の認識の程度)では、二元性での捉え方へ意識が向きやすく、非二元性での捉え方を自覚し難いですが、非二元性の捉え方で物事を捉えるように努めていく過程で自覚できるようになります。

 二元性/非二元性の捉え方は相対的であり、認識の程度によって、二元性/非二元性で捉える範囲が変化する無限の入れ子構造を成しています。自己の認識の程度よりも相対的に低い程度での「対となる極性で構成された軸線上」で捉える二元性の捉え方を、現在に自己の有する認識の程度で包括して非二元性として捉えます。この非二元性で包括して捉えた範囲は、現在に自己の有する認識の程度での「対となる極性で構成された軸線上」で捉える二元性の捉え方の一部を構成しています。自己の有する認識の程度が向上していくのにともない、以前の認識の程度で「非二元性」として捉えていた範囲は、現在の認識の程度で捉えると「二元性の一部」であったと気づくようになります。

(1000/1000) 二元性/非二元性の入れ子構造
(1000/1000) 二元性/非二元性の入れ子構造

 非二元性/一元性によって「軸線上での捉え方を包括して捉える」とは、中立、中庸、中道、などの捉え方とは異なります。中立/中庸/中道の捉え方は、軸線上での捉え方を指している点に留意してください。中立/中庸とは、軸線上にある選択肢の幅の中から、どちらの極性にも偏ることのない「均衡の保たれた選択肢」を自由意志で選択する状況を表しており、中立/中庸では語を用いる方向性に違いがみられます。中道とは、眼前のひとつひとつの状況において、常に中立/中庸を選択し続ける過程を表しています。一方で、非二元性の捉え方では、自由意志で選択する選択肢が軸線上にありません。ただし、自由意志で選択する選択肢が「軸線上での捉え方を包括する」というひとつのみなのではなく、軸線上での捉え方を包括した無数の選択肢があります。非二元性の捉え方による「軸線上での捉え方を包括した無数の選択肢」は、無形的認識に基づいているために有形的な文字/言語などで表現できませんが、自身の体験を通して実証/実感することができます。

 地上社会では、個体でも、企業/国家/社会などの共同体でも、軸線を成す一方の極性側での捉え方に基づいて行動した後に、何らかの切っ掛けによって、反対の極性側での捉え方に基づいて行動する「振り戻り」が多くみられます。均衡の保たれた捉え方となる「軸線上の中点」に近い捉え方/行動ほどに、振り戻りは小さいものの、一方で、中点から遠く離れた捉え方/行動ほどに、大きな振り戻りがみられ、極端な捉え方/行動から、対となる極端な捉え方/行動へ移り変わりやすいです。これは、振り子の動作に譬[たと]えられ、振り子は同等の振れ幅で交互に振り戻り、一方へ大きく振れるほどに反対側へも同等に大きく振れるのです。振り戻りの大きさに関わらず、軸線上での捉え方に基づく行動は、不安定で移[うつ]ろいやすく一貫性が弱い状況を表しています。軸線上での捉え方を包括して捉えているのならば、捉え方/行動が安定しており、高い一貫性がみられます。

 日常の生活の中では、ある物事は軸線を包括して捉えているものの、他の物事は軸線上で捉えている状況が混在してみられます。多くの物事を、自己が現在に有する認識の程度に相応する「非二元性/一元性」で包括して捉えるように努め行動することで、現在に必要とする成長の学びへつながるようになります。

(1000/1000)

 覚醒者が、「運命の流れに逆らわず、流れに乗っていく」生き方は、無形的な生き方を表しているために、その生き方を有形的な文字/言語で描写するのは困難です。そのため、下記には、物的/有形的に表現が可能な範囲での、いくつかの具体的な内容を記述します。

 1つ目として、自己の認識する物事/現象は、すべてが自己の成長の程度、個性、などに相応する捉え方に基づいており、他者は他者の成長の程度、個性、などに相応する捉え方に基づいて物事/現象を認識していることを理解しています。自己と他者が同じ物事を捉えていても、同じ捉え方をしているのではないと理解しているので、自己の意見を他者へ押し付ける状況はなく、他者の意見へ配慮しますが、他者の意見を自己へ強要される状況も容認しません。これは、他者の自由意志による選択を尊重するとともに、自己の自由意志による選択も尊重していることを表しています。なお、自己の意見を他者へ押し付ける状況はありませんが、他者が自身の自由意志で選択する「選択肢の幅」へ気づくように促すために、選択肢の提案をする状況はあります。自由意志で選択する選択肢の幅については、4章6節 自由意志/運命を参照してください。

 2つ目として、自己の遭遇する出来事は、自己のこれまでの生き方や、地上での目的/役割に基づいており、決して偶然に降り掛かってきたのではないことを理解しています。起きる出来事に、興奮、憤[いきどお]り/怒り/苛立ち、失望、悲哀、楽しさ/嬉しさ、などを感じる状況なく、静かに受け入れ、考察し、成長へとつなげるように努めています。起きる出来事の中には、個体の運命の流れに影響を与える「事前に決めた有形体の体質」や「現在の有形体の状況」、地上で生活する地域/家族/共同体/民族/国家/惑星などの有する「個体の運命の流れが様々な範囲で総合された運命の流れ」を受け入れることも含まれています。

 3つ目として、天使たちの計画に基づく導きや、自己の理性/気づきから成る、「内なる声」へ誠実に従うように努めています。これは、自己の思考を停止し、考察する意志を放棄して、盲目に従うということではありません。全体の意志の中では個体の意志など些末であり、全体の意志を蔑[ないがし]ろにして個体の意志(利己性/自己中心性/欲望や固執/囚われを含む)を押し通しても大した結果は現れず、全体の意志へ沿うように行動することが、適切な時機に、適切な場で、適切な結果を生み出せると理解しているからです。なお、自己の自由意志による選択をしないのではなく、自己の自由意志で「全体の意志へ積極的に従う」と選択しています。

 重要なのは、「運命の流れに逆らわず流れに乗っていく」生き方が、自己が何をおこなっても流されていくだけなのだと諦[あきら]め、漫然と流されていくのではない点にあります。寧[むし]ろ、積極的に流れを観察し、流れる方向性や流れる速さを予測/推測/察知したうえで、流れの適切な時機に、流れの適切な場所で、流れに適切な行為をおこなえるように努めているのです。漁撈[ぎょろう]に譬[たと]えると、大海の様々な潮の流れを観て、潮の流れる方向、潮の流れる緩急(速さ)、潮の流れが合流/分離する場所、海の深さ(水深)、海底の岩礁の位置/大きさ、魚群の行動、などを把握し、それぞれの時期に、それぞれの地点で適切な行動をおこなう状況といえます。予測/推測/察知については、5章2節 幻想 #質疑応答の「期待が幻想に基づく行動で、成長するには消し去る必要があるのならば、今後に起こる物事も予測/推測しないということですか?」も参考にしてください。

 覚醒者/未覚醒者に関わらず、また、現在の成長の程度に関わらず、他者や社会に対して、現実に基づく鮮明な観察/考察をしていくように努めることで、同時に、あるがままに捉えるように努めることで、他者/社会への無用な思考/感情を造化しなくなります。これは、他者/社会を観察/考察しなくなるのではなく、他者/社会へ無関心になるのでもなく、他者/社会への不要な疑問が減少し、必要な疑問が増加する状況を表しています。現実に基づく鮮明な観察/考察とは、幻想の捉え方を差し挟むことなく、眼前の状況を拡く詳細に観察し、他者の行為や様々な物事/現象/出来事の「相互のつながり」を把握していく状況を指しています。あるがままに捉えるとは、特定の方向性から偏重して捉えずに、できる限り多くの方向性から均等に捉える状況を指しています。幻想の捉え方については5章2節 幻想、あるがままに捉えることについては5章1節 修養の生活 #質疑応答の「物事をあるがままに捉えるには、どのようにすればよいのでしょうか?」を参照してください。

 他者/社会を幻想に基づいて捉える、先入観/偏見に基づいて捉える、特定の情報/知識から偏って捉える、などによって不要な疑問を生み出し、更に、不要な疑問が無用な悩み(思考の円環から抜け出せない状況)や、不誠実な思考/感情の造化へつながりやすくなります。現実に基づく鮮明な観察/考察や、あるがままに捉えるように努めることで、不要な疑問、無用な悩み、不誠実な思考/感情の造化、などへ意識が分散しなくなり、必要な疑問へ意識が集中するために、必要な疑問が次から次にと湧き浮かぶようになります。そして、湧き浮かんでくる必要な疑問を逐一に解決していく過程が、世界の実相/生命の真相への気づき、成長の学び、貯蔵する知識の増大へつながり、成長を促進するように、はたらくのです。

(1000/1000)

 はじめに、成長の程度に関わらず、眼前の物事/現象へ自覚して意識が向くと、意識の向いた範囲を中心視野で捉えるようになり、その他の範囲を周辺視野で捉えています。なお、中心/周辺視野の「視野」と、このサイトで用いている内的構造での処理を表す視場/視域/視野/視点/視座の「視野」は全く同じ定義ではありません。中心/周辺視野は、肉眼/霊眼で視た視界の範囲内での物事/現象から情報を受け入れる「受け入れ方」を指しています。視場/視域/視野/視点/視座については、3章6節 内的構造 #視場/視域/視野/視点/視座の違いを参照してください。

 中心視野で捉えるとは、視界内にある自覚的に認識できる範囲の一部を自覚して認識している状況を指しており、有形体/無形体を通して認識しています。一方で、周辺視野で捉えるとは、視界内にある自覚的に認識できる範囲の中で、自覚して認識している一部以外を自覚できるものの自覚なく認識している状況を指しており、無形体を通して認識しています。中心視野/周辺視野ともに視界内での認識を表しており、視界外での認識は含まれていません。有形体/無形体を通して自覚的に認識できる範囲については、3章8節 意識 #質疑応答の「自覚的/無自覚的に認識できる範囲と意識の範囲には、どのようなつながりがありますか?」を参照してください。

 覚醒者は、眼前の物事/現象を周辺視野で視ようと努めているのではありません。意識の拡大にともない、眼前(視界の範囲内)の物的/有形的/無形的な物事/現象だけでなく、視界の範囲外での無形的な物事/現象も自覚して認識しており、眼前の物事/現象だけに意識が向いていないのです。視界の範囲に限定されることなく、視野外にも意識を敷衍[ふえん]しているために、結果として、視界内では中心視野で捉える内容が減少し、周辺視野で捉える内容が増大しており、更に、視界外で捉える内容も増大しています。これは、視界内/視界外を同等に均等に自覚的に認識しているともいえます。自覚的に認識している内容が視界内に偏重していないのです。

(1000/1000) 認識の偏重と均等化
(1000/1000) 認識の偏重と均等化

 そのため、周囲の者からは、覚醒者が眼前の物事/現象を肉眼で注視している(中心視野で捉えている)ようにみえても、本人は、視界の範囲外にある物事/現象へ意識を集中しており、眼前の物事/現象を自覚して認識していない場合もあります。ただし、眼前の物事/現象を周辺視野で自覚できるものの自覚なく認識しています。加えて、覚醒者が物的な行動をおこなう際にも、中心視野で捉えて行動しているとは限らず、視界内/視界外の自覚的に認識できる範囲全体を認識したままで、周辺視野で認識しながら物的な行動をおこなっている場合もあります。これは、覚醒者が有形体(肉眼で視る状況を含む)を自己と認識しておらず、自己の用いる道具と認識しているためです。有形体を通しておこなう物的な行動そのものは有形体を統御している物質の心へ任せてしまい、自己は行動の目的へ意識を集中しているのです。

 覚醒者が視界を周辺視野で捉えているからといって、視界の物事を周辺視野で捉えるように努めても、認識の程度(同調する活動性の程度/成長の程度)は向上しない点に留意してください。無形的な変化が物的な変化を造り出し、逆に、物的な変化が無形的な変化を造り出す状況はないために、視界を周辺視野で捉えるという物的な行動を模倣しても、物的な行動の土台となる無形的な側面(認識の程度)は変化しません。

 なお、あらゆる行為をおこなう際に、行為の一点へ意識を集中しますが、「意識を集中する」のと、「中心視野で捉える」のは、同じではありません。視界内/視界外の自覚的に認識できる範囲全体を認識することへ「意識を集中させる(中心視野では範囲全体を認識できない)」場合もあるためです。同様に、「意識を一点へ集中する」のと、「意識の範囲を拡大する」のも相反しているのではありません。意識の範囲を拡大することへ意識を集中させる場合もあるためです。

 この質疑応答に関連する内容には、2章6節 無形界の生活 #質疑応答の「視界とは肉眼/霊眼で視える範囲を指しているのですか?」、また、3章4節 無形体 #質疑応答の「地上で無形体を通して認識できる範囲が有形体の周囲に限らないのであれば、地上全体の様々な物事/現象を視て聴くこともできるのですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 積極的に対話/講演をおこなう覚醒者もいれば、対話/講演を全くおこなわない覚醒者もいるのは、覚醒者の個々が有する地上での役割と関係していますが、それ以前に、誰にでも、自身の有している経験(習慣/技術)の内容/強さによって、おこなう活動の得手/不得手はあります。地上での生活を始める前に、個々の有する習慣の内容/強さに基づいて表れる「おこなう活動の得手/不得手」を考慮したうえで、今回の地上での役割を決めています。

 覚醒者の有する様々な地上での役割は、地上へ愛/叡智を拡め、成長の模範となる生き方を実践して、他者/社会の成長を先導することに総括されます。覚醒者(加えて霊的指導者)の中には、地上へ愛/叡智(知識)を拡める目的で積極的に対話/講演をおこなうものの、自身で書物は記述しない者もいれば、一方で、書物は記述するものの、対話/講演をおこなわない者もいます。また、対話/講演も書物の記述もせずに、物的な行動を通した献身のみをおこなう者や、無形的な祈りのみをおこなう者もいます。どのような行動であったとしても、成長の模範となる生き方を実践している点は共通しているのです。

 対話/講演と書物の記述から、おこなう活動の得手/不得手をみると、大霊/天使たちから自己へ送信された印象の内容に基づいて、精神で造化した「無形的な印象としての思考」の内容へ意識を集中したままで「印象としての思考」の内容を言語へ変換して、言語へ変換された「有形的な思考」の内容を逐次に(一気に)発言するのを得手としている者もいれば、不得手としている者もいます。得手としている者は対話や講演などに適しているといえます。一方で、「印象としての思考」の内容へ意識を集中したままで「印象としての思考」の内容を文字へ変換して、文字へ変換された「有形的な思考」の内容を繰り返し検証/修正しながら記述するのを得手としている者もいれば、不得手としている者もいます。得手としている者は書物の記述やウェブサイトへの掲載などに適しているといえます。有形的/無形的な思考については、3章9節 精神を参照してください。

 なお、不得手としているから特定の行動をしないということではなく、特定の行動が必要とされる状況や、特定の行動が現在に遂行する地上での役割の段階/進捗状況で必要とされるのであれば、積極的におこないます。覚醒者は、自身が「無形界から地上へ愛/叡智を拡めるのに用いられる道具」であると明確に自覚しているために、自己の都合で不得手だから臆する/消極的になるという状況はみられません。地上で有する役割のすべてが得手とする内容だけとは限らず、不得手とする役割が含まれている場合もありますが、不得手とする役割の遂行へ専心/献身することが自己の成長へもつながるのです。地上での役割については、4章2節 有形界での成長を参照してください。

 おこなう活動の得手/不得手は、個々の有している経験(習慣/技術)の内容/強さと関連しており、個性の方向性とは関係がありません。個性の方向性は、おこなう活動との親和性に関係があります。自身の有する個性の方向性と、おこなう活動の方向性との親和性が高い(方向性が類似している)ほどに、おこなう活動が得手となる傾向はみられるものの、不得手であったとしも親和性が高い場合もみられます。

 おこなう活動の得手/不得手と関連する「経験(習慣/技術)の内容/強さ」は、本人の修練の程度で決まり、個性の方向性と、おこなう活動の方向性との親和性が高いほどに積極的に修練へ努める可能性も比較的に高いために修練の程度は高くなり、得手となりやすいです。個性の方向性と、おこなう活動の方向性との親和性が高くても修練の程度が低いのならば、不得手のままとなります。一方で、個性の方向性と、おこなう活動の方向性との親和性が低いのならば、積極的に修練へ努める可能性も比較的に低くなるために不得手のままですが、地上での目的/役割、生活状況、就いている職務、などによって修練へ努める必要性があるのならば、徐々に得手となります。

(1000/1000)

 書物などで掲載されている内容にみられる「自己を世界そのものと実感する」とは、自己の成長の程度で認識できる範囲内(自己が認識する世界)での全体そのものと実感する状況を表しており、無限の大霊(無限の世界/無限の全体)を指しているのではありません。自己の認識する世界は、無限の世界から受け入れた情報を自己の内面で処理して造り出しており、無限の世界そのものではない点に留意してください。無限の世界と自己の認識する世界については、2章1節 世界全体の構造 #世界とはを参照してください。

 自己が地上で一切の分離を感じることのない統合された、世界そのもの、世界の根源、あらゆる全て、などと実感するのは、意識の拡大する範囲が、有形界の範囲全体と「ほぼ重なり合う」覚醒初期/中期の段階でみられます。覚醒初期/中期の段階での「自己の認識する世界」は、有形界の範囲全体を指しており、有形界/無形界を総合した「無限の世界」ではありません。有形界の範囲全体へ自己の意識が遍満していますが、無形界へは意識が僅かにしか拡大していないために、有形界全体を自己と実感するようになります。書物などに掲載されている「自己を世界そのものと実感する」記述の多くは、有形界全体を自己と実感している状況を指しています。

 覚醒後期の段階では、意識の拡大する範囲が有形界の範囲全体よりも拡くなり、無形界へも徐々に拡がるようになるために、自己の意識内に有形界の全体を内包しながらも、同時に、無限に拡がる世界の中では自己の認識する世界が狭小だということにも気づくようになります。これは、自己の意識の範囲内では一切が統合され分離を感じていませんが、自己の意識外とは分離を感じている(未だ統合していないと感じる)ともいえます。

(1000/1000) 意識の拡大の程度と有形界/無形界
(1000/1000) 意識の拡大の程度と有形界/無形界

(1000/1000)

 はじめに、意識の偏重については、3章8節 意識 #質疑応答の「自己という意識の中で、更に「自己」と強く認識している範囲とは何を表しているのですか?」を参照してください。

 覚醒者は有形体を自己そのものと誤認していない(有形体を自己と誤認する程度が極めて低い)ために、意識が「有形体を中心に偏重する程度」も低いですが、全く偏重しないのではありません。地上の物的な生活では、必ず有形体を用いて活動する必要があり、有形体を用いて活動する際には、覚醒者も、未覚醒者も、意識が有形体を中心に偏重しやすくなる状況に変わりはありません。ただし、覚醒者は未覚醒者に比べて無形的認識が優勢なために、有形体を用いて物的な活動をおこなうことで有形体を中心に意識が偏重しても、その後に、「自己と強く認識する範囲」を意識全体へ均等に拡げやすく、自覚して「意識の偏重する程度」を低くしやすいです。

 加えて、覚醒者は、有形体を自己と誤認する程度が極めて低いために、有形体を用いた物的な活動を継続しておこないながらでも、有形体を通して受ける粗雑な感覚へ意識を自覚して向けないように努めやすく、自己と強く認識する範囲を意識全体へ均等に拡げやすい(意識の偏重する程度を低くしやすい)です。

 無形的認識が優勢になるほどに、自己の用いている有形体を自己そのものと誤認する程度が低くなると同時に、物的/有形的に応対/対面している相手の用いている有形体も相手そのものと誤認する程度が低くなります。地上の生活では、相手が「誰なのか?」は、有形体の物的な容姿を視て、物的な声を聴いて判断しなくなり、発言/行動/挙措/歩き方/話し方などに表れる無形的な個性で識別するようになります。応対に必要としない限りは、有形体に結び付けられた名前(氏名)にも関心が向きません。無形界の生活では、無形体の有形的な容姿を視て、有形的な声を聴いて判断しなくなり、無形体の放つ輝きの色彩に表れる無形的な個性で識別するようになります。

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 はじめに、食物から感じ取る美味しさについては、3章5節 有形体 #質疑応答の「食物に感じ取る美味しさは、食物へ付与されている活動性の程度と関係がありますか?」を参照してください。

 多くの場合では、自己の同調する活動性の程度に関わらず、現在に同調する活動性の程度よりも相対的に高い活動性の程度が付与されている食物からは美味しさを感じやすく、一方で、相対的に低い活動性の程度が付与されている食物からは美味しさを感じ難い傾向がみられます。しかし、覚醒の成長段階では、食物の僅かな味の違いを把握できるものの、美味しい/美味しくない(不味い)という判断はしなくなります。美味しい/美味しくないという判断は、個体としての認識/感覚に由来しており、全体としての認識/感覚が多くを占めている覚醒の成長段階では美味しさを判断しなくなるのです。これは、美味しい/美味しくないという軸線上での捉え方をしなくなるともいえます。軸線上での捉え方については、この節の質疑応答の「覚醒者が認識の表現に用いる非二元性とは何ですか?」を参照してください。

 食事は、磁気的作用力を補い、有形体の活動を維持するためにおこなうのであり、食物から美味しさ(味付け/調理方法などを含む)を得るために食事をするのではないと、覚醒者は理解しているために、食物(鉱物/植物/無脊椎動物)を造化している無形界の担当者たちへの感謝、食物の生産/運送/販売/加工/調理などに関与した人たちへの感謝、現在に食物を得て食事をおこなえる状況への感謝をもって食事をするようになります。また、食事の内容/量/頻度は、有形体への必要性で適宜に判断し、ひとつひとつの食事をおこなう状況で、有形体に必要とする食物を、必要とする割合で、必要とする量を摂ります。同じ食物/料理のみを毎日/毎回に継続して摂る場合(特定の食物/料理への飽きを感じない)や、有形体が食事を必要としていないのならば必要とするまで数日-数週間を食べない場合もあります。

 なお、成長段階に関わらず、現在に有形体が必要としている食物を摂ると美味しさを感じ取る傾向はみられますが、必ずしも食物/料理から美味しさを感じ取るのと、現在に有形体が必要としている食物が同じとは限りません。

 食物から感じ取る美味しさを判断しなくなるのに加えて、覚醒者は、自身の同調する活動性の程度と、地上で人によって造り出された音曲(楽器の音/歌声など)へ付与されている活動性の程度との乖離[かいり]が拡がるために、物的な音曲が、自己の有する個性の方向性との親和性が高いために「心地良さ」を感じていたとしても、どれほどに穏やかな旋律で安らぎを感じていたとしても、それらと同時に、物的な音そのものが有する「粗雑な騒がしさ」も感じ取っています。そして、物的な音曲よりも、無音で移り変わる雲の流れ、穏やかな風に揺られる草木、時間の経過とともに色彩を変化させていく太陽の輝き、海の波模様や砂漠の砂模様が変化する様子、などを通して表れる「自然界に表現されている無形的な旋律」に静謐な心地良さを感じるようになります。

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