真実度

1章 はじめに - 2節 真実度

個々の記述の真実度: 999.2-1000
節全体の真実度: 1000
節全体の活動性: 1000

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真実度とは

  • (1000/1000) 真実度とは、内的構造の精神において、「無形的な表現」を「有形的な表現」へと変換した際に、どれくらいに変換が適切におこなわれたのか(変換の程度)を示す指標であり、筋反射検査を用いて、数値で表すことができます
    • カメラを用いた写真撮影に譬[たと]えると、被写体となる無形的な表現の内容を、変換というレンズを通して写した際に、真実度は、写真となる有形的な表現の内容へと写る「鮮明さの程度」を表しています
    • レンズの焦点が、被写体から遠すぎず/近すぎず、被写体へ適切に近づくほどに、被写体は鮮明に写ります
    • 精神でおこなわれる有形的/無形的な表現の造化については、3章6節 内的構造3章9節 精神を参照してください
(1000/1000) 写真撮影に譬えた表現の変換の程度
(1000/1000) 写真撮影に譬えた表現の変換の程度
  • (1000/1000) 真実度は、無限の段階から構成される世界全体の中で、有形的な表現が有している「正しさの程度」を表しているともいえます
    • 物事を捉える「正しさ」は相対的であり、あらゆる物事は「正しい」と「誤り」のどちらかへ分類されるのではありません
    • 自己/他者の成長段階が異なれば、同じ物事に対して、自己は「正しい」と捉えても、他者は「誤り」と捉える場合もあります
    • 加えて、自己の成長段階からみれば「正しい」と捉える様々な物事の中には、自己の成長段階を基準として、相対的に高い程度の正しさを有していると捉える物事と、相対的に低い程度の正しさを有していると捉える物事があります
    • 真実度は、自己/他者の成長段階によって相対的に捉え方の変化する正しさの程度ではなく、無限の段階から構成される世界全体を絶対的な基準として、正しさの程度を示す指標となります
    • 無限の段階から構成される世界については、2章1節 世界全体の構造を参照してください
(1000/1000) 絶対的な正しさの程度と相対的に捉える正しさの程度
(1000/1000) 絶対的な正しさの程度と相対的に捉える正しさの程度

真実度の制限

  • (1000/1000) 真実度は、無形的な表現を、有形的な表現へと変換した程度のみを示します
    • 表現の造化は、ある次元の程度(認識の程度)から認識した内容が、精神で無形的な表現として造化され、その後に、無形的な表現を有形的な表現へと変換し、地上の外環境へ表現されます
    • 同じ内容を認識しても、認識した次元の程度によって、造化された無形的な表現の程度は異なりますが、それぞれの次元の程度を有する無形的な表現が有形的な表現へと同じ程度に変換されたのならば、それぞれの次元の程度を有する有形的な表現は同じ程度の真実度を示します
    • それぞれの次元から認識した無形的な表現の程度と、それぞれの次元の程度を有する無形的な表現から変換された有形的な表現の程度は、表現に付与された活動性の程度として示されます
    • 上記の内容は、同等の真実度を示す複数の表現であったとしても表現に付与された活動性の程度は大幅に異なる場合も有り得ること、また、複数の表現で大幅に異なる真実度であったとしても表現に付与された活動性の程度は同等の場合も有り得ることを示しています
    • 次元の程度(認識の程度)については2章1節 世界全体の構造3章3節 分霊、精神での表現の造化と表現に付与された活動性については3章9節 精神を参照してください
(1000/1000) 真実度で示される制限
(1000/1000) 真実度で示される制限

真実度を測定する理由

  • (1000/1000) 印象としての内容を有する無形的な表現が、文字、言語、図表、などの有形的な表現媒体を用いて変換される際に、有形的に表現された内容には、不足、過多、損失、歪み、などが現れるために、それらの現れている程度を把握する指標として真実度を測定します
    • 文字、言語、図表、などの有形的な表現媒体は、無限の範囲を有する印象から、表現する範囲を限定することによって成立するために、ある範囲内に制限されることのない印象を表現するには、大きな制約を受けるのです
    • 測定された真実度を参考に、有形的な表現へ現れる不足、過多、損失、歪み、などを考慮して内容を考察することで、内容の理解を促進しやすくなります

真実度の測定

  • (1000/1000) 真実度の測定には、筋反射検査を用います
  • (1000/1000) 真実度は1-1000の間で測定され、数値が高いほどに、真実度は高い(無形的な表現を有形的な表現へ変換できた程度が高い)ことを示しています
    • 有形界/地上で、無形的な表現を有形的な表現へ変換可能な範囲を1-1000と規定したうえでの測定です
    • 無形界では、1000よりも高い数値が測定される場合もあります
    • 自然数だけでなく、小数点以下も測定は可能です
  • (1000/1000) 無形的な表現から有形的な表現への変換の程度を、質的/量的な大きさとして捉えた場合に、測定値の1の差は、101(10の1乗)の大きさの違いを表しています
    • 無限の範囲を有する無形的な表現を、限定された有形的な表現へと変換できている質的/量的な大きさとして表した場合の数値です
    • 例として、真実度の測定値が200を示す場合は、10200(10の200乗)の程度に、無形的な表現の内容を、有形的な表現の内容へと変換できている状況を表しています
    • 表現の変換の質的/量的な大きさは、真実度が1000に近づくほどに、1の差が大きくなります
    • 例として、真実度の測定値が200と201の差は、10200と10201の質的/量的な差ですが、900と901の差は、10900と10901の差であり、1の違いに大きな隔[へだ]たりがあります
  • (1000/1000) 真実度の高い/低いは、有形的な表現が表している内容の優劣を示しているのではありません
    • 高い/低いは、無形的な表現が有形的な表現へと変換された程度を示しているだけです
    • 優劣という捉え方は、虚栄心を満たすためだけの幻想に基づいている点に留意する必要があります
    • 同様に、真実度の高い/低いは、有形的な表現から受ける趣[おもむ]き(書物/映画/絵画/音曲/造形物などの作品から受ける良さ)を表しているのでもありません
    • 真実度の高い/低いに関わらず、自己の有する個性の方向性に相応する有形的な表現から趣き/心地良さを感じ取ります
    • 幻想については、5章2節 幻想を参照してください
  • (1000/1000) 真実度1000は、無形的な表現の印象全体を、有形的な表現へと変換できている状況を示しているのではありません
    • 眼前に飛ぶ鳥を、どれほどに美しく写真へ写しても、写真に写る鳥は、鳥そのもではないのと同様です
    • 真実度1000は、レンズの焦点が適切に被写体を捉えている状況を示しているだけです
    • そのため、真実度が1000を示す有形的な表現の内容でも、記述を追加/修正する余地は無限にあります
    • 寧[むし]ろ、真実度1000は、無形的な印象の内容を有形的に表現するうえでの最低限を満たした段階といえます
    • 有形的な表現の有する範囲/制限は、写真の枠の大きさに譬[たと]えられ、レンズの焦点が適切に被写体を捉えた(真実度1000を示した)うえで、被写体を、どのような角度で、どの部位に中心を置いて、どのような大きさで、どのような背景で、どのような明るさで、などの、枠の中へ被写体を収める写し方は無限にあります

真実度の利用

  • (1000/1000) 真実度の測定/考察は、主に書物、絵画、映画、音曲、講演、などの情報を内包している物事に用います
    • 書物の場合では、記述の内容から測定される真実度に相応する程度に「印象の内容が記述へ変換されている状況」を考慮して、それぞれの記述の内容を捉えるように努めることで、記述を通して記述の土台となっている印象の内容を把握しやすくなります
    • 複数の書物へ掲載されている内容で真実度に大きな差がみられる場合では、土台となる印象が同じ方向性の内容でありながら、相反するような内容の記述としてみられる状況もあり、真実度を考慮せずに捉えようとすると混乱を招き理解を阻碍しやすくなります
    • それぞれの書物を相互に参照する際に、書物の真実度を考慮して読み解いていくのならば、それぞれの書物の記述が同じ印象の内容を異なる観点(異なる視座/視点)から捉えている、あるいは、互いに内容を補完していることへ気づき、理解を促進するようになります
    • 視座/視点については、3章6節 内的構造 #視場/視域/視野/視点/視座の違いを参照してください
    • 真実度の考慮に加えて、それぞれの書物へ掲載されている内容を相互参照する際に留意する点については、6章2節 書物を読む際の留意点も参考にしてください
(1000/1000) 印象の方向性と記述の類似性
(1000/1000) 印象の方向性と記述の類似性

真実度と活動性の程度

  • (1000/1000) 表現に誠実な性質の活動性の程度が付与されているのならば、真実度は、表現に付与された誠実な性質の活動性の程度と、おおよそ同等の測定値を示す状況が多くみられます
    • 測定の対象となる表現内容が、誠実な性質のみを有している場合には、表現へ付与された活動性の程度は、誠実な性質を有している活動性の程度が測定されます
    • 表現に付与された誠実な性質の活動性の程度が高くなるほどに、真実度も高い測定値を示しやすくなります
    • ただし、真実度が、同調する活動性の程度と、おおよそ同等の測定値を示すとは限りません
    • 真実度は、表現へ付与する誠実な性質の活動性の程度と密接に関連しており、同調する活動性の程度よりも大幅に低い活動性の程度を表現へ付与したのならば、真実度も、付与した活動性の程度に相応する「同調する活動性の程度よりも大幅に低い程度」を示す場合があります
    • 同調する活動性の程度については、4章3節 内的成長度を参照してください
  • (1000/1000) 表現に不誠実な性質の活動性の程度が付与されているのならば、真実度は、表現に付与された不誠実な性質の活動性の程度に関わらず、低い測定値を示す状況が多くみられます
    • 測定の対象となる表現内容が、誠実な性質だけでなく、不誠実な性質も同時に有している(誠実/不誠実な性質の内容が混在している)場合には、表現へ付与された活動性の程度は、不誠実な性質を有している活動性の程度が測定され、誠実な性質を有している活動性の程度は測定されません
    • 誠実/不誠実な性質が混在している表現内容は、測定される活動性の程度が、誠実な性質のみを有している表現内容とは異なる点へ留意してください
    • 表現に付与された不誠実な性質の活動性の程度が高くても、低くても、真実度は低い測定値を示しやすくなります
(1000/1000) 表現へ付与された活動性の性質/程度と真実度
(1000/1000) 表現へ付与された活動性の性質/程度と真実度

真実度と表現内容の証明

  • (1000/1000) 表現内容の示す真実度によって、表現内容の証明の可能/不可能が判断できます
    • 表現内容から測定される真実度の程度によって、証明の種類、証明の方法、証明の基礎となる認識方法、が異なります
    • 証明の種類は、主に、自己の体験を通した実証と、議論/検証に分けられます
    • 証明の方法には、主観的と、客観的があり、自己の体験を通した実証は主観的にのみおこなえ、議論/検証は客観的にのみおこなえます
    • 証明の基礎となる認識方法には、無形的認識と、有形的認識があります
  • (1000/1000) 真実度500以上を示す表現内容は、自己の体験を通した実証による証明のみができます
    • 真実度500以上の表現内容は、無形的認識に基づいて捉えた表現のために、有形的認識に基づいて有形的におこなわれる議論/検証の対象に成り得ません
    • 議論/検証の対象とならないために、議論/検証しようと試みても適切にできません
    • 無形的認識に基づく、主観的な証明のみができ、これまでの体験を通して得た知識/技術/経験を土台としておこなわれます
  • (1000/1000) 真実度200-400台を示す表現内容は、議論/検証/実証による証明ができます
    • 真実度200-400台の表現内容は、有形的認識に基づいて捉えた表現のために、有形的認識に基づいて有形的におこなわれる議論/検証による客観的な証明の対象と成り得る場合もあります
    • 有形的認識による客観的な証明には、化学分析による数値化、物理現象の数式化/画像化、などが例として挙げられます
    • 同様に、自己の体験を通した実証による主観的な証明もでき、有形的認識に基づく主観的な証明は、これまでの体験を通して得た知識/技術/経験を土台としておこなわれます
    • 真実度が400台を示す表現内容は、客観的に証明できる程度が主観的に証明できる程度よりも比較的に高いです
    • 真実度が200-300台を示す表現内容は、主観的に証明できる程度が客観的に証明できる程度よりも比較的に高いです
  • (1000/1000) 真実度200未満を示す表現内容では、誠実の性質を有している表現は議論/検証/実証による証明ができますが、一方で、不誠実の性質を有している表現は議論/検証/実証による証明ができません
    • 誠実の性質を有している表現内容は、議論/検証/実証の対象と成り得て、有形的認識に基づく主観的/客観的な証明ができます
    • 不誠実の性質を有している表現内容は、虚偽/妄想/思い込みであり、議論/検証/実証などの証明の対象になりません
    • ただし、真実度からは、表現内容が有している誠実/不誠実の性質を判別することはできないために、表現内容を考察して誠実/不誠実の性質を判断するか、あるいは、筋反射検査で表現の有する誠実/不誠実の性質を検査する必要があります
(1000/1000) 真実度と証明
(1000/1000) 真実度と証明
  • (1000/1000) 真実度が500以上を示す表現内容は、無形的認識に基づいて表現されているために、有形的認識に基づいて内容を把握しようとしても、成長への学びにつながり難い場合があります
    • 無形的認識に基づいて表現されている内容は、有形的認識に基づいて適切に考察/証明できません
    • 無形的認識に基づいて表現されている内容を、有形的認識に基づいて無理矢理に考察しても、有形的認識では理解できない状況や、誤認/誤解を招く状況が多くみられます
    • 逆に、有形的認識に基づいて表現されている真実度が500未満を示す表現内容は、無形的認識に基づいて適切に考察/証明できます

至言の紹介

(1000/1000)「瀞沁」
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真実はどこか遠くにあるのではありません
特定の物にあるのでもありません
あらゆる「場所」にあるのです
あらゆる「もの」にあるのです
自己の内面を誠実に観つめる際に
眼前に真実が拡がっているのです

質疑応答

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真実度について

(1000/1000)

 有形的認識に基づいて捉えると、あるひとつの無形的な表現の印象は不変の内容ですが、この印象の内容が有形的な表現へと変換される程度によって、無数の有形的な表現の内容へと変化します。なお、世界には無数の印象が存在しており、ひとつひとつの印象から無数の有形的な表現が造り出されるために、世界全体からみると、無数の印象から更に無数の有形的な表現が造り出されることになります。

 不変の内容は「事実」であり、事実が変化する状況はありませんが、事実を有形的認識に基づいて捉える際に、いくつもの有形的認識のもつ方向性と、方向性のもつ強さによって、事実の内容に変化(改変/歪み/制限)を受け、変化した内容が「真実」として表れます。真実は事実を反映しているものの、事実そのものとは異なります。そのため、真実が、どの程度に事実を反映しているのかを示す指標が「真実度」となります。言い換えると、真実度(Reality Degree)とは、事実としての無形的な印象が、眼前に物的/有形的な物事/現象/出来事/発言/行動などの現実(Reality)として表出する程度ともいえます。現実とは、事実を反映して眼前に現れた真実を指しているのです。そして、日々の生活の中での「眼前の現実」とは、有形界では、肉眼に視える、肉耳に聴こえる、肉鼻で嗅げる、肉舌で味わえる、有形体で触れることのできる「物的な物事」を指しているのではなく、物的な物事を通して捉える「無形的な物事」を指しています。無形界では、有形的に感じ取る物事を通して捉える無形的な物事を指しています。

 もしも、不誠実な目的で有形的認識に基づいて事実を捉えているのならば、事実の内容が、真実の内容へ反映されている程度は極めて低く、瞬間瞬間の自己に都合の良い利己的/自己中心的な内容が多くを占めるようになります。この不誠実の性質による捉え方が、「幻想」の捉え方であり、極めて低い真実度を示す要因のひとつとなります。幻想の捉え方については、5章2節 幻想を参照してください。

 なお、 有形界で表現される内容が有する真実度/活動性の程度の上限を1000と規定しているために、有形界(地上)で表現される表現の内容に1000よりも高い測定値はみられません。 ただし、無形界での表現の内容は、1000の上限に規定されないために、1000よりも高い測定値を示す場合もあります。真実度を測定するために用いる筋反射検査は、有形体の筋へ現れる物的な反応によって検査しており、有形体を有していない無形界では筋反射検査を用いて測定するのではありません。無形界では他の検査方法を用いて測定します。また、有形界で、真実度/活動性の程度の測定値が1000を示す表現の内容であったとしも、更に適切な表現の内容へと修正することはできますが、測定値は1000のままです。

 この質疑応答に関連する内容には、2章1節 世界全体の構造 #質疑応答の「自己の内面が外環境へ反映されて、自己にとっての世界を造り出していることは、成長を実践するうえで、どのような意味がありますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 無形的な表現は無数にありますが、全ての無形的な表現は、無形的認識でのみ内容を識別できる印象です。印象の内容を、文字、言語、映像、図表、音の旋律、などを用いて変換することにより、有形的認識で内容を識別できるようになります。そのため、印象は肉眼/霊眼に視える形体として顕現していない表現であり、肉眼/霊眼に視える表現へと顕現させることが「表現の変換」といえます。

 誰もが日常的に絶え間なく、無形的な表現から有形的な表現への形状の変換をおこなっていますが、変換の工程は、作者の内的成長のひとつの側面である、精神的成長の程度を土台として、無形的な表現を、表現媒体と表現技法を用いて、有形的な表現へと変換します。有形的な表現方法には、必ず、表現媒体と表現技法の組み合わせが必要であり、どちらか一方だけでは変換できません。更に、変換の過程において、作者の同調している活動性の程度(内的成長度)が、変換の過程に供給される原素材の量、変換を担う無形体の機能系統の活性の程度、分霊の心が有する機能特性の活性の程度、を決めます。精神的成長については4章1節 分霊の成長、内的成長度については4章3節 内的成長度を参照してください。

 そのため、作者の内的成長度が変換の程度に大きな影響を与えることになります。表現を造化するのに充分な量の原素材が供給され、作者の成長段階に相応する活動性の程度に同調しているのならば、作者の精神的成長の程度に相応する変換をおこなえます。もしも、作者の成長段階よりも低い活動性の程度に同調しているのならば、供給される原素材の量は不足し、無形体の機能系統/心の機能特性の活性の程度は低くなり、作者の精神的成長の程度に相応する変換をおこなえません。

(1000/1000) 表現の変換工程
(1000/1000) 表現の変換工程

 無形的な表現は有形としての形状をもたないために、また、表現方法である表現媒体/表現技法は表現する手段のために、それぞれに真実度はありません。真実度は有形としての形状をもつ「有形的な表現」にのみ測定されます。なお、精神で造り出された、印象としての思考は形状を有していませんが、文章や図像として思い浮かべた思考は形状を有している有形的な表現であり、真実度の測定が可能です。必ずしも、外環境にある紙面などへ記述されている、あるいは、言語として発話されている必要はありません。

 加えて、 同じ記述の内容であったとしても、同じ真実度が測定されるとは限らない点に留意してください。同じ真実度が測定されないのは、有形的な表現としての内容が同じ文章の記述であったとしても、変換の基となる無形的な表現(印象)の内容が同じとは限らず、また、同じ程度の変換をおこなっているとも限らないためです。異なる印象の内容が同じ記述として表されている場合も多くみられるのです。同じ印象の内容を、同じ程度に変換をおこなえば、同等の真実度が測定されますが、複数の著作者が、全く同じ印象の内容を認識している状況は少なく、全く同じ程度に変換をおこなう状況も少ないです。有形的な表現が同じ文章の記述であったとしても、同じ真実度が測定されないのと同様に、同じ文章の記述であったとしても、表現へ付与されている活動性の程度は様々です。

 なお、無形的な形状の表現を有形的な形状の表現へ変換する際に用いられる表現媒体/表現技法の内容は、記録へ貯蔵されている「情報/理解した知識」であり、経験へ保存されている習慣ではありません。ただし、表現技法を用いる技術(表現技法を用いる熟練度)は、経験へ保存されている「誠実/不誠実の性質と関係しない習慣」となります。表現媒体に熟練度はありません。それぞれの表現媒体/表現技法には特性があり、表現媒体/表現技法の特性を組み合わせて活用することで、同じ印象の内容から変換する際に有形的に表現しやすい内容が異なります。記録/経験については、3章7節 心を参照してください。

(1000/1000)

 無形的な表現を有形的な表現へと変換した際に、変換の程度へ最も大きな影響を与えているのは「認識の程度」となります。加えて、記録の機能特性へ貯蔵している情報/知識の内容(内容の有する方向性/程度)、用語の定義、経験の機能特性へ保存している固定観念/既成概念の内容/強さ、有形的認識の内容/程度、なども、印象の内容を文字/図表などへ変換する程度に影響を与えています。

 変換の程度へ最も大きな影響を与えている認識の程度は、視場を構成する「成長の程度/同調する活動性の程度」に基づいており、あらゆる表現を造化(変換)する土台となっています。視場を土台としておこなわれる視域/視野/視点/視座での絞り込み/抽出の工程へ、情報/知識の内容/程度、用語の定義、固定観念/既成概念の内容/強さ、有形的認識の内容/程度、などが影響を与えています。視場/視域/視野/視点/視座については、3章6節 内的構造 #視場/視域/視野/視点/視座の違いを参照してください。

 もしも、情報/知識の内容/程度、用語の定義、固定観念/既成概念の内容/強さ、有形的認識の内容/程度、などを同等に有していたとしても、成長の程度/同調する活動性の程度が異なれば、無形的な表現を有形的な表現へと変換する程度(真実度)にも差として反映されます。これは、認識の程度が異なるために真実度が異なる状況を指しています。多くの場合では、真実度と表現へ付与された活動性の程度が、おおよそ同等の測定値を示すために、真実度の差は認識の程度の違いといえます。

 また、成長の程度/同調する活動性の程度が同等でも、情報/知識の内容/程度、用語の定義、固定観念/既成概念の内容/強さ、有形的認識の内容/程度、などが異なれば、ある内容を有する無形的な表現を有形的な表現へと変換する程度にも差が表れます。これは、認識の程度が同じでも真実度が異なる状況を指しています。

 この質疑応答に関連する内容には、6章1節 推薦書物 #質疑応答の「書物全体の内容としては高い真実度を示しながらも、ひとつひとつの記述の真実度には低い場合がみられるのはどうしてですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000) 認識の次元と真実度にみられる差
(1000/1000) 認識の次元と真実度にみられる差

(1000/1000)

 同調する活動性の程度が高くなるほどに、無形的な印象の内容を有形的な文字/図表などへ変換する程度が高くなり、造化された有形的な表現の真実度が高い測定値を示すようになる要因は多くありますが、それらの要因の中でも中核となるのは、同調する活動性の程度が高くなるほどに、印象の内容へ意識を集中する程度(意志の強さ)が高くなることにあります。意識を集中する程度が高いほどに、印象の内容を鮮明に捉え保持できます。無形的な表現である印象から受ける感覚は精細で、有形的な表現から受ける比較的に粗雑な感覚に埋もれやすく、印象から受ける感覚へ意識を集中して感覚を保持していなければ、印象から受ける感覚は即座に見失ってしまいます。印象から受ける感覚を見失えば印象へ意識が向かなくなり、意識が向かなくなれば造化された表現である印象への活動性の付与が途絶えるために、印象は消え去ります。

 意識を自覚して一点へ集中するには強い意志を必要とします。印象から受ける精細な感覚へ強い意志で自覚して意識を集中するほどに、印象を鮮明に捉え保持できようになり、精神で印象の内容を文字/図表などを用いた有形的な表現へ変換しやすくなります。逆に、意志の強さが比較的に弱く、印象へ意識を集中する程度が低いと、捉えた印象は不鮮明となります。不鮮明な印象の内容を、どれほどに文字/図表などを駆使して表現しようとしても、変換できる程度は低くなってしまうのです。

 同調する活動性の程度が高くなるとは、相対的に高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚へ自覚して意識を向け、受ける感覚が保持されている状況を表しています。これは、同調する活動性の程度が高くなるほどに、感覚へ意識を集中するために強い意志を必要とすることを指してもいます。言い換えると、同調する活動性の程度を高めるには、活動性の程度に相応する意志の強さを必要としているといえます。意志の強さは、分霊のおこなう「あらゆる活動」の推進力として、はたらきます。同調する活動性の程度が高くなり強い意志を有するほどに、印象を鮮明に保持する程度、情報/知識を活用する程度、文字/図表などを駆使する程度、適切な定義で語を用いる程度、なども高くなるために、真実度として表される「印象の内容を有形的な表現へ変換する程度」が高い測定値を示すようになるのです。

 日常的に、表現の真実度と、表現に付与された活動性の程度が、おおよそ同等の数値を示すようになるのは、無形的な表現から有形的な表現へと変換する工程(真実度)と、表現へ付与する活動性の程度は、双方ともに、作者の同調する活動性の程度に大きな影響を受けることにあります。作者の同調する活動性の程度が高いほどに、表現を変換する程度も高くなり、また、作者が表現へ付与できる活動性の程度も高くなります。逆に、作者の同調する活動性の程度が低いほどに、表現を変換する程度も低くなり、作者が表現へ付与できる活動性の程度も低くなります。ただし、作者の同調する活動性の程度と、真実度は、おおよそ同じ程度を示しますが、一方で、作者が表現へ付与する活動性の程度は、必ずしも、作者の同調する活動性の程度や、表現を変換する程度と同じとは限りません。作者が表現へ付与する活動性の程度は、作者の同調する活動性の程度を「おおよその上限」として自由意志で自覚的(自覚して/自覚できるものの自覚なく)/無自覚的(自覚なく)に選択されているためです。

(1000/1000) 表現の真実度と活動性の程度
(1000/1000) 表現の真実度と活動性の程度

 なお、作者の同調する活動性の程度と、真実度は、必ず、おおよそ同じ程度を示すとは限らず、同調する活動性の程度よりも大幅に低い活動性の程度を表現へ付与したのならば、真実度も、付与した活動性の程度に相応する「同調する活動性の程度よりも大幅に低い程度」を示す場合もみられます。真実度は、特定の要因のみが決定しているのではなく、様々な要因が様々な強さの影響を与える総合で決定される点に留意してください。

(1000/1000)

 真実度は、デヴィッド・ホーキンズ[David R. Hawkins]が紹介された意識レベル(Consciousness Levels)や真理度と、土台となる概念が同じです。真実度と、意識レベル(真理度)の双方ともに、地球人類の成長を重点して強化する役割を担う無形界の同じ専門集団によって地上へ伝えられています。ただし、このサイトで紹介している真実度、加えて、表現に付与された活動性の程度、内的成長度の3つと、デヴィッド・ホーキンズの意識レベル(真理度)は、地上での目的/用途が異なります。無形界の専門集団については、2章7節 無形界の仕事を参照してください。

 デヴィッド・ホーキンズの意識レベル(真理度)は、地上の物的な社会の構造を無形的認識で捉え直し、人が成長する段階を数値化した指標で示すことに専門集団の目的がありました。加えて、指標の認知を地上へ拡めることも目的に含まれていました。一方で、このサイトで紹介している真実度、表現に付与された活動性の程度、内的成長度は、既に認知されている意識レベル(真理度)の指標を、地上での成長の実践に活用できるように特化させて応用し、日常生活の中で指標を用いて、成長を実践していくことに専門集団の目的が置かれています。

 このサイトで紹介している「表現に付与された活動性の程度」は、意識レベル(真理度)の定義と同じであり、測定値にも互換性があります。ただし、「真実度」と「内的成長度」は、意識レベル(真理度)とは異なる定義を有しています。表現に付与された活動性の程度と、意識レベル(真理度)は、世界の進化へ与える影響の大きさを示しており、地上では、その影響の大きさは、測定の対象が周囲へと与える無形的(霊的)な影響力の大きさとして表されます。意識レベル(真理度)についての詳細は、6章1節 推薦書物 #無形界から間接的に伝えられた知識の書物に掲載されているデヴィッド・ホーキンズの書物を参考にしてください。

 なお、意識レベル(真理度)の定義は曖昧な側面もみられるために、意識レベル(真理度)として測定された数値のすべてが「表現に付与された活動性の程度」を表しているとは限らない点に留意してください。デヴィッド・ホーキンズの書物に掲載されている測定値の中には、測定者が測定の対象となる物事/物品に対して有している観念/囚われなどが測定されている状況もみられます。同様に、意識レベル(真理度)の定義に曖昧な側面もみられることは、自己が様々な物事を測定する際に、自己の有する「意識レベルの定義」が揺れ動き、常に同じ定義で測定できているとは限らない状況を表してもいます。

 真実度は、精神で造化された無形的な表現が、有形的な表現へと変換された程度を示しており、地上社会では、物的/有形的な物事/現象/行為などが有する正しさの程度を表しています。内的成長度は、分霊が同調する活動性の程度を示しています。分霊の同調する活動性の程度が高いほどに、表現へ付与される活動性の程度も高くなりますが、両者の活動性の程度は常に同じではありません。表現に付与する活動性の程度は、自由意志で自覚的/無自覚的に選択することができ、分霊の同調する活動性の程度と同じ活動性の程度が付与されているとは限らないのです。また、天使たちの支援/援助によって、精神で造化される表現に、分霊の同調する活動性の程度よりも高い活動性の程度が付与されている場合もあります。

(1000/1000) それぞれの指標の関係
(1000/1000) それぞれの指標の関係

 このサイトで紹介している「表現に付与された活動性の程度」と、デヴィッド・ホーキンズの紹介している意識レベル(真理度)には測定値に互換性があるものの、両者の指標は捉える方向性が異なります。このサイトで紹介している「表現に付与された活動性の程度」は、活動性の性質に焦点を当て捉えているために、誠実な性質の活動性にみられる特性の段階と、不誠実な性質の活動性にみられる特性の段階は、双方を独立した指標として表しています。誠実/不誠実な性質の活動性にみられる特性の段階については、3章9節 精神 #表現の活動性を参照してください。

 一方で、デヴィッド・ホーキンズの紹介している意識レベル(真理度)は、活動性にみられる特性に焦点を当て捉えているために、誠実/不誠実な性質の活動性にみられる特性の段階を、ひとつの指標として表しています。誠実な性質の活動性で、特性がみられるほどの強さを有していない1-199の段階を除外し、特性がみられる200以上の段階と、1-199の段階で特性がみられる不誠実な性質の活動性をつなぎ合わせて、指標の各段階で特性がみられるようにしています。

(1000/1000) 捉える方向性と指標
(1000/1000) 捉える方向性と指標

(1000/1000)

 真実度は、造化された有形的な表現が、形状のない無形的な表現(印象)や形状のある有形的な表現を設計図/工程の手順として、工程の手順に沿って、どの程度に設計図の通りに有形的な形状として造化されたのか? を検証するための指標です。有形的な表現の内容を設計図/工程の手順としていたとしても、造化した表現が形状のない無形的な表現であるのならば、真実度は測定はできません。表現の造化については、3章6節 内的構造、また、3章9節 精神を参照してください。

 ある形状の表現に基づいて(ある表現の内容を設計図/工程の手順として)、新たに表現を造化する場合には4通りがあります。

  • 無形的な印象の内容を設計図/工程の手順として、無形的な表現(印象)を造化する
  • 有形的な文字/図表の内容を設計図/工程の手順として、無形的な表現(印象)を造化する
  • 無形的な印象の内容を設計図/工程の手順として、有形的な表現(文字/図表など)を造化する
  • 有形的な文字/図表の内容を設計図/工程の手順として、有形的な表現(文字/図表など)を造化する

 表現を造化するための設計図/工程の手順となる表現の形状(有形的/無形的)に関わらず、有形的な表現を造化する工程は、氷の彫像を造る工程へ譬[たと]えられます。そして、真実度は、設計図を基に工程の手順に沿って氷の彫像を造り、出来上がった氷の彫像が、どれくらいに設計図の通りに造ることができたのかを、氷の彫像を眼で視て検査することへ譬えられます。一方で、表現を造化するための設計図/工程の手順となる表現の形状(有形的/無形的)に関わらず、無形的な表現を造化する工程は、水蒸気を造る工程へ譬えられます。水蒸気という無形的な形状は、眼に視える氷の彫像のような特定の形状を有していません。水蒸気の温度が変化していたとしても眼で視て検査できないために、眼で視て検査することへ譬えられる真実度は測定できないのです。

(1000/1000)

 真実度が1000を示す記述の内容でも、無限に記述を追加/修正する余地があるのは、類似する印象の内容が、同等の認識の程度で、類似する内容の記述へ変換された結果として、既存の記述の内容へ記述が追加/修正されたようにみえるためです。本質的には、類似した内容を有しているものの「異なる内容の印象」のそれぞれが、「異なる内容の記述」へ変換されています。

 ひとつひとつの無形的な印象は、範囲を規定されない「無限の範囲」を有しており、無限の範囲は範囲の全体が重なり合うために、複数の印象を、ひとつの印象へ包括することができます。ある印象の内容から有形的な記述へ変換した後に、ある印象の内容へ他の印象の内容を追加して重ね合わせ、重ね合わせて形成された「新しい印象」の内容から有形的な記述へ変換したのならば、ある印象の内容から変換された「既存の記述の内容」へ記述が追加/修正されたように捉えられます。印象を重ね合わせられることについては、3章9節 精神 #表現の形状も参考にしてください。

(1000/1000) 印象の重ね合わせと真実度
(1000/1000) 印象の重ね合わせと真実度

 無形的な印象を有形的な記述へ変換する際に、認識の程度が同等であれば、変換する程度も同等となるために、ある印象の内容が記述へ変換された場合にも、新しい印象の内容が記述へ変換された場合にも、同等の真実度を示すようになります。そのため、ある印象の内容が真実度1000を示す記述へ変換された後に、ある印象の内容へ他の印象の内容を追加して重ね合わせ、重ね合わせて形成された「新しい印象」の内容が記述へ変換された際にも、記述は真実度1000を示します。これは、真実度が1000を示す記述に限らず、あらゆる真実度を示す既存の記述へ追加/修正した場合にも、追加/修正された記述も同等の真実度を示しやすい状況を表しています。追加/修正された記述が既存の記述よりも高い真実度を示すように印象の内容を変換するには、同調する活動性の程度を高めて認識の程度を向上させる必要があります。

 また、同等の認識の程度であったとしても、自己の記録/経験へ有している、記述の仕方などの習慣/技術の内容/強さ、用語の定義、情報/知識の内容/程度、固定観念/既成概念の内容/強さ、などが印象の変換へ影響を与え、認識の程度に相応する程度で変換できていない状況も多くみられます。印象の内容を記述へ変換する際に、変換の状況を逐一に内省して、これらの記録/経験へ有している内容を自覚して修正/更新していくことで、認識の程度に相応する程度で変換できるようになります。

測定について

(1000/1000)

 食品、飲料、衣服、日用品、などの物品も造り出された表現のひとつであるために、真実度を測定できます。ただし、真実度には、書物/動画/音曲などの「情報を内包する表現」の場合は、有形的に表現されている情報の内容が無形的な表現の内容から変換されている程度を示しますが、一方で、物品の場合は、「情報を内包していない表現」のために、測定者の有している「物品を使用する目的」や、「物品に対して有している定義(先入観/偏見を含む)」が測定値として示されます。例として、酒類を、血行を促進し体温を上昇させて冷えを改善する目的で飲む場合と、酩酊[めいてい]を得て快楽を求める目的で飲む場合では、酒類に測定される真実度が異なります。

 実際の測定では、測定者が、測定の対象に有している定義の違い(用途の違い)が、異なる真実度として示される状況が多くみられます。筋反射検査を用いて真実度として測定される内容については、次節の1章3節 筋反射検査#検査の留意点を参照してください。

(1000/1000)

 読者が自身で、書物へ掲載されている内容を読む前に、あるいは、書物へ掲載されている内容を一瞥[いちべつ]して、著者の有している認識の程度、捉え方、囚われ(固定観念/既成概念)、記述の方向性、内容の正確性、記述の有する誠実/不誠実の性質、などを感じ取れるのであれば、筋反射検査で真実度や活動性の程度/性質を測定する必要性は低いといえます。

 ただし、書物へ掲載されている内容を適切に考察し理解するためには、著者の有している認識の程度、捉え方、囚われ、記述の方向性、内容の正確性、誠実/不誠実の性質、などを把握しておくことが重要となります。書物へ掲載されている内容が有している真実度/活動性の程度/活動性の性質を測定して、数値で確認していれば、著者の有している認識の程度、捉え方、囚われ、記述の方向性、内容の正確性、誠実/不誠実の性質、などを把握しやすくなるために、掲載されている内容を盲信することなく、惑わされることなく、誤認/誤解することなく、適切に考察できるようになります。

 参考として、2024年6月の時点で、現在までに日本で出版されている(翻訳書/廃版の書物を含む)、スピリチュアリズム、スピリチュアル、心霊研究、自己啓発、などへ区分される無数の書物の中で、書物へ掲載されている内容全体の有する真実度が200以上を示す書物は、おおよそ3%に過ぎません。そして、無数の書物のうち、おおよそ77%が不誠実な性質を有しています。この現状は、スピリチュアリズム、スピリチュアル、心霊研究、自己啓発、などの書物だからと盲目的に読んでいるのならば、誤った情報を信じて自身の成長を阻碍するだけでなく、利己的/自己中心的な生き方へ誘[いざな]われている状況を表しています。不誠実な性質を有している書物の割合は日々に増大しており、相対的に誠実な性質を有している書物の割合は減少しているために、現在に成長を促進する(あるいは成長を阻碍しない)書物を探し出すのは徐々に難度が高くなっています。

(1000/1000) 日本で出版されている書物の現状
(1000/1000) 日本で出版されている書物の現状

 著者の名前が知られているから、著者が多くの書物を出版しているから、著書の売上数が多いから、などは、書物へ掲載されている内容とは無関係です。また、同じ著者であったとしても、ある著書では誠実な性質を示していたとしても、他の著書では不誠実な性質を示している場合もあります。同様に、ある著書では真実度が200以上を示すものの、他の著書では真実度が200を大幅に下回る場合もみられます。

 地上の生活では、有形体の内包する物質の心から絶え間なく誘惑の影響を受け続けているために、自身が書物を読む際に、書物へ掲載されている内容を何時[いつ]でも中立/公正に捉え、適切に考察できているとは限りません。有名な著者、著者の経歴、著者の肩書き、書物名(タイトル)、書物の宣伝文句、などへ囚われて、書物へ掲載されている内容を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく盲信している場合も多くみられます。この自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない囚われへ陥[おちい]らないようにするための客観的な指標として、書物へ掲載されている内容が有する真実度、活動性の程度、活動性の性質、加えて、著者が著書を書き記した時点の内的成長度、翻訳書であれば翻訳者が翻訳した時点の内的成長度、などを測定することが役立ちます。

(1000/1000)

 書物などで、書物へ掲載されている内容全体の真実度とは別に示される、書物へ掲載されている内容を構成する個々の記述の真実度に、最も高い数値と最も低い数値に大きな差がみられる場合もあれば、ほとんど差がみられない場合もあるのは、それぞれの記述をおこなう際に、著者が記録の機能特性へ貯蔵している情報/知識の内容(内容の有する方向性/程度)、用語の定義、経験の機能特性へ保存している固定観念/既成概念の内容/強さ、有形的認識の内容/程度、などから影響を受ける程度が異なり、それにともない測定される真実度も記述ごとに変化するためです。それぞれの記述ごとに受ける影響の程度が大きく異なれば、真実度の最も高い数値と最も低い数値に大きな差がみられるようになります。記録/経験の機能特性へ貯蔵/保存している内容から全く影響を受けることなく記述する状況はみられず、必ず自覚的(自覚して/自覚できるものの自覚なく)/無自覚的(自覚なく)に影響を受けて記述しています。個々の記述をおこなう際に、どのような内容から、どの程度に影響を受けているのかが、印象の内容を文字/図表などへ変換する程度へ表れ、変換の程度が真実度として測定されているのです。

 個々の記述の真実度で最も高い数値は、おおよそ記述を総合した内容(書物へ掲載されている内容全体)の真実度と近似しやすく、記述を総合した内容の真実度よりも10-100ほどに高く測定される傾向がみられます。ただし、情報/知識の内容/程度、用語の定義、固定観念/既成概念の内容/強さ、有形的認識の内容/程度、などから受けている影響の程度や、天使たちから受ける支援/援助の状況(閃き/愛の活動性など)によっては、記述を総合した内容の真実度よりも大幅に高く測定される場合もあります。中には、記述を総合した内容の土台となる大きな印象を捉えている程度よりも、個々の記述の土台となる小さな印象を記述へ変換する程度が低いために、個々の記述の真実度が、記述を総合した内容の真実度よりも低く測定される場合もみられます。

 逆に、個々の記述の真実度で最も低い数値は、影響を受けている情報/知識の内容/程度、用語の定義、固定観念/既成概念の内容/強さ、有形的認識の内容/程度、などの中で、自己が現在に有する認識の程度よりも相対的に低い程度の誠実な内容や、不誠実な内容によって、記述を総合した内容(書物へ掲載されている内容全体)の真実度に近似する場合もあれば、大幅に低い場合もみられるようになります。自己が現在に有する認識の程度よりも大幅に低い程度の内容から影響を受けて記述していると、記述の真実度も大幅に低い数値が測定されます。なお、個々の記述の真実度で最も低い数値が、記述を総合した内容の真実度よりも高く測定される状況はありません。

(1000/1000) 影響を受ける程度と真実度
(1000/1000) 影響を受ける程度と真実度

 そのため、記述する際に、記述へ影響を与えている情報/知識の内容/程度、用語の定義、固定観念/既成概念の内容/強さ、有形的認識の内容/程度、などを常に自覚したうえで記述するように努めることで、自己が現在に有する認識の程度へ相応するように印象の内容を文字/図表などへ変換しやすくなります。これは、同調する活動性の程度、記述へ付与する活動性の程度、記述の真実度、の3つが、おおよそ同等の数値を示しやすくなる状況を表しています。

 この質疑応答に関連する内容には、6章1節 推薦書物 #質疑応答の「書物全体の内容としては高い真実度を示しながらも、ひとつひとつの記述の真実度には低い場合がみられるのはどうしてですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 おおよそ同じ印象の内容を文字へ変換して記述した際に、印象の内容が変換の程度(真実度)によって全く異なる記述の内容として表れる具体的な例として、ナザレのイエスが地上の生活で辿[たど]った足跡に関する無形界からの通信を紹介します。無形界からの通信が地上(有形界)で文字として記述されるまでの工程については、6章2節 書物を読む際の留意点 #質疑応答の「無形界から直接的に伝えられた内容を考察する際に、どのような点に留意する必要がありますか?」、また、2章7節 無形界の仕事 #質疑応答の「スピリチュアリズムと呼ばれているはたらきかけは、地上へ帯同しておこなわれているのですか?」を参考にしてください。

 現在までに無形界からおこなわれた通信で、ナザレのイエスが地上の生活で辿った足跡を掲載している書物には、フロリゼル・ロイター[Florizel von Reuter]による「The Master From Afar」と、ジェラルディン・カミンズ[Geraldine Cummins]による「The Childhood of Jesus、The Manhood of Jesus」が知られており、どちらの書物も日本語訳が出版されています。それぞれの詳細な内容については書物を参照してください。下記は上段が原著、下段が翻訳書を示しています。

  • (380/385) The Master From Afar [1973] Florizel von Reuter
    • (365/375) イエス・キリスト失われた物語 [2002] 近藤千雄翻訳 ハート出版
  • (195/200) The Childhood of Jesus [1937] Geraldine Dorothy Cummins
    • (190/195) イエスの少年時代 [1987] 山本貞彰翻訳 潮文社
  • (195/200) The Manhood of Jesus [1949] Geraldine Dorothy Cummins
    • (190/195) イエスの青年時代 [1989] 山本貞彰翻訳 潮文社

 The Master From Afar (イエス・キリスト失われた物語)の内容全体が表す真実度は380(翻訳書は365)で測定されています。この書物で語られるイエスの人物像は、船乗りとして地上の様々な地域を巡り、身長が高く筋骨隆隆で逞[たくま]しく活力に満ち溢れています。足跡には、民衆を啓発して生き方の模範を示しながらも、民衆を先導して当時のローマ帝国による圧政へ立ち向かう社会革命家としての側面が色濃く表現されており、活動の結果として捕縛/拘束され磔刑[たっけい]に処されますが、磔刑で死を迎えることなく生き延びています。

 一方で、The Childhood of Jesus、The Manhood of Jesus (イエスの少年時代/青年時代)の内容全体が表す真実度は195(翻訳書は190)で測定されています。この書物で語られるイエスの人物像は、幼少の頃から困苦の物的な生活を送り、痩身で大人しく神秘的で超然とした雰囲気を醸[かも]し出しています。足跡には、民衆を啓発して生き方の模範を示しながらも、当時の社会に根付いていたユダヤ教会による教え(儀式/戒律などを含む)を是正する宗教家/霊的指導者としての側面が色濃く表現されており、活動の結果として捕縛/拘束され磔刑に処され、磔刑で死を迎えています。

 なお、ナザレのイエスが地上の生活で辿った足跡や人物像を、どちらかの書物が正しく記述しているのではなく、同様に、どちらかの書物が誤りを記述しているのでもなく、どちらの書物へ掲載されている内容も真実度に相応する程度に足跡を記述しています。言い換えると、どちらの書物へ掲載されている内容も真実度に相応する程度でしか足跡を記述できていないともいえます。これは、どのような書物へ掲載されている内容であったとしても、記述の内容へ意識が向き囚われていると誤認/誤解を招きやすい可能性がある状況を表しており、記述の真実度を考慮したうえで記述の内容を通して「記述の土台となる印象の内容」へ意識を向ける必要性があることを示しています。そして、成長への学びを得ようとする意志があるのならば、どちらの書物からも学びを得ることはできます。

 この質疑応答に関連する内容には、6章3節 質疑応答 #各節に含まれない質疑応答の「現在の研究では、ナザレのイエスが、磔刑で死を迎えた説と、磔刑から生き延びていた説がありますが、どちらが史実だったのかを無限の叡智から知ることはできますか?」がありますので参考にしてください。

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