固定観念 / 既成概念

5章 成長の実践 - 4節 固定観念/既成概念

個々の記述の真実度: 999.3-1000
節全体の真実度: 1000
節全体の活動性: 1000

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固定観念/既成概念とは

  • (1000/1000) 固定観念/既成概念とは、分霊の心が有する経験の機能特性に保存されている無数の習慣の中で、「囚われ」を示す習慣を表しています
    • 囚われには、癖[くせ]、習癖、習性、固執、執着、主義、常識、慣習、慣例、慣行、恒例、風習、風潮、流行、習俗、文化、伝統、迷信、心的外傷(トラウマ)、などがあり、その内容の多くは、誠実の程度が低い行為を造化するか、あるいは、不誠実な行為を造化するように、はたらきかけます
    • 固定観念は、個々の個体に特有の囚われであり、個体の内面(内環境)に起因しており、個体が様々な表現を造化する過程で形成されて、経験へ保存されます
    • 既成概念は、社会の共同体に特有の囚われであり、外環境に起因しており、個体が共同体の中で様々に体験する過程で形成されて、経験へ保存されます
    • 無数に有している固定観念/既成概念の内容は、誠実な性質の内容と、不誠実な性質の内容に分けられ、誠実/不誠実の性質と関係しない内容はありません
    • 誠実な性質の固定観念/既成概念の内容に基づいて造化された表現は、誠実な性質を示し、一方で、不誠実な性質の固定観念/既成概念の内容に基づいて造化された表現は、不誠実な性質を示すようになります
    • 固定観念/既成概念は、日常の些細な行為にも、生活の方向性を決めるような重大な決断でも、熟考する際にも、緊急を要する瞬時の判断でも、常に影響を与えています
(1000/1000) 経験に保存される習慣
(1000/1000) 経験に保存される習慣
  • (1000/1000) 固定観念/既成概念の内容が有する誠実/不誠実の性質によって、形成/強化される際の自覚の有無が異なります
    • 無自覚的に(自覚なく)形成され強められる固定観念/既成概念はなく、必ず、自覚的に(自覚して/自覚できるものの自覚なく)形成され強められます
    • 誠実な性質の固定観念は、固定観念に基づいて行為をおこなっている自覚、固定観念の内容が誠実な性質を有しているという自覚、固定観念を用いる目的の自覚、の3つを自覚したうえで形成され強められます
    • 不誠実な性質の固定観念は、固定観念に基づいて行為をおこなっている自覚のある場合と自覚できるものの自覚のない場合がみられ、自覚したうえで形成され強められる状況だけでなく、固定観念の内容が不誠実な性質を有しているという自覚をしないままに、また、固定観念を用いる目的を自覚しないままに、形成され強められる状況も多くみられます
    • 既成概念は、誠実/不誠実の性質に関わらず、既成概念に基づいて行為をおこなっていると自覚したうえで形成され強められます
    • 誠実な性質の既成概念は、既成概念に基づいて行為をおこなっている自覚、既成概念の内容が誠実な性質を有しているという自覚、既成概念を用いる目的の自覚、の3つを自覚したうえで形成され強められます
    • 不誠実な性質の既成概念は、既成概念に基づいて行為をおこなっている自覚はあるものの、既成概念の内容が不誠実な性質を有しているという自覚をしないままに、また、既成概念を用いる目的を自覚しないままに、形成され強められる状況も多くみられます
(1000/1000) 囚われの誠実/不誠実の性質と自覚の有無
(1000/1000) 囚われの誠実/不誠実の性質と自覚の有無
  • (1000/1000) 経験へ保存されている固定観念/既成概念は、おこなった行為の誠実/不誠実の性質によって、形成/強化される固定観念/既成概念の誠実/不誠実の性質が決まり、更に、行為をおこなう目的の誠実/不誠実の性質が、行為をおこなう際に影響を与える固定観念/既成概念の誠実/不誠実の性質を決めています
    • 誠実な表現/行為を造化することで、誠実な性質の固定観念/既成概念が形成/強化される状況はみられますが、不誠実な性質の固定観念/既成概念が形成/強化される状況はみられません
    • 不誠実な表現/行為を造化することで、不誠実な性質の固定観念/既成概念が形成/強化される状況はみられますが、誠実な性質の固定観念/既成概念が形成/強化される状況はみられません
    • 造化した表現/行為の誠実/不誠実の性質で、形成される固定観念/既成概念の誠実/不誠実の性質が決まるために、誠実な性質の固定観念/既成概念と、不誠実な性質の固定観念/既成概念の両者で、同じ内容を有している状況はみられません
    • 誠実な目的で、誠実な性質の固定観念/既成概念に基づいて、誠実な表現/行為を造化する状況はみられますが、不誠実な表現/行為を造化する状況はみられません
    • 誠実な目的で、不誠実な性質の固定観念/既成概念に基づいて、誠実/不誠実な表現/行為を造化する状況もみられません
    • 不誠実な目的で、不誠実な性質の固定観念/既成概念に基づいて、不誠実な表現/行為を造化する状況はみられますが、誠実な表現/行為を造化する状況はみられません
    • 不誠実な目的で、誠実な性質の固定観念/既成概念に基づいて、誠実/不誠実な表現/行為を造化する状況もみられません
    • なお、行為をおこなえば、行為の内容と、行為の誠実/不誠実の性質に相応する内容/性質の「習慣」を必ず形成/強化しますが、一方で、行為をおこなうことで、行為の内容と、行為の誠実/不誠実の性質に相応する内容/性質の「固定観念/既成概念」が、必ずしも形成/強化されるとは限りません
    • 経験については3章7節 心、また、行為/表現の造化については3章9節 精神を参照してください
(1000/1000) 行為をおこなう目的の性質と囚われの性質
(1000/1000) 行為をおこなう目的の性質と囚われの性質
  • (1000/1000) 固定観念/既成概念は、誠実/不誠実の性質に関わらず、常に有形的認識に基づく内容で構成されています
    • 無形的認識に基づく内容の固定観念/既成概念は存在しません
    • 誠実な性質を有する固定観念/既成概念は、それぞれの内容を形成した土台となる「有形的認識の内容/程度」によって、現在よりも高い段階への成長を阻碍している内容もあれば、現在では未だ成長を阻碍していない内容もあります
    • 現在の自己の成長段階が、誠実な性質を有する固定観念/既成概念の土台となる「有形的認識の内容/程度」よりも高い場合には、現在よりも高い段階への成長を阻碍しています
    • 現在の自己の成長段階が、誠実な性質を有する固定観念/既成概念の土台となる「有形的認識の内容/程度」よりも低い場合には、未だ成長を阻碍していない(成長を促進もしていない)、あるいは、「有形的認識の内容/程度」と同等の段階に至るまでは成長を促進する可能性もあります
    • 不誠実な性質を有する固定観念/既成概念は、それぞれの内容を形成した土台となる「有形的認識の内容/程度」に関わらず、成長を退行する内容となり、幻想の捉え方とも密接に関連しています
    • 有形的認識と無形的認識の違いについては、1章1節 サイトを読むにあたって #有形的認識/無形的認識の違いを参照してください。
  • (1000/1000) 無数に有している固定観念/既成概念の中で、特に強く有している内容は、自己のおこなう行為の方向性を縛りつけて固定するために「自縛」とも呼ばれています
    • また、自己を強い囚われで縛りつける自縛の内容は、常に地上での物的な物事に対する囚われのために、「地縛」とも呼ばれます
    • 地縛については、2章5節 無形界の住人 #地縛/地獄の違いも参考にしてください
  • (1000/1000) 固定観念/既成概念は経験へ保存されている習慣の一部であり、自覚できない意識の領域に保存されている習慣の内容は直接に自覚できませんが、固定観念/既成概念に基づいて造化される表現/行為を通して、固定観念/既成概念の内容を間接的に自覚することができます
    • 多くの場合では、固定観念/既成概念に基づいて造化される表現/行為を内省していないために、表現/行為に表れる固定観念/既成概念の内容を自覚できるものの自覚していません
習慣/囚われの違い
  • (1000/1000) 習慣も、囚われ(固定観念/既成概念)も、双方ともに経験の機能特性へ保存されています
    • 囚われは、無数に保存している習慣の一部です
    • 下記の記述では、習慣の語は、「囚われを含まない習慣(囚われ以外の習慣)」を表す定義として用いています
  • (1000/1000) 習慣と、囚われは、自由意志で選択できる選択肢の幅の中から、特定の選択肢を選択させるように「はたらきかける」強さが異なります
    • 習慣は、特定の選択肢を選択させるように「はたらきかける」ものの、選択を強制せず、特定の選択肢を選択するように提案しており、他の選択肢も観えています
    • 囚われは、特定の選択肢を選択させるように強制し、特定の選択肢以外には、他の選択肢が存在しないように観えます
    • 囚われの中で、妄執、偏執、などと呼ばれるような、特定の選択肢を積極的に強制し続ける状況が「自縛」となります
  • (1000/1000) 習慣に基づいて、他の選択肢も選択できるものの、特定の選択肢を選択するように強制し始めることで、習慣が囚われへ移行します
    • 囚われを解消する(特定の選択肢を選択するように強制しなくなる)ことで、囚われが習慣へ移行します
    • ある習慣が、他の習慣の強化へ影響を与える、あるいは、ある囚われが、他の囚われの強化へ影響を与える状況はみられます
    • 一方で、ある習慣が、ある囚われの形成/強化へ影響を与える、あるいは、ある囚われが、ある習慣の形成/強化へ影響を与える状況はみられません
(1000/1000) 習慣/囚われの移行と形成/強化
(1000/1000) 習慣/囚われの移行と形成/強化

固定観念

  • (1000/1000) 固定観念は、個々の個体に特有の囚われであり、個々によって囚われの内容は様々です
    • 精神で様々な内容の表現を連鎖して造化する経路において、頻繁に特定の経路を通して表現を造化する過程で「特定の経路を通して特定の方向性を有する表現を造化する習慣」が形成され、固定観念として経験へ保存されます
    • 固定観念には、主に、嗜好、拘[こだわ]り、癖[くせ]、習癖、習性、固執、執着、主義、心的外傷(トラウマ)、などが含まれます
  • (1000/1000) 固定観念は、形成された後に徐々に強められていく場合だけでなく、形成と同時に急激に強められる場合もみられます
    • 様々な固定観念の中でも、自己が遭遇した「理不尽と感じる状況」は、固定観念の形成と同時に急激に強められやすいです
    • 例として、戦争/紛争、暴力、自然災害、犯罪、差別、迫害、虐待、などの出来事への遭遇が挙げられます
    • ただし、特定の出来事が固定観念を急激に強めるのではなく、これらの出来事を通して自己が「理不尽と感じる」ことで急激に強められます
  • (1000/1000) 固定観念の内容は、内容の有する誠実/不誠実の性質に関わらず、自覚なく認識していますが、多くの内容は、自覚できるものの自覚していません
    • 固定観念の多くは、自覚できるものの自覚しないままに固定観念に基づいて行為をおこなっている「不誠実な性質の内容」が占めています
    • 自己は、多くの状況において、自覚できるものの自覚しないままに不誠実な内容の固定観念に基づいて行為をおこなっているために、固定観念に基づいておこなった行為を通して、固定観念の内容を省みる状況がみられません
    • ただし、他者からは、自己が固定観念に基づいておこなっている行為や、自己の有している固定観念の内容を、自己のおこなう行為を観察して、自覚して認識することもできます
    • 固定観念に基づいて行為をおこなっている自覚はあるものの、固定観念の内容が不誠実な性質を有していると自覚できるものの自覚していない状況や、不誠実な性質の固定観念を用いる目的を自覚していない状況も多くみられます
    • 誠実な性質の固定観念では、固定観念に基づいて行為をおこなっている自覚、固定観念の内容が誠実な性質を有しているという自覚、固定観念を用いる目的の自覚、の3つを自覚しているものの、現在の自己の成長段階よりも相対的に低い程度の内容を有している状況も多くみられます
  • (1000/1000) 固定観念には、他者から伝えられた特定の人物/団体/地域の噂話、陰口、中傷、称賛、などによって、特定の人物/団体/地域に対して有する偏見/先入観も含まれます
    • 他者には、家族/友人/知人だけでなく、マスメディアによる報道、書物、ウェブサイト、講義、講演、などの内容も含まれ、これらの内容は、固定観念の形成だけでなく、既成概念の形成にも関与しています
    • 形成された偏見/先入観は、個体間、地域間、民族間、国家間、宗教団体間、人種間、などの対立/紛争/忌避へもつながり、差別/迫害/虐遇[ぎゃくぐう]を生み出す原因のひとつとなっています
    • 偏見/先入観として形成された内容は、他者から伝えられた当初は自覚して認識していますが、徐々に自覚して認識しなくなり、結果として、自覚できるものの自覚のない偏見/先入観に基づいて造化される特定の人物/団体/地域に対する快/不快の感情のみを自覚して認識するようになります
    • 偏見/先入観は、他者から伝えられただけでは形成され難く、他者から伝えられた内容を自身で考察せずに盲信するために形成されます

既成概念

  • (1000/1000) 既成概念は、国家、地域社会、家庭、職場、学校、所属団体、などの共同体に特有の囚われであり、共同体ごとに様々な内容を有しています
    • それぞれの共同体は、共同体に所属する全ての者が共通しておこなう「特定の方向性に基づいておこなわれる活動の習慣」を有しており、無数の共同体の中で、自己の所属する全ての共同体が有する習慣から影響を受けて、自己の既成概念が形成され、経験へ保存されます
    • 「特定の方向性に基づいておこなわれる活動の習慣」の例として、日本という共同体では食前に両手を合わせて「いただきます」と感謝を表した後に食べますが、一方で、他の共同体では、食前に両手を組み感謝の祈りを捧げた後に食べる、食前に祭壇へ料理を捧げた後に祭壇から下げた料理を食べる、などがみられます
    • 既成概念には、主に、主義、常識、慣習、慣例、慣行、恒例、風習、風潮、流行、習俗、文化、伝統、迷信、イデオロギー、などが含まれます
    • 加えて、日常に用いる文字、話す言語、慣用句、挨拶の動作、なども、特定の共同体に共通する「特定の方向性に基づいておこなわれる活動の習慣」に含まれ、共同体に所属している個々が精神で造化する思考の方向性に大きな影響を与えています
(1000/1000) 既成概念による有形的認識の形成
(1000/1000) 既成概念による有形的認識の形成
  • (1000/1000) 特定の方向性に基づいておこなわれる活動の習慣(既成概念に基づいておこなっている行為)の内容は、必ず自覚的に(自覚して/自覚できるものの自覚なく)認識していますが、多くの場合において、「特定の方向性に基づいておこなわれる活動の習慣」を用いている目的は自覚/把握していません
    • 個々によって、有している既成概念に占める誠実/不誠実な内容の割合は様々であり、同様に、誠実/不誠実な内容の程度も様々です
    • 自己の有する既成概念を用いて行為をおこなう目的は、自己の所属する共同体の中で把握できる状況は少なく、これまでに自己が所属していなかった共同体の既成概念と比較する際に、自己の有する既成概念の目的を省みて、考察するようになります
    • 既成概念に基づいて行為をおこなっている自覚はあるものの、既成概念の内容が不誠実な性質を有していると自覚できるものの自覚していない状況や、不誠実な性質の既成概念を用いる目的を自覚していない状況も多くみられます
    • 誠実な性質の既成概念では、既成概念に基づいて行為をおこなっている自覚、既成概念の内容が誠実な性質を有しているという自覚、既成概念を用いる目的の自覚、の3つを自覚しているものの、現在の自己の成長段階よりも相対的に低い程度の内容を有している状況も多くみられます
  • (1000/1000) 既成概念に含まれる「常識」は、社会の成長の程度に相応する暗黙の通念事項であり、特定の社会の中でのみ通用し、社会の成長にともない変遷します
    • 常識は常に変化しており、局所的であって、不変/普遍ではありません
    • 社会の情勢によっては、これまでに常識としていた内容の方向性が、逆方向へ反転する場合もあります
    • 時代の移行による常識の変遷の例として、過去には多くを奪い大勢を殺した者が英雄と称賛されましたが、現代では有形体を通して物的におこなわれる掠奪/殺害の行動は犯罪とみなされており、更に社会の成長の程度が向上していく過程で、軍隊/武力を用いた破壊/殺傷/威圧や、国家のおこなう制裁/牽制も正当化されなくなり、いずれは精神で他者へ悪意をもつ(自覚して不誠実な表現を造化する)だけで犯罪とみなされるようになります
    • 地上で有形体を用いて生活している者は、現在に生活する地域の常識へ自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく囚われていることへ留意する必要があるのです
  • (1000/1000) 常識とは、それぞれの社会で、一見すると多数を占めているようにみえる物事を指しています
    • 実際に多数を占めているとは限らず、多数を占めている場合もあれば、多数を占めていると思い込んでいるだけの少数の場合もあります
    • マナー、エチケット、礼儀作法、食事作法、手紙の書き方、特定の場所/状況での応対作法、などと呼ばれる行動も「常識」に含まれます
    • 一般には、一般的に、普通は、などで表される内容も「常識」に含まれ、これらの語は、現在の社会で拡く認知されている/用いられている状況を指しているだけであり、語の示す範囲は不変ではなく、変化します
    • 日常的に、日常では、などで表される内容は、用いられる内容によって「常識」に含まれる場合もあれば、含まれない場合もあります

固定観念/既成概念の性質

  • (1000/1000) 固定観念/既成概念で有している囚われの内容は、自己にとって大切であり、決して手放せるものではないと自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく認識しています
    • 恐れ/怯えや、精神の騒響[ざわめき]による不安定性に基づいて、自己の拠[よ]り所となる安定性を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく求めており、囚われの内容に価値があると決めることで、自己の拠り所にしようとしています
    • 囚われの内容が、自己には必要ないと気づくまでは、囚われている内容こそ必要と自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく信じている(盲信している)ために、常に、囚われを強めていく内容の行為をおこないます
    • 囚われを譬[たと]えると、水の中で溺れている者は、たとえ水面に漂っている藻であったとしても必至にしがみつこうとし、溺れているという自覚が消えたときに、はじめて、実は足が水底に届く浅瀬で溺れていたと気づく状況といえます
  • (1000/1000) 囚われは、囚われることに囚われさせます
    • ある目的を遂行するための手段として形成された固定観念/既成概念が、何時[いつ]の間にか、目的が忘れ去られてしまい、「手段を継続する」ことが目的へと掏[す]り替えられ、手段を継続するためだけに、手段をおこない続けるようになります
    • 固定観念/既成概念が形成された当初は、固定観念/既成概念を用いる目的を自覚していますが、固定観念/既成概念を用い続けている過程で徐々に目的を自覚できるものの自覚しなくなり、目的を自覚できるものの自覚しないままに、固定観念/既成概念を用い続けるようになります
  • (1000/1000) 囚われは、自由意志による選択肢の幅を狭め、囚われている内容以外には、他の選択肢がないかのように認識させます
    • 囚われが、自由意志によっておこなわれる「選択する自由」を奪います
    • 自由であることは、決して失ってはならない大切な成長のための条件であり、物事を「あるがまま」に捉え認識するために必要です
    • もしも、自己の内面に囚われがあるのならば、外環境も囚われの内容に基づいてのみ認識している状況となり、成長のひとつの側面を表す「無形的認識の拡大」を阻碍する状況へつながります
    • 自己の有している無数の囚われの内容と、囚われの強さの総合によって、無形的認識の拡大する程度が制限を受け、囚われに相応する程度までしか無形的認識は拡大しなくなります
    • 無数の囚われを弱め解消していくことで、徐々に無形的認識の拡大へとつながります
自由とは
  • (1000/1000) 自由とは、自己が、あらゆる活動の方向性を自身で選択できる状況を指しており、特定の方向性へ偏向して選択することのない状況を表しています
    • 自由には、内的な自由、外的な自由、の2つがあり、内的な自由を土台として外的な自由が現れます
    • 内的な自由は、自己の内面に「特定の方向性へ偏向して選択させようとする囚われ」がない状況であり、自己が精神で連鎖して造化する思考/感情の経路と密接に関連しています
    • 外的な自由は、自己が外環境から「特定の方向性へ偏向して選択させようとする強制/束縛/圧力」を受けない状況であり、自己が精神で連鎖して造化する思考/感情の経路の選択へ影響を与えています
    • 自己の内面に「囚われ」がないのであれば、外環境を「あるがまま」に捉えることができるようになるとともに、外環境から強制/束縛/圧力を受けたとしても、自己が精神で連鎖して造化する思考/感情の経路へ影響を受けません
  • (1000/1000) 内的な自由には、意識/精神や無形体の活動を、有形体や有形体の行動に制限されない/囚われない状況も含まれます
    • 意識が、有形体から受ける物的な感覚や、有形体を通して認識する物的な外環境へ囚われているのならば、精神で造化する表現も物的な内容へ制限されます
    • 同様に、意識が、有形体を用いておこなう物的な行動に囚われているのならば、無形体を通して外環境を認識する内容/程度、無形体を通して外環境へ表現する内容/程度も、有形体と同等の有形的な内容/程度に制限されます
    • 本来では、無限を成している「分霊」に由来する意識/精神/無形体の活動は、無制限であり、常に自己の有する囚われによって、自己が制限を加えているだけなのです
  • (1000/1000) 自由な状況とは、自己が欲する物事や、したい行為を、誰からも制限されずに得る/おこなうことではない点に留意してください
    • 周囲の状況を考慮せずに、また、周囲の状況へ配慮せずに、自己が欲する物事を得ようとする、自己がしたい行為をおこなおうとするのは、利己性/自己中心性/欲望に基づく不誠実な行為です
    • 自由に選択する状況とは、自己の内面にある囚われや、外環境/他者から制限を受けずに、個体から観てではなく、世界/全体から観て、眼前の状況へ適切な対応をおこなうことです
    • 地上では、物質の心から絶え間なく誘惑の影響を受け続けているために、個体から観て、眼前の状況へ適切な対応をおこなおうとするのならば、利己性/自己中心性/欲望の干渉を受けて、自覚できるものの自覚なく不誠実な行為となる場合もあります

成長の道標

  • (1000/1000) 固定観念/既成概念の囚われを解消するには、自己のおこなった行為を内省して、行為の内容を自覚し、更に、内容を詳細に考察して「行為の目的」を把握したうえで、成長を阻碍すると判別した行為をおこなわないようにしていくことで、囚われの習慣を弱めていきます
  • (1000/1000) 固定観念/既成概念は、幻想/誘惑と異なり、必ず、行為の内容を自覚して認識し、更に、行為をおこなった目的を把握してからでなければ、対応できません
    • 幻想/誘惑は、自覚できるものの自覚なくおこなっている「不誠実な行為」の内容を、自覚したのならば対応できるようになり、更に、行為をおこなった目的を把握することで、不誠実な性質の習慣を形成しないように役立てられます
    • 固定観念/既成概念は、自覚できるものの自覚なくおこなっている「囚われに基づく行為」の内容を、自覚するだけでは対応できず、行為をおこなった目的を明確に把握することで対応できるようになります
    • 幻想については5章2節 幻想、誘惑については前節の5章3節 誘惑を参照してください
(1000/1000) 対応可能な段階の比較
(1000/1000) 対応可能な段階の比較

自問する

  • (1000/1000) 他者の言動を常に考察し、どのような目的で言動がおこなわれているのか? どのような囚われに基づく目的なのか? を理解するように努め、他者のおこなっている「囚われを土台とする言動」と同じ言動を、自己がおこなっていないかを自問します
    • 自己のおこなっている「囚われを土台とする行為」は、行為の内容を自覚している状況もみられますが、自覚できるものの自覚していない場合が多いために、自身で自覚していない行為を自覚するのは困難ですが、容易に自覚できる他者の言動から学び、自己の言動と比較することで、自己の言動を自覚できる切っ掛けになります
    • 自己のおこなっている「囚われを土台とする行為」を自覚できたのならば、行為の内容を詳細に考察して、行為をおこなった目的を明確に把握するように努め、その目的が、現在の自己の成長段階で、成長を阻碍しているのか/阻碍していないのか、を判別します
    • 同じ内容の囚われを土台とする行為であったとしても、個々の現在の成長段階によって、成長を阻碍している場合もあれば、現在は未だ成長を阻碍していない場合もあるために、他者のおこなった判別ではなく、必ず自己が判別をおこなうようにします
  • (1000/1000) 自己が、他者の行為に対して感じる怒り/苛立ちから、自己は「なぜ他者の行為へ怒り/苛立ちを感じているのか?」を詳細に内省することで、自己の有している「自覚できるものの自覚していない囚われ」に気づきやすくなります
    • 自覚できるものの自覚していない囚われは、このようにしなければならない、このようにすべきだ、などの捉え方で、自己のおこなう行為の方向性(特に思考の方向性)を縛りつけようとしている場合が多くみられます
    • 同時に、自己の囚われに基づいて、他者へも、このようにしなければならない、このようにすべきだ、という捉え方を自覚できるものの自覚のないままに押し付けており、他者がその捉え方に反した行為をおこなっていると怒り/苛立ちを感じやすくなり、加えて、どうしてしないのか? と相手へ詰め寄る場合もみられます
    • また、怒り/苛立ちだけでなく、奇妙さ、拒否感、などを、他者の行為へ感じる際にも、自己の囚われに基づいている場合が多くみられます
  • (1000/1000) 自己の行為や、他者の言動を考察する際に、地上のそれぞれの地域にみられる社会は、成長の程度に差がみられるものの、どの社会の有する成長の程度も、成長を求める者にとっては、低い段階でしかない点に留意しておく必要があります
    • 地上の社会全体を総合した「地球の進化の程度」が未だ低いために、それぞれの社会が有する成長の程度も、僅かな差の違いに過ぎない低い段階にあるのです
    • 社会にみられる、主義、常識、慣例、慣習、慣行、風習、習俗、恒例、文化、伝統、風潮、流行、迷信、などへ盲目的に従う状況は、成長を阻碍します
    • 社会にみられる様々な「特定の方向性に基づいておこなわれる活動の習慣」が形成され、醸成されるに至った社会の有する成長の程度は決して高くないために、成長を求めるのならば、ひとつひとつの内容を詳細に考察し、おこなう目的を明確にする必要があります
    • 特に、流行/風潮/迷信は、不誠実な性質の内容も多く含まれているために、充分な考察を必要とします

囚われを解消する

  • (1000/1000) 自己が現在の成長段階で「成長を阻碍している」と判別した囚われは、その囚われを土台としておこなっている行為を絶え間なく辞める(行為へ意識を向けない)だけで、行為をおこなわせている「囚われの習慣」は弱くなっていきます
    • どれほどの困難に直面してでも、社会の情勢や、他者の発言/行動に流されることなく、自己のおこなう行為は自己が充分に考察したうえで、自己の自由意志に基づいて決定し、安易に盲目的に社会/他者へ迎合して、囚われを形成しないようにします
    • 行為を辞める方法については、5章1節 修養の生活を参照してください
  • (1000/1000) 自己の有する囚われを解消していくほどに、他者のおこなう「囚われを土台とする行為」が際立ってみえるようになるために、他者へ助言したくなる場合もありますが、本人のおこなう行為は本人のみが「おこなう/おこなわない」を決定することへ留意して、他者の自由意志による選択を尊重し、自己の自由意志による行動の選択を、他者へ強制/誘導してはなりません
    • 他者へ行動を強制/誘導し、他者の自由を束縛するのは利己的/自己中心的な行為であり、他者の成長を阻碍するだけでなく、自己の成長も阻碍します
    • 自己が、自身のおこなった「囚われを土台とする行為」を自覚できるものの自覚していない他者へできることは、他者が自身の行為と比較するための手本/模範となる行為を常におこなうだけです
  • (1000/1000) 自覚できるものの自覚のないままに無用な囚われを形成しないためにも、外環境から受け入れた情報は内容を充分に考察して理解/実証し、知識として貯蔵した内容のみを用いるようにします
    • 情報を疑うのではなく、盲目的に信用して、そのままの内容を他者へ伝えてはならないのです
    • これは、山野で採取したキノコを、食用か毒キノコか選別もしないままに、他者への土産として譲り渡してはいけないことへ譬[たと]えられます
    • 愚者は、情報を集め他者へ拡めますが、一方で、賢人は、知識を蓄え他者へ与える点に留意してください
  • (1000/1000) 「特定の固定観念/既成概念を解消したくないのに、解消しなければ成長へつながらない」という思考の内容は、自己への強制であり、現在の段階では、特定の固定観念/既成概念を解消する時機ではないことを示しています
    • 自己の自由意志で選択しておこなう自己の行動を、自身へ不本意に嫌嫌ながら強制しても、また、他者から行動を強制されても、意志は強くなりません
    • 強制する/強制される状況は、徐々に意志を弱めて同調する活動性の程度を下降させるだけでなく、不誠実な生き方を造り出し強めるように、はたらきやすくなります
    • 自己が自身に一切の自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない強制をおこなうことなく、自由な選択に基づいて積極的に行動するからこそ、意志が強くなり、成長へとつながるのです
    • この強制には、主義を掲げて自己を積極的/消極的に縛る、利己性/自己中心性/欲望を覆い隠して「したい」のに「しなければならない」と強制されているように偽[いつわ]る、なども含まれます

至言の紹介

(1000/1000)「瀞沁」
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玩具は幼い者に必要なのであり
成長したのならば
潔[いさぎよ]く手放さねばなりません
いつまでもしがみついていることが
更なる成長を阻碍しているのです
すべての玩具を手放したときに
ようやく自由とは何かに気づくことが
できるようになります
(1000/1000)「瀞沁」
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眼を閉じている者に眼前に輝く景色を
どれだけ語って聞かせても伝わりはしません
語り聞かせるのに苦心するよりも
眼を開くように促すのです
景色を見れば、その美しさに
自[おの]ずと気づくのですから

質疑応答

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囚われについて

(1000/1000)

 個々の有している無数の固定観念の中で、自覚できるものの自覚しないままに固定観念に基づいて行為をおこなっている不誠実な性質の内容が多くを占めているのは、物質の心から誘惑の影響を受けて経験へ保存される「幻想の捉え方(幻想の捉え方そのものも習慣のひとつ)」を土台とする様々な習慣が、固定観念へ移行しやすいためです。幻想の捉え方については、5章2節 幻想を参照してください。

 幻想の捉え方に基づいておこなう不誠実な行為は、虚栄心を満たし、快楽/快感を得られるために、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく行動を繰り返す傾向が強くみられます。僅かにでも虚栄心を満たせなくなると、また、得られる快楽/快感が僅かにでも減少すると、内面の恐れ/怯えを増大させるために、恐れ/怯えから眼を逸らし続けるには、虚栄心を満たし続ける、快楽/快感を得続ける必要があります。そして、何時[いつ]の間にか、幻想の捉え方に基づく不誠実な行為をおこなうように、自由意志による選択を自覚的に(自覚して/自覚できるものの自覚なく)強制するようになり、固定観念の形成へつながります。固定観念を形成した後にも、恐れ/怯えから眼を逸らし続けるために不誠実な行為を繰り返し強制しておこなうことで、形成した不誠実な固定観念を際限なく強化していきます。

 加えて、必ずしも不誠実な内容とは限らず、誠実な内容の場合もありますが、内面で繰り返す愚痴や、内面でのコメント付けも、外環境に遭遇した状況や内面の状況へ立ち向かうことから眼を逸らすように仕向けるために、愚痴/コメント付けを繰り返しおこなっている過程で、何時[いつ]の間にか自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく愚痴/コメント付けを強制し、固定観念を形成/強化しやすくなります。眼前に現れる外環境/内面の状況へ立ち向かうには勇気を必要とし、立ち向かう過程は苦しみを生み出しやすいために、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく眼を逸らして苦しみを避けようとしてしまうのです。内面でのコメント付けについては、5章5節 祈り/瞑想 #質疑応答の「夏季に、他の時季と比べて、高い活動性の程度から受ける感覚を感じ取り難くなるのはどうしてですか?」を参照してください。

(1000/1000)

 固定観念が既成概念を形成し、また、既成概念が固定観念を形成する状況はみられます。ただし、固定観念と同じ内容の既成概念が直接的に形成される状況や、既成概念と同じ内容の固定観念が直接的に形成される状況はみられません。固定観念の内容と関連する内容の既成概念が間接的に形成される状況や、既成概念の内容と関連する内容の固定観念が間接的に形成される状況はみられます。

 固定観念が既成概念を間接的に形成する状況は、それぞれの個体の有する「類似する内容の固定観念」に基づいて、それぞれの個体が行為をおこなう過程で、社会/共同体に「固定観念の内容に関連する既成概念」が形成されるようになります。それぞれの個体の有する「類似する内容の固定観念」は、個々によって異なる側面と、個々に共通する側面があり、個々に共通する側面が既成概念の形成へ関与しています。例として、個々が「企業が利益を得ていくには長時間の残業をしなければならない」という類似する内容の固定観念を形成している場合に、職務をおこなう過程で、その企業では「長時間労働をおこなうのは当然であり、残業しない者は怠[なま]けている」という内容の既成概念を形成する場合がみられます。

 既成概念が固定観念を間接的に形成する状況は、始めに、社会/共同体の有する既成概念と同じ内容の既成概念を、個体が社会/共同体での生活を通して形成しています。その後に、個体が既成概念の内容に基づいて行為を繰り返しおこなう過程で、個体に「既成概念の内容に関連する固定観念」が形成されるようになります。例として、ある地域(日本以外の地域)の社会で「日本人と呼ばれている者たちは勤勉で礼儀正しく長時間労働と時間厳守を徹底する」という内容の既成概念が形成されている場合に、日本人の同僚と職務をおこなう過程で、自己も「約束の時間に決して遅刻してはならず、もしも、理由に関わらず1分でも遅刻してしまったのならば関係者に謝罪して回らなければならない」という内容の固定観念を形成する場合がみられます。

(1000/1000) 囚われに関連する囚われの形成
(1000/1000) 囚われに関連する囚われの形成

(1000/1000)

 はじめに、経験へ保存されている無数の習慣の中で、「囚われ」を示す習慣が固定観念/既成概念です。習慣の全てが「囚われ」を示しているのではありません。また、以前は囚われを示していなかった誠実/不誠実な習慣であっても、現在に囚われを示すようになったのならば、その誠実/不誠実な習慣は固定観念/既成概念となります。習慣が形成された当初から固定観念/既成概念となる場合もあれば、一方で、習慣が形成された後に何時[いつ]の間にか「囚われ」を示し、固定観念/既成概念となる場合もあります。

 習慣の有する誠実/不誠実の性質や、習慣の強さに関わらず、特定の内容へ囚われてしまう状況が、現在の段階では成長を阻碍していなくても、いずれは成長を阻碍するように、はたらきます。

 囚われている習慣(固定観念/既成概念)の有する誠実の程度が、自己の成長の程度よりも相対的に高い場合には、現在の段階では成長を阻碍し難い、あるいは、習慣の有する誠実の程度に相応する程度までは成長を促進する可能性もありますが、自己の成長の程度が向上していくほどに、囚われている習慣の有する誠実の程度は成長の程度よりも低くなっていくために、更なる成長を阻碍するようになります。例として、毎日に、特定の時間帯に座位で瞑想をおこなう習慣は、積極的に高い活動性へ同調していく習慣を形成するのに役立ちます。しかし、特定の時間帯に座位で瞑想をおこなうことへ囚われるようになると、特定の時間帯に座位で瞑想をおこなう際にしか高い活動性へ同調できなくなり、また、特定の時間帯に座位で瞑想をおこなえない日があると、同調する活動性の程度を下降させやすくなります。

 現在に自己の有する成長の程度では、成長を促進するような内容の習慣であったとしても、いずれは、更なる成長を阻碍する可能性があるという点へ留意しておく必要があります。常に、自己の有する習慣を自覚して内省するように努め、特定の習慣へ囚われず、また、しがみつかず、これまでは必要としていた習慣であったとしても、現在に不要と感じたのならば、修正していく(習慣を弱めていく)ように努めることが成長の促進へつながります。

 なお、囚われが成長を阻碍するからといって、「成長を求める」「修養の生活を実践し続ける」「常に考察/内省し続ける」ことに囚われるのを辞めようとするのは言葉遊びに過ぎません。「囚われる」と「持続する」を混同しているのです。この言葉遊びは、経験へ保存されている狡猾性や、物質の心から誘惑の影響を受けて自己に都合良く捉えようとするために生じており、修養の生活を始めたものの、何時[いつ]の間にか修養の生活を辞めさせてしまう原因のひとつにもなっています。修養の生活については、5章1節 修養の生活を参照してください。

 成長を求め、修養の生活を実践し、考察/内省するからこそ、これまでに自覚できるものの自覚していなかった囚われ、拘[こだわ]り、しがみつき、に気づけるようになります。そして、囚われ、拘[こだわ]り、しがみつき、を解消していくからこそ成長が促進されるのです。ただし、「修養の生活を実践しなければならない」「考察/内省しなければならない」「成長しなければならない」という自己への強制は囚われであり、成長を阻碍します。

 加えて、修養の生活を実践している過程では、「あらゆる物事へ囚われない」捉え方へ囚われてしまう状況もみられます。この状況は、囚われる/囚われないの対となる極性で構成される軸線上で捉えているために起きており、囚われないように努めるほどに、囚われを強めるようになります。本質的に「囚われない」とは、囚われる/囚われないの軸線上で捉えるのではなく、軸線上を包括して捉える(軸線上で捉える捉え方へ囚われない)ことを指しています。

 この質疑応答に関連する内容には、4章4節 覚醒 #質疑応答の「覚醒者が認識の表現に用いる非二元性とは何ですか?」、また、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「行為へ意識を向けないように努めるほどに、行為へ意識が向いてしまうのですが、どうすれば意識を向けないようにできますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 自己の有している「肉眼に視えない囚われ(固定観念/既成概念)」の内容の通りに、発言、行動、挙措、姿勢、などの、「肉眼に視える有形体を通した言動」がおこなわれるだけでなく、有形体内の活動にも囚われの内容が反映されます。囚われは、自覚して形成している場合と、自覚できるものの自覚なく形成している場合があり、どちらの場合であったとしても、有形体内の活動へ反映されます。

 自覚して囚われが形成される例として、社会の常識に影響を受けて、「ビタミン、ミネラル、必須アミノ酸、必須脂肪酸、などは、有形体内では合成/生成できないために、食事によって食物(有形体の外部)から摂取しなければならない」と信じて(囚われて)いるのならば、その内容の通りに、有形体内では合成/生成されないようになります。地精が、囚われの内容に基づいて、生命の活動性を、特定の性質を有する磁気的作用力へ変換しなくなるために、いくつもの性質を有する磁気的作用力の組み合わせによって3次元の側面へ現れる、ビタミン、ミネラル、必須アミノ酸、必須脂肪酸、なども合成/生成されなくなるのです。

 自覚できるものの自覚なく囚われが形成される例として、有形体の使用年数(年齢)が増加するほどに、有形体の劣化(老化)する程度も高くなる傾向がみられ、同時に、有形体の使用年数が高い(高齢者/老齢者)ほどに死ぬ傾向もみられるために、「年齢が高くなれば老化し、その結果として死へ至る」と当然のように信じて(囚われて)いる状況があり、この囚われの通りに、有形体の使用年数の増加にあわせて有形体の劣化が進行するように有形体の活動が造化され、また、ある程度に有形体の劣化が進行すると「自覚のない自殺」を選択して死を迎えるようになります。自覚のない自殺については、4章6節 自由意志/運命 #質疑応答の「自覚のないままに自殺することを自由意志で選択している場合もありますか?」を参照してください。

 また、囚われの内容が有形体の活動へ反映されるのと同様に、自己の強く願う内容の通りに、有形体の活動も造化されます。例として、重篤な疾病の改善、怪我の奇跡的と呼ばれるような治癒、などが挙げられます。これらの状況は、祈りとも密接に関連しており、自己の強く願う内容が有形体へ反映されるのに加えて、自己の強く願う誠実な内容が「祈り」となり無形界へ送られ、祈りへの応答として無形界(天使たち)から適切な支援/援助が与えられたために、有形体の活動に変化が現れたのです。天使たちの支援/援助については4章10節 天使、祈りについては次節の5章5節 祈り/瞑想を参照してください。

(1000/1000)

 地上では、お互いの有する活動性の性質/程度が影響を与え合うように、お互いの有する習慣は影響を与え合い、周囲の者たちが有する誠実/不誠実な習慣の影響を受けて、自己も同じ習慣を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく形成する可能性があります。なお、相手、あるいは、地域/共同体などの有する既成概念が、自己の既成概念として形成される状況は、既成概念の伝播[でんぱん]する基本的な方法のために、この質疑応答では扱いませんので、この節の本編を参照してください。既成概念の形成される状況を譬[たと]えると、ある部屋へ入室した直後は部屋の香り/匂いを強く感じるものの、部屋に滞在していると何時[いつ]の間にか香り/匂いを感じなくなる過程といえます。一旦に部屋から出て戻って来ると、再度に香り/匂いを強く感じるようになります。部屋は自己の属する共同体、香り/匂いは共同体の有している既成概念を表しています。

 下記は、固定観念の形成について記述しています。

 お互いの有する習慣が密接に影響を与え合う状況は、同じ場所で生活している家族の間で最も多くみられ、加えて、友人、職場、学校、地域社会、などでもみられます。大雑把には、成長を阻碍する不誠実な内容の習慣は、自覚できるものの自覚しないままに影響を受けやすく、逆に、現在の成長の程度では成長を阻碍し難い、あるいは、現在の成長の程度では成長を促進する可能性を有する誠実な内容の習慣は、自覚できるものの自覚のないままに影響を受けず、自覚して模倣する場合がみられます。

 習慣(あるいは、囚われ)の中でも、相手の有する「自覚できるものの自覚していない固定観念」が、自己の「自覚できるものの自覚していない固定観念」として形成される状況が比較的に多くみられ、特に、親の有している先入観、偏見、思い込み、などは、子供へ大きな影響を与えています。一方で、相手の有する「自覚している固定観念」が、自己の「自覚している固定観念」として形成される状況は比較的に少ないです。また、相手がおこなう祈り/瞑想などの「自覚して積極的におこなわれる行為の習慣」を、自己が自覚して模倣する(習慣を形成する)状況はありますが、自己が自覚できるものの自覚のないままに模倣する状況はありません。子供が周囲の親/大人たちの行為や行為の目的を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく模倣していく場合とは異なり、大人は相手の行為を自覚できるものの自覚のないままに模倣する状況はなく、必ず自覚して模倣しますが、模倣した行為の内容は同じであっても、行為の目的も自己/相手で同じとは限りません。

 相手(特に家族)の有する「自覚できるものの自覚していない固定観念」が、自己の「自覚できるものの自覚していない固定観念」として形成される状況は、相手/自己ともに有している固定観念を自覚できるものの自覚していないために、引越、進学、転職、などで生活環境が変化するまでは、固定観念に気づくのは困難です。ただし、他者の行為を観察/考察し、他者の行為と自己の行為を比較して自己を常に内省するように努めているのならば、固定観念に気づくことができるようになります。しかし、自己が、有している固定観念に気づき、その固定観念に基づく行為を辞めていく際に、同じ固定観念を有している相手から、相手は自身の有している固定観念を自覚できるものの自覚しないままに、自己が固定観念に基づく行為を辞めるのに対して反発する状況もみられます。

 自己の成長にともない、自己のおこなう行為を内省する程度は高くなり、行為の土台となっている固定観念に気づきやすく、固定観念を自覚して弱める(習慣を修正する)ように努めるために、相手が有している「自覚できるものの自覚していない固定観念」を自覚して観察/考察する程度も高くなります。そのため、相手が有している「自覚できるものの自覚していない固定観念」から影響を受けて、自己が自覚できるものの自覚しないままに固定観念を形成する状況は減少します。

 あらゆる表現/行為は、自由意志による選択に基づいて造化されている点に留意してください。自由意志による選択に基づかずに造化される表現/行為は一切に存在しません。習慣に基づいておこなわれる行為も、自由意志による自覚的な(自覚のある/自覚できるものの自覚のない)選択を起点として造化されています。そして、自己が自覚している/自覚できるものの自覚していないに関わらず、自己の有する意志の方向性(自由意志で選択した選択肢の方向性)に基づいて造化された「ひとつひとつの表現/行為」は、必ず相手へ、周囲の者たちへ、地域社会へ、地上全体へ、世界へ影響を与えています。

 自己の有する意志の方向性が、他者の有する意志の方向性へ影響を与えており、結果として、他者が意志の方向性に基づいて造化する「ひとつひとつの表現/行為」や「表現/行為の造化によって形成/強化される習慣」にも影響を与えていることになるのです。同様に、他者のおこなう行為、マスメディアの報道、書物/動画/音曲の内容、などを通して、自己が自由意志で選択する選択肢の方向性(意志の方向性)と、自己の造化する思考の方向性へ影響を受けてもいます。「影響を与えている/受けている」とは、強制/誘導している状況、あるいは、強制/誘導されている状況を指しているのではなく、自己/他者それぞれが自身の自由意志で選択する際に、選択する選択肢の方向性(意志の方向性)に傾向がみられるようになる状況を表しています。なお、他者には、地上で有形体を有して生活している人だけでなく、地上に滞在/徘徊[はいかい]する有形体を有していない霊たち(天使や地獄者/地縛者)、無形界で生活している霊たちを含んでいます。

 地上社会で多くみられる音韻を揃えた(韻を踏む)スローガン/標語/宣伝/キャッチフレーズ/キャッチコピー、音曲の歌詞、なども固定観念/既成概念を形成させやすく、形成された固定観念/既成概念を強めやすいです。音韻を揃えた例として、「〇〇ない、△△ない、◇◇ない」、「私が〇〇する、あなたが△△する、皆で◇◇しよう」、などが挙げられます。文言と音韻/旋律との組み合わせが、精神で繰り返し文言を再生させやすくしているのです。

 なお、生き方の性質から捉えると、誠実な生き方をしている者は、固定観念/既成概念の解消へ努めていないのならば、不誠実な内容の固定観念/既成概念概念を形成し強めていくよりも、誠実な内容の固定観念/既成概念を形成し強めていく傾向がみられます。一方で、不誠実な生き方をしている者は、誠実/不誠実な内容の固定観念/既成概念をともに形成し強めていく傾向がみられます。

(1000/1000)

 様々な主義は、現在に自己の認識する外環境を、特定の方向性(主義の有する方向性)から偏重して捉えるように、はたらいています。主義を掲げることで、主義の有する方向性を重視し、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく他の方向性を軽視/除外/排除して物事を捉えやすくしているのです。個体や社会の成長/進歩は、あらゆる方向性から、あるいは、あらゆる方向性を包括して「あるがまま」に捉えることで促進されるために、特定の方向性へ偏重して捉える「主義」という囚われは、個体や社会の成長/進歩を阻碍させています。自己の認識する外環境の範囲は成長にともない拡大していきますが、囚われを解消していかない限りは、自己の認識する外環境を「あるがまま」に捉えられるようにはなりません。自己の認識する外環境については、2章1節 世界全体の構造を参照してください。

 主義を有することで、特定の方向性へ向けて進行(成長/進歩)しているように、また、後押しされているように感じられますが、他の方向性から物事を捉えずに、特定の方向性のみで捉えているために進行している/後押しされているように思い込んでいるだけに過ぎません。自己が主義を掲げることで、特定の方向性から物事を捉えるように自己へ強制/誘導しており、眼前の状況で選択できる選択肢の幅の中から「特定の方向性へ偏重した選択肢」を選択するように囚われさせ、特定の方向性へ偏重した選択肢が眼前の状況に適切でない限りは、眼前の状況に適切な選択肢を自由意志で選択できなくなります。個体や社会の成長/進歩は、眼前の選択肢の幅を「あるがまま」に俯瞰[ふかん]して、眼前の状況に適切な選択肢を選択する積み重ねによって促進される点に留意してください。不適切な選択肢を選択しているのならば、個体や社会の成長/進歩は促進されないのです。あるがままに捉えることについては、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「物事をあるがままに捉えるには、どのようにすればよいのでしょうか?」を参照してください。

 加えて、主義によって、物事の捉え方が特定の方向性へ囚われてしまうと、特定の方向性から捉えるのが正しく、他の方向性から捉えるは誤りと思い込み、他の方向性から捉えるのを自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく排除/拒否して、観察/考察の範囲/方向性を制限するようになります。同時に、主義と利己性/自己中心性/欲望(恐れ/怯え)が組み合わさることで、主義を掲げれば「自己は何をおこなっても良い」「どのような発言/行動をおこなっても他者に許容される」と思い込む我儘[わがまま]の状況もみられるようになります。この我儘が、他宗教団体、他宗派、他民族、他人種、他国家、他政党、自己と異なる主義を掲げる者、自己と同じ主義を有していない者、などへ非難/批判/糾弾させる、また、差別/迫害/殲滅[せんめつ]させるように「はたらき」かけ、地上での戦争/紛争/軋轢[あつれき]、凄惨[せいさん]な事件、共同体の運営の阻碍/停滞、などにつながっている状況は頻繁にみられます。同様に、他者/他企業/他国家の発言/行動が、瞬間瞬間の自己/自企業/自国家に都合良くなければ、「〇〇主義だ(あるいは、反〇〇主義だ)」「〇〇勢力だ(あるいは、反〇〇勢力だ)」と都合良く決めつけて非難/批判/糾弾する状況も多くみられます。我儘については、5章2節 幻想を参照してください。

 なお、地上社会で対比させて用いられている個人主義/自由主義と、全体主義/社会主義/共産主義は、どちらも近視眼的で物事を捉える範囲/方向性が偏重した囚われであり、利己性/自己中心性/欲望を土台として用いられている状況が多くみられます。また、自由主義の「自由」を「放埒[ほうらつ]」と混同している状況も多くみられます。個体の自由意志による選択を尊重しながらも、個体が全体へ寄与/貢献することが、個体や社会の成長/進歩を促進します。ただし、全体への寄与/貢献は個体の自発性/積極性に委ねられており、個体へ強制/誘導するのではありません。そして、自己が他者へ全体への寄与/貢献を強制/誘導せず、同時に、自己が他者から強制/誘導を受けない必要があります。外環境から受ける強制/誘導や、自己が自身へ強制/束縛することで、個体/共同体/社会へ秩序が生み出される状況はありません。秩序は、強制/誘導/束縛から解放されることで生み出されます。

 地上社会では、眼前の物事が観えていないのに、観えるように信じ込もうとして「〇〇主義」と呼び振る舞っている状況も多くみられます。眼前の物事が明確に観えているのならば、観えている物事を伝えるのに「〇〇主義」と呼ぶ必要性がありません。例として、眼前の霊たちの様子が霊眼に視えて、無形界や霊が実在しているのも観えているのに、心霊主義、霊実存主義、などと呼んだうえで活動する必要はないのです。様々な主義の中でも、「〇〇至上主義」と呼ばれる内容は、自身の願望を自身へ信じ込ませるために用いられており、眼前の物事(眼前の現実)から眼を逸らすように囚われさせています。

 この質疑応答に関連する内容には、5章6節 愛の行為 #質疑応答の「愛国心は、国の発展へ貢献する愛の行為へつながりますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 伝統/慣習を受け継ぐ必要性は、伝統/慣習の目的/内容によって決まります。あらゆる伝統/慣習が成長を阻碍するのではなく、伝統/慣習へ囚われている状況が成長を阻碍するのです。この「囚われ」が既成概念となります。

 そして、伝統/慣習から受け継ぎ、保守し、育[はぐく]む必要があるのは「伝統/慣習の目的」であり、「伝統/慣習の形式」ではありません。伝統/慣習の保守と、伝統/慣習への固執は異なります。保守/固執を混同しないように留意する必要があります。これは、伝統/慣習だけでなく、様々な思想/主義なども同様です。

 保守は、伝統/慣習の有する本来の目的を大切に保存して継承することを指しており、既存の形式へ囚われていません。そのため、伝統/慣習の目的は受け継がれているものの、時代/地域によって伝統/慣習の内容/形式は僅かに異なる場合もあれば、大きく異なる場合もみられます。

 一方で、固執は、伝統/慣習の有する既存の形式へ頑[かたく]なに当てはめて逸脱を許容しないことを指しており、本来の目的が忘れ去られています。伝統/慣習の有する無形的な目的を捉えずに、肉眼に視える物的な内容/形式へ囚われ、しがみついているのです。この固執には、原理主義、教条主義、宗教団体の教義/教理への盲信、共同体の規則/戒律への隷属、同性愛者への厳罰の制定、西側/東側/右派/左派(◯◯主義)の勢力と断定し対立/分断を煽[あお]る、なども含まれます。なお、地上社会で用いられている「保守的」という語は、伝統/慣習/慣例/思想/主義などの目的を考察することなく盲目的に既存の形式へしがみついている「固執」を表す状況が頻繁にみられます。

 ひとつひとつの伝統/慣習が有する「本来の目的」を考察したうえで、受け継ぎ、保守し、育む過程は、成長の学びへつながる可能性もあります。もしも、「本来の目的」を考察したうえで、受け継ぐ必要性がないと判断したのならば、潔[いさぎよ]く捨て去る必要もあります。

 地上社会では、物質の心から誘惑の影響を受けて幻想の捉え方を形成し、序列/優劣で自己/他者や物事を判断して虚勢/見栄を張る既成概念が形成されており、外見の物的な豪奢[ごうしゃ]、絢爛[けんらん]、派手、大仰、豪華、華美、などを追い求めてきた歴史が現在に至るまで連綿と続いています。これらは「伝統」として、格式のある、格調高い、高貴な、と表現されるような物事を指しており、豪奢な絢爛な式典/儀式、派手な大仰な演出、豪華な会食/晩餐会、華美な衣装/装飾/住居、などが例に挙げられ、格好良くみえるから、優れているようにみえるから、と思い込んでいるために開催され、また、造り出されています。

 伝統/慣習に限らず、固定観念/既成概念は、物事を捉える方向性を偏重させるように、はたらきます。物事を「あるがまま」に捉え難くさせるのです。これは、前提/土台となる内容や、物事を捉える方向性が変われば、それらに基づいて観察/考察される内容も変化することを指しています。そして、前提/土台となる内容の有する「正しさの程度(真実度)」が変化したのならば、観察/考察される内容の有する「正しさの程度」も変化します。例として、有形体の使用期限(寿命)は事前に決めていない(地上での生活によって寿命が変化する)という前提/土台で実験/研究/調査をおこなうのと、有形体の使用期限は事前に決めているという前提/土台で実験/研究/調査をおこなうのでは、同じ内容の実験/研究/調査をおこなったとしても、観察/考察する方向性が異なります。両者では、前提/土台となる内容の有する「正しさの程度」が異なるために、観察/考察した内容の有する「正しさの程度」も異なります。

 この質疑応答に関連する内容には、2章3節 有形界の構造 #質疑応答の「惑星の進化のために、地上で生活する人が永続性のある活動をおこなうには、どのようにすればよいのでしょうか?」、また、6章1節 推薦書物 #質疑応答の「書物全体の内容としては高い真実度を示しながらも、ひとつひとつの記述の真実度には低い場合がみられるのはどうしてですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 地上で最も強く有している固定観念/既成概念(囚われ)には、食べなければ死んでしまう、有形体を維持するには食べなければならない、という内容があります。この囚われは、有形体を「自己そのもの」と思い込む(有形体を自己と誤認する)認識と密接に関連しています。

 食べなければ死んでしまう、有形体を維持するには食べなければならない、という内容の囚われは、動物霊の成長段階から形成され強められており、人霊へ新生した後も継続して強く有したままです。そして、地上では、有形体の内包する物質の心が囚われを強めるように絶え間なく「はたらきかけて」いるために、容易に強められるものの、弱めるのは非常に困難です。この囚われが強くなるほどに、食事の内容、味、調理方法、食材、などへの拘[こだわ]り/追求も強く現れるようになり、利己性/自己中心性/欲望の強化へつながります。同時に、飢餓/空腹の状況は、物質の心から受ける誘惑の影響を急激に強めやすく、克己の造化を辞めさせ、自覚して不誠実な行為をおこなわせる(不誠実な表現の造化を自覚して制御しない)ように、はたらきかけます。飢餓が、「食べなければ死んでしまう」や「有形体は自己であり死によって自己は消滅する」という固定観念/既成概念と組み合わさることで、死/消滅への恐れ/怯えを際限なく増大させるために、掠奪/盗み、暴動、殺人、(飢饉に起因して生じた圧政/弾圧への暴力を用いた抵抗を含む)、などの利己的/自己中心的な行動にもつながっています。

 なお、「有形体は自己であり死によって自己は消滅する」という内容は固定観念/既成概念に含まれますが、一方で、「有形体を自己と誤認する認識」そのものは、経験へ保存されている習慣のひとつであり、誠実/不誠実の性質と関係しない習慣へ分類され、固定観念/既成概念には含まれません。固定観念/既成概念は常に、誠実な性質の表現を造化する習慣、あるいは、不誠実な性質の表現を造化する習慣のどちらかへ分類される点に留意してください。有形体を自己と誤認する習慣の強さが、有形体を自己と誤認する程度を決定しており、物質の心から受ける誘惑の影響によって、誤認する程度は常に変化しています。有形体を自己と誤認する程度については、3章8節 意識 #質疑応答の「意識の偏重している程度と、有形体を自己と誤認する程度には、どのようなつながりがありますか?」も参考にしてください。

 食べなければ死んでしまう、有形体を維持するには食べなければならない、という内容だけでなく、地上での生活によって形成された「有形体に起因する様々な物事」へ、どれほどに強く自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく囚われているのかへ気づく必要があります。例として、年齢、性別、体格(身長/体重/肥満/痩細)、容姿の形状、肌/髪の色/質感、人種、民族、誕生日、命日、などが挙げられます。地上の生活で形成し強めた「有形体に起因する物事への囚われ」は、有形体を捨て去った後にも有したままであり、いずれは必ず成長を阻碍するように、はたらきます。

 加えて、地上社会で頻繁にみられる「有形体に起因する物事への囚われ」には、物的な家族/家系で自己/他者を判断する状況も含まれます。物的に家族/親族/先祖と呼ぶ者がおこなった発言/行動、発言/行動の結果、などに基づいて、同じ家族/家系に属する自己/他者を判断/評価しています。自己の物的に家族/親族/先祖と呼ぶ者は、自己に関係があると思い込む、他者へ関係があると思い込ませることで、自己の虚栄心を満たすのに利用しており、また、他者の評価に他者の家族/家系を利用しているのです。

 自己の物的に家族/親族/先祖と呼ぶ者が成した実績/業績や、彼らが表彰/称賛されたからといって、自己が実績/業績を成したのではなく、自己が表彰/称賛されたのでもなく、自己の生き方/実績/業績とは関係がありません。同様に、自己の物的に家族/親族/先祖と呼ぶ者が犯罪をおこなったからといって、自己が犯罪をおこなったのではなく、自己の生き方/発言/行動とは関係がありません。そして、他者の物的に家族と呼ぶ者が成した実績/業績や、彼らが表彰/称賛されたからといって、他者が実績/業績を成したのではなく、他者が表彰/称賛されたのでもなく、他者の生き方/実績/業績とは関係がありません。同様に、他者の物的に家族/親族/先祖と呼ぶ者が犯罪をおこなったからといって、他者が犯罪をおこなったのではなく、他者の生き方/発言/行動とは関係がありません。なお、地上社会で犯罪と呼ばれる行為が、必ずしも不誠実な行為とは限りません。そして、地上社会で犯罪と呼ばれる行為をおこなった者が、必ずしも不誠実な生き方をしているとも限りません。犯罪の定義/範囲は、地域/社会によって異なり、また、同じ地域であったとしても時代の変遷にともない変化し、不変ではありません。不誠実な生き方をしている者たちが、自身の利己性/自己中心性/欲望を満たすために、自身に都合の良くない誠実な生き方をしている者を犯罪者に仕立て上げる状況も多くみられます。

 物的な家族/家系で自己/他者を判断する固定観念/既成概念は、名の知られている人物の家族/親族/先祖がおこなった発言/行動あるいは実績/業績/犯行を利用して、名の知られている人物への評価/評判を誘導する世論の操作にも用いられています。これは、家族/家系の範囲に限らず、国家、企業、民族、人種、などの範囲でもみられます。

 食べなければ死んでしまう、有形体を維持するには食べなければならない、という固定観念/既成概念ほどに強くは有していないものの、既成概念を形成している様々な内容の中でも、歴史観は、個体の思考の方向性や、社会での活動の方向性へ強く影響を与えています。地上の各地域に伝えられている歴史は思惑に基づいて編纂されており、必ずしも史実(実在した出来事)が記述されているとは限りません。歴史の中でも、国家間/民族間/部族間/氏族間の戦争において、戦勝側が戦敗側の歴史を自国/自民族/自部族/自氏族に都合良く改竄[かいざん]/歪曲/捏造して、自国/自民族/自部族/自氏族や戦敗した国/民族/部族/氏族で流布/教授/強要している状況は多くみられます。

 それぞれの時代の為政者たちによって都合良く改竄/歪曲/捏造された出来事の内容が積み重ねられて現在に伝えられている状況も多くみられ、それらを総合した内容が教育機関で教えられており、また、国家間の外交、政治宣伝(プロパガンダ)、暴動/騒乱の煽動、戦争/紛争の理由付け、世論の操作/誘導、などにも利用されています。為政者が誠実な生き方をしているとは限らない点に留意してください。特に、武力を用いて戦争/侵略/迫害/搾取/掠奪などをおこなってきた為政者が誠実な生き方をしていたのは稀であり、ほとんどの者は不誠実な生き方をしていました。

 そして、史実(実在した出来事)も、捉える方向性や捉える程度によって、記述として表現される内容が異なります。ある史実も捉える方向性が異なれば、全く別の出来事であったかのような記述と成り得るのです。これは、ある印象の内容を文字/図表で記述した際に、捉える方向性や、捉える程度(認識の程度)によって、真実度の異なる記述として表現されるのと同様です。

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 偶像崇拝は、物的/有形的な物事への囚われであり、肉眼に視える特定の対象へ意識を向けさせ、本質となる「肉眼に視えない無形的な物事」へ意識を向けなくさせています。用語の定義は個々によって異なるために、一概にはいえませんが、崇拝は信仰とは異なるという点に留意してください。信仰は、自己の知性/理性に基づく行動ですが、一方で、崇拝は、自己の感情に基づく妄信の行動です。

 偶像を奉[たてまつ]る行動は伝統的におこなわれているために、自身で行動の目的を考察することなく、行動をおこなうのが当然であると受け入れています。この行動は、本来では、肉眼に視える物的な偶像を通して、肉眼に視えず認識し難い無形的な物事へ意識を向けやすくするために始められた信仰でした。しかし、行動が長く受け継がれていく過程で、行動の本来の目的が忘れ去られ、行動のみが残り、多くの場合では、忘れ去られた目的に取って代わって、崇拝することで自覚できるものの自覚なく自己の恐れ/怯えから眼を逸らし、虚栄心を満たすためにおこなわれるようになってしまいました。

 奉る偶像の中には、人が造り出した造形物だけでなく、太陽、大地、川、木、山、森、海、湖、岩石、などの自然造形も含まれています。奉る本来の目的は、自然造形を通して、それらの創造者/管理者である大霊を信仰することにありました。決して、自然造形そのものを信仰していたのではありません。太陽を例にすると、太陽そのものを信仰していたのではなく、太陽が昇り沈みゆく過程で、輝きが様々な色彩へと変化する美しさの中に「大霊の意志」を感じ取り、変化する美しさを信仰していたのです。

 伝統的な偶像崇拝の対象には、仏壇、神棚、仏像、神像、墓、遺品、石碑、などがみられ、更に現在では、著名人、歌手、俳優、アイドル、スポーツ選手、貨幣(お金)、土地、一戸建て住宅、高級マンション、役職、権力、免許/資格、などに対してもみられます。偶像崇拝の中でも、成長の実践に際して多くみられるのは、特定の人物、特定の書物、特定の書物へ掲載されている内容に囚われている状況が挙げられます。特定の人物に対する囚われは勿論[もちろん]ながら、ある書物へ掲載されている内容や、ある人物の発言した特定の内容へ囚われるのも、成長を阻碍します。地上で物的に表現されている内容は、文字/言語/図表などによって大きな制限/制約を受けて表現されており、ある方向性を示すことはできても、あらゆる方向性を示すことはできないのです。これは、山頂へ向かって山を登る際に、先人には、あるひとつの道順での登り方を示すことはできても、ひとつの道順で山の全体を示すことはできないために、後に続いて登る者が先人の示したひとつの道順へ囚われていると、何時[いつ]までも山の全体を把握できない状況へ譬[たと]えられます。

 成長を求め、修養の生活を実践していく中では、物事/現象のひとつひとつが有する内容へ拘[こだわ]らずに、できる限り拡く見渡し、全体を俯瞰[ふかん]するように努めることで、物事/現象の相互のつながりを詳細に考察でき、無形的認識の程度を発展させていけるようになります。譬えると、ある目的地へ向かう場合に、普段に通るひとつの道順だけでなく、他のいくつもの道順を通ってみることで、見慣れた風景の中にも今までに気づかなかった発見があり、普段に通る道順とのつながりも把握でき、更に、目的地までの地図を幅広く俯瞰して理解できるようになるのです。

 なお、マスコットキャラクター、イメージキャラクター、物語の登場人物、などにみられるような、様々な物体/動物/植物や物事/現象を擬人化して捉えようとするのも偶像崇拝に含まれます。擬人化は常に、有形体の表面的な人の形状/容姿(偶像)を模倣して描かれるために、親近感を感じやすくさせていますが、同時に、人と同様の意識/感情/思考/人格などを有しているように自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく誤認させています。擬人化して捉えようとする状況は、物体/動物/植物や物事/現象の本質を「あるがまま」に捉えようとするのを阻碍しており、物的な人型の形状を有する有形体への囚われを強め、無形的な霊/意識/印象などへ意識を向け難くさせるように、はたらいています。

囚われの解消

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 特定の習慣を早く辞めてしまおうとする焦り/急ぎは、我慢、忍耐、辛抱、などを生み出し、感情を蓄積させ、圧迫された感情はいずれ勢い良く噴き出して、修正し始めた(辞めるように努めている)習慣を復活させ、更に、習慣を強めるようになります。習慣を修正していく強い意志は持続しながらも、焦らず、急がず、ゆっくりと「確実に」修正していくことが、自覚できるものの自覚のないままに感情を造化しなくなるために、感情によって無用に習慣を強めるような循環を形成させなくなり、結果として、早く習慣を修正できるようになります。

 譬[たと]えると、急峻[きゅうしゅん]な山道を走り抜けて登り、躓[つまず]き、転げ落ちていくよりも、一歩一歩を確実に踏み締めて登るほうが、結果として、無用な時間/労力を必要とせずに、短時間で登り切ることができるのです。

 日々の生活の中では、ある単語、地名、人名、物品、景色、また、香り/匂い、味、感触、などを切っ掛けとして、感情をともなう特定の思い出が繰り返し想起される状況は頻繁にみられます。この状況も自己の有する固定観念に基づいて起きています。ある単語/地名/人名/物品/景色などを視た/聴いたことで感情をともなう特定の思い出が想起されたからといって、焦り急いで感情/思い出を消し去るのではなく、ある単語/地名/人名/物品/景色などと、感情をともなう特定の思い出とのつながりを落ち着いて丁寧に考察/内省することで、土台となっている「恐れ/怯えや利己性/自己中心性/欲望に由来する固定観念」の内容を明確に自覚し、固定観念を解消できるようになります。

 今回の地上生活で形成した固定観念/既成概念だけでなく、今回よりも以前の地上生活や惑星圏無形界の生活で形成された固定観念/既成概念も、今回の地上生活に影響を与えています。今回の地上生活で形成した固定観念/既成概念のみが、今回の地上生活で解消する対象ではない点に留意してください。例として、今回の地上生活で、犬に吠え立てられたことも、噛みつかれたこともないのに、犬に漠然とした忌避感を感じている場合には、今回よりも以前の地上生活で、犬に忌避感を感じる出来事へ度々に遭遇して固定観念を形成し、その固定観念を未だに解消していない可能性があります。別の例として、今回よりも以前の地上生活で、前方から飛来した矢が自己の用いる有形体へ刺さった状況で形成された固定観念によって、今回の地上生活で、ボールが前方から自己へ向けて投げられた状況へ忌避感を感じ取らせ、ボールを受け取らずに避けるように行動させる場合もみられます。

 今回よりも以前の地上生活や惑星圏無形界の生活で形成された固定観念/既成概念は、今回の地上生活では形成された原因を明確に特定できない(原因を思い出し難い)ために、解消へ努める際に焦り/急ぎを感じ取りやすいです。形成された原因を明確に特定できなかったとしても、固定観念/既成概念に基づいておこなっている行為を落ち着いて丁寧に内省し続けることで、解消へとつながる切っ掛けへ気づくようになります。なお、宇宙圏無形界の生活では固定観念/既成概念を形成しません。

 この質疑応答に関連する内容には、4章2節 有形界での成長 #質疑応答の「痛み、苦しみ、困難、逆境、などを我慢して耐え忍べば、成長へつながる学びを得られるようになりますか?」がありますので参考にしてください。

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 ある内容の情報を事前に知っており、その情報へ自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく囚われて先入観/偏見を有することなく、情報に関連する物事を「あるがまま」に捉えるには、自己が「先入観/偏見を有している/有していない」の自覚の有無に関わらず、先入観/偏見を有している可能性があるのを前提に、日々の生活の中で、自覚して先入観/偏見へ気づき解消するように努める必要があります。ほとんどの先入観/偏見は有していたとしても、自覚できるものの自覚していないのです。あるがままに物事を捉えることについては、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「物事をあるがままに捉えるには、どのようにすればよいのでしょうか?」を参照してください。

 先入観/偏見は習慣(固定観念/既成概念)のひとつであり、習慣を突然に弱める、あるいは、ある物事を捉える際にのみ習慣の影響を受けずに物事を捉えることはできません。そして、様々な物事に対して有している自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない先入観/偏見は複雑につながり合っており、特定の物事に関連する内容の先入観/偏見は、他の物事を捉える際にも影響を与えています。そのため、特定の物事を捉える際にのみ先入観/偏見を有さずに捉えようとするのではなく、日々の生活の中で、様々な物事に対して先入観/偏見に基づいて捉えようとする「捉え方の習慣」そのものを弱めていくように努める必要があります。様々に有している先入観/偏見へ気づき逐一に解消に努める過程で、先入観/偏見に基づいて捉えようとする「捉え方の習慣」そのものも徐々に弱くなり、同時に、物事を捉える方向性を偏重させず(先入観/偏見を有さず)に「あるがまま」に捉える習慣が形成され強められるようになり、特定の物事を捉える際に、先入観/偏見を有さずに捉えることができるようになります。

 先入観/偏見に基づいて捉えようとする「捉え方の習慣」そのものを弱めていくために、自己が特定の物事に関連する先入観/偏見を有している状況へ気づき解消するには、事前に知り得た「先入観/偏見を形成する可能性のある情報」の内容は、無数にある「物事を捉える方向性」のひとつを通して表現されただけに過ぎないのだと明確に自覚する必要があります。自己が特定の物事を観察して、いくつもの方向性から捉え、それぞれの方向性から捉えた内容を均等に(特定の方向性から捉えた内容へ偏重せずに)全体を俯瞰[ふかん]して考察するように努めることで、先入観/偏見を有さずに「あるがまま」に捉えられるようになります。

(1000/1000) 先入観/偏見と捉え方の習慣
(1000/1000) 先入観/偏見と捉え方の習慣

 地上社会では、これまでの生活を通して知り得た情報や、形成した固定観念/既成概念によって、特定の地域で生活する者、特定の職業に就く者、特定の国籍/人種/民族の者、などへの先入観/偏見を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく有している状況は多くみられます。近年では、差別をなくすために、あるいは、特定の条件に当てはまる者を優遇/冷遇しないために、性別/年齡/国籍/人種/民族/部族/氏族を選考の基準に含めないように禁止/勧告する法的な整備がおこなわれていますが、法的な整備をおこなう以前に、入学選考、就職選考、資格/免許の取得、身分証明証、旅券(パスポート)、などの様々な書類に性別/年齡/国籍/人種/民族/部族/氏族を記入する欄が設置されている状況を省みる(どうして書類へ性別/年齡/国籍/人種/民族を記入すること「そのもの」を撤廃しないのか? 何のために記入させているのか? を考察する)必要があります。これらが記入されていることで、どれほどに公正に判断/選定するように努めていたとしても、判断/選定する際には、自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない先入観/偏見が判断/選定へ影響を与えているのです。自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない先入観/偏見から影響を受けるのは、裁判、審議、審理、審査、なども同様です。なお、日本では人種/民族/部族/氏族を記入する状況は稀ですが、地上全体では当然に記入を求められている地域が多くあります。

 先入観/偏見を含む固定観念/既成概念は、物事を偏重して捉えさせるだけでなく、物事の考察を拒否させるように「はたらきかける」状況も多くみられます。物的な物事/出来事/現象、他者の発言/行動した内容、書物の内容、などに対して、自己の有する固定観念/既成概念に基づき「そんなことは有り得ない/起こり得ない」と考察するのを拒否するのです。現実に有り得る/有り得ない(起こり得る/起こり得ない、実在する/実在しない)のと、有り得る/起こり得る/実在する可能性を考察する/考察しないは異なります。あらゆる物事は考察したうえで、有り得る/有り得ない、起こり得る/起こり得ない、実在する/実在しない、を判断すればよいのであり、可能性を考察する過程が、自覚できるものの自覚していない固定観念/既成概念(先入観/偏見/思い込み/囚われ)へ気づく切っ掛けにもなります。また、物事の考察を拒否する状況は、同時に、自己の内面/行為を内省させなくする(内省を拒否する)ために、成長の退行へつながりやすくなります。

 この質疑応答に関連する内容には、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「全体を俯瞰して捉えるとは、どのような捉え方ですか?」がありますので参考にしてください。

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 精神での思考/感情の造化や、幻想の捉え方に基づく行為、習慣/囚われに基づく行為、などの辞め方は、自己のおこなう物的な行為(発言/行動)を辞めるのと同じです。自覚しておこなっている行為は、自己の自由意志で自覚して辞めると決める(選択する)ことができます。おこなっている行為を自覚できるものの自覚していないために辞め方がわからないのです。おこなっている行為を自覚すれば、行為の土台となる習慣/囚われ(幻想の捉え方を含む)などへ意識を向けない(行為を辞める)ように努めることができます。行為の辞め方(行為へ意識を向けない方法)については、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「行為へ意識を向けないように努めるほどに、行為へ意識が向いてしまうのですが、どうすれば意識を向けないようにできますか?」も参考にしてください。

 自己がおこなう、歩く、座る、話す、書く、食べる、などの物的な行為は、これらの行為を自己が自由意志でおこなうと自覚して決めた結果として、これらの行為を自覚しておこなっています。自覚しておこなっているために、辞めると決めたのならば、これらの行為を辞めることができます。歩くのを辞めると決めれば、即時に立ち止まれるのです。

 精神での思考/感情の造化、幻想の捉え方に基づく行為、習慣/囚われに基づく行為、などを辞めるには、これらの表現/行為は「すべて自己が造り出している」ということを明確に自覚する必要があります。自己が造り出している表現/行為は、自己のみに「造り出す/造り出さない」の選択ができるのです。外環境の物事/現象/他者の言動などに反応して湧き上がる、怒り、苛立ち、悲しみ、嬉しさ、などの感情も、自己が自己の自由意志で「造り出す」と選択した結果として造り出しているのだと自覚したのならば、即時に感情を消し去る(造化を辞める)ことができるようになります。

 また、精神での思考/感情の造化、幻想の捉え方に基づく行為、習慣/囚われに基づく行為、などを辞めたいと願いながらも辞められない状況には、辞めたいけれども辞められない自己を非難することで虚栄心を満たそうとしている場合や、辞められない原因/理由を自己以外(他者など)へ責任逃避している場合、などもみられます。これらは、自覚できるものの自覚なく自由意志で「辞めない」と選択しているために、「辞められない」のだという点へ留意する必要があります。自己の自由意志で「辞めない」と選択している状況へ気づいたのならば、自覚して「辞める」という選択もできるようになります。真摯に辞めたいと願っているのか? 辞められない原因は何か? などを落ち着いて誠実に自己へ問い掛け、詳細に考察(内省)していくことで、自覚できるものの自覚なくおこなっている自由意志の選択へ気づき、辞められるようになります。

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 自己/相手の双方、あるいは、片方が、幻想による捉え方に基づいて「お喋り」をしているのではなく、双方が誠実に相手の発言の内容を理解しようと努めて会話をしている場合に、相手へ繰り返し聴き返しても聴き取れない語/文があるのは、相手が該当する語/文を伝えるにあたって、後ろめたさ、躊躇[ためら]い、などを、自覚できるものの自覚なく感じているためです。幻想による捉え方については、5章2節 幻想を参照してください。

 後ろめたさ、躊躇い、などを感じているのは、該当する語/文を伝えなければならない、あるいは、伝えたいけれども伝えることへ恐れ/怯えを有しているためです。この恐れ/怯えは、固定観念/既成概念の囚われ(多くの場合では常識/社会通念)によって、該当する語/文を伝えることで、会話の相手から「自身が拒絶、反発、否定、などを受けるかもしれない」と自覚できるものの自覚なく思い込んでいることで現れています。この状況は、誠実に会話をしているけれども、「保身」と呼ばれる利己性/自己中心性が自覚できるものの自覚なく現れているのです。

 保身は、誠実な生き方へ努めている場合でも、保身の行動を造り出している囚われへ気づき、囚われを弱めていくまでは、繰り返し現れる可能性があります。もしも、相手の言動にみられる保身に気づいたのならば、相手へ指摘するのではなく、同じ保身の行動を「自己が自覚なくおこなっていないか?」を内省して、自己の未だ自覚できるものの自覚していない囚われを発見する(自覚する)ように努める必要があります。なお、不誠実な生き方をしているとしても、誠実な生き方をしている者と同様に、囚われに基づく「自覚できるものの自覚のない保身の行動」はみられますが、寧[むし]ろ、幻想による捉え方に基づいて「自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なくおこなわれている保身(責任逃避)の行動」が多くみられます。

 なお、それぞれの時代に、それぞれの地域社会や、それぞれの国家/企業/団体など、また、世代の違いによって、それぞれの共同体/世代で共通して有している既成概念を土台として、共同体/世代の中でのみ成り立つ会話もあります。他の共同体/世代へ属している者と会話した際に、相手へ繰り返し聴き返しても聴き取れない語/文や、語/文は聴き取れるものの定義を把握できない状況もみられます。

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 断食を始めると現れる、脱力感、倦怠感、頭重、意識の不鮮明さ、食事への衝動、空腹感、などは、自己の有している固定観念/既成概念(囚われ)と関係があります。断食については、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「断食は伝統的に自己の修養へ用いられていますが、断食をすることで成長へつながりますか?」も参考にしてください。

 多くの者は、日常的に食事を摂るために、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく「食事はしなければならない」という囚われを強く有しています。そのため、短期の断食をおこなったとしても、断食を始めた初日から10日目ほどまでは、強い囚われの影響によって、脱力感、倦怠感、頭重、意識の不鮮明さ、食事への衝動、空腹感、などを感じます。断食を始めて、おおよそ10日目ほど(個々の有する囚われの強さによって日数は異なります)を経ると、「食事をしなくても何らの支障はない」と気づくようになり、食事はしなければならないという囚われは徐々に弱くなっていくために、以降は、脱力感、倦怠感、頭重、意識の不鮮明さ、食事への衝動、空腹感、などを感じ難くなります。ただし、有形体/外環境の周期や、熱/疲労、などによって、物質の心の影響力が増大すると、断続的に食事への衝動が喚起される場合もあります。

 なお、既に「食事はしなければならない」という囚われが弱くなっているのならば、断食を始めた初日から、脱力感、倦怠感、頭重、意識の不鮮明さ、食事への衝動、空腹感、などは、ほとんど感じません。寧[むし]ろ、食べないことによる軽快感、爽快感、明晰感、などを感じるようになります。

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