質疑応答

6章 附録 - 3節 質疑応答

個々の記述の真実度: 999.5-1000
節全体の真実度: 1000
節全体の活動性: 1000

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節の内容について

  • この質疑応答の節では、各節の「ご質問の送信」の連絡フォームを通して送信していただいた質問の中で、各節には含まれない内容を掲載しています
    • 各節に関連する補足的な内容は、各節の質疑応答に記載されています
    • このサイトの内容は、宗教/スピリチュアリズムの内容を総括しているのではなく、宗教/スピリチュアリズムに含まれる内容の中で、地上での成長へ直接的に関連する内容のみを掲載している点に留意してください
    • そのため、地上での成長へ直接的に関連しない内容は、各節の質疑応答や、この節では掲載していませんので、他の書物などを参照していただくか、あるいは、地上から無形界へ戻った後に学んでいただくことを推奨します
  • また、この質疑応答の節を含め、各節の質疑応答の中には、地上/無形界で霊たちがおこなった質問を、高い成長段階の霊が取り纏[まと]め、著者を通して応答が記載された内容も含まれています
    • このサイトへ掲載されている内容は、地上で生活する人や、惑星圏無形界で生活する人霊だけでなく、地上を彷徨[さまよ]う地獄者/地縛者たちにも閲覧できるように、天使たちの多大な尽力によって配慮されています
    • サイトへ掲載されている内容を閲覧した霊たちからも質問が挙げられるために、このサイトの管理/運営を担う天使たちによって質問内容が検証され、相応する応答内容を著者へ送り、著者がサイトへ記載しています
    • 地上で生活する人は、サイト内の各節の下端に設置されている「ご質問の送信」の連絡フォームを通して、物的に質問をお送りいただけます
    • お送りいただいた質問への応答は、質問の内容に関連する節へ質疑応答が新規に追加される場合と、既存の質疑応答へ追記される場合があります
  • (1000/1000) 相手への質問は、自己の有する疑問の答えを相手へ求めるためにおこなうのではなく、自己が自身で答えを導き出すための切っ掛けを与えてもらうためにおこなうという点に留意してください
    • 質問に対して相手から得た応答は、相手の有する認識の程度/知識/習慣などに基づいており、自己の有する認識の程度/知識/習慣などには基づいていません
    • 相手から得た応答を参考にして、自己の有する疑問を、自己の有する認識の程度/知識/習慣などに基づいて考察し直すことで、自己に適切な答えを導き出せるようになります
    • 自己の有する疑問への答えは、外環境の何処[どこ]かにあるのではなく、誰かが有しているのでもなく、常に自己が自身で獲得するのです

至言の紹介

(1000/1000)「瀞沁」
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質問するとは
自己が理解できないから
相手に尋ねることではありません
自己が理解しようとしない内容は
相手に伝えられても理解はできないのです
「私はこのように理解していますが
あなたはどのように理解しているのですか?」
これが質問です
(1000/1000)「瀞沁」
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自己の実践を通して検証しない言い訳に
相手へ質問ばかりしていてはいけません
自己が実践しないのならば
相手から得た返答は無価値であり
相手に時間と労力を浪費させているだけです
自己が実践する中で湧き浮かぶ疑問を
相手へ尋ねるのです
その時こそ、相手から得た返答には価値が表れ
相手の時間と労力が報われるのです

各節の質疑応答

  • 各節の内容に関連する質疑応答は、下記のリンクより閲覧していただけます
    • リンクを押すと各節のページへ移動します

各節に含まれない質疑応答

  • それぞれの質問文を押すと、応答文が表示/非表示されます
    • すべての応答文を一括して開くには、「すべての質疑応答を開く」ボタンを押してください
    • すべての応答文を一括して閉じるには、「すべての質疑応答を閉じる」ボタンを押してください

サイト全般について

(1000/1000)

 ウェブサイトのアイコンは、無限の叡智の夜天に輝く太陽が表現されています。無限の叡智については2章2節 大霊 #摂理、また、太陽の象徴する内容については2章3節 有形界の構造 #有形界の太陽の輝きに記載されていますので、そちらを参照してください。

 無限の叡智の夜天に輝く太陽は、成長のための知識を地上へ拡め浸透させて、誰もが成長を求め実践し、霊としての自身の放つ輝きを強めていくように促すという、このサイトの目的を表しています。

(1000/1000) ウェブサイトのアイコン
(1000/1000) ウェブサイトのアイコン

(1000/1000)

 フロントページに記載されているウェブサイトの副題「スピリチュアリズムの先へ」には、大きくは2つの意味があります。スピリチュアリズムについては、1章5節 宗教/スピリチュアリズムを参照してください。

 1つ目は、スピリチュアリズムと呼ばれている無形界からの「はたらきかけ」は、地上への「はたらきかけ」が開始されて以来、一度も途絶えることなく現在でも継続しておこなわれており、はたらきかけの内容は、無形界での計画に基づいて、日々に進歩している状況を示しています。加えて、このウェブサイトの内容も、現在に無形界からおこなわれている「はたらきかけ」のひとつという点を表しています。

 2つ目は、スピリチュアリズムと呼ばれ始めた当時に、無形界から直接に伝えられた内容のみへ囚われてはならないという警鐘を示しています。当時に伝えられた内容は、当時の地上で生活する人類の成長段階、地上社会の情勢、伝えられた地域の有する性質、などに相応するように配慮されています。しかし、現在の地上人類の成長段階(各地域の成長の程度)、地上社会の情勢、などは当時から大きく変化しており、当時に伝えられた内容では現在に相応していない側面も多くみられます。このことは、2000年以上前に、釈迦[しゃか]、イエス、クリシュナ、たち覚醒者によって伝えられた知識や、それぞれの時代に様々な者によって遺[のこ]されてきた知識についても同様です。

 当時に伝えられた知識から学ぶ内容は多くありますが、その内容のみに囚われ、他の内容を考察/熟考せずに排除し、敬遠するのは、成長の阻碍/停滞へとつながり、また、無形界からの「はたらきかけ」を蔑[ないがし]ろにしていることにもなります。

(1000/1000) ウェブサイトの副題
(1000/1000) ウェブサイトの副題

(1000/1000)

 本来では、地上で公開されているウェブサイトの内容は電子的な産物であり、パソコンなどの電子機器を通して、地上で生活する人だけが閲覧でき、地上を徘徊する地獄者/地縛者たちが閲覧することはできません。電子的な産物は有形体の肉眼を通して視ることができ、有形体を有していない地獄者/地縛者には視えないのです。

 ただし、このウェブサイト「世界の進化と人の成長」の内容は、地上で生活する人に対してだけでなく、天使たちの尽力によって、地上を徘徊する地獄者/地縛者たちにも閲覧できるように配慮されています。当然ながら、人と同じように、パソコンなどの物的な電子機器を使用して閲覧しているのではありません。地獄者/地縛者たちにも閲覧できるようにしている方法については、現在の地上社会が有する成長の程度では、地上で生活している人へ、その方法を伝えることが大霊より許可されていません。

 また、無形界(人霊界)の霊たちは、このウェブサイトの内容を無形界で自由に閲覧できます。閲覧には、電子機器を使用するのではなく、無限の叡智を通して直接的にウェブサイトの内容を読むことができます。

 そして、地上/人霊界で、彼らがウェブサイトの内容を閲覧し、浮かび上がってきた成長に関連する質問/疑問を、このウェブサイトを管理している「瀞沁庵-せい.しん.あん(ウェブサイトの管理者)」を組織する天使たちが集め、質問の内容を精査したうえで質問に対する応答を作成し、瀞沁庵の道具である著者へ送り、著者を用いて質問/応答の内容をウェブサイトへ物的に記載しています。同様に、地上で生活する人がウェブサイトを閲覧し、浮かび上がってきた成長に関連する質問/疑問などで、ウェブサイトの「ご質問の送信」の連絡フォームを用いて物的に質問されなかった内容についても、天使たちによって集められています。そのため、質問することへ連絡フォームを用いる/用いないの違いは、質問をすることへの意志の強さの違いを表しているのみとなりますが、誠実な強い意志に基づいておこなわれた質問ほどに応答される可能性は高くなります。

 天使たちが集めた質問/疑問などの内容と、それらへの応答の内容は、どちらも閃き(印象)として著者へ送信され、著者が天使たちの支援/援助を受けて閃きの内容を文字/図表で記述しています。閃き/印象については、3章9節 精神を参照してください。

 なお、サイトへ物的に記述/図表を掲載する前に、著者によって印象の内容が記述/図表として形成された時点で、霊たちには記述/図表の内容を閲覧可能となり、その時点で寄せられた霊たちからの質問に対する応答が、サイトへ物的/電子的に掲載される前の記述/図表へ追記されています。著者が記述/図表を作成後に12-24時間ほど待機して、霊たちの質問/応答による追記、あるいは、記述/図表の修正の必要性を確認した後に、サイトへ掲載されます。人にはサイトへ掲載された記述/図表のみが閲覧可能です。

(1000/1000)

 このサイトの目的のひとつには、「地獄者/地縛者を造り出している連鎖を断ち切る」という内容があります。

 地上の生活で、世界の実相/生命の真相を知ることなく、また、学ぼうとしなかったために、物質に偏重した生き方や不誠実な生き方を送り、死後も地上(物質の心から受けた影響)に縛られ囚われ続けている、地上を徘徊し彷徨[さまよ]う地獄者/地縛者たちは、地上で生活する人へ大きな影響を与えており、誘惑を駆り立て、頑迷な物事の捉え方を植え込み、利己的/自己中心的な行為を唆[そそのか]し、憑依して操[あやつ]り、不誠実な生き方へと誘導しています。そして、地獄者/地縛者たちの影響を受け、憑依され、僅かにも成長することなく地上での生活を終えた人たちは、自身が地獄者/地縛者となって、新たに地上で生活する人へ影響を与えるようになります。

 地獄者/地縛者たちは成長の程度が極めて低く、無形的な物事に反応し難いために、自身の周囲にいる天使たちを認識できず、天使たちが自身へおこなっている呼びかけにも気づけません。逆に、物的な物事には反応しやすいために、地上で用いられている文字/言語/図表などで記述されたサイトへ掲載されている内容を通して、彼ら自身の現状へ気づかせるように、はたらきかけています。サイトへ掲載されている内容を閲覧して、自身の不誠実な生き方や、自身の有している囚われ/固執へ疑問をもつようになれば、周囲の天使たちの呼びかけへ気づく切っ掛けとなります。呼びかけへ気づくようになれば、周囲の天使たちが直接に地獄者/地縛者たちへ不誠実な生き方を辞めるように促し、更生させ、誠実な生き方へ努めるように導いてくれます。

 地獄者/地縛者がサイトへ掲載されている内容を閲覧する際には、記述されている文字/図表などを読むだけでなく、記述へ付与されている活動性の程度から強烈な輝きを感じ取っています。この強烈な輝きが、自身の不誠実な生き方によって造化し周囲へ漂わせている暗闇へ気づき、生き方を省みる切っ掛けとなるのです。ただし、地上でサイトを閲覧する人は、活動性の程度から受ける精彩な感覚が有形体を通して受ける粗雑な感覚へ埋もれているために、記述へ付与されている活動性の程度から輝きを感じ取り難いです。

 このサイトへ掲載されている内容は、勿論[もちろん]ながら地上で生活する人に対しても、誠実な生き方へ努め、成長を志[こころざ]すように、はたらきかけています。地上で生活している期間に、世界の実相/生命の真相へ気づき、成長を求め誠実な生き方へ努めるようになることで、有形体の使用期限(死)を迎えた後に、地獄者/地縛者を造り出さなくなり、更に、無形界での学びを促進することにもつながるためです。加えて、地上では、無形界に比べて、成長を阻碍/退行させる可能性も高い反面、成長を促進しやすい特徴があり、成長を飛躍的に向上させることもできます。サイトへ掲載されている内容を通して、地上で生活できる短い期間を存分に成長へつなげられるように促しているのです。地上/無形界での成長の速さについては、4章2節 有形界での成長 #質疑応答の「有形界での成長は、無形界での成長と比べて、どれくらいに速く成長する可能性がありますか?」を参照してください。

 この質疑応答に関連する内容には、サイト管理者 #質疑応答の「著者が地上での役割としてサイトを公開しているのと、現在に不誠実の程度が高い地域で生活しているのには、どのようなつながりがあるのですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000) 不誠実な生き方を造り出す循環
(1000/1000) 不誠実な生き方を造り出す循環

(1000/1000)

 下記のフロントページの至言に記載されている「欲望を追求し、快楽へ浸[ひた]り、利己的/自己中心的に浪費した代償は、長期に渡る重い苦しみをもって支払わねばならない」には、大きくは2つの内容が表されています。

フロントページへ記載されている至言
(1000/1000)「瀞沁」
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年老いてゆくだけで
僅かな成長もない人生は
無価値な浪費でしかありません
そして
欲望を追求し、快楽へ浸[ひた]り
利己的/自己中心的に浪費した代償は
長期に渡る重い苦しみをもって
支払わねばならないのです
時間を浪費してはなりません
地上で生活できる時間は有限なのですから

 1つ目は、利己的/自己中心的な行為によって強めた不誠実な習慣に気づき、修正して弱めていくためには長い期間を必要とし、習慣が弱くなるまでは、絶え間なく影響を与えてくる不誠実な習慣の有する方向性と、誠実に生きようと願う意志が有する方向性の不一致によって、不自然感、違和感、矛盾感、などとして強く感じる苦しみを受け続けなければならないことを表しています。習慣の修正については、5章1節 修養の生活を参照してください。

 2つ目は、利己的/自己中心的な行為によって際限なく加算された行為の記録(-)の残高は、必ず減算させなければならず、今回の地上で生活する期間だけでなく、残高が無くなるまでは、今後の地上/無形界での生活で減算させていかなければなりませんが、行為の記録(-)の残高を減算させるためには、相応する成長の退行か、誠実な行為によって加算された行為の記録(+)の残高と相殺していくしかないために、成長を求める生活を志[こころざ]していても、行為の記録(-)の残高が成長への重しとなることを表しています。行為の記録については、4章7節 行為の記録を参照してください。

 どちらの内容であっても、多くの者では100年にも満たない地上での生活における利己的/自己中心的な生き方によって、その後の数百年、あるいは、成長を求めない限り何百年/何千年/何万年に渡っても、成長を阻碍する要因を造り出していることへの警鐘を表しているのです。

 なお、至言に記載されている「年老いる」とは、有形体の使用年数(年齢)が増加していく状況と、有形体の劣化(老化)が進行していく状況の2つを表しています。有形体の使用年数は自動的に増加していきますが、一方で、有形体の劣化は生活の活動量/活動の強度や生き方によって決まり自動的に進行するのではありません。

(1000/1000)

 死後に長く苦しみたくないのならば、地上で誠実な生き方へ努めなければならないと強迫(あるいは脅迫)されているように感じるのは、サイトへ掲載されている内容ではなく、読者自身の内面に原因があることへ気づく必要があります。物事の捉え方は、外環境にあるのではなく、自身の内面にあるのです。外環境にあるものは表現(情報)であり、表現をどのように捉える(認識する)のかは、個々によって異なります。

 もしも、サイトへ掲載されている内容を読んで、「死後に長く苦しみたくなければ地上で誠実な生き方へ努めなければならない」と強迫されているように感じるのであれば、それは、自身の内面に、自身が不誠実な生き方をしていることへの自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない「後ろめたさ」があり、利己的/自己中心的な生活をしていても、その生活に対する責任/代償は負いたくないという自身に都合の良い願望があるのです。そして、自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない「後ろめたさ」を隠すために、サイトへ掲載されている内容に責任逃避しているといえます。これまでの利己的/自己中心的な生活で貯めた代償(行為の記録(-)の残高への加算)を、支払わずに済む状況はなく、支払いが減免される状況もなく、代償を貯め込んでいるのに気づいていなくても、貯め込んだ代償から眼を逸らしていたとしても、今後の生活で必ず苦しみを通して支払わねばなりません。必ず支払わねばならないのならば、代償を貯め込み続けている現実に気づき、代償の支払い(成長の退行としての還元)を潔[いさぎよ]く受け入れ、現在よりも更に代償を貯め込まないように誠実な生き方へ努めるのが賢明です。責任逃避については5章2節 幻想、行為の記録については4章7節 行為の記録を参照してください。

 現在の地上での生活において、利己的/自己中心的な生活をしていないという明確な自覚があるのならば、サイトへ掲載されている内容を読んでも、死後に長く苦しみたくなければ地上で誠実な生き方へ努めなければならないと強迫されているように感じる状況はありません。自己に都合の良くない眼前の状況や、自己の内面から眼を逸らし、逃げ回っているのならば、何時[いつ]までも成長は促進されず、行為の記録(-)の残高を加算し続けているだけなのだと気づく必要があるのです。これは、強迫/脅迫しているのではなく、誰の眼前にも顕[あらわ]されている現実を伝えているだけに過ぎません。

 なお、サイトへ掲載されている内容は、眼前の現実を記述しているだけであり、ある方向性へ読者を誘導するような記述はしていません。どのようにサイトへ掲載されている内容を捉えるのかも、サイトへ掲載されている内容から何を感じ取るのかも、そのうえで、自身の生き方を省みるのも/省みないのも、成長を求めるのも/求めないのも、修養の生活を実践するのも/実践しないのも、すべて読者ひとりひとりの自由意志による選択(決断)へ委ねられています。また、自身のおこなう選択/行為は、すべてを自身の意志で決断し、自身以外に決断を委ねようとしてはならないのです。

(1000/1000)

 地上社会で拡く認知されている内容が、世界から捉えて「正しい」とは限らない点に留意してください。社会では、現在の社会の成長段階に相応する内容が拡く認知されやすいだけであり、認知の拡さ(知名度)と正しさの程度(真実度)には関係がありません。もしも、地上社会で拡く認知されている内容が常に正しいのならば、社会の成長の程度(地球の進化の程度)は現在のように低い段階で停滞することなく、加速的に向上しています。地球の進化の程度については、2章3節 有形界の構造を参照してください。

 現在よりも社会の成長段階が相対的に低い時期/時代に社会で拡く認知され、現在に至っても当然と認識されている内容へ囚われている状況は多くみられます。「正しさ」は相対的なために、社会が低い成長段階の時期/時代には「正しい(適切な)」内容として拡く認知されていても、同じ内容が、現在の社会の成長段階でも「同等の正しさ(適切性)」を有しているとは限りません。多くの場合では、現在の社会の成長段階でも正しいと思い込んでいるだけであり、実際には「正しくない(不適切)」のです。また、現在の社会の成長段階も僅かずつ向上しているものの未だ低い段階にあり、成長を求め実践していくのならば、現在の低い社会の成長段階に迎合していても成長を促進できません。

 このサイトは、現在の自己の成長段階よりも更に高い段階への成長を求める方へ、知識の頒布[はんぷ]をおこなうことを目的としています。現在の社会の成長段階で認識されている正しさの程度に関わらず、成長の促進へとつながるように、できる限り高い真実の程度(正しさの程度)を有する内容の掲載へ努めています。そのため、サイト内の節ごと、項目ごと、図表ごとに真実度(加えて、活動性の程度)を測定して、数値で正しさの程度を容易に比較し確認できるようにしています。

 なお、常に最新の内容を追い求めることが「正しい」のではありません。内容の新旧に関わらず、自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない囚われに縛られることなく自由に考察をおこなう中に、現在の自己に適切な正しさが表れるのです。特定の内容へ囚われている状況では、自己の有している情報/知識の内容/程度が正しく、相手が誤っていると自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく捉え、相手の発言/行動/著書/記述などの「間違い探し」をするようになります。間違い探しの発言/行動は、このサイトへ寄せられる質問にも多くみられ、自己の有している情報/知識の内容/程度を全く考察(再検討/再検証)せずに、あるいは、丁寧に考察することなく、安易に質問するのは自己の成長を阻碍/退行させているのだと気づく必要があります。

 加えて、社会の中でも、他者の有している情報/知識の内容を、他者がどのようにして得たのかについて詮索/追求する状況は多くみられますが、他者が様々な内容をどのようにして知ったのか? ではなく、自己はなぜ知らないのか? 自己が知るにはどのようにすればよいのか? を内省する必要があります。常に、自己の状況を基点に他者を判断/考察するのではなく、他者の状況を基点に(他者の状況を観察/考察して)自己を内省するのです。この考察/内省する方向性の違いは、成長の観点からみると大きく異なります。自己の状況を基点に他者を判断/考察しているのならば、自己の成長は阻碍/退行へとつながり、逆に、他者の状況を基点に自己を内省するのならば、自己の成長は促進へとつながるようになります。

 生き方の誠実/不誠実からみると、自己の有する情報/知識に反する内容を相手から伝えられた際に、誠実な生き方へ努めている者は、相手から伝えられた内容と自己の有する情報/知識を総合して考察します。一方で、不誠実な生き方をしている者は、自己の有する情報/知識が正しく、相手が誤っていると決めつけて相手を非難/批判/糾弾します。

 この質疑応答に関連する内容には、2章3節 有形界の構造 #質疑応答の「惑星の進化のために、地上で生活する人が永続性のある活動をおこなうには、どのようにすればよいのでしょうか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 このサイトへ掲載されている内容の中で、自己が現在の段階において、受け入れられない内容を受け入れていくように努める必要はありません。このサイトを管理/運営する瀞沁庵(大勢の天使たち)は、サイトに掲載されている内容を「読者は受け入れなければならない/信じなければならない」とは決して伝えていません。サイトに掲載されている内容を「読者自身が一切の偏見や先入観に囚われることなく、また、サイトの内容を盲信することなく、自身の知性/理性を用いて誠実に考察し、読み解いていく必要がある」と伝えています。瀞沁庵については、サイト管理者を参照してください。

 個々の読者が有している、成長の程度、個性の方向性、囚われ(固定観念/既成概念)、現在に貯蔵している知識の内容/程度、また、現在の生活の状況、地上での目的/役割の遂行状況、などによって、受け入れやすい内容や理解/納得できる内容は様々です。そして、自身が受け入れやすい内容は日々に変化しており、以前に受け入れられなかった内容が、現在では自然に受け入れられる場合も多くあります。もしも、以前に書物などを読んで、自己が受け入れられなかった内容であったとしても、そのまま忌避せずに、いずれ読み返してみると新たな気づきを得られ、成長の学びへとつながる場合もあるのです。

 社会の中では、書物を読んで自己が内容を理解できなかったのならば著者の記述した内容や記述の仕方が悪いと決めつけ、自己が理解できない原因を著者へ責任逃避する状況は多くみられます。同様に、自己が相手へ質問し、相手から返答/説明を受けたのならば、自己は返答/説明の内容を理解できて当然と思い込んでおり、自己が返答/説明の内容を理解できなかったのならば、相手の返答/説明の内容や返答/説明の仕方が悪いと決めつけ、自己が理解できない原因を相手へ責任逃避する状況も多くみられます。責任逃避については、5章2節 幻想を参照してください。

 どのような内容であったとしても、自己が理解するには、また、内容を受け入れる/受け入れられないの判断をするには、先[ま]ずは自身で内容を考察する必要があります。自己が自身で考察した後に、現在に理解できる内容、理解できない内容に区分でき、更に、自己が自身で理解した後に、現在に受け入れられる内容、受け入れられない内容に区分できるようになります。内容を理解する(納得する/腑に落ちる)のと、理解した内容を受け入れるのは、同じではない点に留意してください。内容を理解した(納得した/腑に落ちた)うえで、内容を受け入れないと判断する状況もみられるのです。自己以外(他者)が自己に内容を理解させてくれる状況や、自己以外が自己に内容を受け入れさせてくれる状況、自己が内容を考察せずに理解できる/理解できないを区分する状況、自己が内容を理解せずに受け入れられる/受け入れられないを区分する状況、などはありません。

 なお、このサイトに掲載されている内容を受け入れても、受け入れなくても、他の書物へ掲載されている内容を受け入れても、受け入れなくても、それらは些細なことに過ぎません。どちらであったとしても、読者が成長を求め実践していけるようになったのであれば、無形界の天使たちによって運営されている「このサイトの目的」は達せられているからです。

(1000/1000) 内容の考察/理解/受け入れの流れ
(1000/1000) 内容の考察/理解/受け入れの流れ

(1000/1000)

 サイトへ掲載されている内容に、自身の求めている答えが直接に文字/図表として掲載されている状況は少ないです。掲載されている内容を自身で総合して考察することによって、求めている答えへ辿り着くようになります。

 本人の求める内容(本人の求めている答え)は個々によって様々であり、また、ある内容を文字/図表で表現する仕方も個々によって様々です。自身の有する個性の方向性に基づいて求める内容/答えと、掲載されている文字/図表での表現の仕方に表れる個性の方向性が類似する方向性を示していない限りは、文字/図表から直接に答えを得るのは困難です。多くの場合では、求める内容/答えの方向性と、文字/図表での表現の仕方に表れる個性の方向性が類似していないために、文字/図表に求める内容/答えが記述されていたとしても気づきません。

 個々の有する個性は独特であり、誰ひとりとして全く同じ個性を有している者はいません。個性は、無数の方向性と、それぞれの方向性が有する無限の強さを総合したもの(無数の方向性と無限の方向性の強さを総合して表れる総合的な方向性と方向性の強さ)として表せるために、同じ総合的な方向性と方向性の強さを有している者はいなくても、自身が成長する過程での現在の段階で類似する特定の方向性と方向性が同等の強さを有している者はいます。類似する特定の方向性と方向性が同等の強さを有している者の間では、求める内容/答えを直接に文字/図表から得られる場合もありますが、無数の方向性と無限の方向性の強さが存在する中で、類似する特定の方向性と方向性が同等の強さを有している者は少ないといえます。

 そのため、特定の文字/図表で表現されている内容に答えを探すのではなく、自身の個性に基づいてサイトへ掲載されている内容全体を総合して考察する過程で、自身の有する個性の方向性に相応した「自身の求めている内容/答え」に辿り着くようになるのです。

 このことは、様々な書物を読む際や、講演を聴く際なども同様です。自身の求めている内容(あるいは、求めている方向性)へ常に留意して書物を読み、講演を聴くことで、書物へ掲載されている内容や講演の内容を通して自身の求めている答えを得るのではなく、書物や講演の内容を切っ掛けとして自身の求めている答えへ気づくようになります。

(1000/1000) 個性の方向性/強さの一致/不一致
(1000/1000) 個性の方向性/強さの一致/不一致

(1000/1000)

 このサイトで、地上での成長へ直接的に関連しない内容を掲載していないのは、読者が自身で様々な物事を観察/考察し、考察を通して学び内省する機会を削がないようにするためです。

 このサイトでは、自身で考察する際の骨格/基盤となる内容(地上での成長へ直接的に関連する内容)を掲載し、考察を拡大/推進できるようにしています。サイトへ掲載されている内容を構造/仕組みという観点から捉え記述しているのも、自身で様々な物事のつながりを考察しやすくするためです。譬[たと]えると、根や幹に相当する内容を把握しておくことで、幹から無数に伸びる枝葉の内容を理解できるようになるのです。言い換えると、枝葉となる内容の僅かな差異へ囚われ拘[こだわ]っているのならば、何時[いつ]までも根幹となる内容を捉え把握できず、根幹となる内容から分岐する「無数の枝葉となる内容」のつながりも把握できないために、枝葉となる内容の理解を阻碍するようになります。

 地上での成長へ直接的に関連しない内容(間接的には成長へつながる内容)は無数/無限にあり、ひとつひとつの内容へ意識を向け、考察していられるほどに、地上で生活する期間は長くありません。有形体を用いて地上で生活できる期間は有限であり、どのような物事/体験へ期間を費やし、何を重点的に学ぶのかを選択する必要があるのです。

 地上での成長へ直接的に関連しない内容であっても、現在の自身の成長に必要としている内容がある場合もみられます。その場合には、サイトへ掲載されているような「自身で考察する際の骨格/基盤となる内容」を土台に、自身で様々に考察していくことで、高い効率で成長へとつなげられるようになります。また、自身の成長の方向性(個性の方向性)に基づいて様々な物事のつながりを把握し、把握する範囲を拡大していくことでも、自身に適した成長への学びを得られるようになります。

 なお、枝葉となる内容と、根幹となる内容の区分は相対的です。サイトへ掲載されている「根幹となる内容」は、有形界(地上)/惑星圏無形界で物事を考察する際の根幹となる内容であり、宇宙圏無形界からみた場合では、幹から伸びて分岐する「1本の細い枝に相当する内容」となります。そして、下位の宇宙圏無形界で根幹となる内容は、中位の宇宙圏無形界からみた場合では、幹から伸びて分岐する「1本の枝に相当する内容」となります。

 この質疑応答に関連する内容には、2章3節 有形界の構造 #質疑応答の「無形的認識に基づいて捉えた地上の様々な物事/現象を、サイト内に掲載してもらえませんか?」がありますので参考にしてください。

その他

(1000/1000)

 奇跡とは、無形的な法則に基づいて、有形界に適用されている物理的な法則では起こりえない、肉眼に視える物事/現象や肉眼に視えない物事/現象を顕現させる行為の中で、比較的に高い程度を有する愛の行為を指しています。ただし、地上で用いられている「奇跡」という語は、自己に都合の良い状況が偶然に現れたという利己的/自己中心的な定義で捉えられている場合もある点に留意してください。同じ語であっても、語を用いる者の成長段階や生き方によって定義は様々なのです。

 地上の社会では、奇跡は、偶然に起きる物事/現象と認識されていますが、これは肉眼に視える物的な内容のみを捉えているための誤認です。肉眼に視える側面と肉眼に視えない側面を総合した様々な運命の流れの中で、いくつもの要因が必然的に組み合わさることで、意志を有する霊/人によって奇跡が成されています。

 加えて、奇跡が、地上で生活する個体のみで成される状況はなく、常に、天使たちの多大な支援/援助を受けて成されています。地上で生活する個体は、無形界から天使たちのおこなう活動を、地上へ顕現させるための中継/媒介の役割を担っているのです。

 この質疑応答に関連する内容には、サイト利用に関する各種取扱 #質疑応答の「知識は個体ではなく全体のものとは、自身で考え出した内容も自身の知識ではないということですか?」がありますので参考にしてください。

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 霊的な定義で用いられている「アセンション(ascension)」という語は、自己の同調する活動性の程度を高める行為を指しています。個々の同調する活動性の程度が高くなることで、個々の有する活動性の程度の総体として、社会の有する活動性の程度、また、地球の有する活動性の程度(惑星の進化の程度)も上昇していくことになります。惑星の進化の程度については、2章3節 有形界の構造 #有形界の進化を参照してください。

 霊的にアセンションという語を用いる方々は、自己/社会の属する次元の上昇という定義で用いている場合が多くみられます。個体、社会、惑星、などの有する活動性の程度が高くなるほどに、認識の程度(認識の次元)も上昇していくためです。次元については、2章1節 世界全体の構造を参照してください。

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 「キリスト意識」という語の定義は、語を用いている者によって様々なために、おおよその内容を、このサイトで用いている語で表現すると、成長にともない意識の範囲が拡大して地上全体を包み込むか、あるいは、それ以上に拡大しており、地上の物的/有形的/無形的な「あらゆるもの」に対する愛/慈しみで地上を覆う行為と定義されます。

 地上の物的/有形的/無形的な「あらゆるもの」には、鉱物、植物、動物、人、人/脊椎動物たち分霊の造化する表現/行為や造り出した物事/物品、地上を徘徊する地獄者/地縛者たち、地上に滞在する天使たち、様々な現象、惑星そのもの、なども含まれています。

 そして、意識で地上全体を包み込んでいるのは、特定の者(人物)や、特定の期間(時代)に限定されません。地上で有形体を用いて生活している者や、地上で生活している期間だけでなく、無形界で生活している者や、無形界で生活している期間も含まれます。

 そのため、キリスト意識とは、生活する場(有形界/無形界)や、有形体の有無に関わらず、地上全体を覆う以上に意識が拡大している成長段階の者たちによる、地上/惑星への絶え間ない無形的な愛の行為の総合といえます。地上では覚醒初期の成長段階(5次元に属する認識の程度)から地上全体を覆うほどに意識は拡大していますが、「キリスト意識とは何か?」を自己の体験を通して明確に実感するのは覚醒後期の成長段階(7次元に属する認識の程度)以上となります。キリスト意識という地上/惑星への絶え間ない無形的な愛の行為は、7次元に属する認識の程度において、精神で造化する表現に付与された活動性の程度へみられる特性とも関連しています。覚醒の成長段階については4章4節 覚醒、表現へみられる特性については3章9節 精神 #表現の活動性を参照してください。

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 神秘体験、一瞥[いちべつ]体験、サット(存在)-チット(意識)-アーナンダ(至福)、などと呼ばれているのは、強い変性意識の状況を表しており、意識に占める個体としての認識/感覚が薄まり、逆に、全体としての認識/感覚が強くなり、意識に占める個体/全体の割合が、ある段階を越えることで現れます。変性意識については、4章4節 覚醒 #質疑応答の「覚醒と変性意識は同じですか?」を参照してください。

 変性意識の状況は、内的成長度200以上に相当する成長の程度からみられますが、更に、内的成長度500台後半に相当する成長の程度になることで、神秘体験、一瞥体験、サット-チット-アーナンダ、などが現れるようになります。これらの状況が現れるのは一時的/短時間であり、多くの場合では、瞑想をおこなっている際や、自己のおこなう行為へ意識を強く集中している際に現れやすくなります。なお、内的成長度(同調する活動性の程度)が200以上や500台後半で現れるのではなく、これらの内的成長度に相当する「成長の程度」で現れる点に留意してください。内的成長度と成長の程度については、4章3節 内的成長度を参照してください。

 神秘体験、一瞥体験、サット-チット-アーナンダ、などの状況は、内的成長度600台以上に相当する覚醒の成長段階では日常となり、一時的ではなく、恒常的に現れるようになります。自己の成長の程度が、覚醒の成長段階へと近づいてきたために、覚醒の段階へ向けた予行演習として500台後半に相当する成長の程度で現れているといえます。覚醒の成長段階については、4章4節 覚醒を参照してください。

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 ナザレのイエスが、磔刑[たっけい]で死を迎えていたとしても、磔刑から生き延びていたとしても、イエスのおこなった数々の行為の価値は変わりません。また、物的な史実がどちらであったとしても、あるいは、どちらでもなかったとしても、その物的な史実を知ることで誰かの成長につながる状況もありません。なお、誰の成長へもつながらない興味本位の内容は、筋反射検査を用いて無限の叡智と照合することはできない点に留意してください。筋反射検査について、1章3節 筋反射検査を参照してください。

 肉眼に視える物的な物事(物的な史実)のみへ意識を集中していないで、肉眼に視えない物事へも意識を向けるように努める必要があります。誰の成長にもつながらない物事へ時間/労力を費やしているのは人生の浪費に過ぎません。成長のために地上で学ぶ内容は無限にあり、その反面、地上で生活できる期間は有限であり、無価値に浪費している時間はないのです。

 肉眼に視える物事のみへ意識を集中していないで、肉眼に視えない物事へも意識を向けるようにすることは、俯[うつむ]き足元の地面ばかり凝視していないで、顔を上げて大空を仰ぎ視るようにする状況へ譬[たと]えられます。個体からみれば大地は広大ですが、俯いて視える地面は狭小な範囲でしかなく、大地を拡く見渡すことはできません。そして、大空は大地よりも遥かに広大であり、大地のように境界線(地平線/水平線)もなく、仰ぎ視る大空は広大な範囲を拡く見渡せるのです。物的な物事は、物事の本質が照らし出されて現れた陰影に過ぎません。地面に映る陰影を凝視していないで、少し見上げれば本質が観えるようになります。

 ナザレのイエスが遺[のこ]した言葉は、その多くの内容が、「人は肉体(物質)ではなく霊であることに気づかせ、霊としての成長を求め、霊としての成長を促す」という目的に基づいています。その目的に基づいて読み解くのならば、イエスの言葉として現在にも伝えられている、後世の者によって誤解/歪曲/改竄[かいざん]された内容の中からでも、誤解/歪曲/改竄された部分を取り除き、修復し、イエスが伝えた本来の内容を知ることができるようになります。

 なお、4章6節 自由意志 / 運命の至言に記載されている、イエスの言葉といわれている下記の内容は、誤解/歪曲/改竄を取り除き(主に記述/転記/翻訳した者たちの認識の程度に基づいて表れている表現の不足を修正)、できる限りイエスが目的とした本来の言葉へ近づけています。

4章6節 自由意志/運命の至言
(1000/999.1)「新約聖書マタイ福音書7.13-14」
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狭き門より入りなさい
破滅にいたる門は大きく
門へと続く道は広く踏み均[なら]されている
そして、そこから入っていく者が多い
生命にいたる門は狭く
門へと続く道は細く険[けわ]しく見つけ難い
そして、それを見い出す者が少ない

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 日本の伝統といわれている「和」とは、本来の誠実な捉え方としては、個々の個体ごとに分離/独立した生活をおこなって個々の生活を成り立たせるのではなく、個体の集合である全体(共同体)として生活をおこない、個々の生活を総合することで、全体としての生活を成り立たせることが表されています。

 個体それぞれの生活から捉えると、「和」とは、自己が受け持つ全体の中で役割分担した内容を、他者のそれぞれが受け持つ役割の遂行状況を考慮しながら遂行することを表しています。自己の受け持つ役割の遂行状況が他者よりも速進し過ぎて他者の受け持つ役割の遂行を阻碍してしまわないように留意し、あるいは、自己の受け持つ役割の遂行状況が他者よりも遅滞し過ぎて他者の受け持つ役割の遂行を阻碍してしまわないように留意して、自己の受け持つ役割の遂行状況を適宜に調整していきます。

 そのため、「和」は協調/調和ともいえますが、また、支え合い/助け合い/相互補完などともいえますが、常に「和」と協調/調和が同じ定義とは限らない点に留意してください。伝統として受け継がれてきた「和」は、誠実な捉え方による定義だけでなく、不誠実な捉え方による定義もあわせもっています。不誠実な捉え方としての「和」は、牽制、従属/隷属、責任逃避、迎合、などと表すことができます。

 牽制は、出る杭は打たれる、足の引っ張り合い、などと表現されるように、全体の促進ではなく、全体を停滞させるように、はたらきかけます。不誠実な生き方をしている自己たちや、特定の固定観念/既成概念に縛られている自己たちに都合の良くない者に対して、和を乱していると非難/批判/糾弾している場合もみられます。利己的/自己中心的な生き方によって和を乱していると相手を非難/批判/糾弾するのではなく、誠実な生き方をして和を乱していると非難/批判/糾弾しているのです。また、協調と信じられている行動が、本来の協調ではなく、自己の利己性/自己中心性/欲望を満たすために他者を牽制している場合も多くみられます。

 従属/隷属や責任逃避/迎合の例としては、口応え/諫言[かんげん]/進言を容認しない、曖昧な表現(用語/話し方)を用いる、自己の意見を言わないで取り敢えず周囲の者の意見にあわせる、指示/依頼は自己の意に反していても受諾するのが当然で拒否することは身勝手と捉える、などが挙げられます。責任逃避については、5章2節 幻想を参照してください。

 加えて、特定の者は「和」を乱すと思い込み、自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく排斥/差別している状況も多くみられます。例として、伝染病の後遺症を有する者や心身障碍者/精神病患者たちを病院/施設/孤島へ隔離/収容する、他民族/人種の受け入れを嫌厭する、他地域から自地域へ移住した者を「余所者[よそもの]」と呼び警戒する、犯罪をおこない刑務所へ収監されていた者を忌避/拒絶する、などが挙げられます。現在の日本においても、マスメディアに報道され難いだけで、国家/行政での職務に従事する者が、法律/公権力を後ろ盾にして、自己の利己性/自己中心性/欲望や虚栄心を満たすために、職務を遂行する過程で、差別、迫害、弾圧、虐待、脅迫、陰湿な嫌がらせ、などをおこなっている状況もみられます。

 「和」と密接に関連している行動には、同調圧力/同調現象があります。同調圧力とは、社会/職場/学校などの共同体で多数の意見/行動を占める者たちが、少数の意見/行動を占める者へ、多数の意見/行動に賛成させ受動的に従うように誘導/要求/脅迫などをおこなう行為を指しており、行為をおこなう方向性が多数から少数へ向いています。同調現象は、多くの場合では、共同体で少数の意見/行動を占める者が、多数の意見/行動を占める者たちへ、能動的に賛成し従う行為(多数の意見/行動へ賛同するようになる)を指しており、行動をおこなう方向性が少数から多数へ向いています。

 同調圧力を、このサイトで用いている語の定義で表現するのならば、「迎合の教唆[きょうさ]」に相当します。自己が他者へ、あるいは、他者が自己へ同調圧力を与えるとは、相手の自由意志による「選択する自由」を誘導/制限している状況を表しており、同調圧力を与える切っ掛けとなっている物事の内容が有する誠実/不誠実の性質に関わらず、その物事を選択させようと強制する目的は、常に不誠実な性質を有しています。

 他者から同調圧力を受ける状況は、自己が共同体の有する既成概念から自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく逸脱しようとしている場合に多くみられ、他者から受ける同調圧力によって、自己の自由意志による選択を誘導/強制するように「はたらき」かけられ、眼前の選択肢の幅の中から、自己が自身で、他者に都合の良い特定の選択肢を選択するようになります。自己が自身で選択肢を選択している点に留意してください。自己の自由意志による選択は自己のみにおこなえます。どれほどに他者から同調圧力(誘導/要求/脅迫など)を受けたとしても、他者に都合の良い特定の選択肢を選択する/選択しないは、自己が決められます。また、実際に他者から同調圧力を受けている場合だけでなく、自己の恐れ/怯えに基づいて、他者から同調圧力を受けていないのに、他者から同調圧力を受けていると思い込んでいる場合も多くみられます。他者から同調圧力を受けていると思い込むことで、自己のおこなう選択や行為を、他者へ責任逃避しているのです。

 一方で、同調現象と呼ばれている状況は、本質的には、自己が自由意志に基づいておこなう行為の選択を自己以外/他者へ自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく依存しているために生じている「追随」の行動です。他者のおこなう行為が自己に都合良くみえるために、他者へ迎合して、他者と同じ行為を自己もおこなうように追随するのです。自己が自由意志に基づいておこなう行為の選択を明確に自覚したうえで、他者へ迎合することなく独立しておこない、選択を自己以外/他者へ依存していないのならば、結果として、自己の選択した行為が他者の行為と同じであったとしても、他者の行為と異なっていたとしても、他者へ追随していません。同様に、自己が自身の意志に基づき、自己以外/他者へ配慮しておこなう行為が、結果として、他者の行為と同じであったとしても、追随の行動ではありません。教唆/責任逃避/追随については、5章2節 幻想を参照してください。

 同調圧力と同調現象は相互に影響を与え合っており、同調圧力は同調現象を生み出しやすく、また、同調現象は同調圧力を強める循環を形成します。

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 「無」や「空」とは、物事を認識する際に、認識に占める無形的認識の割合が有形的認識よりも優勢になり、これまでに有形的認識に基づいて捉えていた、それぞれの物事の区別された認識/感覚は、統合/総合された一体の認識/感覚であると気づくことを指しています。有形的/無形的認識については、1章1節 サイトを読むにあたって #有形的認識/無形的認識の違いを参照してください。

 有形的/無形的認識による捉え方を要約すると、有形的認識に基づく捉え方では、個は個として捉えます。無形的認識に基づく捉え方では、個であって全、同時に、全であって個と捉えます。

 この無形的認識に基づく捉え方を、「空」は認識の観点から捉えています。外環境の物事/現象は、有形的認識では、それぞれが独立した別個のものとして認識していたのが、無形的認識では、それぞれが独立しているものの、同時に全体として統合/総合されていると認識します。

 一方で、「無」は感覚の観点から捉えています。外環境の物事/現象は、有形的認識では、それぞれから独立した別個の感覚を感じ取っていたのが、無形的認識では、それぞれが独立した感覚を有しているものの、同時に全体として統合/総合された感覚を感じ取ります。

 この質疑応答に関連する内容には、5章5節 祈り/瞑想 #質疑応答の「瞑想の方法で様々な模索をしていますが、同調する活動性の程度が向上していきません。どうしてでしょうか?」がありますので参考にしてください。

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