サイトを読むにあたって

1章 はじめに - 1節 サイトを読むにあたって

個々の記述の真実度: 999.3-1000
節全体の真実度: 1000
節全体の活動性: 1000

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知識の伝達

  • (1000/1000) このサイトに記載されている知識は、本来は素朴で単純なものであり、複雑で難解なものではありません
    • このサイトの内容は、隠された神秘でもなく、秘密/秘蔵/秘儀でもなく、誰の眼前にも観えている「世界」について記載しています
    • 世界には、何ひとつ隠匿/秘匿されている物事はなく、自身が観ようとしていない、あるいは、気づいていないだけなのです
    • 自身で気づき、印象として捉えた眼前の世界は、素朴で単純です
  • (1000/1000) 単純/素朴な知識も、他者へ伝えるために文字/図表を用いて記述すると、ある程度の複雑さ/難解さが表現へ現れてしまう点に留意してください
    • 印象としての知識の内容を、印象のまま伝達できるのであれば、知識は単純/素朴なままです
    • 文字/図表は冗長で制限が多く、文字/図表で表現されている内容とは別に、文字/図表そのものが有する冗長さと制限によって、表現へ複雑さ/難解さが生じやすくなります
    • 譬[たと]えると、眼前に拡がる美しい景色を、絵に描いても、文字/言語で叙述しても、写真に収めても、その美しさのすべてを鮮明に適切に表現することはできず、絵や叙述や写真は直接に景色を観た者以外には、美しさを感じ難い場合があります
  • (1000/1000) 文字/図表から受ける「表現の難解さ/複雑さ」に惑わされずに、文字/図表で表現されている内容を通して、表現の本質である「印象の内容」に焦点を向けることで、知識が有する本来の単純さ/素朴さに気づき、内容の理解を促進するようになります

記述の構成

  • このサイトの内容は、有形界/地上での内的成長(霊的/精神的な成長)に必要とする「最低限の知識」のみを掲載しています
    • サイトでは、様々な物事(枝葉の内容)を自身で考察する際の、基盤となる知識(幹/根の内容)を提供しており、枝葉の内容となる様々な物事は、無数の枝葉へとつながる幹/根の内容に基づいて考察できます
    • 各節の「本編」では、知識の骨格を掲載し、肉付け/補足となる内容は、各節の「質疑応答」にまとめています
  • 各節は、本編の内容(知識の骨格)、至言の紹介、質疑応答(本編の補足)、この節と同じ章の内容(他の節の紹介)、ご質問の送信(連絡フォーム)、サイトマップ、の順序で構成されています
    • 各節の本編の内容は、網羅的理解を促すために、箇条書きと図表で記述しています
    • 箇条書き/図表の内容から、節全体の内容のつながり、章全体の内容のつながり、サイト全体の内容のつながり、のそれぞれを把握していくことが、網羅的理解を促してくれます
    • 網羅的理解については、この節の本編 #網羅的理解/系列的理解の違いを参照してください
  • 文字/図表による記述の内容が、文字/図表の基となる印象の内容を、どの程度に「表現できているのか」を示すために、節の内容全体と、個々の記述(文)/項目/図表ごと、至言ごと、それぞれの質疑応答ごと、の真実度を測定しています
    • 節の内容全体の真実度は、節に含まれる、本編の全ての項目/図表、質疑応答の全ての応答文/図表、を総合して測定し、ページの右上に数値1-1000の間を0.1単位で示しています
    • 個々の記述(文)の真実度は、節に含まれる、本編のひとつひとつの項目を構成する文ごと、質疑応答のひとつひとつの文ごと、本編/質疑応答のひとつひとつの図表を構成する記述ごと、の中で、最も低い測定値を示す記述の真実度と、最も高い測定値を示す記述の真実度を、ページの右上に数値1-1000の間を0.1単位で示しています
    • 項目/図表/至言/質疑応答ごとの真実度は、節に含まれる、本編のそれぞれの項目ごと、質疑応答のそれぞれの応答内容ごと、本編/質疑応答のそれぞれの図表ごと、至言ごと、の括弧内の左側へ、数値1-1000の間を0.1単位で示しています
    • 真実度の数値が高いほどに、印象を文字/図表で表現できている程度が高い状況を表しています
    • 真実度については、次節の1章2節 真実度を参照してください
  • 真実度と同様に、文字/図表による記述の内容が有する、世界の進化に与える影響の大きさを示すために、節の内容全体と、項目/図表/至言ごと、それぞれの質疑応答ごと、の表現へ付与された活動性の程度を測定しています
    • 節の内容全体の有する活動性の程度は、節に含まれる、本編の全ての項目/図表、質疑応答の全ての応答文/図表、を総合して測定し、ページの右上に数値1-1000の間を0.1単位で示しています
    • 項目/図表/至言/質疑応答ごとの有する活動性の程度は、節に含まれる、本編のそれぞれの項目ごと、質疑応答のそれぞれの応答内容ごと、本編/質疑応答のそれぞれの図表ごと、至言ごと、の括弧内の右側へ、数値1-1000の間を0.1単位で示しています
    • 記述の内容に付与された活動性の程度ついては、3章9節 精神 #表現の活動性を参照してください
  • サイトに掲載されている至言は、至言の表現者が発言/記述した「内容そのまま」の抜粋ではなく、表現者が伝えようとしている印象の内容を、できる限り明確に表せるような記述へと修正しています
    • 表現者の発言/記述(修正前の内容)と、掲載されている至言の記述(修正後の内容)は、同じ印象の内容を文字/言語で表現していますが、両者は文字/言語で印象を表現している程度が異なるために、両者では測定される真実度/活動性の程度も異なります
真実度/活動性の表示
真実度/活動性の表示
  • このサイトで用いている語の定義が、他の書物や、社会で拡く使用されている定義と同じとは限らない点に留意してください
    • 同じ語であれば同じ定義と思い込む状況が、誤解を生み、また、記述の理解を困難にします
    • サイトで用いている主要な語の定義は各節で説明していますが、もしも、定義が理解し難い場合には、サイト全体の文脈から把握するようにしてください
    • このサイトで用いている語の定義と、他の書物などで用いられている語の定義との関係性/関連性については、6章2節 書物を読む際の留意点を参考にしてください
  • このサイトで用いている「行動を表す語」のほとんどは、肉眼に視える物的な行動を表しているのではなく、行動の土台となる肉眼に視えない無形的な目的を表しています
    • 同じ行動を表す語であっても、物的な行動としての定義と、行動の目的としての定義が同じとは限りません
    • 社会で用いられている行動を表す語は、物的な行動で定義されているために、このサイトで用いている定義と異なる場合もあります
    • なお、このサイトで用いている「肉眼に視える」という表現には、肉耳に聴こえる、肉鼻で嗅ぐ、肉肌で感じる、肉舌で味わう、などの有形体を通しておこなわれる物的な活動が含まれています
  • このサイトでは、常用漢字/常用単語と呼ばれている以外の漢字/語を用いている場合や、漢字を使い分けている場合もあります
    • 印象の内容を、文字で表現するのに適切な方向性の漢字/単語を、できる限り用いるようにしています
    • 例として、障碍[しょうがい]、阻碍[そがい]、疎通/疏通、などが挙げられます
    • 障碍/阻碍の語の場合では、「害」ではなく「碍」を用いる理由として、「ある状況が進行/流通を塞ぎ/妨げ/阻む」の定義に重点を置くためです
    • 一方で、災害/妨害/迫害/傷害に「害」を用いるのは、「ある状況を損壊/破壊/荒廃/減退させる」の定義に重点を置くためです
    • 疎通/疏通の語の場合では、「疎」は、複数の流れの方向が特定の方向へ束ねられ纏[まと]まり他の方向へ分散しない状況へ用い、一方で、「疏」は、特定の方向への流れの有無を表す状況へ用いています
  • 言語での表現の制約により、大きい/小さい、高い/低い、遠い/近い、多い/少ない、増加/減少、拡大/縮小、上昇/下降、などの語を使用していますが、そのほとんどは物的な捉え方とは異なります
    • 地上で認識されている、距離、重さ、量、位置関係、などの物的な捉え方で捉えようとすると、理解が困難になる場合もあります
    • 無形的な認識で記述を捉えることが、理解を促してくれます
    • 言語での表現の制約とは、どの言語にも、無形的な認識で捉えた内容を表現する語が存在していないために生じています
    • 無形的な認識については、この節の本編 #有形的認識/無形的認識の違いを参照してください
  • サイト全体の構成の都合により、後の章/節/項目で説明している用語/内容を、前の章/節/項目で使用している場合があります
    • 内容の理解のために、サイト全体を、2度は通読していただくことを推奨します
  • 同様に、ある節の本編では記述せずに、同じ節の質疑応答で記述している内容、用語の定義、などに基づいて、他の節の質疑応答で記述している内容もあります
    • ある質疑応答の内容に対する質疑応答も掲載されています
    • ある節の質疑応答の項目を読む場合には、他の節の質疑応答にも眼を通していただくことを推奨します
  • サイドバー/サイト下端にある「サイト内を検索(検索ボックス)」では、サイト全体の中から、検索する語の含まれているページを検索できます
    • 画面がモバイル表示の場合は、画面の右上に「サイト内を検索」する検索アイコンが表示されていますので、アイコンを押してください
    • 単一のページ内で、特定の語を検索する場合は、各ページの上部にある「ページ内を検索(検索ボックス)」、あるいは、ブラウザの検索機能をお使いください
    • ブラウザの検索機能は、Ctrl + F (キーボードの「Ctrlキー」と「Fキー」を同時に押す)、あるいは、command + F (キーボードの「commandキー」と「Fキー」を同時に押す)で開きます
    • ブラウザの検索機能を用いて単一のページ内で特定の語を検索する際に、本編の内容に加えて、質疑応答の内容も検索結果へ含めるには、質疑応答の見出し下にある「すべての質疑応答を開く」ボタンを押したうえで検索してください
有形的/無形的の違い
  • (1000/1000) 有形的とは、特定の形状を有する「あらゆるもの」の総称です
    • 特定の形状を有することで、「もの」を表す範囲/定義が規定(限定/制限)されるようになります
    • 有形的なものは、その多くが、肉眼/霊眼ともに、あるいは、肉眼のみ、霊眼のみ、で視ることができます
    • 外環境へ表現されている有形的なものは、有形体の五官を通して受け入れ有形的認識に基づいて認識でき、同時に、無形体を通して受け入れ有形的/無形的認識に基づいて認識することもできます
  • (1000/1000) 無形的とは、特定の形状を有していない「あらゆるもの」の総称です
    • 特定の形状を有していないために、「もの」を表す範囲/定義が規定されない無限を示します
    • 無形的なものは、その多くが、肉眼/霊眼で視ることができません
    • 外環境へ表現されている無形的なものは、有形体の五官を通して受け入れることができず、また、無形体を通して受け入れ有形的認識に基づいては認識できませんが、無形体を通して受け入れ無形的認識に基づいて認識できます
  • (1000/1000) 有形的/無形的は相対的な捉え方であり、複数の段階/範囲で有形的/無形的に捉える「入れ子構造」を成している場合があります
    • ある段階/範囲での捉え方において無形的に分類される中には、相対的に下位の段階や狭い範囲で有形的/無形的に分類されるものもあります
    • ある段階/範囲での捉え方において有形的に分類される中には、相対的に下位の段階や狭い範囲でも有形的に分類され、無形的に分類されるものはありません
    • 例として、物事を認識する方法は、精神で造化される表現と同様に肉眼/霊眼では視えない無形的ですが、認識方法には特定の規定に基づいて捉える有形的認識と、特定の規定をせずに捉える無形的認識に分類できます
    • 物事を捉える際には、どの段階/範囲での捉え方に基づいて有形的/無形的に分類されているのかを把握し、他の段階での分類と混同しないように捉えることが無用な混乱/誤解を防ぎ、理解を容易にします
(1000/1000) 有形的/無形的の比較
(1000/1000) 有形的/無形的の比較
有形的認識/無形的認識の違い
  • (1000/1000) 有形的認識とは、自己の有する特定の規定に基づいて、表現/物事/現象を捉える方法です
    • 形状をもつ有形的な捉え方であり、特定の規定には、文字、言語、図表、固定観念/既成概念(囚われ)、好み、評判、予備情報、などが含まれます
    • 有形的認識は、個々によって、有している内容や内容のもつ強さの程度が異なる認識方法です
    • 例として、言語には、日本語、英語、中国語、などの、無数の形状を含んでいますが、個々によって用いる言語は異なり、また、同じ言語でも、個々によって活用できる程度は異なります
  • (1000/1000) 無形的認識とは、自己が特定の規定をせずに、表現/物事/現象を捉える方法です
    • 形状をもつ有形的な捉え方をせずに、あるがままに対象を捉えます
    • 無形的認識は、個々による認識の内容に違いがなく、全体に共通する認識方法です
    • ただし、個々の有している無形的認識の程度は様々です
  • (1000/1000) 無形的認識/有形的認識は、精神で表現を造化する際の方向性を決定する要因となり、外環境の認識/理解、思考、発言、行動、などの、あらゆる表現/行為の内容に影響を与えます
    • 例として、有形的認識では、視る、聴く、話す、移動する、思考、などは、それぞれが個別の認識/行為ですが、一方で、無形的認識では、これらの認識/行為に区別はなく、ひとつの活動となります
(1000/1000) 無形的認識/有形的認識の例
(1000/1000) 無形的認識/有形的認識の例

理解の拡大

  • このサイトに掲載されている内容の中には、サイトの内容全体を総合して考察することで、詳細に把握できる内容もあります
    • 同じ節に記載されている他の項目の内容や、他の章/節の内容との総合した考察を促すために、詳細に記述していない内容の項目が含まれている点に留意してください
    • また、文字/図表では把握し難く、自己の考察/実践を通して感じ取る印象/感覚でのみ把握できる内容についても、考察に必要な「要点となる内容」のみを記述しており、複雑化/難解化/難読化を避けるために、詳細に記述していません
  • 各章/節の詳しい内容や、更なる知識は、自己の内的成長にともない、適切な時機に、適切な内容が、自[おの]ずと明かされていきます
    • 自己の体験を通して気づくのか、ある人物/書物などに導かれて気づくのか、は様々です
    • このサイトの内容は、更なる知識へ気づくための切っ掛けに過ぎません
    • 内的成長にともない認識の程度が向上するほどに、世界の実相、生命の真相、物事の本質/仕組み、などの理解は、認識の程度に相応するように余分な内容が削ぎ落とされ、研磨され、純化/精錬され、単純さを強めていきます
    • 認識の程度については、2章1節 世界全体の構造3章3節 分霊を参照してください
  • 知識を得る切っ掛けのひとつとして、系列的理解を求められる場合は、6章 附録を参考にしてください
    • このサイトの内容は、網羅的理解を促すために構成されています
    • 網羅的理解/系列的理解を組み合わせることで、総合的な理解へと拡大していきます
  • このサイトの内容と、他の書物などの内容との照合や比較考察は、読者自身へ委ねられています
    • 用語の定義、表現の方法、表現の程度、などは、それぞれの書物によって様々です
    • 複数の書物で、同じ語が用いられていたとしても、語の定義も同じとは限らず、また、自己の有する定義とも同じとは限りません
    • 様々に表現されている内容は、自己に適した定義で理解すれば良いのであり、他者の定義に固執/遵守する必要はありませんが、他者が「どのような定義を用いているのか」は、自己の理解を促すために把握する必要があります
    • 肉眼に視える表現/物事/現象の用語/定義も未だ統一されていない現在の地上社会では、肉眼に視えない表現/物事/現象の用語/定義が統一されている状況はないのだと留意しておく必要もあります
    • また、用語/定義に関する論争/議論は、時間/労力の浪費でしかなく、論争/議論へ費やしている時間/労力を、自己/他者の成長へ向けることが成長を促してくれます
    • このサイトの内容と、書物などの内容を相互に参照する場合は、6章2節 書物を読む際の留意点を参考にしてください
網羅的理解/系列的理解の違い
  • (1000/1000) 網羅的理解/系列的理解は、双方ともに、物事を理解する方法を表しています
    • ひとつひとつの物事から理解した内容を「点」と表現した場合に、網羅的理解/系列的理解では、複数の点を組み合わせて理解する方法が異なります
  • (1000/1000) 網羅的理解とは、点と点を線でつなぐだけでなく、平面的/立体的な「つながり」を捉えることに重点が置かれた理解の方法です
    • 無形的な表現である印象の理解と密接に関連しています
  • (1000/1000) 系列的理解とは、点と点を線でつなぐだけでなく、点と点の流れの「つながり」を捉えることに重点が置かれた理解の方法です
    • 文字、言語、図表、などを用いて表現されている有形的な表現の理解と密接に関連しています
(1000/1000) 網羅的理解/系列的理解の捉え方
(1000/1000) 網羅的理解/系列的理解の捉え方

至言の紹介

(1000/1000)「瀞沁」
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
過去に先人の遺[のこ]した教えは
現在の自己を縛るために用いるのではありません
現在の自己が自由を得るために学ぶものです
過去の教えに囚われ、しがみつくのは
先人の目的とする「成長への自由」を
蔑[ないがし]ろにしているということへ
気づかねばなりません
(1000/1000)「瀞沁」
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
成長は誰かがさせてくれるのではありません
自身が強い意志で求め続けるものです
成長は特定の動作を繰り返していれば
成されるのではありません
日々の些細な思考/言動のすべてに
愛を与えることで促されるのです

質疑応答

  • それぞれの質問文を押すと、応答文が表示/非表示されます
    • すべての応答文を一括して開くには、「すべての質疑応答を開く」ボタンを押してください
    • すべての応答文を一括して閉じるには、「すべての質疑応答を閉じる」ボタンを押してください

サイトの読み方について

(1000/1000)

 サイトの内容を読み理解していくうえで、最も留意する必要があるのは、有形的認識に基づき自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく「物的な捉え方」をしてしまう状況へ陥[おちい]らないようにすることです。

 物事の捉え方は、有形的認識に基づく有形的な捉え方と、無形的認識に基づく無形的な捉え方に大別されます。有形的な捉え方には様々な認識の次元での捉え方があり、それらの中で、地上では肉眼に視える3次元の側面を捉えるための物的な捉え方があります。物的な捉え方は肉眼に視えるものを捉えるためにあり、サイトに掲載されている内容のような「肉眼に視えないもの」を捉えるのに用いると、誤認/誤解を招く、あるいは、記述の内容を難解に受け止めてしまう原因となります。地上では肉眼に視える無数の物事を絶え間なく物的な捉え方で認識しているために、肉眼に視えないものを捉えるのにも自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく物的な捉え方で認識しようとしてしまうのです。

 そのため、肉眼に視えないものを捉える際には、自覚して物的な捉え方をしないように努めながらも、同時に、4次元以上の有形的な捉え方や無形的な捉え方で捉えるようにしていく必要があります。更に、できる限り自覚して、有形的認識に基づく有形的な捉え方よりも、無形的認識に基づく無形的な捉え方で捉えるように努めることが理解を促進します。

 なお、無形的な捉え方と有形的な捉え方の違いや、有形的な捉え方と物的な捉え方の違いを具体的に言語で表現することはできません。有形的/無形的な捉え方の違いや認識の次元に関わらず、物事の捉え方そのものは経験の機能特性へ保存されている習慣であり、習慣に基づいて造化した表現/行為を外環境へ表現する(文字/言語などで表現する)ことはできても、習慣の内容そのものを外環境へ表現することはできないのです。自身では4次元以上の有形的な捉え方と3次元の側面を捉える物的な捉え方の違いを把握していたとしても、把握している内容を他者ヘ伝えることができないために、個々が自身の体験を通して違いを把握していく必要があります。

(1000/1000) 物事の捉え方と認識の次元
(1000/1000) 物事の捉え方と認識の次元

(1000/1000)

 節全体の真実度と、各項目/図表の真実度は、どちらの真実度も、ある特定の印象が有する内容を、文字/図表で表現できている程度を示しています。真実度については、次節の1章2節 真実度を参照してください。

 節の真実度は、節に関連する印象全体の内容について、文字/図表で表現している程度を示しています。文字/図表で表現された際に、文字/図表で表現されていない部分の印象の内容が、どの程度にあるのかを知ることができます。真実度の測定値が1000へ近いほどに文字/図表で表現されている程度が高く、逆に、測定値が低いほどに文字/図で表現されている内容に不足がある(文字/図表で表現されていない部分が多くある)状況を示しています。

 一方で、各項目/図表の真実度は、それぞれの項目/図表に関連する印象の内容について、文字/図表で表現している程度を示している点は同じですが、それぞれの項目/図表の内容が、節の内容に必ずしも合致しているとは限りません。そのため、各項目/図表の真実度が高く測定されたとしても、節の真実度は低く測定される場合もあります。節の真実度と、各項目/図表の真実度が、双方ともに高い値であれば、節の内容に合致する項目/図表の内容が示されていることになります。もしも、各項目/図表の真実度が高く、節の真実度が大幅に低い場合は、表現されている内容に不足があるというだけでなく、節の内容に合致しない項目/図表の内容が含まれている可能性があることも示しています。

(1000/1000) 表現の不足/過多と節の真実度
(1000/1000) 表現の不足/過多と節の真実度

 低い真実度を示す記述には様々な原因がみられるものの、個々の有している固定観念/既成概念(囚われ)は、記述の真実度が低く測定される要因となっています。書物の場合では、書物へ掲載されている内容全体の真実度よりも「大幅に低く測定される真実度」を有する記述の内容は、強い固定観念/既成概念に基づいて記述されている状況が多くみられます。固定観念/既成概念については、5章4節 固定観念/既成概念を参照してください。

 例として、書物へ掲載されている内容全体の真実度が560、ひとつひとつの記述(文ごと/図表ごと)の真実度が50-570の間で測定される場合では、560付近の真実度を有する記述は、固定観念/既成概念に基づいて記述されていたとしても、著者の現在の成長段階では成長を阻碍しない内容の固定観念/既成概念となります。一方で、560よりも低い真実度を有する記述は、著者の現在の成長段階で成長を阻碍する可能性のある内容の固定観念/既成概念に基づいて記述されており、低い真実度が測定される(560との乖離が拡がる)記述ほどに、著者の現在の成長段階で成長を阻碍している内容の固定観念/既成概念に基づいて記述されています。書物へ掲載されている内容全体の真実度は、著者の有する認識の程度と「おおよそ同等」の値を示す場合が多くみられます。認識の程度については、3章3節 分霊 #質疑応答の「自己の属する次元と、つながりのある次元は、どのような違いがあるのですか?」を参照してください。

(1000/1000) 囚われの強さと測定される真実度
(1000/1000) 囚われの強さと測定される真実度

 なお、書物へ掲載されている内容全体の真実度よりも低く測定される真実度を有する記述の内容は、固定観念/既成概念に基づいて記述されているだけでなく、著者の貯蔵している情報/知識の程度(用語の定義を含む)などにも影響を受けています。固定観念/既成概念のみが真実度へ影響を与えているのではない点に留意してください。書物に測定される真実度については、6章1節 推薦書物 #質疑応答の「書物全体の内容としては高い真実度を示しながらも、ひとつひとつの記述の真実度には低い場合がみられるのはどうしてですか?」も参考にしてください。

 この質疑応答に関連する内容は、6章2節 書物を読む際の留意点にも記載されていますので、参考にしてください。

(1000/1000)

 はじめに、文字/図表で表現されている内容を通して印象へ焦点を向ける方法は様々にあり、個々の有する個性の方向性によって、適用しやすい方法、適用し難い方法があります。自身の体験を通して様々な方法を試し、自己に適した方法を模索するようにしてください。また、様々な方法を適宜に使い分けていく場合もあります。

 印象へ焦点を向けるための、どのような方法であっても、文字/図表などで記述されている有形的な表現を通して「記述の基となっている印象の内容」を把握していくには、有形的認識よりも無形的認識を優勢にして記述を読み進めるように努める必要があります。有形的認識では、文字/図表そのものへ意識が向きやすくなるために印象を捉え難く、また、ある印象と他の印象とのつながりも把握し難くなる(網羅的理解をし難くなる)ためです。

 印象へ焦点を向ける方法の例として、ひとつひとつの記述を読み込んだ後に記述の内容全体を総合して印象へ置き換えていく方法、記述に用いられている語を逐次に印象へ置き換えながら記述の内容全体としての印象を構築していく方法、などがあります。印象へ焦点を向ける具体的な例としては、眺読[ちょうどく]があります。眺読は、文字/図表を読む際に、外環境へ発話しない(音読しない)だけでなく、内環境でも発話しない(黙読しない)ようにして、文字/図表を眺め、逐次に、あるいは、記述全体を総合して、文字/図表から受ける印象を読み進める方法です。

(1000/1000) 音読/黙読/眺読
(1000/1000) 音読/黙読/眺読

 なお、眺読と、地上社会で「速読/視読」と呼ばれている技術は異なります。眺読は、記述を読み進める速さに関わらず、無形的認識に基づき、文字/図表などで記述されている有形的な表現を通して、表現の内容を無形的な印象で捉えます。一方で、速読は、有形的認識に基づき、文字/図表などで記述されている有形的な表現の中から、自己が現在に必要とする内容を抽出して有形的に捉えています。視読は、外環境での発話や内面での発話をしないという点では眺読と類似していますが、有形的認識に基づき、文字/図表などで記述されている有形的な表現を通して、表現の内容を有形的に捉えています。眺読と、速読/視読は、記述を通して捉える形状(有形的/無形的)が異なるために、眺読と速読/視読を同時におこなうことはできません。ただし、眺読で記述を読み進める速度は、ゆっくりな場合もあれば、速い場合もあります。

(1000/1000)

 有形的認識が優勢な状況では、無形的認識に基づく認識を実感し難いために、物事の認識に占める有形的認識の割合を減少させていくことで、無形的認識が徐々に優勢となり、無形的認識による認識を実感しやすくなります。

 無形的認識による認識を実感しやすくする、ひとつの方法として、精神で有形的認識に基づいて造化される「文字/言語/図像などによる有形的な表現」を造化しないように努めることで、無形的認識が優勢になるのを実感できるようになります。精神で有形的な表現を造化しない状況は、社会では、無の境地、一切の思考を辞める、在る(I am that)、などと表現されています。なお、有形的な表現の造化を辞め、文字/言語/図像などで思考していなくても、自覚の有無に関わらず、有形的な表現の基となる無形的な表現(印象)は絶え間なく造化しています。精神で造化される表現については、3章9節 精神を参照してください。

 無形的認識が優勢な状況での体験そのものを有形的な文字/言語/図像などで描写することはできませんが、自己の体験を通して実感したのならば、無形的認識に基づいて体験しているのを明確に自覚でき、あらゆる分離が取り払われ一体となったような認識/感覚を実感するようになります。例として、有形的認識に基づいて視る(視覚)/聴く(聴覚)/感じる(触覚)などの知覚は別々のものとして認識していますが、無形的認識では視る/聴く/感じるが融合したような「認識する」というひとつのみとなります。また、有形的認識に基づいて捉えると、自己という存在と周囲の外環境とは別々に分離したものとして認識していますが、無形的認識では自己と周囲の外環境は一体として認識します。

 また、祈り/瞑想などで、様々な活動性の程度から受ける感覚を把握していくように努めるだけでも無形的認識が優勢になっていく状況を実感できるようになります。活動性から受ける感覚については、5章5節 祈り/瞑想を参照してください。

 なお、無形的認識に基づく認識と、共感覚と呼ばれる「ある情報を視覚/聴覚/嗅覚/味覚/触覚の複数で同時に自動的に認識する」のは異なります。共感覚では、音に匂いや色彩を認識する、色彩に形状や味を認識する、文字に色彩や感触を認識する、などがみられるものの、どのような情報も有形的認識に基づいて認識しています。音も、匂いも、色彩も、形状も、味も、感触も、これらは有形的認識に基づいて認識した内容です。一方で、無形的認識に基づく認識では、例として、音に匂いや色彩を認識するのではなく、音も、匂いも、色彩も、ひとつの「もの」として認識します。音、匂い、色彩、形状、味、感触、などを認識するのではありません。

 この質疑応答に関連する内容には、6章3節 質疑応答 #質疑応答の「「無」や「空」と表現されているものは何を表しているのですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 有形的な文字/言語/図表などで表現されている様々な記述(ある記述の内容と他の記述の内容)の間のつながりを把握する段階は、網羅的理解をおこなうための準備段階となります。有形的に表現されている記述の基となる「無形的な印象の間のつながり」を把握していく段階が網羅的理解となります。

 表現の造化を要略すると、無限の認識の程度へ縦断する「造化の設計図/工程の手順」から、ある認識の程度で捉えた「造化の設計図/工程の手順」に基づいて造化した表現が、ある認識の程度での印象となり、その無形的な印象の内容を有形的な文字/言語/図表などを用いて変換した内容が、有形的な記述の内容となります。

 無限の認識の程度へ縦断する「造化の設計図/工程の手順」は、大霊の摂理を成す無限の叡智の一部に相当し、無限の叡智(あらゆる分霊)によって造化された無数の表現の反映が、不変/普遍の外環境にある様々な性質の活動性と活動性の程度を有する無数の情報となります。また、ある認識の程度で捉えた「造化の設計図/工程の手順」には、自己(分霊)の有する記録の機能特性へ貯蔵されている実証した知識も含まれます。あらゆる分霊の有する実証した知識の総体が、無限の認識の程度へ縦断する「造化の設計図/工程の手順」を表しています。無限の叡智については2章2節 大霊 #摂理、不変/普遍の外環境については2章1節 世界全体の構造、記録の機能特性については3章7節 心を参照してください。

 上記の内容を異なる観点から捉えると、無限の認識の程度へ縦断する「造化の設計図/工程の手順」によって造化される可能性のある、無限の認識の程度へ縦断する「無限の範囲を有する印象」が存在しているといえます。無限の範囲を有する印象の中で、ある認識の程度で捉えた範囲のみを自己は印象として認識しています。捉える認識の程度が異なれば、自己の認識する印象の内容(程度)も異なりますが、土台となる印象の内容は同じです。

 書物などにみられる無数の記述は、それぞれの著者が様々な認識の程度で捉え造化した印象を基に、文字/言語/図表などを用いて記した内容です。記述には、捉えた認識の程度、記述の基となる印象の内容だけでなく、無形的な印象を有形的な記述へ変換した程度を表す真実度が加えられており、3者が様々に混在し、それぞれの記述のつながりは複雑で、内容のつながりを理解するのは難度が高いです。真実度については、次節の1章2節 真実度を参照してください。

 無数の記述を読む際には、それぞれの記述の有する真実度を考慮して、記述の基となった印象の内容と、印象の内容として捉えた認識の程度を把握するように努めます。印象の内容と認識の程度を把握することで、理解へ努める内容のつながりは単純となり、認識の程度が異なるだけの土台が同じ印象の間でのつながり(縦のつながり)を把握することと、土台となる印象の間でのつながり(横のつながり)を把握することの2つのみとなります。この縦のつながりと、横のつながりを把握していくことが網羅的理解です。

(1000/1000) 印象の網羅的理解
(1000/1000) 印象の網羅的理解

 加えて、ある内容の無限に縦断する印象を、同じ認識の程度で、異なる側面から捉えて造化した複数の印象もみられます。この場合も、異なる内容を土台とする印象の間でのつながり(横のつながり)と同様に把握していくことができます。

(1000/1000) 異なる側面から捉えた印象の網羅的理解
(1000/1000) 異なる側面から捉えた印象の網羅的理解

 なお、このサイトの各章/節に記載されている本編/質疑応答の内容は、真実度/活動性の程度ともに同等の認識の程度から捉えて記述されているために、同じひとつの土台となる印象の中で、認識の程度が異なる印象間での内容のつながり(縦のつながり)を把握する必要はなく、異なる土台となる印象の内容間でのつながり(横のつながり)を把握していくだけとなります。ただし、読者の有している認識の程度は個々によって様々なために、サイトの様々な内容のつながりを把握しても、自己の把握したつながり(網羅的理解の程度)と、他者の把握したつながりが同じとは限らない点に留意してください。網羅的理解の程度は、読者それぞれの成長の程度や、同調する活動性の程度によって決まります。加えて、既に貯蔵している知識の内容/程度も網羅的理解の程度へ影響を与えています。

用語の定義

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 関係性とは、ひとつの内容と他の内容との「結びつきの有無」を示しています。結びつきが有るか/無いかであり、結びつきには、単対単だけでなく単対多でみられることが特徴といえます。

 関連性とは、ひとつの内容と他の内容との「結びつきの強さ」の程度を示しています。基本的には、単対単での結びつきが、強いか/弱いかを表しています。

(1000/1000) 関係性と関連性
(1000/1000) 関係性と関連性

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 適切とは、自由意志による選択肢の幅/範囲の中から、眼前の状況に最も当てはまる選択肢を選択して、状況へ対応することです。自由意志による選択肢の幅/範囲の中には、適切性の程度の様々な選択肢があり、他の選択肢を選択しても状況に対応できますが、眼前の状況へ最も当てはまる選択ではありません。自由意志による選択については、4章6節 自由意志/運命を参照してください。

 必要とは、自由意志による選択肢の幅/範囲の中から、眼前の状況へ対応する選択肢を選択することです。自由意志による選択肢の幅/範囲の中には、必要な選択肢と必要以外(不必要)の選択肢があり、必要な程度の様々な選択肢は存在しません。必要な選択肢以外の「他の選択肢(不必要な選択肢)」を選択すると、眼前の状況に対応できません。

 なお、必須とは、特定の物事や行動を必ずおこなう必要のある状況を指しています。ある観点から捉えると、必須は、眼前の状況へ対応する「自由意志による選択肢の幅/範囲」が存在しないために選択の余地がないともいえます。ただし、物事の選択に必須はありますが、一方で、自由意志の選択では、適切/不適切な選択、あるいは、必要/不必要な選択はあるものの、必須の選択は決してありません。

(1000/1000) 適切と必要
(1000/1000) 適切と必要

(1000/1000)

 このサイトでは、認識、把握、理解、の3つは下記の定義で使い分けています。なお、サイトで用いている認識/把握/理解の定義や使い分けは、社会で用いられている定義や使い分けとは異なる場合もある点に留意してください。

 認識は、ある内容を知った状況を表しており、自覚的に(自覚して/自覚できるものの自覚なく)/無自覚的に(自覚なく)おこなえます。ただし、ある内容を明確/鮮明に知ったとは限らず、不明確/不鮮明に知った状況も含まれます。あらゆる内容は「認識する活動」から始まり、その後に把握/理解できます。認識することなく、把握/理解する状況はありません。

 把握は、認識した内容を明確/鮮明に自覚する状況を表しており、理解する初期の段階に相当し、自覚してのみおこなえます。自覚できるものの自覚なく、あるいは、自覚なくおこなうことはできません。更に、ある内容と他の内容とのつながりを自覚して捉える状況も含まれます。ただし、認識した内容を理解(納得)しているとは限りません。

 理解は、ある内容に違和感/不自然感などを感じることなく納得する(自然に受け入れる)状況を表しており、認識した内容を把握した後に自覚してのみおこなえます。自覚できるものの自覚なく、あるいは、自覚なくおこなうことはできません。認識した内容を把握せずに理解する状況はありません。更に、ある内容と他の内容とのつながりへ違和感/不自然感などを感じずに自覚して納得する状況も含まれます。加えて、網羅的理解/系列的理解などは理解する方法を表しており、ある内容と他の内容との間に、どのような「つながり方」がみられるのかを自覚して捉え納得する状況を指しています。

(1000/1000) 認識/把握/理解の違い
(1000/1000) 認識/把握/理解の違い

 なお、自覚できる意識の領域では、自覚して認識(把握/理解を含む)、自覚できるものの自覚なく認識、自覚なく認識、の3つがおこなわれています。自覚できない意識の領域では、自覚なく認識のみがおこなわれています。意識については、3章8節 意識を参照してください。

 この質疑応答に関連する内容には、3章7節 心 #質疑応答の「知識には、正しい内容と誤っている内容があるのでしょうか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 「認識する」には、自覚して認識する状況、自覚できるものの自覚なく認識する状況、自覚なく認識する状況の3つがあり、「気づく」は、自覚して認識する状況に含まれ、これまでに自覚できるものの自覚なく認識していた内容を、自覚して認識するようになることを指しています。

 「気づく」には、自己の有する習慣の内容や、精神で造化する思考/感情などの表現、おこなう行為、行為の目的、などの、これまでに自覚できるものの自覚していなかった自己の内面の状況を自覚して認識する場合と、外環境の「自覚的に認識できる範囲内」で自覚できるものの自覚なく認識していた内容を自覚して認識する場合があります。自覚的/無自覚的に認識できる範囲については、3章8節 意識 #質疑応答の「自覚的/無自覚的に認識できる範囲と意識の範囲には、どのようなつながりがありますか?」を参照してください。

 自己の内環境に対して気づく際には、自覚できる意識の領域内で「自覚できるものの自覚なく認識していた内容」を自覚して認識する状況を表しています。自覚できる意識の領域内で「自覚なく認識している内容」は自覚して認識できません。また、自覚できない意識の領域内も自覚して認識できません(自覚なく認識している)。意識の領域については、3章8節 意識を参照してください。

 外環境に対して気づく際には、有形体/無形体を通して自覚的に認識できる範囲内にある「自覚できるものの自覚なく認識していた物事」を自覚して認識する状況を表しています。自覚的/無自覚的に認識できない範囲の物事や、無自覚的に認識できる範囲の物事を自覚して認識する状況を表しているのではありません。自覚的に認識できる範囲とは、範囲内のすべてを常に自覚して認識している範囲ではなく、自覚して認識する可能性のある範囲を指しており、範囲内の一部を自覚して認識し、一部を自覚できるものの自覚なく認識し、他の部分は自覚なく(無自覚的に)認識しています。

(1000/1000)

 サイトの記述で類義語を併記している場合があるのは、記述の内容を把握しやすくするためです。

 積極的/能動的/自発的、探求/探究、恐れ/怯え、同胞/同朋、亢進/亢盛、などのそれぞれは、同じ定義を土台とした類似する語であり、どの類義語であっても記述全体の内容が示す方向性を損なわないのであれば併記しています。これは、語を用いる個々によって同じ語であっても有している定義が全く同じとは限らず、気づきを得やすい語は個々によって異なるためです。読者の有する語の定義に基づいてサイトへ掲載されている内容を読んだ際に、記述の内容から気づきを得やすくするために類義語を併記しています。ある類義語では気づきを得られても、他の類義語では気づきが得られない(気づかない)場合もあるのです。加えて、ひとつの語の定義では記述全体の内容が示す方向性を表すのに不足しており(方向性を適切に表せない)、複数の語で方向性を適切に表せる場合にも類義語を併記しています。

 なお、並行/並列、順次/逐次/逐一、疎通/疏通、なども同じ定義を土台とした類似する語ですが、併記すると記述全体の内容の示す方向性が損なわれる可能性を有しているために、記述の内容が示す状況によって併記している場合もあれば、併記せずに使い分けている場合もあります。

 併記している類義語、使い分けている類義語、のどちらの場合であっても、有形的な記述の内容を通して、有形的な記述の土台となっている無形的な印象の内容へ意識を向けるように努めているのならば、有形的な類義語が有する定義の僅かな違いに混乱する/惑わされることなく、記述の内容が有する無形的な本質を把握できるようになります。

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