幻想

5章 成長の実践 - 2節 幻想

個々の記述の真実度: 999.4-1000
節全体の真実度: 1000
節全体の活動性: 1000

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幻想とは

  • (1000/1000) 幻想とは、物事/現象/他者の言動などの「外環境へ表現されている内容」を、ありのままに捉えようとせずに、瞬間瞬間の自己に都合の良い方向性へ置き換えて捉えることであり、不誠実さに基づく認識方法です
    • 瞬間瞬間によって、自己に都合の良い状況は変化していくために、外環境の表現が同じ内容であったとしても、ある時は都合が良く、ある時は都合が良くなくなります
    • 分霊の心の有する経験の機能特性に保存されている「不誠実な性質の表現を造化する習慣」に基づいて、不誠実な性質の表現が造化される状況を、自由意志で自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく制御しようとしないために、外環境を「ありのまま」に認識せず、代わりに、自己に都合良く利己的/自己中心的に認識するのです
    • 幻想には、眼前に現れる外環境を瞬間瞬間の自己に都合良く置き換えて捉えるだけでなく、外環境から「瞬間瞬間の自己に都合の良い部分」のみを自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく抽出して捉える状況も含まれます
    • 利己的/自己中心的な行為や、欲望の追求は、常に、幻想による認識に基づいておこなわれており、これらの行為を造化する習慣が幻想を強め、不誠実な生き方を増強する循環を形成します
  • (1000/1000) 幻想による認識/捉え方は、自由意志で「内省しない」ことを自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく選択しているためにおこなわれています
    • 内省は、自己の行為を「あるがままに観る」活動であり、誠実さに基づいておこなわれるために、不誠実に内省をおこなう状況はありません
    • 不誠実さに基づいておこなわれるのは、内省ではなく、自己に都合の良い「妄想/思い込み」への置き換えです
    • 誠実さに基づいておこなわれる「内省」には、自己のおこなう様々な行為を観るだけでなく、不誠実な性質の表現が造化されないように制御することも含まれています
    • なお、誠実な生き方へ努めていても成長の程度が低く意識の範囲が狭いために周囲の状況が観えていないのと、利己性/自己中心性/欲望による幻想に基づいて周囲の状況を観ようとしないのは異なります
(1000/1000) 幻想と不誠実な循環
(1000/1000) 幻想と不誠実な循環
  • (1000/1000) 幻想は、外環境の物事/現象を、ありのままに認識しようとしないために、体験を通して成長につながる学びを得られません
    • 自己に都合の良い妄想/思い込みに基づいて体験を積み重ねても、成長へつながる学びは得られないのです
  • (1000/1000) 幻想による認識/捉え方は、不誠実な行為が造化されないように制御しない「不誠実な生き方」でみられ、不誠実な行為を際限なくおこなわせますが、一方で、不誠実な行為が造化されないように制御する「誠実な生き方」へ努めていても、外環境や自己の内面にみられる特定の状況では、幻想による認識/捉え方へ陥[おちい]っている場合があります
    • これは、経験へ保存されている習慣の内容と関連しており、特定の状況で、特定の習慣が喚起され、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく幻想の捉え方へ陥らせています
    • 特に、熱/疲労/疾病/怪我などの有形体の状況、場所/季節/時間帯などの外環境の状況、悩み/囚われ/思考の方向性などの精神の状況、の組み合わせによってみられる「特定の状況」では、自覚できるものの自覚なく幻想の捉え方へ陥っている場合が多くみられます
    • 幻想による認識/捉え方も、経験へ保存されている有形的認識に区分される認識方法のひとつであり、何時[いつ]に、何処[どこ]で、どのような状況であっても、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく喚起される可能性がある点へ留意する必要があります
  • (1000/1000) 人の構造の観点からみると、幻想による認識/捉え方では、有形体/無形体を通して外環境から受け入れた情報が、内的構造で絞り込まれ認識され、認識した内容を精神で表現として造化するまでの過程で、受け入れた情報を瞬間瞬間の自己に都合の良い利己的/自己中心的な内容へ自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく置き換え、置き換えた内容を自覚して認識しています
    • 外環境から受け入れた情報そのものは、瞬間瞬間の自己に都合の良い内容へ置き換えられているために自覚して認識しませんが、自覚できるものの自覚なく認識しています
    • 外環境から受け入れた情報を自覚できるものの自覚なく認識しているために、自己を内省し、受け入れた情報の内容と、置き換えた利己的/自己中心的な内容との比較を通して、幻想による認識/捉え方に陥[おちい]っている状況へ気づくことができるのです
    • 内的構造での受け入れた情報を認識して表現を造化するまでの過程についは、3章6節 内的構造を参照してください。

幻想の性質

  • (1000/1000) 幻想による不誠実な認識/捉え方では、外環境へ表現された「他者の言動」の枠組み/土台となる目的を、瞬間瞬間の自己に都合の良い目的へ置き換えて、他者の目的に基づいておこなわれた言動の内容を捉えます
    • 主に、自己の恐れ/怯えから眼を逸らして虚栄心を満たすための目的で、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく枠組み/土台を置き換えており、瞬間瞬間の自己に都合良く自己自身を欺[あざむ]いているのです
    • 他者の言動をおこなった目的が、自己に都合の良い目的へ置き換えられても、他者の目的に基づいておこなわれた言動の内容はそのままであり、意思の疎通、内容の理解、などに齟齬[そご]を生じさせるようになります
    • 幻想による「枠組みの置き換え」が、ある発言の内容を伝えた/伝えていない、ある行動を容認した/容認していない、などという不毛な諍[いさか]いを引き起こす要因となっています
    • 幻想に基づく不誠実な生き方をしている者は、用いる語が同じであったとしても、用語の定義が、誠実な生き方をしている者とは全く異なり、瞬間瞬間の自己に都合の良い定義へと置き換えられているために、不誠実な生き方をしている者と、誠実な生き方をしている者との間では、会話が成り立ちません
    • 用語の定義にみられる例として、「憐[あわ]れみ」という語は、誠実な生き方をする者には、「慈悲」の定義を有していますが、一方で、不誠実な生き方をする者には、「侮[あなど]り、嘲[あざけ]り、蔑[さげす]み」の定義であり、虚栄心を満たすために用いられています
    • 物的な行動にみられる例として、不誠実な生き方をする者は、馬鹿笑いとも呼ばれる「獣の鳴き声/唸[うな]り声」のような軽薄で奇怪な笑い方を「笑う」ことだと思い込んでいるために、誠実な生き方をする者がおこなう「微笑み」を、鼻で嗤[わら]っている、機嫌が悪い、何らかを企[たくら]んでいる、などと捉えています
(1000/1000) 不誠実さ/誠実さによる捉え方
(1000/1000) 不誠実さ/誠実さによる捉え方
  • (1000/1000) 幻想に基づいておこなわれた言動の内容を、言動をおこなった本人が確認する状況はありません
    • 自身の妄想/思い込みに基づいて言動がおこなわれているために、本人は、自身のおこなった言動の内容を確認(内省)する意志を有していません
    • 「自己が発言/行動した」は、「眼前の状況に適切な発言/行動ができた」と思い込んでいるために、発言/行動の内容を確認する必要性を自覚する状況がなく、「する/しない」と「できる/できない」の識別をできないともいえます
    • 他者の言動/出来事などの外環境の変化に基づいて自己がおこなった言動であるのならば、外環境の変化と、自己の言動の「整合性を確認する」意志を有していますが、一方で、思い込みに基づいておこなわれた言動では、確認する意志を有していないために、言動と外環境の状況には整合性がありません
    • 自己/相手の発言の整合性を確認できることが、会話を成立させるための土台であり、整合性を確認しないのならば、会話ができない(会話が成立しない)ことを示しています
    • なお、会話とは、相手のおこなった発言の目的に対して、相応する適切な応答をおこなう行為であり、必ずしも、相手が発言した内容に対して、内容に相応する応答をおこなうとは限りません
  • (1000/1000) 幻想による認識では、眼前の現実が観えていません
    • 移り変わる眼前の状況を逐一に把握せずに、既に有している習慣(妄想/思い込み/囚われ)のままに言動をおこなっているために、眼前の状況に相応する言動ができません
    • 自己の内面や、自己のおこなった行為を内省しないために、眼前の状況も自覚して観察/考察/確認しないのです
    • 自己が発言/行動している状況は自覚していても、発言/行動の目的(習慣の内容)は自覚できるものの自覚していません
    • 習慣のままにおこなわれる「自覚できるものの自覚していない」目的に基づく発言/行動が、誠実な性質を有している状況はなく、常に不誠実な性質を有しています
    • これは、ある同じ眼前の状況に対して、誠実な生き方へ努めている者は現実を観ており、一方で、不誠実な生き方をしている者は、眼前の状況が肉眼には視えていても、幻想を観ている状況を表してもいます
(1000/1000) 誠実さ/不誠実さによる理解
(1000/1000) 誠実さ/不誠実さによる理解
  • (1000/1000) 幻想による認識/捉え方は、瞬間瞬間の自己に都合良く他者の発言/行動や物事を捉え認識するのに加えて、幻想が強くなるほどに、瞬間瞬間の自己に都合の良い他者の発言/行動や物事のみを自覚して認識し、瞬間瞬間の自己に都合の良くない他者の発言/行動や物事を自覚して認識しなくなります
    • 瞬間瞬間の自己に都合の良くない他者の発言/行動や物事は、自覚できるものの自覚なく認識しています
    • 瞬間瞬間の自己に都合の良い他者の発言/行動や物事のみを自覚して認識し、自己に都合の良くない他者の発言/行動や物事を自覚して認識しなくなると、自己が幻想へ陥[おちい]っている状況へ気づくのも困難となり、際限なく幻想を強めていきます
    • 自己が幻想へ陥っている状況を他者から指摘されたとしても、指摘された内容や、指摘される行動そのものが自己に都合良くないために、指摘されたことを自覚しなくなります
  • (1000/1000) 幻想による認識/捉え方へ陥[おちい]り、瞬間瞬間の自己に都合良く物事を捉えることに囚われていると、「以前は、昔は、◯◯(他者の名称)は、などの表現」を多用する傾向がみられるようになります
    • 過去や、他者の行為へ意識が向き囚われています
    • 現在(眼前の現実)や、自己の行為/内面に意識が向いていない、あるいは、意識を向けたくないのです
  • (1000/1000) 幻想を生み出している不誠実さは、恐れ/怯えに基づいています
    • 不誠実性を生み出す根源となる「物質の心」は、恐れ/怯えを土台としており、地上で、物質の心によって造化された利己性/自己中心性/欲望(誘惑)に干渉を受けておこなった行為を造化する習慣が、分霊の心の有する経験の機能特性へ保存されると同時に、物質の心に由来する恐れ/怯えも習慣として経験へ保存されています
    • 不誠実な生き方や、不誠実な行為の根底には、常に、自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない恐れ/怯えがあり、自己を内省して、恐れ/怯えへ自覚して向き合おうとしないために、外環境を「ありのままに捉えようとする」ことにも向き合えません
    • 同時に、自己の内面に有している強い恐れ/怯えから自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく眼を逸らし続けるために、忌避/嫌悪する相手、暴力を振るえる相手、誹謗中傷して貶[おとし]める相手、差別/迫害する相手、脅迫/搾取する相手、などを常に外環境へ造り出しています
  • (1000/1000) 幻想による認識/捉え方では、瞬間瞬間の自己に都合良く、あらゆる物事/他者へ序列/優劣をつけて、自己の立ち位置を確認するのに利用します
    • 常に外環境の変化へ恐れ/怯えているために、幻想の「序列/優劣の順序」の中に自己の位置を定め、空虚な安心感を得ることで、恐れ/怯えを引き離そうとしているのです
    • 幻想の「序列/優劣の順序」は、幻想による認識/捉え方をおこなっている者の個々によって順序付けが異なり、自己の順序付けと、他者の順序付けが類似している場合もあれば、全く異なる場合もあります
    • 瞬間瞬間の自己に都合良く順序付けた序列/優劣に基づいて、自己の立ち位置を確認するための様々な「幻想による特徴ある行動」をおこないます
    • 瞬間瞬間の自己に都合良く順序付けた序列/優劣と異なる順序付けをしている「自己に都合の良い他者」には、自己が他者の順序付けに迎合するか、あるいは、他者を自己の順序付けに従わせようとする、特徴ある行動をおこないます
    • 一方で、瞬間瞬間の自己に都合良く順序付けた序列/優劣から逸脱しようとする「自己に都合の良くない物事/他者」は、自己の恐れ/怯えを際限なく増大させるために、忌避し、攻撃し、排除するための、特徴ある行動をおこないます
    • なお、「序列/優劣の順序付け」という捉え方そのものが幻想であり、実在する序列/優劣の順序付けはなく、対等/平等のみが実在しています
(1000/1000) 幻想の順序付け
(1000/1000) 幻想の順序付け
  • (1000/1000) 序列/優劣の順序付けは、故意に外環境へ敵を造り出して、敵へ非難/批判/糾弾、侮[あなど]り/嘲[あざけ]り/蔑[さげす]み、忌避/拒絶、迫害/排斥、などをおこない、自己の意識を外環境/他者へ向け続けることで、自己の内面にある恐れ/怯えから眼を逸らすためにおこなわれています
    • 外環境へ造り出した敵を、「敵」と自覚している場合もあれば、瞬間瞬間の自己に都合の良い「味方」と自覚している場合もあります
    • 瞬間瞬間の自己に都合の良い味方は、自己に都合が良くない状況では、敵として自覚します
    • 敵/味方という区別による捉え方そのものが、恐れ/怯えに基づいておこなわれているのです
    • 強い恐れ/怯えは、次から次にと外環境へ敵を造り出して、発言/行動を通して敵に攻撃させ、自己の恐れ/怯えに基づく行為を正当化するように「はたらき」かけます
    • 自己の遭遇する様々な「自己に都合の良くない物事/現象/出来事」を、敵が画策したと逐一に捉えるようになり、もしも、自己が敵と決めた他者から善意の提案/助言/支援を受けたとしても、「自己を貶[おとし]めるための策略」と自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく思い込み、拒否/拒絶、誹謗中傷、仕返し、などをおこないます
  • (1000/1000) あらゆる自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない幻想の捉え方は、妄想/思い込みであり、自由意志によって選択する選択肢の幅を狭小にし、あるいは、選択する選択肢を固定し、選択する自由を失わせます
    • 幻想の捉え方は、瞬間瞬間の自己に都合の良い妄想/思い込みを表しており、固定観念/既成概念(囚われ)と組み合わさり、妄想/思い込み/囚われに基づいた多くの行為を造り出しています
    • ただし、固定観念/既成概念は誠実/不誠実な性質の内容で構成されているのに対して、幻想の捉え方は不誠実な性質の内容のみで構成されています
    • 固定観念/既成概念については、5章4節 固定観念/既成概念を参照してください

幻想による特徴ある行動

  • (1000/1000) 幻想に基づいておこなわれる行動には、それぞれに特徴がみられますが、すべての行動の根底には、恐れ/怯えがあります
    • すべての行動は、自己から恐れ/怯えを引き離したいためにおこなわれており、引き離そうとする行動様式が数多くみられるだけです
    • 幻想の捉え方をさせる土台となる「物質の心が有する有形体を維持できなくなる状況への恐れ/怯え」は、どのようにしてでも有形体を維持させようとする狡猾性/残忍性を有しており、この狡猾性/残忍性は、物質の心が精神で利己性/自己中心性/欲望を造化するために、利己性/自己中心性/欲望を造化する習慣とともに、経験へ保存されています
    • 経験へ保存されている狡猾性/残忍性が、恐れ/怯えに喚起されて、何時[いつ]に、何処[どこ]で、どのような物事/現象/他者の言動であったとしても、自己の恐れ/怯えを引き離すための行動へ利用させるように、はたらきかけます
    • そして、幻想に基づいておこなわれる不誠実な行動も、際限のない狡猾さ/残忍さを巧妙に隠しながらおこなわれています
    • 物質の心については、3章7節 心を参照してください
  • (1000/1000) 幻想に基づいておこなわれる行動は、瞬間瞬間の自己に都合良く物事/他者を捉え、瞬間瞬間の自己に都合良く行為をおこない、瞬間瞬間の自己に都合の良くない物事/他者から眼を逸し逃げ回ることへ要約されます
    • 瞬間瞬間の自己に都合良く捉え行動する状況は、気分で行動する、感情で行動する、とも言い換えられます
    • 幻想の捉え方に基づいておこなわれる行動を権利/義務に譬[たと]えると、権利は自己に都合が良いために我先[われさき]にと行使するものの、義務は自己に都合が良くないために何時[いつ]までも果たそうとしません
    • 幻想による特徴ある行動は、狡猾性/残忍性から受ける影響が際立[きわだ]ってみられる行動であり、これらの行動以外にも幻想に基づく様々な行動がみられ、瞬間瞬間の自己に都合が良くなるように、様々な幻想による行動を組み合わせ、また、狡猾に使い分けています
    • それぞれの行動は、相互につながりを有しており、ある行動に起因して他の行動を連鎖させて引き起こし、多くの場合では、ある行動が他の行動を引き起こし、他の行動がある行動を引き起こす循環を形成しています
(1000/1000) 恐れ/怯えによる行動
(1000/1000) 恐れ/怯えによる行動
  • (1000/1000) 幻想に基づいておこなわれる行動は、自己に都合の良い利己的/自己中心的な内容を、「この内容は正当である」と自己へ思い込ませることで、外環境/他者を自己に都合良く操作するように外環境/他者へ、はたらきかけています
    • これは、詐欺師は詐欺の内容は本物であると自己へ思い込ませ、自己を騙[だま]すことで他者へ詐欺をおこなえるようになる状況へ譬[たと]えられ、先[ま]ず始めに自己を騙さなければ、他者を欺けるようにはならないのです
    • 自己への詐欺は、個体のおこなう行為だけでなく、様々な共同体の活動にもみられ、政治宣伝(プロパガンダ)、戦争、紛争、侵略、圧政、搾取、迫害、などを正当化するために用いられています
  • (1000/1000) 幻想に基づいて行動をおこなう者は、様々な幻想による行動を組み合わせて「一連の行動様式」を造り出しており、相手へ構ってもらうことで自身の恐れ/怯えから眼を逸らし虚栄心を満たすために、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく行動様式を用いています
    • それぞれの行動様式には、行動様式に対応する反応様式があり、自身の用いた行動様式に対して相手が相応する反応様式を返したのならば、自身の虚栄心を満たすことができます
    • 行動様式へ対応する反応様式は、「自身が相手へ期待する行動」とも言い換えられ、対応する反応様式も、様々な幻想による行動を組み合わせた内容で構成されています
    • 自身の用いた行動様式に対して、相手が相応する反応様式を返さなかった場合には、行動様式を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく造り変えて、相手から相応する反応様式を引き出そうとし、多くの状況では、行動様式の有する狡猾性/残忍性の程度を激化させていきます
    • 個体が複数の「一連の行動様式」を有している場合もあり、相手/周囲の状況によって自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく使い分け、できる限り相手から相応する反応様式を引き出して虚栄心を満たせるように狡猾に画策しています
(1000/1000) 行動様式と反応様式の流れ
(1000/1000) 行動様式と反応様式の流れ
  • (1000/1000) 幻想の特徴ある行動は、個体だけでなく、家庭、組織、団体、企業、国家、などの共同体でもみられます
    • 様々な行動の中でも、自己誇示、自己陶酔、選別、追随、教唆、などは、共同体で頻繁にみられ、社会の中では、特に、国家の権威を示すための威力行為や他国家への制裁/牽制として顕著に現れています
    • 共同体は個体の集まりであり、共同体を構成する個々が恐れ/怯えを土台とする幻想の捉え方に基づいて行動しているのならば、共同体も幻想の捉え方に基づく行動おこなうようになります
  • (1000/1000) 下記の「見出し」で用いられている語は、それぞれの「幻想に基づいておこなわれる行動」の目的に基づいて定義されており、社会で用いられている語の定義とは、必ずしも同じではない点に留意してください
    • 社会で用いられている語は、肉眼に視える「行動の内容」に基づいて定義されています
    • 下記の「見出し」で用いられている語が、行動の目的で定義されているために、肉眼に視える物的な「ひとつの行動(行動の内容)」に複数の「幻想に基づいておこなわれる行動(行動の目的)」が混在している場合も多くみられます

責任逃避

  • (1000/1000) 責任逃避は、自己のおこなった行為の責任を、自己以外へ押し付けようとする行動です
    • 自己のおこなった行為の結果が、瞬間瞬間の自己に都合が良くなかった場合にのみ、おこなわれる虚勢であり、自己に都合が良かった場合には、責任逃避がおこなわれません
    • 自己のおこなった行為は、自己以外に強制されたのであり、自己の自由意志による選択でおこなったのではないと自己に思い込ませることで、自己のおこなった行為の結果は、自己の責任ではないと、他者へ何としてでも認めてもらおうとします
    • 自己のおこなった行為は「自己の責任ではない」と同調してくれる他者とともに、同調してくれない他者を陰口/中傷などで攻撃して、虚栄心を満たします
  • (1000/1000) 責任逃避によって、責任を押し付ける相手は、瞬間瞬間の自己に都合の良くない他者だけでなく、道具、服装、食事、気温/湿度、雨/風、書物/テレビ番組の内容、時刻、太陽光、社会経済/情勢、物価、などの、あらゆる物事/現象が対象となります
    • 外環境の物事/現象だけでなく、自己の容姿、髪型、化粧、怪我、疾病、疲労、痛み、国籍、職業、年齢、性別、人種、民族、なども対象となり、自己を非難する自己に陶酔[とうすい]することで、虚栄心を満たそうとします
    • 加えて、自己の行動や、自己の発言に用いた語は、「誰かが言っていた/書いていた」からおこなったのであり、自己が定義した語ではないために自己に責任はない、という逃避も多くみられます
    • 地上の生活では、有形体の年齢/性別に責任逃避して、自己/他者の行為を正当化しようとする状況や、自己/他者へ行為を無理強いしようとする状況は頻繁にみられます
  • (1000/1000) 責任逃避には、自己に都合の良くない物事/出来事があれば、確証なく妄想/思い込みで、自己に都合の良くない物事/出来事は特定の他者に責任があると決めつける状況も含まれます
    • 妄想/思い込みに基づいて、責任の在処[ありどころ]を定めることで、自己の責任ではないという幻想の安心感を得ようとします
    • 自己に都合の良くない物事/出来事は、何時[いつ]の間にか自己が造り出しており、自己に「責任があるのかもしれない」という捉え方は、自己の恐れ/怯えを急激に増大させるために、決して捉えようとしません
    • 更に、特定の他者の責任であると決めつけることで、特定の他者を非難/批判/糾弾する理由として用い、虚栄心を満たそうとします
    • 特定の他者の責任であると決めつける捉え方は、自己の恐れ/怯えから眼を逸らし、虚栄心を満たせるために、犯人探し、責任追及、槍玉に挙げる、などと呼ばれる「徒党を組み集団でおこなわれる行動」を生み出す状況へもつながっています
(1000/1000) 行為者の置き換え
(1000/1000) 行為者の置き換え
  • (1000/1000) 責任逃避では、自己が些細な行動のひとつひとつをおこなうのに、他者から逐一に許可を求めようとする行動もみられます
    • 他者には関係しない「自己のおこなう行動」に対して、他者から許可を得なければ行動できません
    • 他者に許可を得て自己が行動したのならば、行動によって自己に都合の良くない結果になったとしても、許可を出した他者へ責任を押し付けることができるためです
    • 加えて、自己が自発的にすると決めた行動を、外環境/他者から強制されたかのように「自己の意志に反するけども嫌嫌ながら/不本意ながら/仕方なくしなければならない」と捉える状況も多くみられます
  • (1000/1000) 責任逃避は、幻想に基づいておこなわれる様々な行動の基本を成しており、自己が、自身のおこなう行為の責任を僅かにでも担う可能性があるのならば、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく避けようとします
    • あらゆる物事/行為は「自己の責任ではない」と逃げ回る状況は、幻想による捉え方の土台となっている「恐れ/怯えを引き離す」ための典型的な行動なのです
    • 自己のおこなう行為の責任は自己以外へ押し付けますが、他者のおこなった行為の責任を決して自己が負担したくないために、日常の生活の中では、自己が開けた窓ではないからと雨が吹き込んでいても窓を閉めない、自己が点灯した照明ではないからと誰もいない部屋の照明を消そうとしない、自己が室外へ乾した衣類ではないからと雨が降っていても取り入れようとしない、などもみられます
    • 加えて、自己がしたい行為を「他者がしたがっている」と相手へ伝える、自己が相手へ感じた反感を「他者が反感を感じている」と相手へ伝える、などの状況も頻繁にみられ、自己が責任を担うことのないように逃げ回りながらも利己性/自己中心性/欲望を満たそうとし、同時に、他者を貶[おとし]めて虚栄心も満たそうと狡猾に画策します

我儘

  • (1000/1000) 我儘[わがまま]は、自己を中心として他者の生活がおこなわれていると自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく捉え認識したうえで、他者へ応対する行動です
    • 瞬間瞬間の自己が、視て、聴いて、意識を向けている物事は、当然に他者も、視て、聴いて、意識を向けていると思い込んでおり、また、自己が決めた事柄は、相手へ伝えていなくても、相手は自己の決めた事柄を当然に知っていると思い込んでいます
    • 例として、現在に自己の視聴しているテレビ番組の内容について視聴していない相手へ突然に批評を喋[しゃべ]り始める、相手へ話しかけるものの主語がないために「何に」ついて話しているのか相手には把握できない、主語に指示語(あれ/これ)を用いるために相手の思い浮かべた指示語の示す内容と頻繁に齟齬[そご]が生じる、などがみられます
    • 日々の生活の中では、自己の食事は他者が準備/片付けをするのは当然、自己の汚した場所/壊した物品は他者が掃除/修繕するのは当然、自己の着た衣服は他者が洗濯して当然、などと自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく思い込んでいる状況も多くみられます
    • 我儘は、幼児が自己の周囲を認識する捉え方と同じであり、周囲の者たちは、自己を生活の中心として、自己のために行動していると思い込んでいるのです
(1000/1000) 自己が物事/行為の中心
(1000/1000) 自己が物事/行為の中心
  • (1000/1000) 我儘は、自己が正当と感じられる大義があれば、自己が「どのような行為」をおこなったとしても許容/容認されると思い込んでいます
    • 自己は「特別」で、自己が「どのような行為」をおこなうのも当然であり、同時に、他者が自己を優遇して応対するのも当然と思い込んでいるのです
    • おこなわれる行為は、常に利己的/自己中心的な内容であり、不誠実な行為と自覚している場合もあれば、自覚できるものの自覚していない場合もあります
    • 自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なくおこなった不誠実な行為を他者から指摘されると、理由付け、責任逃避、非難/批判/糾弾をおこないます
    • 地上社会では、店舗/企業の従業員が誠実に応対しているにも関わらず、応対が瞬間瞬間の自己に都合の良くない内容だったために、客という立場を都合良く利用して、何としてでも「仕返し(報復/復讐)」をおこない虚栄心を満たそうとする我儘も多くみられます
    • 我儘による「仕返し(報復/復讐)」は、発言/行動での嫌がらせ/陰口、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を用いた誹謗中傷の拡散、などだけでなく、飲食/商品/サービス代金を支払わない、店員への暴行/暴言、店舗/器物の損壊、謝罪を要求するだけの不当な言い掛かり(クレーム/苦情ではありません)、訴訟を起こして賠償金を請求する、殺人、などにもつながっています
    • 社会では、物的な資産の増大、知名度の向上、役職の昇進、などによって我儘を際限なく強め、他者を見下して傲岸不遜[ごうがんふそん](傲慢)に応対する状況や、受けた諫言[かんげん]へ猛反発して正当な根拠なく反撃/中傷する状況は頻繁にみられます
  • (1000/1000) 我儘は、自己が他者へおこなった不誠実な行為と、同じ内容で同じ程度の不誠実な行為を、他者が自己へおこなう状況が容認できません
    • 幻想によって造り出した主従関係(序列)では、自己が「主」であり、他者は自己へ隷属する「従」のために、自己が他者へ、自己に都合の良い行為をおこなうのは当然であり、逆は有り得ないのです
    • 他者が自己へ、他者に都合の良い行為をおこなうのは、自己への反逆と思い込んでおり、他者を忌避し、排除しようとします
    • 地上の生活では、自己は他者との約束事/合意事項を順守しません(瞬間瞬間の自己に都合が良くなくなれば一方的に破棄/反故[ほご]します)が、他者が自己との約束事/合意事項を順守しないのならば厳しく非難/批判/糾弾する状況は、個体間でも、企業間や団体間でも、国家間でも頻繁にみられ、加えて、自己に都合の良い要求を相手へ受け入れさせる切っ掛けとして、相手の一挙手一投足を非難/批判/糾弾する状況も頻繁にみられます
    • 加えて、自己/自企業/自国/自団体は、他者/他企業/他国/他団体を都合良く中傷/攻撃/牽制/威嚇[いかく]や非難/批判/糾弾しているものの、他者/他企業/他国/他団体から同様の行動を受けることに恐れ/怯えており、相手から同様の行動を受けたのならば殺害/賠償請求/殲滅[せんめつ]/破壊すると虚勢を張り脅[おど]す状況も多くみられます
    • 様々な状況の中でも、戦争/紛争は、強い恐れ/怯えと際限なく増大した利己性/自己中心性/欲望に基づいておこなわれているために、自己/自国/自集団が他者/他国/他集団へおこなった行為と同じ行為を他者/他国/他集団から受けると、自己/自国/自集団が他者/他国/他集団へおこなった行為を棚上げして、大々的に非難/批判/糾弾する、報復する、などが顕著に現れています
  • (1000/1000) 我儘には、他者が自己以外と話している内容は、自己について話していると思い込んでいる状況も含まれます
    • 自己について話していると思い込んでいる対話の内容を、自己にとって都合の良い内容と捉えるのか、自己にとって都合の良くない内容と捉えるのかは、瞬間瞬間の自己の都合で変化します
    • 自己にとって都合の良い内容と捉えた場合には、自己陶酔によって虚栄心を満たし、一方で、自己にとって都合の良くない内容と捉えた場合には、僻み/嫉妬するか、責任逃避します
  • (1000/1000) 我儘では、他者から尋ねられてもいないのに、些細な物事のひとつひとつへ、逐一に「◯◯をしてもいいよ」「◯◯を食べてもいいよ」などと許可を出す行動もみられます
    • 他者の生活は、自己を生活の中心に位置づけておこなわれていると思い込んでいるために、自己が他者へ許可を与えるのは当然と認識しています
    • 日常の中では、自己が作業に追われ困っているのを見兼ねて、相手から積極的に「手伝いましょうか?」と自己の手伝いの申し出を受けたにも関わらず、自己は相手へ「手伝いたいのか?」と尋ね返し、「どうしても手伝いたいのなら手伝っても良いよ」と許可を与える状況も多くみられます
  • (1000/1000) 我儘/責任逃避は、物的な行動の方向性が相反する方向を向いているだけの、同じ無形的な特徴を土台とする行動であり、我儘/責任逃避を瞬間瞬間の自己に都合良く狡猾に使い分けている場合が多くみられます
    • 我儘/責任逃避の土台となる無形的な特徴は、印象としてのみ理解でき、文字/図表などで有形的に表現できません
    • 我儘も、責任逃避と同様に、幻想によっておこなわれる様々な行動の基本を成しています
(1000/1000) 同じ特徴を土台とする方向性の違い
(1000/1000) 同じ特徴を土台とする方向性の違い

お喋り

  • (1000/1000) お喋[しゃべ]りは、自己が幻想による認識/捉え方に基づいて、他者に投影した自己へ話しかける自覚のある行動です
    • お喋りをしている双方が、相手ではなく、相手へ投影した自身へ喋りかけているために、相手の発言の内容は不要であり、傍[はた]からお喋りを観ている者には、互いの発言の内容はちぐはぐで、脈絡なく内容が移り変わっていく状況に気づいていますが、お喋りをしている当事者たちは、会話が成り立っていると思い込んでいます
    • 会話とは、相手の発言の目的に対して相応する適切な応答をおこなう行為のために、お喋りは、お互いが幻想の捉え方をしている者の場合にのみ成り立ちますが、幻想の捉え方をしていない者とは全く成り立ちません
    • お喋りは、噂[うわさ]話、妄言、陰口、中傷、などの土台となり、虚栄心を満たすための安易で効率の高い行動でもあります
  • (1000/1000) お喋りをおこなう際には、自己に都合の良い結論が事前に決まっており、自己に都合の良い結論に基づいて相手と対話しています
    • ただし、事前に決まっているのは自己に都合の良い結論のみであり、結論へ至る発言の筋道は決めていないために、発言の内容に整合性/一貫性がありません
    • 自己は自身の発言している内容を内省しないために、整合性/一貫性がなく、辻褄[つじつま]の合わない内容を発言していたとしても気づきません
    • 自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく事前に決めている自己に都合の良い結論は、快/不快の感情と密接に関連しています
    • 相手が自己に都合の良い結論へ同意してくれているのは当然と思い込んでいるために、対話している双方が、それぞれ自身に都合の良い結論に基づいて発言しており、対話の後に、ある内容を言った/言ってないという不毛な諍[いさか]いを生み出す状況が多くみられます
    • 対話している一方が、自己に都合の良い結論に基づいて発言している場合に、他方が「結論に基づいて発言している状況」を指摘しても気づきません
    • なお、相手に「指摘される行動そのもの」が自己に都合の良くない物事のために、自己が結論に基づいて発言している状況を指摘されると、今後に、相手を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく忌避する対象として扱うようになります
  • (1000/1000) お喋りでは、自己が、他者に投影した「瞬間瞬間の自己に都合の良い自己」へ話しかけることで虚栄心を満たせるために、自己の発言を他者に遮[さえぎ]られたとしても、何としてでも自己の発言を続けようとします
    • 自己の発言を続けようとする状況には、相手が自己の発言を遮り発言しても、相手の発言に並行して自己の発言を続ける場合と、相手が発言し終えた後に相手の発言した内容に脈絡なく遮られた自己の発言の内容を再開する場合がみられます
(1000/1000) 自己の他者への投影
(1000/1000) 自己の他者への投影

独り言

  • (1000/1000) 独り言は、自己が幻想による認識/捉え方に基づいて、自己へ投影した、自己に都合の良い自己へ話しかける自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない行動です
    • 独り言は、独りでお喋りする行動であり、外環境の状況に対して、瞬間瞬間の自己に都合良く利己的/自己中心的に反応した内容を話しかけています
    • 有形体を通して外環境へ発話している場合もあれば、自己の内面のみで発話している場合もあります
    • お喋りと同様に、虚栄心を満たすための行動ですが、他者に独り言へ応対してもらえると、更に虚栄心が満たされ、増長し、独り言が増加していきます
    • 独り言は、自己の非難にも頻繁に用いられ、自己を非難する自己に陶酔[とうすい]することで、虚栄心を満たそうとします
  • (1000/1000) 寂しさを紛[まぎ]らわせるために、独り言がおこなわれる場合も多くみられます
    • 寂しさ、孤独感、なども感情に含まれ、その根底には恐れ/怯えがあり、恐れ/怯えから眼を逸らすために独り言がおこなわれています
    • しかし、独り言をおこなっても、寂しさ、孤独感、などが緩和される状況はなく、独り言をおこなったことによって、寂しさ、孤独感、などは増強され、更に独り言を増加させる循環を形成します
  • (1000/1000) 独り言では、自己が、自己に投影した「瞬間瞬間の自己に都合の良い自己」へ話しかけることで虚栄心を満たせるために、他者を必要とせずに自己のみで虚栄心を満たすことのできる安易で効率の高い行動であり、終わりなく続ける強い依存性を有しています
    • 自己が独りでテレビ番組/ラジオ番組/映画/音曲を視聴しながら、広告/パンフレット/雑誌を読みながら、店舗で商品を眺めながら、ウェブサイトを閲覧しながら、これらの内容へ逐一に返答/批評する状況がみられるようになります
    • 独り言が日常の中で恒常化しておこなわれるようになると、独り言と、お喋りの境界が不鮮明になり、自己に投影した「瞬間瞬間の自己に都合の良い自己」へ話しかけると同時に、他者に投影した「瞬間瞬間の自己に都合の良い自己」へ話しかけるようになります
(1000/1000) 自己の自己への投影
(1000/1000) 自己の自己への投影

生返事/空返事

  • (1000/1000) 生返事/空返事は、自己のおこなった行為へ誠実に向き合って内省しようとしないために、他者へも誠実に向き合って応答できない行動です
    • 相手の発言の内容が、瞬間瞬間の自己に都合が良くないために、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく応答したくないのです
    • 応答したくない自己を、自己/他者から隠すために、何らかの物事へ熱中しているように見せかけ、相手へ明確に応答しない状況に対する恐れ/怯えから眼を逸らそうとしています
  • (1000/1000) 生返事/空返事には、相手から受けている「自己への質問/確認」の発言を途中で遮[さえぎ]って、自己の短い返答を繰り返す状況も含まれます
    • 例として、「しない、しない、しない」や、「要らない、要らない、要らない」、などの拒否/否定する内容の語を繰り返す場合が多くみられます
    • この返答は意固地とも密接に関連しており、発言の内容が瞬間瞬間の自己に都合良くないだけでなく、相手も瞬間瞬間の自己に都合良くないために、相手への応対そのものをしたくないのです
  • (1000/1000) 生返事/空返事は双方ともに、自己の応答する内容や、応答する相手へ意識が向いていないために、眼前の状況に不適切な応答内容を返しますが、両者では応答内容の有無が異なります
    • 生返事は、相手の発言内容に対して、内容が不明確で齟齬[そご]のある応答を返します
    • 空返事は、内容のない(応答に相当しない)受け答えをします
(1000/1000) 自己/他者へ誠実に向き合う
(1000/1000) 自己/他者へ誠実に向き合う

侮り/嘲り/蔑み

  • (1000/1000) 侮[あなど]り、嘲[あざけ]り、蔑[さげす]みは、他者を用いて、自己が幻想に基づいて造り出した順序付けの中での「自己の立ち位置」を確認するための行動です
    • 幻想に基づいて、自己よりも他者は劣っていると決めつけることで、相対的に自己は優れていると思い込むためにおこなわれる虚勢であり、お喋り/独り言と組み合わさることで、虚栄心を満たします
    • 自己よりも他者の立ち位置が低いと決めつけても、自己の立ち位置が高くなる状況は決してないために、常に、侮り/嘲り/蔑み続けなければならなくなり、外的な虐[いじ]めや、内的な苛[いじ]めの激化にもつながっています
    • 自己の恐れ/怯えている内容は当然に相手も恐れ/怯えていると思い込んでいるために、自身の恐れ/怯えている内容で相手を侮り/嘲り/蔑みます
    • 侮り/嘲り/蔑みは、独り言とあわせて、自己を非難するためにも頻繁に用いられており、自己を非難する自己に陶酔[とうすい]することで、虚栄心を満たそうとします
  • (1000/1000) 侮り/嘲り/蔑みには、瞬間瞬間の自己に都合の良くない情報を非難/批判/糾弾する状況も含まれます
    • 恐れ/怯えは、自己の意見を補強してくれる情報のみ、自己の意見に同調してくれる者のみを求めるために、もしも、自己の意見を補強してくれない情報があるのならば、情報の内容や情報の発信者を非難/批判/糾弾し、また、自己に同調してくれない者は敵として嫌悪し、忌避し、迫害します
    • 敵とは、自己が他者へ投影した「自己に抱いている恐れ/怯え」の感情であることを自覚できるものの自覚していないために、他者を侮り/嘲り/蔑む行動は、自己を侮り/嘲り/蔑む行動であり、結果として、自覚できるものの自覚なく自己嫌悪に陥[おちい]り、恐れ/怯えを増強して、更に他者を侮り/嘲り/蔑む循環を形成します
  • (1000/1000) 相手との応対において、瞬間瞬間の自己に都合の良い他者を引き合いに出して相手と他者を比べ、相手を非難/批判/糾弾する、あるいは、侮り/嘲り/蔑む状況もみられます
    • 例として、「◯◯(他者の名称)は△△をできるのに、あなたは△△をできない」、「◯◯(他者の名称)は私へ△△をしてくれるのに、あなたは△△をしてくれない」、などが挙げられます
    • 自己は相手へ劣等感や恐れ/怯えを自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく感じ取っているものの、何としてでも相手を利用して虚栄心を満たしたいために、相手を自己と比べるのではなく、相手を自己に都合の良い他者と比べて優越感を得ようとしているのです
    • 親が子供を叱る際に、子供の兄弟姉妹や、子供の友人と比べて評価し、子供を自己に都合良く行動させようとする状況も頻繁にみられます
  • (1000/1000) 侮り/嘲り/蔑みは、相手を自己と対等ではなく劣っていると決めつける捉え方が共通していますが、外環境へ表現される行動の手段が異なります
    • 侮りは、眼差し/視る行動へ重点が置かれており、蔑視[べっし]とも呼ばれています
    • 嘲りは、笑い方/話し方などの発言する行動(発言の内容とは関係しない)に重点が置かれており、嗤[わら]う/嘲笑[ちょうしょう]とも呼ばれています
    • 蔑みは、態度/挙措などの有形体の動作に重点が置かれています
    • 侮り/嘲り/蔑みは、3つが同時におこなわれている状況も多くみられます
(1000/1000) 他者を用いた序列の確認
(1000/1000) 他者を用いた序列の確認

自己誇示

  • (1000/1000) 自己誇示[こじ]とは、自己に関する些細な出来事を、あたかも深刻/重大な出来事であるかのように、瞬間瞬間の自己に都合良く誇張して、逐一に相手へ伝えようとする行動です
    • 恐れ/怯えを土台とする顕示欲に基づいておこなわれ、自己に構ってもらいたいための虚勢であり、お喋りとともにおこなわれます
    • 侮り/嘲り/蔑みが、自己よりも他者を劣っていると決めつけて、相対的に自己が他者よりも優れていると思い込むのに対して、自己誇示は、自己が他者よりも優れていると決めることで、相対的に自己が他者よりも優れていると思い込んでいます
  • (1000/1000) 相手へ誇張して伝えた際に、相手が構ってくれると虚栄心を満たすことができ、更に虚栄心を満たすために、際限なく誇張して伝えようとします
    • 逆に、相手が自己に都合良く構ってくれなかったのならば、相手を非難/批判/糾弾するか、あるいは、自己に都合良く構ってくれるまで更に誇張して伝えようとします
  • (1000/1000) 自己誇示には、自己が実際には明確に知らない物事を、知っている/理解しているかのように振る舞う状況も含まれます
    • 自己は他者よりも常に優れていなければならないと思い込んでいるために、虚勢を保ち続けなければならず、自己に知らない物事があると認めることができません
    • 自己に知らない物事があると認めれば、自己が他者よりも劣っていると、他者から認識されてしまうと思い込んでおり、瞬間瞬間の自己に都合良く順序付けた序列が崩れてしまう状況へ恐れ/怯えています
    • 虚勢を保ち続けるために、自己の憶測した内容を、明確に知っている/理解している内容として他者へ伝えようとします
    • 同時に、発言の内容に関わらず、発言そのものに、尊大さ、不遜さ、横柄さ、高慢さ、仰々しさ、などがみられる場合も多くあります
  • (1000/1000) 自己誇示には、自己の近くへ来る者(自己の近くを通り過ぎようとする者)がいれば、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく咳払い、音を立てる、などで相手へ自己の存在に気づかせようとする行動もみられます
    • 更に、近づいて来た者を認識し、自己に都合の良くない相手(自己に都合が良くも悪くもない者/自己に都合が悪い者)であった場合には、俯向[うつむ]いて相手から眼を逸す、他の物事へ意識を向けているように態度を偽装する、などの行動を自覚しておこない、相手へ気づいていないように見せ掛けます
    • 加えて、周囲の者たちが自身へ気づいてくれないために、気づいてもらう必要がないにも関わらず、自覚して咳払い、音を立てる、などで自身の存在へ気づかせようとする行動もみられます
    • これらの行動は、自己が常に周囲の状況へ自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく恐れ/怯えているために周囲の者たちを牽制しようとする虚勢であり、同時に、瞬間瞬間の自己に都合良く自己へ構ってもらいたいためにおこなわれています
  • (1000/1000) 自己誇示では、瞬間瞬間の自己に都合の良い数人(3人ほど)を、相手以外の全員(皆/みんな/社会の全員)を総括しているかのように相手へ伝え、自己のおこなう行為を正当化させようとします
    • 自己に都合の良い数人は、瞬間瞬間の自己に都合良く抽出された数人であり、常に同じ者たちを指しているとは限らず、親族/知人/友人の場合もあれば、街中で見掛けた面識のない他者の場合もあり、中には、妄想で造り出した架空の人物や創作された物語の登場人物が含まれている場合もあります
    • 自己の意見や行動を押し通すために自己に賛同する数人を抽出して「みんなが自己(私)に賛同している」と相手へ伝える状況や、相手を非難/批判/糾弾するために自己に賛同する数人を抽出して「みんなが相手(あなた)へ反対している」と相手へ伝える状況は頻繁にみられます
    • 個体でも、企業/宗教団体の宗派などの集団でも、国家でもみられ、国家の場合では、自国に賛同する複数の国家(2-3ヶ国ほど)を抽出して「国際社会(地上にある全ての国家)が賛同/反対している」と喧伝し、自国の政策を押し通す、あるいは、自国に都合の良くない他国を非難/批判/糾弾するのに利用しています
(1000/1000) 足場を造る試み
(1000/1000) 足場を造る試み

自己陶酔

  • (1000/1000) 自己陶酔[とうすい]は、瞬間瞬間の自己に都合の良い「自己の行為」へ酔いしれる行動です
    • 自己の行為に心酔[しんすい]するとも言い換えることができ、自己のおこなった行為が、他者からみて「尊敬に値する」という利己的/自己中心的な妄想/思い込みに基づいています
    • ただし、自己のおこなった行為そのものは、常に、他者からの尊敬に値するような内容ではなく、利己的/自己中心的な内容で構成されているために、自己陶酔は、利己的/自己中心的な行為を、尊敬に値する行為であると、利己的/自己中心的に思い込んでいることになります
    • 自己陶酔は、必ずしも他者を必要としないために、自己のみで虚栄心を満たすことのできる安易で効率の高い行動であり、終わりなく続ける強い依存性を有しています
    • 陶酔するためにおこなわれる行為には、快さを得る内容だけでなく、積極的に不快を得て、不快に耐える自己を褒[ほ]め称[たた]える内容もあります
  • (1000/1000) (1000/1000) 自己陶酔は、様々な幻想による特徴ある行動と組み合わせておこなわれますが、それらの中でも、お喋り/独り言とともにおこなわれる状況が頻繁にみられます
    • 自己が発言し続ける、相手の発言を自覚して(故意に)、あるいは、自覚できるものの自覚なく聴かない、相手の発言を遮[さえぎ]り発言する、相手/他者を揶揄[やゆ]する、相手を持ち上げ媚[こ]び諂[へつら]う、自己を卑下する、相手/周囲から注目を得ようとする、などの話し方/発言の内容/行動を通して、自己へ陶酔しようと試みます
    • お喋り/独り言は、際限のない自己陶酔へ陥[おちい]りやすくなります
(1000/1000) 自己を用いた序列の確認
(1000/1000) 自己を用いた序列の確認

選別

  • (1000/1000) 選別は、瞬間瞬間の自己に都合良く、相手への応対を遊移不定に変更する行動です
    • 眼前の状況にあわせて、瞬間瞬間の自己に都合が良くなるように相手へ発言/行動をおこない、狡猾に虚栄心を満たそうとします
    • 瞬間瞬間の自己に都合の良い相手には、過剰に諂[へつら]い、煽[おだ]て、迎合して、自己の虚栄心を満たします
    • 瞬間瞬間の自己に都合の良くない相手には、不遜/横柄/傲慢な応対をおこない、自己の虚栄心を満たします
    • 選別は、相手へ公平に対等に応対できない行動であり、必ず自覚しておこなわれ、日常の些細な行為にも、職務にも、不意の出来事でもみられます
    • 社会の中では、自己が私的(プライベート)な状況で有している相手への好意、好感、嫌悪感、忌避感、差別、偏見、などの思惑/感情を公的(パブリック)な状況に持ち込み、公的な活動を通して相手へ不公平な応対をおこなう状況は頻繁にみられます
    • 職場の同僚へ、従業員/店員が客へ、教員が生徒へ、私的な思惑/感情に基づいて不公平な応対をおこない、企業/行政/組織/学校などの共同体の円滑な運営や社会的/経済的な活動を遅滞させ、共同体の成長を阻碍し、共同体の有する運命の流れを利己的/自己中心的な方向性へ流しています
    • 選別の行動による不公平な応対は、自覚しておこなっているために、瞬間瞬間の自己に都合の良い相手にも、瞬間瞬間の自己に都合の良くない相手にも、悪意のある応対をおこなっていることになります
(1000/1000) 不公平な応対
(1000/1000) 不公平な応対
  • (1000/1000) 選別には、自己のおこなった利己的/自己中心的な行為に対して、複数の相手から同じ内容で諌[いさ]められ/苦言を呈[てい]されても、相手によって自己の反応/応対を変える行動も含まれます
    • 自己の造り出した幻想の順序付けに基づき、相手によって、瞬間瞬間の自己に都合の良い反応/応対を返します
    • 瞬間瞬間の自己に都合が良くなるように、自己が侮[あなど]ると決めた相手には、批判/非難/糾弾しますが、一方で、自己が迎合すると決めた相手には、素直に受け入れているようにみせかけます
    • ただし、諌められた/苦言を呈された状況そのものが自己に都合良くないために、どちらの相手に対してでも内面では反感を抱いており、諌められた/苦言を呈された行為を一時は和らげても、しばらくの後には、元通りの程度で行為をおこなうようになります
    • 自己の近くに、自己が迎合すると決めた相手がいる際には、不誠実な言動を和らげますが、自己の近くにいない際には、元通りの程度で言動をおこないます
    • 自己の近くに、自己が侮[あなど]ると決めた相手がいない際には、元の程度で言動をおこないますが、自己の近くにいる際には、相手が嫌がると自覚したうえで、言動を更に強い程度でおこないます(故意におこなう迷惑行為/嫌がらせ)
    • 多くの場合では、自己が侮[あなど]ると決めた相手は、自己よりも成長の程度が高く誠実な生き方をしている者、あるいは、自己よりも不誠実な生き方の程度が低い者にみられます
    • 一方で、自己が迎合すると決めた相手は、自己よりも不誠実な生き方の程度が高い者にみられます
    • 自己が侮[あなど]る相手や、迎合する相手は、物的な側面で選別している場合も多くみられ、権力、地位、役職、職業、職歴、学歴、婚姻歴、所有する免許/資格、所有する物量/金銭、年齢、性別、有形体の容姿/体格、傷病歴、などで判断しています
(1000/1000) 序列に基づく応対の変化
(1000/1000) 序列に基づく応対の変化

期待

  • (1000/1000) 期待は、他者に対して、瞬間瞬間の自己へ都合の良い行為を求める行動です
    • 他者のおこなう思考/言動が、他者に投影した「自己に都合の良い自己」の思考/言動と、一致したのならば、快の感情を得ることができ、一方で、一致しなかったのならば、不快の感情を受け取ることになります
    • 快の感情は、直接に虚栄心を満たせますが、逆に、不快の感情は、自己に都合の良くない行為をした他者を非難/批判/糾弾する自己に陶酔[とうすい]することで虚栄心を満たします
    • 結果として、快/不快のどちらの感情からも、虚栄心を満たすようになります
  • (1000/1000) 期待では、瞬間瞬間の自己へ都合の良い行為を他者がおこなうまで待つだけでなく、積極的に他者から応答を引き出して、虚栄心を満たすために他者を利用する状況もみられます
    • 例として、「私のことを◯◯と思っているのでしょう?」と相手へ尋ねる状況が挙げられ、◯◯には自己にとって否定的な内容/劣っていると捉える内容が入り、相手へ尋ね、相手から「そのようなこと思っていない」と自己を肯定してもらえるような返答を引き出して虚栄心を満たします
    • もしも、相手が「そのように思っている」と返答したのならば、僻み/嫉妬によって、相手を非難/批判/糾弾し虚栄心を満たします
  • (1000/1000) 期待には、自覚して期待している状況や、自覚できるものの自覚なく期待している状況に加えて、自覚のある/自覚できるものの自覚のない複数の期待が混在している状況も多くみられます
    • 自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく自己以外へ様々な期待をする土台には、自己の虚栄心を満たしたいという自己に都合の良い欲望があります
    • 例として、自己から他者へ質問をしたにも関わらず、他者から瞬間瞬間の自己に都合の良い応答(自覚のある自己の期待する応答内容)が得られなかったのならば、他者が自己を騙[だま]そうとしていると疑い、嘘つき呼ばわりする状況は、社会の中で頻繁にみられます
    • この状況の中で、他者からの応答内容に関係なく、応答(発言そのもの)が得られる状況を自覚できるものの自覚なく期待している、あるいは、応答が得られない状況を自覚して/自覚できるものの自覚なく期待している、などをあわせて有している場合も多くみられ、他者を非難/批判/糾弾し、また、侮り/嘲り/蔑むための切っ掛けとなるように期待しており、他者が応答しても、応答しなくても、応答内容が自己に都合良くても、都合が良くなくても、自己の虚栄心を満たすために狡猾に利用しています
(1000/1000) 他者と他者へ投影した自己との一致/不一致
(1000/1000) 他者と他者へ投影した自己との一致/不一致

僻み/嫉妬

  • (1000/1000) 僻[ひが]み/嫉妬[しっと]は、他者のおこなう言動の内容を、瞬間瞬間の自己に都合の良くない内容として認識する行動です
    • 自己に都合が良くないという「自己に都合の良い」捉え方であり、他者を非難/批判/糾弾するための切っ掛けとしておこなわれます
    • 他者を非難/批判/糾弾することで直接に虚栄心を満たすか、あるいは、僻み/嫉妬によって湧き浮かぶ不快の感情へ耐えている自己に陶酔[とうすい]することで虚栄心を満たします
    • 相手への僻み/嫉妬に基づいて、他者へ「相手の讒言[ざんげん]」をおこない相手を不遇に陥[おとしい]れて自己の虚栄心を満たす状況や、相手が他者を手助けしているのを視て「八方美人だ」「偽善者だ」などと相手を揶揄[やゆ]して自己にだけ相手から都合良く構ってもらおうとする状況も多くみられます
    • 瞬間瞬間の自己に都合良く自己よりも優位にみえる他者へ嫉妬し、「自己は他者から被害を被[こうむ]っている(被害者意識とも呼ばれている)のであり、他者へ反撃するのは当然」と思い込み、他者を攻撃/威圧/牽制する、陰口/誹謗中傷を拡める、殺傷を企図する、などをおこなう状況もみられ、凄惨な事件に発展する場合もあります
  • (1000/1000) 僻み/嫉妬は表裏一体を成しており、嫉妬が僻みを生み出し、僻みが嫉妬を湧き起こらせます
    • 僻みは、相手よりも自己が劣っていると思い込み、自己へ屈折した憾[うら]み/不満を感じることであり、自己以外から自己へ方向性が向いています
    • 嫉妬は、相手が自己よりも優れていると思い込み、相手へ羨[うらや]ましさ/怨[うら]み/恨[うら]みを感じることであり、自己から自己以外へ方向性が向いています
    • 自己は、僻み/嫉妬の双方向を自覚している場合もあれば、どちらか片方向のみを自覚している場合もあり、双方向を自覚できるものの自覚していない場合もあります
  • (1000/1000) 僻み/嫉妬には、自己の状況へ直接的に関係しない他者からの提案を、提案の内容が瞬間瞬間の自己に都合が良くないと感じれば、自己が責め立てられていると捉える状況も含まれます
    • 他者からの提案は、自己の状況へ直接的に関係していない内容であり、自己の状況への諫言[かんげん]、苦言、叱責、助言、などではありません
    • 例として、午後から晴天のために、他者から(他者が自身で積極的/自発的に)自動車を掃除すると伝えられると、自己が掃除しようと思い付かなかった状況を責め立てられていると捉えて僻み、掃除しようと思い付いた他者へ嫉妬し、他者へ悪態をつきます
    • 提案の内容を、瞬間瞬間の自己に都合が良いと感じれば僻みません
    • 様々な物事/現象/出来事を陰謀論として捉えるのも、僻み/嫉妬に含まれます
    • ただし、他者が陰謀をおこなっていると捉える/思い込む(陰謀論)のと、自己が陰謀を企図するのは異なります
  • (1000/1000) 同様に、自己のおこなう行為の選択を他者に依存している者は、自己が自由意志で選択するための選択肢を他者が提案/助言として提供してくれている状況を、自己が責任追及されている(槍玉に挙げられている)、他者から強制/強要されている、他者から非難/批判/糾弾されている、などと捉える場合もあります
    • 自己が自身でおこなう行為を選択せずに他者に決めてもらいたいために、自己が選択するための選択肢を他者から提供される状況は、自己に都合が良くないのです
(1000/1000) 他者へ投影した自己から不快を受け取る
(1000/1000) 他者へ投影した自己から不快を受け取る

理由付け

  • (1000/1000) 理由付けとは、自覚できるものの自覚のない利己的/自己中心的な目的に基づいておこなった行為に対して、後から、自覚のある瞬間瞬間の自己に都合の良い理由を、行為の目的へ置き換える行動です
    • 目的を自覚できるものの自覚しないままにおこなった行為への、自覚できるものの自覚のない「後ろめたさ」があり、「後ろめたさ」を隠すために、自己が正当に感じられる都合の良い理由を後から自覚して付け加えています
    • そして、他者へ伝える必要性がないにも関わらず、行為をおこなった「瞬間瞬間の自己に都合の良い理由」を他者へ伝え、正当な理由で行為をおこなったと他者へ認めてもらい、虚栄心を満たそうとします
    • ただし、瞬間瞬間の自己に都合の良い理由が、おこなった行為の目的と一致している状況はなく、加えて、利己的/自己中心的な目的でおこなった行為に、後から目的と置き換えた理由もまた、利己的/自己中心的な内容で構成されています
  • (1000/1000) 理由付けには、ある行為をおこなった理由だけでなく、ある行為をおこなわない理由を付け加える状況も含まれます
    • ある行為をおこなわないことへ「後ろめたさ」を感じており、ある行為をおこなわない状況を正当化して、「後ろめたさ」による恐れ/怯えから眼を逸らすために、都合の良い理由を付けます
    • 同時に、自由意志で自己の行為を自覚して決定したのならば、自己のおこなう行為へ自己が責任を負わねばならなくなる状況に恐れ/怯えているために、自己の決定した行動を他者に後押ししてもらいたい、自己の行動を他者に決めてもらいたい、自己の意見を支持してもらいたい、などをおこなうようになります
  • (1000/1000) これから自己が利己的/自己中心的な目的に基づいておこなう行為に対して、瞬間瞬間の自己に都合の良い理由を、行為の目的へ置き換えようとする状況もみられます
    • これから自己のおこなう行為が利己的/自己中心的だと自覚しており、行為をおこなうことへ自覚的な(自覚のある/自覚できるものの自覚のない)「後ろめたさ/罪悪感」を感じているために、自己が行為をおこなうのに都合の良い「尤[もっと]もらしい」理由を並べ立て、行為を正当化しようとします
    • 自己が利己的/自己中心的な目的に基づいて行為をおこなうのは当然であり、行為をおこなわないという選択をする状況はありません
    • 理由を独り言で自己へ言い聴かせて自己のおこなう行為は正当だと自己に思い込ませようとする状況と、理由を尋ねられてもいないのに他者へ伝えて自己のおこなう行為を何としてでも正当化させようとする状況がみられます
    • 加えて、相手から確認、質問、諫言、指摘、非難/批判/糾弾、などを受けてもいないのに、自己のおこなった行為、あるいは、自己のおこなわなかった行為を相手へ詫びて/謝罪し、自己が行為をおこなった/おこなわなかった理由を相手へ責任逃避する状況もみられ、「どうして詫びた/謝罪したのか?」を相手から尋ねられると、詫びた/謝罪した理由ではなく、自己が行為をおこなった/おこなわなかった理由を述べるために理由付けをおこないます
(1000/1000) 行為の目的の置き換え
(1000/1000) 行為の目的の置き換え

自己憐憫

  • (1000/1000) 自己憐憫[れんびん]とは、瞬間瞬間の自己に都合の良くない境遇/状況に置かれている自己を受け入れようとしない行動です
    • 自己の境遇/状況を受け入れることができず、受け入れないために境遇/状況を考察することもできず、考察しないために境遇/状況から抜け出すこともできず、虚栄心を満たすために嘆き/悲しみ/怒り続けています
    • 自己の境遇/状況には、外環境だけでなく、自己の用いている有形体の怪我、疾病、様々な体質、容姿、体格、過食、老化、なども含まれます
    • 自己憐憫は、自己に都合の良くない状況から、自己に都合良く虚栄心を満たそうとする典型的な行動です
  • (1000/1000) 自己憐憫は、常に責任逃避をともなっており、自己の置かれている境遇/状況の責任を自己以外へ押し付けています
    • 同時に、自己と同様の境遇/状況に置かれていない者へ嫉妬し、自己の境遇/状況を他者の非難/批判/糾弾に利用して、虚栄心を満たそうとします
    • 同時に、自己と同様の境遇/状況に置かれている者へ同調して慰[なぐさ]めようとしますが、他者の境遇/状況を慰めているのではなく、自己の境遇/状況を慰め虚栄心を満たしています
(1000/1000) 自己の変化を受け入れられない
(1000/1000) 自己の変化を受け入れられない

意固地

  • (1000/1000) 意固地[いこじ]は、自己が自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく「価値をおく」と決めた物事へ、しがみつく行動です
    • 「価値をおく」とは、価値のある物事を価値があると認識する状況を指しているのではなく、自己に都合の良い物事へ、価値があると思い込む/信じ込む状況を指しています
    • 価値をおく物事は、年齢、性別、役職、経歴、などを土台として造られており、常に、利己的/自己中心的な内容であり、瞬間瞬間の自己の都合によって移り変わっていきます
    • 意固地は、価値をおくと決めた物事へしがみつくことで、変化していく外環境の「自己に予測できない不確実な未来」に対する、恐れ/怯えを回避しようとする試みです
    • 意固地による行動は、足が水底に届く浅瀬で必至に浮草へしがみつき、溺れないように奮闘している状況へ譬[たと]えられます
  • (1000/1000) 意固地には、自己に都合が良くない物事への応対の頑なさも含まれます
    • 例として、瞬間瞬間の自己が気に入らない(都合が良くない)ために、相手を無視する、相手を居ない存在として扱う、相手がしてくれた手助けで成した物事を壊し無かったものとして扱う、相手から贈り物としてもらった生活に必要とする物品を捨てて同じ物品を自身で購入する、などがあります
    • この「頑[かたく]なさ」は、自己が自覚して「価値をおきたくない」と決めた物事を排除しようとしているのです
  • (1000/1000) 他者の行為が、瞬間瞬間の自己に都合良くなくなると、意固地をおこなう状況もみられます
    • 僻[ひが]みによる意固地であり、他者を忌避/嫌悪する、あるいは、他者のおこなう行為を逐一に非難/批判/糾弾することで虚栄心を満たし、同時に、自己に都合良く応対してもらえない(構ってもらえない)状況で急激に増大させている自己の恐れ/怯えから眼を逸らしています
    • この僻みによる意固地は、他者から「自己の成長を阻碍しないための愛の行為」を受けた際にも多くみられます
    • 成長を阻碍しないための愛の行為については、5章6節 愛の行為を参照してください
(1000/1000) 自己が変化したくない
(1000/1000) 自己が変化したくない

軽率/迂闊

  • (1000/1000) 軽率[けいそつ]/迂闊[うかつ]とは、相手/周囲の状況を考慮して、自己のおこなう言動の時機/場所を決めようとせずに、瞬間瞬間の自己に都合良く、無計画/無配慮に振る舞う行動です
    • 相手/周囲の状況を観察/考察しようとしないために、瞬間瞬間の自己が「したい」と決めた言動を、したいと決めた途端におこないます
    • おこなう言動には誠実な内容が含まれている場合もあり、必ずしも不誠実な内容とは限りませんが、おこなう時機、おこなう場所、などは常に利己的/自己中心的です
    • 例として、住居の隣接する住宅街でバーベキュー/焚き火をおこなう、相手が帰宅直後の玄関で疲労困憊[こんぱい]している時に急を要しない内容の相談を持ち掛ける、電車の中で煙草を吸う/大きな声で喋る/通路に座り込む、など
  • (1000/1000) 軽率/迂闊は、眼前の状況への対応/判断が刹那的であり、計画的/建設的に物事を捉えて対応/判断できません
    • 相手が短期/中期/長期的には自己に都合の良い行為をおこなっていたとしても、瞬間瞬間の自己に都合が良くなければ(今この瞬間に自己の虚栄心を満たせないのであれば)、相手を敵とみなして非難/批判/糾弾し、あるいは、劣っているとみなして侮り/嘲り/蔑みます
  • (1000/1000) 軽率/迂闊は双方ともに、眼前の状況を観察/考察しないままにおこなう無計画さ/無配慮さを表しており、両者では無計画/無配慮の程度が異なります
    • 軽率は、日常的に考慮する程度が低いための無計画/無配慮を表しています
    • 迂闊は、日常的に考慮する程度よりも一時的に低い段階での無計画/無配慮を表しています
    • 地上社会では、常に軽率な発言/行動で、軽率に加えて度々に迂闊な発言/行動となる生き方をしている者が多数みられ、迂闊でも軽率でもない生き方をしている者は少数です
  • (1000/1000) 軽率/迂闊には、自己のおこなう行動について相手へ伝えるものの、自己のおこなう行動に対して、相手へ留意してもらいたい内容は伝えない状況も含まれます
    • 相手には関係のない「自己のおこなう行動」についてのみ相手へ詳細に伝えますが、相手へ関係する「留意しておいてもらいたい内容」について相手から問われると、返答できない、あるいは、理由付けをおこないます
    • そして、自己のおこなう行動に対して、相手へ留意してもらいたい内容を伝えていないにも関わらず、自己のおこなった行動に対して、相手から自己に都合の良い応対がされなかったのならば、相手を非難/批判/糾弾します
    • 例として、自己が「何処[どこ]へ何をするために外出して帰宅が遅くなる」とは相手へ伝えますが、何時頃に帰宅する可能性があるのか、自己の帰宅が遅くなることで、どのように応対してもらいたいのか、何をしておいてもらいたいのか、などは相手へ伝えませんが、自己が帰宅した際に、玄関の電灯が点灯していなかったのならば、相手へ怒りをぶつけます
    • 自己のおこなう行動を相手へ伝え、相手へ構ってもらえる状況から虚栄心を満たそうとしているのであり(虚栄心を満たすことが目的)、自己のおこなう行動の計画を相手へ伝えることが目的ではないのです
(1000/1000) 行為の割り込み/順序立て
(1000/1000) 行為の割り込み/順序立て

軽薄さ

  • (1000/1000) 軽薄さとは、一貫した方向性がなく、遊移不定で浮き漂うような軽さ/薄っぺらさをもつ表面的な言動を繰り返す行動です
    • 自身で物事を考察せずに、瞬間瞬間の自己に都合の良い捉え方や、妄想/思い込みに基づいて発言/行動するために、思考/言動に一貫性がありません
    • また、自身で物事を考察する意志が弱く、弱い意志に基づいて造化された「言動の土台となる思考」も一貫性のない不明確な内容のために、実質をともなわない空虚/表面的で軽く薄い言動を繰り返すようになります
    • 加えて、瞬間瞬間に視て聴く、マスメディアの情報、書物に記載されている内容、他者の意見、などを、自身で考察することなく盲目的に信じ込み、それらに基づいて発言/行動しているために、視て聴いた内容の移り変わりによって発言/行動の内容も移り変わり、自己に都合の良くない状況になると、盲信した内容は自己の考察した内容ではないと責任逃避します
    • 盲目的に信じ込んだ内容に基づいておこなわれる言動は、外環境から取り込んだ情報を理解/考察することなく、取り込んだ情報のままで、外環境へ言動として表現しているともいえます
(1000/1000) 行為の軽薄さ/重厚さ
(1000/1000) 行為の軽薄さ/重厚さ

手を抜く/手間を増やす

  • (1000/1000) 手を抜くとは、物事の必要な工程を瞬間瞬間の自己に都合良く省略する行動のことです
    • 瞬間瞬間の自己に都合の良い認識/捉え方では、物事を誠実に成し遂げる一貫した意志を有していないために、言動に計画性がなく、刹那的で、物事の必要な工程を逐次に遂行できません
    • 手を抜く行動は、日常の些細な物事に始まり、乗り物の運転、職務、学業、行政/国家の運営、などに至るまで、幅広くおこなわれており、粗雑さ、騒々しさにもつながります
    • 手を抜いたことによって、自己に都合の良くない結果が起きた場合には、責任逃避をおこないます
  • (1000/1000) 手間を増やすとは、物事の必要な工程へ、瞬間瞬間の自己に都合の良い不要な工程を付け加える行動のことです
    • 自覚できるものの自覚なく手間を増やす状況に比べると、自覚して手間を増やす状況が多くみられます
    • 手間を増やすことが優れていると自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく思い込んでおり、増やした手間によって無用に引き伸ばされた物事の工程を遂行している自己へ陶酔して虚栄心を満たしています
    • 虚栄心を満たしたいという行動の目的を自覚している場合もあれば、自覚できるものの自覚していない場合もありますが、どちらの場合でも共通して、本人は増やした工程は「適切で必要だ」と自覚して思い込んでいます
    • 結果として、増やした様々な手間のために自己/他者の時間/労力を浪費し、必要な物事の工程が遅延する、あるいは、何時[いつ]までも進行しないようになります
  • (1000/1000) 手間を増やす行動のひとつには、発言の内容に修飾語(形容詞/副詞/感動詞/擬声語)を多用する、婉曲[えんきょく]した話し方を多用する、などが頻繁にみられ、相手へ伝えようとする内容や、発言の目的が不鮮明となり、相手は伝えられている内容を適切に把握し難くなる状況があります
    • 修飾語/婉曲な話し方を多く用いるのは、理由付け、自己陶酔、自己誇示、などとも関連しています
    • 話し方に加えて、ひとつひとつの動作や相手への応対を大仰/大袈裟におこなう不要な行動、発言の目的とは関係しない不要な内容の発言、なども多くみられます
    • なお、お喋り/独り言は、行動そのものが「手間を増やす」不要な目的でおこなわれる行動です
  • (1000/1000) 手間を増やす行動には、些末な内容へ意識を囚われ続けている状況も含まれます
    • 意識を囚われている(意識を向け続けている)のは、利己的/自己中心的な内容であり、責任逃避と密接に関連しています
    • 精神全体の表現を造化する工程が不要な内容で埋め尽くされており、現状を変えるために必要となる建設的な思考が造化できなくなっているのです
    • 例として、夏季に「暑い暑い」という不平不満の思考/感情を造化し続け、更に「暑い暑い」と愚痴る、があり、不平不満の思考/感情や愚痴を続けていても、自身が自身の自由意志で造化している不誠実な思考/感情を高い気温へ責任逃避しているだけであり、何ひとつ現状(自身の内面での捉え方)を変化させようとはしていません
    • 加えて、日常の中では、幻想に基づいて不誠実に「手間を増やす」だけでなく、誠実/不誠実な固定観念/既成概念の囚われや思い込みが、生活の様々な手間を増やし、多大な時間/労力を消費させている状況も多くみられます
    • 固定観念/既成概念については、5章4節 固定観念/既成概念を参照してください
  • (1000/1000) 手を抜くことで、結果として、不要な工程を増やしている場合も多くみられます
    • 自己が手を抜いたことで、物事の必要な工程に不足が現れ、不足を補うために、「物事の必要な工程を逐次に適切に遂行していれば必要としない工程」を付け加えなければならなくなりますが、付け加えた「不要な工程」は不足を補っていません
    • 自己のおこなう行動へ不要な工程を増やしているだけでなく、他者のおこなう行動へも不要な工程を増やしていますが、自己の行動によって他者の不要な工程を増やしている状況には気づいていません
    • 例として、使用した道具を元あった場所へ戻さずに、眼に付いた場所へ放っておくことで、次に道具を使用する時に、元あった場所を探しても見つからず、探し回らなければならなくなります
    • 計画性のない刹那的な行動、粗雑/乱雑な行動/挙措、おこなった行動の結果を確認しない、などによって、必要な工程の全体を俯瞰[ふかん]して計画的に丁寧に行動していれば不要となる工程を、自覚できるものの自覚のないままに増やしているのです
    • 手を抜くことで不要な工程を増やしている行動は、日常の生活、職務、などで頻繁にみられ、自己/他者の時間/労力を浪費させ、全体の効率を低下させています
  • (1000/1000) 手を抜くのは、自己が自身で物事を観察/考察することから手を抜くために、瞬間瞬間の自己にとって都合の良い捉え方が観察/考察に取って代わることで、外環境へと表現されている行動です
    • 同様に、不要な工程を加えて手間を増やすのも、物事を観察/考察することから手を抜くために、瞬間瞬間の自己にとって都合の良い内容を付け加えようとするのです
    • 誠実な生き方をしている者たちが丁寧に観察/考察/考慮して、計画的/建設的に順序立てて遂行している物事を、観察/考察することなく無計画に刹那的に手を抜き/手間を増やして崩壊させていく状況も頻繁にみられます
(1000/1000) 行為の不足/充足
(1000/1000) 行為の不足/充足

追随

  • (1000/1000) 追随は、他者の利己的/自己中心的な行為や、欲望を追求する様子を視て、自己も同様の行為を模倣する行動です
    • 他者が利己的/自己中心的な行為をしていても、周囲の者たちから諌められていないために、自己が同様の行為をしても諌められないという、瞬間瞬間の自己に都合の良い思い込みに基づいて模倣しています
    • 追随は、他者が自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なくおこなっている不誠実な行為を、自己は不誠実な行為と自覚して認識したうえでおこなっています
    • 例として、他者が大きな音量でテレビを視ていれば自己も同等以上の音量でテレビ/ラジオ/音曲などを視聴する、店で商品の代金を支払わずにこっそりと万引きしている様子を見かければ自己も手にした商品を盗む、など
    • また、相手が自己の家族/友人/同僚などの「生活に密接に関連する者」のために、相手の不誠実な行為に迎合したくないものの、自己が相手から嫌われたくないから、あるいは、今後の自己に都合が良くないからと「現在の自己に都合良く」捉えて、相手の不誠実な行為に追随する、あるいは、相手が自己へおこなう教唆を受け入れる状況も頻繁にみられます
  • (1000/1000) 自己の模倣した不誠実な行為が諌められる/苦情を呈[てい]されると、同様の行為をおこなっていた他者が諌められていない状況を理由に、諌めた相手を批判/非難/糾弾します
    • あるいは、同様の行為を自己よりも先におこなっていた他者へ責任逃避します
  • (1000/1000) 追随で、模倣しているのは物的な言動そのものであり、言動の土台となる不誠実な目的が、模倣の元となる他者と同じではない場合も多くみられます
    • 自己は、不誠実な言動の目的が、自己/他者で異なっていると自覚したうえで、他者の不誠実な言動を模倣している場合もあります
    • 例として、他者が聴力の低下に気づかず、大きな音量を適切な音量と思い込みテレビを視ていれば、自己は他者が聴力の低下によって大きな音量を出していると認識したうえで、自己の聴力は低下していないにも関わらず、同等以上の音量でテレビ/ラジオ/音曲などを視聴します
  • (1000/1000) 追随には、他者が誠実な目的でおこなっている行為を、瞬間瞬間の自己に都合良く不誠実な目的で利用する状況もみられます
    • 自己は自身の利己性/自己中心性/欲望を満たすのに都合が良いために、他者のおこなっている行為へ表面的に便乗しているだけであり、他者が誠実な目的でおこなっている行為へ賛同しているのではありません
    • 社会でみられる顕著な例には、デモ活動(抗議活動)を自己に都合良く利用して、暴動、騒乱、掠奪[りゃくだつ]、放火、破壊、襲撃、などをおこなう状況がみられ、多くの場合では物的な暴力をともない、物的な暴力を通して狡猾性/残忍性を満たし、快楽/快感を得ています
(1000/1000) 自己に都合良く他者を模倣する
(1000/1000) 自己に都合良く他者を模倣する

教唆

  • (1000/1000) 教唆[きょうさ]は、他者の恐れ/怯え、欲望、快楽の追求、を喚起/誘発するために唆[そそのか]す行動です
    • 自己が、恐れ/怯え、欲望、快楽、に基づいて行動しているために、他者も「当然に同じ」であると思い込んでおり、それらの行動を唆し、他者へ行動させることで、自己の同類がいる状況への安心感を得ようとします
    • 同時に、自己の同類を造り出して、自己が、恐れ/怯え、欲望、快楽、に基づいて行動する状況を正当化しようとしています
    • 老化/死に対する恐れ/怯えの喚起/誘発が、他者へ最も影響を与えることができ、ほとんどの宣伝広告、多くのテレビ番組/書籍/インターネットのコンテンツ、なども、教唆に該当しています
    • 教唆は、自己のおこなう利己的/自己中心的な行為の「共犯者/共謀者」を仕立て上げる行動ともいえます
  • (1000/1000) 教唆で頻繁にみられる内容には、自己のおこなってきた不誠実な行為を他者へ伝えて自慢する行動があります
    • 自己のおこなってきた行為が不誠実だと自覚したうえで他者へ伝えており、他者がおこなわないような不誠実な行為を自己がおこなってきたことで、臆病な他者よりも自己は勇敢で優れていると思い込んでいます
    • ただし、自己のおこなってきた不誠実な行為へ自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく強い恐れ/怯えを感じており、他者へ伝えて自慢することで、恐れ/怯えから眼を逸らそうと奮闘しているのです
    • 他者へ自慢して自己の虚栄心を自覚して満たし、同時に、自己の同類を得て自己の恐れ/怯えから眼を逸らすために、他者へ自己と同じ不誠実な行為をおこなうように自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく唆しています
  • (1000/1000) 自己は他者へ教唆して、他者を自己に追随させようとしますが、追随してきた他者が自己に都合良くなくなると、他者を非難/批判/糾弾します
    • 恐れ/怯えに基づいて、自己が他者よりも常に優位でなければならないと思い込んでおり、恐れ/怯えから眼を逸らすために他者へ教唆するものの、追随する他者が自己の優位な立ち位置を脅[おびや]かすと感じ取り恐れ/怯えを増大させたのならば、他者を貶[おとし]め蹴落とそうとするのです
    • この状況は、個体だけでなく、企業/国家などの共同体にも多くみられ、例として国家の場合では、自国は核爆弾を増産して武力的な優位性を喧伝するものの、他国が核爆弾を生産するようになったのならば、脅威とみなして非難/批判/糾弾し、制裁を加えます
(1000/1000) 自己に都合良く他者へ模倣させる
(1000/1000) 自己に都合良く他者へ模倣させる

蒐集

  • (1000/1000) 蒐集[しゅうしゅう]は、瞬間瞬間の自己が必要と思い込むことで、必要としない物品/情報を溜め込む行動です
    • 恐れ/怯えは、眼前の課題/困難に対して、自己を変化させて解決する勇気を有していないために、外環境から何かを得て解決しようとします
    • ただし、外環境から何かを得て、自己の内面にある課題/困難が解決される状況はないために、解決されないことで恐れ/怯えを強め、更に外環境から何かを得ようとする循環を形成するようになり、際限なく膨れ上がる欲望として表れます
    • そして、溜め込んでも、手放すことに恐れ/怯えがあるために、際限なく溜め込み続けていきます
    • 自己の内面にある課題/困難も恐れ/怯えを土台としている場合が多くみられ、恐れ/怯え(課題/困難)から眼を逸らすために、外環境へ意識を向け続けているともいえます
    • 蒐集には、あらゆる物品が対象となり、日用品、衣服、宝飾品、書物、お金、権力、資格、情報、など以外にも、必要とするよりも多く/長くエアコンを使い続ける、必要ではないのに電灯を点ける、集中して視ていない/聴いていないのにテレビ/音曲を流し続ける、なども含まれます
    • 加えて、自己の内面にある課題/困難(恐れ/怯え)から眼を逸らすために、美食/大食/飲酒/喫煙を繰り返す、快楽/快感を追い求め続ける、テレビ番組/ドラマ/映画/ビデオゲーム/カラオケ/特定の活動に熱中する、などの物品以外へ意識を向け続ける状況も蒐集に含まれます
  • (1000/1000) 恐れ/怯えに基づく内面の不安定性は、肩書き、ラベル付け、何らかへの所属/帰属、などを際限なく求めさせます
    • 例として、必要でないにも関わらず、様々な資格を次々に取得する、様々な組織/団体に加入する、などがみられます
    • そして、肩書き、ラベル付け、何らかへの所属/帰属、などを他者へ誇示して虚栄心を満たそうとします
  • (1000/1000) 蒐集は、部屋の片付けができない、持ち物を整理できない、物品/書物/書類/情報などを溜め込む、掃除しない、などとして生活に現れている状況も多くみられます
    • これらの状況は、自己の内環境で、自身に必要な物事と不要な物事を考察して判別しない「有形的/無形的な状況」が、外環境へ物的に反映されています
    • そして、外環境へ物的に反映された物事が、相応する物事を引き寄せ集めます
    • 例として、内環境での利己性/自己中心性/欲望に基づく「物事を考察しない無形的な怠惰」が、直接にダニ/ゴキブリなどの動物を外環境へ物的に造化しているのに加えて、内環境で物事を考察しない無形的な怠惰が外環境へ反映されて現れた「部屋を片付け掃除しない物的な行動」がダニ/ゴキブリを呼び寄せています
    • 利己性/自己中心性/欲望によって造り出された動物については、有形界の構造 #有形界の造化を参照してください
(1000/1000) 不安定性の解消を試みる
(1000/1000) 不安定性の解消を試みる

騒々しさ

  • (1000/1000) 騒々しさは、自己の内面の静けさや、外環境の静寂へ耐えられずに、膨れ上がる恐れ/怯えから眼を逸らすために騒ぐ行動です
    • 複数人で物的に騒ぐ、大きな声で喋る、騒ぎ立てる、スポーツの熱狂的な観戦、コンサートへの熱狂的な参加、などだけでなく、自己の現在の状況へ向き合うことから逃げる行動のすべてが含まれます
    • 独りで騒ぐ行動には、テレビ/ラジオ/音曲などを常に鳴らしている、大きな音量を出す、雑誌/書物/インターネットなどで現在の状況に関係のない情報を取り込み続ける、賭け事/ゲーム/飲酒/カラオケ/ビデオゲームなどに熱中する、常に口笛を吹いている/歌っている、などがあります
    • また、騒々しさには、外環境への物的な行動だけでなく、外環境との関わりを断ち、他者を避けて引き籠[こ]もる行動なども含まれ、周囲の者が瞬間瞬間の自己に都合良く応対してくれない状況への恐れ/怯えに基づいておこなわれていますが、自己の内面には恐れ/怯えに基づく強い騒響(騒しさ)があります
    • どれほどに騒いでも、現在の状況が自己に都合良く変化することはないために、自己の内面と向き合う勇気をもつまでは、終わりなく際限なく騒ぎ続けるようになります
    • 人の構造から捉えると、精神で並列/並行しておこなわれる「表現を造化する工程」を統制できていない状況、あるいは、自覚して/自覚できるものの自覚なく統制しない状況が、内面へ不安定性を生み出しており、外環境に様々なもの」を追い求める行動や、外環境へ「騒々しい話し方/行動/挙措/態度」として現れているのです
  • (1000/1000) 騒々しさは、回転する独楽[こま]に譬[たと]えられ、回り続けていなければ不安定になり、回転する速度が低下しても不安定になり、回転する速度を上げ続けることでしか、安定させられなくなります
    • 現在の回転する速度よりも低下すると、空虚な安心感が得られず、恐れ/怯えが増大するのです
    • そして、少しでも回転する速度を向上させたのならば、その速度から僅かに低下するだけでも恐れ/怯えを増大させるようになり、速度を向上させ続けなければ、空虚な安心感を得られなくなります
  • (1000/1000) 騒々しさは、乱雑/粗暴な行動を生み出す状況へつながります
    • 例として、大きな音を立ててドア/窓を閉める、物品の扱い方が荒く頻繁に壊す、片付け/掃除ができない、などがあります
    • 同時に、発言の内容に関わらず、発言そのものに落ち着きがなく、騒ぎ立てるような話し方、煽[あお]るような話し方、突き放すような話し方、などをおこなっている場合も多くみられます
  • (1000/1000) 自己が他者と同席している際に、両者の間で沈黙の続く状況は自己の恐れ/怯えを増大させるために、恐れ/怯えから眼を逸らすためだけに必要性のない内容を話しかけて騒ぎ立てようとする状況も頻繁にみられます
    • 多くの場合では、話しかける内容は、自己の虚栄心を満たすための利己的/自己中心的な内容で占められています
    • 他者が「自己に都合良く応対してくれるのか?」を判断するために、他者へ必要性のない内容を話しかける状況も多くみられ、お喋りをおこなう切っ掛けにも利用しています
(1000/1000) 不安定性から眼を逸らす
(1000/1000) 不安定性から眼を逸らす

成長の道標

  • (1000/1000) 幻想による物事の捉え方から脱却するには、自己のおこなった行為を内省して、行為の内容と、行為の目的を自覚するように努め、不誠実な行為をおこなわないように制御し、恐れ/怯えを土台とする「不誠実な性質の表現を造化する習慣」を弱めていきます
    • 地上では、有形体を用いて生活するために、有形体の内包する「物質の心が有する恐れ/怯え」そのものを消し去ることも、制御することもできませんが、物質の心が有する恐れ/怯えに基づいて形成され、経験に保存されている習慣を弱めることはできます
(1000/1000) 幻想からの脱却
(1000/1000) 幻想からの脱却
  • (1000/1000) 幻想による認識/捉え方は、眼を閉じて妄想の中で生活している状況へ譬[たと]えられ、妄想は常に瞬間瞬間の自己に都合良く造り出せますが、眼前の現実は常に自己へ都合が良いとは限りません
    • 恐れ/怯えが眼を閉じさせ妄想の中へ浸[ひた]らせているために、勇気をもって眼を開ける(内省する)だけで眼前の現実が視えるようになります
    • 長期に渡って眼を閉じたままでいると、眼を開いても始めは眼前の現実が鮮明に視え難いですが、常に眼を開けて視るように努めているのならば、徐々に鮮明に視えるようになります
    • 実際には、ある眼前の現実には眼を開け、他の眼前の現実には眼を閉じている場合も多くみられるために、あらゆる現実へ眼を開けて視るように努める(常に行為を内省する)ことが重要となります
  • (1000/1000) 幻想の捉え方は、不誠実な生き方を造り出すように「はたらき」ますが、誠実な生き方へ努めている者でも、多くの状況では幻想の捉え方へ陥[おちい]らないものの、特定の状況では自覚できるものの自覚なく陥っている場合も頻繁にみられます
    • 誠実な生き方へ努めている者が、自覚できるものの自覚なく幻想の捉え方へ陥っている状況では、これまでの自己の体験を通して形成した固定観念/既成概念に基づいている場合が多いです
    • 幻想の捉え方へ陥っている状況へ気づき、幻想の捉え方から脱却するとともに、幻想の捉え方へ陥らせている土台となる固定観念/既成概念を解消していくことで、特定の状況で幻想の捉え方へ陥らなくなります
    • 固定観念/既成概念については、5章4節 固定観念/既成概念を参照してください

自問する

  • (1000/1000) 他者の言動を常に観察/考察し、幻想に基づく不誠実な言動と、幻想に基づいていない誠実な言動の違いを把握するように努め、他者のおこなっている不誠実な言動と同じ言動を、自己がおこなっていないかを自問します
    • 自己の言動は、自覚できるものの自覚していない場合が多いために、自身で自覚していない言動を自覚するのは困難ですが、容易に自覚できる他者の言動から学び、自己の言動と比較することで、自己の言動を自覚できる切っ掛けになります
    • 幻想に基づく言動は、自身の尻尾を追いかけ回っている犬に譬[たと]えられ、犬はいたって真剣に自身の尻尾を追いかけているのですが、その滑稽さは、傍から犬を観ているものには明白であり、誠実な生き方に努めているのならば、幻想に基づいておこなわれている不誠実な言動は観察して容易に識別できます
  • (1000/1000) 自問しておこなう内省は、自己が自覚していないだけで、自己が不誠実な行為を自覚できるものの自覚なくおこなっている可能性のある状況を前提にしています
    • 「自己は不誠実な行為をおこなっていない」という思い込みが、内省を阻碍し、不誠実な行為をおこなわせるように、はたらきます
    • 下記の内容を絶え間なく自問して、ひとつひとつの行為の目的を自覚するように努めます
    • 「この思考/発言/行動は、何を目的としておこなったのか?」
    • 「この思考/発言/行動は、誰のためにおこなったのか?」
    • 「この思考/発言/行動は、瞬間瞬間の自己に都合の良い利己的/自己中心的な内容ではなかったか?」
    • 「この感情は、何に恐れ/怯えて造化した表現なのか?」
  • (1000/1000) 自問を通して、行為の目的を明確に自覚することで、行為を造化している習慣の把握につながります
    • ある習慣は、類似した状況で、類似した行為を造化するために、どのような状況の場合に、不誠実な行為をおこなっているのかを自覚したのならば、不誠実な行為を造化している習慣を特定できるようになります
    • 習慣を特定/把握しない限り、習慣を弱めていくことはできない点に留意してください

習慣を弱める

  • (1000/1000) 不誠実な行為を造化している習慣を把握できたのならば、その習慣を「どれほどの困難に直面してでも修正し弱めていくことを求める」のかを、真摯に自己を内省して、自由意志で選択します
    • もしも、不誠実な習慣を弱めたいと求めていても、困難に直面する状況に臆[おく]するようならば、現在は未だ、不誠実な習慣を弱める時機ではないことを示しており、困難へ立ち向かうだけの勇気が湧いてくるまで、内省を続ける必要があります
    • 困難へ立ち向かうだけの勇気がないままに、不誠実な習慣を弱めようとしても、自己が習慣に押し潰され、恐れ/怯えを増強し、更に不誠実な習慣を強めるだけです
  • (1000/1000) どれほどの困難に直面してでも「不誠実な習慣を制御する」と決めたのならば、その習慣に基づいておこなっている不誠実な行為を絶え間なく辞める(行為へ意識を向けない)だけで、行為をおこなわせている習慣は弱くなっていきます
    • 経験へ保存されている習慣に基づいておこなっている行為は、自己の自由意志で辞める(行為を造化しない)ことを選択できます
    • ただし、習慣は即時に弱めることはできず、徐々に弱めていくことしかできないために、ある程度に弱くなるまでは、習慣に基づいて不誠実な行為を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なくおこないやすくなります
    • 習慣が、ある程度に弱くなるまでは、行為を辞めようとしながらも、行為をおこなってしまう状況へ強い苦しみを感じ取り続けますが、強い意志で行為を辞め続けるように努めます
    • 行為を辞める方法については、前節の5章1節 修養の生活を参照してください
  • (1000/1000) 不誠実な行為を辞め続ける意志が挫[くじ]けそうな時は、「限りある有形体の使用期間を、欲望の追求と、利己的/自己中心的な行為に使うのは、成長へつながらない無価値な人生の浪費でしかない」のだと自覚することです
    • 今この瞬間も、一刻一刻と有形体の使用期限へ向かっているのだと自覚し、ある行為をおこなうことで、有形体の使用期限を迎える際に後悔する可能性を少しでも感じるのならば、現在に、その行為をしないようにする必要があります
    • そして、習慣の修正を、今しなければ後悔する可能性を少しでも感じるのであれば、習慣を弱めていく勇気を奮[ふる]い立たせる必要があります
  • (1000/1000) 自己の有する不誠実な習慣を弱めていくほどに、他者のおこなう不誠実な行為が際立って観えるようになるために、他者を非難/批判/糾弾したくなる、あるいは、諌[いさ]めたくなる場合もありますが、他者のおこなう行為の責任は他者にあり、他者のおこなう行為に自己が責任を肩代わりしようとしてはなりません
    • 他者のおこなった不誠実な行為を攻撃するのも不誠実な行為であり、また、諌められて自身のおこなった行為を自覚できる者は、諌められなくても適切な時機に自身で自覚します
    • 他者のおこなった不誠実な行為に、自己が義憤を感じる必要はなく、偽善という大義を掲げて、他者を非難/批判/糾弾しようとする行為は、虚栄心を大きく膨れ上がらせるだけです
    • 自己の時間、労力、知識、技術、成長の程度、などは、他者の不誠実な行為へ浪費するのではなく、他者へ愛を拡げるために役立てるのです
    • 自己が、自身のおこなった不誠実な行為を自覚できるものの自覚していない他者へできることは、他者が自身の行為と比較するための手本/模範となる行為を常におこなうだけです
    • 他者が不誠実な行為をおこなう背後には、地獄者/地縛者が憑依して操っている状況が多くみられ、地獄者/地縛者は自覚して不誠実な行為をおこなわせているものの、操られている他者は自覚できるものの自覚しないままに不誠実な行為をおこなっている場合がほとんどであり、他者を非難/批判/糾弾しても、あるいは、諌めても、他者が不誠実な行為をおこなっているとは気づかないために、他者の成長へもつながりません

至言の紹介

(1000/1000)「瀞沁」
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
幼いがゆえに
自己に都合の良い外環境を妄想するのです
自己に都合の良い他者を期待するのです
成長するにつれて
自己の「ありのまま」の内面を観るようになり
自己の内面こそが
自己の観る外環境そのものであると
気づくようになります
(1000/1000)「瀞沁」
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
あなたが顔を伏せ、眼を逸らし
視ないようにしているのは相手ではありません
あなたの内面です

あなたが陰口を拡め、誹謗中傷し、嘲[あざけ]り
貶[おとし]めようとしているのは相手ではありません
あなた「そのもの」です

自身の臆病を相手の責任にしてはなりません
あなたのおこなう行為のすべては
あなたに責任があるのです
内面に誠実に向き合う勇気をもちなさい
(1000/1000)「瀞沁」
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
あなたの、その「ありがとう」の一言を
あなたの、その「こんにちは」の一言を
あなたの虚栄心を満たすために使っていませんか?
自己が快楽を得るために相手を利用してはいけません
自己が快感を得るために相手を消耗させてはいけません

輝きのない目的で用いられた言葉は
どのような言葉も輝きはしないのです
言葉は誠実な目的があってこそ輝くのですから

質疑応答

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幻想の捉え方 : 全般について

(1000/1000)

 物質の心の有する「恐れ/怯えそのもの」が幻想なのです。そして、恐れ/怯えの幻想に基づいて表現を造化する習慣が、分霊の心の有する経験の機能特性へ保存されるために、幻想の捉え方をさせるようになります。

 物質の心には有形体の状況のみが把握でき、有形体以外は把握できないために、有形体の均衡/調和が崩れ維持できなくなる状況は、物質の心にとっては自身の存在(有形体/物質の心)を消滅させる可能性があり、恐れ/怯えの対象となります。分霊の心からみれば、有形体の消滅(死)は有形体という道具を捨て去るだけに過ぎず、自己という存在(分霊/分霊の心)が消滅するのではないために、有形体の消滅に対する恐れ/怯えは「本来では」有していません。しかし、物質の心から誘惑の影響を受けて表現を造化する過程で、物質の心の有している「有形体の消滅に対する恐れ/怯え(幻想の捉え方)」が経験へ保存され、幻想の捉え方に基づいて行為をおこなうようになるのです。

 物質の心が有する恐れ/怯えは、有形体を維持できなくなる状況への恐れ/怯えを土台とする様々な恐れ/怯えで構成されていますが、そもそも、「有形体を維持できなくなるとは、どのような状況なのか?」を熟考したのならば、そのような状況は無いことに気づきます。有形体の維持できなくなる状況の終着が死とした場合に、有形体の使用期限は有形体の使用を開始する前に決めているために、自己が有形体を維持しない(自覚して/自覚できるものの自覚なく自殺を選択する)と自由意志で決めない限りは、有形体を維持できなくなって死ぬ状況はありません。疲労、飢餓、などで死に至るのは、有形体の使用期限だった場合を除けば、「疲労/飢餓などは死に至る」という自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない思い込み/囚われがあり、実際に、疲労/飢餓などの状況で、死へ至るという恐れ/怯えを自覚することによって、自由意志で自覚できるものの自覚なく死を選択しているためです。自覚のある/自覚できるものの自覚のない自殺については、4章6節 自由意志/運命 #質疑応答の「自覚のないままに自殺することを自由意志で選択している場合もありますか?」、また、3章5節 有形体 #質疑応答の「他殺が有形体の使用期限とは、どうしても納得できないのですが?」を参照してください。

 物質の心の有する「恐れ/怯えそのもの」が幻想のために、有形体の均衡/調和が充分に維持されている状況であったとしても、物質の心は常に「有形体が維持できなくなる」という幻想の恐れ/怯えに基づいて、絶え間なく様々な要求をおこないます。この幻想に基づいておこなわれる終わりのない要求が、誘惑として絶え間なく影響を与えているのです。

(1000/1000)

 不誠実な行為と非誠実な行為が、同じ内容の行為となるのか、異なる内容の行為となるのかは、語を用いている者や行為をおこなう者によって様々です。文字/言語が表す有形的な行動そのものではなく、行動の基となる無形的な目的へ焦点を向けることで、不誠実な行為と非誠実な行為が同じなのか、異なるのか、を考察できるようになります。

 不◯◯、非◯◯、無◯◯、未◯◯、などが示す違いは、◯◯をおこなわない(おこなえない)という大きな方向性(行動の目的)の中での、小さな方向性(状況に相応する行動)の違いを有しています。このサイトで用いている「不誠実な行為」の定義は、愛に基づく誠実な目的でおこなわれる行為(誠実な行為)以外の、すべての行為を指しています。そして、愛に基づかない行為(不誠実な行為)は、すべてが恐れ/怯えを根源とする利己性/自己中心性/欲望に基づいています。そのため、不誠実な行為は、利己性/自己中心性/欲望によっておこなわれる行為といえます。なお、行為には必ず誠実/不誠実の性質のどちらか、あるいは、両方の性質がみられ、誠実/不誠実の性質を示さない行為はありません。

 書物などを読む際に、語を用いる著者によって同じ用語でも定義が異なっている場合や、異なる用語であっても同じ定義を表している場合もあります。用語そのものへ焦点を向けていると、定義の違いのために記述の内容が理解できず、混乱し、溢れる情報の中で彷徨[さまよ]うようになります。有形的な用語が示す内容の基となっている「無形的な内容」へ焦点を向けることで、著者による定義の違い/用語の違いを俯瞰[ふかん]して理解できるようになります。詳しくは、6章2節 書物を読む際の留意点を参照してください。

(1000/1000)

 虚栄心とは、無いものを「有る」ように見せ掛けて、自己を欺[あざむ]く感情のことです。このサイトでは「虚栄心を満たす」という表現を用いていますが、この表現は、造化した虚栄心という感情で精神を埋め尽くしておく状況を指しています。虚栄心は、しゃぼん玉のような泡に譬[たと]えられ、泡で場(精神)を埋め尽くしておくことで、足場が造り出されているように、あるいは、場に安定性があるように思い込めるのです。しかし、泡は次々に弾け消え去っていくために、絶え間なく泡を補充し続けなければなりません。どれほどに「満たされている」ように、また、どれほどに「有る」ように自己へ思い込ませたとしても、自己は自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく「満たされていない」「無い」状況を認識しています。

 自己の内面にある拠り所が、恐れ/怯えという幻想を土台としている場合には、幻想の土台の上に幻想以外の物事をどれほどに構築しようとしても構築される状況はないために、虚栄心という幻想の感情で補おうとするのです。幻想の土台の上に構築できるのは、幻想だけなのです。これは、空気を土台にして家を建てようとする状況に譬[たと]えられ、木材や石を用いて空気の上に家を組み立てることはできませんが、空気の上に妄想で家を組み立てることはできます。ただし、妄想で組み立てられた家は実体を有していないために、常に妄想で実体があるように思い込ませ続ける必要があります。

 詐欺師は「詐欺の内容は本物である」と自己へ思い込ませ、自己を騙[だま]すことで、他者へ詐欺をおこなえるようになるのと同様に、虚栄心は自己に対する詐欺であり、自己を騙すことで、他者を欺けるようになります。重要なのは、絶え間なく自己を騙し続けなければ詐欺が破綻[はたん]してしまう点にあります。そのため、虚栄心を満たせば満たすほどに、更に虚栄心を満たさねばならなくなります。僅かにでも虚栄心が満たせなくなると、自己への詐欺が破綻してしまうのです。

 自己のおこなった行為を内省する際の参考として、自己が、自覚して虚栄心を満たす目的でおこなった発言/行動は、他者から「虚栄心を満たす目的」に対して指摘/諫言[かんげん]を受けると感情で反応する場合もあれば、感情で反応しない場合もみられます。一方で、自己が、自覚できるものの自覚なく虚栄心を満たす目的でおこなった発言/行動は、他者から「虚栄心を満たす目的」に対して指摘/諫言を受けると感情で反応しやすいです。

(1000/1000)

 行為へ付与された不誠実な性質の活動性の程度は、無形的に世界の進化を停滞させる程度と関係しますが、一方で、物的に現れる規模、凄惨さ、などとは関係がありません。行為へ付与された不誠実な性質の活動性の程度が高くても、あるいは、低くても、物的に大きな規模の影響や、物的に強い程度の凄惨さがみられる場合もあります。

 例として、武装集団が人々の集まる場所で自爆テロをおこなう行動よりも、お喋りを通して他者の誹謗中傷を拡める行動のほうが、行動に高い不誠実な性質の活動性の程度が付与されている場合や、強い狡猾性/残忍性を有している場合もあります。この場合では、武装集団が人々の集まる場所で自爆テロをおこなう行動は、お喋りを通して他者の誹謗中傷を拡める行動よりも、肉眼に視える物的な破壊の規模が大きく凄惨さも強く表れていますが、世界の進化を停滞させる程度は、お喋りを通して他者の誹謗中傷を拡める行動のほうが強いです。この例は、自爆テロをおこなう行動には低い不誠実な性質の活動性の程度が付与されているということを指しているのではありません。世界の進化へ与える影響は、肉眼に視える物的な規模や凄惨さでは判断できないことを表しています。

 付与された不誠実な性質の活動性の程度は「質的」であり、物的に現れる規模や凄惨さの程度は「量的」と表現できます。質的な内容と量的な内容には相関関係がみられないために、質的に低くても量的には大きい場合もあり、逆に、質的に高くても量的には小さい場合もあるのです。これは、不誠実な性質の活動性が付与された行為だけでなく、誠実な性質の活動性が付与された行為でも同様です。

 質的な程度が高いほどに世界の進化へ与える影響(促進/停滞の程度)が強くなり、一方で、量的な程度が高いほどに有形的/無形的や物的に現れる影響が大きくなります。有形界では、行為へ作用する磁気的作用力の程度/量の総合が、物的な規模を決定しています。行為へ付与された誠実/不誠実な性質の活動性は、物体へ作用を与える磁気的作用力とは異なる点に留意してください。付与された活動性と磁気的作用力の違いについては、2章3節 有形界の構造 #有形的な作用力を参照してください。

 世界の進化へ与える影響と、行為の記録によって自己に還元される成長の促進/退行の程度が、物的な影響の規模ではなく、付与された活動性の性質/程度で決まるために、殺人/虐殺/迫害などの地上では凄惨さが強く表れている行動よりも、隣人への些細な陰口/悪態が、世界の進化を強く停滞させ、自己の成長を大きく退行させている状況も多くみられるのです。行為の記録については、4章7節 行為の記録を参照してください。

 この質疑応答に関連する内容には、1章4節 概要 #質疑応答の「無形的な影響の大きさと、有形的な影響の大きさには、どのような関係があるのですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 幻想による捉え方では、「自己に都合が良くない」という都合の良い捉え方も含め、常に、自己に都合が良くなくてはならないのです。幻想による捉え方で、自己に都合が悪いと認識する状況はありません。

 幻想の捉え方をさせる土台は恐れ/怯えであり、自己に都合が悪いと認識したのならば急激に恐れ/怯えを増大させるために、自己に都合が悪い、あるいは、自己に都合が良くも悪くもない、と認識する状況はなく、常に「自己に都合が良い」と認識することで恐れ/怯えを隠し、また、恐れ/怯えから眼を逸らそうとします。幻想の捉え方では、自己に都合が良いと認識する状況では「快の感情」を造化し、一方で、自己に都合の良くないと認識する状況では「不快の感情」を造化します。

 自己に都合が良くないという都合の良い捉え方は、自己の恐れ/怯えを自己以外(物事/他者)へ投影しているのです。外環境の物事や他者の行為が「自己に都合が良くない」と捉えることで、自己の外にある恐れ/怯えが自己へ向かって来ているだけで、自己の内に恐れ/怯えがあるのではないと思い込めるようになるために、自己の恐れ/怯えに向き合わずに済みます。そして、瞬間瞬間の自己に都合の良い状況は変化するために、外環境の物事や他者の行為への応対も自己の都合で移り変わっていきます。

 なお、不誠実な幻想の捉え方に陥[おちい]ることなく、誠実な捉え方に努めているのならば、外環境の物事や他者の行為が、自己に都合が良くても、都合が悪くても、都合が良くも悪くもなくても、自己の都合に関係なく、自己の物事/他者への応対が自己の都合で変化しません。

(1000/1000) 自己に都合の良い/悪い状況
(1000/1000) 自己に都合の良い/悪い状況

 あらゆる物事を自己に都合良く捉えようとする幻想の捉え方は、個体だけでなく、企業、組織、国家、などの共同体でもみられます。個体の場合には、自己に都合の良い状況のみを認識し、自己に都合が悪い、あるいは、自己に都合が良くも悪くもない、と認識する状況はみられないのに対して、共同体の場合には、共同体に都合の良い、共同体に都合が良くも悪くもない、共同体に都合の悪い、と認識する3つの状況がみられます。例として、幻想の捉え方に基づいておこなわれる国家の外交では、瞬間瞬間の自国に都合が良いのならば他国を友好国と呼び、都合が良くなくなれば(都合が良くも悪くもない状況を含む)非友好国、都合が悪くなれば敵国と呼ぶようになります。もしも、国家の運営が幻想の捉え方に陥[おちい]っていないのならば、他国を友好国/非友好国/敵国などに区別することなく、自国の都合に関わらず公平/対等な外交がおこなわれています。

幻想の捉え方 : 順序付け

(1000/1000)

 自己の有する順序付けでは、他者よりも自己が高く(自己自身が最も上位に)位置づけられており、一方で、他者の有する順序付けでは自己よりも他者が高く(他者自身が最も上位に)位置づけられています。ある者の有する順序付けが、そのままの順序で他者と共有される状況はないために、位置づけの衝突は起こりません。

 お互いの有する順序付けで、お互いが自身を相手よりも高く位置づけているために、瞬間瞬間の自己に都合が良い場合には、自己の有する順序付けで、自己よりも低く位置づけている「自己の同類と認識している(同じ不誠実な生き方をしている)他者」へ追随しますが、一方で、自己に都合が良くない場合には、自己の有する順序付けで自己よりも低く位置づけている他者へ内面で反感を抱きながら追随しています。どちらの場合であっても他者へ追随しているのは、他者を自己の同類と自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく認識しているために、追随しないことで、自己が同類と認識している他者から中傷/排斥される状況に恐れ/怯えているのです。

 そして、自己の同類と認識していない(自己と異なり誠実な生き方をしている)他者は、自己の有する順序付けでは常に下層に位置づけられており、同時に、自己が同類と認識している他者の有する順序付けでも常に下層に位置づけられているために、自己と、自己が同類と認識している他者とともに、中傷/排斥の対象となります。下層に位置づけられている中での順序の僅かな変動は、自己の有する順序付けよりも、他者の有する順序付けが自己に都合が良いと感じれば、他者の順序付けを模倣する場合もみられます。

(1000/1000) 自己/他者の有する順序付け
(1000/1000) 自己/他者の有する順序付け

 自己の有する順序付けでは、他者よりも自己が常に高く(自己自身が最も上位に)位置づけられているにも関わらず、他者を用いて「自己の立ち位置」を逐一に確認しようとするのは、「自己が最上位の位置づけ」という順序付けへの確証を他者から得られる状況が有り得ないためです。誰からも確証を得られない状況に自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない不安を感じており、幻想の安心感を得ようとして順序/立ち位置を確認しています。他者から「自己が最上位の位置づけ」への確証を得られない状況は、他者によって「自己を最上位とする順序付け」が脅[おびや]かされるのではないか? と恐れ/怯えているとも言い換えることができます。自己の有する幻想に基づいて造り出した順序付けを、他者から脅かされるという幻想の恐れ/怯えに囚われ、自己/他者の順序/優劣/立ち位置を逐一に確認して虚栄心を満たし幻想の安心感を得ようとしており、これらは全て自己の幻想を土台とする「独り遊び」をおこなっているだけに過ぎないのです。

 自己/他者の順序/優劣/立ち位置を逐一に確認して作成/更新する「自己の有する幻想の順序付け」は、本質的には、虚勢を張っている強さの順序や、有している恐れ/怯えの強さの順序となります。これらを強く有する他者ほどに上位へ位置づけていますが、自己は常に自動的に最上位へ位置づけるために、自己が虚勢を張っている強さや、自己の有する恐れ/怯えの強さは順序付けの作成/更新に関係しません。

 日常の生活の中で、相手との応対を通して、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく優劣を決めて虚栄心を満たし、幻想の安心感を得ようとする状況は頻繁にみられます。優劣を決めようとする典型的な例として、お喋りの中で、持病を自慢するのとともにおこなわれる、症状の重症度比べ、痛みの程度比べ、などが挙げられ、自己が相手よりも持病が多いほどに、重症なほどに、痛みが強いほどに自己の順序は相手よりも高いと確認でき虚栄心を満たせる場合と、逆に、自己が相手よりも持病が少ないほどに、軽症なほどに、痛みが弱いほどに自己の順序は相手よりも高いと確認でき虚栄心を満たせる場合があり、どちらの場合から虚栄心を満たすのかは瞬間瞬間の自己の状況によって変化します。順序付けは幻想の安心感を得ようとする「独り遊び」のために、瞬間瞬間の自己に都合良く優劣を決める基準が変化し、常に自己が優れていると思い込める基準で捉えています。

 自己の立ち位置(順序付け)の確認が「独り遊び」のために、結果として、立ち位置の確認に他者を必要としていません。そのため、幻想による特徴ある行動には、他者を物的に用いて虚栄心を満たす「お喋り/追随/教唆」などの行動だけでなく、他者を物的に用いずに(妄想の中で他者を用いている場合はある)独りで虚栄心を満たせる「独り言/自己陶酔/自己憐憫」などの行動もみられるのです。

(1000/1000)

 会社/企業、国家、組織、などでみられる役職は、役割を表しているだけであり、序列ではありません。ひとつの役割(役職)のみで会社全体としての職務を遂行するには効率が低いために、会社全体としての職務を遂行するうえで役割を分担しているのです。現在の地上社会では、恐れ/怯えを土台として、様々な序列を造り出すように巧妙に仕組まれており、この仕組みが既成概念を形成し、序列に基づいて物事を判断するように誘導されている点に留意してください。

 しかし、現在の地上では、どの地域にみられる社会の成長の程度も未だ低いために、多くの場合では、役職を序列/優劣と思い込み、自己に都合の良い役職を求め、形骸化した名称だけの役職にしがみつき、自身の虚栄心を満たすために利用しています。そして、企業/組織/団体などでの役職が相対的に高いほどに、職務を遂行する実力も高いとは限らず、有形体の使用年数(年齡)や勤続年数が多いだけで高い役職へ就いている状況も多くみられます。

 この役職には、教育機関での教員/生徒も含まれます。教員も、生徒も、教育機関の中での役割であり、教員が優れていて、生徒が劣っているのではありません。教員は自身の体験に基づいて貯蔵した知識を生徒へ「紹介している」だけであり、生徒が知識を有していないから知識を「授けてあげている」のではありません。教員が生徒から教わる知識も多くあるのです。同様に、師弟関係、先輩/後輩、なども序列ではなく役割を表しています。自己が、ある者に対しての師匠/先輩であったとしても、他の者に対しての弟子/後輩であり、この役割は相対的です。加えて、分霊の成長の程度も序列/優劣ではありません。個体の成長の程度は、大霊という全体の中での「担う役割」の違いを表しています。成長の程度が高くなるほどに、担う役割の範囲が拡がるために、相対的に狭い範囲を統括して管理するようになるのです。地上社会では、役職/役割を序列/優劣と思い込み、上司/教員/先輩という立場を利用して、自身の虚栄心を満たすためだけに部下/生徒/後輩へ命令する、無理強いする状況は多くみられます。

 地上社会では、幻想の序列に基づく優位性を狡猾に利用して、利己性/自己中心性/欲望を満たそうとする状況は頻繁にみられ、下記が例として挙げられます。

  • 家庭/地域社会では、親/大人というだけで子供へ強制する、年長者というだけで年少者へ命令します
  • 職場では、上司というだけで部下へ強要します
  • 役所/公安などでは、政治家/職員が公権力を有しているというだけで民衆へ不遜に横暴に振る舞います
  • 店舗/施設では、客がお金を支払っているというだけで勝手気儘[かってきまま]に横柄に行動します
  • 企業間では、大企業/発注元というだけで請負企業/委託企業/下請企業に無理難題を呑ませる、金品/物品の賄賂[わいろ]や便宜を要求します
  • 国家の政治(内政/外交)では、社会の情勢、国力/政党の勢力、他国/他政党の不備/失態、政治制度、法律/判例、などを後ろ盾にして、他国/他政党との交渉/協議で強硬に拒否/反対し譲歩を引き出そうとする、あるいは、民衆の弾圧や他国を侵略する口実に利用します

 なお、日本の社会では、掃除、洗濯、調理、縫い物、などの家事を、男性よりも女性の担う場合が多くみられますが、これは、社会の中での役割分担ではなく、慣習(既成概念)です。既成概念については、5章4節 固定観念/既成概念を参照してください。

 役割分担とは、役割を遂行する能力、実力、などを有しているために担う内容を指しています。言い換えると、役割を遂行するために必要とする能力/実力などを有していないのならば、役割を遂行できないために、役割を担う状況がありません。また、誰であっても担うことのできる内容、遂行できる内容は、役割分担には当てはまりません。例として、男性と異なり、女性が子を出産できるのは有形体の特性であり、社会の役割分担のひとつに当てはまりますが、一方で、掃除/洗濯/調理/縫い物などの家事は誰でもおこなうことができます。

 多くの場合では、慣習(既成概念)を役割分担と思い込み、自己が、ある内容の行動/作業をしない理由(言い訳)に用い、同時に、当然のように他者へ押し付ける口実としています。ただし、自覚できるものの自覚なく自己が他者へ行動/作業を押し付けて逃げ回っている状況を認識しているために、慣習に囚われることなく行動/作業をおこなっている者を恐れ/怯え、嘲[あざけ]ります。例として、掃除/洗濯/調理/縫い物などの家事を積極的におこなう男性は女々[めめ]しいと言い呼ばわる、狩猟/漁業などに携わる女性を男勝りの駻々馬[じゃじゃうま]と決めつける、男性の看護師/保育士を軽蔑する、などがあります。

幻想の捉え方 : 恐れ/怯え

(1000/1000)

 恐れ/怯えを消し去っている者は、恐い/恐くないという判断基準を有していないために、あらゆる物事を「恐い」と捉える状況も、「恐くない」と捉える状況もありません。

 恐いも、恐くないも、どの程度に恐い/恐くないも、恐れ/怯えを基準とした「恐い/恐くないを対とする軸線上」での判断/捉え方です。恐れ/怯えを消し去るとは、恐れ/怯えを基準とした軸線上で物事を判断しなくなる状況を表しており、「ある物事/他者など恐くない」「自己に恐れ/怯えるものはない」という発言/捉え方をすることもありません。これらの発言は、恐れ/怯えに囚われている者が、自覚のある恐れ/怯えを隠すためにおこなう虚勢なのです。恐れ/怯えに囚われていると、何処[どこ]で、どのような状況であっても、何としてでも自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく虚勢を張ろうとするために、何時[いつ]までも物事を適切に捉えられるようになりません、あるいは、眼前の状況に適切な行為をおこなえるようになりません。軸線上での物事の捉え方については、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「行為へ意識を向けないように努めるほどに、行為へ意識が向いてしまうのですが、どうすれば意識を向けないようにできますか?」を参照してください。

 なお、恐れるから「何らかの行動をしない」というのは、恐れ/怯えに基づいた行動です。例として、今後に無形界で強く苦しみ続けて生活するのを恐れるから、地上で不誠実な生き方をしてはならないという捉え方は、恐れ/怯えに基づく不誠実な生き方をしていることになります。ある行動の結果を恐れるために行動しないのは、恐れ/怯えから逃げ回っているだけであり、自己を内省して恐れ/怯えに基づく習慣と向き合っているのではありません。結果として、不誠実な生き方をしてきたことで受ける苦しみを恐れるために、恐れ/怯えに基づく習慣を強めるという不誠実な生き方をしているのです。

 この質疑応答に関連する内容には、4章4節 質疑応答の「覚醒者が認識の表現に用いる非二元性とは何ですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 日常の生活の中で、必要とする状況でもないのに「あなたの職業は?」「あなたの年齢は?」「あなたの出身地は?」などと尋ねる場面は頻繁にみられますが、これらは、恐れ/怯えに基づく幻想の捉え方によっておこなわれている序列/優劣の順序付けが、既成概念(常識)を形成しているのです。既成概念については、5章4節 固定観念/既成概念を参照してください。

 相手へ尋ねている者は、職業の内容、年齢、出身地、などのそれぞれに自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない幻想の序列を有しており、それらの序列に基づいて、相手の生き方を判断/推測しようとしているのです。例として、医師、弁護士、政治家、などは優れた職業(序列の高い位置に据えている職業)であり、掃除、ゴミ収集、屠殺[とさつ](屠畜)、などは劣っている職業(序列の低い位置に据えている職業)と思い込んでおり、もしも、相手の職業が医師であったのならば褒め称え、掃除業であったならば言動に現さなくても内面で蔑[さげす]みます。

 現在では、未だ社会の成長の程度が低いために、恐れ/怯えに基づく順序付けによって多くの既成概念が形成されており、職業/年齢/出身地などを相手へ尋ねている目的(理由)を明確に自覚することなく相手へ質問し、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく自己の有する順序付けへ利用しています。加えて、学歴、職歴、婚姻の有無、家族構成、居住地域、資格/免許、などの物的な物事で他者を判断し、これらの内容も順序付けへ利用しています。

 そして、職業/年齢/出身地/その他の有形的な物事への質問へ応じようとしない者は、後ろ暗い生き方をしていることが知られたくないのだと決めつけています。幻想の捉え方をさせようとする物質の心は狡猾であり、相手のあらゆる応対を自己に都合良く捉えようとさせるために、自身の過去を知られたくないという恐れ/怯えによって質問へ答えたくない場合もあれば、恐れ/怯えに基づく既成概念へ囚われている質問者の「成長を阻碍しないための愛の行為」として質問へ応じない場合もあるのに気づかないのです。

 なお、学歴、職歴、資格/免許、などに代表される物的な経歴(履歴書/職務経歴書などを含む)は本人の生き方を表してはいません。生き方は、物的な内容ではなく、物的な内容(発言、行動、態度、挙措、など)を通して表れる無形的な内容(行為の目的、目的の有する誠実/不誠実の性質、思考/感情の内容、など)が決めるのです。

 この質疑応答に関連する内容には、5章4節 固定観念/既成概念 #質疑応答の「地上で最も強く有する固定観念/既成概念には、どのような内容がありますか?」がありますので参考にしてください。

幻想に基づく行動

(1000/1000)

 利己性/自己中心性/欲望は、幻想の特徴ある行動をおこなう目的の土台を構成しています。利己性/自己中心性/欲望が行動の目的を造り出し、目的に基づいて幻想の特徴ある行動がおこなわれます。なお、この利己性/自己中心性/欲望は経験の機能特性へ保存されている習慣のひとつを指しており、造化された表現としての利己性/自己中心性/欲望ではなく、物質の心から受ける誘惑(誘惑に占める利己性/自己中心性/欲望の3つの側面)そのものでもありません。表現としての利己性/自己中心性/欲望については3章9節 精神、誘惑については次節の5章3節 誘惑を参照してください

 誘惑の影響力を構成している利己性/自己中心性/欲望の3つの側面は、誘惑の干渉を受けて分霊の心が不誠実な行為を造化し、行為を造化する習慣が経験へと保存される際に、ある行為の内容が有する「利己性/自己中心性/欲望の割合」も習慣として、あわせて保存されます。この「行為の内容が有する利己性/自己中心性/欲望の割合」が、個々の有する個性の方向性と総合され、ある行為をおこなう際の「行為の目的に占める利己性/自己中心性/欲望の割合」を決定しています。

 すべての「幻想の特徴ある行動」には、利己性/自己中心性/欲望の3つが含まれており、それぞれの行動にみられる特性によって、利己性/自己中心性/欲望の占める割合は異なります。ある行動には利己性/欲望よりも自己中心性の割合が多く、他の行動には利己性/自己中心性よりも欲望が多くを占めている場合もあり、それぞれの行動によって3つの割合は様々です。それぞれの行動にみられる特性として有している利己性/自己中心性/欲望の割合が、幻想の捉え方に基づいて行動をおこなう個々が有する個性の方向性と総合されて、個々のおこなう行動に占める割合として表れます。同じ内容の行動であっても、個々によって、比較的に利己性が多くを占めている場合もあれば、比較的に自己中心性が多くを占めている場合もあります。

 例として、幻想の特徴ある行動にみられる「独り言」の行動をおこなう場合には、独り言という行動そのものの特性が「一定の利己性/自己中心性/欲望の割合」を有しており、その割合と、個々の個体が経験へ保存している習慣の総合によって表れる「個性としての利己性/自己中心性/欲望の割合」が組み合わさり総合され、個体が独り言をおこなう目的の土台となる「利己性/自己中心性/欲望の割合」を決定します。そのため、同じ独り言の行動であったとしても、ある者の独り言には自己中心性が強く表れ、他の者の独り言には利己性が強く表れるようになります。

 この質疑応答に関連する内容には、5章3節 誘惑 #質疑応答の「同じ行動に、利己性/自己中心性/欲望のそれぞれが強く表れている状況を識別できますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000) 行動の土台を構成する利己性/自己中心性/欲望の割合
(1000/1000) 行動の土台を構成する利己性/自己中心性/欲望の割合

(1000/1000)

 幻想による行動を組み合わせた「一連の不誠実な行動様式」へは、自己が他者/全体の成長を阻碍しない愛の行為によってのみ誠実な応対ができます。それ以外の応対は、行動様式に対応している幻想による行動を組み合わせた「一連の反応様式」であったとしても、対応していない反応様式であったとしても、不誠実な応対となります。愛の行為については、5章6節 愛の行為を参照してください。

 幻想による行動様式は無数にあります。同時に、行動様式へ対応する/対応しないに関わらず、反応様式も無数にありますが、これらの反応様式は、すべて幻想に基づく不誠実な行動であり、相手の行動様式を激化させるように、はたらきかけます。もしも、反応様式で応対するのならば、相手の不誠実な行為へ加担していることになり、自己/相手の成長を阻碍します。

 相手の不誠実な行為へ加担しないためには、相手が自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なくおこなっている行動(行動様式)を通して「行動の目的」を把握し、行動の目的が幻想に基づいていると認識したのならば、決して構わないようにします。構わないようにするとは、無視する、無言を返す、相手の期待する返答をしない、立ち去る、相手を居ないものとして扱う、などの行動とは限らず、相手へ行動の目的を指摘する、行動の目的を自覚するように返答する、微笑みを返す、柔らかな眼差しを向ける、なども含まれており、これらの応対は、すべて「自己が他者/全体の成長を阻碍しない愛の行為」となります。

 ただし、これらの相手へ構わない応対の行動が、何時[いつ]でも愛の行為と成り得るのではなく、行動の目的が、常に愛の行為となっている点に留意してください。類似する行動様式へ常に同じ行動で応対するのが適切とは限らず、また、同じ行動による応対が、愛の行為ではなく、幻想による反応様式となっている場合もあるのです。眼前のひとつひとつの状況において、相手が幻想に基づいておこなう行動の目的を正確に把握できているのならば、どのような愛の行為(行動)として応対することが「現在の状況に適切なのか」へ自[おの]ずと気づくようになります。

(1000/1000)

 自己と相対[あいたい]している相手が、自己へ応対しているのと、自己へ投影している相手自身へ応対しているのとは区別できます。自己が相手を「あるがまま」に捉えるように努めているのならば、相対している相手の意識が自己へ向けば、自己へ意識が向いた状況を感じ取れます。もしも、相手が幻想の捉え方へ陥[おちい]っており、相手の意識が「自己へ投影している相手自身」へ向いているのならば、眼前の相手が肉眼で自己を視ていたとしても、自己へ意識が向いていない状況を感じ取れます。

 意識は、精神で造化される表現や造化の工程から常に様々な感覚を受けているために、相対している相手の意識が自己へ向いている/向いていないを認識して造化した表現(印象)から感覚を感知します。意識の感知は、相手の有する、好意、善意、悪意、害意、などの誠実/不誠実な目的に関わらず、自己へ意識が向いたのならば感知できますが、相手の有する目的の内容によって、感知する感覚(感じ取る感覚)は様々です。感知できる範囲や感知できる程度は、自己の同調する活動性の程度(成長の程度)に相応する意識の拡大の程度/認識の程度によって異なり、同調する活動性の程度が高くなるほどに、拡い範囲を明確に感知できるようになります。なお、有形体/外環境の様々な周期、生活の状況、内面の状況、疲労、熱、などによって、明確に感知できる場合もあれば、感知し難い場合もあります。

 自己へ意識を向ける相手には、人だけでなく、人へ憑依している地獄者/地縛者たち、人へ憑依していない地獄者/地縛者たち、天使たち、も含まれます。ただし、天使たちは、常に愛ある意志を向けてくれており、この意志の方向性に基づいて送信されている印象/活動性から、自己は常に愛の感覚を受けているために、何らかの状況の中でない限り、日常の生活で明確に愛ある意志を感知するのは困難です。これは、常に大気の中で生活していては大気に気づかず、水の中へ潜ってみなければ大気の存在に気づかないことへ譬[たと]えられます。

 感知は、誰もが日常的におこなっていますが、感知した内容を識別するには誠実な生き方へ努めている必要があります。誠実な生き方へ努めている(相手を「あるがまま」に捉えるように努めている)のならば、相手の意識が自己へ向いている/向いていない、どのような目的で意識を向けたのか、を識別できますが、一方で、不誠実な生き方をしているのならば、自身も幻想による捉え方に陥っている可能性が高いために、感知した内容が「誰に由来している」のかを識別できません。

(1000/1000)

 会話も、お喋りも、独り言も対話であり、目的に基づいて自己から他者へ、あるいは、自己から「自己に都合の良い自己」へ発言していますが、会話と、お喋り/独り言では、発言の目的、発言の筋道、発言の結論、発言の道筋に違いがあります。発言の目的、筋道、結論、道筋の定義は下記となります。

  • 発言の目的とは、発言をおこなう土台であり、発言をおこなう前に自覚的な(自覚のある/自覚できるものの自覚のない)目的を必ず有しています
  • 発言の筋道とは、発言の順序/内容の計画性を指しており、発言をおこなう前に決めます
    • 発言の順序/内容は、あらかじめに熟考して組み立てている場合もあれば、発言をおこなう直前に瞬時に組み立てている場合もあり、発言をおこないながら逐次に組み立てている場合もあります
    • 会話にみられ、お喋り/独り言にはみられません
  • 発言の結論とは、虚栄心を満たすために用いる語/文節/語尾を指しており、捨て台詞、罵倒、なども含まれます
    • 特定の語/文節/語尾が常に虚栄心を満たすために用いられているとは限らず、様々な語/文節/語尾が瞬間瞬間の虚栄心を満たすために用いられています
    • 一度の発言の中に、結論がひとつとは限らず、複数の結論が含まれている場合もあります
    • お喋り/独り言にみられ、会話にはみられません
  • 発言の道筋とは、実際に発言をおこなった順序/内容を指しており、発言をおこなう過程で造り出されます

 会話は、相手ヘ伝える自覚のある目的があり、目的を伝えるために筋道を建てて発言しており、筋道の順序/内容に沿った発言の道筋で伝えることによって相手へ目的を伝えられます。発言をおこなう前に、発言の結論を決める必要性がないために、結論を決めていません。事前に筋道を建てて発言しているために、発言の道筋には整合性/一貫性がみられます。地上でおこなわれる会話では、肉眼で物的に相手を視て、意識も相手ヘ向いている特徴があります。

 お喋り/独り言は、自己の虚栄心を満たそうとする自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない目的があり、自己に都合の良い結論を相手へ伝えることで、自己の虚栄心を満たせます。結論を伝えるための筋道が決まっていないために、発言の道筋には整合性/一貫性がみられません。自己は、虚栄心を満たしたいという目的を自覚している場合あれば、自覚できるものの自覚していない場合もありますが、一方で、虚栄心を満たすために用いる語/文節/語尾は自覚して発言しており、自覚できるものの自覚なく発言する状況はありません。

 地上でおこなわれるお喋りでは、肉眼で物的に相手を視ているものの、意識は相手ヘ投影した「瞬間瞬間の自己に都合の良い自己」ヘ向いている特徴があり、お喋りしている者たちが、お互いに結論のみを言い合っている状況や、複数の結論を連続して発言する状況、同じ結論を繰り返し発言する状況も多くみられます。

 地上でおこなわれる独り言では、意識が自己ヘ投影した「瞬間瞬間の自己に都合の良い自己」ヘ向いている特徴があり、複数の結論を連続して発言する状況、同じ結論を繰り返し発言する状況も多くみられます。

(1000/1000) 対話の筋道と道筋
(1000/1000) 対話の筋道と道筋

 相手へ応対/返答する際の「捉え方の誠実/不誠実」からみた対話は下記のようになります。

  • 誠実な捉え方をしている者が、誠実な捉え方をしている者から受けた発言には、相手のおこなった発言の目的が有する方向性と一致する返答を自覚しておこないます
    • 対話が「会話」として成立します
  • 誠実な捉え方をしている者が、不誠実な幻想の捉え方をしている者から受けた発言には、相手のおこなった発言の目的が有する方向性(自己に都合の良い利己的/自己中心的な方向性)と一致しない返答(誠実に捉え直した方向性の返答)を自覚しておこないます
    • 「お喋り」の発言への応対に、返答を通して、対話を「会話」として成立させようと試みています
  • 不誠実な幻想の捉え方をしている者が、誠実な捉え方をしている者から受けた発言には、相手のおこなった発言の目的が有する方向性と一致しない返答(自己に都合の良い利己的/自己中心的な方向性の返答)を自覚して、あるいは自覚できるものの自覚なくおこないます
    • 発言を通して、対話を「会話」として成立させようと試みているものの、返答は「お喋り」となり、会話は成立しません
  • 不誠実な幻想の捉え方をしている者が、不誠実な幻想の捉え方をしている者から受けた発言には、相手のおこなった発言の目的が有する方向性(相手に都合の良い利己的/自己中心的な方向性)と一致しない返答(自己に都合の良い利己的/自己中心的な方向性の返答)を自覚して、あるいは自覚できるものの自覚なくおこないます
    • 両者の発言/返答する目的の方向性は、双方ともに不誠実な方向性を有している点が一致するものの、自己/相手のそれぞれに都合の良い利己的/自己中心的な方向性が一致していません
    • 対話は「お喋り」となります
(1000/1000) 誠実/不誠実な捉え方と相手への返答
(1000/1000) 誠実/不誠実な捉え方と相手への返答

(1000/1000)

 期待は、自己に都合の良い状況、あるいは、自己に都合が良くないと思い込む「本質的には自己に都合の良い」状況を、自己以外(他者/物事など)へ求める幻想の捉え方に基づいた利己的/自己中心的な行動であり、自己以外を「あるがまま」に捉えているのではありません。あるがままに捉えるからこそ、今後に起こる物事を予測/推測できるのであり、期待は予測/推測しているのではなく妄想しているだけなのです。地上社会では、他者/物事への期待(自己に都合の良い先入観/偏見)が、捉え方の偏重した利己的/自己中心的な感想/意見/評価や、理不尽な非難/批判/糾弾へもつながっています。加えて、予測/推測が現実に基づいているのに対して、憶測は、期待と同様に、幻想の捉え方に基づく場合が多くみられます。

 幻想による利己的/自己中心的な捉え方から脱却し、あるがままに物事を捉えるようになるほどに、徐々に無数の運命の流れを感じ取れるようになり、現在の状況から、今後に起きる状況を自然に察知できるようになります。予測/推測は、現在の状況を「あるがまま」に考察した結果として、ある方向性へ向かって、今後に起きる可能性のある状況を推し測りますが、一方で、察知は、予測/推測とは異なり、現在の状況を「あるがまま」に考察した結果として、今後に起きる状況へ気づく(察する/知る)ことを指しています。

 もしも、自己が今後に起こる出来事を察知したとしても、出来事の内容を他者へ伝えることが大霊より許可されている場合と、許可されていない場合があります。例として、〇〇年〇月頃に△△の地域付近で地震/噴火が起きる、今後の数ヶ月以内に△△の地域で暴動/紛争が起きる、◇◇(他者の名称)は今日の外出中に事故に遭遇する、などを自己が察知し、他者/国家/社会が、あらかじめに伝えられることで、今後に起こる出来事へ落ち着いて対応し成長へつなげられる可能性があるのならば、他者/国家/社会へ伝えることが大霊より許可されます。一方で、他者/国家/社会が、あらかじめに伝えられることで、今後に起こる出来事へ恐れ/怯えて混乱を招き利己性/自己中心性/欲望を喚起/増大させる可能性があるのならば、他者/国家/社会へ伝えることが大霊より許可されません。現在に地上社会の有する成長の程度や、人々のおこなっている生き方の誠実/不誠実の割合では、ほとんどの出来事を伝えることが大霊より許可されていません。

 どのような内容の出来事を察知していたとしても、察知している時点で、運命の流れる方向性は急に変えられないために、今後に起こる出来事を未然に防ぐ/回避することはできません。「ある出来事が起きるかもしれない」と予測/推測しているのならば、未然に防ぐ/回避することが可能な場合もありますが(ある出来事が実際に起きない可能性もあります)、「ある出来事が起こる」と察知しているのならば、必ず起きます。

 個体であったとしても、家族/企業/国家/惑星などの共同体であったとしても、有する習慣を突然に変えることができないのと同様に、無数の習慣の総合によって形成されている運命も、急激に流れの方向性は変えられません。そのため、察知とは、現在の運命の流れから、この後に、何処[どこ]へ、どのように流れていくのかへ明確に気づく状況ともいえます。これは、現在に流されている地点からは滝が視えなくても、周囲の状況や流れ方から、近いうちに滝へ差し掛かると気づくことへ譬[たと]えられます。察知は、この先に滝があるのか/ないのかはわからないものの、近いうちに滝へ差し掛かるかもしれないと予測/推測することではないのです。期待は、運命の流れに関係なく、瞬間瞬間の自己に都合の良い方向性へ流れていくと思い込むことであり、予測/推測は、現在の運命の流れを把握するものの、この後に、ある方向性へ向けて、流れていくのか、流れていかないのか、を考察することといえます。

 なお、「期待する」のと「願う」のは異なります。期待は、自己に都合の良い状況、あるいは、自己に都合が良くないと思い込む「本質的には自己に都合の良い」状況が自己へ起きるのを求める妄想であり、求める方向性が外環境/自己以外から自己へ向いています。一方で、願いは、自己の都合に関係なく、自己以外が自身で様々な状況を改善/向上/促進するように祈るのであり、祈る方向性が自己から外環境/自己以外へ向いています。

(1000/1000)

 身近な者の死を嘆[なげ]き悲しむのは、その者の死が「自己に都合が良くなくなった」ためであり、利己的/自己中心的な目的によっておこなわれています。同時に、自己が死を恐れ/怯えているのを死んだ者へ投影して、投影した「自己に都合の良い自己」を嘆いている行動でもあり、また、悲しんでいる自己に陶酔[とうすい]し、虚栄心を満たすためでもあります。死んだ者への嘆き/悲しみは、死んだ者を地上へ囚われ縛りつけるように「はたらいている」ことに気づく必要があります。地上で生活している者たちの嘆き/悲しみが、死んだ者を無用に苦しめているのです。

 死を嘆き悲しむだけでなく、葬儀、墓、仏壇、なども、地上での生活を続けている者たちが、死んだ者を自己に都合良く利用して、自己の恐れ/怯えを隠し、あるいは、恐れ/怯えから眼を逸らし、虚栄心を満たすためにおこなっている既成概念に過ぎません。地上は死んだ者(無形界へ戻った者)たちのための「墓地」ではなく、地上で生活する者たちのための「成長の場」です。葬儀、墓、仏壇、遺品、などのあらゆる儀式/物品は、無形界へ戻った者たちへの愛の寄す処[よすか]とならない限り不要であり、寧[むし]ろ、儀式/物品へ囚われている状況が、地上で生活している者たちの成長を阻碍するように、はたらいています。

 死んだ者たちへ「何かをしたい」のであれば、彼らが無形界で成長を促進できるように祈ることです。祈りは、何時[いつ]であっても、何処[どこ]であっても、一切の儀式/物品を必要とせずにおこなうことができます。そして、祈りは必ず彼らへと届き、成長への励みになります。また、死んだ者が、地上で生活する者たちへ未練を残して無形界での成長を停滞させないように、地上での生活を続けている人は、自己の成長の実践や、自己以外の成長の手助けへ努めることも大切です。加えて、親族/友人/知人/他者の死への遭遇は、自己の生き方を内省し、これまでに自覚できるものの自覚していなかった囚われへ気づく切っ掛けにもなります。

 旅先(地上)で行動をともにした者たちとは、別れを惜しみ嘆き悲しむというよりは、「いずれまた何処[どこ]か(無形界)で会いましょう」という捉え方をするようになるものです。

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 シャーデンフロイデも、幻想の捉え方に基づいておこなわれており、誠実な生き方へ努めている者にはみられず、不誠実な生き方をしている者にみられる特徴的な行為です。火事/事件/事故などを興味本位で見学して騒ぎ立てる「野次馬」と呼ばれる行動も、シャーデンフロイデと関連しています。

 シャーデンフロイデ(Schadenfreude)とは、他者の不幸/不遇/失敗/損害などを視て/聴いて、自己が快楽/快感を感じ取る行為であり、ドイツ語のSchaden(損害/不利益/損失)と、Freude(快さ/嬉しさ)に由来する造語です。日本の伝統的な慣用句では「他人の不幸は蜜の味」が相当します。シャーデンフロイデは、嫉妬を土台としておこなわれる状況が多くみられ、他者の遭遇した不幸/不遇/失敗/損害を直接的/間接的に視て/聴いて快楽/快感を感じ取り、更に、他者が不幸/失敗/損害によって、嘆き、悲しみ、落胆、失望、怒り、などの感情を外環境へ表現している状況を直接に視て、自己の感じ取る快楽/快感は増大します。シャーデンフロイデは、幻想の順序付けへしがみついているためにおこなわれており、他者への侮[あなど]り/嘲[あざけ]り/蔑[さげす]みを生み出しやすくなります。

 加えて、他者への同情も、シャーデンフロイデをおこなわせる状況が多くみられます。同情は、他者を哀[あわ]れに思いやっているのではなく、他者の現在に遭遇している不幸/不遇/失敗/損害の状況を利用して、過去に他者と類似する状況に遭遇した自己を哀れんでおり、過去の自己を慰[なぐさ]めて虚栄心を満たすと同時に、現在の他者へは自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なくシャーデンフロイデをおこなっています。誠実な生き方へ努めている者は、他者の不幸/不遇/失敗/損害へ共感する場合はあっても、同情はしません。他者への共感の有無に関わらず、他者が現在に遭遇している状況に対して、他者の成長へつながるように無我/無私で手助け(愛の行為)をおこなうだけなのです。共感については、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「他者の状況へ共感する場合もあれば、共感しない場合もあるのは、自己の状況と関係がありますか?」を参照してください。

 物的/有形的な不幸/失敗/損害や逆境/困難に遭遇するのは劣っていて、幸福/成功/利益や楽境(順風満帆)/安逸/平穏を得るのが優れているという「競争に基づく捉え方」が、優越感/劣等感を造り出してシャーデンフロイデをおこなわせるように、はたらきかけています。他者が運命の流れによって遭遇した不幸/不遇/失敗/損害や逆境/困難は、他者の成長へとつながる大切な切っ掛けとなります。その切っ掛けを他者の成長へつながるように支援/援助することが、自己/全体の成長へもつながるのだと理解したのならば、他者の遭遇している不幸/不遇/失敗/損害の状況を視てシャーデンフロイデのような無価値な行為をおこなわなくなります。シャーデンフロイデをおこなっている限りは、自己の成長を退行させ続けているのだと気づく必要があるのです。運命の流れについては、4章6節 自由意志/運命を参照してください。

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 恐れ/怯えによって自己の内面に造り出される不安定性は、自己の内面へ向き合い、恐れ/怯えを消し去ることによってのみ解消できます。恐れ/怯えを消し去る以外の方法からは、決して安定性を得られません。幻想の安心感から、自己の内面が安定性を得る状況はないのです。

 幻想の捉え方は恐れ/怯えを土台としているために、恐れ/怯えに基づいて外環境(他者)から虚栄心を満たし、様々なものを掻き集めて幻想の安心感を得たとしても、これらは恐れ/怯えを増大させ、更に不安定性を強めるだけにしかなりません。幻想によって得られる安心感は、波立つ水面に浮かぶ揺れ動くボートの上で、必至にしがみついている状況へ譬[たと]えられます。この波は自己の恐れ/怯えによって造り出されている精神の騒響[ざわめき]を、揺れ動くボートは内面の不安定性を表しています。揺れ動くボートから振り落とされまいと必至にしがみついても、水面の波が鎮まりはしないために、必至にしがみ続けなければなりません。

 恐れ/怯えから眼を逸らさず、逃げ回らず、自己の内面へ向き合い、自己の恐れ/怯えを消し去って波を鎮めたのならば、水面に浮かぶボートは揺れ動かなくなるために、しがみつく必要もなくなります。これが実在の安定性であり、外環境へ意識を向け、自己の内面から眼を逸らしている状況では得られない「充実した安心感」を得るようになるのです。

 加えて、安心/安全も、外環境の何処[どこ]かにあるのではなく、他者から与えられるものでもなく、自己の内面にある恐れ/怯えと向き合い、恐れ/怯えを乗り越えた先に得られる「内面の静けさ(安定性)」が造り出すのです。物的な貧困の中で、有形体は食物/物品などの不足に困窮し苦しんだとしても、安心して生活することはできます。どれほどに物的に裕福であったとしても、内面に騒響[ざわめき](不安定性)があるのならば決して安心は得られません。同様に、災害や紛争の続く中で、有形体は物的な痛みに苦しんだとしても、安全に生活することはできます。どれほどに物的には平穏/安泰にみえる環境で生活していたとしても、内面に恐れ/怯えがあるのならば決して安全は得られません。

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 生き方の誠実/不誠実と、法律への順守/違反は、必ずしも関係していません。法律は人が人を制御するために造り出した規律です。法律には、人々の生活の中で混乱を防ぎ円滑にするための指針となる内容と、恐れ/怯えを喚起させ「自身で物事を考察して誠実/不誠実を判断する自由意志による選択を制限する」ための罰則となる内容があります。そして、憲法/法律/条例の内容は、社会の情勢、為政者の思惑、などによって移り変わり、不変ではありません。

 すべての法律が誠実な目的に基づいて制定されているとは限らず、中には、恐れ/怯えに基づく利己的/自己中心的な目的によって造り出されている法律もあります。そのため、法律に違反する行動をしているから誠実な生き方ではない、あるいは、不誠実な生き方をしているから法律に違反している、というのではないのです。寧[むし]ろ、経験へ保存されている「物質の心に由来する恐れ/怯え、残忍性、狡猾性」に基づいて、日常の生活の中では、法律という「物的な言動に対して取り締まる」内容へ違反する状況がないにも関わらず、甚大な不誠実を日々におこなっている状況が多くみられます。特に、肉眼に視えない行為の目的や、思考、感情、などは法律によって制限されないために、際限のない利己性/自己中心性/欲望を有している場合が多く、それらが不誠実な生き方を造り出し強めています。

 誠実な生き方へ努めていたとしても、法律に基づいて行動することで、自覚できるものの自覚なく弾圧/迫害/差別へ加担している状況もみられます。例として、日本と呼ばれる地域では、大和民族(和人/倭人)が大多数を占めているために、大和民族以外の民族を受け入れたくないという既成概念が形成され受け継がれています。これは、日本という地域にみられる「和」という捉え方とも関連しており、他民族(外国人)は「和」を乱すと思い込み、また、他民族(外国人)は犯罪をおこないやすいと思い込み、他民族を恐れ/怯えているのです。現在では、受け継がれてきた既成概念に基づいて、他民族(移民/難民)の受け入れに強い抵抗を示すような法律/条例の制定/施行や、他民族を差別的に偏重して監視する行政/公安の活動がおこなわれています。他民族には、近隣では、アイヌ民族、琉球民族、朝鮮民族、遠方では、クルド民族、ロヒンギャ民族、シリア民族、多くの他の民族、などが挙げられます。僅か1万年ほどを遡[さかのぼ]れば、日本という地域だけでなく、地上のほとんどの地域で、〇〇民族という区分は存在していなかったことへ気づく必要があります。和については、6章3節 質疑応答 #質疑応答の「日本の伝統といわれている「和」とは、協調/調和のことですか?」も参考にしてください。

 肉眼に視えない行為の目的や、思考、感情、加えて、思考/感情に基づく言動、などの、行為の有する誠実/不誠実の判断は大霊に帰属しています。おこなった行為の誠実/不誠実によって加算される行為の記録も、法律への順守/違反によって加算されるのではなく、大霊そのものである「世界」の進化へ与える促進/停滞の影響の程度によって決まるのです。大霊による誠実/不誠実の判断は不変であり、社会の状況などによって変化することはありません。自己の発言、行動、態度、挙措、などは肉眼に視える/聴こえるために、他者にも誠実/不誠実を判断しやすいですが、一方で、自己の行為の目的や、思考、感情、などは、肉眼に視えないために、他者には誠実/不誠実を判断し難いです。そして、自己も、自己の行為や行為の目的を常に内省して自覚していないのならば判断できません。自己が、自身の行為や行為の目的を自覚していないために、自己の行為が有する誠実/不誠実を判断できなくても、大霊によって判断され、行為の記録へ加算/減算されます。行為の記録については、4章7節 行為の記録を参照してください。

 法律、他者、書物、などの自己の外環境にある「もの」へ判断を依存するのではなく、自己の行為が有する誠実/不誠実を自身で判断していくように努めないのならば、何時[いつ]までも自己の生き方を変えることはできず、また、成長もできません。自己の行為や行為の目的を常に内省し、自覚して誠実/不誠実の判断をしていくように努める必要があるのです。

 なお、不誠実な生き方をしている者は、法律に反する/反しないに関わらず、他者との約束事/合意事項/規則などを破り、狡猾に利己的/自己中心的な行為をおこなう状況が頻繁にみられます。彼らは、肉眼に視える物的な物事へ囚われ(意識を偏重して向け)ており、肉眼に視えない有形的/無形的な物事へ意識が向かないために、自己が他者から隠れておこなった不誠実な行動、自己の内面で考えている策謀/企[たくら]み、自己が他者へ発言した嘘、などは他者へ「バレはしない(露見しない)」と思い込んでいます。そして、「バレはしない」と思い込んでいるものの、自己へ思い込ませたいだけであり、他者との約束事/合意事項/規則などを破って狡猾に利己的/自己中心的な行為をおこなった状況へ強い恐れ/怯えを感じ取り、該当する他者から逃げ回ろうとします。一方で、幻想の捉え方に基づく「我儘[わがまま]/自己誇示/虚勢」のために、他者が自己から隠れておこなった不誠実な行動、他者の内面で考えている策謀/企み、他者が自己へ発言した嘘、などに自己は気づいていると思い込んでおり、他者への侮[あなど]り/嘲[あざけ]り/蔑[さげす]みに利用しますが、実際には気づいていません。

 物的な状況のみで物事を捉える偏重した捉え方が、幻想の捉え方と組み合わさることで、物的な物事に対して造り出された約束事/合意事項/規則などを破らせ、狡猾に利己性/自己中心性/欲望を満たすように、はたらきかけるのです。肉眼に視える物事は隠蔽[いんぺい]/偽装できたとしても、肉眼に視えない物事で隠蔽/偽装できるものは何ひとつないのだと気づくことが、自己の内面や行為を内省して誠実な生き方へ努める「はじめの一歩」となります。肉眼に視える物的な物事は、肉眼に視えない有形的/無形的な物事の一部が反映されて現れているために、物的な物事を隠蔽/偽装したとしても、物的な物事の土台となる有形的/無形的な物事に「物的な物事を隠蔽/偽装した」という内容が表れています。結果として、肉眼に視える物的な物事も、何ひとつ隠蔽/偽装できはしないのです。

 この質疑応答に関連する内容には、3章9節 精神 #質疑応答の「小説、漫画、映画、ビデオゲーム、などに攻撃的な内容が多くみられ、これらの表現が社会から減少していかないのはどうしてでしょうか?」がありますので参考にしてください。

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 恐れ/怯えに基づいておこなわれている行為(差別)を、罰則という恐れ/怯えに基づく規制で抑制することも、減少させることもできません。恐れ/怯えの根源となる物質の心は狡猾/残忍で、その狡猾性/残忍性は経験の機能特性へも保存されており、恐れ/怯えを引き離すためならば、あらゆる物事を利用します。規制が制定/施行されても罰則へ抵触することのないように、狡猾に形を変えながら行為(差別)が続けられるだけです。経験の機能特性については、3章7節 心 #分霊の心を参照してください。

 差別とは、自己の内面にある無形的な恐れ/怯えから眼を逸らし逃げ回るために、他者を利用して虚勢を張り、虚栄心を満たし、優越感を得ようとする試みが、外環境へ物的な行動として現れている状況を指しています。そして、個々の行動が社会の中で総合され、部落差別、男女差別(女人禁制の伝統/風習、特定職業へ就く男性の嫌悪/軽蔑、なども含む)、職業差別、障碍者差別、人種差別、民族差別、などの様々に分類される差別として表れています。

 現在では、差別をなくすための多くの法規制が施行されており、表面的な差別はおこなわれ難くなりましたが、差別している者が特定されないような手段や、明確に差別とは捉えられないような手段で狡猾に差別がおこなわれ続けています。例として、インターネットを通した匿名での誹謗中傷の書き込み、もっともらしい理由をつけた雇用/婚姻の拒否や昇給/昇格の遅延、などがあります。加えて、相手が拒否できない/抵抗できない状況を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく狡猾に利用して、自己の利己性/自己中心性/欲望を満たすために相手へ様々に要求/強制する(差別を受け入れさせる)場面も社会の中で頻繁にみられ、個体間だけでなく、企業間や国家間でもおこなわれています。更に、相手が拒否できない/抵抗できない状況を故意に自覚して造り出す状況も多くみられます。

 重要なのは、多くの者は、自己が差別をおこなっていても、差別をおこなっているという自覚を有していない(自覚できるものの自覚していない)点にあります。逆に、差別を受けている者は、明確に差別されている状況を自覚しています。そのため、差別をなくしていくには、先[ま]ず、「差別をおこなっている」という自覚をさせる必要があるのです。

 差別する状況を罰則で縛りつけようとするのではなく、また、差別をなくそうと啓発するだけでもなく、自己は「差別などしない」という思い込みのうえで差別をおこなっている自己へ気づく(自覚する)ように内省を促す必要があります。差別とは何を土台として(何に基づいて)おこなわれているのか? 自己は差別の土台となっているものを有しているのか? 有していないのか? なぜ自己は他者を差別したいのか? 他者を差別することで自己は何を得られるのか? 得ているのか? などを考察(内省)するように促し続けるのです。

 社会にみられる「ほとんどの差別」は、有形体に起因する物事が生み出しています。そのため、有形体に起因する物事に基づいて法律で規制しても、根本的な差別の是正にはつながりません。有形体に起因する物事へ囚われずに、個々を観ることが、根本的に差別を是正する土台となります。例として、社会生活で男女差別のない状況とは、男性/女性を均等な人数で雇用/採用/起用することではありません。性別に囚われずに、個々の有している実力/技術/知識や、意欲/志望目的を判断したうえで雇用/採用/起用する状況を表しています。これは、年齢/人種/民族/心身障碍なども同様です。該当する者たちの中から、特定の人数、あるいは、一定の割合を雇用/採用/起用することで差別が是正されるのではないのです。性別、年齢、心身障碍、加えて、宗教団体への信教による生活の中での制限/規律、などは、雇用/採用/起用した後に配慮する内容が異なるだけです。

なお、上述の内容とは別に、他者の行為が瞬間瞬間の自己に都合が良くなかったために、他者から「差別されている」と思い込み、他者を非難/批判/糾弾し貶[おとし]めるための切っ掛けに「差別」を用いている場合も多くみられます。同様に、地上社会では、世界(地上全体を指しているのではありません)からみて不公平/不公正なのではなく、瞬間瞬間の自己/自企業/自国/自団体に都合が良くないために、不公平/不公正と声高に叫んでいる状況も多くみられます。不誠実性は、常に自己へ都合良く物事を捉えさせようとする狡猾さを有している点に留意してください。

 地上の社会では、大人は子供の拙[つたな]い発言を聴いて子供は劣っていると捉え侮[あなど]る状況や、自己が母国語とする言語を母国語としない他者が拙く話すのを聴いて、他者の造化する思考の内容/程度が劣っていると捉え、他者を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく侮る状況も多くみられます。この状況も、恐れ/怯えを土台とする「優劣の捉え方」に基づいておこなわれている差別といえます。子供は有形体が未熟なために、外環境への表現が霊としての成長段階に相応する程度におこなえていないだけであり、霊としての成長の程度、貯蔵している知識の内容/程度/多さ、などとは関係ありません。また、他者は、自己が母国語とする言語を扱うのに習熟していないだけであり、発言の拙さが、他者の造化する思考の内容/程度、貯蔵している知識の内容/程度/多さ、生き方、などを表しているのではありません。他者/子供の発言する拙さへ意識を向けるのではなく、他者/子供の伝えようとする発言の目的へ意識を向けることで、意思の疎通ができるようになります。

 様々な差別と同様に、先輩/後輩、師匠/弟子、職務の指示系統、年齢(大人/子供、親子関係、兄弟姉妹の関係を含む)、などの関係性を支配/強制や隷属/服従と誤認しているために、この関係性を利用して利己性/自己中心性/欲望を満たそうとする状況も頻繁にみられます。これらの関係性は役割であり、役割の内容に関わらず、相手へ対等に応対する必要があります。

 地上社会では、利己性/自己中心性/欲望(恐れ/怯え)と、主義、伝統、慣習、常識、などを含む「固定観念/既成概念」との組み合わせが、仲違い、諍[いさか]い、軋轢[あつれき]、中傷、紛争、戦争、迫害、差別、殺人、暴行、傷害、暴動、対立、衝突、格差、などを、どれほどに多く引き起こしているのかへ気づかねばなりません。個々のひとりひとりが気づき、利己性/自己中心性/欲望(恐れ/怯え)を土台とする幻想の捉え方から脱却し、固定観念/既成概念を解消することが、自己/他者の成長を促進するだけでなく、地上社会の変革や惑星を進化させるのに必要なのです。

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 はじめに、肉眼に視える特定の物的な原因が、肉眼に視える特定の物的な結果を直接に生み出している状況はみられず、肉眼に視えない多くの無形的な原因の相互のつながりによって生み出された有形的な結果の一部が、特定の物的な結果として肉眼に視えているだけに過ぎません。特定の原因のみから眼前の結果が現れているのではなく、いくつもの原因が相互に影響して眼前の結果を生み出しているのです。物的/有形的/無形的な原因と結果のつながりについては、4章6節 自由意志/運命 #運命を参考にしてください。

 地上の社会では、現在の状況を造り出している特定の原因(元凶)を消し去れば、状況の全てが解決すると自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく思い込んでいる側面が多くみられ、責任追及は、眼前の物的な結果へ最も強い影響を与えていると捉えられる物的な原因のみを探し出そうとしています。ただし、最も強い影響を与えている原因だけでは、眼前の結果が生み出されない点に留意してください。それぞれの原因が、眼前の結果へ与えている影響の程度は様々であり、ある原因と原因が、どの程度につながり(関係性/関連性)を有しており、どれくらいに結果へ影響を与えているのかを、結果から辿[たど]り把握する必要はあります。関係性/関連性については、1章1節 サイトを読むにあたって #質疑応答の「関係性と関連性は、どのように違うのですか?」を参照してください。

 しかし、責任追及と呼ばれている行動は、ある物的な物事に対する責任として特定の人物/団体などを断定することで、ある物事につながりのある全体から眼を逸らそうとしている状況が多くみられます。特定の人物/団体などに「原因がない」ということではなく、ひとつのつながりのみを捉えて、そのつながりのみへ全ての責任を押し付け(責任逃避して)、他のつながりを捉えようとしていないのです。社会は、様々な物事が相互に影響を与え合う結果として生み出されています。小説、漫画、映画、ビデオゲーム、などの創作された物語にみられるような、諸悪の根源となる人物/団体が存在しており、その人物/団体を打倒/排除すれば、状況が平定するのではないのです。

 肉眼に視える特定の人物/団体などへ全ての責任を押し付けて非難/批判/糾弾し、責任を取らせようとする行動は、個体や集団の有する恐れ/怯えから眼を逸らし、虚栄心を満たすために頻繁におこなわれています。そして、一部の者たちに都合が良くなるように、特定の人物/団体などへ社会の意識を向けさせ、つながりのある他の人物/団体/国家などへ意識を向けさせないように巧妙に仕組まれている場合も多くみられます。例として、魔女狩り、軍事裁判(戦犯者の特定)、公安による虚偽の自白の強制、戦争/紛争で起きた特定の出来事を相手が起こしたと糾弾する、などが挙げられます。

 不正や事故などの再発を防止するために、眼前の結果を引き起こした様々な原因を辿[たど]り、いくつもの原因の相互のつながりを、誠実に「あるがまま」に把握していくのならば、決して特定の原因のみへ意識が集中して向く状況はなく、いくつもの原因の全体を俯瞰[ふかん]して捉えるようになります。恐れ/怯えに基づく利己性/自己中心性/欲望が、特定の原因への責任追及をおこなわせるのです。

 加えて、地上の社会では、おこなわれた発言/行動を「誰がおこなったのか?」へ意識の向いている状況が多くみられます。これは、発言/行動をおこなったのは誰なのか? へ拘[こだわ]り囚われているとも言い換えられ、個体だけでなく、どの家庭/企業/団体/国家などの共同体がおこなったのか? へ拘り囚われている状況も含まれます。「誰が?」へ意識が向くのは、個々を分離して捉えている(自己と他者や、他者と他者を区別する)ためであり、不平等/不公平/不調和/差別/格差を生み出すように、はたらいています。日常の中で挨拶と呼ばれる行動の多くも、自己/他者を区別して捉えているためにおこなわれています。個々を分離して捉える状況が恐れ/怯えと結びつくことで、この物事は〇〇(人物名/共同体名)に責任がある、この物事は自己の責任ではない、などと責任追及や責任逃避の行動にもつながり、他者を敵/味方として判別するようになります。

 更に、日々の生活の中で、自己に都合の良くない物事を、自己の生活する地域に設置されている国家の失策/不備のために被害を被[こうむ]っている、あるいは、被害を被る可能性があると、自己は何らかの対応を考察/実施することなく責任逃避し、国家に対して訴訟を起こし責任追及する状況も多くみられます。訴訟に基づいておこなわれる司法の判断や、裁判の判決が、常に誠実な内容とは限らず、責任追及や責任逃避を助長する不誠実な内容の場合もあります。そして、不誠実な内容の判断/判決が成されたことで、利己性/自己中心性/欲望や虚栄心を満たすために追随して訴訟を起こす者が次から次にと出現し、社会に不誠実性を蔓延させるようになります。例として、国家/企業が気候変動による対応を怠っている、あるいは、対策が不十分なために、熱波の影響を受けて外出し難くなる、屋内で熱中症を発症しやすくなる、山林火災が増加して煙で呼吸器疾患を患[わずら]いやすくなる、子供を屋外で遊ばせられない、屋内で用いる冷房への支出/費用が増大する、などは人権侵害に相当するという判決が挙げられます。同時に、国家/企業も、表面的な統計上の数値で対策しているように見せ掛けて、実質的な対策は何もおこなっていない状況が多くみられ、これらの行動も責任逃避となります。個体も、国家/企業などの共同体も、自身以外へ責任逃避して自身は対応していないために、気候変動を助長しているものの、気候変動の改善はほとんど進展していません。

 誰がおこなったのか? ではなく、どのような目的で発言/行動がおこなわれたのか? へ意識を向け、個々を統合して捉える(自己と他者や、他者と他者を区別しない)ように努めるのならば、平等/対等/公平/調和/協調/思いやり/配慮を生み出すように、はたらきます。日常の些細な例として、自宅の床が汚れていた際に、誰が汚したのか? を追及するのではなく、あるいは、自己が汚したのではないと視ない振りをするのではなく、自己が汚れに気づいたのならば、自己が拭き取ればよいのです。そして、どのようにして汚したのかを観察/考察し、自己/他者を含む誰もが汚し難いように生活環境の整備へ努めます。

 この質疑応答に関連する内容には、6章2節 書物を読む際の留意点 #質疑応答の「無形界からの通信ではイエス・キリストから伝えられているとする内容が多くみられますが、これらは本人からの通信なのですか?」がありますので参考にしてください。

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 デモ活動(抗議活動)そのものに誠実/不誠実はなく、デモ活動をおこなう目的の誠実/不誠実が、デモ活動の性質を決定します。しかし、近年にみられるデモ活動は、愛の行為としての誠実な抗議/主張ではなく、恐れ/怯えに基づく不誠実な抗議/主張が多くを占めています。また、誰へ/何へ抗議しているのか? の目的が不明確なデモ活動や、抗議する目的は明確なものの見当違いの時期/場所でおこなっている状況も多くみられます。明確な目的で、適切な時期に、適切な場所で、適切な程度におこなうデモ活動が、愛の行為としての誠実な抗議/主張と成り得ます。愛の行為については、5章6節 愛の行為を参照してください。

 何らかに抗議/抵抗/反発をおこなう活動は、活動そのものから自己陶酔によって快感を得やすい特徴があり、誠実な目的で始めた活動であったとしても、活動をおこなう目的を常に省みていないのならば、誠実な目的が捨て去られ、快感を得るために活動を継続するようになる傾向がみられます。地上では、有形体の内包する物質の心から絶え間なく誘惑の影響を受け続けているために、快感を得て虚栄心を満たすのに「あらゆる行為/物事」を利用しやすくなるのです。一方で、正確な秩序が敷衍[ふえん]している人霊界では、何らかに抗議/抵抗/反発するためのデモ活動はみられず、デモ活動をおこなう必要性もありません。人霊界については、2章4節 無形界の構造を参照してください。

 虚栄心を満たすためにおこなうようになった例として、環境保護/動物保護を訴えるデモ活動において、絵画/彫像の汚損、河川/道路の汚染、スポーツ試合の妨害、船舶への危険な接舷、私有地/私宅/企業/工場への無断侵入、飼育されている家畜を無断で持ち去る、環境保護/動物保護の取り組みが不充分な企業/行政の関係者や政治家へ食品/塗料を浴びせ掛ける、などをおこなう状況が挙げられます。これらの活動は、環境保護/動物保護へ意識を向けてもらうためではなく、環境保護/動物保護を大義名分に用いて突飛/奇抜な行動や強引な手段を用いて暴挙をおこなう自己へ注目してもらえることに快感を感じており、更に快感を得られるように活動の内容が激化していきます。正当に感じられる大義があるのならば何をしても構わない(大義のある自己にはおこなう権利がある)と思い込んでいる我儘[わがまま]の行動であり、幼児が自身に構ってもらいたいために癇癪[かんしゃく]を起こして泣き叫び暴れているのと同じなのです。ただし、活動へ参加している者たちは、快感を得るために活動を継続していると自覚していません。自覚して環境保護/動物保護を訴える目的でおこなっているのですが、自覚できるものの自覚なく快感を得て虚栄心を満たす目的でおこなっており、結果として、これらの活動は不誠実な行為となります。環境保護/動物保護の活動や、スピリチュアリズムと呼ばれる「世界の実相/生命の真相」を普及する活動をおこなう際には、焦り/急ぎは活動を阻碍/停滞させやすく、はたらきます。家屋に火災が起きて焦り手当たり次第に消火しようと急ぐよりも、火の勢いと拡がり方を冷静に見定めて適切な場所を順次に消火するほうが鎮火しやすくなるのです。

 自覚のある誠実な目的でおこなわれるデモ活動は、活動へ参加する者たちが統制されており、力強さを感じるものの穏やかに進行し、騒ぎ立てる、無用に騒音を出す、暴言を放つ、道路を封鎖して通行を妨害する、特定の建物を包囲して建物への入出を妨害する、建物/施設へ強引に侵入する、道路/物品/建物を汚損する、参加者や周囲の者たちを無用な危険に晒[さら]す、などはみられません。相手へ要求を呑ませるために相手の行動を阻碍するのは、相手が自由意志で選択する選択肢を誘導/強制しており、脅迫/武力侵攻と同様に不誠実な行為です。自己の目的を相手/国家/社会へ伝え、改善/変革を促すためにおこなうのがデモ活動の本質であり、自己の要求を相手へ無理強いすることがデモ活動ではないのです。

 自己がデモ活動をおこなう際だけでなく、他者がデモ活動をおこなっている際にも、何に対してデモ活動をおこなっているのか? を、抗議の内容から考察するだけでなく、活動へ参加している者たちが有している自覚的な(自覚のある/自覚できるものの自覚のない)目的と総合して詳細に考察する必要があります。

 なお、他者/他国の反感を煽[あお]るために、特定の書物/国旗を燃やす、自己に都合の良い歴史上の出来事/事件を喧伝する、特定の人物を揶揄[やゆ]する、また、他者/企業/団体の行動や他国の政策へ反対するだけで提案をしない、などは虚栄心を満たすための行動に過ぎません。これらの行動は、他者/他企業/他団体/他国からの「報復の行動」を生み出し、報復の行動へ更に報復する無価値な循環を造り出すだけとなります。「言論の自由」と呼ばれる法的な権利は民主政治をおこなっている国家で多くみられますが、言論の自由は、どのような内容の発言/行動も許容されることを表しているのではなく、常に他者/周囲へ配慮したうえで発言/行動する意志の方向性を指しています。他者を侮辱する、冒涜[ぼうとく]する、反感を煽[あお]る、挑発する、牽制する、などの発言/行動は「言論の自由」ではありません。他者/周囲への配慮は愛に基づいており、自己を制限/抑圧しているのではないという点に留意してください。他者/周囲への無配慮こそが、利己性/自己中心性/欲望や囚われで自己を制限/抑圧して不自由を造り出しているのです。自由については、5章4節 固定観念/既成概念 #自由とはを参照してください。

 暴動、騒乱、集団での嫌がらせ/迷惑行為、不誠実な目的でのデモ活動、などは、自己が正当に思い込める大義を狡猾に利用して、自己の内面から眼を逸らすために、自己に都合の良い「敵」を外環境へ造り出して非難/批判/糾弾し、利己性/自己中心性/欲望や虚栄心を満たしたいだけに過ぎません。中には、自己を抑圧している対象へ直接に抗議できないために代わりに直接に抗議できる他の対象で憂さ晴らし/鬱憤[うっぷん]の解消をしている者や、ストレス発散の「遊戯」として参加している者も多くみられます。現在では、インターネットでの通信環境が普及しているために、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を用いて、他者へデモ活動/暴動/騒乱や集団での嫌がらせ/迷惑行為を煽動するものの、自己は活動へ参加しない状況も頻繁にみられます。SNSなどの物的に相手と対面しない手段であれば、自己に物的な危害を加えられる状況は起こり得ないと思い込めるために、利己性/自己中心性/欲望を満たす目的で悪用するようになるのです。もしも、暴動、騒乱、集団での嫌がらせ/迷惑行為、不誠実な目的でのデモ活動、などに参加している者たちが、大勢の(参加者の数百倍-数千倍もの)地獄者/地縛者を寄せ集め自身に憑依させ、参加した後にも長期に渡り憑依させて「地獄者/地縛者の思うがままに操られ続けている」状況へ気づいたのならば、刹那的な利己性/自己中心性/欲望を満たすために参加しようとは思わなくなります。

 更に、現在では、人工知能を用いて作成された虚偽の画像/動画(ディープフェイク)が急激に増大し拡散されていますが、虚偽の作成/拡散によって他者を騙[だま]し、欺[あざむ]き、誘導/煽動する行為は、他者が自由意志に基づいて選択する選択肢を操作しており、物的には凄惨さを感じ取り難いものの、物的な凄惨さを感じ取る大量虐殺と同様に、今後に有形界/無形界で長期に渡る重い代償を支払うことになります。人工知能については、4章2節 有形界での成長 #質疑応答の「人工知能(AI)は、人類の成長へ役立ちますか?」も参考にしてください。

 この質疑応答に関連する内容には、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「あらゆる行為/物事/体験が成長への学びにつながるのならば、不誠実な生き方からも学べるために、地上で不誠実な生き方を辞める必要はないのではありませんか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 はじめに、相手の幻想の捉え方に基づく不誠実な行為は、自己へ幻想の捉え方を誘発させて、自己に不誠実な行為(怒り/苛立ちなど)で相手の不誠実な行為へ反応させやすくします。同様に、自己の幻想の捉え方に基づく不誠実な行為は、相手へ幻想の捉え方を誘発させて、相手に不誠実な行為で自己の不誠実な行為へ反応させやすくします。この状況は、自己/他者の幻想の捉え方に基づく不誠実な行為で反応する循環を形成し、お互いに不誠実な行為による応酬を終わりなく続けるようになります。

 不誠実な生き方をしている者たちが利己性/自己中心性/欲望を満たすためにおこなう行為を、あらかじめに妨[さまた]げて行為をおこなわないように仕向けても、更に強い利己性/自己中心性/欲望に基づく行為をおこなわせるようになるだけです。不誠実な生き方をしている者たちは、「利己的/自己中心的な行為を断念する」という選択肢を自由意志で選択する状況がなく、何としてでも利己的/自己中心的な行為をおこなおうとします。彼らのおこなう行為を妨げても、彼らが行為をおこなわなくなる状況はありません。

 不誠実な生き方をしている者たちが利己的/自己中心的な行為をおこなう状況へ遭遇した際に、怒り、苛立ち、愚痴、文句、などが自己の内面に湧き上がってくる場合には、「それらを精神で何のために誰のために造化しているのか?」を内省する必要があります。この内省によって、決して誠実な目的で苛立ち/愚痴などを造化しているのではないことへ気づき、苛立ち/愚痴などによって起きている精神の騒響[ざわめき]を鎮静させやすくなります。相手のおこなった不誠実な行為へ、自己が不誠実な行為で応対する、あるいは、怒り/苛立ちなどの感情を造化しているのならば、自己は不誠実な行為をおこなう相手と同じ立ち位置に立っているのであり、何時[いつ]までも自己/相手の成長につながりません。相手と同じ「恐れ/怯えを土台とする立ち位置」から相手へ応対するのではなく、「愛を土台とする立ち位置」から相手へ応対するのです。

 加えて、現在に不誠実な生き方をしている者たちは、人であっても、人へ憑依し操っている地獄者/地縛者であっても、程度/期間の違いはあるものの、今後に必ず後悔とともに苦しみ続ける現実が待ち構えています。この現実を理解したのならば、自己が、不誠実な生き方をしている者たちのおこなう行為へ苛立ち/愚痴などを造化しているよりも、自己が手本/模範と成り得る生き方へ努め、不誠実な生き方をしている者たちが現在に確定している「今後に苦しむ程度/期間」を今以上に増大/延長させないように愛の行為で応対し、彼らが今後に逃げ回ることなく勇気をもって苦しみへ立ち向かうように祈らずにはいられなくなります。

 地上社会では、相手から受けた不誠実な発言/行動や不利益/損害/損失へ、不誠実な発言/行動で仕返し(報復/復讐)をおこなう状況は、個体間でも、企業間でも、様々な派閥/勢力/団体間でも、宗教団体/宗派間でも、国家間でも、頻繁にみられます。それらの中でも日常的に多くみられる内容には、相手の発言が自己に都合良くなかったために、「何としてでも言い返さねばならない」と思い込んでいる状況が挙げられます。相手の発言に反応して自己の造化した怒り/苛立ちは、相手へ責任があると都合良く思い込んでおり、また、相手へ言い返せば自己の怒り/苛立ちを発散できるとも思い込んでいるのです。実際には、相手へ言い返す/仕返すことで、内面の恐れ/怯えから眼を逸らして虚勢を張り、虚栄心を満たしたいだけに過ぎません。怒り/苛立ちに基づいて言い返しても、更に怒り/苛立ちの造化を増大させるだけであり、言い返すことで怒り/苛立ちが発散される状況はないのです。

 自己が相手から受けた不誠実な発言/行動や不利益/損害/損失へ、不誠実な発言/行動で仕返しをおこなうのならば、その仕返しに対して、相手から更なる不誠実な発言/行動で仕返し(仕返しへの仕返し)を受け、何時[いつ]までも終わりのない「仕返しの連鎖」を造り出し、自己/相手のおこなう仕返しの程度が激化していくようになります。これは、お互いが足の引っ張り合いをして、お互いを転ばせ、お互いに立ち上がれないようにし続けているだけであり、転んでいる地点から1歩も先には進んでおらず、何の解決にもなっていません。仕返しには、相手へ直接におこなう発言/行動だけでなく、他者やSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス) などを用いて相手の陰口/誹謗中傷/偽情報を拡めて貶[おとし]める間接的な行動も含まれます。

 不誠実な生き方をしている者たちは、誠実な生き方をしている者には思いも寄らない利己的/自己中心的な行為(手を抜く/手間を増やす行動を含む)を当然におこないます。自己/相手が人型の同じ形状の有形体を用いているとしても、有形体が同等の使用年数(年齢)であったとしても、同じ言語を用いているとしても、生き方の有する誠実/不誠実の方向性が異なるのならば、全く異なる物事の捉え方をしている点に留意してください。地上の生活では、肉眼に視える/肉耳に聴こえる物事に囚われやすいために、自己/相手は人型の同じ形状の有形体を用い、同等の年齢で、同じ言語を用いているのならば、相手は自己と同様の捉え方をしている、また、相手は自己と同様の捉え方に基づいて発言/行動していると自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく思い込みやすいです。この思い込みが、利己的/自己中心的な行為をおこなった相手に対する苛立ち/愚痴などを造り出す原因となっています。

 地上では、物的な有形体を用いて物的な生活をおこなう必要があるために、物的な物事への囚われに基づく思い込み(固定観念)を常に自覚して弱めていくように努めていないのならば、この思い込みは何時[いつ]の間にか自覚できるものの自覚なく強められてしまいます。相手のおこなった利己的/自己中心的な行為によって湧き上がる苛立ち/愚痴などは、自己の有する思い込みへ気づくための切っ掛けとなります。意識を相手や相手のおこなった行為ではなく、自己の内面へ向けるように努めることで、成長へつながるようになるのです。

 なお、自己が相手から受けた不誠実な発言/行動や不利益へ仕返し(報復/復讐)をおこなわないのは、臆病でも、弱腰でも、軟弱でもありません。勇気を有しているからこそ、仕返しをおこなわないのです。相手への仕返しは、自己の虚栄心を満たし、自己の成長を阻碍/退行させるだけにしかならないと理解しているのです。勇気を有している者は、相手のおこなった不誠実な発言/行動へ寛容をもち、愛の行為で相手へ応対します。自己の内面にある恐れ/怯えと向き合わずに眼を逸らし、利己性/自己中心性/欲望に呑まれている「勇気を有していない臆病者」が、仕返しをおこなうのだという点に留意してください。愛の行為については、5章6節 愛の行為を参照してください。

 この質疑応答に関連する内容には、5章3節 誘惑 #質疑応答の「他者の言動があまりにも酷く、つい怒りの湧いてくる時があります。成長していけば、怒りを感じることがなくなるのでしょうか?」がありますので参考にしてください。

行為を観察する

(1000/1000)

 幻想の捉え方によって、自己は外環境の物事や他者の行為を誠実に捉えていると思い込んでいる場合がみられます。寧[むし]ろ、幻想の捉え方に陥[おちい]っている者は、自己は誠実に物事を捉えており、不誠実さは有していないと思い込んでいます。これは、自己の物事の捉え方や、おこなう行為は、常に正義であり、他者は自己の正義に従うのが当然と思い込んでいる「独り善[よ]がり」とも言い換えられ、幻想の特徴ある行動の「我儘[わがまま]」と密接に関連しています。物質の心は狡猾であり、物質の心から誘惑の影響を受けて、「狡猾さ」は経験の機能特性にも保存されています。そのため、自覚して誠実に捉えていると思い込みながらも、自覚できるものの自覚なく幻想に基づく不誠実な捉え方をする「狡猾さ」を有しているのです。地上で用いられている「正義」という語は、愛に基づいているとは限らず、固定観念/既成概念や、利己性/自己中心性/欲望に基づいている場合も多くみられ、状況によって正義と捉える対象が変化し、常に対象が不変ではない点に留意してください。

 地上社会では、相手の業績/実績/活動が、自己の脅威になると感じないのならば相手を称賛/応援しますが、その後に、自己の脅威になると感じるようになったのならば、相手を貶[おとし]め、蹴落とそう/引きずり落とそうとする状況は頻繁にみられます。「狡猾さ」は、相手の業績/実績/活動が自己に都合の良い状況では、自己は相手を誠実に称賛/応援していると思い込ませて、自己の利己性/自己中心性/欲望や虚栄心を満たすのに利用させています。そして、相手の業績/実績/活動が自己に都合の良くない状況では、相手を非難/批判/糾弾や誹謗中傷して、自己の利己性/自己中心性/欲望や虚栄心を満たすのに利用させています。この行動は、自己の周囲の者たちに対してだけでなく、アイドル、俳優、スポーツ選手、実業家、政治家、などに対してもおこなわれています。

 同様に、競合他社、政治(内政/外交)、選挙活動、などでも、自己/自社/自政党/自国に都合の良い状況では対立/競争する相手を称賛/応援するものの、都合の良くない状況では相手を非難/批判/糾弾や誹謗中傷する状況は頻繁にみられます。対立/競争する相手を非難/批判/糾弾しても、相手を中傷して貶[おとし]めても、それらの行動によって、自己/自社/自政党/自国が相手よりも優位になるのではありません。寧[むし]ろ、あるがままに物事を捉えている者は、相手を非難/批判/糾弾/中傷している自己/自社/自政党/自国が、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく恐れ/怯えに基づき虚勢を張っている状況を鮮明に捉えており、自己/自社/自政党/自国へ憐[あわ]れみを感じ取っています。

 経験へ保存されている「狡猾さ」は、以前に自己へ行為をおこなわせた原因を、現在に自己が行為をおこなう理由付けに利用する状況も頻繁にみられます。例として、以前に怒り/苛立ちが食べる行動を誘発する切っ掛けとなったために、現在に怒り/苛立ちを感じるから「食べてもよいのだ」と自己へ思い込ませて、食べたい理由に苛立ちを利用します。また、他者への復讐が条文/教条として教義/教理/戒律で決められているからと、自己のおこなう他者への復讐/憎悪を正当化するために教義/教理/戒律を利用します。

 加えて、幻想の捉え方に陥[おちい]っていると、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく瞬間瞬間の自己に都合良く物事/他者を捉えるために、物事/他者を公正に評価できません。これは、学校で教員が生徒を評価する、職場で上司が部下を評価する、先輩が後輩を評価する、師匠が弟子を評価する、などの状況でも頻繁にみられ、本人は誠実に公正に評価していると思い込んでいるのですが、実際には、瞬間瞬間の自身に都合の良い物事/他者を高く評価し、自身に都合の良くない物事/他者を低く評価しています。

 自己は誠実に捉えていると思い込んでいる場合に、理性の機能特性が適切に機能しているのならば、思い込みに対して違和感/不自然感を感じ取るために、思い込みによる捉え方へ気づくことができます。一方で、長期に渡って、幻想の捉え方に基づいた不誠実な生き方をしていると、理性の機能特性が適切に機能しなくなっており、思い込みに対して違和感/不自然感を感じ取らないために、誠実に捉えていると思い込んでいる「不誠実さ/狡猾さ」へ気づくことができません。

 常に、物事や他者の行為を「自己は誠実に捉えているのか?」を繰り返し強い意志で自覚して自問し続けるように努めることで、経験の機能特性へ保存されている狡猾さの習慣が徐々に弱まり、理性の機能特性も徐々に適切に機能するようになるために、誠実に捉えていると思い込む不誠実さも弱くなっていきます。そして、いずれは幻想による捉え方から脱却し、努めなくても自然に誠実な捉え方をできるようになります。

 誠実な生き方へ努め、幻想の捉え方を土台とする「不誠実さ/狡猾さ」で物事を捉えていなくても、自己の状況を基準として自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく外環境の状況(他者のおこなった行為を含む)を判断しやすい点に留意してください。眼前の状況を安易に短絡的に判断せずに、常に様々な物事を総合して考察するように努める必要があります。例として、自己の感じている寒さは、実際には自己の用いている有形体の熱が上昇しているために感じているものの、気温/室温が下降しているために感じていると判断する状況が挙げられます。この例の場合であれば、有形体の体温と気温/室温を測定して、有形体の状況(疲労の程度、食前/食後、食事の内容、など)、季節、天候、時間帯、などを総合して考察することで、寒さを感じている原因を推定できるようになります。

 なお、不誠実な生き方をしている者は、幻想の捉え方に基づいて外環境を瞬間瞬間の自己に都合良く捉えている(現実を捉えられていない)のに加えて、自身で造化し周囲へ漂わせている暗闇/騒擾[そうじょう](不誠実な活動性の性質の表現)が、無形体を通した外環境の認識を阻碍しています。暗闇は外環境を有形的/無形的に感じ取り難くさせ、騒擾は外環境を歪めて感じ取らせており、これは、装着したヘッドフォンで大音量を鳴らしながら、同時に目隠しをして、周囲の状況を視て聴こうとしている状況に譬[たと]えられます。音量の大きさや、目隠しの厚さは、周囲へ漂わせている暗闇/騒擾の濃さによって異なり、薄い暗闇/騒擾を漂わせているのならば音量は比較的に小さく、目隠しも比較的に薄いといえます。一方で、濃い暗闇/騒擾を漂わせているのならば、音量は大きく、目隠しも厚いといえます。活動性の性質の表現については、3章9節 精神 #活動性の性質の表現を参照してください。

 誠実な生き方をしている者は、自身で造化し周囲へ放っている輝き/静謐(誠実な活動性の性質の表現)が、他者によって造化され周囲へ漂わせている暗闇/騒擾から受ける影響を打ち消し、無形体を通した外環境の認識を阻碍させないようにしています。輝き/静謐を造化することで、暗闇/騒擾から影響を受けて、外環境を有形的/無形的に感じ取り難くなる状況や、歪めて感じ取らせる状況を軽減させているのです。ただし、輝き/静謐は、外環境を認識させ難くしている障碍を取り払うだけであり、自身の成長段階よりも高い程度に無形体を通して外環境を認識させやすくする状況はありません。

(1000/1000)

 自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく不誠実な生き方をしているのに、自身は誠実な生き方をしていると思い込んでいる状況は頻繁にみられます。寧[むし]ろ、不誠実な生き方をしている者の中で、自身は「不誠実な生き方をしている」「利己的/自己中心的に生活している」と自覚している者は少数です。不誠実な生き方をしている多数の者は、自身の生き方を自覚できるものの自覚していません。そして、自身の生き方を自覚しようとも(省[かえり]みようとも)しません。

 不誠実な生き方をしているのに自身は誠実な生き方をしていると思い込んでいる状況は、様々な分野/場面で拡くみられますが、成長の観点からみると、スピリチュアリズムの普及活動/宗教団体の活動へ参加している者や、霊的成長、スピリチュアル、宗教学、神学、哲学、自己啓発、などの書物を読んだり、講演へ参加している者に多くみられます。これらの者たちは、自覚のある表面的には、団体へ所属して活動をおこない、また、書物を読み講演へ参加することで「成長している」と思い込んでいますが、自覚できるものの自覚のない本質的には、「他者よりも自己は成長している」という幻想の順位付け(序列/優劣)を造り出して虚栄心を満たしているのです。

 幻想の捉え方は、眼前のあらゆる物事を瞬間瞬間の自己に都合良く自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく利用して虚栄心を満たそうとする点に留意してください。不誠実な生き方は劣っていて、誠実な生き方は優れていると自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく順序付けたのならば、自己が実際におこなっている生き方に関わらず、「自己は誠実な生き方をしている」と自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく思い込み、また、「自己は誠実な生き方をしている」と他者へ喧伝[けんでん]して虚栄心を満たすのです。社会では、「誠実な生き方をしている」と思い込んでいる自己が、「不誠実な生き方をしている、あるいは、自己よりも低い程度の誠実な生き方をしている」ように思い込みで捉えた相手の発言/行動/仕草/癖などに対して、表面的には相手へ諫言[かんげん]/助言/忠告しているように偽装し、本質的には相手を侮[あなど]り/嘲[あざけ]り/蔑[さげす]んでいる状況は頻繁にみられますが、自己が相手と同様の発言/行動/仕草/癖をおこなっているのには気づきません。なお、誠実/不誠実に大別される無数の生き方に優劣はありません。霊としての成長を促進するためには、不誠実な生き方を辞め、誠実の程度が高い生き方を求め実践していく必要があるというだけです。

 誠実な生き方をしている者は、「自己は誠実な生き方をしている」と喧伝しません。「誠実な生き方をしている」と他者へ喧伝する目的が不誠実な性質を有していることに気づいているためです。そして、誠実な生き方をしている者は、常に、現在の誠実な生き方よりも、更に高い程度の誠実な生き方を求めています。現在に誠実な生き方をするように努めているけれども、更に高い程度の誠実な生き方を求めているために、高い程度の誠実な生き方から捉えると「現在の生き方は誠実とは言い切れない」と理解しています。

 自己の生き方は、自身を誠実に詳細に内省するのならば自[おの]ずと気づきます。加えて、自身を誠実に詳細に内省できるのならば、同時に、あらゆる他者の生き方も観察/考察して判断でき、更に、筋反射検査を用いて知ることもできます。筋反射検査の検査条件を満たし、検査内容が現在の自己の状況/成長段階で「大霊より検査を許可されている範囲内」であるのならば、自己の生き方も、他者の生き方も知ることができます。地上の肉眼に視える物的な物事は隠蔽[いんぺい]/偽装/欺瞞[ぎまん]できても、肉眼に視えない物事で隠蔽/偽装/欺瞞できるものは何ひとつ無いのです。筋反射検査については、1章3節 筋反射検査を参照してください。

(1000/1000)

 幻想の捉え方に陥[おちい]って、幻想の捉え方に基づく不誠実な生活をするようになり、自己を誠実に内省することなく、内省していると自己に都合良く思い込んでいる期間は、幻想から脱却できません。少しでも現在の生き方へ違和感/疑問を感じ取り、自己を誠実に内省しようと努めるまでは、自問しておこなう内省も、幻想に基づいて自己に都合良くおこなうようになってしまいます。現在の生き方へ自身で気づこうとする「何らかの切っ掛け」が必要なのです。

 幻想の捉え方に基づく生き方は、現実の生活から逃げるために眠り続けて、夢の中で生活している状況へ譬[たと]えられます。現実の生活では、眼前の出来事/現象が常に自己に都合良く起きる状況はないために、あらゆる物事を「ありのまま」に捉えるように努めなければ生活が成り立ちません。しかし、夢の中で生活しているのならば、眼前の出来事/現象を常に自己に都合良く妄想で創り出せるために、あらゆる物事を自己に都合良く捉えることができます。この幻想の捉え方による夢の中での生活は、誰かが外から目を覚まさせてくれる状況はありません。自身で夢と気づき、自[みず]から目を覚ますしかないのです。夢と気づき目覚めようとしない限りは、何時[いつ]までも夢の中で生活し続けるだけでなく、徐々に深い眠りへと陥っていくようになり、更に目覚めから遠のいていきます。

 自己にとっての現実(自己の認識する世界)は、自己の内面が反映されているために、自己の内面と向き合う勇気をもつことで眼前の現実と向き合えるようになります。これが幻想の捉え方によって「現実と思い込んでいる夢」から目覚めるための方法であり、自己の行為/生活/生き方を内省するために必要な最低限の条件でもあります。自己の認識する世界は自己の内面が反映されていることについては、2章1節 世界全体の構造を参照してください。

 なお、幻想の捉え方は、不誠実な生き方をしている場合だけでなく、誠実な生き方へ努めていても自覚できるものの自覚なく陥っている状況が多くみられます。常に幻想の捉え方へ陥っていなくても、有形体の状況、外環境の状況、精神の状況、などにみられる特定の状況では陥っている場合があるのです。自問しておこなう内省を適切に実践していくためにも、自己への誠実さと、自己の内面/行為と向き合う勇気を常に保ち続ける必要があります。

(1000/1000)

 誠実/不誠実な生き方の違いが、日常の生活での捉え方の違いへ表れている具体的な例として、拡く知られている至言の「自己がしてもらいたい行為を、自己が他者へ率先しておこないなさい」(意訳)を読んだ場合にみられる捉え方の違いを下記へ紹介します。

 誠実な生き方をしている者は、この至言の内容を愛の行為について述べていると理解します。「自己がしてもらいたい行為」についてを、ある状況で自己ならば他者へ、このような行為をおこなって支援/援助したい、という内容として捉えるためです。そして、「自己が他者へ率先しておこないなさい」についてを、同じ支援/援助の内容を他者が自己へおこなわなくても、他者の行為に関係なく、自己は他者へおこなう、という内容として認識します。愛の行為については、5章6節 愛の行為を参照してください。

 一方で、不誠実な生き方をしている者には、「自己がしてもらいたい行為」とは、ある状況で自己の利己性/自己中心性/欲望を満たすための内容や、他者が自己に都合の良い行為をおこなうことを指しています。加えて、「自己が他者へ率先しておこないなさい」は、自己が他者よりも率先して利己的/自己中心的な行為をおこなう、あるいは、自身のおこなう利己的/自己中心的な行為を他者へおこなわせる、という内容として認識します。至言の内容を、自身の利己的/自己中心的な行為を正当化し、利己的/自己中心的な行為や欲望の追求を他者へ唆[そそのか]すための理由/根拠として利用しているのです。

 この至言を例とした誠実/不誠実な生き方による捉え方は、双方の生き方の違いを際立[きわだ]たせるために誇張した表現ではなく、日常の中で自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なくおこなわれている物事の捉え方や発言/行動を、そのままに描写しています。日々の生活でおこなわれている些細な行為から具体的な例を挙げると、誠実な生き方をしている者が、相手へ「ありがとう」と伝えるのは、相手へ謝意を表すために用いており、無用に頻発して用いません。一方で、不誠実な生き方をしている者は、「ありがとう」の発言を、相手へ謝意を表すためではなく、「ありがとう」と伝えておかなければ自己が相手から低く評価されるのではないか? という自己の恐れ/怯えに基づいて狡猾におこなっている状況が頻繁にみられ、眼前の状況に関わらず、乱発して用います。そして、「ありがとう」と相手へ伝えている自己に陶酔して虚栄心を満たしています。

 地上の生活では、誠実/不誠実な生き方をしている者が同じ場に混在していますが、両者では物事の捉え方が大きく異なるために、誠実な生き方をしている者は、誠実な生き方をしている者と手を組み協力し相互に助け合い、一方で、不誠実な生き方をしている者は、不誠実な生き方をしている者と手を組み互いを利用し合います。誠実な生き方をしている者と、不誠実な生き方をしている者が協力する状況はみられません。これは、個体間だけでなく、国家間の外交や内政などの共同体の運営にも端的に表れており、誠実な生き方をしている者たちの集団/陣営が、不誠実な生き方をしている者たちの集団/陣営と対峙する状況がみられる、あるいは、不誠実な生き方をしている者たちの集団/陣営が、不誠実な生き方をしている者たちの集団/陣営と対峙/応酬する状況はみられるものの、誠実な生き方をしている者たちの集団/陣営が、誠実な生き方をしている者たちの集団/陣営と対峙する状況はみられません。

 お互いが支え合い、お互いを助け合う 「つながり」 が、世界を絶え間なく造り出しています。この「つながり」こそが世界そのものであり、自己を他者/全体へ役立てようとする思いに基づいておこなわれる誠実な行為が、つながりを強め、つながりを拡げ、世界を進化させているのです。他者を自己に都合良く役立てようとする不誠実な行為は、つながりを断ち切る生き方であり、その生き方は世界の中で孤立するのではなく、世界から自己の存在を消し去ろうとしていることへ気づく必要があります。

(1000/1000)

 譬[たと]え話を現実の内容として捉えるのは、幻想の捉え方と密接に関連しています。寓話[ぐうわ]/譬え話を通して、寓話/譬え話が伝えようとしている「本質となる内容(伝える目的)」を捉えるように努めることなく、表面的な内容を自己に都合良く捉えているのです。これは、外環境へ表現された他者の言動の目的を、自己に都合の良い目的へ置き換えて(幻想の捉え方)、他者の目的に基づいておこなわれた言動の内容を捉えているのと同様です。

 重要なのは、寓話/譬え話が伝えようとしている「本質となる内容」を捉えることができない/理解できないのではなく、捉える/理解するように努めていない、あるいは、捉える/理解する意志がない点にあります。捉える/理解するように努めないために、自身に都合良く捉えてしまうようになるのです。寓話/譬え話を伝えた者と同等の程度で捉え理解できなかったとしても、自身の認識の程度に相応する程度で捉え理解することはできます。捉えるように/理解するように努めない限り、何時[いつ]までも捉えることができる/理解できるようにはなりません。認識の程度による理解の可/不可については、3章3節 分霊 #質疑応答の「自己の属する次元と、つながりのある次元は、どのような違いがあるのですか?」を参照してください。

 先人は多くの無形的認識に基づいて得た知識を、他者が理解しやすいように、有形的認識に基づく地上での物事へ譬えて伝えてきました。しかし、伝えられた多くの者たちは、譬えで示された物的な内容へ囚われ、誤認し、先人が伝えようとした無形的な内容の知識を理解しようとしませんでした。そして、譬えで示された物的な内容を「実際におこなう状況が肯定/容認されている」と思い込み、自身に都合の良い行動をおこなう理由として利用してきたのです。例として、自己の内面で「物質の心から受ける誘惑の影響へ打ち克つ」という無形的な内容を、剣で戦うことへ譬えた場合に、実際に剣で戦う/争う状況が肯定/容認されていると捉え、他者/他国/他民族と戦い/争いをおこなう理由にしてきました。

 地上社会では、様々な宗教団体の伝承にみられる、聖地、約束の地、楽園、真実の街、などを、有形的認識の優勢な者が「伝承で示されている場所は、地上の特定の地域を指している」と思い込んでいるために、過去から現在に至っても、地上の特定の地域を巡って対立/紛争/迫害が連綿と続いています。様々な宗教団体の伝承にみられる聖地/約束の地/楽園/真実の街などは、地上の特定の地域を指しているのではなく、伝承を造り出す基となった無形的認識の優勢な者が、無形界を指して用いています。物的な生活をしている地上では、物的に実感できない無形界を捉え難いために、無形的認識の優勢な者は、有形的認識の優勢な者たちが明確に実感しやすくする目的で、無形界を「地上の特定の地域」へ譬えて指し示しました。無形界を「地上の特定の地域」へ譬えたのは、物的に実感できる特定の地域での生活を目指すことで、日々の生活でおこなう成長の実践や、遭遇する苦難へ、強い意志で立ち向かえるようになるためです。ただし、様々な宗教団体の伝承は対立/紛争/迫害の原因ではなく、切っ掛けとして都合良く自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく利用されているだけに過ぎません。対立/紛争/迫害の原因は、恐れ/怯えから眼を逸らしたい、利己性/自己中心性/欲望を満たしたい、などの不誠実な目的にあります。

 寓話/譬え話から「本質となる内容」を捉える/捉えない状況と同様に、同じ書物を読んだとしても、成長の程度、生き方、有している認識の方向性や固定観念/既成概念、貯蔵している情報/知識、などによって、読み取る内容が異なります。典型的な例として新約聖書が挙げられ、記載されている物的な行動を通して無形的な愛を読み取る者もいれば、記載されている物的な行動そのものを読み取る者もおり、記載されている物的な行動の中から自己に都合の良い物的な行動のみを読み取る者もいます。

 譬え話を現実の内容として捉えることには、小説、漫画、映画、ビデオゲーム、などにみられる「創作された内容」を現実(実在する内容)として捉える状況も含まれます。これらの内容は創作だと自覚して認識しているものの、同時に、自覚できるものの自覚なく実在すると誤認している場合もみられ、自覚できるものの自覚のない固定観念/既成概念(囚われ)の形成へつながっています。形成された固定観念/既成概念は、小説、漫画、映画、ビデオゲーム、などにみられる「創作された内容」に基づいて、眼前の状況を捉えさせるようになり、眼前の現実を「あるがまま」に捉えられなくしています。現実を参考にして様々に想像を付け加え創作された実在しない内容が、実在する現実を観察/考察する土台となってしまう「本末転倒」といえる状況を造り出しているのです。

 寓話/譬え話から「本質となる内容」を捉えやすい/捉え難い状況は、成長段階の違いにもみられます。成長段階を表す指標のひとつとなる内的成長度から捉えた場合では、内的成長度500は、認識に占める有形的/無形的認識の割合が、有形的認識の優勢な状況から無形的認識の優勢な状況へと移行する区切りであり、内的成長度500未満とは物事の捉え方が質的に異なります。内的成長度については、4章3節 内的成長度を参照してください。

 様々な物事を捉える際に、内的成長度500未満では、物事の物的/有形的な側面を主軸に置いて考察し、物的/有形的に考察した内容に基づいて発言/行動しています。内的成長度が500を越えると、物事の無形的な側面を主軸に置いて考察し始め、無形的に考察した内容に基づいて発言/行動するようになります。内的成長度500を区切りとして、物事を考察する際の主軸となる側面が異なるために、内的成長度500以上の者と、500未満の者の間で意思の疎通に齟齬[そご]を生じやすくなります。例として、物的な対立/諍[いさか]いの起きている状況で「白旗を挙げる」という譬[たと]えを、物的/有形的な側面から考察する者は、肉眼/霊眼に視える行動そのものへ意識が向いているために「相手への降伏/降参/屈服/敗北」と捉えます。一方で、無形的な側面から考察する者は、行動の目的へ意識が向いているために、勝敗/優劣や自己の都合に関係なく「対立を解消するための対話を拒否/拒絶しない」と捉えます。

 この質疑応答に関連する内容には、4章2節 有形界での成長 #質疑応答の「ゲームを通して成長への学びを得ることはできますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 幻想の捉え方に基づく特徴的な語/慣用句は数多くみられ、それぞれの語/慣用句は幻想の順序付けを土台とした定義を有しています。これらの語/慣用句は、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく恐れ/怯えを隠し、恐れ/怯えを引き離すために用いられており、誠実な生き方をしているのならば用いる状況がありません。ただし、語/慣用句の定義そのものが不誠実な性質を有しているのではなく、これらの語/慣用句が、不誠実な目的に基づいてのみ用いられる点に留意してください。語/慣用句の定義そのものに誠実/不誠実はありません。

 日本語で用いられている幻想の捉え方に基づく特徴的な語は、標準語に比べて、各地方で用いられている方言に多くみられる場合もあり、更に、それらの方言が標準語化している状況もみられます。社会で頻繁に用いられている幻想の捉え方に基づく特徴的な語/慣用句として、下記へ3つを例に挙げます。

  • 「差別化を図[はか]る」
    • 相手よりも優位にありたいという競争に囚われて用いられています。競争ではなく、共生を目指す必要があります。
  • 「聞き捨てならない、生意気だ、身の程を知れ、何様のつもりか、など」
    • 自己/相手は対等ではなく、自己は相手よりも優れている、あるいは、自己よりも相手は劣っている、と思い込むことで用いられています。年齢、性別、役職、先輩/後輩、などに関係なく、平等/対等に応対する必要があります。
  • 「商戦、選挙戦、◯◯争奪戦、など」
    • 他のもの(他者/他社など)は自己にとっての脅威であり、蹴落とす対象や排除/排斥する敵として捉えたうえで用いられています。戦い/対立ではなく、融和を有する必要があります。

 加えて、恐れ/怯えを隠すために虚勢を張って、他者を侮[あなど]り、嘲[あざけ]り、蔑[さげす]むために用いられている慣用句には、「◯◯のくせに」「◯◯風情[ふぜい]」「◯◯の分際で」などがみられ、◯◯には自身の有する幻想の順序付けによって低く位置づけている物事が入れられています。なお、「◯◯風情」と「風情(情緒)がある」は全く異なる定義として用いられている点に留意してください。これらの慣用句と組み合わせて、自己のおこなった行為に対して他者から指摘されると、「偉そうに」と言い返す状況も多くみられます。伝統的に用いられている慣用句だけでなく、他者を侮り/嘲り/蔑むための造語は日々に造り出されており、社会では流行の一部として扱われています。

 更に、利己的/自己中心的な目的に基づいておこなう行動を正当化するために、格好良くみえるような、あるいは、学術的にみえるような用語(造語)を造り出して、行動に名称をつける状況も頻繁にみられます。例として、代替的な事実(オルタナティヴ・ファクト)、消極的な武力行使、積極的な自衛権、などが挙げられ、一見すると語は整合性のある定義を有しているようにみえるものの、定義を詳細に考察すると、利己的/自己中心的な目的を狡猾に隠しながら押し通すために造り出されていることへ気づくようになります。

 誠実な生き方へ努めていると、他者の発言、書物、映画、音曲の歌詞、テレビ/ラジオの番組、などで幻想の捉え方に基づく特徴的な語/慣用句が用いられると違和感/不自然感を感じ取るようになります。違和感/不自然感を感じ取った語/慣用句が、どのような話し方をする者によって、どのような状況で、どのような文脈の中で用いられているのか? を考察することで、幻想の捉え方に基づく特徴的な語/慣用句が、どの程度に「社会の既成概念を形成しているのか」へ気づくようになるために、自己の何気[なにげ]なく用いている語/慣用句を内省する切っ掛けとなります。語/慣用句については、6章2節 書物を読む際の留意点も参考にしてください。

 地上の歴史では、人と人が様々な地域で途絶えることなく連綿と争い続けてきたために、どの地域で用いられている言語でも、争いに起因する語が多く造り出されています。これらの争いに起因する語の中には、同じ定義のままで、争いに起因しない語へ置き換えできない語も多くみられます。日本語を例とした場合では、競争、挑戦、陣営、などが挙げられます。

(1000/1000)

 幻想の捉え方に基づいて、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく瞬間瞬間の自己に都合良く、相手の発言した語の発音の聴き取り違いをしている状況も多くみられますが、発音の聴き取り違いのすべてが、幻想の捉え方に基づいているのではありません。

 発音の聴き取り違いは、定義の異なる語(語の文字も異なる)で類似する発音の場合に生じやすいですが、特に、日本語や中国語では、同じ発音で定義の異なる内容を示す場合が比較的に多くみられるために生じやすいといえます。日本語での例として、橋、箸、端、などは「はし」と発音しますが、それぞれの語が表す定義は異なります。

 日常の中では、語の発音と、発言された内容の文脈から、語の定義を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく推測していますが、推測には、自己の内面の状況が大きな影響を与えています。推測するための土台は、誠実/不誠実な捉え方(推測する目的)と認識の程度であり、これらに基づいて、有している習慣や固定観念/既成概念の内容/強さ、貯蔵している情報/知識の内容/程度、生活/職務/学業の内容/状況、などが組み合わさり総合されて相手の発音した語の定義を推測し、推測の結果として「特定の定義」を選択しています。そのために、熱/疲労の程度、現在の内面の状況(精神で造化している表現の種類/内容も含む)、などによっては、あるがままに相手の発言を捉えるように努めているとしても、発音や用語の聴き取り違いは起こり得るのです。語の定義を推測する例として、ある発音の語に対して、特定の分野の職業に就いている者には、その分野で用いられている語の定義に基づき、相手の発言した語の発音を優先して聴き取ります。一方で、同じ発音の語であっても、他の分野の職業に就いている者には、他の分野で用いられている語の定義に基づき、相手の発言した語の発音を優先して聴き取る傾向がみられます。

 幻想の捉え方に基づいて、相手の発言した語の発音の聴き取り違いをしている状況では、聴き取った発音から、瞬間瞬間の自己に都合の良い利己的/自己中心的な優先順位で、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく語の定義を選択しています。言い換えると、相手の発言した内容の文脈を自己に都合良く置き換えたうえで用いられている語を定義している、あるいは、相手の発言した内容の文脈を無視して自己に都合の良い語の定義を選択しているといえます。これは、幻想の捉え方によって会話が成り立たない状況とも関連しています。更に、幻想の捉え方では、自己の発言している内容を内省しないために、相手へ伝える内容で用語を取り違えて用いていたとしても気づかず、相手へ異なる内容として伝えている状況も多くみられます。伝えられた相手が、伝えられた内容に基づいて行為をおこなうと、自己が伝えた内容(実際には相手へ伝わっていない内容)とは異なるために、相手を非難/批判/糾弾する、怒り/苛立ち/悲しみなどの感情を造化する、僻[ひが]む、などをおこないます。

 自己は、あるがままに相手の発言を捉え、文脈や発音から語の定義を誠実に推測するように努めているとしても、相手が幻想の捉え方に基づいて発言している場合には、発音の聴き取り難い状況もみられます。自己が文脈や発音から語の定義を誠実に推測するように努めているのならば、自己に都合良く定義を推測しようとしないために、相手へ発音を聴き返す場合もあるのですが、聴き返しても聴き取れないのです。発音の聴き取り難い状況については、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「同調する活動性の程度を高めるように努めていると、相手の発言の内容を聴き取れない状況が増えてきたのですが、どうしてでしょうか?」を参照してください。

 語の発音の聴き取り違いに加えて、幻想の捉え方に基づき、相手の発言を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく聴き取らない状況もみられます。この状況では、相手へ発言の内容を聴き返し、相手へ再度に(あるいは何度も)発言させることで、相手を自己の思い通りに行動させていると感じ取れるために虚栄心を満たせるのです。相手の発言を自覚できるものの自覚なく聴き取らない状況では、自己は発言の内容を聴き取れていないために聴き返していると思い込んでいますが、相手が誠実な生き方へ努めている場合には、発言の内容を聴き取れていないために聴き返しているのではないと気づいています。

 なお、幻想の捉え方によって会話が成り立たない状況には大きく2つがみられます。

 1つ目は、相手が、ある内容を自己へ伝えている途中で、相手の発言を遮[さえぎ]り、自己の意見を述べる(喋[しゃべ]る)場合です。相手の発言を最後まで聴いていないために、相手が自己へ伝えている内容の全体と、伝えている目的を把握していません。そのため、自己の述べた意見の内容が、相手のおこなった発言の目的/内容への適切な応答とはなっておらず、両者の目的/内容に整合性がないために会話が成立していませんが、自己は相手のおこなった発言の目的/内容へ適切に応答していると思い込んでいます。多くの状況では、自己の意見は、相手の伝えている内容の一部と関係があると思い込んでいる利己的/自己中心的な内容で構成されています。相手の発言を途中で遮[さえぎ]り自己の発言を割り込ませる状況は、軽率/迂闊によって手間を増やす行動であり、相手との対話において、相手が伝えようとしている発言の内容に加えて、相手に「本来ならば無用な発言」を追加でさせなければならない状況を造り出しています。また、相手と対話している過程で、相手が発言する状況に先回りして(相手が発言しようとするのを遮って)、相手からクイズを出題されたかのように「わかった〇〇でしょう」と発言する状況も多くみられ、自己には相手のおこなう発言の内容が「お見通し」なのだと思い込むことで虚栄心を満たしています。

 2つ目は、相手の発言を最後まで聴いていたとしても、相手が自己へ伝えている内容の全体と、伝えている目的を把握していない場合、あるいは、把握する意志がない場合です。自己について喋りたいだけであり、相手が何を伝えていたとしても自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく「自己には関係ない」と捉えています。相手が自己へ伝えている内容を有形的な音(言語)としては認識していますが、無形的な言葉としては認識していないために、会話が成立しようもありません。

 更に、不誠実な生き方をしている者とは会話が成り立たないために、眼前の状況や、今後に遭遇する可能性のある状況に対して留意/考慮しておく必要のある内容を相手から伝えられた際に、不誠実な生き方をしている者は、伝えられた際には「把握している」と自信をもって(あるいは虚勢を張って)返答するものの、実際には留意/考慮せず、そのために自身に都合の良くない状況が起きたのならば、相手へ「どうして伝えてくれなかったのか?」と詰め寄る、あるいは、「相手から伝えられていない」、「相手の伝え方が悪い」と相手へ責任逃避します。もしも、自己に都合の良くない状況が起きなかったとしても、留意/考慮しないために、その状況へ適切な対応ができません。一方で、誠実な生き方をしている者は、相手から留意/考慮しておく必要のある内容を伝えられたのならば、その内容を盲目的に信じ込まずに自身で考察したうえで、必要な内容を留意/考慮するように努めます。

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