概要

1章 はじめに - 4節 概要

個々の記述の真実度: 999.3-1000
節全体の真実度: 1000
節全体の活動性: 1000

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知識の記述

  • このサイトに掲載されているのは、現在に視えている/観えている眼前の物事/現象/出来事の土台となる内容です
    • 何処[どこ]か遠くの物事/現象/出来事ではなく、過去/未来の物事/現象/出来事でもありません
    • 眼前の物事/現象/出来事には、現在に肉眼/霊眼で視て、自覚して認識している内容もあれば、自覚できるものの未だ自覚して認識していない内容もあります
    • 同様に、眼前の物事/現象/出来事には、現在の成長段階で観て、理解できる内容もあれば、現在の成長段階では未だ理解できない内容もあります
    • サイトに掲載されている内容が、眼前の物事/現象/出来事について記述されていると留意して読み進めることで、日々の生活を通して、世界の実相/生命の真相を観察/考察/実感しやすくなります
  • このサイトでは、無限の叡智が保管している、あらゆる記録の中で、地上での内的(霊的/精神的)な成長に必要とされる最低限の知識を、世界の進化という観点から捉え、構造/仕組みという構成で、箇条書き/図表により記述しています
    • 地上での内的成長に必要とされる知識が、地上では、宗教/スピリチュアリズムと呼ばれるようになりました
    • サイトへ掲載されている内容全体は、「世界の実相/生命の真相」の基本的な内容、地上での内的な成長を実践するための知識、の2つで構成されています
    • 各節の本編には、「世界の実相/生命の真相」の骨格となる内容と、「地上での内的な成長を実践するための基礎となる知識」が掲載されています
    • 各節の質疑応答には、本編を補足する内容と、読者から受けた質問への応答が掲載されています
    • 無限の叡智については2章2節 大霊、宗教/スピリチュアリズムについては次節の1章5節 宗教/スピリチュアリズムを参照してください
サイトへ掲載されている内容の範囲
サイトへ掲載されている内容の範囲
  • サイトへ掲載されている、「世界の実相/生命の真相」の基本的な内容、地上での内的な成長を実践するための知識は、1-6章の章立てで構成されています
    • 1章では、サイト全体を読み進めるうえでの留意点/指針を掲載しています
    • 2-4章では、「世界の実相/生命の真相」の基本的な内容を掲載しています
    • 5章では、地上での内的な成長を実践するための知識を掲載しています
    • 6章では、サイトに掲載されている知識を異なる側面/観点から捉え、知識の理解を拡げ深めるための手段を紹介しています
サイトの全体図
サイトの全体図

知識の総括

  • (1000/1000) あらゆる表現は、世界の進化のためにあり、絶え間なく世界の進化に影響を与えています
    • あらゆる表現とは、微細から極大に至るすべての万物/森羅万象であり、肉眼に視えるものだけでなく、肉眼に視えないものも含まれます
    • 肉眼に視えるものには、物体、物事、現象、出来事、に加えて、個体のおこなう発言、行動、挙措、態度、なども含まれます
    • 肉眼に視えないものには、知識、思考、感情、意志、なども含まれます
    • 世界とは、惑星の地上、あるいは、有形的な宇宙だけでなく、無形的な宇宙も含む、肉眼に視える宇宙と視えない宇宙を総合した「全体」を指しています
    • 進化とは、創造と破壊であり、加えて、創造と破壊の調和を表しています
    • 日常の些細な行為のひとつ、ふと思い浮かんだ取るに足らない内容の思考、なども、世界の進化に影響を与えています
    • あらゆる物事/現象は、すべてが意志/意識を有する霊(人を含む)によって造り出された表現の総体であり、思考、感情、などの内環境で造り出された表現が、万物/森羅万象として、外環境へと表現されています

世界/人の概要

  • (1000/1000) 世界は、地上から捉えた場合には、肉眼に視える有形界と、肉眼に視えない無形界に大別されます
    • 更に、有形界は、肉眼に視える側面に加えて、肉眼に視えない側面も、あわせもちます
    • 有形界の惑星の表面にある地上では、物的な体を有している人や動物が生活しています
    • 無形界では、物的な体を有していない霊という存在が生活しています
    • 日々の生活の中で、個々の有する思い/思惑の総合が、あらゆる物事を造り出し、世界へ影響を与えています
    • どのような物事を造り出すのも1人1人の思い/思惑で決まり、誠実な思いは誠実な性質の物事を造り出し、一方で、不誠実な思惑は不誠実な性質の物事を造り出します
    • 誠実な性質の物事は世界の進化を促進させ、不誠実な性質の物事は世界の進化を停滞させるように、はたらきます
(1000/1000) 有形界と無形界
(1000/1000) 有形界と無形界
  • (1000/1000) 霊が、無形界から有形界へ移動して、物的な体(有形体/肉体)を得た存在を、人/動物と呼んでいます
    • 人/動物とは、物的な体を有している「霊」なのです
    • 無形界が、生活の主要な場であり、有形界(地上)は、一時的に滞在している場でしかありません
  • (1000/1000) 人/動物は、物的な体である有形体の使用期限(死)を迎えると、有形体を捨て去り、無形界へ戻ります
    • 有形体を捨ててしまえば、今まで実体を認識していた「肉眼に視える物的な物体」に実在感を感じられなくなり、不鮮明な実体のないものと認識ていた「肉眼に視えない無形的な意志/意識/思考/感情など」に実在感を感じるようになります
    • ただし、地上で生活していた自己そのものは、無形界へ戻っても、何ひとつ変わりません
    • 地上での生き方、物事の捉え方、知識、嗜好、習慣、技術、囚われ(固定観念/既成概念)、などは、無形界でも「そのまま」に引き継がれています
(1000/1000) 霊と人/動物
(1000/1000) 霊と人/動物
  • (1000/1000) 世界や霊を創り、統率/制御している存在を大霊(神)と呼んでいます
    • 現在においても、絶え間なく世界の創造と破壊をおこない、世界を進化させ続けています
    • 世界の進化は、ある原因が、ある結果を生み出す連鎖で成り立っており、あらゆる物事/現象が必然に起こり、原因なしに偶然に起きる状況は決してありません
    • 世界の進化のひとつの側面として、霊は成長し続けることを存在意義とするように創られています
    • 人/動物は、霊が成長し続けていく過程の「ひとつの段階」であり、無形界で成長していくための基礎を学ぶために、有形界(地上)での生活があります
  • (1000/1000) 霊の地上での成長に必要とされる知識と、知識の実践方法をまとめたものが、宗教と呼ばれていました
    • しかし、地上では、利己的/自己中心的な目的を有する者たちによって宗教が捨てられ、代わりに、彼らに都合の良い歪曲/捏造された内容を”宗教”と呼ぶようになります
    • “宗教”は、為政者たちの思惑にも利用され、無知(邪)、無明/暗闇(悪)、頑迷な盲信、恐れ/怯えを拡大させるようになり、人の成長を阻碍しています
    • “宗教”が、長い年月に渡って地上へ拡がり続けたことで、成長のためにある「本来の宗教」が忘れ去られてしまいました
    • そのため、地上では、自己は物体(有形体/肉体)であると思い込み、自己が霊であることを忘れ思い出せなくなり、多くの者が成長を求め実践せずに、地上の物的な快楽/欲望を追求する行動へ、時間と労力を費やしています
    • 利己的/自己中心的で不誠実な生き方の蔓延であり、有形体を捨て去り無形界へ戻った後も、地上と同様に、不誠実な生き方を続けています
(1000/1000) 霊の創造と成長
(1000/1000) 霊の創造と成長
  • (1000/1000) 現代では、社会/個体の物質的(物的)な側面が著しく発展した反面、成長の対象である霊的/精神的(有形的/無形的)な側面が取り残され、霊/精神/物質の不均衡を生み出しています
    • この不均衡が、霊/精神の成長/発達から眼を逸らさせ、物的な快楽/欲望の追求へと駆り立てています
    • 同様に、知識/発明/発見の産物を、人の成長や社会の発展に役立てるよりも、利己的/自己中心的な目的や利益の追求に用いることへ重きを置くようになりました
    • 物質的な側面の著しい発展による霊/精神/物質の不均衡は、有形体を通して肉眼に視える物事、肉耳に聴こえる物事、肉鼻に嗅げる物事、肉舌に味わえる物事、肉肌に触れる物事へ囚われ、拘[こだわ]り、しがみつき、他の物事(思考/感情/習慣などの内面の状況を含む)を軽視するようになっているといえます
    • 現在の地上社会でおこなわれている様々な活動/振興事業などによる物的な経済の活性は、霊の成長へつながらず、利己性/自己中心性/欲望の喚起/増大へつながっています
    • 金属機械/電子機器の溢れる物質的な側面が著しく発展した社会で生活する者は、自身を文明的/先進的で優れており、これらを用いていない社会を非文明的/後進的で劣っていると思い込み、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく蔑[さげす]み侮[あなど]っている状況が多くみられます
    • 同時に、金属機械/電子機器を用いていない社会で生活する者は、これらの溢れる物質的な側面が著しく発展した社会を文明的/先進的で優れていると思い込み、羨望[せんぼう]し追い求めている状況も多くみられます
    • 物質的な側面へ偏重した物事の捉え方の典型的な例には、「お金」「権力」への固執/追求が挙げられます
    • なお、霊的な側面とは、個々の有する物事の捉え方、知識、習慣、などを表しており、また、精神的な側面とは、物事の捉え方/知識/習慣などを組み合わせて様々な表現を造化する状況を表しています
    • 個々の個体に現れる霊/精神/物質の不均衡が総合されて、社会の霊/精神/物質の不均衡を生み出しており、同時に、社会の霊/精神/物質の不均衡から影響を受けて、個々の個体に現れる霊/精神/物質の不均衡が助長されています
(1000/1000) 霊/精神/物質の不均衡による利己的/自己中心的な生き方
(1000/1000) 霊/精神/物質の不均衡による利己的/自己中心的な生き方
  • (1000/1000) 現在の地上社会では、自己を変化させようとせずに、自己以外を変化させようとする傾向が強く現れています
    • 物的にのみ豊かになった生活は、眼前の状況を丁寧に観察/考察せずに、また、自己の状況を内省せずに、外環境から物品などを得て安易に解決しようとします
    • ただし、外環境から物品などを得ても解決には至らず、物品などを得たために現れる都合の良くない状況へ、更に異なる物品などを得て解決しようとしています
    • 眼前の状況は、自己の無形的な内面が反映されているために、外環境から物的な物品を得ても解決はしないのです
    • 例として、夏季に自己の感じ取っている暑さ/熱さを、自己の内面を内省せずに、また、自己の用いている有形体の状況を観察/考察せずに、高い気温へ責任逃避してエアコン/クーラーで解決しようとします
    • 有形体の状況は、食事の時間帯、食事の量、食事の内容、活動量、活動の強度、有形体の様々な周期、熱/疲労、精神の状況、などによって絶え間なく変化しており、外環境の気温のみから自己の感じ取る暑さ/熱さの影響を受けているのではありません
    • これは、現在の自己が有する物事の捉え方を変えようとせずに、自己の物事の捉え方へ適合するように他者へ思考/発言/行動を変えさせようとする状況にも関連しています
  • (1000/1000) 地上にみられる、すべての物的/有形的な脅威は、国家間の軍事力/核兵器、紛争、などの大きな脅威も、他者との対立/軋轢[あつれき]、地域間の対立/不和、同業企業との競争、などの小さな脅威も、脅威の大きさに関わらず、個々の有する無形的な恐れ/怯えが生み出しています
    • 外環境に脅威があるのではなく、内環境の恐れ/怯えが、外環境に脅威があると認識させているのです
    • 自己の恐れ/怯えを土台とした他者への抑止力/対抗力は、他者の恐れ/怯えを増大させ、他者の自己に対する抑止力/対抗力を強化させるように「はたらき」かけ、お互いの恐れ/怯えを際限なく強め合う循環を形成します
    • これは、個体 対 個体だけでなく、集団 対 集団でも、国家 対 国家でも同様であり、個々の有する恐れ/怯えが総合されて、集団/国家などの恐れ/怯えを造り出しています
    • 脅威、暴力、虚偽、搾取、報復、懲罰、などの不誠実へ、不誠実な抑止力で対抗するのではなく、愛で応対するように努めれば、恐れ/怯えを土台とする循環を断ち切ることができます
知識/情報の違い
  • (1000/1000) 知識とは、理解した情報、あるいは、自己の体験を通して実証された内容です
    • 知識は外環境にはなく、自己の内面にのみあります
    • 外環境にあるのは、情報です
  • (1000/1000) 情報とは、外環境へ表現された、あらゆる表現内容の総称です
    • 書物、音曲、絵画、映像、などの内容だけでなく、物事、現象、出来事、物品、造形物、動作、態度、発言、行動、などの内容も含まれます
  • (1000/1000) 情報は、自己の理解/実証を通してのみ、知識となります
    • 科学的手法などにより、情報が客観的に検証されても、情報のままです
    • 自己が外環境の情報を受け入れ、自己の内面で理解/実証して知識となります
    • 他者の有している知識は他者にとっての知識であり、他者が外環境へ表現した知識は、自己にとっては情報のひとつとなります
(1000/1000) 自己と他者の知識
(1000/1000) 自己と他者の知識

成長の概要

  • (1000/1000) 自己のおこなう「あらゆる行為」は、世界の進化に影響を与え、どの程度の範囲に、どのような影響を与えたのかによって、自己の成長の促進/退行として還元されます
    • 与える影響の大きさ/範囲は、物的/有形的な影響の大きさではなく、無形的な影響の大きさによって決まります
    • 社会で物的に大きな規模の物事を成したからといって、世界の進化へ無形的に大きな影響を与えたとは限らず、日常の些細な行為のひとつひとつが世界の進化へ大きな影響を与えている場合もあります
    • 自己の行為によって、世界の進化を促進すれば、促進した程度に相応する「成長の促進」として自己へ還元され、一方で、世界の進化を停滞させれば、停滞させた程度に相応する「成長の退行」として自己へ還元されます
    • 言い換えると、自己のおこなっている生き方の性質/程度に対して、報奨を得る(成長の促進として還元される)、あるいは、代償を支払う(成長の退行として還元される)のです
    • 自己の内面へ向き合い、自己の有する恐れ/怯えへ立ち向かうほどに、得られる報奨が増大していきます
    • 自己の内面や恐れ/怯えから眼を逸らし逃げ回るほどに、支払う代償は増大していきます
  • (1000/1000) 成長は、大霊によって創造された、霊の成長の計画と、成長を規定する法則に基づいておこなわれます
    • 成長の計画には、成長の各段階で学ぶ必要のある内容が決められており、ある段階の内容を学び修得することで、次の段階の内容を学べるようになります
    • 成長の法則には、学び方(学びの方向性/指針)が決められており、学び方に沿って、成長の各段階の内容を学んでいきます
    • ただし、成長の各段階の内容を学ぶのか、学ばないのかは、本人の自由意志による選択に委ねられており、個々の霊に、成長を促進/停滞/退行させる選択をおこなう自由が与えられています
    • 同様に、成長の各段階の内容を、速く学ぶのか、ゆっくり学ぶのかも、本人の自由意志による選択に委ねられています
    • 霊の成長が、計画/法則から逸脱する状況はなく、例外も特別もありません
  • (1000/1000) 地上での物的な財産は、自己や他者の成長へ活かすためにあり、掻き集め、蓄え、しがみつくことに全く価値はありません
    • 有形体の使用期限を迎えれば、物的な財産の全てを捨て去らなければなりません
    • 地上から無形界へ持ち込める財産は、自己の経験と知識のみです
  • (1000/1000) 有形体の成長は、霊である自己の成長(霊的/精神的な成長)と全く関係がありません
    • 有形体は地上で活動するための道具であり、自己の成長のために道具を使用するのです
    • 道具には使用できる期間が決められているために、時間を浪費して、地上でしか体験できない限りある人生を無駄にしてはなりません
  • (1000/1000) 地上には、地上で生活する前に無形界で自身が決めた、何らかの、自己の成長のための目的と、他者(自己以外)の成長のための役割を有して来ており、地上での目的/役割を遂行することが、地上での自己/他者の成長を促します
    • 地上での目的/役割は、誰かに強制されたのではなく、自己が自身で決めたのです
    • 事前に決めた地上での目的/役割は、地上では思い出せない場合が多いですが、自己の内面に誠実に向き合う生活をしているのならば、適切な時機に自[おの]ずと気づいて(思い出して)いきます
  • (1000/1000) 自己の成長は、自己が成長すると決意し、自身で成長を実践することによってのみ成されます
    • 誰かに強制されるものではなく、他者が自己に代わって成してくれるものでもありません
    • 成長に安易な近道や抜け道はなく、順を追って、一歩一歩を確実に歩んでいくことで成し得るのであり、書物を読んだり、講演を聴いただけでは、成長は促されません
    • 書物や講演を切っ掛けとして、自己の内省をおこない、生活の習慣を修正していくことで、成長が促されるようになります
    • なお、「実践する」には、特定の物事/行為を積極的におこなう状況と、特定の物事/行為を積極的におこなわない状況の両方が含まれます
  • (1000/1000) 成長するうえで最も重要なのは、自覚して観察/考察(内省)することです
    • 外環境の様々な物事を自覚して観察/考察し、自己の内環境や自己のおこなう行為を自覚して内省する繰り返しが成長の促進へつながります
    • 自覚しないままに成長が促進される状況はありません
表現/行為/言動/発言/行動の違い
  • (1000/1000) 表現とは、霊によって造り出された「あらゆるもの」の総称です
    • 内環境で造り出される表現には、思考、感情、などがあり、内環境で造り出された表現を基にして、外環境にある万物/森羅万象が造り出されています
  • (1000/1000) 行為とは、内環境で表現を造り出すことと、造り出した表現を外環境へ向けて表す/現す活動の総称です
  • (1000/1000) 言動とは、内環境で造り出された表現を、有形体/無形体の活動を通して、外環境へ向けて表す/現すことです
    • 内環境で造り出された「表現」を、外環境へ「表現する」ことであり、表現することによって、外環境にある万物/森羅万象の「表現」が造り出されます
  • (1000/1000) 発言とは、言語、文字、図表、などを用いて、外環境へ表現する活動のことです
    • 発声、執筆、作曲、描画、などによる表現も含まれます
  • (1000/1000) 行動とは、有形体/無形体の動作を通して、外環境へ表現する活動のことです
    • 歩く、座る、踊る、造形物を造り出す、なども含まれます
(1000/1000) 行為の分類
(1000/1000) 行為の分類

至言の紹介

(1000/1000)「シルバーバーチ」
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信仰に燃えなさい
盲目的に信じる盲信ではなく
明確な知識に基づく信仰
確信をもつのです
(1000/1000)「瀞沁」
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何かを為すことだけが
悪になるのではありません
逃げ回ることも悪となるのです
何もしないことも悪となるのです
悪は行動ではなく
その不誠実な目的にあるのですから
そして
不誠実な目的を
別の不誠実な目的へ変えてみても
やはり悪なのです
不誠実な目的を消滅させることでのみ
悪でなくなるのです

質疑応答

  • それぞれの質問文を押すと、応答文が表示/非表示されます
    • すべての応答文を一括して開くには、「すべての質疑応答を開く」ボタンを押してください
    • すべての応答文を一括して閉じるには、「すべての質疑応答を閉じる」ボタンを押してください

知識について

(1000/1000)

 成長に必要とする知識を有していなくても、あるいは、有している知識を自覚していなくても、地上で霊的/精神的に成長していくことはできます。

 成長に必要とする知識は、成長の実践という航海に用いる海図であり、羅針盤でもあります。海図/羅針盤がなくても航海はできますが、成長という目的地を目指す強い意志を有していても、どの方向に目的地があるのかを知ることができず、現在に航行している位置も方向も確認できないために、長期に渡り放浪/回遊し続ける可能性もあります。もしも、成長に必要とする知識を自覚して有するようになれば、成長という目的地への方向が定まり、目的地へ辿り着くまでの道程を把握し、現在に航行している位置/方向を常に確認できるために、目的地へ向かって直進していけるようになります。目的地へ向けて速く航行するのか、あるいは、ゆっくりと航行するのかは本人が決められますが、目的地へ迷うことなく進めるようになるのです。これは、積極的に成長を促進できるようになり、更に、成長を飛躍させやすくもなる状況を表しています。

 加えて、海図/羅針盤に相当する知識の内容が、自己の有する海図/羅針盤を使い熟[こな]す程度(成長の程度)に適しているほどに目的地へ向けて進みやすくなります。海図/羅針盤を使い熟す程度が低いのであれば精度の高い海図/羅針盤を有していても適切に使えず、一方で、海図/羅針盤を使い熟す程度が高いのに精度の低い海図/羅針盤では役立ちません。現在の自己の成長段階に相応する知識の内容が、成長を実践し、更に成長していくために適切となります。

 海図/羅針盤に相当する知識の内容が有する程度は、真実度/活動性の程度として数値で測定でき、また、現在の自己の成長段階を知る目安として内的成長度も数値で測定できます(成長の程度そのものを測定することはできません)。これらの数値で測定できる指標を適宜に活用していくことが、航海という成長の実践を推し進めるようになります。真実度については1章2節 真実度、知識(表現)に付与された活動性の程度については3章9節 精神、内的成長度については4章3節 内的成長度を参照してください。

世界/人について

(1000/1000)

 現在では未だに、地上で生活している人からみると、霊は、人とは異なる不可解で恐れ/怯えの対象、あるいは、崇拝の対象に捉えている状況が多くみられます。同時に、自己のいる今この場ではなく、何処[どこ]か遠くにいる存在と捉えています。これらの自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく有している捉え方が、「霊」という語へ抵抗感/忌避感/特別感を感じさせているのです。

 しかし、単純に捉えるのならば、霊は、自己の周囲で生活している人々が、自己の肉眼に視えなくなっただけで、地上での生活そのままに自己の周囲で生活している方々といえます。地上で生活する人々と同じように、霊たちにも、欲望を追求し利己的/自己中心的で不誠実な生き方を続けている者もいれば、愛に溢れた生き方をしている者もいます。霊と人は、単に、肉眼で視えているのか? 視えていないのか? の違いに過ぎないのです。

 自己の周囲で生活している人々が、死を迎え有形体を捨て去り肉眼に視えなくなることで、突然に、地上で生活していた頃とは打って変わって、邪悪に豹変したり、あるいは、他者を思いやり愛に溢れるようになるのではありません。死を迎え有形体を捨て去っても、地上で生活していた頃と同様の生き方を続けています。そして、地上での生活と同じように、本人が強い意志で生き方を変えていくように努めない限りは、現在の生き方が何ひとつ変わることはないのです。地上で自己/他者/全体の成長を促す「価値ある人生」を送るように努めていたのならば、死んだ後も価値ある生活を送るようになり、一方で、利己性/自己中心性/欲望を満たすための「無価値な人生」を送っていたのならば、死んだ後も無価値な生活を送るようになります。地上/無形界での生活に関わらず、自己の内面から逃げ回り他者へ虚勢/見栄を張っているだけの生き方は、何時[いつ]までも無価値なままです。同様に、自己の利己性/自己中心性/欲望を満たすために他者を利用する生き方は、何時[いつ]までも無価値なままです。

 ただし、無形界で生活する霊の多くは、地上で生活している人よりも遥かに成長しており、人には想像もつかないほどに愛に溢れ、日々の中で他者/全体のために自身を役立てています。

(1000/1000)

 はじめに、地上で生活している我々には、大気(空気)、水蒸気、電気、電波、重力、放射能、なども肉眼で視えませんが、どうして当然のように存在すると認識しているのでしょうか? 電気/電波を用いているテレビ番組を視聴して、インターネットに接続し、家電製品を当然のように使っているのはどうしてでしょうか? 大気(空気)/水蒸気/電気/電波/重力/放射能などは存在すると誰かが言っていた、学校の教科書に書かれていた、などではなく、自身で考察したことはあるでしょうか? それらの存在を当然のように認識しているのは、肉眼で視える数値や画像として科学的に検証されているからです。そして、検証の結果に基づいて、機器が製造され、日常的に使用されているために、存在を自覚することもなく当然と認識しているのです。

 霊についても同様であり、現在から150年ほど前より、地上の様々な地域で科学的な検証が厳密/詳細におこなわれ、霊の存在を確固と証明する資料/文献/論文が膨大に蓄えられています。インターネット、図書館、などでも、これらの資料を探す意志さえあれば、際限なく見つけ出すことができます。現在において、霊の存在が日常的に当然と自覚して認識されるまでに至っていないのは、存在が確固と認識され拡まることで、自身の権威、利益、主義、などが脅[おびや]かされると自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく恐れ/怯えている者たちが、科学的な検証/証明の結果を誠実に考察することなく、握り潰し、あるいは、結果を捏造しているとでっち上げ、存在の否定を声高に叫んでいるためです。このような行動をとる者たちは、政界、産業界、経済界、医学界、教育界、研究者、宗教団体の関係者、評論家、著作家、ジャーナリスト、出版業界、などの、社会のあらゆる分野にいます。そして、これらの者たちには、彼らたちと同じような恐れ/怯え、固執、唯物主義、などに囚われ続けている地縛者/地獄者たちが多く憑依しており、本人を誘導し、思うがままに操っているのです。地縛者/地獄者については、2章5節 無形界の住人を参照してください。

 なお、現在において、霊の存在が日常的に当然と自覚して認識されるまでに至っているとはいえませんが、自覚できるものの自覚なく当然として認識されています。神社に参拝する(初詣など)、仏壇/墓前で手を合わせる、夏祭り/収穫祭をおこなう、「冥福を祈る」という文言を用いる(冥は冥界(無形界)を指しており、無形界の生活での幸福を祈っている)、などは本人がこれらの行動をおこなう自覚のある目的とは別に、その行動をおこなう根底には霊の存在が確固として認識されているのです。

(1000/1000)

 「邪」と「悪」は、双方ともに不誠実な行為をおこなう状況を表しています。

 邪は、自己のおこなっている行為が「不誠実だ」と気づくだけの知識を有していないために、自覚できるものの自覚なく不誠実な行為をおこなうことです。知識が不足している(無知)ためにおこなわれる不誠実な行為であり、行為の記録(-)の残高を加算させますが、加算される量は比較的に少ないです。邪による不誠実な行為は、地上/地獄層だけでなく、惑星圏無形界の各界層でもみられますが、成長の程度が高くなる(高い界層で生活する)ほどに減少していきます。行為の記録については、4章7節 行為の記録を参照してください。

 一方で、悪は、自己のおこなっている行為が「不誠実だ」と気づいたうえで、自覚して不誠実な行為をおこなうことです。利己的/自己中心的な行為と自覚しておこなわれるために、行為の記録(-)の残高を加算させますが、加算される量は比較的に多くなります。悪による不誠実な行為は、行為とともに暗闇(活動性の性質の表現)を造化して周囲へ漂わせます。暗闇を造化するような自覚しておこなわれる不誠実な行為は、地上/地獄層の生活のみでみられ、輝きから成る惑星圏無形界の各界層ではみられません。なお、悪意とは、悪をおこなう意志であり、自己の有する利己性/自己中心性/欲望に基づき、自己以外を自覚して瞬間瞬間の自己に都合良く利用する意志の方向性を指しています。悪意は必ず自覚して有し、自覚できるものの自覚なく有する状況はありません。造化される活動性の性質の表現については、3章9節 精神を参照してください。

 不誠実な行為は、自覚できるものの自覚なくおこなう不誠実な行為と、自覚しておこなう不誠実な行為に大別され、更に、自覚しておこなう不誠実な行為は、消極的におこなう状況、積極的におこなう状況、常に積極的におこなう状況、の3つに区分されます。

 自覚できるものの自覚なくおこなう不誠実な行為は、自己が不誠実な行為をおこなっていると気づいていないために、消極的/積極的に、また、断続的/継続的におこなう状況がみられ、理性は「不誠実な行為をおこなっている」という警鐘を発しません。自己のおこなっている行為が不誠実だと気づくだけの知識を有していないために、理性が警鐘を発していないのです。生き方の性質に関わらず、誠実な生き方でも、不誠実な生き方でもみられます。理性については、3章7節 心を参照してください。

 一方で、自覚しておこなう不誠実な行為では、消極的におこなう場合は、「不誠実な行為をおこなう以外に選択肢はない」と判断したうえでおこなっており、行為が断続的で、理性は「不誠実な行為をおこなっている」という警鐘を常に発しています。例として、戦争/紛争で国民を守るために応戦する、貧困の中で家族を養うために武装勢力へ参加する/売春に応じる、などがあり、不本意ではあるものの致し方なくおこなっている状況です。誠実な生き方をしている者にみられ、不誠実な生き方をしている者にはみられません。消極的におこなう不誠実な行為は、積極的におこなう状況へ移行しやすく、誠実な生き方から不誠実な生き方へ転換する可能性を有しています。

 自覚しておこなう不誠実な行為を積極的におこなう場合は、不誠実な行為をおこなう以外に選択肢はあるものの不誠実な行為を選択しておこなっており、行為が断続的で、理性は「不誠実な行為をおこなっている」という警鐘を常に発しています。生き方の性質に関わらず、誠実な生き方でも、不誠実な生き方でもみられます。積極的におこなう不誠実な行為は、常に積極的におこなう状況へ移行しやすく、誠実な生き方をしている者は不誠実な生き方へ転換し、また、不誠実な生き方をしている者は不誠実な生き方を強めていくようになります。

 自覚しておこなう不誠実な行為を常に積極的におこなう場合は、不誠実な行為をおこなう以外に選択肢はあるものの不誠実な行為を好んで選択したうえでおこなっており、行為が継続的で、理性は「不誠実な行為をおこなっている」という警鐘を発さなくなります。これまでに発していた理性の警鐘を放置/無視し続けてきたために、理性が警鐘を発しなくなったのです。常に積極的におこなう不誠実な行為は、不誠実な生き方をしている者にみられ、誠実な生き方をしている者にはみられず、積極的におこなう状況から移行してみられるようになり、ある不誠実な行為をおこない始めた当初からはみられません。

 この質疑応答に関連する内容には、2章5節 無形界の住人 #不誠実の性質を有している者/有していない者の違いがありますので参考にしてください。

(1000/1000) 不誠実な行為の区分

(1000/1000)

 はじめに、用語の定義は語を用いる者によって様々なために、同じ語を用いる者たちが全く同じ定義を有している場合もあれば、定義の一部が同じ場合もあり、それぞれの者たちで全く異なる定義を有している場合もある点に留意してください。詳細については、6章2節 書物を読む際の留意点を参照してください。

 情報、知識、知恵、智慧、智識、などの類似する用語は数多くみられますが、このサイトでは、類似する語を別々の定義で用いて記述が複雑になり理解を阻碍してしまう状況を避けるために、情報、知識、の2つの語のみを使用するようにしています。このサイトでの、情報/知識の定義は、この節の本編 #知識/情報の違い、また、3章7節 心 #情報/知識を参照してください。大雑把には、情報は、外環境のあらゆる表現の内容と、自己が外環境から取り込んだ表現の中で未だ理解していない内容を指しており、一方で、知識は、情報を理解した内容と、理解し自己の体験を通して実証した内容を指しています。加えて、このサイトでは、情報、知識、知恵、智慧、智識、などを包括する名称として「叡智」を用いています。叡智については、2章2節 大霊 #摂理を参照してください。

 なお、成長に必要とする知識の「無形的な印象」としての内容は、何時[いつ]の時代であっても不変です。それぞれの時代や、それぞれの地域に適した「有形的な記述」としての内容が変化しているだけに過ぎません。このサイトに掲載されている内容は、現在の「地球と呼ばれている惑星の進化の程度」、また、主に「日本と呼ばれている地域社会の成長の程度/情勢」へ相応するように文字/図表で記述されています。時代が変遷し、地球(惑星)の進化の程度や地域社会の成長の程度が上昇したのならば、そして、地域社会の情勢が変化したのならば、それらに相応するように文字/図表で記述する「地上での役割」を有した者が現れるようになります。

 この質疑応答に関連する内容には、1章1節 サイトを読むにあたって #質疑応答の「サイトで類似する定義の語を並べて記述している場合がみられるのには、何らかの意味があるのですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 西洋諸国(欧米)と呼ばれている地域の文化そのものではなく、西洋諸国に隆盛した「物質に偏重する捉え方」を採り入れ、その捉え方を社会の基盤としたことが、日本の社会にみられる霊/精神/物質の不均衡を生み出す原因となっています。「物質に偏重する捉え方」に基づく、金属機械、電子機器、様々な物品/衣服/食物の過剰な生産と過剰な消費の体制、必要以上に物品で溢れた生活、などが優れており、これまでの日本の伝統文化に基づく生活は劣っていると思い込んだ日本で生活する者たちが、個体/社会の霊/精神/物質の不均衡を生み出したのです。日本に生み出された霊/精神/物質の不均衡は、西洋諸国の文化そのものと直接的な関係はありません。

 地上の生活では、肉眼に視える物的な物事へ意識が向き囚われやすいために、肉眼に視えない霊的/精神的な物事への好奇心/関心よりも、物的な物事への好奇心/関心を強く有しやすいです。物的な物事への好奇心/関心は、様々な考察や探求/探究へつながる場合もみられますが、多くは欲望の追求へつながり、際限のない物品の消費/蒐集[しゅうしゅう]へと駆り立てています。物的な物事への好奇心/関心が強くなるほどに、肉眼に視える物事のみを観察させ、重視させ、肉眼に視えない物事を軽視するように「はたらき」かけ、物質に偏重する捉え方を形成し強めていきます。物質に偏重する捉え方に基づいて造り出される様々な物品の溢れた生活は、地域に受け継がれてきた文化に基づく生活よりも、肉眼では奇抜で豊かで優れているようにみえるために、自身の生活する地域の文化を劣っていると思い込み、劣等感と欲望に突き動かされて、丁寧に詳細に考察することなく既存の文化を排除し乗り換えようとするのです。社会の基盤となる捉え方の乗り換えは、現在でも地上の様々な地域でみられます。

 地上の歴史上では、霊/精神/物質の均衡を維持したままで、他の地域から様々な物事を採り入れた例は多くみられます。自身の生活する地域の文化/物事の捉え方を基盤として、他の地域の文化を積極的に採り入れ、生活の基盤を乗り換えることなく、融合/統合しています。重要なのは、新たに採り入れようとするもの、既に基盤としているもの、に関わらず、それぞれを偏りなく公正に観察/考察し、相互補完、相互資生するように融合/統合させていくことです。一方が優れていて、他方が劣っているというものはなく、それぞれの特性を把握するように努める必要があるのです。なお、相互資生とは、互いを資本/資源として互いを生かす/活かすことを指しています。

 社会の基盤となる捉え方は、生活する家屋に譬[たと]えられます。社会の基盤となる捉え方を乗り換えるのは、既存の家屋を壊して、全く異なる家屋を新築し、家屋で生活する状況といえます。もしも、和式建築の家屋から西洋式建築の家屋へ建て替えたのならば、家屋での生活様式も一変しますが、生活している者たちが、これまでの生活とは一変した生活様式に適切に順応できるとは限りません。一方で、既存の社会の基盤となる捉え方に他の地域の文化を融合/統合していくのは、現在の家屋を適宜に修繕/改修しながら、家屋で生活する状況といえます。もしも、和式建築の家屋へ西洋式建築を追加していくのならば、生活している者たちは、これまでの生活を基礎としながらも、適宜に追加された「これまでとは異なる生活様式」に順応しながら、和洋折衷[せっちゅう]と呼べる生活様式を確立するようになります。

 肉眼に視える物的な物事へ意識が向き囚われやすい地上の生活では、現代社会の物的な発展の基礎を成している「科学(主に数値/画像などの肉眼に視える形状で検証がおこなわれる)」を崇拝し、肉眼に視える形状で検証できない物事を「非科学的」と呼んで軽視/軽蔑/嫌悪する風潮がみられます。この風潮は、科学に基づいて構築された「科学的な生活」が優れているという自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない思い込みを造り出し、科学的な根拠に基づく医療、生産、建築、農耕、機械/電子機器の使用、などが先進的/優越的であり、これらを用いないのは後進的/劣等的と捉えるようになります。そして、発展途上国と呼ばれる比較的に科学的な生活の程度が低い地域(先進国/発展途上国という名称そのものが科学的な生活の程度で区別されている)や、先住民族への侮[あなど]り/嘲[あざけ]り/蔑[さげす]みにもつながっています。

 科学的な生活は、物的には豊かにみえますが、必ずしも霊の成長を促進するとは限らず、寧[むし]ろ、科学的な生活が「派生した誘惑」を増大させて利己性/自己中心性/欲望を喚起している側面も多くみられ、成長の退行へと誘[いざな]っています。現在に先進国/経済大国と呼ばれている国々では、社会の成長の程度が数値的には比較的に高く測定されるものの、実質的には成長へ努める誠実な生き方をしている少数の者たちが測定値を引き上げているだけであり、不誠実な生き方をして成長を退行させている者が多数を占めるように推移しています。

 加えて、物的な経済へ偏重した社会では、国家の内政/外交を決定しているのは、議員/行政ではなく、国民でもなく、大企業を主とする経済界、兵器を製造する企業(軍需/防衛産業)、銀行(金融業界)、などの思惑です。これらの思惑は、国家の内政/外交と同様に、マスメディアの多くが報道する内容/方向性や、司法の判決にも影響を与えています。大企業を主とする経済界、兵器を製造する企業、銀行、などの思惑が国家の内政/外交を決定しているという内容は、陰謀論/影の政府(ディープステート)などと呼ばれている物的な物事を指しているのではなく、有形的/無形的な運命の流れを表しています。様々な物事/現象/出来事を陰謀論として捉えるのは、幻想の捉え方に基づく僻み/嫉妬に含まれます。幻想の捉え方については5章2節 幻想、また、運命の流れについては4章6節 自由意志/運命を参照してください。

 参考までに、保有している物的な資産の総額が3000万USドル(おおよそ45億円)以上の者を「富豪」と定義した場合に、現在の地上社会で、富豪と呼ばれる者たちの中で誠実な生き方へ努めている者は、10人のうち0.0007人未満(10万人のうち7人未満)です。この人数は、誠実な目的で事業を発展させ資産が増大していく過程で不誠実な生き方へ転換した、あるいは、不誠実な目的で事業を展開して資産を掻き集めている者が多くみられる状況を表しています。彼らは、富裕国/貧困国と呼ばれる地域の違いに関わらず、物的な経済に偏重した社会での、人々の物事の捉え方、社会の構造、世論、国家の政策、などに大きな影響を与えています。物的な経済へ偏重した社会とは別に、宗教団体から強く影響を受けている社会では、宗教団体の指導者が、人々の物事の捉え方、社会の構造、世論、国家の政策、などに大きな影響を与えています。

 また、一部の者たち(為政者/大企業/投機家/富豪など)の思惑が、地上全体での食物/食糧や原油/天然ガス/鉱物の供給量/生産量、価格設定、分配量、などにも大きな影響を与えており、一部の者たちが利益を得たいためだけに操作して、多くの飢餓/貧困/紛争を生み出している状況、飢餓/貧困を取引/交渉の材料として利用している状況、飢餓/貧困を侵略/制圧の武器として用いている状況がみられます。自己/自社/自国の利益を得るために複数の他者/他企業/他国の間で対立/分裂/争いを煽[あお]り助長している状況もみられます。地上で生活する人の人口から捉えると僅かな人数に過ぎない一部の者たちの強い利己性/自己中心性/欲望が、地上社会の全体へ、差別/格差、飢餓、貧困、暴虐/虐待、対立/分断、紛争、などの不誠実性を蔓延させる切っ掛けとなっているのです。

 大企業を主とする経済界(多くの富豪を含む)、兵器を製造する企業、銀行、などの思惑の背後には、彼らへ憑依し操っている大勢の地獄者/地縛者たちがいる点に留意する必要があります。地上で生活している人であっても、地上でおこなっていた生活へ囚われている地獄者/地縛者であっても、物質に偏重する捉え方は、地上での生活に用いる/用いていた有形体が内包する「物質の心から受ける誘惑」と密接に関連しており、誘惑(利己性/自己中心性/欲望)に基づく行動へ駆り立てているのです。地獄者/地縛者については2章5節 無形界の住人、また、誘惑については5章3節 誘惑を参照してください。

 この質疑応答に関連する内容には、2章3節 有形界の構造 #質疑応答の「日本は、どれくらいの成長の程度にあるのですか?」がありますので参考にしてください。

成長について

(1000/1000)

 無形的な影響と有形的な影響には、因果関係はありますが、両者の影響の大きさに相関関係はみられません。影響の因果関係からみると、無形的な影響が原因となり、結果として有形的な影響を生じさせます。逆に、有形的な影響が、無形的な影響を生じさせる状況はありません。影響の大きさからみると、無形的に大きな影響が、有形的に大きな影響を生じさせる状況はありますが、必ずしも大きな影響を生じさせるとは限りません。無形的に大きな影響であったとしても、有形的には小さな影響しか生じさせない場合もあります。ただし、無形的に小さな影響は、有形的に生じさせる影響も小さく、有形的に大きな影響を生じさせる状況はありません。無形的な影響の大きさを上限として、有形的な影響の大きさが決まります。

 また、無形的な影響が、必ず有形的な影響を生じさせるとは限らず、無形的な影響が無形的な影響を生じさせる場合もあります。有形的な影響が、無形的な影響を生じさせる状況はありませんが、有形的な影響は他の有形的な影響を生じさせます。有形的に大きな影響は、有形的に大きな影響を生じさせ、有形的に小さな影響を生じさせる状況はありません。同様に、有形的に小さな影響は有形的に小さな影響を生じさせ、有形的に大きな影響を生じさせる状況はありません。

(1000/1000) 無形的/有形的な影響の関係と大きさ
(1000/1000) 無形的/有形的な影響の関係と大きさ

 なお、有形的な影響には、有形界のみでみられる「物的な影響」も含まれます。有形界では、無形的な影響の一部が有形的な影響を造り出し、そして、有形的な影響の一部が物的な影響として現れます。物的な影響とは、物体へ与える物理的な作用(磁気的作用力)によって生じる物体の変化を表しています。無形界では、無形的な影響/有形的な影響がみられ、物的な影響はみられません。無形的な作用力が加えられることで無形的/有形的な影響が現れ、また、有形的な作用力(磁気的作用力)が加えられることで物的な影響が現れます。無形的な影響は肉眼/霊眼に視えず、有形的な影響は霊眼に視え、物的な影響は肉眼に視えます。無形的な作用力については2章4節 無形界の構造 #無形的な作用力、有形的な作用力については2章3節 有形界の構造 #有形的な作用力を参照してください。

(1000/1000) 無形的/有形的/物的な影響の比較
(1000/1000) 無形的/有形的/物的な影響の比較

(1000/1000)

 地上で成長を求める者が少ないのは、自身で様々な物事/現象を観察/考察しようとしない、また、自身のおこなう行為を内省しないためです。眼前の肉眼に視える物的で些末な物事/現象に囚われ、物的な欲望/快楽の追求に時間と労力を注ぎ込み、世界の実相/生命の真相を知ろうとしないために、加えて、他者の意見(マスメディアの情報/書物へ掲載されている内容などを含む)や宗教団体の教義/教理を盲目的に信じ込み、自己の体験を通して詳細に物事/現象を考察/実証しようとしないために、何時[いつ]まで経っても、無知、偏見、固定観念、既成概念、などから自由にならないのです。自己を外環境/内面の「あらゆる束縛」から解放し、認識/捉え方を変化させ、自由を得ていく過程が成長を求めることでもあるからです。外環境を観察/考察しない状況や、自己の行為/内面を内省しない状況は、自己が行為をおこなう際に周囲を考慮しない/周囲へ配慮しない状況へもつながっています。自由については、5章4節 固定観念/既成概念 #自由とはを参照してください。

 地上では、有形体の内包する物質の心から絶え間なく誘惑の影響を受け続けています。誘惑は、短絡的で狭小な思考経路へ陥[おちい]らせ、眼前の状況に対して外環境から何らかを得て解決しようとする安易な対処をおこなわせるように「はたらき」かけ、物事を考察しない/自己の行為を内省しない「肉眼に視えない怠惰」を造り出します。そして、肉眼に視えない怠惰は、他者/周囲への無配慮、物品/情報を整理できない/溜め込む、部屋の片付け/掃除ができない、人通りのある公共の場/交通機関で通路/階段に座り込む、などの「肉眼に視える怠惰」を造化するだけでなく、固定観念/既成概念の囚われによる束縛を助長します。誘惑については5章3節 誘惑を参照してください。

 加えて、「肉眼に視えない怠惰」は、幻想の捉え方に基づく軽率[けいそつ]/迂闊[うかつ]の行動(浅慮/無配慮/無計画/刹那的な行動)を造り出します。地上社会では、様々な分野で、様々な資源/物品/物事を、どのように利用/活用するのか? という工程のみが研究/追求されており、利用/活用後に、どのように廃棄/処分や再利用/再活用するのか? 、あるいは、どのように利用/活用を制御/規制するのか? という工程が、利用/活用する前に考慮/計画されていません。同様に、電子端末の普及している現在では、物珍しい出来事/事件/人物を周囲や当事者への配慮なく我先[われさき]にと電子端末で撮影/録画する、自動車の運転中(信号待ちによる停車中を含む)や歩行中に周囲の状況へ意識を向けることなく電子端末を操作する、混雑する電車/バスの中で電子端末を操作して無用に空間を占拠する、店舗/図書館などの施設/電車/バスの中や歩行中に大きな声で電話を用いた対話をする、などの浅慮/無配慮/無計画/刹那的な行動が頻繁にみられます。幻想については、5章2節 幻想を参照してください。

 これらの浅慮/無配慮/無計画/刹那的におこなわれる行動は、個体の有する運命の流れや、企業/国家/社会/惑星などの共同体の有する運命の流れを不自然/不誠実な方向性へ流れるように「はたらき」かけており、疾病/障碍の発症、経営の不備/破綻、内政の阻滞、外交の不和/対立、気候変動、砂漠化、産業排水/廃棄物による公害、河川/土壌の汚染、などとしても現れています。

 世界の実相/生命の真相は、何処[どこ]か遠くにあるのではなく、眼前にも拡がっている点に留意してください。肉眼で視える/視えないの違いではなく、肉眼に視えていても知ろうとしないために、気づかないのです。気づかなければ(自覚して認識しなければ)、考察も理解も実証もすることができません。草木が育ち、根を張り、葉を繁らせ、花を咲かせて、実を結び、やがて枯れていく様子や、川の流れ、海の波が浜辺へ打ち寄せる音色/律動、雲の移り変わる様相、雷鳴、山を彩る木々の色彩の変化、月の満ち欠け、陽の出/陽の入りの淡い輝き、などの、誰もが日常に肉眼で視ることのできる、どのような表現の中にも世界の実相/生命の真相はあるのです。これらの中に世界の実相/生命の真相が隠されているのではなく、全て明らかに顕[あらわ]されているのですが、気づいていないだけです。また、自己が知っている物事/現象は僅かでしかないと気づかずに、自己は充分に知っているという思い込みと、そのように思い込む慢心/傲慢が、観察/考察から手を抜くように「はたらき」かけ、世界の実相/生命の真相から自己を引き離し、気づかないようにもさせています。眼前の物事を観察/考察する、丁寧に発言/行動する、などの、ひとつひとつの行為に手を抜くのならば、行為の積み重ねによって形成される「人生そのもの」からも手を抜いているのだと気づかねばなりません。

 そして、地上での短い生活の期間に、自身で様々な物事/現象を考察して世界の実相/生命の真相を知ろうと努めなかったばかりに、死んで有形体を捨て去ってからも、僅かな成長もしないままに長い期間を無形界で無価値に過ごす者が溢れているのです。地上で生活できる期間は有限であり、刻一刻と使用できる時間は減少しています。時間を浪費することなく、同時に、ひとつひとつの行為へ手を抜くこともなく、地上での人生を存分に成長へ活かす必要があります。

 地上で成長を求め実践していくには、自覚できるものの自覚していない物事を、自覚するように努めることが重要となります。自覚できるものの自覚していない無数の物事の中でも、特に、自己が自覚できるものの自覚なくおこなっている不誠実な行為や、固定観念/既成概念に基づく行為へ気づき、無用に成長を阻碍させる状況や、結果として成長を退行させる「行為の記録(-)の残高へ加算される」状況へつなげないようにする必要があります。譬[たと]えると、生活している家屋で火事が起きていたとしても、自己の背後に差し迫っている火に気づかないのならば、のんびりとテレビ番組を視聴しているままです。火に気づかなければ、消火はおこなえません。何時[いつ]までも差し迫る火に気づかないために、何時[いつ]の間にか自己の周囲を火に囲まれて身動きができなくなり、火傷を負わなければ脱出できない状況に追い込まれてしまうのです。行為の記録については、4章7節 行為の記録を参照してください。

 現在に自己のおこなっている生き方に気づくためには、必ず自身で気づく(自覚する)必要があります。他者が自己の生き方に気づかせてくれる状況は決してありません。他者が自己へできるのは、自己が自身で気づくための切っ掛けを提供することだけです。

 幻想/妄想の中で生活している者へ「あなたは妄想の中で生活している」と伝えても、幻想/妄想の中で生活している状況に気づくことはありません。自身の幻想/妄想に基づく発言/行動を、「妄想だ」と指摘されると、「妄想だと証明してみせろ」と嘲[あざけ]る状況も多くみられますが、その発言そのものが妄想です。幻想/妄想の中で生活している者が、自身で幻想/妄想の中で生活していると気づかない限りは、幻想/妄想から抜け出すことはできないのです。

 同様に、強い囚われに縛られて生活している者へ、「あなたは囚われに縛られている」と伝えても、強い囚われに縛られて生活している状況に気づくことはありません。自身の強い囚われに基づく発言/行動を、「囚われている」と指摘されると、「私は囚われてなどいない、あなたの偏見だ」と罵[ののし]る状況も多くみられますが、その発言そのものが囚われています。強い囚われに縛られて生活している者が、自身で強い囚われに縛られて生活していると気づかない限りは、強い囚われから解放される状況はありません。

 他者にできるのは、妄想や強い囚われに気づく切っ掛けとなるように、妄想に陥っていない手本/模範となる生活、また、強い囚われに縛られていない手本/模範となる生活を実践することです。

 この質疑応答に関連する内容には、4章2節 有形界での成長 #質疑応答の「現行人類には放射性物質/核エネルギーを扱うのは時機尚早に思えるのですが、核分裂の発見は現行人類に必要だったのでしょうか?」がありますので参考にしてください。

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