書物を読む際の留意点

6章 附録 - 2節 書物を読む際の留意点

個々の記述の真実度: 999.5-1000
節全体の真実度: 1000
節全体の活動性: 1000

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節の内容について

  • この書物を読む際の留意点の節では、書物へ掲載されている内容を把握する際に、留意して読み進めることで、無用な誤解を防ぎ、理解の促進を手助けする事項を掲載しています
    • この節の内容は、書物を読む際に焦点を当てて記述していますが、様々な情報を取り入れ、理解する場合にも用いることができます

表現としての書物

  • (1000/1000) 書物へ掲載されている内容は、著者の精神で造化された、思考、閃き、直観、などの肉眼に視えない表現が、文字、図表、などを通して、肉眼に視える表現として現[あらわ]された記述の総体です
    • 書物に掲載されている記述のひとつひとつが造化された表現であり、それぞれが誠実/不誠実の性質、真実度、付与された活動性、を有しています
    • それぞれの記述が有する性質/真実度/活動性の総合が、書物へ掲載されている内容全体の有する性質/真実度/活動性を決定します
    • 加えて、書物へ掲載されている記述の内容には直接的に関連しない、書物の表題/副題、書物の編集方法、体裁、装飾、章立ての構成、目次/用語一覧の構成、なども、書物へ掲載されている内容全体の有する真実度/活動性の程度へ影響を与えます
(1000/1000) 書物の真実度
(1000/1000) 書物の真実度
  • (1000/1000) ただし、それぞれの記述が有する真実度の平均、最高値、最低値、中央値、などが、書物へ掲載されている内容全体の真実度を示しているとは限りません
    • 書物へ掲載されている内容全体の真実度は、有形的な記述が有する真実度の総合ではなく、有形的な記述へ変換される基となった印象の総合を、書物へ掲載されている内容全体として、どの程度に表現できているのか、で示されます
    • 書物へ掲載されている内容全体の真実度は、おおよそ、それぞれの記述が有する真実度の平均を示す場合が多くみられますが、平均よりも大幅に高い、あるいは、低い場合もみられる点に留意してください
(1000/1000) 個々の記述と書物全体の真実度
(1000/1000) 個々の記述と書物全体の真実度
  • (1000/1000) 真実度と同様に、それぞれの記述へ付与された活動性の程度の平均、最高値、最低値、中央値、などが、書物へ掲載されている内容全体が示す活動性の程度を表しているとは限りません
    • それぞれの単語へ活動性が付与され、単語へ付与された活動性の総合が複数の単語を組み合わせて造られる記述の活動性を示し、複数の記述が示す活動性の総合が段落の活動性を示し、複数の段落が示す活動性の総合が章の活動性を示し、複数の章が示す活動性の総合が書物へ掲載されている内容全体の活動性を示します
    • それぞれを組み合わせる過程では、文法、書き方、編纂方法、記述された内容の纏[まと]め方、などの経験へ保存されている習慣/技術が、活動性を追加で付与しています
    • 活動性が順次に総合される過程で、誠実な性質の活動性のみが付与されている場合では、書物へ掲載されている内容全体の活動性は、それぞれの記述へ付与された誠実な性質の活動性が有する程度の総合として示されます
    • 誠実な性質の活動性だけでなく、不誠実な性質の活動性も付与され、誠実/不誠実な性質の活動性が混在している場合では、書物へ掲載されている内容全体の活動性は、それぞれの記述へ付与された不誠実な性質の活動性が有する程度の総合として示され、誠実な性質の活動性が付与されていても誠実な性質の活動性の程度は示されません
    • 書物へ掲載されている内容全体として示される活動性の程度は、おおよそ、それぞれの記述へ付与された活動性の程度の平均を示す場合が多くみられますが、平均よりも大幅に高い、あるいは、低い場合もみられる点に留意してください
    • 書物全体として示される活動性の性質/程度にみられる特性は、書物全体の「主題」を表しています
(1000/1000) 個々の記述と書物全体へ付与された活動性の程度
(1000/1000) 個々の記述と書物全体へ付与された活動性の程度
  • (1000/1000) 書物へ掲載されている内容全体の真実度/活動性の程度の測定値は、書物へ掲載されている内容が表す「おおよその表現の程度」を知る参考となり、自己の現在の成長段階に適した内容を選択する際に役立ちます
    • 必ずしも、真実度/活動性の程度の高い書物から学びを得やすいとは限らず、自己の現在の内的成長度(認識の程度)に相応する真実度/活動性の程度の書物が理解しやすく、学びを多く得られる場合もあります
    • また、自己の現在の内的成長度よりも、低い真実度/活動性の程度を有する書物からは学びがないのではなく、自己の理解しやすい程度で印象が変換されている内容よりも、低い変換の程度で内容が表現されているという点に留意して読み進めることで、内容を理解しやすくなり、学びへとつながります
  • (1000/1000) それぞれの記述が有する真実度/活動性の程度の測定値は、読み進める中で、個々の記述の内容を考察する際に役立ちます
    • ひとつの書物の中でも、それぞれの記述が有する真実度/活動性の程度は様々なために、個々の記述が有する真実度/活動性の程度を考慮して、個々の記述の内容を理解するように努めることで、ある記述と他の記述の「内容のつながり」を把握しやすくなります
    • 加えて、理解し難い、腑に落ちない、違和感を感じる、などと捉える記述がある場合には、記述の真実度/活動性の程度の測定値と、自己の認識の程度を照らし合わせて、理解し難い要因を考察するために用いることができます
    • 必ずしも、自己の認識の程度よりも高い真実度/活動性の程度を示す記述から、理解し難い、腑に落ちない、違和感を感じる、などと捉えるとは限らず、自己の認識の程度よりも低い真実度/活動性の程度を示す記述からも捉える状況は多くみられます
  • (1000/1000) 同じ内容の印象に基づいて記述されている書物であっても、著者によって、書物へ記載されている内容は異なる真実度/活動性の程度を有しており、中には、書物へ記載されている内容に類似点が見い出せない場合もあります
    • これは、著者の成長の程度、思考の方向性、貯蔵する情報/知識の内容/程度、語彙[ごい]の多さ/偏重、有している固定観念/既成概念の内容/強さ、習慣の内容/強さ、書き方などの技術の内容/熟練度、などの違いによって起こります
    • 加えて、翻訳書は、原著の内容に基づいて変換されているために、原著よりも高い真実度/活動性の程度を有する注釈、再編纂、などをおこなわない限り、翻訳書の真実度/活動性の程度が、原著の真実度/活動性の程度を上回る状況はありません
(1000/1000) 表現の変換と真実度/活動性
(1000/1000) 表現の変換と真実度/活動性
  • (1000/1000) 書物へ掲載されている内容を構成する、それぞれの記述の中で、不誠実な目的に基づいて記述された内容が僅かにでも含まれていると、書物全体へ掲載されている内容は、不誠実の性質を有していることになります
    • ただし、不誠実に感じ取れる記述が含まれていても、不誠実な目的に基づいて記述されていないのならば、記述の内容は不誠実な性質を有していません
    • 記述の内容を理解しやすく伝えるという誠実な目的に基づいて、不誠実に感じ取れる表現を用いている場合もみられます
    • 例として、暴力/残虐な内容の文章/絵図であれば不誠実な性質を示すのではなく、破壊/不調和を望む不誠実な目的で記述された暴力/残虐な内容が不誠実な性質を示し、一方で、平和/調和を願う誠実な目的で記述された暴力/残虐な内容は誠実な性質を示します
    • なお、著者が誠実な目的に基づいて不誠実に感じ取れる表現を用いていたとしても、読者の内面の状況によっては、不誠実に感じ取れる表現が、読者の利己性/自己中心性/欲望を喚起する場合もあります
  • (1000/1000) 書物へ掲載されている内容が同じ方向性を示しており、測定される活動性の程度が同等でも、内容の有する誠実/不誠実の性質は異なる場合もある点へ留意してください
    • 例として、地上の様々な地域を旅する内容(同じ方向性の内容)の書物が2冊ある場合に、双方の書物へ掲載されている内容全体が示す活動性の程度は130で測定されたとしても、一方の書物では誠実な性質の活動性の程度が示されており、他方の書物では不誠実な性質の活動性の程度が示されている状況もみられます
    • 測定される活動性の程度が200以上ならば、誠実な性質のみの内容で構成されています
    • 測定される活動性の程度が200未満ならば、誠実な性質の内容のみの場合と、誠実/不誠実な性質の内容の混在している場合があるために、内容の有する誠実/不誠実の性質も、あわせて検査することを推奨します
    • 書物へ掲載されている内容全体へ付与された活動性の程度を測定する際には、不誠実な性質の内容が僅かにでも含まれていれば、不誠実な性質の活動性の程度が測定されます
    • 書物の内容へ不誠実な性質の内容が僅かにも含まれていない(誠実な性質の内容のみで構成されている)場合にのみ、誠実な性質の活動性の程度が測定されます

記述の性質

  • (1000/1000) 書物の著者は、記述を通して、自己の目的とする方向性へ、読者を誘導/操作することもできます
    • 特に、系列的理解を促すためには、進行方向を定める必要もあり、読者を誘導/操作すること自体が善い/悪いのではありません
    • ただし、著者の思惑通りに進ませることもできるために、読者は、著者の目的とする方向性へ流されて、書物へ掲載されている内容を把握する範囲が狭く限定されないように留意し、常に書物へ掲載されている内容全体を俯瞰[ふかん]して理解するように努める必要があります
  • (1000/1000) 記述の内容を理解し、更に、記述の内容として変換される基となった無形的な印象の内容を把握するように努めることで、有形的な記述の内容のみに囚われ/縛られない「広範な理解」ができるようになります
    • 記述としての有形的な表現よりも、印象としての無形的な表現は応用性が大きいために、印象の内容を把握することは、ある記述の内容と、他の記述の内容とのつながりを考察する際にも役立ち、加えて、書物へ掲載されている内容全体の記述のつながりを捉え、詳細な理解をできるようにもなります
    • また、他の書物へ掲載されている内容と相互に参照する際にも、それぞれの書物へ掲載されている内容が有する方向性や、語の有する定義の違いに囚われることなく、記述と記述のつながりを把握しやすくなります
(1000/1000) 文字/図表を通した印象の把握
(1000/1000) 文字/図表を通した印象の把握
  • (1000/1000) 無形界からの直接通信によって伝えられた内容は、受信者(交霊会の参加者/自動書記の筆記者)の成長の程度や生活状況に適した表現方法、貯蔵している知識の方向性に適した用語、などが用いられており、受信者が通信の内容を適切に理解できるように細心の配慮がなされています
    • 無形界から通信をおこなっている者の知識量、知識の程度、表現力、成長の程度、などが、通信内容の有する真実度/活動性の程度へ直接的に表されているのではなく、受信者に理解しやすい真実度/活動性の程度を有する内容としながらも、受信者の成長へとつながるように配慮されています
    • 無形界の通信者から印象として通信を受け取り、霊媒によって有形的な文字/言語を用いて変換された通信の内容は、通信を受け取る「地上の霊媒」が有している知識量、知識の程度、表現力、成長の程度、用語の定義、経験、固定観念/既成概念、習慣、などに大きな影響を受けており、これらは、通信内容の有する真実度/活動性の程度を決定する大きな要因にもなります
    • また、通信の内容は、地上の霊媒による影響によって、無形界の通信者が目的とする通りの内容、真実度、活動性の程度を表しているとは限りません
    • 加えて、通信がおこなわれた当時の様々な状況が、記述の内容へ影響を与えているために、当時の記述の内容そのままが、現在の地上社会の状況にも適合しているとは限らない点に留意し、記述の内容ではなく、無形界の通信者が通信する目的とした印象の内容へ焦点を当てて、記述の内容を理解するように努めると、多くの学びが得られます
  • (1000/1000) 無形界からの通信内容が纏[まと]められている書物では、無形界の通信者が通信する目的とした内容、地上の霊媒が記述の内容へ与えている影響の程度、また、地獄者たちが通信へ干渉したことで混入した内容、などを識別して把握するように努める必要があります
    • 特に、地獄者たちによる不誠実な目的に基づく通信内容は、尤[もっと]もらしい内容が多く含まれており、詳細に考察しなければ判別できない場合も多くありますが、これらの記述が有する真実度は極めて低く測定され、不誠実な性質を示します
    • 不誠実な通信内容の例として、「特定の修練をして肉体の振動数を高めれば、死ぬこと無く、肉体を保持したまま霊界で生活できる」などがありますが、もしも修練によってどれほどに有形体の活動性の程度(振動数)が高くなったとしても、有形体は有形界でのみ用いる体として造化されているために、有形界を構成する活動性の範囲を越える状況はなく、無形界では用いることができません
    • これらの不誠実な内容は、人の有する死に対する恐れ/怯えや、利己的/自己中心的な願望に漬け込んでいる場合が多く、常に自己の成長へ努め、幻想を排除し、誘惑を超越していれば、惑わされることはありません

用語の性質

  • (1000/1000) それぞれの用語は、用語が示す明確に定義された範囲を有しており、この定義された範囲を、自己/他者が共用することによって、言語が成り立ち、会話や執筆が可能となります
    • しかし、実際には、同じ用語が明確に同じ定義で用いられている状況は少なく、職業/学問の分野ごと、共同体ごと、地域社会ごと、などで定義の範囲に多少の違いがあり、中には、全く異なる定義の場合もあります
    • また、慣習、慣例、慣行、恒例、風習、習俗、などのように、同じ中核となる定義を有しながらも、定義を用いる状況/対象などの方向性の違いによって、中核となる定義の範囲以外に定義の範囲が追加され、異なる用語として成立している場合もあり、これらが「類義語」と呼ばれています
    • 加えて、宗教、スピリチュアリズム、のように、明確に同じ定義を有しながらも、異なる用語として成立している場合もあり、これらが「同義語」と呼ばれています
(1000/1000) 類義語と同義語
(1000/1000) 類義語と同義語
  • (1000/1000) 地上では、肉眼に視える物事/現象を示す用語は、複数の者が語を用いる場合の「定義の違い」は小さく、語が共用されることで、お互いの認識/理解に齟齬[そご]を生じさせる可能性は比較的に少ないです
  • (1000/1000) 一方で、肉眼に視えない物事/現象を示す用語は、複数の者が語を用いる場合の「定義の違い」が大きく、語は共用されていても、定義が異なる場合も多いために、お互いの認識/理解に齟齬[そご]を生じさせる大きな要因となっています
    • 自己は、他者から伝えられた語を、他者の定義ではなく、自己の定義で認識/理解しようとするために、自己/他者の有する定義が大きく異なれば、全く異なる内容として認識/理解します
    • 同様に、自己が用いる語の定義と同じ定義の語を、他者が異なる語として用いている場合もあります
(1000/1000) 用語がもつ定義の範囲
(1000/1000) 用語がもつ定義の範囲
  • (1000/1000) 日本語で用いられている、片仮名で示されている語は、漢字/平仮名で示されている語に比べると定義の範囲が拡いために、語を用いる者によって、定義の異なる場合も多くみられます
    • 日本語以外の表現技法(外国語)で定義された語を、日本語という表現技法で明確な定義へ変換(翻訳)できなかったために、定義を明確にした漢字/平仮名ではなく、外国語の読み方そのままが片仮名として用いられているのです
  • (1000/1000) 書物を読み進める中で、文脈全体から用語の示している定義を把握し、書物に用いられている語の定義と、自己が有する同じ語の定義を比較して考察することによって、内容の理解を促進し、学びへとつなげやすくなります
    • 書物で用いられている語が、自己の有する語の定義と、同じ定義で用いられているという思い込みを排除し、自覚して語の定義を比較検証しながら読み進めます
    • 語の定義を比較検証しながら読み進める過程で、理性/気づきによる警告(腑に落ちない、違和感、など)を放置せずに、用語の定義にみられる違いを都度に解決していきます

サイトの用語と類義語

  • 下記では、このサイトで掲載されている用語が有する定義と、書物などに見受けられる類似した定義を有する用語をまとめています
    • このサイトの内容と、書物などの内容を、相互に参照する際の参考にしてください
    • サイトで掲載されている用語が有する定義の範囲と、それぞれの類義語が有する定義の範囲が重なる領域は様々であり、定義が拡く重なる類義語もあれば、僅かにのみ重なる類義語もあります
    • 同様に、ある類義語と、他の類義語が有する定義の範囲も、重なりの程度は様々です
    • 加えて、同じ類義語でも、語を用いている著者によって、定義の異なる場合がある点にも留意してください
    • このサイトで掲載されている用語を各項目の上段に示し、類義語に相当する語を下段に並べています

世界の構造に関する用語

  • 世界の実相/生命の真相
    • 真理、神秘、智慧、永遠の哲学
  • 有形界
    • 物質界、地上
  • 無形界
    • 霊界、天界、天上界、冥界、光の世界

冥界の「冥」も、瞑想の「瞑」も肉眼に視えないものを指しており、冥界は肉眼に視えない生活環境であり、瞑想は肉眼に視えない活動性から受ける感覚へ意識を向けることを表しています。

  • 惑星圏無形界
    • 幽界、霊界
  • 宇宙圏無形界
    • 神界
  • 地獄層
    • 地底界、暗黒界
  • 大霊
    • 神、創造主、大生命、真理、永遠の実在
  • 無限の愛
    • 神性、大霊の資質、無限の力
  • 無限の叡智
    • アカシックレコード、霊界の記録簿、無限の知性、記録の樹
  • 活動性
    • 波長、振動、波動、活性度、力場、エネルギーフィールド、霊的エネルギー、創造的エネルギー、霊力、気、プラーナ、生命力、バイブレーション
  • 原素材
    • 霊的エネルギー、創造的エネルギー、霊力、気、プラーナ、生命力、生命素
  • 分霊(無形界の住人としての分霊)
    • 霊、魂、霊魂
  • 天霊
    • 天使
  • 地精
    • 霊、妖精、天使、自然霊
  • 天精
    • 霊、天使
  • 高い成長段階の分霊
    • 天使
  • 地獄者
    • 悪魔、悪霊、邪悪霊、地底人

地底人とは、地獄者が物的に地底で生活しているのではなく、地上で生活している人(誠実な生き方)よりも生き方の程度が低い無形的な状況(不誠実な生き方)を物的な地底と表しています。

人の構造に関する用語

  • 分霊(人の構造としての分霊)
    • 霊、分神、小神、魂、生命、統括霊/分霊、類魂、集合意識

サイトで用いている分霊の定義は、統括霊という語と、統括霊の対[つい]として用いられている分霊という語の総体を表しています。

  • 輝き(分霊の輝き/無形体の輝き)
    • 生命放射光、オーラ
  • 精神伝達
    • 想念伝達、精神感応、念話、以心伝心、テレパシー
  • 無形体
    • 幽体、霊体、神体、真体、アストラル体、メンタル体、スピリチュアル体、コーザル体

幽体(アストラル体)、霊体(メンタル体)、神体(真体/スピリチュアル体/コーザル体)、などは同調する活動性の程度に相応して造化する無形体の程度を表しています。高い活動性の程度で造化するほどに精細な無形体(神体以上)となり、低い活動性の程度で造化するほどに有形体に近似する粗雑な無形体(幽体)となります。

幽体という語の定義は拡く、有形体(物体)の4次元の側面を指している場合もあれば、有形体の4次元の側面と同等の活動性の範囲にある無形体を指している場合もあります。

  • 感受系
    • アストラル体、幽体
  • 無象系
    • コーザル体、神体
  • 有象系
    • メンタル体、霊体

感受/無象/有象”体”ではなく、”系”である点に留意してください。このサイトでは、それぞれが独立した”体”ではなく、無形体の機能系統を構成するひとつとして定義しています。

  • 有形体(4次元の側面)
    • エーテル体、半物質体、ダブル、複体
  • 有形体(3次元の側面)
    • 肉体、物質体
  • 涵養の糸
    • 生命の糸、シルバーコード、魂の緒[たまのお]
  • 大霊の心
    • Mind、Self、「自己」、全体的な自己、普遍意識、魂、内なる神性、大我、全我、真我、神我、神性、霊的自我、インナーアダルト
  • 分霊の心
    • mind、self、自己、個人的な自己、通常意識、小我、自我、個我

大霊の心で用いられている、Mind、Self、は大文字からはじまり、分霊の心で用いられている、mind、self、は小文字からはじまる点に留意してください。

  • 物質の心
    • エゴ、自我、肉の心、動物の心、獣性、インナーチャイルド
  • 理性
    • 良心、道義心、内なる声
  • 自覚できる意識
    • 顕在意識
  • 自覚できない意識
    • 潜在意識

潜在意識という語の定義には、このサイトで用いている「自覚できない意識」の領域を表しているだけでなく、自覚できる意識の領域で自覚できるものの自覚なく造化した思考/感情などの表現や、無自覚的に(自覚なく)造化した表現も含まれている場合があります。

  • 意識の受ける個体としての認識/感覚
    • 自我、通常意識
  • 意識の受ける全体としての認識/感覚
    • 神、普遍意識、統一意識、大いなる愛
  • 意識に占める心の割合(大霊の心が優勢)
    • 霊の優位性、霊主肉従
  • 意識に占める心の割合(物質の心が優勢)
    • 物質の優位性、肉主霊従
  • 有形的な表現
    • マインド、心、思考

多くの書物などで、マインド、心、として用いられている語の定義は、このサイトの内容では、精神で造化する表現の中で、誠実/不誠実な性質を有する有形的な思考、有形的/無形的な感情、などを指しており、このサイトで用いている心/精神の定義とは異なります。

多くの書物などで用いられている思考という語の定義は、このサイトの内容では、有形的な表現としての思考(有形的な思考)を指しており、無形的な印象としての思考(無形的な思考)は含まれていません。

  • 思考
    • 想念、思念、意念、意思、考え、思い

想念、思念、意念、などは、自由意志で選択した内容に基づいて、意志による強い方向性を加えられて造化された思考を指している場合もあります。

  • 閃き
    • 直観、直感、インスピレーション

サイトで用いている”閃き”は大霊の心に由来する表現、”直観”は分霊の心に由来する表現として、表現の来源で区別していますが、書物の中には閃き/直観を同じものとして定義している場合もあります。

  • 有形的認識
    • 物質的尺度、個体としての認識、通常意識による認識
  • 無形的認識
    • 霊的尺度、全体としての認識、普遍意識による認識

成長の構造に関する用語

  • 成長(分霊の成長/内的成長)
    • 霊的成長、自己変容、修道、求道、霊的探求/探究、真我探求/探究、霊的進化、修養、ヨーガ

ヨーガ(ヨガ)は、日本で認知されている有形体の体操を指しているのではありません。有形的認識の大幅に優勢な成長段階の者が、インドで修養の生活を実践するヨーガ行者の体操している様子を視て、ヨーガとは有形体の体操と誤認した内容が拡まっているのです。

有形体の体操を実践することが霊的/精神的な成長を促進するのではありません。有形体の自覚できるものの自覚なく有している緊張へ気づくために体操し、無用な緊張で瞑想を妨[さまた]げないようにしているのです。

  • 集合精神
    • 類魂
  • 地上での目的/役割
    • ダルマ、ブループリント、バースビジョン
  • 同調する活動性の程度
    • 霊格
  • 現在の成長の程度
    • 霊力

霊力とは、霊の有する生命力であり、霊が現在の成長の程度で有する「生命の振動(バイブレーション)の程度」を表しています。

  • 覚醒
    • 解脱

解脱は、覚醒の成長段階へ至ることを表している場合もあれば、物質の心から受ける影響を日常的に克己で制御できている状況を表している場合もあります。覚醒の成長段階では物質の心から受ける影響を日常的に制御できていますが、未覚醒の成長段階であっても物質の心から受ける影響を日常的に制御できていれば、解脱と表現されています。

  • 自由意志
    • 想念、思念、意念、思い
  • 運命
    • カルマ、ダルマ、因果、因縁、業、宿業
  • 行為の記録
    • カルマ、ダルマ、因果、因縁、業、宿業、埋め合わせ

カルマという語が有する定義の範囲は拡く、状況によって指し示す定義が変化することもあり、中には、大霊の摂理/法則、再授肉、習慣、などが含まれている場合もあります。

  • 教導系譜
    • 類魂、集合意識
  • 再授肉
    • 再生、転生、受肉、生まれ変わり
  • 指導霊
    • 背後霊、守護霊、支配霊、ガイド
  • 支援霊
    • 背後霊

成長の実践に関する用語

  • 内省
    • 反省、自省、自問自答、瞑想、観想、内観、省察、マインドフルネス
  • 不誠実
    • 不道徳、不品行、悪徳
  • 誠実な生き方
    • 習慣に流されない生き方
  • 不誠実な生き方
    • 習慣に流される生き方
  • 強い意志
    • 自覚的な期待、祈り

自覚的な期待とは、自覚して結果に囚われない確信のある願いとも言い換えることができ、自己に都合の良い結果/状況が起きるように望むことを指しているのではありません。

  • 幻想による行動を組み合わせた一連の行動様式
    • コントロールドラマ、癖
  • 行動様式に対応する一連の反応様式
    • コントロールドラマ、癖

コントロールドラマでは、様々な行動様式/反応様式を類似する方向性から脅迫者/尋問者/傍観者/犠牲者の4つに大別しており、脅迫者と犠牲者、尋問者と傍観者は対となる行動様式/反応様式を表しています。脅迫者の行動様式に対して犠牲者の反応様式があり、同時に、犠牲者の行動様式に対して脅迫者の反応様式があります。同様に、尋問者の行動様式に対して傍観者の反応様式があり、同時に、傍観者の行動様式に対して尋問者の反応様式があります。コントロールドラマの詳細については、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「修養の生活を実践するうえで、サイトに紹介されている実践方法とは別に参考となる書物はありますか?」に掲載されているジェームズ・レッドフィールドの著書を参照してください

その他の用語

  • 筋反射検査(2人でおこなう方法)
    • キネシオロジーテスト、筋肉反射テスト
  • 筋反射検査(1人でおこなう方法)
    • 単独筋反射検査、O-リングテスト
  • スピリチュアリズム
    • 霊的真理、スピリティズム、心霊主義、心霊学

スピリチュアリズム/心霊主義は、主義/啓蒙運動を表す「◯◯リズム/〇〇主義」という語が用いられていますが、自己のおこなう行為を特定の方向性へ向けて強制している(自己へ信じ込ませようとしている)のではなく、眼前に観えている世界の実相/生命の真相を「ありのまま」に伝えています。特定の方向性へ向けて自己に強制する固定観念/既成概念としての「主義」とは異なる点に留意してください。

至言の紹介

(1000/1000)「瀞沁」
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言語は通じなくても
言葉の伝わる者もいれば
言語だけが通じて
言葉の伝わらない者もいます
「思い」が言葉を伝えるのです
伝えたい思いがあるからこそ
言語は言葉として成り立つのです
(1000/1000)「瀞沁」
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
指し示す目的や定義が同じならば
用いる言葉/単語は異なっていてもよいのです
あるがままに捉えるように努めていれば
自己/他者の用いる言葉/単語が
異なっていても理解できます

用いる言葉/単語が同じならば
指し示す目的や定義も同じだという思い込みが
あるがままに捉えようとする意志を妨害し
瞬間瞬間の自己に都合良く捉えさせるのです
他者の発言を利己的/自己中心的に捉え
自己のために他者を利用するようになるのです

質疑応答

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留意点の全般について

(1000/1000)

 書物へ掲載されている内容全体に占める誠実/不誠実な性質を示す記述の割合に関係なく、書物へ掲載されている内容全体として測定される活動性の性質/程度が、書物の主題を決定しています。書物へ出現する頻度/割合の多い活動性の程度にみられる特性が主題を表しているとは限りません。

 書物へ掲載されている内容全体として測定される活動性の程度にみられる特性は、書物へ掲載されている内容全体が有する「本質的な主題」を表しており、著者が本質的な主題を自覚している場合もあれば、著者の自覚している主題(表面的な主題)とは異なる場合もあります。著者が本質的な主題を自覚できるものの自覚しないままに記述していたとしても、自覚できるものの自覚なく本質的な主題を表すために記述しているために、書物へ掲載されている内容全体として測定される活動性の程度が、書物を構成する記述へ付与された活動性の程度の総合として示されています。書物へ掲載されている内容全体として測定される活動性の程度が、書物を構成する記述へ付与された活動性の最も高い程度、最も低い程度、平均値、中央値、などや、出現する頻度/割合の多い活動性の程度とも限らないのは、中核/土台となる内容へ付与された活動性の程度が本質的な主題を表しているためといえます。

 書物へ出現する頻度/割合の多い活動性の程度にみられる特性は、著者の自覚している表面的な主題を表しており、表面的な主題と本質的な主題が一致しているのならば、出現する頻度/割合の多い活動性の程度が書物へ掲載されている内容全体として測定される活動性の程度となります。一方で、表面的な主題と本質的な主題が一致していないのならば、出現する頻度/割合の少ない活動性の程度が書物へ掲載されている内容全体として測定される活動性の程度となる場合もあります。

 書物へ掲載されている内容へ誠実な性質の活動性と不誠実な性質の活動性が混在して付与されている場合には、出現する頻度/割合に関わらず、不誠実な記述の内容が本質的な主題を表している点に留意してください。もしも、書物へ掲載されている内容全体の中で、ひとつの文が不誠実な性質を示すだけであったとしても、この文の内容が書物の本質的な主題であり、この文へ付与された不誠実な性質の活動性の程度が書物へ掲載されている内容全体として測定される活動性の程度となります。

 なお、上記の内容は、著者が直接に記述した書物でみられますが、一方で、複数人の発言を抜粋して集めた書物や、無形界から複数人が送付してきた通信を編纂[へんさん]した書物、などでは当てはまらない場合もあります。複数人の発言を抜粋して集めた書物や、無形界から複数人が送付してきた通信を編纂した書物、などの内容全体として示される活動性の程度にみられる特性(本質的な主題)は、複数人が発言/通信をおこなった目的の総合ではなく、編纂者が編纂した自覚的/無自覚的な目的の総合を表しています。編纂者は書物を編纂する段階で、自覚的/無自覚的な目的に相応する活動性の性質/程度を書物の内容へ付与しています。

(1000/1000)

 書物の著者が、読者の系列的理解を促すために進行方向を定める必要もあるとは、書物へ掲載されている内容を最初から順次に読み進めるように誘導し、これから読む内容が、既に読み進めた内容を土台として把握できるように配慮することを指しています。これは、階段の一段一段を順に登っていくように促す状況へ譬[たと]えられ、数段を飛ばして駆け登り足を踏み外してしまわないように配慮しているのです。系列的理解については、1章1節 サイトを読むにあたって #網羅的理解/系列的理解の違いを参照してください。

 進行方向を定める具体的な例として、物語のある内容を思い浮かべると理解しやすくなります。物語は、ある方向へ内容を順次に進めていくことで、内容の進展していく様子を把握でき、もしも、途中から読んだり、飛ばし飛ばしに読むと、ある内容と他の内容とのつながりが理解し難くなります。

 なお、系列的理解には、論理的理解、論理的思考、ロジカル・シンキング、などと呼ばれている考察/理解の方法が含まれています。書物などに掲載されている「真実度が500以上を示す内容」は、内容を論理的に考察し難く、内容を論理的に理解できない場合もある点に留意してください。論理的な捉え方は有形的認識に基づいており、真実度が500未満を示す内容では論理的に考察/理解できるものの、一方で、無形的認識に基づいて記述されている「真実度が500以上を示す内容」では論理的に考察/理解し難く、内容を明確に理解できないのです。「真実度が500以上を示す内容」は、無形的認識に基づいて網羅的に考察/理解することで、内容を明確に理解できるようになります。様々な真実度を示す内容の中で、論理的に考察/理解しやすい内容は、真実度が400台の内容となります。真実度と有形的/無形的認識に基づく考察/理解については、1章2節 真実度 #真実度と表現内容の証明を参照してください。

(1000/1000)

 音曲では、歌詞/旋律そのものが有する真実度/活動性の程度だけでなく、同じ歌詞/旋律でも、演奏者/歌手によって、音曲としては異なる真実度/活動性の程度を示します。

 これは、歌劇、バレエ、舞踊、演劇、などでも同様です。踊り/物語の振り付けは、振り付けを考案した者によって真実度/活動性の程度が決定しており、更に、振り付けに沿って踊る者が、踊りに真実度/活動性を追加します。

(1000/1000) 音曲の真実度/活動性
(1000/1000) 音曲の真実度/活動性

(1000/1000)

 原著の再編纂による翻訳には様々な方法がありますが、それらの中でも「意訳/超訳」と呼ばれている翻訳方法が拡く認知されています。ただし、意訳/超訳された内容が、原著の内容よりも常に真実度が高く測定されるとは限りません。意訳/超訳した翻訳者の同調する活動性の程度、成長の程度(認識の程度や印象を記述へ変換する程度を含む)、有している情報/知識の内容/程度、有している習慣や固定観念/既成概念の内容/強さ、などによって翻訳の程度は様々です。

 翻訳の程度とは、文字/図表で記述された原著の内容の基[もと]となる印象の内容を、翻訳者が文字/図表へ変換し直す程度を指しています。ある言語(文字)で記述された原著の内容を他の言語へ変換することや、ある言語(文字)で記述された原著の内容を同じ言語で変換し直すこと(古語から現代語、現代語から現代語)を指しているのではありません。

 社会で拡く用いられている、他言語への翻訳、古語から現代語への翻訳、などは、原著に表れている「印象の内容を捉え記述へ変換した程度」を基に変換しているために、翻訳書に表れる変換の程度(翻訳書の真実度)が原著の印象を変換した程度(原著の真実度)を上回る状況はありません。これは、被写体を不鮮明に捉えて描かれた絵(原著)を更に模写している(翻訳書)ことへ譬[たと]えられます。ただし、原著の内容に表れる著者の伝えようとする目的/方向性と、翻訳書の内容に表れる方向性は常に一致しています。

 一方で、意訳/超訳と呼ばれている翻訳方法などの再編纂では、原著に記述された内容を通して、原著の内容の基となる印象の内容を捉えたうえで、翻訳者が印象の内容を文字へ変換し直し記述しています。これは、被写体を不鮮明に捉えて描かれた絵(原著)から被写体を想像して、想像した被写体を基に絵を描いている(翻訳書)ことへ譬えられます。そのため、翻訳者の印象を捉える程度や印象を変換する程度によって、翻訳書に表れる変換の程度(翻訳書の真実度)が原著の変換の程度(原著の真実度)を上回る場合もあれば、大きく下回る場合もみられます。加えて、原著の内容に表れる著者の伝えようとする目的/方向性と、翻訳書の内容に表れる方向性が一致する状況もあれば、一致しない状況もみられるようになります。

(1000/1000) 翻訳方法の違い
(1000/1000) 翻訳方法の違い

 なお、翻訳方法は手段であり、翻訳方法に優劣はありません。それぞれの翻訳方法にみられる特性を把握したうえで、現在の自己に適した翻訳書を選択し、読み解いていくようにするのです。どのような翻訳方法であったとしても、翻訳者が原著に掲載されている内容を理解したうえで翻訳しているのならば、翻訳書は読み解きやすく記述されており、読者が読む際に、翻訳書に掲載されている内容の理解を阻碍しません。もしも、翻訳者が原著に掲載されている内容を理解しないままに、文字で表現されている原著の記述そのままを機械的に翻訳しているのならば、翻訳書は難解な記述となり読み解き難く、読者が読む際に、翻訳書に掲載されている内容の理解を阻碍するようになります。

 超訳による再編纂の例として、吉田松陰[よしだ しょういん]の発言を集めた書物を下記に紹介します。この書物の内容は、吉田松陰の日々の言葉を拾い集めた内容(語録)に基づいて、現在の社会で把握しやすいように再編纂されています。吉田松陰の日々の言葉を拾い集めた内容全体(原著に相当する内容)が示す真実度は、おおよそ110を示しており、編訳者によって、おおよそ205の真実度を示す内容(翻訳書に相当する内容)に再編纂されています。

  • (205/200) 覚悟の磨き方 超訳吉田松陰 [2013] 池田貴将編訳 サンクチュアリ出版
    • この書物の、ひとつひとつの記述(文ごと/図表ごと)の真実度は、40-210の間で構成されています

 この書物の内容は、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「このサイトへ掲載されている内容を読んでいると、「時間を無駄にせず修養の生活を実践していかねば」と緊張感が湧いてくるのですが、どうしてでしょうか?」で紹介している書物と同様に、付与された活動性の程度が200台にみられる「勇気」の特性が顕著に表れており、修養の生活を実践するうえでの基礎となる「自己の内面と向き合う勇気」へ気づき、自己に適切な方向性を模索する切っ掛けとして用いることができます。

(1000/1000)

 はじめに、霊媒を通して交霊会へ地獄者/地縛者が現れ、人を騙[だま]し唆[そそのか]すような発言をするのは、地獄者/地縛者たちと対話することを目的として交霊会(霊媒)へ呼び出したのではない限り、霊媒/出席者たちの日常の生き方、成長の程度、固定観念/既成概念などの囚われ、交霊会の目的(面白半分/興味本位でおこなう)、などが地獄者/地縛者を引き寄せているためです。類似する性質をもつ物事/人は互いに引き寄せ集まるという大霊の法則(類は類を呼ぶ)に基づいて、地獄者/地縛者たちが霊媒/出席者たちと何らかの類似性があるために交霊会へ引き寄せられるのであり、類似性がなければ引き寄せられることはないのです。地獄者/地縛者は、交霊会の出席者たちが騙される程度の内容を伝えますが、明らかに虚言/妄言だと勘づかれるような程度の内容は伝えません。相手(交霊会の出席者たち)を観て、相応する程度の内容を伝えているのであり、もしも、交霊会の出席者たちを観て、自身(地獄者/地縛者)には騙せそうにもないと感じれば、早々に引っ込みます。騙せると確信したからこそ、虚言/妄言を伝えているのです。

 次に、交霊会での記録を書物へ編纂[へんさん]する際に、編纂した時点での、編纂者の成長の程度、有している経験/知識の内容/程度、固定観念/既成概念の内容/強さ、内面の状況、疲労、などによって、交霊会での記録が地獄者/地縛者の伝えた不誠実な内容(虚言/妄言)と見抜けなかったために、書物へ不誠実な内容が掲載されることになります。

 更に、読者が書物を読む際にも、読者の成長の程度、有している経験/知識の内容/程度、固定観念/既成概念の内容/強さ、内面の状況、疲労、ある種の思い込み/先入観、などによって不誠実な内容と見抜けないだけでなく、書物へ掲載されている内容を盲信し、ひとつひとつの記述を自身の知性/理性に基づいて考察しないために、結果として、地獄者/地縛者たちに騙されているのだという状況へも気づく必要があります。

 現在の地上では、インターネットの普及やSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の拡大により、地獄者/地縛者に憑依されて「思うがまま」に操られている人が、自己に都合良く相手を貶[おとし]めるために、虚偽の情報を捏造してSNSで拡散させ、虚偽の情報を閲覧した者たちが相手を非難/批判/糾弾するように煽動する状況が急増しています。この行動は、個体だけでなく、企業/国家などの共同体にも多くみられ、国家の場合では、政策/政治宣伝(プロパガンダ)として、特定の個体/企業/国家/民族などを積極的に貶めるためにおこなっています。同時に、自国の優位性を誇張するためにおこなわれている状況も多くみられます。

 虚偽の情報を拡散させている者は、虚偽の情報を捏造するだけでなく、虚偽の情報で自己に都合良く大勢の者たちを騙[だま]して煽動しているために、行為の記録(-)の残高を大幅に加算させており、今後に重い代償を長期に渡って支払わねばなりません。そして、虚偽の情報を閲覧した者も、丁寧に考察して虚偽の情報と見抜くことなく安易に騙されて、あるいは、虚偽の情報と認識しながらも自身の虚栄心を満たすのに故意に利用して、相手の非難/批判/糾弾へ加担しているために、行為の記録(-)の残高を大幅に加算させています。行為の記録については、4章7節 行為の記録を参照してください。

 国家のおこなう政治宣伝を例にした場合では、どのような内容の政治宣伝であっても自国民の思考の方向性を誘導するように「はたらき」かけていますが、自国民を発揚する政治宣伝とは異なり、特定の国家/民族/宗教団体/宗派などへの憎悪/反感/排斥を煽るような政治宣伝(偽情報の拡散を含む)は、政治宣伝をおこなっている期間だけでなく、政治宣伝を終了し政治宣伝の内容が忘れ去られた後にも固定観念/既成概念を形成させて自国民へ影響を与え続けるために、国家という共同体としても、為政者という個体としても、長期に渡る「あまりにも重い代償」を負うことになります。国家という共同体として負う代償は、国家の有する運命の流れる方向性に表れ、一方で、為政者という個体として負う代償は、行為の記録(-)の残高への加算/減算と、個体の有する運命の流れる方向性に表れます。

 そして、特定の国家/民族/宗教団体/宗派などへの憎悪/反感/排斥を煽るような政治宣伝に誘導/触発されて迎合し、特定の国家/民族/宗教団体/宗派などへの憎悪/反感を増大させる活動や排斥/迫害/差別をおこなう者たちも、長期に渡る「あまりにも重い代償」を負うことになり、行為の記録(-)の残高への加算/減算による成長の退行と、個体の有する運命の流れを「利己性/自己中心性/欲望を増大させる物事が引き寄せられる」方向性へ向かわせるようになります。この状況を物的に譬[たと]えるのならば、撒[ま]き散らされた放射性物質(国家のおこなう政治宣伝)で、長期に渡り水/土壌(国家の設置されている地域)が汚染され、何世代も経て放射性物質が撒き散らされたことが忘れ去られた後にも、生活する人/動物(自国民)へ害を成す影響を与え続けているといえます。

 この質疑応答に関連する内容には、5章2節 幻想 #質疑応答の「デモ活動に追随しておこなわれる暴動が不誠実なのならば、デモ活動で抗議すること自体は不誠実にはならないのですか?」、また、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「物事をあるがままに捉えるには、どのようにすればよいのでしょうか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 近年に様々な状況でみられる片仮名の多用/濫用は、外国語を日本語の明確な定義へ変換できないためというよりも、語の定義を明確に考察しないためにおこなわれています。

 電子端末/インターネットの発達によって、これらに関連して用いられる語を日本語へ翻訳することで表現の疎通を困難にし、逆に、外国語のまま(片仮名として)用いるほうが疎通を容易にしている状況が増加しています。例として、「Internet」という語を漢字で、電子通信網、広域電子情報通信路、などと翻訳するよりも、片仮名で「インターネット」と表記するほうが拡く疎通を容易にしています。

 しかし、外国語のまま(片仮名として)用いるほうが疎通を容易にしている状況を自己に都合良く捉え、外国語のまま(片仮名として)用いるのが優れていると思い込み、日本語での定義を考察して日本語へ変換しようともせずに他の様々な状況へ用いている傾向がみられます。外国語を日本語の明確な定義へ変換できないからといって、外国語を無理矢理に日本語へ当てはめる必要はありませんが、片仮名を濫用することで、片仮名として用いた者が有している定義と他者の有している定義との間に齟齬[そご]を生み出しやすくしています。

 片仮名の濫用は幻想の捉え方に基づいておこなわれている場合が多くみられ、自身の有する幻想の序列で日本語よりも外国語を高く順序付けているために、日常に使用している日本語よりも外国語のほうが見映えがする、片仮名で用いるほうが格好良くみえる、などの虚勢を張り虚栄心を満たすためにおこなわれています。他者との疎通を目的として片仮名が用いられているのではなく、自身のために片仮名を用いているのです。片仮名の使用に加えて、様々なロゴマーク、標識、案内図、などでも、格好良くみえるから、洗練されているようにみえるから、という理由で用いられている図形/図柄があります。誰もが、これらの図形/図柄の有する意味/区別を把握できるとは限らず、意味/区別を正確に把握できなかったために、眼前の状況に不適切な行動をおこない、結果として、社会へ混乱を招いている状況もみられます。例として、トイレの男性用/女性用を識別する標識、ウェブサイトでの閲覧者に行動を促す各種のアイコン、進行方向/所在地を示す矢印、などが挙げられます。幻想の序列については、5章2節 幻想を参照してください。

 そして、社会の中で片仮名の濫用されている状況が増加することで既成概念を形成するようになり、片仮名として用いられている外国語の定義を自身で考察しないままに自身も用いるようになっています。そのため、自身は自身の用いている片仮名として用いられている外国語の定義を理解していると思い込んでいますが、実際には外国語の定義と全く異なる定義で用いている場合も多くみられます。

(1000/1000)

 はじめに、暴力/残虐な手段そのものが不誠実となることについては、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「行為をおこなう際に用いる手段と、手段の有する誠実/不誠実の性質は、どのように分類されるのですか?」を参照してください。

 書物へ掲載されている内容などへ、著者が誠実な目的で暴力/残虐な内容を用いていたとしても、暴力/残虐な手段そのものが不誠実な性質を有しているために、著者/読者ともに「眼前の状況を解決するために暴力/残虐な手段を用いる」という「不誠実な性質の表現を造化する習慣」が形成され強められていく可能性があります。不誠実な性質の表現を造化する習慣が強められていくほどに、習慣は不誠実な目的で不誠実な手段を用いるように喚起し、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく不誠実な性質の表現/行為を造化させるようになります。

 これは、類似する性質は互いに引き寄せ集まるという大霊の法則(類は類を呼ぶ)に基づいており、不誠実な習慣は不誠実な目的/手段を喚起し、不誠実な目的/手段は不誠実な習慣を強めるように、はたらきます。類似する性質は互いに引き寄せ集まるのは、誠実な習慣/目的/手段でも同様です。

(1000/1000) 表現を造化する目的と用いる手段の性質
(1000/1000) 表現を造化する目的と用いる手段の性質

 ある著者が、誠実な目的で暴力/残虐な表現を用いて書物を記述している場合に、著者の有する「眼前の状況を解決するために暴力/残虐な手段を用いる」という不誠実な習慣が形成され、徐々に強められ、習慣が不誠実な目的に基づく表現の造化を喚起するほどに強くなると、不誠実な目的で暴力/残虐な表現を用いて書物を記述するようになる状況は多くみられます。

 書物を記述する目的の誠実から不誠実への転換は、著者の生き方も誠実から不誠実へと転換したことを表しており、再度に誠実な目的へ転換する状況は少なく、不誠実な目的に基づく表現の造化によって更に不誠実な習慣を強めていきます。そして、不誠実な習慣が強くなるのにともない、書物へ掲載されている内容へ付与される不誠実な性質の活動性の程度も徐々に高くなっていきます。

(1000/1000) 表現を造化する目的の性質の転換
(1000/1000) 表現を造化する目的の性質の転換

 また、暴力/残虐な手段を用いて記述しているために不誠実な習慣が形成され強められなくても、何らかの切っ掛けで著者の生き方が誠実から不誠実へと転換し、不誠実な性質を示す著書を出版するようになる状況もみられます。以前は誠実な生き方へ努め、多くの著書を出版して人気を博していたものの、日々に遭遇する様々な体験を切っ掛けに生き方の方向性が転換し、不誠実な生き方を始め、自身が過去に出版した「誠実な性質を示す著書」の内容を否定して、現在に不誠実な生き方を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく読者へ唆[そそのか]している著者もいます。周囲の者たち(過去に出版された書物の読者を含む)は、過去に出版された多くの「誠実な性質を示す著書」の内容を知っているために、現在に著者のおこなう発言/行動に変化を感じ取っていたとしても、著者の生き方が転換している状況に気づき難いです。

 同様の状況は、宗教団体の教祖/開祖、企業の創設者、などにもみられます。宗教団体/企業を設立した当初は誠実な生き方へ努めて多くの信奉者/賛同者/顧客を集めていたものの、何時[いつ]の間にか不誠実な生き方へ転換して、自己の利己性/自己中心性/欲望を満たすために信奉者/賛同者/顧客/宗教団体/企業を利用するようになります。特に、称賛の獲得、知名度(名声)の拡大、金銭的な収益の増大、などによって不誠実な生き方へ転換する場合が多いです。

 なお、過去に出版された「誠実な性質を示す書物」の著者が、現在に不誠実な生き方をしていたとしても、過去に出版された書物まで現在に不誠実な性質を示すようにはなりません。過去に出版された「誠実な性質を示す書物」は、誠実な性質を示したままです。現在の著者の生き方に関わらず、過去に出版された書物から成長へつながる学びや切っ掛けを得ることはできます。

(1000/1000)

 既存の翻訳書を改題して再版した書物に、既存の翻訳書よりも低い真実度が測定される場合の原因の多くは、改題した書名にあります。同様の状況は、翻訳書に原著と大きく異なる書名をつけた場合や、既存の原著の内容を改訂することなく改題しただけで再版した書物にもみられる場合があります。

 これは、固定観念/既成概念に基づく改題、眼を引くための装飾的/奇抜な書名/副題、などにより、再版した翻訳書では印象の内容を表している程度が既存の翻訳書よりも更に低く不鮮明となるためです。なお、再版する翻訳書へ、既存の翻訳書よりも書物へ掲載されている内容に適切な書名をつけたとしても、また、翻訳書へ原著よりも書物へ掲載されている内容に適切な書名をつけたとしても、翻訳書へ掲載されている内容は、原著へ掲載されている内容に基づいているために、書名だけで翻訳書の真実度が原著の表す真実度を上回る状況はみられません。書名は真実度へ影響を与える「ひとつの原因」に過ぎないのです。固定観念/既成概念については、5章4節 固定観念/既成概念を参照してください。

 加えて、原著/翻訳書に関わらず、書名や副題に「現代の◯◯(先人の人物名)」、「△△(地域名/国名)の◯◯(先人の人物名)」、などを用いている状況も書物の真実度を低下させる原因のひとつとなっています。例として、現代のミケランジェロ、極東のマザー・テレサ、日本のマハトマ・ガンジー、イエス・キリストの再臨、佛陀の生まれ変わり、などが挙げられます。これらの書名/副題は、多くの場合では、対象となる本人以外(周囲の他者/出版社)に先人の知名度/業績を利用しようとする自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない思惑があるために用いられており、読者へ先入観/偏見などの固定観念/既成概念を形成させる可能性を有している、あるいは、先入観/偏見などの固定観念/既成概念を故意に形成させて捉えさせようとしています。地上で生活する誰ひとりとして、他者に譬[たと]えられる必要性はありません。誰もが唯一無二の個性を有しています。対象となる本人を他者/先人に重ね合わせて捉えずに、重ね合わせて捉えさせようとせずに、本人を独特(唯一無二)な存在として捉えることが、「あるがまま」に本人を捉える状況につながります。

 また、既存の翻訳書/原著を改題して再版した場合も含め、書物を出版する際に、ある内容を読者へ伝えたいという目的で記述し出版するのと、利益を得たいために「何らかの内容を執筆しよう」という目的で記述し出版するのとでは、全く同じ内容が記載されている書物であっても、また、記載されている内容の真実度が同等であったとしても、記述の内容へ付与されている活動性の性質/程度は異なります。物的に記述されている内容が同じであったとしても、付与されている活動性の性質/程度が異なるのならば、読者へ与える影響の方向性/程度も異なる点に留意してください。誠実な性質の活動性が付与されているのならば、読者の成長を促すように影響を与えますが、一方で、不誠実な性質の活動性が付与されているのならば、読者の成長を阻碍するように影響を与えます。

 この質疑応答に関連する内容には、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「物事をあるがままに捉えるには、どのようにすればよいのでしょうか?」がありますので参考にしてください。

学びへつなげる

(1000/1000)

 現在の自己が読むのに適した書物とは、掲載されている内容を明確に理解でき、理解したことによって、自己が「今この瞬間に何をする必要があるのか?」を適切に自覚して認識できる書物ならば、どのような内容が掲載されている書物でも構わないのです。なお、掲載されている内容を明確に理解できるとは、掲載されている記述の内容すべてが理解できている状況を表しているのではなく、掲載されている記述の基となる印象の内容が理解できている状況を指しています。

 他者が推薦している書物、あるいは、有名な書物が、現在の自己の成長段階に適した内容の掲載されている書物とは限らず、また、これらの書物を成長のために必ず読まなければならないということもありません。そして、内容を理解するだけでは書物を読む価値はなく、理解した内容に基づいて現在の自己の行為を内省し、日常生活の習慣を修正していく必要があります。

 書物を選択する参考として、ある書物へおおまかに眼を通した際に、自己の内面より「読む必要がある」という意志が、強く静かに湧き上がって来るのならば、現在での自己の成長の程度や、地上での目的/役割に適した内容であり、加えて、現在での自己の内面の状況にとって読む必要がある内容といえます。ただし、「読む必要がある」という意志は、「読みたい」という衝動ではない点に留意する必要があります。この衝動は、物質の心に由来する欲望に基づいている場合が多くみられ、利己的/自己中心的な行動を強制しようとするためです。

 ある人物の発言や、書物へ掲載されている記述によっては、発言/記述された当時におこなわれていた、あるいは、現在におこなわれている国家/宗教団体の検閲を回避するために、表面的には国家/宗教団体の政策/方針へ沿うような発言/記述でありながらも、本質的には国家/宗教団体から受けている自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない弾圧/誘導へ気づくように読者へ啓発している内容もみられます。特に、宗教団体へ所属する者が自身の所属する宗教団体の教義/教理に反する意見を述べる状況や、国家のおこなう政治宣伝(プロパガンダ)の方向性から逸脱する内容を述べる状況が多くみられます。発言/記述された当時の地域社会、風習、国家/宗教団体、地上の社会全体、などの情勢を「あらかじめ」に把握しておくことで、発言/記述の内容を誤解せずに読み解きやすくなる場合もあります。

 加えて、見慣れた内容が劣っていて、目新しい内容が優れているとは限らない点にも留意してください。同じ方向性の内容を伝える場合であっても、表面的な記述の内容は、時代、地域、社会の情勢、などによって変化しますが、本質となる内容は不変です。外環境へ目新しい内容の記述を追い求めるのではなく、自己の「物事の本質を捉える程度(認識の程度)」を高めるように努めることで、表面的な記述の内容を通して、本質となる不変の内容を捉えていくのです。これは、文字/図表などで表現されている有形的な内容を通して、有形的な内容の土台となる「無形的な印象の内容」を捉えていく程度を高めるのとも関連しています。「物事の本質を捉える程度」を高めていくのならば、見慣れて新鮮さを感じない記述の内容からも、目新しく新鮮さを感じる記述の内容からも気づきがあり、学びへとつなげることができるようになります。

(1000/1000)

 書物を読んでいて感じる違和感/不自然感の多くは、読者が現在に有する認識の程度よりも、低い捉え方(低い認識の程度)によって記述された内容か、あるいは、高い捉え方(高い認識の程度)によって記述された内容です。

 低い捉え方によって記述された内容は、読者の認識の程度からみると、記述に不足/過多、誤認、誤り、などがあるために、違和感/不自然感を感じ取っています。ただし、読者の認識の程度からみて、低い捉え方によって記述された内容のすべてに違和感/不自然感を感じるのではありません。それらの内容の中で、強い囚われ(固定観念/既成概念、妄執、固執、など)に基づいて記述された内容、読者の思考の方向性とは大きく異なる思考の方向性に基づいて記述された内容、などに違和感/不自然感を感じ取りやすくなります。これらの内容は、記述した著者が有する強い囚われや思考の方向性を把握したうえで読み解くと理解できるようになり、同時に、記述の内容を読者の有する認識の程度で捉え直して理解することもできます。

 なお、読者と同等の認識の程度を有する著者が、強い囚われに基づいて記述した内容にも違和感/不自然感を感じ取りますが、読者は著者の有する囚われの内容を把握したうえで記述の内容を理解できます。また、読者の思考の方向性とは大きく異なる思考の方向性に基づいて記述された内容には違和感/不自然感を感じ取らず、読者の思考の方向性とは異なる思考の方向性に基づいて記述された内容であると認識したうえで内容を把握できます。ただし、著者の個性の方向性(思考の方向性)と、読者の個性の方向性に大きな方向性の違いがあれば、理解しやすい記述の内容と理解し難い記述の内容がみられる場合もあります。これは、読者からみると、同等の真実度/活動性の程度(同等の認識の程度)を示す同じ内容の記述であったとしても、一方の記述は理解しやすく、他方の記述は理解し難い状況もみられることを表しています。

 一方で、高い捉え方によって記述された内容は、読者の認識の程度では明確に理解できないために、違和感/不自然感を感じ取っています。これらの内容の中には、ぼんやりと不鮮明に理解できる内容もあれば、全く理解できない内容もあり、また、読者の有する囚われによっては拒否感を感じる内容もあります。読者の認識の程度よりも高い捉え方によって記述された内容は、読者が、記述した著者と同等の認識の程度を有した時(同等の段階まで成長した時)に、明確に理解できるようになります。自己の認識の程度に対して理解できる/できない内容については、3章3節 分霊 #質疑応答の「自己の属する次元と、つながりのある次元は、どのような違いがあるのですか?」も参考にしてください。

(1000/1000) 読者/著者の認識の程度と記述の理解
(1000/1000) 読者/著者の認識の程度と記述の理解

 書物を読む際には、著者の有する囚われが書物の記述へ表れて、記述された内容の考察へ影響を与えているだけでなく、読者の有する先入観/偏見(囚われ)も、自覚の有無に関わらず、記述された内容の考察(物事の観察/考察)へ大きな影響を与えている点に留意してください。特に、書物へ不誠実な内容の記述が含まれている場合には、先入観/偏見が、記述された内容の考察へ深刻な影響を与えています。誠実な目的で不誠実な内容の記述を読んだ際に、理性は「不誠実な内容の記述だ」と警鐘を発して違和感/不自然感を感じ取らせているものの、先入観/偏見を有しているために、違和感/不自然感を無視してしまうのです。

 例として、愛の行為としておこなわれる「非暴力/不服従の行動」について記述されている書物にも、誠実な内容のみが記載されている書物(書物は誠実な性質を示す)もあれば、誠実な内容だけでなく不誠実な内容も記載されている書物(書物は不誠実な性質を示す)もありますが、不誠実な性質を示す書物を読んでいる際に、「非暴力/不服従の行動は誠実な愛の行為であり、愛の行為について記述されているから書物へ掲載されている内容は誠実だ」という先入観/偏見を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく有していると、不誠実な内容の記述から感じ取った違和感/不自然感に基づいて記述を詳細に考察することなく、記述を盲目的に信じ込みやすくなります。一方で、先入観/偏見を有していないのならば、不誠実な性質な内容の記述から違和感/不自然感を感じ取るようになります。非暴力/不服従については、5章6節 愛の行為 #質疑応答の「暴力/残虐な手段そのものが不誠実なのであれば、差別/暴虐をおこなう者へ、どのように対抗すればよいのですか?」を参照してください。

 この質疑応答に関連する内容には、5章4節 固定観念/既成概念 #質疑応答の「先入観/偏見を有さずに物事を捉えるには、どのようにすればよいのでしょうか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 書物へ掲載されている記述の内容が有する真実度/活動性の程度よりも、読者の同調する活動性の程度(印象を文字へ変換する程度)が大幅に高い状況であっても、理解できない記述はあります。同調する活動性の程度が大幅に高くても、すべての記述が常に理解できるとは限りません。記述に表れている著者の個性の方向性と、読者の個性の方向性(思考の方向性)が大きく異なる場合には、記述の内容が有する真実度/活動性の程度や自己の同調する活動性の程度に関わらず、記述の内容を理解できない、あるいは、記述が複雑/難解に感じられる状況がみられます。

 加えて、著者の有している情報/知識の内容/程度と、読者の有している情報/知識の内容/程度が大きく異なる際にも、記述の内容を理解できない、あるいは、記述が複雑/難解に感じられます。多くの場合では、記述の内容に対して、読者の有している情報/知識の内容が不足しているために、記述が複雑/難解に感じられ理解できなくなっています。この場合には、記述の内容を通して、記述の土台となる印象の内容へ意識を向けるように努めていれば、記述を読み進め理解するうえで、自身(読者)に不足している「おおよその情報/知識の内容」へ気づくようになるために、不足している情報/知識を得たうえで、再度に記述を読み進めると理解できる場合もあります。

 自己に記述の内容が理解できないのを、記述/書物の著者へ安易に責任逃避してはなりません。著者が自身の虚栄心を満たすために自覚して複雑/難解/過度に婉曲[えんきょく]な記述をしている状況でない限り、記述の内容を理解できない原因は、著者ではなく、読者自身にあることへ留意してください。責任逃避については、5章2節 幻想を参照してください。

 もしも、著者が自覚して複雑/難解/過度に婉曲な記述をしているのならば、記述の内容は不誠実な性質を示すために、筋反射検査で記述の内容が有する誠実/不誠実の性質を検査すれば判断できます。記述の内容が誠実な性質を示しているのならば、著者が印象の内容を文字で表現しようと試行錯誤する中で自覚できるものの自覚なく複雑/難解な記述となってしまっている、あるいは、印象の内容を文字で正確に表現しようとすれば複雑さ/難解さを回避できなかったのです。筋反射検査については、1章3節 筋反射検査を参照してください。

 加えて、相手へ質問する際にも、自己のおこなった質問に対する相手の応答が自己の有している情報/知識の内容/程度では理解できなかったからといって、相手へ自己の有している情報/知識の内容/程度で理解できるように説明を求め続ける状況も、責任逃避へ相当することに留意してください。この状況には、自己の有している情報/知識の内容/程度に基づいて、相手の発言/行動/著書/記述などの「間違い探し」をする状況も含まれます。相手の発言/行動/著書などの内容/程度と、自己の有している情報/知識の内容/程度を照合するのは自己であり、相手が照合してくれるのではありません。そして、自己の有している情報/知識の内容/程度を基準にして相手の発言/行動/著書などの内容/程度を査定するのではなく、相手の発言/行動/著書などの内容/程度に基づいて自己の有している情報/知識の内容/程度を考察(再検討/再検証)するのです。

 自己が既に有している情報/知識の内容/程度へ適合するように相手へ説明を求めているのはなぜか? どうして自己の有している情報/知識の内容/程度を基準として相手を検討/検証しているのか? を誠実に内省する必要があります。

(1000/1000)

 無形界から霊媒霊言/自動書記などを通して地上へ直接的に伝えられた内容を考察する際に、最も留意する必要があるのは、文字/言語で表現されている内容が、無形界の通信者の目的とした「内容そのまま」を表しているとは限らない点です。

 現在では、霊媒を通して無形界の通信者と直接に対話する機会よりも、無形界から伝えられた内容が纏[まと]められた書物を読む機会が多いために、書物を読み、考察する際の留意点を下記へ紹介します。

 始めに、無形界の通信者も地上の人と同様に、個々の成長の程度は様々であり、これまでに培[つちか]ってきた経験も様々です。個々の通信者が有している認識の程度、個性の方向性、固定観念/既成概念の内容/強さ、情報/知識の内容/程度、などが通信者の間でみられる意見の相違につながっています。

 次に、無形界の通信者が、有形界(地上)の霊媒を通して発言/記述する際には、通信者は印象を霊媒へ送り、印象の内容を霊媒の有している語彙[ごい]を用いて文字/言語/図表へ変換する必要があるるために、通信者自身の有している語彙を用いて表現することはできません。そのため、文字/言語/図表への変換には、霊媒の有している語彙の多さや、語彙の方向性に制限を受けます。加えて、印象の内容を文字/言語/図表を用いて変換する過程は、表現を造化する工程であるために、霊媒の有している認識の程度、個性の方向性、固定観念/既成概念の内容/強さ、情報/知識の内容/程度、などから表現の造化へ影響を受けます。

 無形界の通信者と霊媒の間でおこなわれる通信にも、通信品質の低下や、地獄者/地縛者から受ける通信妨害によって、印象の内容そのままを霊媒へ伝えることができずに、歪んだ内容が霊媒へ伝わってしまう場合もあります。

 そして、霊媒霊言であれば、霊媒を通して語られる内容を記録する記録者がいます。自動書記であれば、霊媒自身が記録者となります。これらの記録を書物へとまとめる編纂者もいるために、記録/編纂する際にも、記録者/編纂者の有している認識の程度、個性の方向性、固定観念/既成概念の内容/強さ、情報/知識の内容/程度、などが記録/編纂された内容へ影響を与えています。

 もしも、編纂された書物を翻訳する場合には、翻訳者の有している語彙の多さ、語彙の方向性、用語の定義、認識の程度、個性の方向性、固定観念/既成概念の内容/強さ、情報/知識の内容/程度、などが翻訳された内容へ大きな影響を与えることになります。

 最後に、書物を読む読者自身が有している認識の程度、個性の方向性、固定観念/既成概念の内容/強さ、情報/知識の内容/程度、用語の定義、などが書物へ掲載されている内容を考察する際に最も大きな影響を与えています。

 無形界の通信者が伝えた印象を、読者が考察するまでに、どの過程で、どの程度に印象の内容が歪み、損失を受けているのかは、読者には把握し難い側面もあります。ひとつひとつの記述の内容を盲信せずに、記述の真実度を測定しながら、無形界の通信者が本来に伝えようとした印象の内容を把握するように努める必要があります。

 印象の内容を把握していくうえで参考となる、筋反射検査を用いて測定可能な指標としては、無形界の通信者が通信をおこなった当時の内的成長度、通信を受け取った霊媒の内的成長度、書物が編纂された当時の編纂者の内的成長度、書物が編纂された時点での書物(原著)へ掲載されている内容/記述が有する真実度、翻訳者が翻訳した当時の内的成長度、翻訳された時点での翻訳書へ掲載されている内容/記述が有する真実度、読者が書物を読んでいる時点での内的成長度、などが挙げられます。これらを適宜に測定しながら、丁寧に考察していくことによって、無形界の通信者が、どの程度の成長段階で、どのような捉え方に基づいて伝えた内容なのかを把握できるようになり、更に、他の通信者が伝えた内容との比較も容易となります。

(1000/1000) 通信内容の変遷
(1000/1000) 通信内容の変遷

(1000/1000)

 無形界からの通信の中には、イエス・キリストから伝えられたとする内容は多くみられますが、これまでのスピリチュアリズムの活動で、ナザレのイエスと呼ばれていた分霊本人から直接に伝えられた通信はありません。イエスから伝えられているとする通信は、スピリチュアリズムの活動の中で本人の代行としてイエスの名を用いている場合もあれば、地獄者/地縛者がイエスの名を騙[かた]っている場合もあります。スピリチュアリズムの活動については、1章5節 宗教/スピリチュアリズムを参照してください。

 スピリチュアリズムの活動の中で地上へ通信を送っている者が本人に代わってイエスの名を用いているのは、地上で生活している者が、相手の発言している内容よりも、発言している人物(誰が発言しているのか?)へ囚われているためです。地上で人物名が拡く認知され崇敬されているイエスの名を用いなければ発言する内容を聴いてもらえないのです。

 同様に、地獄者/地縛者も、イエスの名が地上で拡く認知され崇敬されている状況を利用して、イエスの名で荒唐無稽[こうとうむけい]な内容を伝え、地上で生活している者を盲信させて欺[あざむ]き、あるいは、混乱させ、自身の虚栄心を満たしているのです。

 スピリチュアリズムの活動による代行者からの通信でも、地獄者/地縛者からの通信でも、また、無形界からの通信だけでなく地上での人/書物/講演などであっても、「誰が発言したのか?」で発言された内容を判断するのではなく、発言の目的や発言された内容が有する正しさの程度(真実度)から発言された内容を判断する必要があります。発言した人物で発言された内容を判断する囚われ(固定観念/既成概念)は、成長を阻碍する大きな要因となっています。

 加えて、無形界から通信をおこなった霊であったとしても、地上で生活する人であったとしても、発言した後に、発言者がおこなった発言の内容の中から、他者によって特定の文言のみが抜き出され、発言者が目的とした方向性の内容とは異なる方向性の内容として、社会へ、また、過去/当時から現在へ伝わっている状況も多くみられます。特定の文言のみで安易に発言者の目的を考察せずに、特定の文言が抜き出される「元となった内容(全文)」から発言者が目的とした方向性を捉えるように努めることで、発言者が目的とした方向性で内容を正確に把握できるようになります。例として、発言の内容が、ある質問に対する返答であったのならば、質問/返答した場所、質問/返答した時期、質問者/返答者の状況、質問者/返答者の社会的な立場、質問者が質問するに至った経緯、質問の内容、質問した目的、用いられた言語/単語の成り立ち/慣用句/慣用表現、などを考慮し、どのような目的で質問者へ返答したのか? を考察します。

 もしも、特定の文言が抜き出される元となった内容(全文)が断定できなかった、あるいは、入手できなかったために、抜き出された特定の文言から発言者が目的とした方向性を捉える場合には、発言した当時の地域にみられた社会情勢、風土、歴史、常識/風習(既成概念)、発言に用いられた言語の特徴、発言をおこなった状況、などを調査することで、発言者が、どのような目的で発言したのかを把握しやすくなります。

(1000/1000)

 どのような内容から、何を考察して、どのように学びを得るのかは、個々の自由意志による選択に委ねられています。テレビ番組で放映されている内容へ没頭/熱中して楽しむのではなく、学ぶ意志をもって番組の全体を俯瞰[ふかん]して視聴するのならば、テレビ番組からでも成長への学びを得ることはできます。しかし、どのような目的で放送されているのか理解できない内容の番組が増加しているように感じられるのであれば、嫌嫌ながら/不本意ながら視聴する必要はなく、一切の視聴をしないという選択をすることもできます。

 ただし、目的の不可解/不明確な番組は、番組の内容を通して成長への学びへつながる考察が困難なだけでなく、成長を阻碍する状況へもつながりやすくなります。寧[むし]ろ、番組の内容を通してよりも、どうして目的の不可解/不明確な番組が増加しているのか? を考察する中に、成長への学びへつながる内容が含まれています。

 テレビ/ラジオなどの放送では、当初は、ある内容を視聴者へ伝えるという目的に基づいて制作した番組が放送されいたのですが、番組の放送を続けているうちに、放送し続けるために番組を制作するようになり、視聴者へ伝える内容が失われてしまった番組が増加したのです。ある内容を伝えたいという目的が失われることによって、誠実さを保つための意志が弱くなり、制作される番組は、極めて低い誠実の程度しか有していないか、あるいは、利己性/自己中心性/欲望を喚起する不誠実な内容となりやすく、視聴者の成長を阻碍するように、はたらきかけています。地上では、常に有形体の内包する物質の心から絶え間なく誘惑の影響を受け続けているために、誠実さは、強い意志で自覚して維持し続けていなければ、徐々に弱くなり消え去っていきます。そして、自覚できるものの自覚のないままに不誠実さが取って代わるようになるのです。馬鹿騒ぎ、馬鹿笑い、などと呼ばれるような行動をおこなう番組は、伝える内容が失われて制作された典型的な番組の見本といえます。

 加えて、テレビ/ラジオの番組だけでなく、相手へ伝える目的が失われた内容、あるいは、当初より相手へ伝える目的のない内容は、小説、映画、音曲、ビデオゲーム、ウェブサイトの記事、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス) の投稿、などにも多くみられ、これらの内容は、著者/制作者が自己誇示や自己陶酔のために造り出しています。自己誇示/自己陶酔については、5章2節 幻想を参照してください。

 また、同様の状況は、企業の販売する商品にもみられます。買い手に届けたい目的があって商品を造り出すのではなく、何らかの商品を販売し続けるためだけにマイナーチェンジといわれるような外見や機能が僅かに変更されただけの商品や、競合他社よりも優位に立ちたいためだけに改良し商品を造り続ける状況へ陥[おちい]っているのです。目的が失われ、目的を伝える手段が目的に取って代わった行動の土台には、利益を獲得し続けたい、知名度を維持したい、などの利己的/自己中心的な目的があります。企業は、利益/知名度を維持し続けるためだけの過剰生産/過剰供給と、誇大な広告宣伝を用いて消費者へ短期間で買い換え/買い替えるように欲望を喚起させて過剰廃棄を生み出している状況に気づき省みる必要があります。一方で、消費者は、新製品が発売される都度に惹[ひ]き寄せられて買い換え/買い替えようとせずに、買い換え/買い替えの必要性を詳細に考察することで、「新製品を得たい/使ってみたい」という欲望が必要性に取って代わった行動をおこなわなくなり、過剰購買(物品を溜め込む)や過剰廃棄を生み出さなくなります。

 なお、霊の成長の観点から捉えるのならば、テレビ番組/音曲/映画を視聴する/視聴しない、エアコン/自動車や電子端末(パソコン/スマートフォンなど)を使用する/使用しない、特定の食物を食べる/食べない、インターネット/SNSに接続する/接続しない、などは目的を明確に自覚したうえでおこなう必要がある点に留意してください。目的を明確に自覚しないままに物的な行動をおこなう、あるいは、物的な行動を辞めたとしても、成長への学びや習慣の修正にはつながりません。

(1000/1000)

 自己が、他者へ役立ててもらえるという確信をもってウェブサイトへ掲載している内容であるのならば、どのような批評を受けたとしても、掲載している内容を「見直す是非を省みる」ことはありません。批評を受けて、掲載している内容を見直したほうがよいのではないか? と感じるのであれば、言い換えると、掲載していることへ不安を感じるのであれば、自身が該当する内容を掲載した目的について詳細に内省する必要があります。ただし、成長へ努めている者が相手の意見/著書などの内容を批評する、あるいは、非難/批判/糾弾することはありません。成長へ努めている者は、自己の現在の状況を基点として掲載されている内容を批評するのではなく、自己の現在の状況を内省するために掲載されている内容を考察するからです。

 現在では、他者の意見/著書などに限らず、他者の運営するウェブサイトへ掲載されている内容について、自身のウェブサイトで、あるいは、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス) を用いて、他者のウェブサイトの該当する内容へのリンクとあわせて批評を掲載している場合もみられますが、その批評は自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく自身の虚栄心を満たすためにおこなっている場合が多く、他者のウェブサイトへ掲載されている内容全体を俯瞰[ふかん]して捉えずに、単一のページ、あるいは、数行の文章のみを読んで記述している「視野の狭い利己的/自己中心的な内容」であり、誠実な目的に基づき詳細に検討したうえで掲載されていません。

 なお、批評する行動が善い/悪いのではありません。批評/考察では、方向性が異なっている点に留意してください。批評は、自己から外環境へと方向性を向けて批評の対象を捉えていますが、一方で、考察は、自己の内環境へと方向性を向けて考察の対象を捉えています。

 語の定義は用いる者によって様々であり、また、時代の変遷によっても語の定義は常に変化しています。批評という語も様々な定義で推移しており、肯定的な定義もあれば、否定的な定義もあります。用いている語に囚われることなく、語が表している本質(定義)に焦点を向ける必要があります。

(1000/1000)

 書物へ掲載されている内容全体には低い程度の不誠実な性質の活動性が付与されていても、低い程度の不誠実な性質の活動性が付与されている記述の出現する頻度が高い(多く出現する)と、書物へ掲載されている内容全体から受ける不誠実さを強く感じ取る場合もあります。感じ取る感覚は、付与されている活動性の程度だけでなく、出現する頻度の高い/低いにも大きな影響を受けています。

 高い程度の不誠実な性質の活動性が付与されている内容からは強い不誠実さを感じ取り、また、低い程度の不誠実な性質の活動性が付与されている内容からは弱い不誠実さを感じ取りますが、加えて、付与されている活動性の程度とは別に、不誠実な性質の活動性が付与されている内容の出現する頻度が高くても強い不誠実さを感じ取りやすくなります。これは、高い程度の不誠実な性質の活動性が付与されている内容が低い頻度で出現するよりも、低い程度の不誠実な性質の活動性が付与されている内容が高い頻度で出現するほうが、不誠実さを強く感じ取る場合もあることを表しています。

 高い程度の不誠実な性質の活動性が付与されているほどに世界の進化を強く停滞させるように「はたらき」ますが、低い程度の不誠実な性質の活動性が付与されていても頻度が高いのならば、世界の進化を弱く停滞させる状況が継続するために、総合的には、世界の進化を停滞させやすくしています。譬[たと]えると、目的地へ向けて歩いている際に、事故に遭遇して足止めされる(低い頻度で高い程度の不誠実な性質の活動性によって世界の進化が停滞する)状況もあれば、一方で、歩く足へ土砂や草が常に絡みついて歩みが遅くなる(高い頻度で低い程度の不誠実な性質の活動性によって世界の進化が停滞する)状況もあるのです。どちらの状況が、目的地へ到着するまでの時間/労力を多く消費させる(世界の進化を強く長く停滞させる)かは様々です。

 付与される活動性の程度と付与される頻度を、人/霊の地上/無形界での生活でおこなわれる行為からみると、日常的に(頻繁に)造化する行為へ自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく付与される活動性の程度は高い頻度で付与されている状況を表しており、付与される活動性の程度は、おおよその成長の程度に相応しています。言い換えると、成長の程度を向上させていくとは、高い頻度で付与する活動性の程度を高めていくことでもあります。行為へ付与される活動性の程度/頻度と成長の程度のつながりについては、4章3節 内的成長度 #質疑応答の「同調する活動性の程度に相応する活動性の程度を行為へ付与する際の自覚の有無は、成長の程度へ影響を与えますか?」を参照してください。

内容の相互参照

(1000/1000)

 霊界、幽界、物質界、異界、神、霊力、霊格、転生、などの、地上で認知されている語を、このサイトで使用しないのは、それらの語が、拡く誤用されているためです。語の誤用/悪用によって、語が本来に有している定義/意味への誤解を招き、適切な理解を阻碍しています。

 霊界/幽界などの語は、日本で慣例として用いられていますが、それらの語が有する定義は用いる者によって千差万別であり、適切に用いられている場合もあれば、自己に都合良く用いられている場合もあります。中には、用語だけが独り歩きをして、不誠実な目的や、荒唐無稽な定義で創作物(フィクション)に用いられている場合も多くみられます。そのため、このサイトでは、現存する語へ定義を当てはめるのではなく、定義に相応する語を用いるようにしています。例として、神と呼ばれている定義を大霊、霊界/幽界を惑星圏無形界、物質界を有形界という語で表しています。

 このことは、「受肉」として認知されており、サイトでは「再授肉」として定義している内容にも当てはまります。地上で使用する有形体(肉体)は、自己が地上での生活を通して成長することを自身の自由意志で望み、地上での生活を大霊に許可された結果として、有形体が大霊より貸し与えられ授けられるために、「有形体を再び授かる」という定義に相応する「再授肉」という語を用いています。受肉という語には、自己の自由意志に関係なく、自動的に、あるいは、強制的に有形体を受け入れるという定義も含まれているために使用していません。同様に、再生という語が、地上で「再び生活する」という定義の場合であれば適切ですが、「再び生きる」という定義で認識されている場合もあります。再び生きるという定義は、死ぬことに対比して用いられており、自己という主観性には生きている状況と、死んでいる状況があるように誤認させる可能性を有しているために使用していません。

 未だ社会の成長の程度が低い地上では、このサイトで用いている、有形界、無形界、教導系譜、再授肉、集合精神、精神伝達、などの語も、いずれは誤用されるようになります。そして、ある程度にまで誤用が拡まれば、誤用を正す役割をもつ者が無形界から地上へと来て(再授肉して)、適切に定義し直すことになります。

(1000/1000)

 行動を表す同じ用語でも、このサイトで用いている定義と、社会で用いられている定義で、異なる語が多くみられるのは、このサイトで用いている語は肉眼に視えない「行動の目的」に基づいて定義していますが、一方で、社会で用いられている語は肉眼に視える「行動の内容」で定義しているためです。

 行動の肉眼に視えない無形的な目的は、肉眼に視える物的な行動を造り出す土台となるために、同じ目的で定義された語は、物的には異なる行動であったとしても、同じ語として表されます。もしも、行動の目的が異なれば、物的に同じ行動であったとしても、異なる語として定義されることになります。

 一方で、物的な行動が、無形的な目的を造り出すのではないために、物的に同じ行動で定義された語は、常に同じ目的に基づいておこなわれているとは限らず、異なる目的に基づいて物的に同じ行動が表現されている場合も多くみられます。そのため、自己のおこなう物的に同じ行動であったとしても、その時その時によって行動をおこなう目的が同じとは限らず、また、自己/他者で物的に同じ行動をおこなっていたとしても、行動の目的が同じ場合もあれば、異なる場合もありますが、同じ行動をおこなっているのならば、同じ語で表されることになります。

 社会の中では、同じ用語であっても、眼前の状況によって語の定義は異なります。また、語の指し示す眼前の状況が同じであったとしても、語を用いる個々によって定義が異なる場合もあります。ひとつひとつの状況において、個々が「どのような定義で語を用いているのか?」を観察/考察することで、対話での齟齬[そご]を防ぎ、意思の疎通を促し、物事の理解を推進します。

(1000/1000) 用語の定義と用語の表す内容
(1000/1000) 用語の定義と用語の表す内容

(1000/1000)

 ある書物と他の書物で、掲載されている内容全体は同じように捉えられるにも関わらず、それぞれの記述では矛盾するような内容としてみられる場合には、考察する前に、それぞれの書物に記載されている記述の真実度を測定するようにします。真実度は、記述されている内容の基となる印象が文字などで表現できている程度を表す指標のために、それぞれの書物で同じ内容について掲載されているのであれば、基となる印象も類似する内容となり、真実度によって、それぞれの記述が印象を表現できている程度を知ることができます。真実度については、1章2節 真実度を参照してください。

 ただし、真実度の高い記述が正しくて、低い記述が誤りと安易に判断してはなりません。誠実な性質を示す内容であるのならば、どちらかの記述が正しくて、他方が誤っているということはなく、捉える程度、捉える方向性、などが異なっているだけなのです。それぞれの記述の真実度を考慮して、記述の内容が、著者の精神で、どのような印象から文章への変換の経路(造化の工程)を経て導き出されているのかを推測したうえで、記述の内容を比較/考察するようにします。特に、著者の有している自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない固定観念/既成概念などの囚われは、記述の方向性に大きな影響を与えています。

 加えて、それぞれの書物で用いられている語の定義を比較する必要もあります。用語は、同じ語であっても、著者によって定義は様々であり、同じ定義の場合もあれば、定義の一部が重なる場合もあり、全く異なる定義の場合もあります。同様に、それぞれの著者が用いる異なる語であっても、同じ定義の場合もあれば、定義の一部が同じ場合も有り得ます。著者の用いている語の定義は、特定の記述からだけでは推測し難い場合もあるために、段落全体、書物全体、また、同じ著者の異なる著書、などから総合して把握するように努めます。

 地上で生活している人が、同じ語を用いていたとしても個々によって同じ定義の場合もあれば、定義の一部が重なる場合もあり、全く異なる定義の場合もあるのと同様に、無形界から通信をおこなった複数の霊が、同じ語を用いていたとしても、同じ定義の場合もあれば、定義の一部が重なる場合もあり、全く異なる定義の場合もある点に留意してください。例として、インペレーターが用いている「超越界」という語と、コナン・ドイルが用いている「超越界」という語は、同じ語が用いられているものの、同等の成長段階の者が生活する界層を指していません。このサイトで用いている定義で表すのならば、インペレーター霊が用いている「超越界」は5次元以上を指しており、一方で、コナン・ドイルが用いている「超越界」は8次元以上を指しています。インペレーターが伝えた無形界の構造については、前節の6章1節 推薦書物 #モーゼス/インペレーターの霊訓で紹介している書物を参照してください。コナン・ドイルが伝えた無形界の構造については、2章1節 世界全体の構造 #質疑応答の「これまでに無形界から伝えられた世界の構造と、このサイトで紹介されている構造には、どのようなつながりがありますか?」を参考にしてください。

 この質疑応答に関連する内容には、6章1節 推薦書物 #質疑応答の「書物全体の内容としては高い真実度を示しながらも、ひとつひとつの記述の真実度には低い場合がみられるのはどうしてですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 同じ物事について記述されていても、記述の内容が相反するように捉えられる場合もみられるのは、物事を認識する「適切さ」は相対的であり、成長の程度によって適切と認識する程度が異なるためです。

 誠実な目的で同じ対象(印象)を捉えても、成長の程度によって捉え方は異なります。ある成長段階では適切に対象を捉えていると認識していても、その成長段階での捉え方は、相対的に高い成長段階の捉え方からみると不足がある(不適切)と認識される場合もあります。同じ物事について記述されている内容が相反しているというよりは、捉え方に不足があるために、全く異なる内容として表現されているようにみえるのです。なお、不誠実な目的で対象を捉えている場合は、その捉え方は、不足ではなく、誤りと認識されます。ただし、誤りも、不足と同様に、不適切に含まれます。適切/不適切については、1章1節 サイトを読むにあたって #質疑応答の「適切と必要は、どのように違うのですか?」を参照してください。

 例として、「肉体は無限に使用することができる」という記述では、筋反射検査で、記述が不誠実な性質を示す場合は、虚偽を刷り込もうとする目的に基づいている可能性があります。一方で、記述が誠実な性質を示す場合は、認識の程度が低いために、自己の選択する生き方によって老化を遅延させることができる、ならば、生き方を変えて老化しなければ死ぬことはない、ならば、死ぬことがなければ肉体を無限に使用できる、という流れで捉え判断している可能性があります。なお、高い次元の認識では、有形体(肉体)には使い始める前に定めた使用期限があり、地上での生き方によって期限を放棄(自殺)することはできても、延長することはできない、と捉えています。

 この質疑応答に関連する内容には、1章1節 サイトを読むにあたって #質疑応答の「ある記述の内容と他の記述の内容とのつながりを把握していくことが網羅的理解ですか?」がありますので参考にしてください。

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 このサイトへ掲載されている内容と書物などへ掲載されている内容との相互参照の例として、書物などで「類魂」と呼ばれている内容と、サイトへ掲載されている内容を照らし合わせてみます。

 類魂の定義には、個体の成長に関する内容と、個体の成長が全体へ与える影響の内容、の2つに大別される内容が、ひとつの定義へまとめられている点に特徴があります。言い換えると、類魂という語が有する定義の範囲は拡く、印象の内容を文字で表す際に、多方面の方向性に拡がる内容を、ひとつの方向性の内容として纏[まと]めようと試みているために、誤解を生みやすい定義となっています。そのため、類魂と呼ばれている、おおよその内容が有する真実度は、160-240の間で測定されています。

 このサイトへ掲載されている内容で類魂に含まれる定義の範囲には、主に下記があります。

  • 大霊と分霊に分離はなく、分霊の知識/経験は、大霊の知識/経験(無限の叡智)でもあります
  • 個々の分霊が有する知識/経験の総体である無限の叡智は、誰でも参照することができます
  • 個々の分霊が体験を通して得た知識/経験は、失われること無く蓄積され、自覚の有無に関わらず、今後の学びへ役立てられます
  • 地上での物的な体験(思い出)は、再授肉の際に受け継がれず、体験を通して蓄積した知識/経験のみが引き継がれます
  • 個々の分霊の成長/活動の総体として、大霊(世界)の進化があります
  • 教導系譜によるつながりが、大霊を構成する「分霊の相互のつながり」を表しています
  • 教導系譜のつながりを通して、知識の伝達/還元がおこなわれています

 上記の内容に加えて、個々の有する類魂の定義によっては、無形界の仕事での各分野に属する部門/集団/班が含まれている場合もあります。

(1000/1000) 類魂の定義に含まれる単純図
(1000/1000) 類魂の定義に含まれる単純図

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