祈り / 瞑想

5章 成長の実践 - 5節 祈り/瞑想

個々の記述の真実度: 999.3-1000
節全体の真実度: 1000
節全体の活動性: 1000

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祈り/瞑想とは

  • (1000/1000) 祈り/瞑想とは、高い程度の「愛の行為」をおこなえるようにするために、大霊へ支援/援助を求め、また、自己が支援/援助を受け入れられるように、同調する活動性の程度を高める目的でおこなう行為の総称です
    • 「〇〇を祈っています」と発言することが「祈り」ではありません
    • 同様に、自己の内面や行為を内省することが「瞑想」ではありません
    • 祈り/瞑想は、特定の動作/作法のみを指しているのではなく、「同調する活動性の程度を高める」という明確な目的と、強い意志に基づいて造化される、無形的な思考、有形的な思考、発言、行動、などの、あらゆる行為が含まれます
    • 特定の動作を繰り返す、特定の文言を唱える、特定の物品を用いる、などは、「同調する活動性の程度を高める」という目的を明確にさせて意志を強めない限りは不要なだけでなく、寧[むし]ろ、囚われとなり、高い活動性の程度への同調を阻碍する状況にもつながります
    • 愛の行為については、次節の5章6節 愛の行為を参照してください
  • (1000/1000) 祈り/瞑想は、同調する活動性の程度を向上させて、造化する行為へ付与する活動性の程度を高めることで、現在の段階よりも更に高い活動性の程度が付与された愛の行為をおこなえるようにします
    • 行為へ付与できる活動性の程度は同調する活動性の程度を上限としているために、先[ま]ずは、同調する活動性の程度を向上させなければ、行為へ高い活動性の程度を付与できません
    • 同時に、高い活動性の程度を行為へ付与するには、付与する活動性の程度に相応する原素材の量を必要とするために、同調する活動性の程度を向上させて供給される原素材の量を増大させなければ、高い活動性の程度が付与された表現を造化できず、もしも、原素材の量が不足しているのならば、原素材の量に相応する活動性の程度しか付与されません
    • 同調する活動性の程度が高くなるほどに、原素材の供給量は増大し、行為へ高い活動性の程度を付与できるようになり、高い活動性の程度が付与された「愛の行為をおこなう習慣」が経験へと保存され、習慣が強められていくことで分霊の成長が促進されます
  • (1000/1000) 同調する活動性の程度を高めるほどに、強い祈りで支援/援助を求めることができるようになります
    • 同時に、天使たちとの疏通の程度も強まり、天使たちの支援/援助を受け入れやすくもなるために、天使たちが存分に支援/援助をおこなえるようになります
    • 誠実な性質を有する高い活動性の程度へ同調して造化される強い輝き(活動性の性質の表現)は、不誠実な性質の活動性に基づいて暗闇を造化している地獄者たちを遠ざけ、地獄者たちから受ける干渉/憑依を防ぐことにもつながります
  • (1000/1000) 成長を求め、自己を自己以外へ役立てようとする強い意志が、同調する活動性の程度を向上させるように、はたらきかけます
    • 意志が強くなる結果として、同調する活動性の程度が上昇するのであり、同調する活動性の程度が上昇することで、意志が強くなるのではありません

祈り

  • (1000/1000) 祈りは、同調する活動性の程度を高める目的と、愛の行為をおこなうための思考の内容で構成されており、目的/内容の総合された祈りの印象が無形界へと送られ、無形界で印象の内容が考察/検討された後に、祈りに相応する適切な支援/援助が、適切な時機におこなわれます
    • 祈りの内容が無形界へ送られるのと並列して、自己は無形界からおこなわれる即時の支援/援助の有無に関わらず、思考の内容に基づく愛の行為を外環境へ発言/行動としておこなっています
    • 無形界からの支援/援助とは、無形界の各界層からの支援/援助でもあり、地上へ帯同する天使たちからの支援/援助でもあり、大霊の心を通した支援/援助でもあり、これらは全て同じ大霊からの支援/援助を示しています
    • 祈りの内容は、「思考」という造化された表現のために、誠実/不誠実の性質と、付与された活動性の程度を有しており、誠実/不誠実の性質と活動性の程度が、世界の進化へ与える影響の方向性、与える影響の程度、影響を与える範囲を決定しています
    • 祈りが誠実な内容を有しているのであれば、付与された活動性の程度に相応する支援/援助が必ずおこなわれ、無視/放置され見捨てられる状況は決してありませんが、支援/援助がおこなわれる時機は、地上で自己の求める時機ではなく、無形界からみて適切な時機におこなわれます
(1000/1000) 祈りの工程
(1000/1000) 祈りの工程

瞑想

  • (1000/1000) 瞑想は、同調する活動性の程度を高める目的と、同調する活動性の程度を高める思考の内容で構成された祈りへ、即時に支援/援助がおこなわれる「祈りの過程」を指しています
    • 同調する活動性の程度を高める目的と、同調する活動性の程度を高める思考の内容で構成された祈りに対して、同調する活動性の程度を高める支援/援助がおこなわれ、この流れを繰り返す過程で、徐々に同調する活動性の程度が上昇していきます
    • 祈りと瞑想は別々の行為ではなく、「祈り」の行為を繰り返しおこなう過程が「瞑想」となります
(1000/1000) 瞑想の過程
(1000/1000) 瞑想の過程

祈り/瞑想の性質

  • (1000/1000) 明確な祈りの内容と、祈りをおこなう目的への強い意志が、祈りへ高い活動性の程度を付与して、祈りの強さを決定します
    • 祈りが強い程度を有しているほどに、高い活動性の程度を有する鮮明な印象として無形界の高い界層へと送られるようになり、高い界層に相応する支援/援助が検討され実行されます
    • 同時に、自己が祈りに基づいておこなう愛の行為にも高い活動性の程度が付与され、世界の進化へ大きな影響を与えるようになります
  • (1000/1000) 利己的/自己中心的で不誠実な目的に基づく祈り(願望)で、同調する活動性の程度を高めることはできません
    • 寧[むし]ろ、不誠実な目的に基づく祈りは、同調する活動性の程度を下降させるように、はたらきます
    • 自己の同調する活動性の程度を高めるのは、誠実に愛の行為をおこなうためであり、愛の行為は、自己のためにおこなうことはできず、「自己以外のために、あるいは、全体のために」のみおこなうことができます
    • 同様に、自己の成長は、自己という個体のためではなく、全体(大霊)のためにおこなうのであり、自己のために成長を求めても、成長できません
  • (1000/1000) 自己の内面に、焦り、急ぎ、力[りき]み、を有していると、誠実な祈りであったとしても、祈りは無効となり、無形界から支援/援助されません
    • 焦り、急ぎ、力みは、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく「自己という個体のために祈りをおこなおう」としている状況でみられ、個体のためという目的に対して、無形界から支援/援助はできません
    • 精神に騒響[ざわめき]があると、焦り、急ぎ、力みが現れやすくなり、意識に占める物質の心の影響力を増大させて、意識が受ける個体としての認識/感覚を強め、相対的に、意識に占める大霊の心の影響力を減少させて、全体としての認識/感覚を弱め、同調する活動性の程度を停滞/下降させるように、はたらきます
  • (1000/1000) 無形界から地上へ愛/叡智を浸透させるための道具として、自己を用いてもらう強い意志/受容性が、祈りを有効にします
    • 自己以外のために、全体のために、自己という個体を差し出す勇気/専心と、自己以外/全体への献身が、祈りへ高い活動性の程度を付与し、大きな支援/援助を受けられるようになります
    • 自己を道具として差し出す勇気/専心が、精神に落ち着きと静けさを造り出し、無形界からおこなわれる支援/援助を受け入れやすくします
    • なお、「自己を道具として差し出す」とは、自己犠牲を指しているのではなく、自己という個体へしがみつかずに、自己以外/全体へ自己を役立てることを表しています

祈り/瞑想の方法

  • (1000/1000) 祈り/瞑想は、何時[いつ]に、何処[どこ]で、どのような状況であったとしてもおこなえます
    • 座っていても、歩いていても、掃除/調理/洗濯をしていても、様々な作業をしていてもおこなえます
    • 1日の中で決まった時間を確保しておこなうのも、祈り/瞑想へ意識を集中し、祈り/瞑想の習慣を形成するために役立ちます
    • ただし、祈り/瞑想の時間になったからと惰性でおこなうようになると、惰性でおこなう習慣が形成されるようになり、高い活動性の程度へ同調できないだけでなく、成長を阻碍するようにもなります
  • (1000/1000) 祈り/瞑想には様々な実践の方法があり、地上のそれぞれの地域で受け継がれ発展していますが、その中で、日常におこなう活動を遅滞/阻碍させずに、同調する活動性の程度を高める効率の高い方法を下記に紹介します
    • 紹介する方法は、自己の意識が受ける感覚のみで祈り/瞑想をおこなう単純な方法ですが、必ずしも容易とは限らず、現在の成長の程度や、有形体の状況などによっては、難易度の高い方法となり、習熟に長い期間を必要とする場合もあります
    • しかし、どのような方法であっても、臆[おく]することなく、勇気をもって実践を始めなければ、「できない」が、「できる」ようにならないという点へ留意してください
    • 「実践できる/実践できない」は、実践する内容の難易度が決めているのではなく、「実践する/実践しない」を選択する自己の自由意志が決めています
    • 実践する内容の難易度が高くても、実践する意志があるのならば、始めは思うように実践できなくても、継続して実践する過程で、いずれは実践できるようになります
    • 実践する内容の難易度が低くても、実践する意志がないのならば、実践できないままであり、何時[いつ]までも実践できるようにはなりません
    • これは、祈り/瞑想や修養の生活を実践する場合に限らず、あらゆる物事をおこなう際も同様です
  • (1000/1000) 地上で瞑想法と呼ばれている内容の多くは、このサイトでの「内省」に含まれ、このサイトの「瞑想」とは異なる点に留意してください
    • 地上では、自己の行為や内面の絶え間ない変化を観察することが「瞑想法」として紹介されています
    • これらの瞑想法は、自己が自覚できるものの自覚していなかった行為や行為の目的を自覚し、物事を「あるがまま」に捉えていくための参考になりますが、必ずしも同調する活動性の程度を向上させるのにつながっているとは限りません

活動性から受ける感覚を認識する

  • (1000/1000) 意識が様々な活動性の程度から受ける感覚を認識していくことで、祈り/瞑想を明確に自覚しておこなえるようになり、また、鮮明な祈りの印象を造化できるようにもなります
    • 意識の受ける感覚は、無形体、有形体の4次元の側面、有形体の3次元の側面、の3者を通して受ける、それぞれの感覚を識別していくことが重要となります
    • 受ける感覚は、有形体の3次元の側面よりも有形体の4次元の側面が精妙であり、有形体の4次元の側面よりも無形体が更に精妙であり、祈り/瞑想で用いる「同調する活動性の程度」の感覚は、無形体を通して受ける感覚の中で認識していきます
    • 有形体の3次元の側面を通して受ける感覚には、五官(感覚器)を通して受け入れた触覚/痛覚/温冷感などがあり、強い物的な光、直射日光、風、気温の変化、大きな音、などによっても、粗雑な感覚を受けやすくなります
    • 有形体の4次元の側面を通して受ける感覚は、有形体内の活動性の感覚であり、同調する活動性の程度によって変化することはなく、おおよそ一定の活動性の程度のままですが、疲労、食事、有形体/外環境の無数の周期、などの影響によって、有形体内の活動性の感覚を鮮明に認識する状況もあれば、不鮮明に認識する状況もあります
    • 無形体を通して受ける感覚は、分霊の同調している活動性の程度、外環境の物事/現象の有する様々な活動性の程度、精神で造化した表現に付与されている様々な活動性の程度、などの感覚であり、自己の同調する活動性の程度を基準として、受ける感覚の粗雑さ/精妙さが相対的に変化します
(1000/1000) 意識が受ける感覚の対比
(1000/1000) 意識が受ける感覚の対比
  • (1000/1000) 無形体を通して受ける活動性の感覚は、有形体を通して受ける物的な感覚へ意識を向けないように努めることで感じ取れるようになります
    • 有形体を通して受ける物的で粗雑な感覚へ意識が向いたままでは、精細な感覚は粗雑な感覚へ埋もれているために、無形体を通して受ける活動性の「相対的に精細」な感覚を感じ取れません
    • 有形体を通して受ける粗雑な感覚へ意識を向けないように努めることで、粗雑な感覚を感じ取り難くなり、粗雑な感覚へ埋もれている精細な感覚を感じ取れるようになります
    • 有形体を通して受ける粗雑な感覚へ意識を向けないようにするには、「自己は霊であり、物体(有形体)ではない」という明確な自覚が必要であり、自己を物体(有形体)とする自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない誤認が、有形体を通して受ける粗雑な感覚へ自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく意識を向けさせているのです
    • 祈り/瞑想をおこなう際には、有形体を通して受ける粗雑な感覚へ意識を向けないようにして、更に、意識を向けないように維持し続けることが、最も難度の高い内容となりますが、この内容に習熟したのならば、日常の物的な活動を継続しながらでも、様々な活動性の程度から受ける僅かな感覚の違いを識別できるようになります
  • (1000/1000) 様々な活動性の程度から受ける感覚を識別していくのは、単純ですが容易とは限らず、識別するには意識を「受ける感覚」の一点へ集中する強い意志と充分な習熟を必要とし、加えて、その感覚は無形的であり、有形的な言語を用いて表現できないために、他者へ感覚を尋ねる/確認することはできず、自己が適切に感覚を識別できているのか/識別できていないのかは、自己の判断にのみ委ねられています
    • 適切に活動性の感覚を識別して祈り/瞑想をおこなえているのならば、同調する活動性の程度が僅かずつ上昇していくために、活動性から受ける感覚とともに静かな高揚感/浮遊感を感じ取るようになりますが、更に、筋反射検査で内的成長度を測定すれば、測定値の上昇として確認することができます
    • 精妙な感覚は、粗雑な感覚の中に埋もれて認識し難くいために、活動性から受ける感覚の識別に習熟するまでは、できる限り「有形体の3次元の側面」に受ける粗雑な感覚を取り払ったうえで、あるいは、軽減したうえで、精妙な感覚の認識へ集中することを推奨します
    • 筋反射検査については、1章3節 筋反射検査を参照してください
  • (1000/1000) 活動性の感覚を識別しておこなう祈り/瞑想は、習熟するほどに、何時[いつ]に、何処[どこ]で、どのような日常の物的な活動をしていても、活動の効率を低下させることなく、活動しながら祈り/瞑想をおこなえるようになります
    • 加えて、この祈り/瞑想の方法は、現在の成長の程度に関わらず、どのような成長の程度からでも実践することができ、現在の自己の状況に適した祈り/瞑想の方法へ適宜に微調整する場合はあっても、成長の程度が上昇するのにともない「祈り/瞑想の方法そのもの」を変更する必要はありません
    • また、地上だけでなく、無形界の人霊界でも用いることのできる祈り/瞑想の方法です

祈る

  • (1000/1000) 祈りの方法は、精神に、愛の行為をおこなうための思考の内容を強く保持するだけです
    • 精神で、祈りの内容以外の表現を造化しないように努め、意識を祈りの内容へ集中します
    • 祈りの内容となる思考は無形的な表現としての印象であり、印象の内容を鮮明にするために、言語/図表などの有形的な媒体を用いて、祈りの内容を思い浮かべるか、口述するのも有効ですが、有形的な媒体を用いるのは必須ではありません
    • 自己の同調する活動性の程度から受ける感覚を、強く鮮明に保持した印象からも受けるように、印象から受ける感覚を同調する活動性の程度から受ける感覚と同等の精細さとなるように移行させていきます(印象へ同調する活動性の程度と同等の活動性の程度が付与されます)
    • 印象を強く鮮明に保持して、同調する活動性の程度から受ける感覚と同等の感覚へ移行させているのならば、徐々に、印象から受ける感覚が精妙になっていく状況へ気づくようになります(同時に、同調する活動性の程度が上昇しています)
  • (1000/1000) 祈りで意識を向けるのは、印象の内容であり、有形的な媒体(文言/図像)へ意識を向けるのではありません
    • 有形的な媒体を用いて、祈りの内容を思い浮かべるか、あるいは、口述する際に、有形的な媒体や口述する行動そのものへ意識が向くと、印象の内容へ意識が向き難くなり、印象の内容が鮮明にならない場合もみられます
    • 有形的な媒体を用いるのは、印象の内容を鮮明にするための補助でしかないという点に留意してください

瞑想する

  • (1000/1000) 瞑想の方法は、呼吸の周期を利用して、呼気/吸気で、異なる祈り(印象の内容)を精神に保持し、交互に繰り返します
    • 前提として、活動性から受ける感覚は相対的なために、どれほどに同調する活動性の程度が高くなったとしても、現在に同調している活動性から受ける感覚は常に「混濁/粗雑/有重」として捉え、これから同調しようとする僅かに高い活動性から受ける感覚は常に「透明/精細/無重」として捉えていきます
    • 吸気での祈りは、呼気で拡大した感覚を維持したままで、活動性から受ける感覚を、混濁/粗雑/有重から、透明/精細/無重へ移行していきます
    • 呼気での祈りは、吸気で移行した透明/精細/無重の感覚を維持したままで、その感覚を感じ取っている範囲を拡大していきます
    • 「感覚を拡大する」とは、意識の範囲を拡大する(自己という主観性の範囲を拡大する)ことを指しており、有形体の感覚器を通して認識している有形体の周囲の物的な外環境へ多く偏り向いている(偏重している)意識を、自己が全体と認識する範囲(意識全体の範囲)へ偏りなく均等に向けて、肉眼に視える範囲へ拡大していくだけでなく、肉眼に視えない範囲へも意識を拡大していくように努めます
    • 肉眼に視えない範囲には、無形体を通して認識する有形的/無形的な外環境だけでなく、自己/他者の精神で造化する表現、物事の捉え方、習慣、などの無形的な物事も含まれます
    • 呼気/吸気のそれぞれでおこなう異なる内容の祈りを、どちらか一方だけではなく、呼吸とともに交互におこなうことで、同調する活動性の程度を高い効率で上昇させていきます
  • (1000/1000) 呼気/吸気ともに、意識を僅かに後方へ引きながらおこなうと、吸気では透明/精細/無重の感覚へ移行しやすくなり、呼気では感覚(意識の範囲)を拡げやすくなります
    • 意識を僅かに後方へ引くのは、意識の受ける人体/心の位置関係では、前方に、相対的に活動性の低い有形体と、意識に拡がりのない物質の心があり、後方に、相対的に活動性の高い無形体と、意識に広大な拡がりをもつ大霊の心があるためです
    • 意識を僅かに後方へ引くことで、有形体の3,4次元を通して受ける粗雑な感覚よりも、後方にある無形体を通して受ける精細な感覚へ意識を向けやすくなり、同時に、拡がりのない物質の心よりも、広大な拡がりをもつ大霊の心へ意識が向きやすくなるために、活動性の感覚を拡大しやすくなります
    • なお、意識を後方へ引くのは、自己という認識が後方から引くのであり、自己という認識が後方へ押すのとは、自己の立ち位置が異なっている点に留意してください
    • 意識の受ける人体の位置関係については3章2節 外的構造を、心の位置関係については3章8節 意識を参照してください
  • (1000/1000) 瞑想の過程で、現在の成長の程度を基準とする「認識に占める相対的な有形的/無形的認識の割合」が、有形的認識よりも無形的認識が優勢になると、呼吸や、意識を後方へ引くことへ僅かにでも意識を割り振っている状況が、更に高い活動性の感覚へ移行/拡大するのを阻碍するようになる場合もあります
    • 高い活動性の感覚へ移行/拡大するのを阻碍しているように感じた際には、呼吸などへ僅かに向けている意識を、活動性から受ける感覚のみへ意識を集中して向けるようにします
    • 呼吸や、意識を後方へ引くのは、活動性から受ける感覚を移行/拡大しやすくするための補助でしかないために、全ての意識を活動性から受ける感覚のみへ集中させたのならば、感覚の移行/拡大は交互ではなく、同時進行で並列しておこなえるようになります
    • 感覚の移行/拡大を阻碍していると感じる目安は、瞑想中に、有形体を通して受ける感覚のほとんどを自覚して認識しなくなり、意識のみが自己と認識する感覚の段階となります
(1000/1000) 瞑想の過程
(1000/1000) 瞑想の過程

成長の道標

  • (1000/1000) 祈り/瞑想で同調する活動性の程度を高めていくには、祈り/瞑想をおこなう目的と、祈りの内容を明確にし、強い意志で常に実践していくことです
    • 自己の実践を通して、自己に適した祈り/瞑想の方法を模索していくのが、最も高い効率で同調する活動性の程度を高めるようになり、同時に、知識を貯蔵し、成長の学びへとつながります

自問する

  • (1000/1000) 自己を内省して、何のために祈り、なぜ瞑想するのか、を自問し、祈り/瞑想をおこなう目的を明確に自覚します
    • 誠実な目的か? 目的に不誠実さを含んでいないか? 囚われはないか? 惰性になっていないか? 思い込みはないか? などを詳細に内省します
    • 祈り/瞑想をおこなう目的に、自覚できるものの自覚していない内容が含まれており、目的が不明確なままで祈り/瞑想をおこなえば、不明確な目的に相応する結果が現れるようになります

活動性を高める

  • (1000/1000) 祈り/瞑想をおこなう目的を明確に自覚したのならば、次は、強い意志で意識を集中して祈り/瞑想をおこなうだけです
    • 祈りの内容は、どのような愛の行為をおこなうのか? が、具体的で、明確なほどに、強い鮮明な印象を造り出します
    • そして、同調する活動性の程度の上昇にともない変化する、認識、意識、また、造化する行為/表現の程度、行為/表現の内容、などを維持して習慣を形成し、形成した習慣を強めていきます
  • (1000/1000) 常に祈り/瞑想を続けていると、同調する活動性の程度が高まりやすい状況、高まり難い状況、活動性から受ける感覚を認識しやすい状況、認識し難い状況、などは必ず現れてきますが、それらの状況を詳細に考察し、なぜ容易にできたのか? なぜ容易にできなかったのか? なぜ困難だったのか? を把握するように努めます
    • 疲労の有無/程度、生活の中での物的な活動の内容/強度/量、食事の内容/量/摂取の時間帯、有形体の熱の有無/程度、精神の騒響[ざわめき]の有無/程度、祈り/瞑想をおこなう時間帯/経過した時間、祈り/瞑想への集中の程度、有形体/外環境の無数の周期、物質の心から受ける誘惑の強さ、などの、相互のつながりを総合して考察し、容易にできた状況と、容易にできなかった状況や、困難な状況との比較を通して、自己に適した祈り/瞑想の方法を模索していきます
    • 特に、精神の騒響は、意識に混濁/粗雑/有重の感覚を生み出しやすくするために、活動性から受ける感覚を認識していくうえで、騒響を起こしている状況を詳細に考察するのは重要な点となります
  • (1000/1000) 祈り/瞑想で同調する活動性の程度を高めたのならば、日常の生活の中で、高めた活動性の程度を維持するように努めます
    • 同調する活動性の程度を高めるのは、高めた活動性の程度を維持するよりも容易です(高めた活動性の程度を維持するのは容易ではありません)
    • 地上では、自己/他者の同調する活動性の程度が相互に影響を与え合うために、未だ社会の成長の程度が低い現在では、自己の同調する活動性の程度を上昇させるほどに、周囲から「下降させようとする無形的な圧力」が強く加わえられてきます
    • 逆に、自己の同調する高い活動性の程度が、他者の同調する活動性の程度にも影響を与え、他者へ成長を促すように無形的に「はたらきかけ」ている点にも留意してください
    • どのような状況であっても、強い祈りで大霊へ支援/援助を求め、愛の行為をおこない、不誠実な表現を造化しないように制御へ努めて地獄者たちに憑依する隙[す]きを与えないようにしていくことで、同調する高い活動性の程度を維持できるようになります
(1000/1000) 活動性の影響
(1000/1000) 活動性の影響

至言の紹介

(999.3/999.3)「シルバーバーチ」
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地上の皆さんは直向[ひたむ]きに
真理を拡め、知識を拡め
叡智を拡め、光明を拡め
一人でも多くの人の心へ
感動を与えるように努めてください
往々にして、その努力の結果は
地上の皆さんには解らないものです
解らないままでもよいのです
構わずに突き進んでください
そして
世間の批難/中傷にも構うことなく
自身の内にある輝きへ誠実に従い
直向きに突き進んでください
(1000/1000)「瀞沁」
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祈りは
自己の願望を叶えてもらうために
おこなうのではありません
自己を使ってもらうためにおこなうのです
地上へ愛/叡智を浸透させるための
ひとつの道具として使用してもらえる喜び
使用されてこそ道具は価値があり輝くのです
使われない道具に価値はありません
(1000/1000)「瀞沁」 
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成長への実践の方法を伝えられても
実際に実践し始めると
細々とした疑問が次から次にと
浮かび上がってくるものです
その疑問は自己の実践を通して
詳細に考察されることによって
自[おの]ずから答えを導き出し
知識として蓄えられていきます
そして
伝えられた実践の方法は
自己に最も適した方法へと発展していくのです

質疑応答

  • それぞれの質問文を押すと、応答文が表示/非表示されます
    • すべての応答文を一括して開くには、「すべての質疑応答を開く」ボタンを押してください
    • すべての応答文を一括して閉じるには、「すべての質疑応答を閉じる」ボタンを押してください

活動性の感覚を認識する

(1000/1000)

 「同調する」とは、自己を「同調する対象そのもの」として認識していく状況を指しています。言い換えると、自己と「同調する対象そのもの」を、同化、同一化、一体化、融合、していくともいえます。

 意識が感じ取る「高い活動性の程度」から受ける感覚は、未だ自己の有する活動性の程度(現在に同調している活動性の程度)の感覚ではないために、両者から受ける感覚には差があります。この感覚の差を把握し、差を埋めていくために、自己を高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚そのものと認識(同化/同一化/一体化/融合)していくことが、高い活動性の程度へ同調する方法となります。活動性の程度への同調は、ラジオのチューニングへ譬[たと]えられます。敷衍[ふえん]している無数の周波数の中で、受信したい周波数へ、ラジオの受信する周波数の感応の程度を合わせていきます。敷衍する周波数がラジオへ合わせるのではなく、また、ラジオが受信したい周波数を造り出しているのでもありません。もしも、高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚を把握し難い場合には、自己を「太陽光の輝き」そのものと認識(同化/同一化/一体化/融合)していくように努めると、「透明/精細/無重とは、どのような感覚なのか?」を把握しやすくなります。ただし、太陽光から受ける熱感へ同化/同一化/一体化/融合していくのではなく、輝きそのものへ同化/同一化/一体化/融合していく点に留意してください。熱感は有形体を通して受ける粗雑な感覚です。

 無形的認識に基づいて捉えると、同調する、同化する、同一化する、一体化する、融合する、付与する、などは「同じひとつの活動」です。高い活動性の程度へ同調する際と同様に、行為へ活動性を付与する方法も、「自己がおこなう行為そのもの」を自己と認識していく(自己と行為に分離がなく一体となる)ことを指しています。そして、行為へ与えていく、丁寧、美、静謐、輝き、なども意識の受ける感覚のために、行為へ意識を集中したままで、自己が「それらの感覚そのもの」と認識していくことによって与えられるようになります。これは、自己と、自己のおこなう行為、丁寧/美/静謐/輝きなどの感覚、の3者に分離がなく、「同じひとつのもの」へと融合していく状況を表しています。行為へ丁寧/美/静謐/輝き/などを与えていくことについては、次節の5章6節 愛の行為を参照してください。

 有形的認識に基づいて捉えると、行為をおこなう者と、行為をおこなう意志、おこなう行為の3者は分離していますが、無形的認識では、3者は同じ「ひとつ」です。意識を行為の一点へ集中するほどに、有形的認識が優勢な状況から無形的認識が優勢な状況へと移行していくために、行為をおこなう者(自己/意識)と、行為をおこなう意志、おこなう行為、に区別がなくなって(同化/同一化/一体化/融合して)いきます。

(1000/1000)

 はじめに、成長には、近道、早道、抜け道、裏技、奇策、例外、などはないという点に留意してください。自身で様々に試し模索していく過程で、どうして高い活動性の感覚を把握できないのか? を、詳細に内省し続ける必要があります。内省し続けることで、必ず、これまでに自覚できるものの自覚していなかった、高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚の把握を阻碍している「何らかの囚われ」へ気づくようになります。多くの場合では、有形体を自己と強く誤認しているために、有形体を通して受け入れた「個体としての物的な認識/感覚」へ囚われている状況がみられます。

 地上の生活で、現在に自己が同調する活動性の程度よりも相対的に高い活動性の程度から受ける感覚を捉えていくのは、広大な砂浜の中から砂に埋もれている一欠片[ひとかけら]の貝殻を見つけ出すことへ譬[たと]えられます。意識が常に受け続けている無数の粗雑な感覚(主に有形体に起因する感覚)の中から、一点の精細な高い活動性の感覚を見つけ出すのです。大切なのは、貝殻は砂に埋もれて未だ見つけられていないだけであり、探し続ければ必ず見つけ出すことができるという点です。砂浜の何処[どこ]にも貝殻が埋もれていないという状況は決してないのです。意識の受ける無数の感覚の中から一点の精細な感覚を見つけ出すためには、できる限り粗雑な感覚へ意識を向けないように努め、同時に、精細な感覚を探索し続ける強い集中(強い意志)を常に必要とします。

 意識は常に「何らか」へ向く特徴があり、あらゆる一切に向かないという状況はありません。分霊は絶え間なく活動しており、活動を停止する状況はないために、分霊の有する「自己という主観性」を表す意識も絶え間なく何らかへ向いているのです。そして、意識は粗雑な感覚ほどに強く感じ取りやすいために、精細で無形的なものよりも粗雑で有形的ものへ向きやすく、粗雑で有形的ものよりも更に粗雑で物的なものへ向きやすいです。有形体を通して受ける「あらゆる物的な感覚」へ意識を向けないように努め、更に、無形体を通して受ける「あらゆる有形的な感覚(精神で造化する有形的な形状の表現から受ける感覚を含む)」へ意識を向けないように努めることで、無形体を通して受ける「無形的な感覚」へ意識が向くようになります。物的/有形的な感覚へ意識を向けないように努める際には、物的/有形的な感覚の一部へ意識を向けないのではなく、すべての物的/有形的な感覚へ意識を向けないように努めることが大切です。

 精細な感覚を探索していくうえで最も難度が高いのは、粗雑な感覚へ意識を向けないようにする点にあります。感覚へ「意識を向ける/向けない」は文字/言語/図像での描写が困難であり、また、個々によって感覚へ意識を向ける/向けないの適した方法は異なります。粗雑な感覚へ意識を向けないようにする際の感覚的な譬[たと]えを3つ紹介しますが、必ず自己の模索を通して、自己に適した方法を探し出すようにしてください。

  • 砂時計の砂が一点の穴へ集まり流れ落ちるように、意識に拡がる粗雑な感覚を一箇所へ集め沈み込ませていきます
  • 朝霧が太陽に照らされて徐々に霧散していくように、意識に拡がる粗雑な感覚を消散させていきます
  • 乗車している乗り物が後方へ移動することで周囲の景色が前方へ流れていくように、粗雑な感覚が拡がる意識の範囲から後方へ抜け出していきます

 この3つの譬えでは、粗雑な感覚へ意識を向けないようにする方向性は異なりますが、どの譬えの方法でも粗雑な感覚へ意識を向けないようにでき、精細な感覚を感じ取りやすくします。また、これらの譬えは、粗雑な感覚へ意識を向けないようにする際だけでなく、意識を一点へ集中する際にも、自己と自己のおこなう行為の一体感を感じ取っていく際にも、「在る」の状況へ至る際にも、感覚的に共通している側面があります。

 更に、高い活動性の程度から受ける感覚(透明/精細/無重の感覚)に気づくための具体的な方法として、下記を例に挙げます。

 風が入らず、暑くも寒くも感じることのない、静かな暗い部屋の中で肉眼を閉じて立ち、自己が「自己と信じている」あらゆる内容を大気へ溶かしていくように想像しながら、同時に、自己が感じ取っている粗雑な感覚へ意識を向けないように努めます。自己と信じているあらゆる内容には、呼吸、心臓の拍動、床の感触、着ている衣服の感触、手足の感覚、などの有形体を通して受ける感覚が含まれ、強い疲労のない状況、また、空腹の状況が、これらの粗雑な感覚へ意識を向けないように努めやすくなります。粗雑な感覚へ意識を向けないように努めるほどに、徐々に、有形体を通して受ける感覚が薄くなり、相対的に感じ取りやすくなった透明/精細/無重の感覚が、無形体を通して受ける活動性の感覚となります。

 この方法によって感じ取る透明/精細/無重の感覚は、有形体に起因する粗雑な感覚が薄くなるために認識しやすくなった「現在に同調している活動性の程度」から受ける感覚となります。現在に同調している活動性の程度よりも相対的に高い活動性の程度から受ける感覚は、この無形体を通して受ける「現在に同調している活動性の程度」の感覚を基準として、更に透明/精細/無重の感覚を探索していくことで感じ取るようになります。この例のような方法を用いて透明/精細/無重の感覚を把握できるようになれば、日常の物的な活動をおこないながらでも、無数の粗雑な感覚の中に埋もれている精細な高い活動性の感覚を捉えやすくなります。有形体を通して受ける感覚へ意識を向けなくなると、地面/床/壁/座面などに接触している部分を除き、手指/足先などから体幹部へ向けて徐々に感覚を感じ取らなくなり、感覚器の集まる頭面部のみから感覚を感じ取るようになります。その後に、高い活動性の程度から受ける精細な感覚を鮮明に感じ取るようになると、地面/床/壁/座面などに接触している部分や頭面部から受ける感覚も感じ取らなくなり、意識のみが存在していると感じ取る「無/空」と呼ばれる状況となります。無/空については、6章3節 質疑応答 #質疑応答の「「無」や「空」と表現されているものは何を表しているのですか?」を参照してください。

 加えて、強い粗雑な感覚を生み出しやすい状況の中で、高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚を認識できるように訓練して、高い活動性の程度から受ける感覚を積極的に捉えていくこともできます。外環境で強い粗雑な感覚を生み出しやすい状況には、強い風、強い直射日光、大きな騒音(音曲/テレビの音声などを含む)、大きな話し声/喋り声、などがあります。これらに晒[さら]された中で、立位で静止した状況から始め、徐々に、歩きながら、軽く走りながら、様々な作業をしながら、などで高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚を認識できるように努めていきます。また、有形体の頭面部は感覚器が集まっているために、頭面部への触覚などは意識へ強い粗雑な感覚を生み出しやすくなります。頭面部へシャワーなどで水を当てながら、あるいは、頭部へタオルを巻きながら、高い活動性の程度から受ける感覚を認識していくことも有効な訓練となります。相対的に高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚と、混濁/粗雑/有重から透明/精細/無重へ移行する感覚を把握したのならば、強い粗雑な感覚を生み出しやすい環境であったとしても、有形体の熱/疲労などで受ける感覚の識別が不鮮明な状況であったとしても、同調する活動性の程度を比較的に高めやすいです。

 地上の生活では、物的な物事から受ける粗雑な感覚で溢れているために、熱、疲労、怪我、疾病、感情の造化、物事への熱中、などの「何らかの原因」によって、活動性の程度から受ける相対的に精細な感覚を感じ取れなくなる(活動性の程度から受ける感覚を見失う)と、再度に感じ取るようになる(活動性の程度から受ける感覚へ気づき直す)のに多大な労力を必要とします。活動性の程度から受ける感覚を、数時間、数日、数週間で気づき直す場合もあれば、一方で、何ヶ月、何年の期間を経てから気づき直す場合もあります。活動性の程度から受ける感覚へ気づき直す状況もまた成長への学びにつながりますが、できる限り活動性の程度から受ける感覚へ常に意識を向けておくように努め、活動性の程度から受ける感覚を見失わないようにすることが大切です。

(1000/1000)

 実際に高い活動性の程度へ同調している場合と、高い活動性の程度へ同調していると思い込んでいる場合とは、筋反射検査を用いて内的成長度を測定すれば区別できます。実際に高い活動性の程度へ同調できているのならば、内的成長度の測定値の上昇として確認することができます。一方で、高い活動性の程度へ同調していると思い込んでいるだけであれば、内的成長度の測定値は変化していない(停滞している)、あるいは、測定値の下降としてみられます。筋反射検査については1章3節 筋反射検査、内的成長度については4章3節 内的成長度を参照してください。

 意識が受ける様々な感覚は相対的であり、内面の状況、有形体/外環境の無数の周期、熱、疲労、などによっても、同じ活動性の程度から受ける感覚は変化して感じ取るようになり、受ける感覚が一定ではありません。意識の受ける感覚から「高い活動性の程度へ同調している/同調していない」が把握し難い際には、絶対的な指標としての内的成長度を測定して測定値を確認し、どうして意識の受ける感覚から把握し難かったのか? を考察するように努めることで、成長の学びへつながるようになります。

 また、実際に高い活動性の程度へ同調している/同調していないに関わらず、内的成長度の同調値(現在に同調する活動性の程度)を適宜に測定することで、祈り/瞑想をおこなう際の「同調する活動性の程度を高めよう」とする意志の有無、意志の方向性、意志の強さを明確にでき、高い活動性の程度へ同調しやすくなります。あらゆる行為をおこなう土台には意志が必要であり、明確な意志を有する(明確な意志の方向性を自覚する)ほどに、行為を鮮明に自覚しておこなえるようになる点に留意してください。加えて、内的成長度を適宜に測定して把握することで、日々の生活の中でも「同調する活動性の程度を高めよう」とする意志の有無、意志の方向性、意志の強さを持続でき、同調する活動性の程度を維持しやすくなります。

 この質疑応答に関連する内容には、4章6節 自由意志/運命 #質疑応答の「眼前の選択肢の中から正解の選択肢を選び続けることで、成長が促進されていきますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 自己の同調する活動性の程度に関わらず、常に高い活動性の程度から受ける感覚が透明/精細/無重なのは、同調している活動性の程度よりも高い活動性を認識できる範囲が、常に同調している活動性の程度よりも「僅かに高い程度」の範囲に限られ、それよりも更に高い活動性の範囲は認識できないためです。逆に、同調している活動性の程度よりも低い活動性の範囲では、混濁/粗雑/有重と感じる程度に違い/差を把握することができるようになります。

(1000/1000) 同調する活動性の程度と受ける感覚
(1000/1000) 同調する活動性の程度と受ける感覚

 同調する活動性の程度を高めていくためには、現在に感じ取れる「できる限り透明/精細/無重の感覚」を探索していく必要はありますが、現在に感じ取れない程度の「透明/精細/無重の感覚」を追い求めていこうとすると、同調する活動性の程度よりも相対的に高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚を見失う状況もみられます。高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚を見失った場合には、実際に外環境の高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚と、自己が精神で想像した表現から受ける透明/精細/無重の感覚を誤認してしまう状況や、瞑想と睡眠を混同する状況へ陥[おちい]る可能性もあります。

 特に、内的成長度の最高値は高く維持されているものの、一時的に内的成長度の同調値が下降している状況では、現在の「内的成長度の同調値」では感じ取れない「内的成長度の最高値よりも高い程度」から受ける透明/精細/無重の感覚を追い求めてしまい、「内的成長度の同調値と最高値との範囲内」から受ける透明/精細/無重の感覚を見失いやすくなります。常に、様々な程度の活動性から受ける感覚を把握するように努めることで、現在に感じ取れる透明/精細/無重の感覚を見失い難くなります。内的成長度の同調値/最高値については、4章3節 内的成長度を参照してください。

(1000/1000)

 高い活動性(同調している活動性の程度)から感じる透明/精細/無重の感覚を常に維持して行為をおこなうのならば、同調している活動性の程度と同等の高い活動性の程度を行為へ付与できるようになります。自己の同調する活動性の程度が向上するほどに、行為へ付与できる活動性の程度も高くなりますが、意識が活動性から受ける感覚は常に透明/精細/無重です。逆に捉えると、常に同等の活動性の程度を行為へ付与し続けているのならば、はじめは透明/精細/無重の感覚を感じ取っていたとしても、徐々に混濁/粗雑/有重の感覚と感じ取るようになる状況を表しています。

 言い換えると、活動性の程度の絶対的な認識は、活動性の程度が高くなるほどに精細となり、活動性の程度が低くなるほどに粗雑となるのに対して、活動性の程度から意識が受ける感覚は相対的であり、活動性の程度に関わらず、内的成長度の最高値付近での活動性の程度からは常に透明/精細/無重と感じ取ります。行為へ付与された活動性の程度を測定するのは、自己の考察、研究、調査、などの場合であり、日常生活の中では、行為へ付与する活動性の程度を逐一に測定する必要性がありません。そのため、常に自己が現在に感じ取ることのできる最も透明/精細/無重の感覚を維持して行為をおこなうように努めているのならば、同調する活動性の程度に相応する高い活動性の程度を付与できようになります。内的成長度については、4章3節 内的成長度を参照してください。

(1000/1000) 活動性の程度の絶対的な認識と相対的に受ける感覚
(1000/1000) 活動性の程度の絶対的な認識と相対的に受ける感覚

 なお、現在に同調する活動性の程度よりも高い活動性の程度から受けるの感覚は相対的で、常に透明/精細/無重の感覚を受けますが、一方で、高い活動性の程度へ同調していくことで認識する「意識の拡大の程度(意識全体の範囲)」は相対的ではなく、絶対的です。高い活動性へ同調していくほどに、意識全体の範囲は拡大していきます。

(1000/1000)

 はじめに、無形的認識に基づいて捉えると、意識が方向性(空間/距離/時間を含む)の感覚を認識する状況はありません。有形的認識に基づいて捉えた際に、方向性の感覚を認識するようになります。下記の内容は、地上での方向性の捉え方であり、同じ有形的認識に基づいて捉えたとしても、惑星圏無形界での方向性の捉え方は異なります。また、宇宙圏無形界での生活の基本は無形的認識に基づいて捉えており、必要とする場合に適切な程度の有形的認識に基づいて捉えます。

 自己は、意識の方向性、有形体の方向性、活動性の方向性、その他の様々な方向性の感覚を同時に感じ取っています。それらの無数の感覚の中から、どの方向性を強く感じ取るのかは、自己が意識を集中して向けている方向性によって決まります。なお、下記では、方向性を上下前後の4方向で記述し、左右は記述の複雑化/難解化を避けるために除外しています。

 活動性から受ける方向性の感覚は、地上に対する鉛直方向の向きを有しており、地上から離れるほどに活動性の程度は高くなり、逆に、地上へと近づくほどに活動性の程度は低くなります。なお、離れる/近づくとは認識の遠い/近いを表しており、距離の遠い/近いを表しているのではありません。認識の遠い/近いについては、2章1節 世界全体の構造 #質疑応答の「活動性の程度/次元は、惑星から距離が離れるほどに高くなるのですか?」を参照してください。

 有形体から受ける方向性の感覚は、感覚器の集まる顔面の向きを前方として、後頭部を後方、頭頂部を上方、足底部を下方として認識し、立位、仰臥位、腹臥位によって、前後上下の方向性が変化する状況はありません。基本的には、上方/下方の垂直方向に対する直角方向に前方/後方を認識します。立位では、有形体の上方/下方の向きは、活動性の方向性が有する鉛直方向と同じ向きですが、一方で、仰臥位/腹臥位では、有形体/活動性の方向性は異なる向きとなります。また、有形体の頭部には、外環境から情報を受け入れる感覚器が集まっているために、頭部の向きを有形体の向きとして認識しやすく、立位であったとしても頭部を前傾/後傾させることで、上方/下方の垂直方向と鉛直方向が同じと認識しなくなる(異なる方向性として認識する)場合もあります。

 意識そのものから受ける方向性の感覚は、上方/下方は活動性の方向性と同様に鉛直方向を向いており、前方/後方は同調する活動性の程度によって向きが変化します。同調する活動性の程度が低い場合では、前方/後方を鉛直方向に対する水平方向として認識し、同調する活動性の程度が高くなるなるほどに、後方の向きが上方へ近づき、前方の向きが下方へ近づいていきます。有形体を自己と強く誤認していないのならば、有形体の立位、仰臥位、腹臥位によって、意識の前後上下の方向性が変化する状況はありませんが、一方で、有形体を自己と強く誤認しているのならば、有形体の立位、仰臥位、腹臥位によって、意識の前後上下の方向性が有形体の方向性と同じ向きへと変化します。同調する活動性の程度が高くなるなるほどに、意識の方向性は後方が上方の向きへ近づき、前方が下方の向きへ近づくために、瞑想の際に、自己を後方へ引いて前方を包み込むように意識を拡大していくことにより、同調する活動性の程度が高くなるにつれて、下方にある地上全体/惑星を包み込んでいくように感じ取ります。

(1000/1000) 活動性/有形体/意識の方向性
(1000/1000) 活動性/有形体/意識の方向性

(1000/1000)

 熱による「のぼせ」の感覚と、高い活動性の程度へ同調することで感じ取る高揚感/浮遊感は、類似する方向性を示す感覚のために、有形体が熱を有している際には、高い活動性の程度へ同調することで感じる高揚感/浮遊感も感じ取りやすくなります。ただし、実際には、熱による「のぼせ」の感覚を、高い活動性の程度へ同調することで感じる高揚感/浮遊感と誤認している場合が多くみられます。

 無数の方向性を有している個性や認識方法などと同様に、意識の受ける感覚にも無数の方向性があります。ある方向性を示す感覚へ意識が向く(注意を向ける/焦点を合わせる)と、類似する方向性を示す感覚にも意識が向きやすくなるために、類似する方向性を示す感覚を把握させやすくします。熱による「のぼせ」の感覚にも高揚感/浮遊感と表せるような感覚が含まれており、この感覚が、熱のない際には不鮮明で感じ取り難い「高い活動性の程度へ同調することで感じる高揚感/浮遊感」を鮮明に感じ取らせるように、はたらきます。

 ただし、熱による「のぼせ」で感じる高揚感/浮遊感と、高い活動性の程度へ同調することで感じる高揚感/浮遊感は、両者が類似する方向性を示す感覚であったとしても、両者の有する感覚の粗雑さ/精細さは異なります。高い活動性の程度へ同調することで感じる精細な高揚感/浮遊感は、熱による「のぼせ」の粗雑な高揚感/浮遊感に埋もれるために、熱による「のぼせ」の感覚を高い活動性の程度へ同調することで感じる高揚感/浮遊感と誤認しやすくなります。この感覚の誤認は、高い活動性の程度への同調を阻碍し、低い活動性の程度へ同調する原因にもなります。

 有形体が熱を有している際にも、熱による「のぼせ」の粗雑な高揚感/浮遊感の中に、高い活動性の程度へ同調して感じる高揚感/浮遊感を感じ取ることはできます。しかし、無用な誤認によって同調する活動性の程度を下降させないためにも、有形体の熱が上昇している原因を把握し、熱を下げることへ意識を集中するほうが適切な場合もあります。

 熱による「のぼせ」の感覚と、高い活動性の程度へ同調することで感じ取る高揚感/浮遊感を混同しやすいのと同様に、物質の心の活動が亢進/亢盛して感じ取る「興奮」を、高い活動性の程度への同調で感じ取る高揚感/浮遊感と混同している状況も多くみられます。物質の心の活動を亢進/亢盛させやすい原因には、運動、熱性食物/カフェインの摂取、パソコン/テレビの画面を長時間に視る、湯浴/サウナ、気温の上昇、などが挙げられます。なお、有形体の熱の上昇も、物質の心の活動が亢進/亢盛して現れている表現のひとつです。

 熱/疲労、有形体/外環境の周期、などの影響によって、活動性の程度から受ける感覚を認識し難い際に、同調する活動性の程度を強引に高めようとした場合には、有形体から受ける粗雑な感覚を後方向(後上方向)へ引っ張り上げようと(あるいは押し上げようと)したり、粗雑な感覚を周囲へ拡大しようとする状況へ陥[おちい]りやすくなります。活動性の程度から受ける感覚を認識するという「土台」なしに、活動性の程度から受ける感覚を透明/精細/無重へ移行しようとする「手段」、また、透明/精細/無重の感覚を拡大しようする「手段」へ努めても、同調する活動性の程度は高め難く、意識も拡大し難いです。これは、手段をおこなうことへ自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく囚われてしまい、「同調する活動性の程度を高める」という目的を遂行するための手段が、瞑想をおこなう目的へ取って換わっているともいえます。

(1000/1000)

 雨や強い曇の日に高い活動性の程度から受ける感覚が不鮮明になるのは、雨や強い曇の日には比較的に湿度が高くなり、外環境の高い湿度が有形体の活動へ影響を与え、有形体から受ける粗雑な感覚へ意識を「向けさせやすく」するためです。

 外環境の高い湿度が4次元の側面で有形体の活動へ影響を与え、主に内臓の機能を減退させます。内臓機能が減退すると有形体に不要となる老廃物などの分解が不完全となり、また、体外へ排出されずに留まりやすくなります。これらが頭部へ絞痛や絞め付ける違和感、有形体の重怠感を与え、熱/疲労と同様に有形体へ意識を向けさせるように、はたらきます。加えて、内臓機能の減退は外環境の高い湿度から影響を受けるだけでなく、生活習慣によっても現れ、特に過食/大食による胃腸機能の減退が多くみられます。「太る」と呼ばれている体脂肪の増加や水停/浮腫は、生活習慣(怠惰/安逸や過食/大食など)によって内臓の機能が減退するために起きている場合がほとんどです。

 上記の内容は、伝統医学の中医学では「外湿(湿邪)/内湿」として論述されています。有形体が外環境から受ける様々な影響については、地上の各地域で発展している伝統医学が体系的にまとめていますので、自身の体験を通した気づきと総合して考察することで成長への学びへと役立ちます。

 なお、外環境の高い湿度だけでなく、様々な原因が活動性の程度から受ける感覚の「鮮明さ」へ影響を与えています。熱/疲労の程度、有形体の様々な周期、外環境の様々な周期、などの組み合わせによっては、肉眼を閉じているほうが活動性の程度から受ける感覚を感じ取りやすい状況もあれば、肉眼を開けているほうが感覚を感じ取りやすい状況もあります。同様に、立位/座位で静止しているほうが活動性の程度から受ける感覚を感じ取りやすい状況もあれば、歩きながらのほうが感覚を感じ取りやすい状況もあります。どのような状況であったとしても、強い意志で活動性の程度から受ける感覚へ意識を集中し、活動性の程度から受ける感覚を感じ取りやすい適切な方法を、毎日に、時間帯ごとに、適宜に模索していく必要があります。

(1000/1000)

 意識の受ける感覚は個々によって様々です。また、意識の受ける感覚は文字/言語/図表などで表現し難く、同じ感覚であったとしても、文字/言語/図表などで表される表現は個々によって異なります。現在に同調する活動性の程度が測定値で以前よりも大幅に高い程度を示しているのであれば、高揚感/浮遊感という語から連想する感覚とは「異なる感覚」として、高い活動性の程度へ同調することで感じ取る感覚を感じ取っている可能性があります。

 先人たちは意識の受ける感覚を言語で様々に表現し、また、相手が感覚を把握しやすくするために多くの譬[たと]えで示してきました。それらの中には、高い活動性の程度へ同調することで感じ取る高揚感/浮遊感を、身体が真上へ引っぱられる感覚、背筋が自然に真っ直ぐ伸びる感覚、身体(体重)が軽くなったような感覚、エネルギー/愛/喜びに満たされる感覚、透明になったような感覚、などと表現している場合がみられます。先人の用いてきた表現を参考にして、自己の同調する活動性の程度が変化することで感じ取る感覚の僅かな違いを把握するように努める過程で、自己が高い活動性の程度へ同調することで感じ取る感覚を認識できるようになります。

祈り

(1000/1000)

 祈りは必ず自覚しておこなわれます。祈りが、自覚できるものの自覚なく、あるいは、無自覚的に(自覚なく)おこなわれる状況はありません。ただし、祈りは自覚しておこなわれているものの、無形界/天使たちに支援/援助を求めている自覚があるとは限りません。例として、「◯◯してみようかな?」というような、強い意志がなく軽さを感じられる内容であったとしても、目的が誠実であるのならば祈りに含まれます。しかし、自覚して無形界/天使たちに支援/援助を求めているとはいえず、祈りへ付与されている活動性の程度も高いとはいえません。それでも、付与されている活動性の程度に相応する支援/援助は必ずおこなわれますが、自己がおこなった「支援/援助の求め」への自覚がないのならば、自己に支援/援助を受け入れる体勢が整っているとは限らないために、存分に支援/援助を受けることができません。

 自己が自覚できるものの自覚なくおこなった無形界/天使たちへの支援/援助の求めに対して、無形界/天使たちから受けた支援/援助への典型的な反応の例が、「偶然にも」「幸運にも」「奇跡的にも」などの表現で表されている状況が多くみられますが、世界には決して偶然はなく、世界は必ず原因に対する必然の結果として成り立っています。

 自覚できるものの自覚なくおこなった支援/援助の求めよりも、自覚しておこなった支援/援助の求めには、自己が同調する活動性の程度を上限とする範囲内で、比較的に高い活動性の程度を祈りの内容へ付与しやすくなり、同時に、無形界へと送られる祈りの印象は鮮明となり、相応する高い界層からの支援/援助を受けられるようになります。そして、自覚しておこなった支援/援助の求めに対しては、自己に支援/援助を受け入れる体勢が整っているために、存分に支援/援助を受け入れることができます。更に、受けた支援/援助への感謝とともに、愛の行為を発展しておこなえるようになります。

 なお、日常の中でみられる「おまじない」と呼ばれる様々な内容には、支援/援助を求める内容よりも、「呪い/呪詛」が多くみられます。利己性/自己中心性/欲望に基づく「望み/願望」は、祈りには成り得ず、呪いとなり、地獄者/地縛者たちを引き寄せます。地獄者/地縛者たちが「おまじない(呪い)」をおこなっている者へ憑依して操るために、望みが叶えられたように見せ掛けているだけであり、更に利己的/自己中心的な望みを抱かせるように仕向けているのです。呪いとなる「おまじない」の例として、幸運/ツキを呼び込む、金運/恋愛運を上げる、などの内容が挙げられます。自己のために自己以外を利用しようとする内容は、祈りではなく呪いです。自己を自己以外のために役立てようとする内容が「祈り」になるのです。

瞑想 : 瞑想全般について

(1000/1000)

 精神統一という語は、用いる者によって定義が様々です。精神統一の定義が「意識を一点へ集中する」という内容であるのならば、精神統一と瞑想は異なります。瞑想は、同調する活動性の程度を高める目的でおこなう祈りの過程です。そのため、精神統一が意識を一点へ集中するという定義であるのならば、精神統一して瞑想をおこなうことになります。加えて、行為のひとつひとつを精神統一しておこなうことにもなります。精神統一は、マインドフルネス[mindfulness]とも呼ばれていますが、マインドフルネスという語の定義には、意識を集中して観察/考察/内省する状況を含んでいる場合もあります。

 精神統一とは、精神でおこなわれる様々な「表現を造化する工程」の方向性を、ひとつの方向性へと統制する意志の「はたらき」を指しています。並列/並行しておこなわれる様々な表現を造化する工程は、それぞれの方向性を有しており、方向性が統制されていないのならば、騒響[ざわめき]のある状況となります。一方で、ひとつの方向性へ統制されているのならば、静けさのある状況となります。ひとつの方向性への統制は、分霊の心の有する意志/意図の機能特性によっておこなわれ、強い意志で、様々な向きを示している「それぞれの表現を造化する工程」の方向性を、ひとつの向きを示す方向性へと向けていきます。分霊の心の機能特性については、3章7節 心を参照してください。

(1000/1000) 強い意志による方向性の規定
(1000/1000) 強い意志による方向性の規定

 瞑想中に、活動性から受ける感覚を把握し、活動性から受ける感覚へ意識を集中して(精神統一して)向けていないのならば、意識が散漫となりやすく、瞑想に関係しない様々な思考が次々に浮かび上がってくるようになります。これらの思考は、粗雑な感覚を生み出し活動性から受ける感覚を把握し難くさせるだけでなく、何時[いつ]の間にか思考へ意識を向けさせて、瞑想に意識を集中させ難くする循環を形成しやすくなるために、常に、活動性から受ける感覚へ意識を向け続けるように努める必要があります。活動性から受ける感覚へ意識を集中していくほどに、瞑想に関係しない思考は浮かび上がらなくなります。

(1000/1000)

 瞑想の状況を表すのに「深い/浅い」という表現を用いる場合では、深い瞑想とは、現在の成長の程度よりも相対的に高い活動性の程度へ同調していくことによって、意識の受ける個体としての認識/感覚が弱く/薄くなり、全体としての認識/感覚を強く/濃く感じ取る状況を指しています。逆に、浅い瞑想とは、未だ全体としての認識/感覚を強く/濃く感じ取るには至っていない状況を指しています。

 現在の成長の程度(意識に占める心の絶対的な割合)を基準として、意識に占める心の相対的な割合が、大霊の心によって多く占められているほどに、全体としての認識/感覚を強く/濃く感じ取るようになり、瞑想の状況は深くなります。瞑想の深さとして感じ取る感覚は、他の様々な感覚と同様に相対的です。自己/他者で現在の成長の程度(意識に占める心の絶対的な割合)が異なっているとしても、意識に占める心の相対的な割合で「大霊の心の占める割合が同等の程度」であるのならば、瞑想の深さ/浅さは同等の程度として感じ取ります。意識に占める心の割合については、3章8節 意識を参照してください。

 深い瞑想の状況へと移行するほどに、精神の騒響[ざわめき]は鎮静され、静けさが拡がり、静謐(活動性の性質の表現)の造化が増大します。加えて、自己は個体ではなく、周囲のあらゆるものと融合/同化している全体と認識するようになります。

(1000/1000) 瞑想の深さと意識に占める心の割合
(1000/1000) 瞑想の深さと意識に占める心の割合

(1000/1000)

 座位での瞑想を、地上での外的/人工的な時間で長時間におこなうことが、必ずしも同調する活動性の程度の向上を促進するとは限りません。同調する活動性の程度を向上するのに必要なのは、外的/人工的な時間の長さではなく、瞑想をおこなう明確な目的と強い意志に基づいて、現在の自己の状況に適切な瞑想の方法でおこなうことです。

 同調する活動性の程度が僅かずつ向上していくのは、地上での外的/人工的な時間の尺度に基づいているのではなく、内的/精神的な時間の尺度に基づいています。外的/人工的な時間が短時間しか経過していなくても、内的/精神的な時間では長時間が経過している場合もあります。外的/人工的な時間と内的/精神的な時間については、2章3節 有形界の構造 #有形界の時間/空間、また、2章4節 無形界の構造 #無形界の時間/空間を参照してください。

 地上では、外的/人工的な時間の尺度に基づいて有形体を通した物的な活動をおこなう必要があり、座位の瞑想へ長時間を費やすのは他の活動へ用いる時間を減少させる状況へつながってしまいます。疲労や自己の内面の状況によっては、座位で長時間の瞑想をおこなう必要性がある場合もみられますが、地上で生活できる期間は限られているために、常に座位で長時間の瞑想をおこなっているのならば、瞑想の時間を合計すると、地上人生の長い期間を消費していることになります。瞑想は、座位/立位/臥位で静止しておこなわなければならないと決まっているのではなく、日常の様々な活動/行為とともにおこなえます。できる限り「瞑想のみ」に用いる時間の消費を減らし、地上でしか体験できない様々な学びへ地上人生(時間)を用いるように努める必要もあるのです。

 この質疑応答に関連する内容には、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「行為や瞑想へ意識を集中するほどに、気づくと時間が速く経過しているのは、時間の認識とどのようなつながりがありますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 物的な行動と同時におこなう祈り/瞑想が、行為への意識の集中を阻碍する状況はありません。祈り/瞑想は高い活動性の程度へ同調し、行為へ高い活動性の程度を付与するためにおこないますが、祈り/瞑想を独立したひとつの行為としておこなう場合もあれば、一方で、おこなう物的な行動そのものが祈り/瞑想となっている場合もあります。

 祈り/瞑想を独立した行為としておこなう場合には、祈り/瞑想のみに意識を集中します。この状況には、立位/座位/臥位による祈り/瞑想などが含まれます。祈り/瞑想によって同調する活動性の程度を高め、高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚や意識の拡大した認識を維持したままで、続けて、物的な行動へ意識を集中しておこないます。一方で、おこなう物的な行動そのものが祈り/瞑想となっている場合では、行為をおこなう誠実な目的と強い意志で、ある物的な行動へ意識を集中することによって、誠実な目的/強い意志(祈り/瞑想に相当)が自然に高い活動性の程度へと同調していくように「はたらく」ために、高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚や意識の拡大を、物的な行動をおこないながら感じ取るようになります。

 なお、活動性の程度から受ける透明/精細/無重や混濁/粗雑/有重の感覚を適切に把握する(習熟する)までは、物的な行動おこなうことと、活動性から受ける感覚を把握することの両者へ意識が分散しやすくなり、どちらにも意識を集中し難くなる場合もみられます。その場合には、物的な行動をおこなう際には物的な行動へ意識を集中し、物的な行動とは別に、祈り/瞑想を独立した行為としておこないながら、活動性から受ける感覚を把握するように努めます。

(1000/1000)

 座位で瞑想をおこなう際の体位(姿勢/体勢)は、自己が瞑想に意識を集中できるのであれば、どのような体位でも構いません。瞑想に適した特定の体位というものはありません。瞑想する際に、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく有形体へ意識が向いていると、粗雑な感覚を生み出す有形体の体位が、活動性の程度から受ける精細な感覚の認識へ影響を与えるために、有形体の体位に拘[こだわ]るようになります。有形体の体位の違いによって、有形体から受ける粗雑な感覚にも僅かに/多少に違いがみられるために、粗雑な感覚に埋もれている精細な感覚から受ける程度が変化するように感じ取るのです。有形体へ意識を向けないように努めているのならば、有形体から受ける粗雑な感覚は感じ取り難くなるために、どのような体位であったとしても、活動性の程度から受ける精細な感覚を把握できるようになります。

 有形体の無用な力[りき]み、過度の感触/圧迫、体位を維持することによる痺[しび]れ/強張[こわば]り、などによって、瞑想中に有形体へ意識が向きやすくならない体位であるのならば、椅子へ腰掛けても、正座/端座でも、三角座り(体育座り)でも、脚を伸ばし背を壁へもたれかけても、手を組まずに体の側面に脱力して伸ばし降ろしていても、上体を前方へ傾け屈[かが]んでいても、結跏趺坐[けっかふざ]と呼ばれる座り方でも、手指の組み方や手を置く位置も、肉眼を閉じても/開いていても半眼であっても、自己に適した体位を模索しておこなえばよいのです。瞑想中は、ある体位を維持し続けなければならないという決め事もなく、瞑想の途中で体位を変えるのも自由です。瞑想では特定の体位をしなければならない、特定の体位でなければ瞑想の効果を得られない、という固定観念/既成概念(囚われ)が成長を阻碍するように「はたらいて」いる点へ留意してください。

 その時その時に瞑想をおこなう際の、活動性の程度から受ける感覚を鮮明に感じ取りやすい体位は、外環境の状況、有形体の状況、内面の状況、などによって異なり、椅子に座るほうが感じ取りやすい場合もあれば、脚を組んで床に座る、あるいは、脚を伸ばして床に座るほうが感じ取りやすい場合もあります。同様に、背を壁へもたれかけるほうが感じ取りやすい場合もあれば、背を壁へもたれかけないほうが感じ取りやすい場合もあります。

 加えて、座位の瞑想をおこなう時間帯、おこなう時間の長さ、なども、自己の生活状況、疲労の程度、外環境/有形体の無数の周期、精神の状況、などを考慮して、その時その時で決めればよいのです。決して、自己へ瞑想を強制/無理強いし、自己の選択する自由を束縛しないように努める必要があります。自己が瞑想の習慣を形成するのは成長の促進へつながっても、自己へ瞑想を強制するのは成長を阻碍するだけです。選択する自由については、前節の5章4節 固定観念/既成概念 #自由とはを参照してください。

 瞑想をおこなう際に限らず、どのような物事を実践するにしても、ある特定の形式/手段/方法に囚われないことが大切です。瞑想では、伝統的な体位、他者のおこなう体位、これまでに自己のおこなってきた体位、などを考察し、自己が現在におこなう際の参考としながらも、それらに囚われることなく、自己に適した体位を模索し続けていくのです。どのような体位でも瞑想をおこなえるようになるのならば、日常の様々な活動をおこないながらの瞑想や、歩きながらの瞑想、会話しながらの瞑想、などもできるようになります。

 この質疑応答に関連する内容には、この節の質疑応答の「瞑想をおこなう際に、有形体の体位によって何らかの違いがみられますか?」がありますので参考にしてください。

瞑想 : 有形的認識に基づく瞑想の方法(本編に紹介の方法)

(1000/1000)

 瞑想で、認識する範囲(意識の範囲)を拡大していく必要があるのは、世界の構造は活動性の程度が高くなるほどに、相対的に低い活動性の狭い範囲を包括して、大きな範囲を構成するようになるためです。世界の構造については、2章1節 世界全体の構造を参照してください。

 高い活動性の程度へ同調するとは、相対的に低い活動性の範囲全体を包括して認識する状況を表しており、同調する活動性の程度が上昇するほどに、包括する範囲も拡大していきます。逆に捉えると、認識する範囲(意識全体の範囲)が狭いままでは、高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚へ移行するように努めていたとしても、感覚の移行は進まず、高い活動性の程度へ同調できません。高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚へ移行するように努めると同時に、同調しようとする活動性の程度に相応する拡さへ、認識する範囲(意識全体の範囲)を拡大していく必要があるのです。有形的認識に基づく瞑想の中で、呼気にあわせて認識の範囲を拡大していく際に、拡大していく感覚が掴[つか]み難い場合には、「自己という認識」を相対的に活動性の程度が高い自己の後方へ引くように努めて、相対的に活動性の程度が低い前方の全体を包み込んでいくように認識していくことで、拡大していく感覚に気づきやすくなります。

(1000/1000) 活動性の程度と意識全体の範囲
(1000/1000) 活動性の程度と意識全体の範囲

 有形的認識に基づく瞑想の方法では、相対的に高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚へ移行する際に、自己の後上方向(特に上方向)へ強く意識を向けると、意識の範囲を狭く感じ取りやすくなり、一時的には同調する活動性の程度が向上するものの、維持できずに下降しやすくなります。これは、後上方向から受ける透明/精細/無重の感覚のみへ意識が突出して向いており、周囲全体から受ける透明/精細/無重の感覚へ意識が向かなくなっているために、透明/精細/無重の感覚へ移行しようとするほどに意識の範囲を狭く感じ取るようになるのです。頂点が先鋭な三角形のように意識を向けているといえます。後上方向の透明/精細/無重の感覚へ移行しながらも、同時に、透明/精細/無重の感覚を拡げていくことで、底辺が上にある逆三角形のように、意識を上方向へ拡く向けやすくなり、同調する活動性の程度が向上しやすく、維持もしやすくなります。

(1000/1000) 意識の向く方向性と意識の拡がり
(1000/1000) 意識の向く方向性と意識の拡がり

 分霊は無限の活動性の範囲(無限の意識の範囲)を有しているものの、同調する活動性の程度よりも高い活動性の範囲は不活性で、現在の段階では「認識できていない」だけに過ぎないという点に留意してください。ある活動性の範囲が活性したのならば、その範囲に相応する意識の拡がりを自然に感じ取ります。言い換えると、瞑想によって、意識の拡がりと、活動性から透明/精細/無重の感覚を感じ取れているのならば、同調する活動性の程度は上昇しています。ただし、意識の偏重する範囲が意識全体の範囲内で拡がる感覚と、意識全体の範囲が拡大する感覚は類似しています。意識の偏重する範囲が拡がっても(意識が均等に拡がっても)、同調する活動性の程度は上昇していません。意識全体の範囲が拡大することで同調する活動性の程度が上昇します。意識の偏重する範囲については、3章8節 意識 #質疑応答「自己という意識の中で、更に「自己」と強く認識している範囲とは何を表しているのですか?」を参照してください。

 分霊の成長段階と、世界を構成する次元とのつながりから捉えると、意識を拡げて前方を包み込むように覆う感覚は、自己の属する次元(同調している活動性の程度)での認識/感覚を表しており、加えて、意識で包み込んだ範囲の全体へ意識が敷衍[ふえん]する感覚は、自己とつながりのある次元(同調している活動性の程度以下の範囲)での認識/感覚を表しています。分霊の成長と次元のつながりについては、3章3節 分霊を参照してください。

(1000/1000)

 瞑想の際に、適切に意識全体の範囲を拡大できているのならば、拡大している状況が明確に実感できます。もしも、意識が拡大している実感を感じないようであれば、意識を拡大できていないか、あるいは、「意識とは何か?」を理解できていない、あるいは、「意識とは何か?」を理解しているものの自己の実践を通して実証できていない可能性があります。

 先[ま]ず、意識とは「自己という主観性そのもの(自己とは何か? 主観性とは何か? を含む)」ということを、有形的な言語としてではなく、無形的な印象として明確に理解したのならば、瞑想を実践しながら徐々に意識の拡大していく状況も、意識を拡大させる方法にも気づくようになります。ただし、意識が拡大していく状況や拡大させていく方法を、有形的な言語/図表で表現するのは困難です。無形的な印象や自己の受ける感覚のみで、把握していく必要があります。

 意識が拡大していくとは、「自己という主観性」の範囲が拡大する状況を指しているために、有形的に認識できる範囲が拡がり、同時に、同調する活動性の程度に相応する認識の程度での無形的に認識できる範囲を拡げます。地上では、有形体を基点とする周囲の有形的な状況を把握する範囲が拡がり、同時に、意識の拡大の程度に相応する無形的な範囲を認識するようになります。もしも、自己の成長の程度が覚醒の段階にあるのならば、無形的に認識する範囲は地上/惑星全体を包み込む以上の範囲となります。意識の拡大によって有形的/無形的に認識する範囲が拡がるとは、外環境から受け入れる情報の範囲/程度が拡がる(受け入れる情報量が増大する)ために考察/考慮する範囲が拡がる状況を表しています。また、意識の範囲外の情報は、考察/考慮の対象へ組み込めない状況を表してもいます。逆に、同調する活動性の程度が下降した場合には、認識する範囲が、高い活動性の程度へ同調していた時よりも狭小になっているのを実感するようになります。

 なお、意識が拡大していくとは、自己という主観性の範囲が拡大する状況を指していますが、個体としての認識/感覚が拡大していくのではなく、自己という主観性(意識)に占める個体としての認識/感覚が弱く/薄くなり、全体としての認識/感覚が強く/濃くなっていく点に留意してください。個体としての認識/感覚を拡大させるように努めても、意識は拡大しません。自己という主観性に占める個体としての認識/感覚と、全体としての認識/感覚は、意識に占める心の絶対的な割合と、相対的な割合のそれぞれで、物質の心/大霊の心の占める割合に相当します。意識に占める心の割合については、3章8節 意識を参照してください。

(1000/1000) 個体/全体としての認識/感覚の相対的な比較
(1000/1000) 個体/全体としての認識/感覚の相対的な比較

 意識の受ける認識/感覚には様々な内容があり、言語で記述できる内容は僅かでしかなく、多くは、認識/感覚を表すための語が存在していないか、あるいは、言語での表現が困難です。特に、全体の認識/感覚は、その内容を言語で表現するのは困難ですが、個体の認識/感覚が薄くなれば自[おの]ずと実感できるようになります。

 個体の認識/感覚に含まれる主な内容には、有形体の感覚器(五官)を通して受け入れる外環境の有形的な情報、有形体を通して受ける物的な感覚(触覚/視覚/聴覚/嗅覚/味覚)、有形体そのものから受ける感覚(頭手足などの各部位の位置情報、心臓の拍動する感覚、呼吸の感覚、など)、有形体の着ている衣服の感触、視界の情報(景色など)、有形体の周囲の環境から受ける音/光/風圧、などの有形的/物的な感覚と、有形的認識に基づいて精神で造化される有形的な表現から受ける感覚があります。

 全体の認識/感覚に含まれる主な内容には、無形的認識に基づいて精神で造化される印象から受ける感覚、周囲の「あらゆるもの」との一体感、などがあります。周囲のあらゆるものには、有形的/物的なものだけでなく、無形的なものも含まれ、また、距離/空間の認識がなくなり、時間の経過も感じなくなります。周囲と認識する範囲は徐々に拡大し、いずれは地上全体を包み込み、更に、惑星から少しずつ遠ざかりながら惑星を包み込んでいきます。そして、周囲の「あらゆるもの」との一体感の中から、不誠実な性質を有するものが分離しているような感覚を感じ取るようになります。これは、全体の調和の中から、調和していないもの(不調和なもの)を認識するとも表現でき、分離を感じるものには、物品、構造物、地域、などだけでなく、情報、発言、行動、思考、行為を通して表れる行為の目的、なども含まれます。

(1000/1000)

 自己が透明/精細/無重の感覚を造り出す(想像する)のではなく、現在に同調している活動性の程度から意識が受ける透明/精細/無重の感覚よりも、更に透明/精細/無重の感覚(同調している活動性の程度よりも高い活動性から受ける感覚)を外環境から探し出し同調していきます。「同調していく」ことについては、この節の質疑応答の「高い活動性の程度へ同調する方法がわかりません。同調するとは、どのようにしていくことなのですか?」を参照してください。

 自己が精神で想像して造化した思考から受ける透明/精細/無重の感覚も、同調している活動性の程度よりも高い活動性を外環境から探し出して認識した際に精神で造化される表現から受ける透明/精細/無重の感覚も、双方ともに精神で造化された表現ですが、前者は外環境を認識して表現が造化されたのではなく、一方で、後者は外環境を認識して表現が造化されています。外環境の活動性を認識せずに、透明/精細/無重の感覚を受ける思考を造化しても、高い活動性の程度へは同調できません。世界を構成する「無限の段階を有する活動性」の中では、常に自己の同調する活動性の程度よりも高い段階の活動性は実在しているために、活動性から受ける感覚の一点へ強い意志で意識を集中して探し出せば、必ず高い活動性の程度を探し出すことができます。探し出した高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚へ、自己の意識を同調(同化/同一化/一体化/融合)していきます。

 高い活動性の程度から受ける感覚には、透明/精細/無重の感覚以外にも、常に自己の後方にある上昇気流のような感覚もみられます。意識の受ける透明/精細/無重の感覚は、高い活動性の程度が有する性状といえますが、一方で、上昇気流の感覚は、高い活動性の有する方向性といえます。自己という意識を後方へ引いて、透明/精細/無重の感覚をあわせもつ上昇気流へ自己を乗せていく(融合/同化していく)ようにすることで、高い活動性の程度へ同調しやすくなります。上昇気流の上昇とは、有形的な上方の向きではなく、相対的に高い認識の程度への向きを指しており、有形的な上方の向きが相対的に高い認識の程度への向きとは限りません。上昇気流の感覚は、高い活動性の程度へ同調することで感じる高揚感/浮遊感とも関連しています。

(1000/1000) 高い活動性の程度から受ける方向性の感覚
(1000/1000) 高い活動性の
程度から受ける方向性の感覚

 ただし、意識の受ける感覚は個々によって様々であり、活動性の程度から受ける感覚も自己が他者と同じ感覚を感じ取るとは限りません。加えて、上昇気流という語から想起する感覚も個々によって異なります。自己が高い活動性の程度から上昇気流の感覚を感じ取れなかったとしても、高い活動性の程度へ同調できている場合もある点に留意してください。自己の模索と実証を通して得た感覚が、自己にとっての高い活動性の程度から受ける感覚となります。

(1000/1000)

 自己の立ち位置とは、意識全体の範囲の中での「自己という認識」の位置関係を指しています。意識そのものが「自己という主観性」を指していますが、更に、意識の中には「自己」と強く認識している範囲があります。この範囲が、有形的認識に基づいて捉えた際に、意識全体の中で「どの位置にあるのか」を自己の立ち位置として表しています。意識の中で「自己」と強く認識している範囲については、3章8節 意識 #質疑応答「自己という意識の中で、更に「自己」と強く認識している範囲とは何を表しているのですか?」を参照してください。

 意識を後方へ引くという認識の場合は、意識全体のほとんどの範囲が自己の前方にあり、意識全体の範囲の後方にある自己が、意識全体の範囲を後方へと引いていきます。意識全体の範囲を後方へ引くと、個体の認識/感覚が弱く/薄くなり、相対的に強く/濃く感じ取る「全体の認識/感覚」の中へ、個体の認識/感覚が沈み込みやすくなります。

 意識を後方へ押すという認識の場合は、意識全体のほとんどの範囲が自己の後方にあり、意識全体の範囲の前方にある自己が、意識全体の範囲を後方へ押していきます。意識全体の範囲を押すと個体の認識/感覚が強く/濃くなり、相対的に弱く/薄く感じ取る「全体の認識/感覚」の中へ、個体の認識/感覚が沈み込み難くなります。

(1000/1000) 引く/押すの違い
(1000/1000) 引く/押すの違い

 引く/押すの違いは、活動性の感覚を認識するうえで、認識に大きな違いを生み出しますが、個々によって認識する感覚は異なるために、引く/押すの両方を試し、自己に適した方法を採用するようにしてください。

 なお、意識の後方とは、意識が後方と認識する向きであり、必ずしも有形体の後方と同じ向きとは限らず、立位/座位での後方の向きと、仰臥位や腹臥位での後方の向きは異なる場合もあります。意識そのものには、上下、前後、左右、などの方向性はありませんが、自己が有形的認識に基づいて上下/前後/左右などの方向性を認識するようになります。多くの場合では、有形体の上下/前後/左右の向きを意識の方向として認識しています。意識の方向性については、この節の質疑応答の「有形体、活動性、意識の有する方向性には、どのような違いがありますか?」を参照してください。

(1000/1000)

 瞑想の方法を状況にあわせて適宜に調整する具体的な内容は、個々の生活状況、用いている有形体の体質、貯蔵している情報/知識の内容/程度、保存している習慣/技術の内容/強さ、などの組み合わせによって様々であり、個々によって異なるために、自身の体験/模索を通して気づき実践する必要があります。他者の具体的な方法は、そのままの内容を自身に適用できる場合もあれば、適用できない場合もある点に留意し、自身が模索する際の参考として捉えるようにしてください。

 この節の本編に掲載されている瞑想の方法を土台とした場合での「状況にあわせて適宜に調整する方法」の具体的な例として、呼気にあわせて意識を拡大させる際の「意識を後方へ引く向きの調整」を紹介します。有形体の状況(体質/熱/疲労など)、有形体/外環境の様々な周期から受ける影響、精神の騒響[ざわめき]の状況、などの変化へ適切に対応する方法は様々にあり、これらに対応する方法のひとつとなります。意識を後方へ引く向きの調整方法は、引く方向の調整と、引く強さの調整、の2つに分けられます。

 1つ目は、意識を後方へ引く際に、真後ろではなく、後上方へ引く方法です。後上方へ引く向きを調節することで、意識の拡大する感覚を強く感じ取るようになり、同調する活動性の程度を比較的に高めやすくなります。活動性の程度から透明/精細/無重の感覚を感じ取りやすい際に有効な方法ですが、一方で、上方へと引くほどに個体の認識/感覚を強く/濃く感じ取りやすくなり、個体の認識/感覚が全体の認識/感覚の中へ沈み込み難くなる側面もみられます。

 2つ目は、意識を後方へ引く際に、真後ろへ引く強さを調節する方法です。真後ろへ引くことで、個体の認識/感覚が全体の認識/感覚の中へと沈み込む状況が強くみられる(個体の認識/感覚が薄れ、全体の認識/感覚が濃く現れる)ようになり、精神の騒響を比較的に鎮静させやすくなります。活動性の程度から透明/精細/無重の感覚を感じ取り難い際や、熱/疲労の強い際に有効な方法ですが、一方で、真後ろへ強く引くほどに有形体へも意識が向きやすくなります。

 どちらの方法も、意識を拡大させ、高い活動性の程度への同調を促しますが、有形体の状況や有形体/外環境の周期から受ける影響の程度へあわせて、適宜に使い分け、状況に適切な引く方向/引く強さへ調節します。上方へも、後方へも、現在の状況に適した引く方向/強さがあり、状況へ適さない方向/強さで引けば、無形的認識よりも有形的認識を増大させ、活動性から受ける感覚よりも有形体から受ける感覚へ意識を向けさせやすくして、力[りき]みが現れるようになります。瞑想は、継続する過程で無形的認識が増大していく点へ留意してください。無形的認識が増大していく状況を阻碍すれば、同調する活動性の程度は上昇しなくなるのです。

(1000/1000) 呼気にあわせて意識を引く向きの違い
(1000/1000) 呼気にあわせて意識を引く向きの違い

 上記の「意識を後方へ引く向きを調整する」方法に加えて、呼気/吸気の長さを調節するのも採用しやすい方法です。呼気を細く長く、また、吸気も細く長くおこなうのが基本の方法となりますが、呼気を細く長くし、吸気を短くすることで、精神の騒響を鎮静させやすくなります。逆に、呼気を短くし、吸気を細く長くすることで、上昇(上昇気流)の感覚が強く現れるようになります。

 どのような方法であっても、それぞれに適応しやすい状況があり、同時に、不適切な状況で用いれば活動性の感覚を把握し難くさせ、同調する活動性の程度を停滞させやすくする(高め難くなる)側面もあわせもちます。そして、状況は絶え間なく変化しており、有形体の状況(体質/熱/疲労など)、有形体/外環境の様々な周期から受ける影響、精神の騒響[ざわめき]の状況、などの様々な組み合わせによって「類似する状況」はみられても、全く同じ状況がみられることはありません。そのため、既存の方法へ囚われることなく、様々に模索して現在の状況に適した方法へ気づいたのならば、その時点で模索を辞めずに、更に適切な方法を探し出すように努める必要があります。成長は特定の方法で成されていくのではなく、絶え間ない変化へ対応する模索の積み重ねによって成されていくのです。

 なお、この節の本編で紹介している有形的認識に基づく瞑想の方法では、呼気にあわせて意識を後方へ引き、前方を包み込むようにしていくことで意識の拡大する感覚を感じ取りやすくなると伝えていますが、上方、下方、後方、などへ意識の拡がる感覚を感じるのであれば、意識を自然に拡がる方向へ拡大し、拡がる方向を強制しないことが大切です。個々によって有している個性は異なるために、意識の拡大を感じ取りやすい方向性が個々によって異なる場合もあります。自己が実際に瞑想をおこない意識の拡がりやすい方向性を様々に検証して、意識の拡大しやすい方向性へ拡げていくことを優先するようにしてください。意識の範囲を球体に譬[たと]えた場合では、上方/下方/前方/後方などの「どの方向へ拡大したのか?」に関わらず、どの方向へ拡大させたとしても、結果として球体の容積/体積が増大しているのならばよいのです。

 このサイトで紹介している内容、様々な書物の内容、他者の講演/実践している内容、伝統的な修養の方法/捉え方、などは、考察し自己の成長へ活かす参考としても、それらに囚われないようにする必要があります。個性の方向性、成長の程度、習慣の内容/強さ、知識の内容/程度、生活の状況、などは個々によって様々であり、あらゆる人へ適応する内容というものはないのです。自己の体験を通して得た内容が自己へ最も適していることへ留意し、加えて、自己が現在に有している知識の内容へも囚われずに、常に様々な考察と内省を通して自己の有している知識を更新していくのです。

 瞑想は、常に一定の方法が通用するということはなく、絶え間なく変化し続ける状況へ適宜に対応していく必要があります。そして、絶え間なく変化し続ける状況へ適宜に対応していくことは、宇宙圏無形界で生活していくための基礎となります。また、宇宙圏無形界での生活だけでなく、宇宙圏無形界から有形界(惑星)へと造化する、鉱物、植物、無脊椎動物、大気、大海、地殻内部、などの、絶え間なく変化する地上/惑星の状況へ適宜に対応するように造化し続けるためにも必須といえます。

(1000/1000)

 有形的認識に基づく瞑想の方法は、有形的認識に基づいて瞑想をおこなう過程で徐々に認識に占める無形的認識の割合が増大し、それにともない、有形的認識に基づいておこなう瞑想の内容/程度が、無形的認識に基づいておこなう瞑想の内容へ自然に近づいていきます。

 瞑想をおこなう過程で最も難度が高いのは、無形的認識に基づいて活動性の程度から受ける感覚の僅かな違いを把握することにあります。有形的認識に基づいて活動性の程度から受ける感覚は把握できません。瞑想を開始した当初は、意識に占める相対的な認識の割合に、無形的認識よりも有形的認識の優勢な状況が多くみられるために、有形体を通して受ける物的な感覚へ意識の多くが向いており、活動性の程度から受ける感覚を把握し難く、あるいは、活動性の程度から受ける感覚を誤認する状況が多くみられます。

 有形的認識の優勢な状況であっても、活動性の程度から受ける感覚を比較的に把握しやすくするために、有形的認識に基づく方法で瞑想を開始します。瞑想を継続する過程で、徐々に認識に占める無形的認識の割合が増大していくのに相応して、活動性の程度から受ける感覚も把握しやすくなり、有形的認識に基づく方法でおこなっていた瞑想の方法が自然に無形的認識に基づく瞑想の方法へと近づいていくようになります。これは、道程を決めずに目的地へ向けて出発する(無形的認識に基づく瞑想の方法)のではなく、目的地への道程を決めて出発し(有形的認識に基づく瞑想の方法)、出発した後の状況に応じて道程を自由に変更していくことへ譬[たと]えられます。無形的認識に基づく瞑想の方法については、この節の質疑応答の「本編で紹介されている瞑想の方法は有形的認識に基づいていますが、無形的認識に基づく瞑想の方法も紹介してもらえませんか?」を参考にしてください。

 なお、瞑想を継続しておこなう過程で、有形的認識に基づく方法でおこなっていた瞑想の方法が、自然に無形的認識に基づく瞑想の方法へと近づいていくとしても、無形的認識に基づく瞑想の方法に置き換わる状況はありません。有形的認識に基づく方法と、無形的認識に基づく方法は、本質的に異なる方法のために、瞑想をおこなう過程で両者の方法が近似しても、同じにはならないのです。ただし、瞑想をおこなう過程で、有形的認識に基づく方法が、自然に無形的認識に基づく方法へと近づいていくのに気づいたのならば、有形的認識に基づく方法から無形的認識に基づく方法へ切り換えてしまうことはできます。

瞑想 : 無形的認識に基づく瞑想の方法

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 無形的認識に基づいて瞑想をおこなう方法のひとつとして、有形体の五官を通した外環境の認識へ意識を向けないようにする方法があります。なお、下記に紹介している無形的認識に基づく瞑想の方法は、地上のみで有効な方法であり、無形界では適用できない点に留意してください。

 始めに、気温が高すぎず低すぎず暑さ/寒さを感じ難く、できる限り静かな眩しくない環境で、立位/座位/臥位などの安定した姿勢をとり、精神で造化される自覚できる一切の思考/感情を辞める(主に有形的な表現へ意識を向けない)ように努め、精神へ静けさを保ちます。

 次に、有形体の五官を通して認識する「あらゆる情報(視覚/聴覚/嗅覚/味覚/触覚)」へ意識を向けないようにします。これは、忘我の状況と呼ばれており、大雑把には「ぼ〜っとする」とも表現できますが、五官を通して外環境を認識しないようにするのは受身的/受動的におこなうのではなく、積極的におこなうようにします。受身的/受動的におこなっても、五官を通して認識する情報へ強い意志で意識を向けないようにしているのではないために、同調する活動性の程度は上昇しません。表面的には「ぼ〜っとする」ともいえますが、本質的には「ぼ〜っとする」とは異なる点に留意してください。

 忘我の状況を暫[しばら]く持続していると、意識に占める個体としての認識/感覚が徐々に弱く/薄くなり、全体としての認識/感覚が強く/濃くなっていくのに気づきます。なお、積極的に「忘我の状況」へ努める過程で、焦り、急ぎ、力[りき]み、緊張、などを僅かにでも有していると、個体としての認識/感覚が弱く/薄くならずに、逆に、強く/濃くなっていく場合もあります。内面の焦り/急ぎや、有形体の力み/緊張は、現在に自覚しているものだけでなく、自覚できるものの自覚なく有している状況も多くみられるために、これらを自覚して感じ取っていなくても更に消し去っていくように努める必要があります。

 焦り/急ぎ/力み/緊張などを消し去っていく際に、忘我の状況を維持する強い意志の方向性と、内面の焦り/急ぎや有形体の力み/緊張を混同しないように留意する必要があります。同様に、忘我の状況を維持する強い意志の方向性を有さない状況と、内面の焦り/急ぎや有形体の力み/緊張を解消した「弛緩の状況」を混同しないように留意する必要があります。精神で有形的な形状の表現が造化されているのを自覚している状況や、外環境から受け入れた「視える/聴こえる/嗅げる/触れる/味わえる」情報へ意識の向いている状況は、焦り/急ぎ/力み/緊張などを消し去れていない(忘我の状況へ移行していない)最低限の目安となります。

 地上の人は絶え間なく、大霊の心(大霊/天使たち)から「同調する活動性の程度を高める」ように支援を受けているために、個体としての認識/感覚の大部分を占める「有形体の五官を通した外環境の認識」へ意識を向けないようにすれば、自動的に全体としての認識/感覚が優勢に傾くようになります。ただし、地上では常に有形体を有しているために、肉眼の視界に映る景色/物体へ焦点を合わせようとする、音/話し声が聴こえる、文字を読む、着ている衣服の感触、地面を踏む感触、料理の香り/煙の匂いを嗅ぐ、呼吸する(呼吸へ意識が向く)、気温の変化から暑さ/寒さを感じる、物的な光を感じる、などだけでも個体としての認識/感覚が優勢になります。

 有形的認識に基づく瞑想の方法では、意識に方向性を捉えて意識の範囲を拡げていきますが、一方で、無形的認識に基づく瞑想の方法では、意識に方向性を捉えないために、意識の範囲を拡げていくのではなく、徐々に拡がる意識の範囲に気づいていくようになります。

 無形的認識に基づく瞑想の方法は、有形的認識に基づく瞑想の方法よりも自然におこなえ、瞑想中に「無用な力[りき]み」を引き起こし難い特徴があります。しかし、有形的認識に基づく瞑想の方法に比べて、瞑想/睡眠を混同しやすい傾向もみられます。無形的認識に基づく瞑想の方法は単純ですが、常に有形的認識が優勢に傾こうとする地上の生活では、全体としての認識/感覚を明確に実感していくことに加えて、この実感を維持/増大し続けるのは難度が高いといえます。全体としての認識/感覚を明確に実感できるようになったのならば、無形的認識に基づく瞑想で全体としての認識/感覚へ意識を向けながら、同時に、有形的認識に基づき有形体の五官を通しておこなわれる日常の様々な行為、読書、会話、などをおこなうように努めます。

 有形的認識/無形的認識に基づく瞑想の方法を比べると、有形的認識に基づく瞑想の方法では、高い活動性の程度から受ける感覚を通して、積極的に全体としての認識/感覚を強めていくことで、相対的に個体としての認識/感覚を薄めていきます。一方で、無形的認識に基づく瞑想の方法では、有形体から受ける感覚を通して、積極的に個体としての認識/感覚を薄めていくことで、相対的に全体としての認識/感覚を強めていきます。譬[たと]えると、有形的認識に基づく瞑想は、太陽の輝きで太陽を覆い隠している雲を蒸散させて、地上へ太陽の輝きを顕[あらわ]していく方法といえます。無形的認識に基づく瞑想は、太陽を覆い隠している雲を消散させて、地上へ太陽の輝きを顕していく方法といえます。この譬えで重要なのは、地上からは雲に覆われて太陽の輝きを感じられなくても、太陽は常に輝いているという点です。雲を取り除くだけで太陽の輝きは顕れるのです。

 この節の本編で紹介している有形的認識に基づく瞑想の方法でも、結果として、無形的認識を優勢としていくために、徐々に有形体の五官を通した外環境の認識へ意識が向かなくなります。有形的認識に基づく瞑想の方法でも無形的認識が優勢となっていくのは、有形的認識に基づく瞑想の方法は、本来では方向性を有していない意識に「前後/左右/上下の方向性を捉える」という側面のみが有形的認識に基づいているだけであり、活動性の程度から受ける感覚や、高い活動性の程度へ同調していく感覚、意識の範囲が拡大する感覚は無形的認識に基づいて感じ取っているためです。「意志の強さ」も無形的認識に基づいて強めていきます。そのため、有形的/無形的認識に基づく両方の瞑想の方法へ習熟してきたのならば、無形的認識に基づく瞑想の方法と、有形的認識に基づく瞑想の方法を適宜に交代させておこない、意識の拡大や高い活動性の程度への同調を高い効率で促進できるようになります。

 なお、有形的/無形的認識に基づく瞑想の方法に優劣はありません。現在の状況で「同調する活動性の程度を高める」という瞑想の目的を高い効率で遂行できるのであれば、どちらの方法を用いても構わないのです。どちらかの方法へ拘[こだわ]ることなく、現在の状況で、同調する活動性の程度を高めるために適切な方法を適宜に選択するようにします。

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 無形界では、地上と異なり、大霊の心を通して「同調する活動性の程度を高める支援」は受けないために、自己の強い意志で、活動性の程度を高めていく必要があります。意志の強さから受ける感覚と、活動性から受ける感覚のみで、無形的認識に基づく瞑想をおこないます。ただし、「強い意志を土台として活動性の程度を高めていく」という表現以外に、無形的な印象/感覚/手順を表す有形的な語が存在しないために、具体的な方法を文字/図表で記述することができません。具体的な方法は、印象の伝達(精神伝達)のみでおこなえます。

 無形界では有形体を有していませんが、自己の有している有形的認識の程度が強いのならば、有形体を通して外環境を認識しているのと同様に、無形体(多くの場合では有形的認識に基づいて人型の形状を造り出している)を通して外環境を認識しています。そのため、人型の形状をしている無形体の周囲から受け入れる「視覚/聴覚/嗅覚/触覚/味覚に相当する感覚」へ意識を向けないようにするとともに、意志の強さで活動性の程度を高めていきます。この方法は、主に惑星圏無形界で適用できます。一方で、無形的認識の程度が強いのならば、無形体は無形的認識に基づいて無形的な形状を造り出しており、無形体の周囲から受け入れる「視覚/聴覚/嗅覚/触覚/味覚に相当する感覚」という捉え方がありません。意志の強さで活動性の程度を高めていくのみとなります。この方法は、主に宇宙圏無形界で適用されていますが、惑星圏無形界でも用いることができます。

 なお、意志を強めていくのと、力[りき]みを混同/誤認していると、全体としての認識/感覚が強く/濃くならず、意識の範囲も拡大していきません。「意志の強さ」は無形的認識に基づいて強めていきますが、一方で、「力み」は有形的認識に基づいて造り出しています。「力み」の造化にともない、認識に占める有形的認識の割合を増大させたのならば、個体としての認識/感覚が強く/濃くなり、相対的に、認識に占める無形的認識の割合は減少するために、全体としての認識/感覚が弱く/薄くなります。加えて、精神で言語/図像などの有形的な思考を造化していても有形的認識が優勢へと傾き、個体としての認識/感覚が強く/濃くなっていく点にも留意してください。

 無形界で適用できる無形的認識に基づく瞑想の方法は、地上でも応用できます。地上では大霊の心を通して同調する活動性の程度を高める支援を受けているために、自己の強い意志で活動性の程度を高めていくとともに、受ける支援によって活動性の程度を更に高めやすくなります。

瞑想 : 瞑想を実践する

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 瞑想を誠実に実践しているのに、何時[いつ]までも同調する活動性の程度が上昇しない原因のひとつには、瞑想の方法を様々に模索する中で、自覚できるものの自覚のない囚われにしがみついてしまっている可能性があります。自覚できるものの自覚のない囚われの多くは、全体としての認識/感覚を捉え強めていこうと模索する「個体としての認識/感覚」にしがみついている状況が挙げられます。これは、騒響[ざわめき]、力[りき]み、焦り、急ぎ、などとも関連しており、個体としての認識/感覚を弱めていけば全体としての認識/感覚は強まるのですが、個体としての認識/感覚を強めて全体としての認識/感覚を強めようと模索しているために、全体としての認識/感覚が強まらず、同調する活動性の程度も上昇していかないのです。

 瞑想で基本となる感覚は、精神で造化している「できる限りの思考/感情」を消し去り、同時に、外環境のあらゆる物的/有形的な物事/現象へ意識を向けずに、内面には静けさのみのある、ただ「在る」という状況になることです。この「在る」の感覚は、I am、I am that、無、空、などとも表現されており、覚醒の初期の段階に相当する認識/感覚であり、覚醒の段階を更に移行していくための土台となります。なお、無、空、などの表現は、「何も存在していない」ということではなく、何もないという感覚を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく認識している自己(意識)が存在している点に留意してください。「在る」の感覚は、覚醒の成長段階へ移行しなければ感じ取れないのではなく、どの成長段階でも感じ取るように努めることはできます。ただし、明確に「在る」の感覚を実感するのは、同調する活動性の程度(内的成長度)が600以上からとなり、更に、「在る」の感覚を恒常的に感じ取るようになるのは、覚醒の成長段階へ移行してからとなります。無/空については、6章3節 質疑応答 #質疑応答の「「無」や「空」と表現されているものは何を表しているのですか?」も参考にしてください。

 もしも、高い活動性への同調を模索していく過程で、模索が行き詰まるような際には、「在る」の感覚へ立ち返ることによって、自覚できるものの自覚のない囚われに気づき、新たな模索の方向性へつながるようになります。また、「在る」の感覚へ立ち返る際に、思考/感情を消し去るにあたって、「思考/感情を消そう」とする思考も消す必要があります。

 瞑想をおこなっていて、現在に意識の受ける活動性の感覚や、瞑想の方法に違和感/不自然感を感じるのであれば、様々に模索して違和感/不自然感を逐一に解決していくことを推奨します。違和感/不自然感は、熱/疲労や、何時[いつ]の間にか形成された自覚できるものの自覚のない囚われ(焦り/急ぎ/力[りき]みなどを含む)、精神の状況(騒響[ざわめき])、などによって感じており、違和感/不自然感を感じ取っている原因を考察し解決せずに放置しておくと、自覚できるものの自覚のない囚われを強め、更に、新たな囚われを形成しやすくなり、焦り/急ぎ/力みなどを強めていく状況へもつながりやすくなります。違和感/不自然感を感じ取っている原因を逐一に解決していくように努めているのならば、原因が複雑化する前に解決しやすくなり、多くの場合では、即時/数日ほどで違和感/不自然感を解決できますが、中には、数週間/数ヶ月/数年の後に解決できる違和感/不自然感もあります。違和感/不自然感を感じ取っている原因を詳細に考察することが解決を促進します。

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 瞑想中に、押し戻されるような圧迫感を感じるのは、有形体へ意識が向いており、有形体内の活動性の感覚に基づいて高い活動性の程度へ同調しようと試みている可能性があります。有形体内の活動性の程度は高めようと試みても高くはならないために、押し戻されるような圧迫感を感じるようになるのです。怪我/疾病による痛み、過食による胃重/膨満感、有形体の疲労、食事の直後、焦り/急ぎ/力[りき]み/緊張を有している、などの状況では有形体へ意識が向きやすくなります。瞑想中に感じる押し戻されるような圧迫感と同様に、額部/眉間や頭頂部に感じる違和感も、有形体内の活動性の感覚に基づいて高い活動性の程度へ同調しようと(有形体の有する活動性の程度を高めようと)している際に現れやすくなります。

 加えて、有形体の3次元の側面にある頭部には、外環境の情報を受け入れる器官(眼/耳/鼻/口)が集まっているために、意識は有形体の中でも頭部へ向きやすくなりますが、自己という意識が頭部に在るのではなく、また、有形体の何処[どこ]かの部位に意識が在るのでもありません。有形体の頭部に意識が向いていると、無形体を通して受ける活動性の感覚を認識し難くなります。有形体を構成する活動性の範囲は4次元の下位に属しており、その範囲よりも高い活動性の程度へ同調しようとしても、有形体の活動性の程度が上昇することはないために、押し戻され、圧迫感を感じるようになります。例として、瞑想で意識を後方へ引く場合に、頭部のみを後方へ引く、頭部を後方へ傾ける、などで有形体へ意識が向くようになり、有形体内の活動性の感覚を、高い活動性から受ける感覚と誤認しやすくなります。

 なお、無形体を通して受ける活動性の範囲は、4次元の下位から無限であり、有形体のように上限がないために、高い活動性の程度へ同調する際に、意識が無形体へ向いているのならば、押し戻されるような圧迫感を感じる状況はありません。

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 高い活動性の程度から受ける感覚を捉えて瞑想したものの、瞑想後に同調する活動性の程度の下降している状況がみられるのは、疲労、熱、有形体/外環境の様々な周期、などから受ける影響によって活動性の程度から意識の受ける感覚が不鮮明な際に、低い活動性の程度から受ける感覚を高い活動性の程度から受ける感覚と誤認して、低い活動性の程度へ同調している可能性があります。

 特に、強い疲労を自覚できるものの自覚していない状況では、活動性の程度から受ける感覚の誤認によって、高い活動性の程度へ同調していると認識していながらも、実際には低い活動性の程度へ同調している場合が多くみられます。自覚できるものの自覚のない強い疲労によって、意識の受ける感覚が不鮮明なのに加えて、疲労は意識を一点へ集中し難くさせるために、高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚を適切に探索できていないのです。なお、貯蔵されている原素材の減少を自覚することが疲労を指していますが、日常の生活の中では、強い疲労があっても自覚できるものの自覚していない場合もみられます。強い疲労を自覚できるものの自覚していない状況については、3章5節 有形体 #質疑応答の「強い疲労があっても、自覚していないことがありますか?」を参照してください。

 また、自覚できるものの自覚なく高熱(おおよそ38℃以上の体温)を有している場合にも、熱の粗雑な感覚へ自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく意識が向きやすいために、熱から受ける「のぼせ」の感覚を高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚と誤認している状況がほとんどです。感覚を誤認しているために、通常であれば比較的に容易に同調できている高い活動性の程度へも同調し難くなります。内的成長度を例にした場合では、通常であれば450への同調が比較的に容易にできていたのに、自覚できるものの自覚なく高熱を有していると、どれほどに同調しようと努めても425までしか高めることができず、425よりも高い程度へ同調できなくなる、などがみられます。自己は高熱を有している自覚がないために、熱から受ける「のぼせ」の感覚を高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚と誤認しているとは気づきません。何らかの原因が、通常であれば比較的に容易に同調できている高い活動性の程度へ同調し難くさせていると自覚して認識したのならば、体温を計測して熱の有無/程度を確認してみることも、原因を考察するのに役立ちます。

 加えて、季節の移行する時期におこなわれる有形体の再構築は、再構築にともなう熱/疲労の有無や、熱/疲労の自覚の有無に関わらず、物質の心の「はたらき」が亢盛して精神に騒響[ざわめき]が起きるために、活動性から受ける感覚を認識し難くさせます。有形体の再構築については、3章5節 有形体 #健康を参照してください。

(1000/1000) 活動性の程度から受ける感覚の誤認
(1000/1000) 活動性の程度から受ける感覚の誤認

 祈り/瞑想の後に同調する活動性の程度が下降していた原因は、ひとつとは限らず、いくつもの有形体/外環境の周期や熱/疲労などの状況が組み合わさることで現れている場合が多くみられます。できる限り全体を俯瞰[ふかん]して、どのような組み合わせの時に、同調する活動性の程度を高め難い、あるいは、活動性の程度から受ける感覚を誤認しやすいのかを詳細に考察するように努める必要があります。

 現在の地上社会にみられる特有の状況として、テレビ/動画/音曲の視聴、パソコンでの作業、ビデオゲーム、などの有形体を静止しておこなう(動作が少ない)活動により、有形体の疲労を回復している(原素材の貯蔵量を回復している)のに、高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚が不鮮明で把握し難い場合もみられます。電子端末の画面に映る映像を視続ける、音声/音曲を聴き続けることで、視覚/聴覚を通した感覚器系への負荷が過大となり、肉眼の冷刺痛/灼熱痛、肉眼の腫脹、眼瞼[まぶた]の痙攣、耳鳴り、頭重感、頭部の絞痛感/膨満感、朦朧[もうろう]感、眩暈、などが現れ、意識へ粗雑な感覚を生み出し、高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚を埋もれさせているのです。これらは眼精疲労や脳の霧(ブレイン・フォグ/意識混濁)と呼ばれていますが、有形体の貯蔵する原素材の量が減少して自覚する疲労ではなく、強い負荷、あるいは、継続して加えられる負荷によって起きている有形体の損傷(炎症反応)です。感覚器系への損傷は、有形体の動作による運動器系への損傷よりも意識へ粗雑/鈍重な感覚を生み出しやすい特徴がみられ、有形体へ意識を向けやすくさせ、また、個体としての認識/感覚を強く濃く感じ取らせるようになります。運動器系の損傷は自覚しやすく、比較的に短期間で損傷から回復しやすいものの、一方で、感覚器系の損傷は自覚し難く、損傷から回復するには比較的に長期間を必要とするために、感覚器系の損傷は有形体の疲労を回復(原素材の貯蔵量を回復)させても長期に残りやすいです。動画などのように画面内で動くものは、文字/図像などの動かないものよりも感覚器系への負担が更に大きく、短時間であっても感覚器系へ損傷を起こしやすくなります。

(1000/1000) 疲労/損傷から回復する期間の違い
(1000/1000) 疲労/損傷から回復する期間の違い

 脳の霧(ブレイン・フォグ/意識混濁)は、有形体の貯蔵する原素材の大幅に少ない状況が持続することで現れる慢性疲労/過労の状況でもみられます。同様に、日々の生活の中で、活動の強度/量に相応する睡眠を確保できずに、有形体の貯蔵する原素材の回復や有形体の調整/修復が充分におこなえていない状況(睡眠不足)でみられる頭重感、頭部の絞痛感/膨満感、朦朧[もうろう]感、眩暈、なども脳の霧に含まれます。脳の霧と呼ばれる「類似する症状/状況」が結果として現れていたとしても、原因は様々であり、常に同じ原因とは限らない点に留意してください。疲労によって現れる脳の霧(ブレイン・フォグ)については、3章5節 有形体 #質疑応答の「有形体の老化とは、皺の増加/白髪などにみられるような現象を指しているのですか?」も参考にしてください。

 なお、意識混濁の「意識」とは、医学用語としての意識の定義であり、このサイトで用いている内的構造としての意識の定義ではなく、内的構造とは関係がありません。意識混濁の「意識」は、有形体内で情報を伝送する経路網を指しています。意識混濁は譬[たと]えると、電気を送電する経路で、抵抗が高く流れが遅延する(流れ難い)、漏電している、混線している、などが起きている状況といえます。意識混濁から受ける粗雑な感覚は、有形体の痛み、気温の高低、風圧、騒音、直射日光の熱、などから受ける粗雑な感覚よりも相対的に精細に感じる(粗雑さを弱く感じる)ために、祈り/瞑想をおこなう際などに、高い活動性の程度から受ける精細な感覚と混同しやすくなります。有形体の痛み、気温の高低、風圧、騒音、直射日光の熱、などから受ける粗雑な感覚は、無形体を通して活動性の程度から感じ取る感覚との差が比較的に大きい(乖離[かいり]が拡い)ために意識を向けないように努めやすく、意識を向けないことで比較的に感覚を感じ取らないようにしやすいです。一方で、意識混濁から受ける粗雑な感覚は、無形体を通して活動性の程度から感じ取る感覚との差が比較的に小さい(乖離が狭い)ために意識を向けないように努め難いです。

(1000/1000) 受ける感覚の識別/混同
(1000/1000) 受ける感覚の識別/混同

 意識混濁が有形体の疲労(貯蔵する原素材の減少)に起因して起きている場合は、有形体の疲労を解消する(原素材の貯蔵量を回復させる)ことで軽減しますが、意識混濁が起きている多くの場合では、有形体の視覚/聴覚を通した「感覚器系への損傷を起こしやすい生活」を修正していく必要があります。損傷の修復には相応する量の原素材が必要であり、強い疲労のある際には修復に遅延のみられる場合もあります。また、有形体の劣化は原素材の利用効率を低下させて疲労を起こしやすくするために、損傷を修復するのに更に長い期間を必要とする状況もみられます。個々によって生活の状況は様々であり、どのように感覚器系の損傷へ対応する(意識混濁を改善する)のかも異なります。自己が自身で生活を省みて、具体的な対応を考察し、実践(修正)していくようにします。

 この質疑応答に関連する内容には、この節の質疑応答の「有形体に熱があると、高い活動性の程度へ同調することで感じる高揚感/浮遊感を感じ取りやすいのですが、どうしてですか?」がありますので参考にしてください。

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 以前には高い活動性の程度へ同調し高揚感/浮遊感を感じていたのに、最近では感じなくなっている場合には、先[ま]ずは、自己が現在に同調している活動性の程度(内的成長度の同調値)と、現在の内的成長度の最高値を筋反射検査で測定し、以前に高揚感/浮遊感を感じていた頃の測定値と比較してみることを推奨します。内的成長度については4章3節 内的成長度、筋反射検査については1章3節 筋反射検査を参照してください。

 現在の内的成長度の同調値が、以前よりも下降している場合は、下記の2点が考えられます。

  1. 祈り/瞑想に、焦り、急ぎ、力[りき]み、などがあり、高い活動性の程度への同調を阻碍している
  2. 同調する活動性の程度を下降させるような要因がある

 1つ目は、自覚できるものの自覚なく、焦り、急ぎ、力[りき]み、などを有してしまっている状況へ気づき、祈り/瞑想をおこなっている目的を誠実に内省し直します。適切な目的で祈り/瞑想をおこなうように修正すれば、自[おの]ずと同調する活動性の程度は向上していきます。

 2つ目は、熱、疲労、疾病、怪我、自覚できるものの自覚のない不誠実な行為の増加、などにより、意識に占める物質の心の影響力が増大しているために、同調する活動性の程度が下降しているのです。自己の内面の状況、外環境の状況、おこなっている行為、などを落ち着いて逐一に内省し、同調する活動性の程度を下降させている原因を把握することで対応できるようになります。

 現在の内的成長度の同調値が以前と同等か、あるいは、以前よりも向上している場合は、下記の3点が考えられます。

  1. 現在の内的成長度の最高値と同調値に乖離[かいり]がある
  2. 成長の程度が内的成長度の最高値へと近づいてきている
  3. 外環境/有形体の無数の周期による影響を受けて、活動性の感覚を認識し難くなっている

 1つ目は、何らかの原因によって、同調する活動性の程度(同調値)が最高値よりも下降しているために高揚感/浮遊感を感じ取らなくなっており、原因に気づくことで対応できるようになります。原因へ対応して、同調する活動性の程度が最高値へ近づくほどに、高揚感/浮遊感を感じ取りやすくなっていきます。何らかの原因には、上記の「内的成長度の同調値が以前よりも下降している場合」の2項目と同様に、熱、疲労、疾病、怪我、自覚できるものの自覚のない不誠実な行為の増加、などが挙げられます。

 2つ目は、現在の内的成長度の最高値と、同調値がほぼ同等を維持している場合にみられ、自己の成長の程度が、内的成長度の最高値と乖離しているほどに高揚感/浮遊感を強く感じやすく、両者の差が狭くなるほどに感じ難くなります。現在の内的成長度の最高値(同調値)よりも、更に高い活動性へ同調し、最高値を向上させていくことで成長の程度との乖離が拡がるために、高揚感/浮遊感を感じるようになります。異なる観点から捉えると、内的成長度の最高値と成長の程度が近づき、活動性の程度から高揚感/浮遊感を感じ難くなる状況は、高揚感/浮遊感を感じていた活動性の程度を自己が習得できたことを表しているともいえます。自己が習得したために、高揚感/浮遊感を感じる必要がなくなったのです。高揚感/浮遊感を感じ取っている状況とは、現実感が弱い、あるいは、夢見心地にある、とも表現できるために、高揚感/浮遊感を感じ難くなる状況は、これまでに高揚感/浮遊感を感じていた活動性の程度に相応する生活が、現実感をもってできるようになったともいえます。

 3つ目は、現在の内的成長度の最高値と同調値がほぼ同等であり、自己の成長の程度が内的成長度の最高値と乖離していても、高揚感/浮遊感を感じ難い場合での考察の対象となります。自己は、外環境/有形体の無数の周期から絶え間なく影響を受けており、これらの周期の組み合わせから受ける影響は常に変化しています。周期の組み合わせによっては、活動性から受ける感覚を認識し難い場合もあります。例として、外環境の気温が低い冬と高い夏では、同等の活動性の程度から受ける感覚は同じではありません。季節ごとに、風の強さ、湿度の高さ、陽射しの強さ、食事の内容、汗出の程度、疲労の強さ、などは異なり、受ける感覚も変化します。一日の中での時間帯によっても受ける感覚は異なります。

 同調する活動性の程度を下降させている様々な原因の中でも、熱/疲労は祈り/瞑想へ意識を集中させ難くします。熱/疲労などによって意識を一点に集中し難い状況へ対応せずに放置していると、意識を一点へ集中できない(散漫になる)習慣が形成され、熱/疲労などが解消されても、意識を一点へ集中させ難くなります。強い熱/疲労などがあると意識が朦朧[もうろう]と不鮮明になる場合もあり、意識を一点へ集中させ難くなるだけでなく、自己のおこなっている行為が、適切におこなえているのか、おこなえていないのかを判別し難い状況もみられるようになります。このような状況の時には、安静にする、睡眠を多く摂る、などで早急/迅速に熱/疲労の解消へ努める必要がありますが、日常生活をおこなうのに大きな支障がない程度の熱/疲労であれば、できる限り意識を一点へ集中するように努める必要もあります。

 熱/疲労のある状況では、精神にも騒響[ざわめき]が強く現れているために、騒響を鎮静させることへ、ゆっくりと丁寧に意識を集中していくように努め、更に可能であるのならば、自己のおこなう行為へも意識を集中していくようにします。思うように意識が集中できないために、焦り、急ぎ、力[りき]みが出やすくなりますが、これらは精神の騒響を強めるようになります。熱/疲労のない時よりも落ち着いて、少しずつゆっくりと集中していくようにし、無理矢理に瞑想などで同調する活動性の程度を高めようとせずに、精神に静けさを保つことを優先します。熱/疲労などがある時にも、できる限り意識を一点へ集中するように努め、熱/疲労などがある時/ない時の意識が受ける様々な感覚の違いを比較して考察し、意識を一点へ集中させる方法を模索していくことで、成長への学びを得られるようにもなり、また、祈り/瞑想をおこなう際や、愛の行為を実践する際にも役立つようになります。

 この質疑応答に関連する内容には、4章3節 内的成長度 #質疑応答の「成長の程度が内的成長度の最高値よりも高くなる状況はみられますか?」がありますので参考にしてください。

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 瞑想で意識が自然に拡大していくのにあわせて、意識を更に拡大させようとすると途端に拡大しなくなるのは、意識を拡大させようとする意志の強さと、力[りき]み/緊張を混同しているために起きています。

 意識を拡大させようとする際や、高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚へ移行する際に現れやすい「精神の力み/緊張/焦り/急ぎ」は、「有形体の力み/緊張」を生み出しやすくなり、意識の拡大する感覚や活動性から受ける感覚へ向いていた意識が、有形体から受ける感覚へ向きやすくなります。有形体から受ける感覚へ意識が向くと、有形体を中心として意識の偏重する程度が強くなり、意識が拡大しようとする状況(偏重している範囲を意識全体へ均等に拡げていこうとする状況を含む)を阻碍します。意識の偏重する程度については、3章8節 意識 #質疑応答の「自己という意識の中で、更に「自己」と強く認識している範囲とは何を表しているのですか?」を参照してください。

 意志の強さから受ける感覚と、力み/緊張から受ける感覚は混同しやすく、また、強い意志とは「力み/緊張の強い状況」だと誤認している場合も多くみられます。意志の強さから受ける感覚と、力み/緊張から受ける感覚の識別をするように努めることで、力み/緊張のないままに、意識を拡大していく強い意志を維持できるようになります。意志の強さと力み/緊張から受ける感覚の識別については、4章2節 有形界での成長 #質疑応答の「意志の強さは、どのようにして実感できますか?」を参照してください。

 もしも、意識を拡大していく強い意志にあわせて力み/緊張を感じ取ったのならば、そのまま意識の拡大を無理矢理に続行せずに、一旦に中断して、力み/緊張を消し去った後に再び意識を拡大していくようにします。意志の強さから受ける精細な感覚は、力み/緊張から受ける粗雑な感覚へ埋もれやすく、力み/緊張を感じ取ったままで意識の拡大を無理矢理に続行していると、意識が拡大しないだけでなく、力み/緊張の感覚を意志の強さと誤認する習慣が形成される状況へつながります。意識を拡大する際に、強い意志とともに力み/緊張が現れるのであれば、意識を率先して拡大させようとするよりも、自然に拡がろうとする意識の「後押し」をしていくように努めることで、力み/緊張が現れ難くなります。

 瞑想時にみられる有形体の「力み」は、特に、熱/疲労などのある時には精神に騒響[ざわめき]が起きやすく、騒響は力み/焦り/急ぎを生み出し、更に、力み/焦り/急ぎが騒響を強める循環を形成しやすくなります。力みは、座位で瞑想をおこなう場合では吸気の際に現れやすく、肩が上がる、脇を閉める、背筋を過度に伸ばす、手指/足趾に力が入る、などが多くみられます。また、呼気の際には、脇を過度に開く、口唇/瞼[まぶた]を強く閉じる、頚項部/腹部に力が入る、などもみられやすくなります。力み/焦り/急ぎは、自己という個体のみで(個体としての認識/感覚にしがみついて)同調する活動性の程度を高めようと躍起になることによって現れやすくなり、高い活動性の程度への同調を阻碍します。常に天使たち(大霊/全体)が同調する活動性の程度を高めるように支援してくれているのを自覚して、内面に静けさを保ち、天使たちの支援を受け入れるように努めるのならば、力み/焦り/急ぎは現れなくなります。内面の焦り/急ぎ/緊張などが無くなり、有形体の力みが消え、支援を受け入れる適切な態勢/体勢が整えば、天使たちの支援によって自然に高い活動性の程度へ同調していくことができるようになります。

 加えて、瞑想する際に、混同/誤認しやすい感覚には下記が挙げられます。

  • 有形体の力みから受ける感覚と、相対的に高い活動性の程度へ「同調/同一化/移行していく」感覚(同調する活動性の程度が上昇していく感覚)
    • 相対的に高い活動性の程度から受ける感覚そのものと混同/誤認するのではありません
  • 有形体の脱力から受ける感覚と、相対的に低い活動性の程度へ「同調/同一化/移行していく」感覚(同調する活動性の程度が下降していく感覚)
    • 相対的に低い活動性の程度から受ける感覚そのものと混同/誤認するのではありません
  • 有形体の脱力から受ける感覚と、相対的に弱い意志を有する感覚
  • 有形体の脱力から受ける感覚と、睡眠へ入る(眠りへ落ちる)感覚
    • 混同/誤認していると、強い疲労を有していなくても瞑想中に眠くなりやすいです
  • 有形体の力みから受ける感覚と、上昇していく感覚や軽くなる感覚
  • 有形体の脱力から受ける感覚と、下降していく感覚や重くなる感覚
  • 精神に騒響が起きる/強くなる感覚、興奮や楽しさ/嬉しさが生じる感覚と、相対的に高い活動性の程度へ同調/同一化/移行していく感覚(同調する活動性の程度が上昇していく感覚)
    • 精神の騒響、興奮、楽しさ/嬉しさから受ける感覚そのものと混同/誤認するのではありません
    • 起きる/強くなる/生じる際の感覚と誤認しやすいです
  • 精神の騒響が鎮静される感覚、悲しさ/哀しさが生じる感覚と、相対的に低い活動性の程度へ同調/同一化/移行していく感覚(同調する活動性の程度が下降していく感覚)
    • 精神の静けさ、悲しさ/哀しさから受ける感覚そのものと混同/誤認するのではありません
    • 静まる/鎮まる/生じる際の感覚と誤認しやすいです

 これらの感覚を混同/誤認していると、瞑想を長時間に渡り継続したとしても、何時[いつ]までも同調する活動性の程度が向上しなくなります。感覚の混同/誤認は、自覚できるものの自覚のないままに何時[いつ]の間にか生じてしまい、混同/誤認へ気づき修正するまでは混同/誤認を強めやすくなるために、感じ取る僅かな違和感/不自然感から、できる限り早急/迅速に混同/誤認へ気づくことが大切です。それぞれの感覚へ意識を集中して、それぞれの感覚から受ける僅かな違いを把握して識別するように努める必要があります。

(1000/1000)

 意識を周囲へ拡大していこうとしても拡がり難い感覚があり、また、拡がっても短時間の後に縮小したように感じ取るのは、意識の偏重する範囲(自己と強く認識する範囲)を中心に意識全体の範囲を拡げていこうとしている場合にみられます。意識の偏重の範囲については、3章8節 意識 #質疑応答の「自己という意識の中で、更に「自己」と強く認識している範囲とは何を表しているのですか?」を参照してください。

 意識とは自己という主観性そのものであり、意識を拡大するとは自己と強く認識する範囲を中心に自己の周囲を拡げていくのではなく、「自己そのもの」を拡げていくという点に留意してください。自己と強く認識する範囲を中心に自己の周囲を拡げていくのと、自己そのものを拡げていくのとでは、文字による記述としては類似していますが、意識の受ける感覚は異なります。そして、両者の違いを把握しているのならば、意識の拡大を実践する際に感覚を識別しやすくなります。

 自己と強く認識する範囲を中心に自己の周囲を拡げていくように捉えていると、自己と強く認識している「意識の偏重する範囲」を中心に意識を拡大しようとしているために意識全体の範囲は拡大し難くなります。もしも、意識全体の範囲が拡大したとしても意識の偏重する程度が強いままであり、短時間の後には意識の拡大によって感じ取る感覚が薄れやすく、あるいは、意識全体の範囲が縮小しやすく(同調する活動性の程度を維持し難く)なります。自己そのものを拡げていくように捉えるには、意識の偏重する程度を弱めて、意識全体の範囲を均等に自己と鮮明に認識するようにしていく必要があります。言い換えると、自己と強く認識している「意識の偏重する範囲」を意識全体の範囲へ拡げていくとも表現できます。意識全体の範囲を均等に自己と鮮明に認識するようになれば、意識全体の範囲を拡大させやすくなり、更に、拡大した範囲を維持しやすく(同調する活動性の程度を維持しやすく)もなります。

 自己と強く認識する範囲を中心に自己の周囲を拡げていくのと、自己そのものを拡げていくのとで感じ取る感覚の違いの例として、雨の降る日に屋内で座位の瞑想をしている際に、瞑想を始めて暫[しばら]く後に有形体から受ける感覚へ意識が向かなくなると、自己と強く認識する範囲を中心に自己の周囲を拡げていくように捉えている場合には、自己が雨の降る中に浮いているように感じ取ります。一方で、自己そのものを拡げていくように捉えている場合には、雨そのものが自己、あるいは、自己の内で雨が降っているように感じ取ります。

(1000/1000) 意識の偏重する範囲と意識の拡大
(1000/1000) 意識の偏重する範囲と意識の拡大

 地上の生活では常に有形体を通して活動するために、日常的に有形体を中心として意識が強く偏重しています。これは、意識を拡大する際に、自覚できるものの自覚なく有形体を中心に意識全体の範囲を拡げていく(有形体の周囲へ自己を拡げていく)ように捉えてしまいやすくなる状況を表しており、加えて、有形体を自己と誤認する程度へも影響を与えやすくしています。意識の偏重の程度と有形体を自己と誤認する程度の違いについては、3章8節 意識 #質疑応答の「意識の偏重している程度と、有形体を自己と誤認する程度には、どのようなつながりがありますか?」を参照してください。

 意識の拡大を実践する中で、自己と強く認識する範囲を中心に自己の周囲を拡げていく捉え方/感覚と、自己そのものを拡げていく捉え方/感覚は、有形体/外環境の無数の周期や熱/疲労などによって変化する意識の偏重の程度や、有形体を自己と誤認する程度、などから影響を受けて、何時[いつ]の間にか自覚できるものの自覚なく混同してしまっている状況がみられやすいために、常に自覚して捉え方/感覚の違いを把握するように努めておく必要があります。

(1000/1000)

 瞑想をおこなう際の、活動性の程度から受ける感覚へ意識の集中する程度や、有形体へ意識の向く程度は、外環境の状況、有形体の状況、内面の状況、などの総合によって変化するものの、有形体の体位(姿勢/体勢)のみで比較した場合では下記のような違いがみられます。下記では、仰臥位、座位、立位、歩きながら、の4つの体位を比較しています。

 仰臥位の瞑想では、有形体へ力[りき]みが現れ難いために、有形体へ意識を向けないように努めやすいですが、瞑想/睡眠を混同しやすいです。個体としての認識/感覚よりも、全体としての認識/感覚を強く/濃く感じ取りやすくなります。

 座位の瞑想では、有形体へ意識を向けないように努めやすいものの、床/椅子へ座った際の体位が安定していないと有形体へ力[りき]みが現れやすく、特に、背中、腕、肩、頸に力みがみられるようになります。比較的に瞑想/睡眠を混同しやすいです。個体としての認識/感覚よりも、全体としての認識/感覚を比較的に強く/濃く感じ取りやすくなります。

 立位の瞑想では、比較的に有形体へ力[りき]みが現れ難いものの、立ったままの姿勢を維持するために有形体へ意識を向けないように比較的に努め難いです。瞑想/睡眠は混同し難いです。個体としての認識/感覚よりも、全体としての認識/感覚を比較的に強く/濃く感じ取りやすくなりますが、座位/立位の2つの体位で比べると、立位では座位よりも個体としての認識/感覚を弱め/薄め難いです。

 歩きながらの瞑想では、比較的に有形体へ力[りき]みが現れ難いですが、歩く姿勢を維持するために有形体へ意識を向けないように努め難いです。瞑想/睡眠を混同する状況はみられません。個体としての認識/感覚よりも、全体としての認識/感覚を強く/濃く感じ取り難いです。

(1000/1000) 体位の違いが瞑想へ与える影響
(1000/1000) 体位の違いが瞑想へ与える影響

 特定の体位が瞑想に適しているということはなく、外環境の状況(陽射しの強さ、明るさ、風の有無/強さ、気温/室温、湿度、天候、騒音、など)、有形体の状況(疲労、熱、怪我、疾病、痛み、食前/食後、など)、内面の状況(悩み、怒り、悲しみ、騒響[ざわめき]の有無/程度、など)によって、その時その時に自己に適した瞑想の体位は異なります。日々の生活の中で様々に模索して瞑想へ意識を集中できるように努めるのならば、何時[いつ]に、何処[どこ]で、どのような状況でも、どのような体位であったとしても、同調する活動性の程度を高められるようになります。

(1000/1000)

 瞑想時に強い眠気が現れるのは、多くの場合では、疲労の蓄積(原素材の貯蔵量が大幅に少なくなっている)があるためです。自覚の有無に関わらず、疲労が強く現れていると、瞑想時だけでなく、日常の行為に対しても意識を一点へ集中し難くなり、また、意識の集中を持続するのも困難になります。加えて、疲労によって意識を一点へ集中し難くなると、同調する活動性の程度も下降しやすくなり、行為に付与する活動性の程度も低くなります。

 更に、有形体に極度の疲労が継続している状況(過労)では、意識混濁(脳の霧/ブレイン・フォグ)、重い倦怠感、頭重感、眩暈、四肢の脱力、発熱、などとともに、様々な程度の活動性から受ける感覚を全く感じ取れなくなる場合もみられます。活動性から受ける感覚を感じ取れなくなると、相対的に低い活動性の程度から受ける混濁/粗雑/有重の感覚も、相対的に高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚も感じ取れない(あるいは識別できない)ために、同調する活動性の程度を高め難くなります。同時に、過労の状況では筋反射検査の検査条件を満たせない場合も多くみられるようになるために、筋反射検査を用いて内的成長度(同調する活動性の程度)を測定することもできなくなってしまいます。筋反射検査については、1章3節 筋反射検査を参照してください。

 強い疲労のある際には、活動性から受ける感覚を鈍く不鮮明に感じ取り高い活動性の程度へ同調し難くなるだけでなく、意識を一点へ集中する程度も低くなるために瞑想を持続し難くなります。強引に瞑想して同調する活動性の程度を上昇させることで無形体/有形体への原素材の供給量を増大させようとせずに、睡眠を長く/多く摂るようにして、原素材の貯蔵量を増大させるように努めるほうが適している場合もあります。原素材の貯蔵量が、ある程度まで回復し疲労の程度が低くなったのならば、瞑想時に眠気が現れる状況はなくなり、意識を一点へ集中できるようになります。起床後(睡眠より目覚めた直後)は、1日の中でも原素材の貯蔵量が多いために、起床直後に瞑想をおこなうと、活動性の程度から受ける感覚へ比較的に意識を集中しやすくなります。あわせて、意識の集中を持続できる範囲内での短時間(おおよそ15分未満)の瞑想を頻繁におこなうのも、同調する活動性の程度を維持して原素材の貯蔵量を回復させやすくなります。

(1000/1000)

 瞑想中に感じる強い熱感は、多くの場合では、過食、大食、熱性食物を食べる、などによって、胃熱/腸熱が上昇している状況に原因があります。熱感と同時に、肩部/頸部の違和感を感じる場合もみられます。過食/大食などの食習慣を省みて、習慣を修正し、胃熱/腸熱を下げたのならば、瞑想中に熱感を感じなくなります。

 瞑想をおこなっていない時には、有形体の胃熱/腸熱から意識が受ける感覚は、分霊の心が物質の心を通して意識へ高熱の強い感覚を与えないように無自覚的に(自覚なく)制御しているために、高熱の感覚を認識し難いです。一方で、瞑想中は、活動性から受ける透明/精細/無重の感覚へ意識を向け、混濁/粗雑/有重の感覚へ意識を向けないように努めており、強い混濁/粗雑/有重の感覚を生み出す有形体へも意識を向けなくなります。有形体へ意識が向かなくなると、分霊の心が物質の心を通して意識へ高熱の強い感覚を与えないようにおこなっている無自覚的な(自覚のない)制御も弱めるために、一時的に高熱の感覚を感じ取るようになります。また、高熱の感覚は極度の冷え(寒さ)として感じ取る場合もあります。

 ただし、瞑想中の強い熱感は、胃熱/腸熱があれば常に感じるとは限らず、有形体/外環境の無数の周期による組み合わせによっては、熱感を強く感じる状況もあれば、ほとんど感じない状況もあります。有形体/外環境の周期の中でも、特に、食事の時間帯と瞑想の時間帯との関連について考察することを推奨します。なお、過食/大食とは、他者と比べて自己の食べる量が多い状況ではなく、自己の用いている有形体が現在に食物を消化/吸収する程度/効率よりも多く食べる状況を指しています。他者よりも自己の食べる量が少ないとしても過食/大食に当てはまる場合があり、加えて、以前の自己よりも現在の自己の食べる量が少ないとしても過食/大食に当てはまる場合もあります。

 加えて、カフェインを含む食物/飲料の摂取によって熱感や興奮が現れやすくなり、カフェインの摂取量、摂取の時間帯、瞑想の時間帯、などの組み合わせによっては、活動性から受ける感覚へ意識を集中し難くさせ、高い活動性への同調を妨[さまた]げる場合もみられるようになります。カフェインは、食物に含まれる成分の中でも、有形体に対して比較的に強い毒性を有しています。有形体内へ取り込まれることで、有形体の均衡/調和を維持するために毒(カフェイン)を分解/排泄するように物質の心の「はたらき」が亢進/亢盛し、熱の上昇、誘惑の影響力の増大、などが起きます。そのため、興奮性が強くなり、落ち着きがなくなる、眠気がなくなる、逆に眠れなくなる、騒響[ざわめき]が強くなる、身体が熱[ほて]る、などがみられるようになります。どの程度のカフェインの摂取量が、瞑想を妨げるようになるのかは、個々の用いている有形体の体質、疲労の程度、有形体/外環境の無数の周期、などによって異なります。自身の体験を通して、様々な状況でカフェインの摂取量/摂取の時間帯と瞑想への影響の程度を検証し考察することを推奨します。

 また、カフェインに限らず、肉、油脂類、香辛料、穀類、酒類、なども有形体の熱を上昇させやすく、熱に反応して物質の心の「はたらき」が亢進/亢盛し、騒響を起こしやすくなります。どのような食物を、どの時間帯に、どの程度に摂取することで、自身の有形体へ、どのような影響を、どの程度に与えるのかを、様々に試しながら考察していくことで、瞑想へ与える影響を把握できるだけでなく、成長への学びを得るのにもつながります。

 日常的に食事をしているのならば、食事の内容/量/頻度に関わらず、常に、ある程度の胃腸熱を有しています。胃腸の損傷/炎症反応によって熱が上昇するだけでなく、食事という行動そのもの(胃腸へ食物という物体を取り込み消化する活動)が熱を生成するのです。そのため、胃腸熱は相当に強くなってからでなければ自覚し難く、熱感を自覚してからでは胃腸熱への対応が遅れやすくなります。自覚できるものの自覚していない胃腸熱から受ける粗雑な感覚が、活動性の程度から受ける精細な感覚を把握し難くさせ、意識の集中を阻碍して散漫にし、物質の心から受ける誘惑を強めている状況は頻繁にみられ、日常的に精神へ騒響を起こしている要因にもなっています。

 なお、食事の内容/量/頻度は、有している胃腸熱の強さに影響を与えています。食べるから熱が上昇し、熱によって誘惑の影響力が増大するために、更に食べて無用に熱を上昇させる循環を形成しやすく、食べなければ(現在の状況に適切な内容/量/頻度の食事をおこなえば)無用に熱は上昇しないといえます。

 この質疑応答に関連する内容には、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「行為へ意識を向けないように努めるほどに、行為へ意識が向いてしまうのですが、どうすれば意識を向けないようにできますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 日本では、春秋冬の時季に比べて、夏季は気温が高く、同時に湿度も高くなるために、高い気温/湿度に物質の心が反応して、意識に与える物質の心の影響力が増大し、自覚できるものの自覚のないままに精神の騒響[ざわめき]が強くなります。騒響によって、意識が粗雑な感覚で埋められると、高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚を感じ取り難くなり、また、透明/精細/無重の感覚を探索し難くもなります。

 気温の低い時季には弱い騒響でも自覚しやすいのに対して、夏季などの気温が高い時季には、外環境の高い気温/湿度に影響を受けて常に騒響が起きているために、有形体の熱/疲労などで更に物質の心の影響力が増大して騒響が強くなっていたとしても気づき難く、騒響が「ある程度」に強くなってから騒響が起きている状況へ気づくようになります。騒響が現れると、焦燥感、落ち着きのなさ、などを意識が感じるようになりますが、これらの感覚も夏季には感じ取り難くなるために、夏季に焦燥感、落ち着きのなさ、などを明確に感じ取る状況は、ある程度に騒響が強くなっていることを表しています。そのため、夏季は意識の受ける感覚のみで精神の状況を判断していると騒響への対応が遅れやすくなり、同調する活動性の程度を急激に下降させ、また、不誠実な行為をおこなってしまう状況へもつながります。

 意識の受ける感覚以外に、騒響が強く現れてきた状況を示す指標のひとつとして、自己の行動、他者の行動、外環境の物事、などの様々な状況へ、自己の内面で逐一にコメント(意見/注解/批評)を付けようとする行為がみられるようになります。これは、解説者/アナウンサーが押し黙ることなく常に眼前の状況を解説し続け、実況中継している様子へ譬[たと]えられます。このコメントを付けようとする状況(強い騒響のある状況)を放置していると、天使たちの愛ある助言への口答え、幻想の捉え方による理由付け/独り言の行動、などへつながるようにもなります。強い騒響のある状況へ気づいたのならば、不誠実な習慣を形成し強めないためにも、できる限り早急/迅速に対応する必要があります。

 また、精神での騒響が強く現れ、同調する活動性の程度が徐々に下降するようになると、自己の内面でコメントを付けようとするだけでなく、下記のような状況も現れやすくなります。

  • 落ち着きがなくなり、漠然とした焦燥感を感じやすくなります
  • 意識の範囲を狭小に感じるようになります(自己を狭く感じます)
  • 天使たちと疏通している感覚がなくなります
  • 閃きの頻度/精度が低下します
  • 無形体/精神への原素材の供給量が減少するために、精神での活動に疲労を頻繁に感じるようになり、外環境を認識する程度も低下します
  • 筋反射検査で、無形界から応答として送られてくる活動性の感覚を感じ取り難くなります
  • 筋反射検査で、検査の条件を満たしていないにも関わらず、満たしていると思い込んで検査をおこないやすくなり、検査結果を誤認しやすくなります
  • ひとつひとつの行為から丁寧さが薄れ、乱雑さが表れやすくなります
  • 有形体の上背部が物的に丸まっている/丸まっていないに関わらず、上背部が丸まり屈[かが]み込んでいるように感じ取ります

 夏季には高い活動性の程度から受ける感覚を感じ取り難いために、騒響を鎮静させるために瞑想などで同調する活動性の程度を高めようとしても高め難く、焦り、急ぎ、力[りき]みを生み出しやすくなります。同調する活動性の程度を高めるように努めながらも、同時に、思考/感情をできる限り消し去り、精神でのコメント付けを辞め、強い意志で常に精神へ静けさを保つ(克己の造化を増大させる)のに重点を置いて、更に、静謐(活動性の性質の表現)を造化していくように努めることで、騒響を鎮静させやすくなり、高い活動性の程度から受ける感覚を感じ取りやすくなります。決して焦ることなく、僅かずつ確実に精神へ静けさを拡がらせていくようにします。

 加えて、夏季の比較的に気温の低い早朝に、ある程度の時間(数十分-1時間程度)を確保して座位/立位での瞑想へ用いる、また、日中に短時間(数分-10分程度)の瞑想を頻繁におこなうようにする、食事の量を減らし疲労/熱の生成を抑制する、食事の品目を見直し熱を抑える、必要以上の大量の汗出(湯浴/サウナなど)を控え疲労を増大させない、睡眠を多く摂り疲労の回復を促す、などの生活の工夫をして、熱/疲労が強くなる状況を減少させ、同調する活動性の程度を下降させないように努めるのも有効な方法です。なお、この段落の記述で用いている瞑想の定義は、このウェブサイト全体で用いている定義とは異なります。ウェブサイト全体で用いている瞑想の定義は、同調する活動性の程度を高めるのが目的ですが、一方で、この段落の瞑想の定義は、同調する活動性の程度を下降させないように維持するのが目的であり、高い活動性の程度の感覚を探索し同調していくことよりも、精神へ静けさを保ち、騒響を鎮静させ、「忘我の状況」を造り出すように努めることを主軸としておこないます。

 逆に、冬季に、高い活動性の程度から受ける感覚を感じ取り難くさせる大きな要因には、気温が下がり冷え(寒さ)を感じるようになり、活動性の程度から受ける感覚へ意識を集中させ難くなることにあります。加えて、地域によっても異なりますが、北西からの冷たく強い風が吹くようになり、この風は有形体を硬直させやすくし、震えを起こさせ、体質や生活の状況によっては霜焼け/赤切れなどによる痛みも現れ、物質の心の影響力を増大させるように、はたらきます。また、有形体が冷えるために、体温を上昇させようとして食事量が増加しやすくなり、必要以上に熱を溜め込んでしまう状況も挙げられます。

 それぞれの季節には、それぞれに留意する点があり、その多くは、有形体/外環境の無数の周期によって、意識を一点へ集中させ難くする状況にあります。意識を一点へ集中させ難くする要因を観察/考察して把握し、それを考慮したうえで意識を一点へ集中させていくように生活を模索していくことが、地上での学びへとつながり、成長を促進するようにもなります。有形体の無数の周期も、外環境の無数の周期も、有形界(地上)でみられる特性であり、無形界ではみられません。これらの周期が組み合わさり現れる様々に変化する状況へ適宜に対応していくことが、地上での学びの中核となります。地上での学びについては、4章2節 有形界での成長も参考にしてください。

(1000/1000)

 日常の生活の中で、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく様々な影響を受けて、同調する活動性の程度が上昇/下降するのは自然です。どれほどに絶え間なく同調する活動性の程度を高めるように努めているとしても、決して下降しないという状況はありません。

 瞑想を習慣として常におこなうようになると、同調する活動性の程度を高めていくことへの困難さを実感しているために、同調する活動性の程度が僅かにでも下降する状況へ不安を抱きやすくなります。しかし、同調する活動性の程度は常に変動しているために、自覚できるものの自覚なく下降してしまう状況へ、恐れ/怯え、心配し、不安を抱く必要はありません。逆に、恐れ/怯え、心配、不安、などを抱いていること自体が、意識へ与える物質の心の影響力を増大させるために、同調する活動性の程度を下降させるように、はたらきます。そして、自覚できるものの自覚なく下降した同調する活動性の程度は、自覚して高めるように努めていくのです。ただし、自覚して同調する活動性の程度を下降させようとするような「不誠実な行為をおこなう状況」は辞める必要があります。

 常に同調する活動性の程度を維持/上昇させていくように努め、下降させないに越したことはありませんが、有形体/外環境の無数の周期、熱/疲労、などの影響を受けて、同調する活動性の程度が大幅に下降してしまう場合もあります。そして、同調する活動性の程度が大幅に下降して、初めて気づき、考察する内容もあるのです。また、再度に、同調する活動性の程度を高めていく過程にも、新たな気づき、考察する内容があり、これらの内容を通しても、成長の学びを得られるようになります。ただし、誘惑に呑まれ、誘惑によって不誠実な行為が造化される状況を制御しようとせずに、利己的/自己中心的な行動をおこない、欲望を追求して、同調する活動性の程度が大幅に下降しても、成長の学びは得られません。

 特に、日本では、夏季の高い気温/湿度が、有形体の熱を上昇させ、汗出が増加し、睡眠時間を短くさせるために、原素材の消費量は増大しても供給が追いつかず、強い疲労を起こしやすくなります。強い疲労は、物質の心の影響力を大幅に増大させるために、同調する活動性の程度も大幅に下降しやすくなります。夏季から秋季にかけては、同調する活動性の程度が大幅に変動する(下降した後に上昇させるように努める)ことで活動性の程度から受ける感覚の変化を模索し直すために、新たな気づきを得やすい時期でもあり、また、瞑想の方法を修正するのに適した時期ともいえます。もしも、同調する活動性の程度を大幅に下降させたままで放置していると、成長の程度を急激に退行させる状況へつながるために、疲労の回復へ努めるとともに、できる限り早急/迅速に、焦ることなく、同調する活動性の程度を高めるように努める必要があります。

(1000/1000)

 有形体の頭部が後傾することで高い活動性の程度から受ける感覚を認識し難くなるのは、日常では、有形体の前後上下の方向と、意識(自己)の前後上下の方向が常に同じ方向と認識しているために、頭部が後傾すると有形体の上方の向きが傾き、あわせて、意識の上方の向きも傾き、高い活動性の程度から感じる上昇の方向性と意識の上方の向きが一致しないことで起こります。これは、鉛直方向と垂直方向の違いに譬[たと]えられ、鉛直方向と垂直方向は、状況によって一致している場合もあれば、一致していない場合もあります。有形体/意識/活動性の方向性については、この節の質疑応答の「有形体、活動性、意識の有する方向性には、どのような違いがありますか?」を参照してください。

 有形体の前後上下の方向と、意識の前後上下の方向が常に同じ方向と認識しているのは、有形体を自己と誤認しているために起きています。この誤認の程度が強いほどに、有形体の方向性と自己(意識)の方向性を常に同じと感じ取るようになります。意識の方向性は、有形体の方向性ではなく、常に活動性の有する方向性へ一致させるように努めることで、高い活動性の程度へ同調しやすくなります。

(1000/1000) 頭部の後傾による有形体/活動性の方向性の不一致
(1000/1000) 頭部の後傾による有形体/活動性の方向性の不一致

 瞑想時に、意識を後方へ引こうとした際に、有形体の全体も後方へ引かれるような感覚を受ける状況はあります。地上で生活している間は、常に自己(意識)と有形体はつながりを有しているために、意識のみを後方へ引くのは難度が高いです。しかし、有形体の頭部のみを後傾させてしまうのは、有形体を自己と誤認している(誤認している程度が強い)ために、意識のほとんどが有形体の感覚器を通して受ける感覚へ向いてしまい、感覚器の集まる頭部のみを後傾させやすくなるのです。ただし、有形体の頭部を後傾させると高い活動性の程度から受ける感覚を認識し難くなるからといって、頭部を前傾させれば高い活動性の程度から受ける感覚を認識しやすくなるのではありません。有形体を自己と誤認する程度を弱め、有形体を通して受ける粗雑な感覚へ意識を向けないようにしていくことで、高い活動性の程度から受ける精細な感覚を認識できるようになるのです。

(1000/1000) 頭部の後傾と活動性から受ける方向性の感覚
(1000/1000) 頭部の後傾と活動性から受ける方向性の感覚

 有形体を自己と誤認する程度を弱めるには、「自己は意識であり、有形体は自己の用いる道具」ということを、言語(有形的)としてではなく印象(無形的)として認識していくように努め、その認識を日常におこなう行為/活動へ反映させていく必要があります。地上での物的な生活に有形体は不可欠ですが、有形体の内包する物質の心が常に有形体を自己と誤認させるように「はたらきかけ」ており、加えて、熱、疲労、有形体/外環境の様々な周期、などによって、意識に与える物質の心の影響力は絶え間なく変化するために誤認の程度も常に変化しています。多くの日常の生活習慣と同様に、有形体を自己と誤認することも習慣を形成しており、誤認を自覚したうえで、強い意志で常に習慣を弱めていくように努めていないのならば、物質の心から受ける影響によって「有形体を自己と誤認する習慣」は際限なく強められていきます。

 なお、有形体は自己ではなく自己の用いる道具という認識を強めていくにあたって、有形体は道具だから、ぞんざい(粗雑/乱雑/いい加減)に扱うようにする、のではない点へ留意してください。有形体のみを優遇して丁重に扱おうとする認識を消し去り、周囲の家具や物品などと同等に「丁寧」に扱うようにするのです。

 瞑想時にみられる、精神/有形体の力[りき]み、頭部を後傾させる、なども、有形体を自己と誤認するのと同様に習慣(癖)を形成しやすく、習慣が形成されると、これらの行動を自覚できるものの自覚なくおこなうようになります。瞑想の際に、自己が力み/頭部の後傾などをしているのに気づいたのならば、習慣を形成し強めてしまう前に、できる限り早急/迅速に修正する必要があります。有形体を自己と誤認する習慣を弱めていくように努めながらも、どうしても頭部が後傾してしまうようであれば、呼気/吸気のそれぞれにあわせて、鳩尾[みぞおち]を凹ませるように後方へ引くことで、頭部は後傾し難くなります。ただし、この方法は有形体へ意識を向けさせやすくもなるために、頭部を後傾させてしまう習慣が弱まったのならば、有形体へ向いている意識を活動性の程度から受ける感覚へ向けるように努める必要があります。

 加えて、有形体を自己と誤認することによって、瞑想時に頭部を後傾するだけでなく、押し戻されるような圧迫感を感じる場合も多くみられます。この圧迫感も、誤認の程度を弱め有形体から無形体へ意識を向けるように努めれば消えていきます。誤認によって感じる圧迫感については、この節の質疑応答の「瞑想で、高い活動性へ同調しようとすると、押し戻されるような圧迫感を感じるのですが、どうしてですか?」を参照してください。

(1000/1000)

 食後や、過食/大食、疾病、などによって現れる胃重/胃下垂や、胃の膨満感/騒雑感/夾雑感[きょうざつかん]は、意識を下方(前下方)へ向けさせるように「はたらき」かけ、高い活動性から受ける上方(後上方)の方向への感覚を感じ取り難くさせます。同時に、高い活動性から受ける透明/精細/無重の感覚も不鮮明となり、同調する活動性の程度を下降させやすくなります。有形体/意識/活動性の有する方向性については、この節の質疑応答の「有形体、活動性、意識の有する方向性には、どのような違いがありますか?」を参照してください。

 地上では、有形体から受ける粗雑な感覚が意識の受ける様々な感覚の大部分を占めているために、有形体の胃重/胃下垂によって下方(前下方)へ向く強い粗雑な感覚が、高い活動性の程度から受ける上方(後上方)へ向く精細な感覚を認識させ難くします。瞑想をおこなう際には、食事の時間帯、食事量、食事の内容、などを考慮して、できる限り高い活動性の程度から受ける感覚を感じ取りやすい状況でおこなうことを推奨します。高い活動性の程度から受ける感覚が不鮮明な時に瞑想をおこなうと、低い活動性の程度から受ける感覚を高い活動性の程度から受ける感覚と誤認して同調するように努めてしまい、結果として、同調する活動性の程度を下降させてしまう状況もみられるためです。

(1000/1000)

 呼気/吸気の切り替わる際に、活動性から受ける透明/精細/無重の感覚を見失ってしまうのは、活動性から受ける感覚よりも呼吸へ意識が多く向いているために起きやすくなります。なお、見失うとは、呼気あるいは吸気で捉えていた透明/精細/無重の感覚を意識が感じ取り難くなる状況を指しており、「見る」という語を用いていますが、肉眼/霊眼で視えなくなる状況を指しているのではありません。

 瞑想中に、活動性から受ける感覚よりも呼吸へ意識が多く向いていると、呼気/吸気の切り替わる際に、呼気から吸気、あるいは、吸気から呼気へ物的な方向性(上昇から下降、下降から上昇、収束から発散、発散から収束、の方向性)を反転させる活動から受ける粗雑な感覚が意識を占めてしまい、活動性から受ける透明/精細/無重の感覚が粗雑な感覚に埋もれてしまうのです。呼気/吸気の切り替わる際に活動性から受ける感覚を見失うことなく円滑につなげるためには、できる限り有形体に起因する粗雑な感覚へ意識を向けないように努め、活動性から受ける感覚へ意識を集中していく必要があります。精細な感覚へ意識を集中するほどに、相対的に粗雑な感覚へ意識が向かないようにもなります。

 なお、自己が呼吸へ意識を向けなくても、有形体の内包する物質の心が自動的に呼吸を制御していますので、呼吸しなくなるような状況はありません。寧[むし]ろ、呼吸へ意識が向いていると、物質の心が自動的に(自己が無自覚的に)呼吸を制御しなくなり、分霊の心が物質の心を通して自覚的に制御していることになります。

 加えて、瞑想中は、意識が有形体へ向かなくなるほどに呼吸をしていないように感じられるような、ゆっくりとした呼吸になります。もしも、瞑想中に呼吸が速いと気づいたのならば、呼吸をゆっくりにしようと努めるのではなく、精神の騒響[ざわめき]を鎮静するように努めれば、呼吸はゆっくりになります。精神の騒響を鎮静しないままに、物的に呼吸をゆっくりにしようと努めても、不自然な呼吸で息苦しさを感じ取って有形体へ意識が向き、活動性の程度から受ける感覚へ意識を集中できなくなるために、同調する活動性の程度を高められません。

(1000/1000)

 同調する活動性の程度を強い意志で自覚して維持するように努めているものの、維持できずに自覚できるものの自覚なく下降していく状況がみられるのは、現在では未だ同調する活動性の程度と成長の程度に大きな差があり、同調する活動性の程度が成長の程度で有している活動性の程度へ引き寄せられている可能性があります。これは、ゴムやバネは引き伸ばすほどに強く戻ろうとする状況へ譬[たと]えられ、成長の程度に対して同調する活動性の程度が高くなる(差が大きくなる)ほどに、同調する活動性の程度を維持するように努めていても維持し難くなります。成長の程度という基点に向けて同調する活動性の程度が引き戻されるように、はたらくのです。成長の程度が同調する活動性の程度へ近づき、両者の差が小さくなるほどに同調する活動性の程度を維持しやすくなります。

(1000/1000) 活動性の程度の差と程度の維持
(1000/1000) 活動性の程度の差と程度の維持

 逆に捉えると、同調する活動性の程度と成長の程度はゴム/バネの両端を成しているために、同調する活動性の程度を維持し難いものの維持するように絶え間なく努めて日常の生活をおこなっているのならば、成長の程度を同調する活動性の程度へ向けて飛躍させやすくなるともいえます。同調する活動性の程度という基点に向けて成長の程度を引き上げるように、はたらかせるのです。ゴム/バネの両端を成す同調する活動性の程度と成長の程度の、どちらを基点として「はたらかせる」のかは、自己の有する意志の強さが決めます。

(1000/1000) 基点の違いによる成長への影響
(1000/1000) 基点の違いによる成長への影響

 なお、同調する活動性の程度と成長の程度に大きな差がみられない(差が小さい)にも関わらず、同調する活動性の程度を強い意志で自覚して維持するように努めていても維持できずに自覚できるものの自覚なく下降していく場合には、有形体/外環境の無数の周期によって意識に与える物質の心の影響力が増大している可能性があります。特に、有形体の熱/疲労や外環境の高い気温などは物質の心の影響力を大幅に増大させやすくなるために、同調する活動性の程度を維持し難くなります。有形体/外環境の無数の周期を総合して詳細に考察し、物質の心の影響力を増大させている要因の把握へ努め、その要因(多くの場合では複数の要因)へ対応するようにします。

(1000/1000)

 はじめに、意識の混濁は、意識が粗雑な感覚で継続的に埋め尽くされている状況を指しており、様々な原因に基づいて現れています。原因で大別すると、有形体の障碍/疾病/怪我(発熱を含む)に起因して起きている意識の混濁、疲労(有形体の劣化を含む)に起因して起きている意識の混濁、電子端末の使用などによる感覚器系の炎症に起因して起きている意識の混濁、の3つが挙げられます。意識の混濁は、高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚を把握させ難くしますが、有形体の障碍/疾病/怪我、疲労、感覚器系の炎症に起因して起きている意識の混濁は、全て有形体に関連しています。無形体や内的構造に起因して起きている意識の混濁はありません。有形体から受ける粗雑な感覚へ意識を向けないように努めることで、有形体に起因して現れている意識の混濁も軽減して感じ取るようになります。

 意識の混濁がみられる状況では、高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚の探索に、意識の混濁がない状況よりも更に強い意志と意識の集中を必要とします。この「強い意志」と「意識の集中」は、意識の混濁がない状況よりも成長の促進を加速させる、あるいは、飛躍させる可能性を有しています。波の穏やかな凪[なぎ]の状況で航海するよりも、高波の荒れ狂う嵐の状況で航海するのは困難をともないますが、学びも多いという点に留意してください。困難へ立ち向かい、自己の学びや成長へ活かすのか/活かさないのかは、自己の自由意志で選択できます。大きな高波を受けて一時的に立ち往生してしまう(進むことも戻ることもできない)場合はあっても、何時[いつ]までも立ち止まっていては、高波から困難を受け続けているだけで航海を進めていません。立ち止まっていても、先へ進むにも、高波から困難を受け続けるのであれば、先へ進むほうが進展する可能性があるのです。また、自己の外環境に現れる障碍/疾病/怪我(有形体は自己ではなく、外環境にある自己の道具です)と闘うのではなく、障碍/疾病/怪我を通して、自己の内面と向き合うことが、成長を促進させる点にも留意してください。

 強い意識の混濁があると、意識が粗雑な感覚で継続的に埋め尽くされており、活動性から受ける相対的に精細な感覚を把握し難くなります。この状況では、この節の本編で紹介している「活動性の程度から受ける感覚を識別しておこなう祈り/瞑想」の方法は、実践しても感覚を識別し難いために、何時[いつ]までも同調する活動性の程度を高められない場合もみられます。そのため、強い意識の混濁がある状況では、活動性の程度から受ける感覚ではなく、意識の受ける他の感覚を用いておこなう方法も試してみることを推奨します。

 意識の受ける「活動性の程度から受ける感覚以外の感覚」を用いておこなう方法のひとつとして、視覚的な感覚を用いておこなう方法を紹介します。前提として、肉眼で太陽光が視える、あるいは、肉眼で外環境を視ることができなかったとしても霊眼で太陽光の輝きを自覚して感じ取れる場合に用いることができる方法となります。この方法は、太陽光であれば直接光/間接光のどちらでもおこなえ、太陽を直視する必要はありません。太陽光を直接/間接に感じ取れる時間帯におこなうようにします。

 始めに、肉眼あるいは霊眼で太陽光を視て、太陽光から受ける輝きを感じ取ります。この輝きへ自己を融合/同一化していきます。輝きの感覚を自己そのものと認識していくのです。「自己は輝きだ」と想像する/思い込むのではなく、外環境の太陽光から受ける輝きへ自己を融合/同一化していきます。ただし、太陽から受ける熱感へ融合/同一化していくのではありません。太陽から受ける輝きと熱感は異なります。

 次に、輝きと融合/同一化して、輝きそのものと認識している「自己の放つ輝き」を、徐々に強めていくと同時に、自己が世界と認識する範囲全体へ輝き(自己)を充溢させていくようにします。自己が世界と認識する範囲を輝きで満たすだけでなく、範囲から輝きを溢れさせるように努める必要があります。この「輝きを強め充溢させていく」感覚が、同調する活動性の程度を高めるように、はたらきます。

 太陽光から受ける輝きを用いた祈り/瞑想の方法を、活動性の程度から受ける感覚を識別しておこなう祈り/瞑想の方法から捉えると、自己の放つ輝きを強めていく工程は、相対的に高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚への同一化に相当し、一方で、自己が世界と認識する範囲全体へ輝きを充溢させていく工程は、相対的に高い活動性の程度から受ける透明/精細/無重の感覚を拡大することに相当します。

 太陽光から受ける輝きを用いた祈り/瞑想の方法を実践するうえで大切なのは、太陽は有形界への大霊の顕現を表している点にあります。どれほどに強い輝きを放つ人工光であったとしても、同調する活動性の程度を高めるのに用いることはできません。大霊の顕現である太陽から受ける輝きが、同調する活動性の程度を高めるように支援してくれているのです。有形界の太陽については、2章3節 有形界の構造 #有形界の太陽の輝きを参照してください。

同調する活動性と認識の変化

(1000/1000)

 自己の同調する活動性の程度が高くなるほどに、地上の外環境から遠ざかっていくような感覚を受けるようになります。特に、認識の次元が移行する覚醒の段階では顕著に現れます。

 有形的には、地上の外環境から遠ざかっていくような感覚を受けるために、地上の物的な物事への関心、欲望、囚われ、しがみつき、などが徐々に減少していきます。個体としては、地上で用いている有形体の髪型、服装、化粧、住居の外観/内装、装飾品、などの表面的な拘[こだわ]りが無くなっていきますが、無精/無頓着ではなく質素で清潔に保たれています。加えて、日常の生活は「欲しい」という衝動ではなく、必要性で判断するようになるために、身の回りには必要とする最低限の物品のみで、不要な物品/情報を所有しなくなります。同時に、生活に必要な行動へ集中するようになり、無用な行動が減少していくために、時間の使い方に無駄/浪費のない効率の高い生活を送るようになります。

 無形的には、自己の同調する活動性が高くなるほどに、外環境の有形的/無形的な認識の範囲は拡大していくために、物事/現象を拡く深く総合して考察し、眼前の状況に適切で先を見越した過不足のない発言/行動をおこなうようになります。 

 この質疑応答に関連する内容には、2章1節 世界全体の構造 #質疑応答の「活動性の程度/次元は、惑星から距離が離れるほどに高くなるのですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 現在の成長の程度よりも相対的に高い活動性の程度へ同調し続けることで、本人の自覚の有無に関わらず視界にも変化が現れます。相対的に高い活動性から受ける透明/精細/無重の感覚とともに、眼前の物事/現象の視え方も変化している状況へ気づくようになります。視界に現れる視え方の変化には、視界内にある「あらゆる物体」が様々な色彩で輝いて視える、物体の輪郭が鮮明に浮き出て視える、肉眼を開けて周囲を視ているよりも肉眼を閉じている(霊眼のみで視ている)ほうが周囲を明るく感じる、肉眼の眼の高さではなく頭頂部付近あるいは頭頂部よりもやや高い位置から周囲を見渡しているように感じる、などがみられます。なお、眼前の物事/現象の視え方が変化する具体的な様子を、有形的な言語/図表などで描写することはできません。地上では自身の体験を通してのみ、視え方の変化を認識/理解できます。視界については、2章6節 無形界の生活 #質疑応答の「視界とは肉眼/霊眼で視える範囲を指しているのですか?」を参照してください。

 高い活動性の程度へ同調していくほどに、外環境の物事/現象から受け入れる情報の量/程度、認識に占める有形的/無形的認識の割合、認識の程度、などが変化し、有形体へ向く意識の割合が減少して無形体へ向く割合が増大するために、視界を構成する「肉眼/霊眼を通して外環境から情報を受け入れる割合」も変化します。これは、有形体を通して受け入れる物体(物事/現象)の情報よりも、無形体を通して受け入れる物体の情報へ意識が向きやすくなる状況を表しており、霊眼で視る情報量が肉眼で視る情報量よりも多くなるために視界の変化として感じ取っています。

 ただし、視界に現れる視え方の変化は、意識が相対的に高い活動性から受ける透明/精細/無重の感覚や他の様々な感覚と同様に相対的です。現在の成長の程度よりも高い活動性の程度へ同調した初めのうちは視界の視え方に明確な変化を感じ取りますが、同等の活動性の程度への同調を維持していたとしても、徐々に視界の視え方に明確な変化は現れなくなります。そして、更に高い活動性の程度へ同調すれば、視界の視え方に明確な変化を感じ取るようになります。

 加えて、肉眼/霊眼で視る情報量の割合は、意識の偏重する程度にも大きな影響を受けています。祈り/瞑想によって意識の偏重する程度が弱くなる(自己と強く認識する範囲が意識全体の範囲へ均等に拡がりやすくなる)のにともない、有形体を基点に偏重していた意識の割合が減少するために、有形体を通して受け入れ認識する物体の情報量も減少し、相対的に無形体を通して受け入れ認識する物体の情報量が増大します。祈り/瞑想をおこなった直後には、有形体を中心に意識の偏重する程度が弱くなるために視界に明確な変化を感じ取りやすいですが、その後に、有形体を用いて物的に行動していると有形体を中心に意識の偏重する程度が徐々に強くなり、視界の変化を感じ取り難くなります。

 この質疑応答に関連する内容には、3章8節 意識 #質疑応答の「意識の偏重する程度は、外環境から受け入れる情報を選択/濾過する過程へ、どのような影響を与えていますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 地上では、お互いの同調する活動性が影響を与え合うものの、他者や様々な物事が有する「自己よりも相対的に低い」活動性の程度や、不誠実な性質の活動性から影響を受けて、自己の同調する活動性の程度が下降するのを恐れ/怯えていては、どのような場所で、どのように生活しているとしても、成長にはつながりません。地上で互いの同調する活動性が影響を与え合うことについては、2章3節 有形界の構造 #有形界の進化を参照してください。

 人里を離れて独りで生活し他者/物事から影響を受けなくても、自己の有している恐れ/怯えが自己の同調する活動性の程度を停滞/下降させ、自己の成長を阻碍します。外環境の他者/物事が自己の成長を阻碍するのではなく、自己の有する「あらゆる物事に対する恐れ/怯え」こそが、成長を阻碍/退行させる根源である点に留意してください。

 周囲の他者/物事が自己へ与える影響に恐れ/怯えているよりも、祈り/瞑想によって高めた「自己の同調する高い活動性の程度」に基づいて造化した行為(愛の行為を含む)で、周囲の人/動物/物事へ影響を与えていくように努めることが、他者/動物(脊椎動物)たちの成長を促すだけでなく、自己の成長へもつながるようになります。自己が周囲から受ける影響へ意識を向けるよりも、自己が周囲へ与える影響に意識を向け、周囲の模範となる生き方をしていく必要があるのです。

(1000/1000)

 書物、講演、対話、などを通して、高い程度の活動性が付与されている内容や、高い活動性の程度へ同調している相手から影響を受けて、自己の同調する活動性の程度は引き上げられやすくなります。なお、「引き上げられる」とは、同調する活動性の程度が、高い活動性の程度から影響を受けて自覚できるものの自覚なく、あるいは、無自覚的に(自覚なく)上昇するのではなく、自己が自覚して同調する活動性の程度を上昇させやすくなります。同調する活動性の程度は常に自覚して上昇させることができ、自覚できるものの自覚なく、あるいは、無自覚的に(自覚なく)上昇する状況はありません。一方で、地上では、同調する活動性の程度は自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく下降します。同調する活動性の程度の上昇/下降については、4章3節 内的成長度を参照してください。

 高い活動性の程度から影響を受けて、自己の同調する活動性の程度が引き上げられるのは一時的/短時間であり、元の同調していた活動性の程度へ自然に戻っていきます。最短では、書物を読んでいる間のみ、講演に参加している間のみ、対話している間のみ、に同調する活動性の程度が引き上げられ、その後に、急激に元の同調していた活動性の程度へ下降する場合もみられます。引き上げられ高くなった同調する活動性の程度を「できる限り」維持するには、学びを得るように強い意志で自覚して読む/聴く/対話することに加えて、それらの内容を考察し、考察した内容を日常生活の中で実践/実証していくように努める必要があります。

 逆に、周囲の物事/他者、書物、動画、音曲、講演、対話、などの有する「相対的に低い誠実な性質の活動性の程度」や不誠実な性質の活動性から影響を受けて、自己の同調する活動性の程度が自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく下降した場合には、一時的/短時間で元の同調していた活動性の程度へ自然に戻る状況はなく、自覚して同調する活動性の程度を高めていかなければ、低い活動性の程度への同調を維持しやすくなります。地上では、絶え間なく物質の心から影響を受け続けているために、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく同調する活動性の程度を下降させるのは容易ですが、高めていくには自覚して努める必要があるのです。

(1000/1000)

 日常生活の中で、周囲の様々な物事へ付与された不誠実な性質の活動性から受ける影響を避け難い状況は、個々の生活する環境によって様々ですが、状況のひとつには、生活に必要とする食物/物品を買いに行く場合が挙げられます。現在の日本社会では、自身の必要とする食物/物品のすべてを自身で造り出すのは困難であり、また、自身の必要とする食物/物品のすべてを個々の生産者/製造者から購入するのも困難です。多くの場合では、入手するために、スーパー、ショッピングセンター、などの量販店/小売店へ行くことになります。

 絶え間なく多くの者が集まる、スーパー、ショッピングセンター、などには、常に強い欲望の活動性(不誠実な性質の活動性)が集積しています。どれほどに高い活動性の程度へ同調するように努めているとしても、強い欲望の活動性から一切の影響を受けずに済むという状況はなく、買い物をしている間は、自己の同調する活動性の程度を下降させようとする「無形的に大きな影響力」を受け続けています。この状況で、もしも、自己が自身の内面より影響を与えてくる誘惑に呑まれて、生活に必要としない「欲しい物品/不要な物品」を買うようになると、同調する活動性の程度が急激に下降します。

 有形体/外環境の様々な周期、有形体の状況(熱/疲労など)、精神の状況、などの組み合わせによっては、精神に起きている騒響[ざわめき]を自覚し難く、騒響が強くなってから自覚する場合もみられます。この場合では、騒響を自覚した頃には、既に誘惑から受ける影響が克己で制御し難いほどに強くなっており、克己の造化や高い活動性の程度から受ける感覚へ意識を集中できず、誘惑に呑まれやすくなります。誘惑から受ける影響を自覚した後に克己を造化し始めるのではなく、常に克己を造化して精神の騒響を鎮静し続ける(常に精神へ静けさを維持する)ように努めておく必要があります。騒響の強さについては、3章9節 精神 #質疑応答の「精神に起きる騒響の強さは、どのようにして決まりますか?」を参照してください。

 この状況には、物的な建物を有している、スーパー、ショッピングセンター、などだけでなく、インターネットを介したオンラインのショッピングサイトも含まれています。ショッピングサイトが含まれているのは、ウェブサイトの内容が有する活動性の程度/性質と、ウェブサイトという場の有する活動性の程度/性質が同じとは限らないためです。ショッピングサイトを閲覧するという状況は、ショッピングサイトという場へ訪[おとず]れている状況を表しており、物的な建物へ買い物に行くのと同じです。ショッピングサイトを閲覧する大勢の者たちによって、ショッピングサイトの場には、閲覧者たちに相応する性質/程度を有している活動性が集積するようになります。

 スーパー、ショッピングセンター、ショッピングサイト、などは、不誠実な性質の活動性から大きな影響を受けやすい反面、これらの場に訪れている「これらの場に集積する強い欲望の活動性に影響を受けた者たち」のおこなう利己的/自己中心的な行為を観察する良い機会にもなります。どのような状況であったとしても、あらゆる物事を観察/考察し、学びを得られるように努めることが成長へとつながります。

 この質疑応答に関連する内容には、1章3節 筋反射検査 #質疑応答の「ウェブサイトは物的な形体をもたないため、ウェブサイト自体のもつ活動性の程度/性質は、内容によって決まりますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 自己の同調する活動性の程度を高めるように努めていると、いずれは、周囲の者たちが同調する活動性の程度との間に大きな差が現れるようになります。自己と相手との同調する活動性の程度が乖離[かいり]するほどに、相手の同調する活動性の程度に相応する「有形的認識の程度」で、相手の発言した内容を理解するように努めなければ、聴き取り難くなる場合がみられるようになります。これは、同調する活動性の程度が高くなるほどに、自己が物事を捉える有形的認識の程度も高くなり(認識の程度も高くなり)、相手が物事を捉える有形的認識の程度との差が拡がることで生じています。

 相手の有する有形的認識の程度で理解するように努めなければ聴き取り難くなる状況は、大人が幼児の発言を、幼児の立場で発言の内容を理解するように努めなければ聴き取れないことへ譬[たと]えられます。幼児の立場で理解するように努めるとは、大人が幼児へ赤ちゃん言葉で話しかけるのを指しているのではなく、幼児の有している語彙[ごい]、話し方、発言の目的、などを考慮したうえで、幼児の拙[つたな]い発言の内容を推測/把握していく状況を指しています。ただし、相手の発言の内容が聴き取り難くなる「ほとんどの状況」は、不誠実な生き方をしている者たちの幻想に基づく発言が聴き取り難くなるだけであり、誠実な生き方へ努めている者たちの発言が聴き取り難くなる状況は少ないです。

 幻想の捉え方に基づく発言では、相手は自己へ話しかけているのではなく、自己へ投影している相手自身へ喋[しゃべ]りかけている場合が多く、自己は相手の眼前で応対しているものの、相手の意識は自己に向いておらず、自己へ投影している相手自身へ向いています。相手の意識が自己へ向いていないために、相手の発言は言語ではなく、動物の唸り声、鳥の鳴き声、鳴音(ハウリング)、などのように聴こえるようになり、発言を聴き返しても、相手の意識が自己へ向かない限りは言語として聴き取り難いままです。これは、大勢の者が集まる場所で自己と話している相手の発言だけが言語として聴こえ、周囲の様々な話し声が言語として聴こえずに音として聴こえている状況と同様です。

 なお、発言の有形的な内容は聴き取り難くても、発言の無形的な目的は印象として理解できます。ただし、発言の目的と発言の内容が一致しているとは限らず、相手の発言の内容が聴き取り難い場合には、発言の内容を聴き取るように努めても、発言の目的と一致していない状況が多くみられます。しかし、幻想の捉え方に基づく発言の目的が誠実な性質を有している状況はない(不誠実な性質を有している)ために、敢[あ]えて発言の内容を聴き取るように努める必要性は低く、相手へ応対しないことが「相手の成長を阻碍しない愛の行為」となる場合もあります。相手の成長を阻碍しない愛の行為については、次節の5章6節 愛の行為を参照してください。

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