サイト管理者

このサイトについて - サイト管理者

個々の記述の真実度: 999.5-1000
ページ全体の真実度: 1000
ページ全体の活動性: 1000

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サイトの管理者

  • サイト管理者: 瀞沁庵-せい.しん.あん Seishinan Monastery
    • 瀞沁庵は、無形界と有形界/地上をつなぎ、著者を有形界で活動する道具として用いることで、無形界から地上へ「成長に必要とする知識」を伝え、内的成長(霊的/精神的成長)の修養生活を教導する、肉眼に視えない無形の修道院です
    • スピリチュアリズムを専門に担当する集団へ所属する大勢の天使たちによって組織/運営されている修道院であり、地上の有形体を有する人々に対してだけでなく、地上を彷徨[さまよ]い徘徊する有形体を有していない地獄者/地縛者たちに対しても、自身の生き方を省みて成長を促すように、はたらきかけています
    • 瀞沁庵は、無形界からの指導と支援/援助によってのみ成り立っており、地上に現存する一切の団体へ所属していません
    • スピリチュアリズムを専門に担当する集団については2章7節 無形界の仕事、天使については4章10節 天使を参照してください
  • それぞれの天使(人霊/天霊)が受け持つ役割によって随時に入れ替わりはあるものの、2024年5月末の時点では、15万9千2百人以上の天使たちが瀞沁庵の活動に携[たずさ]わっています

サイトの著者

  • 著者: 瀞沁 [せいしん]
    • 著者は、瀞沁庵を運営する者たちの中で、現在に有形体を有して地上で生活している唯一の人です
    • 今回の地上の生活では、無形界の仕事において、スピリチュアリズムを専門に担当する集団の計画に基づき、生きた宗教の模範を示す役割を担[にな]っています
    • 生きた宗教については1章5節 宗教/スピリチュアリズム、地上での役割については4章2節 有形界での成長を参照してください
  • 著者は、無形界/天使たちから送られてくる肉眼に視えない知識を、肉眼に視える/肉耳に聴こえる文字/言語/図表/行動などの物的な形状へ代筆/代弁/代行して地上へ伝え拡める道具です
    • サイトに記載されている内容は、著者本人(個体)の有する僅かな知識に基づいているのではなく、大勢の天使たち(全体)の有する知識の総合された叡智に基づいています
    • 著者の成長度の未熟さや表現方法の貧弱さが、無形界/天使たちから送られてくる知識を表現する際に記述を複雑/難解へとさせてしまい、地上へ知識を伝え拡めようとしている大勢の天使たちの足を引っ張り、また、サイトの読者へ記述を把握し難くさせている状況は、常に自覚しています
    • 最善をもって、サイトの内容の拡充と、容易に理解しやすい表現(記述)とするために、日々にサイトの更新へ努めています
    • なお、サイトの各節において、至言の紹介に記載のある著者名「瀞沁」は、無形界の専門集団「瀞沁庵」を代表しての名称であり、著者本人を示すものではありません
  • 下記の表「著者の人霊としての内的成長度の推移」は、著者が人霊として生活してきた僅か1000年ほどの期間に過ぎませんが、生き方のひとつの見本として掲載されています
    • 著者の生き方は、ひとつの見本に過ぎず、手本/模範ではありません
    • これまでの読者自身の生き方を考察する方法の参考としてください
    • 内的成長度については、4章3節 内的成長度を参照してください
(1000/1000) 著者の人霊としての内的成長度の推移
(1000/1000) 著者の人霊としての内的成長度の推移
  • 加えて、今回(37回目)の地上での生活における有形体の使用年数ごとの、内的成長度の平均値/最高値/最低値、有形体の劣化の程度、の推移は下記の表「著者の今回の地上生活での推移」となります
    • 読者自身の生活、生き方、地上での目的/役割、有形体の劣化の程度と疲労のつながり、などを数値の側面から考察/内省する方法の参考としてください
    • 数値の側面からみた推移は、特に、内的成長度に相応する原素材の供給量と、有形体の劣化の程度(原素材の利用効率)によって表される、有形体の活動へ用いることのできる原素材の量を推測する際に役立ちます
    • 下記の表と、4章10節 天使 #質疑応答の「天使たちの支援/援助は、個体の有する地上での目的/役割と、どのようなつながりがありますか?」の図「著者を例とした目的/役割と天使たちの支援/援助」を照らし合わせていただくと、それぞれの数値にみられる推移の状況を観察しやすくなります
    • このサイトの著者が用いている有形体の特徴には、有形体へ原素材を貯蔵できる上限量は地上で生活している者たちの用いている有形体の中では少ない、強い熱の体質を有しているために原素材を消耗しやすく劣化もしやすい、磁気的作用力の利用効率が低い、などがみられます
    • 有形体の劣化の程度と磁気的作用力の利用効率については3章5節 有形体、原素材の供給量については4章5節 優位性を参照してください
(1000/1000) 著者の今回の地上生活での推移
(1000/1000) 著者の今回の地上生活での推移

至言の紹介

(1000/1000)「瀞沁」
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肉体の発達や年齢の増加を
自己の成長と誤認してはなりません
肉体は望んでも、望まなくても発達し
年齢は自動的に増えていきます

しかし
自己の成長は自動的には成されません
成長を求め、試行錯誤して成長を実践する
この過程でのみ成長していくのです

あらゆる物事や体験を成長へ活かし
成長への手本/模範となる生き方を
造り出していくのです

質疑応答

  • それぞれの質問文を押すと、応答文が表示/非表示されます
    • すべての応答文を一括して開くには、「すべての質疑応答を開く」ボタンを押してください
    • すべての応答文を一括して閉じるには、「すべての質疑応答を閉じる」ボタンを押してください

サイト管理者について

(1000/1000)

 著者「瀞沁」と、サイト管理者「瀞沁庵」は不可分であるために、どちらが先かという順序はありません。無形的には、「瀞沁」という個であって、同時に、「瀞沁庵」という全でもあり、また、有形的には、「瀞沁庵」という全が地上で活動するための「瀞沁」という個でもあり、両者に分離はないのです。「瀞沁」という名は、天使たちが地上で物的に活動するための道具のひとつとして用いている著者本人を示していますが、「瀞沁庵」は、無形界から地上へ指導/援助をおこなう大勢の方々が、地上で活動するための架け橋として用いる場を示しています。

 あらゆる物事の名称には、他の物事との識別というためだけでなく、物事が世界の進化へ影響を与える方向性を決定する重要な側面をあわせもっています。有形的な文字/語そのものではなく、文字/語へ込められている祈りの内容が世界の進化への影響を決定しているのです。「瀞沁」という語は、「無形界から送られる愛/叡智を地上へ浸透させるための有用な道具/場であるように」という祈りが表現されており、無形界から指導/援助してくださる方々によって名付けられました。

 なお、サイトを運営しているのは無形の修道院である「瀞沁庵-せい.しん.あん」であり、著者は、有形的にサイトを執筆するための瀞沁庵の道具に過ぎません。

(1000/1000)

 「庵」という語は、簡素/質素な家屋という定義だけでなく、語源として、修養生活を営む場という意味を含んでいます。同時に、修養生活を営む者たちが、お互いを模範として学び合い、お互いに指導し合うことを表してもいるために、修道院という語に換えて用いられています。修養生活については、5章1節 修養の生活を参照してください。

 同様に、瀞沁庵の英語表記「Seishinan Monastery」での「Monastery」も、特定の宗教団体による定義ではなく、伝統的に修養生活を営む者たちが住む/集まる場の意味として用いられています。

著者について

(1000/1000)

 著者は宗教家ではありません。著者を表す一切の肩書きは不要ですが、敢[あ]えて表現するのならば、「生きた宗教の実践者」となります。

 僧侶、神主、司祭、牧師、神父、修道士/修道女、宣教師/伝道師、などの宗教家と呼ばれている者たちは、宗教団体の中での役割(職業名)を表しています。「宗教家」は職業ですが、「宗教」は生き方であり、宗教家が必ずしも宗教の実践者とは限らない点に留意してください。職業と生き方は同じではありません。宗教と宗教団体の違いについては、1章5節 宗教/スピリチュアリズムを参照してください。

 著者は自身の生き方を通して宗教を体現するように努めていますが、地上に現存する、あるいは、存在していた一切の宗教団体に所属していません。そして、真摯[しんし]に成長を求め、修養の生活を実践し、自己の願う生き方/模範となる生き方へ努める者は、誰もが「生きた宗教の実践者」といえるのです。修養の生活については、5章1節 修養の生活を参照してください。

 加えて、著者の容姿を画像/写真でウェブサイトへ掲載してもらいたいとの要望も見受けられますが、有形体という道具の容姿を掲載しても、それは道具の使用者である著者を表してはいない点に留意してください。寧[むし]ろ、道具の形状(容姿)から、道具の使用者を捉え判断しようとする誤解を生み出しやすくします。

 この質疑応答に関連する内容には、5章1節 修養の生活 #質疑応答の「物事をあるがままに捉えるには、どのようにすればよいのでしょうか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 はじめに、このサイトで用いている「宗教」という語の定義は、霊として成長していくために地上で必要とする知識と、知識に基づいて成長を実践していく方法を宗[あつ]めた教えのことを指しており、宗教団体や、宗教団体の有する教義/教理、教典、経典、聖典、儀式、儀礼、規則、戒律、などを指しているのではありません。宗教については、1章5節 宗教/スピリチュアリズムも参考にしてください。

 生きた宗教の模範とは、知識を書物/ウェブサイトへ書き記したり、講演/対話をして知識を拡めようとするだけでなく、自己の日常の生活を通して、知識に基づいた成長の実践をおこない、自己の「生き方そのもの」が成長への道標となるように努めることを表しています。生き方の中には、発言、行動、挙措、態度、などの肉眼に視える側面だけでなく、思考、意志の強さ、習慣、物事の捉え方、などの肉眼には視えない側面も含まれています。

 文字/言語/図表などで知識を遺[のこ]しても、生きた宗教にはなりません。自己が自身の生き方を通して知識を体現することが「生きた宗教」となります。生きた宗教の模範を示すために、非日常的に何らかをおこなう必要はなく、大きな出来事を起こそうとする必要もなく、特別な発言/行動/物事/物品/場所などが必要なのでもありません。毎日の生活の中で、些細な行為のひとつひとつを知識に基づいておこない、自己/他者(人だけでなく脊椎動物も含む)の成長へとつなげていくだけなのです。知識に基づき、強い意志でおこなわれる行為は、物的には些細な行為であったとしても、無形的には大きな影響力を有しており、この無形的な影響力が、自己の成長だけでなく、他者を成長へと促すように、はたらきかけます。

 この質疑応答に関連する内容には、1章4節 概要 #質疑応答の「無形的な影響の大きさと、有形的な影響の大きさには、どのような関係があるのですか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 はじめに、著者が人霊として地上で生活している回数については、このページの本編に掲載されている表「著者の人霊としての内的成長度の推移」を参照してください。再授肉して、地上で生活する回数は個々によって様々です。再授肉の回数に平均や基準はありません。再授肉については、4章9節 再授肉を参照してください。

 個々の分霊(人霊)は、一度一度の地上での目的/役割だけでなく、霊としての数千年規模での目的/役割も有しています。数千年規模での目的/役割に、地上での生活を通した、経験、習慣、知識、技術、などの習得/蓄積が必要であれば、必要とするだけの習得/蓄積ができるまで、何度でも再授肉を選択する場合もあります。

 地上の人からは、数千年という期間は長く感じますが、無形界の霊にとっては、然程[さほど]の長さではありません。広大/遠大な大霊の計画に基づいて、数千年後に地上で担う役割のために、現在の地上で役割の遂行へ必要な知識/技術などの一部を学んでいる場合もあります。ただし、現在の地上での生活が、大霊の「どのような計画」に基づいているのかは、気づくことができません。数千年後に、地上で役割を遂行する際に、これまでの学びの過程と計画の一部へ気づく場合もあるのです。そして、数千年後の地上で担う役割もまた、その後の無形界で担う役割(仕事)のための準備なのです。

 個々の個体からは、全体である大霊の計画を理解できようもありません。個々にできるのは、眼前の物事を逐一に考察し、一瞬一瞬の行為へ意識を集中して、成長への学びに努めることだけです。

(1000/1000)

 はじめに、著者が胎児の段階で再授肉を繰り返していることについては、このページの本編に掲載されている表「著者の人霊としての内的成長度の推移」を参照してください。

 著者が胎児の段階で再授肉を繰り返しているのは、大霊の計画に基づき、数千年後に担う地上での役割に向けて、初歩の学びを得るために適した方法だったためです。

 胎児であっても、物的には未熟ですが、霊的に未熟とは限らないために、母体の胎内から周囲の者たちの行為や生き方を通して学ぶことができます。著者の1-19回目までの再授肉は、短期間の間に、地上の様々な地域、様々な家庭/生活環境の中でおこなわれており、胎児であれば、個体として物的に独立して行動できないために、自己が周囲の者たちの不誠実な生き方を模倣してしまうことなく、周囲の者たちがおこなう行為を観察して学べます。

 胎児の段階で再授肉を繰り返して、周囲の者たちの誠実な生き方や、不誠実な生き方を観察していたために、その後の再授肉で個体として物的に独立して地上での生活を始めてからも、自己が周囲の不誠実な生き方を模倣してしまう状況がありませんでした。もしも、胎児の段階で再授肉を繰り返して学ぶことなく、自己が周囲の不誠実な生き方を模倣してしまっていたのならば、数千年後に担う地上での役割を遂行できなくなっていました。そして、数千年後に担う地上での役割を、今回の地上での生活(37回目の再授肉)で遂行しています。

 重要なのは、大霊の計画にとって特別な個体というのは存在しておらず、大霊の計画に沿って、誰もが数百年-数千年後に担う地上(あるいは無形界)での役割に向けて、現在の学びがあるという点です。誠実な生き方をして学び成長し、大霊の計画を順調に進めていくことも、一方で、不誠実な生き方をして、大霊の計画を遅延させる、あるいは、計画を他の者へ変更させるのも、自身の自由意志で決めることができるのです。自由意志については、4章6節 自由意志/運命を参照してください。

(1000/1000)

 はじめに、著者の人霊としての内的成長度の推移については、このページの本編に掲載されている表「著者の人霊としての内的成長度の推移」を参照してください。

 著者の場合は、人霊としての「ほとんどの期間」を地上で過ごしており、無形界で学び成長するほどには無形界へ留まっていないために、前回に地上での生活を終えた時点と、次回に地上での生活を始める時点での内的成長度が、ほぼ同じ値を示しています。

 著者は人霊として、地上では、今回(37回目)の地上での生活を除いて、36回目までに地球換算でおおよそ935年を生活していますが、一方で、無形界では、地球換算でおおよそ50年ほどしか生活していません。無形界で生活していた期間は、次回の地上への再授肉のために準備していた期間の合計でしかないのです。再授肉については、4章9節 再授肉を参照してください。

 なお、地球以外の他の惑星へ再授肉する際には、自己の成長段階よりも大幅に高い活動性の程度を有する宇宙圏無形界を経由して、異なる惑星圏の間を移動するために、宇宙圏無形界に生活する分霊の援助を受けて、一時的にでも自己の同調する活動性の程度を高めることになります。その影響により、地球から他の惑星へ移動して再授肉した際と、他の惑星から地球へ移動して再授肉した際に、前回に地上での生活を終えた時点と、次回に地上での生活を始める時点での内的成長度が異なる値を示しています。

 人霊の個々によっては、地上での生活を終えて、無形界で学び成長した後に、再び地上での生活を始める者もいます。この場合は、前回に地上での生活を終えた時点と、次回に地上での生活を始める時点での内的成長度は異なる値を示すようになります。

(1000/1000)

 日々の生活の中で、自己の造化する行為の方向性と、自己の願う生き方の方向性が違[たが]え一致しない状況へ苦しみ続けている生き方の、何処[どこ]が偉大といえるのでしょうか。日々の生活の中で、辞める必要のある習慣が際限なく現れる(気づき自覚する)生き方の、何が偉大といえるのでしょうか。自己という個体の不完全性を実感する毎日でしかありません。偉大なのは大霊という十全性を有する全体であり、どれほどに成長したとしても、不完全性を有する個体が偉大さを実感することはないのでしょう。

 地上という、世界の中で最も活動性の程度/認識の程度が低い場で用いられている「偉大」という語の定義は、あまりにも卑小で近視眼的であり、利己的/自己中心的なのです。「偉大さ」とは、地上から見上げる太陽のように、常に仰ぎ視ることができるのにも関わらず、何時[いつ]まで経ても、何処[どこ]まで行っても、手の届かない輝きに譬[たと]えられます。大霊という偉大な存在を常に身近に感じ取りながらも、自己は何時までも偉大には程遠い状況を実感する毎日だからです。同様に、地上で「偉業/成功」と呼ばれる語の定義が、あまりにも些細な成果を表しているに過ぎず、自惚[うぬぼ]れた自画自賛のために用いられているのかにも気づく必要があります。

 また、覚醒の段階への移行は、地上での成長の目標となりますが、ゴールではなく、分霊が学び成長していくためのスタートラインへ立ったというだけに過ぎません。地上での学びは、スタートラインへ立つために準備している段階なのです。そして、覚醒の段階へは、一部の者だけが移行できるのではなく、成長を求め実践する者は誰でも移行できる可能性があるという点に留意してください。覚醒の段階へ移行する特別な者が存在しているのではないのです。覚醒の成長段階については、4章4節 覚醒を参照してください。

 なお、著者は、無形界から大きな仕事を任されているのではありません。無形界から地上へ向けておこなわれている大きな仕事に、著者を地上で活動するための道具として僅かにでも使ってもらえるように願い、また、できる限り使いやすい有用な道具であるように努めているだけです。著者が道具として役立たなくなれば、他の者が道具として用いられるようになるだけのことであり、すべては、自己の意志と、日々の生き方が決めるのです。

(1000/1000)

 著者が現在に住んでいる地域は、肉眼に視える状況としては何処[どこ]にでもみられるような住宅街と呼ばれる場所に住んでいますが、肉眼に視えない(霊眼に視える)状況としては、実体のある濃い暗闇が周囲に漂い、大勢の地獄者/地縛者を引き寄せ集めている「地獄層の中層に類似する地域」でもあります(地獄層を表層/中層/深層の3つに区分した場合との比較です)。地獄層については2章4節 無形界の構造、地獄者/地縛者については2章6節 無形界の生活を参照してください。

 著者の住む地域の参考までに、2024年5月末の時点での日常的に至誠/誠実/未誠実/不誠実の性質/程度の生き方をしている者の人数は下記のようになります。不誠実者/未誠実者は割合で、誠実者/至誠者は実人数で記述しています。なお、著者は人数に含まれていません。至誠/誠実/未誠実/不誠実の性質/程度については、2章5節 無形界の住人を参照してください。

  • 生活に密接な影響を受ける半径25m圏内では、不誠実者は10人のうち10人、未誠実者は10人のうち0人、誠実者は圏内で0人、至誠者は圏内で0人
  • 生活に直接的な影響を受ける半径50m圏内では、不誠実者は10人のうち10人、未誠実者は10人のうち0人、誠実者は圏内で0人、至誠者は圏内で0人
  • 生活に間接的な影響を受ける半径250m圏内では、不誠実者は10人のうち9.9人以上、未誠実者は10人のうち0.1人未満、誠実者は圏内で0人、至誠者は圏内で0人
  • 半径1km圏内では、不誠実者は10人のうち9.9人、未誠実者は10人のうち0.1人、誠実者は圏内で0人、至誠者は圏内で0人
  • 半径5km圏内では、不誠実者は10人のうち9.8人、未誠実者は10人のうち0.2人、誠実者は圏内で0人、至誠者は圏内で0人

 現在の日本や地上全体での至誠/誠実/未誠実/不誠実の生き方をしている者の割合については、2章3節 有形界の構造 #質疑応答の「日本は、どれくらいの成長の程度にあるのですか?」を参照してください。

 加えて、半径50m圏内で生活している者には下記の特徴がみられます。

  • 半径50m圏内では不誠実な生き方をしている者のみであり、誠実な生き方をしている者はいません
  • 有形体を有している者は、おおよそ290人が生活しています
  • 人霊として生活を始めてから600-3400年ほどの者たちで構成されています
  • 不誠実な生き方をしている者には、年齢に関わらず、1人1人に対して3600-8000人ほどの地獄者/地縛者たちが憑依しており、1人あたりに平均5500人の憑依がみられます
  • 有形体を有する290人の者たちへ憑依している地獄者/地縛者の合計は159万5千人ほどになります(この人数は「日常的に憑依している地獄者/地縛者」のみであり、人の周囲へ集まっている「日常的に憑依していない地獄者/地縛者」の人数は遥[はる]かに多いですが含まれていません)
  • 彼らが日常的に行為へ付与している不誠実な活動性の程度は190台後半の範囲にあり、平均は上限となる199が付与されています(不誠実な行為へ付与している不誠実な性質の活動性の程度です)
  • 彼らが日常的に行為へ付与している誠実な活動性の程度は2未満の範囲にあります(頻度は極めて低いものの、不誠実な生き方をしていても誠実な行為をおこなう場合もあり、その際に行為へ付与している誠実な性質の活動性の程度です)

 著者の住む地域のような「高い程度の不誠実性が集積する地域(不誠実な生き方をしている人々や地獄者/地縛者たちが密集する地域)」は、特別でも、希少なのでもなく、日本と呼ばれる物的な範囲内だけでも様々な規模で多く点在しています。

 住む場所というものは、本人の成長、成長へ必要とする学び、地上での目的/役割、今後の無形界での仕事のための準備、などによって、適切な場所が自覚できるものの自覚なく選択されています。自覚して住む場所を決めているようにみえても、実際には、運命の流れによって決められているのです。そのため、必要となれば、住む場所は自[おの]ずと移動/転居していく場合もあり、また、同じ場所に住んでいても自身の生活の状況や周囲の環境が変化していく場合もあります。運命の流れについては、4章6節 自由意志/運命を参照してください。

 著者の場合は、これまでに人霊界の地獄層での生活を体験したことがなく、また、地上で不誠実な生き方をしたこともないために、地獄の性質/不誠実についての学びが不足していました。この不足を補い、更なる成長と今後に無形界で担う仕事のために、今回の地上生活で地獄層の中層と類似する環境での生活を通して、自己が不誠実な生き方へ陥[おちい]ることなく、周囲に生活する者たちの不誠実な生き方を詳細に観察/考察し学びへつなげると、今回の地上での生活を始める前に決めていました。

 なお、成長の程度や、地上での目的/役割、目的/役割の遂行状況、学びの進捗状況、などによっては、人里を離れた場所での隠棲[いんせい]を通して、学びを深める必要のある場合もみられます。この場合には、本人へ帯同する天使たちが、適切な時機に、人里を離れた場所で隠棲するように導いてくださいます。

 この質疑応答に関連する内容には、2章5節 無形界の住人 #質疑応答の「地獄者が憑依する程度は、人の行為へどれくらいの影響を与えますか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 あなたは今、自身が呼吸をしていると信じているのでしょうか?

 呼吸をしていると信じているのではなく、呼吸をしているのが自然で当然なことだと自覚しているのではないでしょうか。著者が天使たちの指導や支援/援助に対して有しているのは、信念ではなく、日々の体験に基づいた明確な自覚です。

 不自然だからこそ信じようとするのです。不自然であるがゆえに信じ込もうとしなければならなくなるのです。自然で、あるがままならば、信じようとする必要はないのです。

(1000/1000)

 著者が地上での役割として、このサイト「世界の進化と人の成長」を公開しているのと、現在に不誠実の程度が高い地域で生活しているのには、著者の有する地上での目的と、サイト管理者である瀞沁庵の活動が密接に関連しています。

 著者は地上での目的のひとつとして、「地獄/不誠実を外環境から学ぶ」という内容を有しています。これは、地上の生活で不誠実な生き方をしている周囲の者たちを観察/考察する、睡眠中に地獄層で地獄者/地縛者を観察/考察する、の2つが含まれており、不誠実の程度が高い地域(不誠実な方向性へ強く偏向/偏重した地域)には、不誠実な生き方をしている人々も、大勢の地獄者/地縛者も引き寄せ集まるために、常に高い効率で観察/考察できます。そして、サイト管理者の瀞沁庵が有している活動のひとつには、地獄者/地縛者へ、「不誠実な生き方を辞め誠実な生き方へ努めるように促す」という内容があります。不誠実の程度が高い地域には、大勢の地獄者/地縛者が引き寄せ集まるために、高い効率で活動を推進することができます。

 下記には瀞沁庵の活動を紹介していますが、活動方針/活動内容は、活動計画や計画の進捗状況によって移り変わるために、2022年末までの活動計画に基づいて記述しています。2023年以降は活動計画に追加/変更がみられる場合もあります。ただし、活動計画に追加/変更がみられても、著者が有形体の使用期限を迎える(死ぬ)までは、現行の活動が中断/中止されることはなく、継続しておこなわれます。

 現在の段階の活動計画では、活動方針は、不誠実の程度が高い地域で生活する強い不誠実な生き方をしている多くの人々を活用して、大勢の地獄者/地縛者を引き寄せ集め、地獄者/地縛者たちにサイトの内容を閲覧させて不誠実な生き方を辞めるように促し、誠実な生き方へ努める支援/援助をおこなう内容が中核となっています。この計画では、特定の場で大勢へ同時に「はたらきかける」ことができるために、高い効率で地獄者/地縛者を誠実な生き方へと導けます。もしも、不誠実な生き方をしている人々へ「はたらきかけよう」とするのならば、相応する人数の有形体を有している人を必要とし、少人数で同時に「はたらきかける」のは困難であり、効率が極めて低いのです。

 なお、瀞沁庵が特定の地域へ故意に地獄者/地縛者を引き寄せ集めているのではなく、また、特定の地域で生活する不誠実な生き方をしている人々へ不誠実な生き方を強めるように、はたらきかけているのでもありません。特定の地域で生活する不誠実な生き方をしている人々が、自身の日々に強めている不誠実な生き方を通して、際限なく地獄者/地縛者を引き寄せ集めているのです。大霊は、あらゆるものを活用し、決して無駄にはしません。大霊/天使たちは、不誠実な生き方をしている人々が不誠実な生き方を辞め誠実な生き方へ努めるように願いながらも、現在に不誠実な生き方をしている人々を、地獄者/地縛者たちへ不誠実な生き方を辞めるように「はたらきかける」ために活用しています。

 地上で不誠実な生き方をしている人も、地上で人へ憑依する地獄者/地縛者も、どちらも人霊であり、両者に優劣はなく、成長を促す優先順位もありません。不誠実な生き方をしている人の1人へ誠実な生き方を促すのも、不誠実な生き方をしている人へ憑依する地獄者/地縛者の1人へ誠実な生き方を促すのも、価値は同じです。そのため、瀞沁庵では短期間で同時に大勢へ「はたらきかける」ことのできる効率の高い方法を採用しているのです。

 瀞沁庵の活動内容は、著者を用いたサイトの構築と、地獄者/地縛者への支援/援助、の2つに大別されます。著者を用いたサイトの構築には、サイトへの記述、閲覧者からの質問の取り纏[まと]め、記述する内容の調査、などがあります。地獄者/地縛者への支援/援助には、サイトの内容を閲覧させる、閲覧によって自身の不誠実な生き方へ気づいた地獄者/地縛者へ不誠実な生き方を辞めるように促す、誠実な生き方へ努めるための指導、などがあります。瀞沁庵で活動する天使たちが直接に地獄者/地縛者へ不誠実な生き方を辞めるように促さずに、地獄者/地縛者へサイトの内容を閲覧させようとする目的については、6章3節 質疑応答 #各節に含まれない質疑応答の「このサイトの内容を、地上を徘徊する地獄者/地縛者たちに閲覧してもらう必要性はあるのですか?」を参照してください。

 著者の用いる有形体(著者は地上で生活しているので、地上で活動する際には有形体の存在する物的な地点に制限される)と、瀞沁庵を物的な特定の地域へ設置するのは、天使たちは地上の物的な距離/物事に関係なく活動できますが、地獄者/地縛者たちは物的な距離/物事へ囚われており、地獄者/地縛者たちへ支援/援助するのに地上の物的な特定の地域(不誠実の程度が高い地域)で活動するほうが、他の地域でおこなうよりも、最も高い効率で最大限に活動を遂行できるのです。

 現在の活動計画では、地獄者/地縛者たちへの「はたらきかけ」が中核となっていますが、不誠実な生き方をしている人々を放置しているのではありません。不誠実の程度が高い地域で生活する不誠実な生き方をしている人々の中で、瀞沁庵の活動中に有形体の使用期限を迎えた者は、瀞沁庵で活動する天使たちの支援/援助を受けて、不誠実な生き方を辞め人霊界で誠実な生き方へ努めています。

(1000/1000) 著者の生活する地域と瀞沁庵の活動
(1000/1000) 著者の生活する地域と瀞沁庵の活動

 瀞沁庵の活動が軌道に乗っている現在では、不誠実の程度が高い地域に生活している「不誠実な生き方を日々に強めていく人々」に引き寄せられて集まる地獄者/地縛者たちが急増しています(地域に集まる地獄者/地縛者の増加)。そして、サイトの内容を閲覧することで自身の不誠実な生き方へ気づく地獄者/地縛者たちも急増しています(不誠実な生き方を辞めた地獄者/地縛者の増加)。瀞沁庵の活動により、活動を開始した2019年秋期から2024年5月末の時点までに、不誠実な生き方を辞め誠実な生き方へ努めるようになった地獄者/地縛者の合計人数は、8兆21億3千6百万人以上(百万人単位)となり、瀞沁庵の活動する地域を中心として半径おおよそ790km圏内(日本の本州/四国/九州地方の大部分を含む)での地獄者/地縛者の総数が着実に減少しています。

 自身の不誠実な生き方へ気づく地獄者/地縛者たちの増加にあわせて、彼らの支援/援助のために瀞沁庵で活動する天使たちの人数も増加しており、2021年2月時点では2千2百人以上でしたが、2024年5月末の時点では15万9千2百人以上(百人単位)となり、1ヶ月ごとにおおよそ3000-4000人の増加がみられますが、地域へ引き寄せ集まる地獄者/地縛者たちの人数や、自身の不誠実な生き方へ気づく地獄者/地縛者たちの人数に対して、人手不足が続いています。

 また、地域に生活している不誠実な生き方を日々に強めていく人々の1人あたりに憑依している地獄者/地縛者の人数は、個々の人によって合計人数に差はみられるものの、1ヶ月ごとにおおよそ100人以上の増加がみられます。地域に生活する人々の状況については、このページの質疑応答の「著者はどのような場所に住んでいるのですか?人里を離れた場所で隠棲しているのですか?」を参照してください。

(1000/1000) 瀞沁庵の活動による人数の推移
(1000/1000) 瀞沁庵の活動による人数の推移

 地域へ集まる地獄者/地縛者は増加し続けているものの、瀞沁庵の活動が順調に進行し、大勢の地獄者/地縛者たちが不誠実な生き方を辞め誠実な生き方へ努めるようになり始めた現在では、未だ不誠実な生き方をしている地獄者/地縛者たちによる瀞沁庵の活動への妨害が日々に激しさを増しています。未だ不誠実な生き方をしている地獄者/地縛者たちが、瀞沁庵の活動を強く恐れ/怯えて、活動に携わる天使たちへ直接におこなう妨害を激化させているだけでなく、不誠実な生き方をしている人々に憑依して操り、著者へ物的に不誠実な行為をおこなわせ、著者の生活を撹乱[かくらん]/阻滞し、時間/労力を無用に消費させて活動を妨害する状況も日々に激化しています。この妨害には、日々の生活でおこなう様々な活動を妨[さまた]げるだけでなく、根拠のない妄想に基づく誹謗中傷を拡め貶[おとし]めて社会的/経済的な活動を抑圧/排斥する、応対を避けられない状況で社会的/経済的な損害を与える、居住する家屋/敷地を汚損する/ゴミを投げ入れる、殺傷を企[くわだ]てる、なども含まれています。

 瀞沁庵の活動は、不誠実な生き方を辞め誠実な生き方へ努めていている「元」地獄者/地縛者たちの更生/教育の場としても活用されています。「元」地獄者/地縛者たちは、天使たちに瀞沁庵のおこなっている様々な活動の説明を受けながら見学し、地域へ集まる「現」地獄者/地縛者たちの行為を客観的に観察することで、以前におこなっていた自身の不誠実な生き方を省みるように促されています。なお、更生/教育に参加している「元」地獄者/地縛者たちは、瀞沁庵の活動に携わっている天使たちの人数には含まれていません。

その他

(1000/1000)

 お送りくださるご質問への応答の多くは、サイト内の、ご質問の内容に関連する1-6章に含まれる各節の質疑応答、あるいは、6章3節 質疑応答にて掲載させていただきますので、そちらを確認してください。

 ご質問への応答を、サイトへの掲載ではなく、個人的な返信としてご希望の方は、各節の下端にある「ご質問の送信」フォームの「ご質問の内容」欄へ質問内容と、個人的な返信をご希望される旨を記入してください。加えて、「メールアドレス」欄へ、ご連絡の取れるメールアドレスの記入もお願いいたします。「ご質問の送信」フォームを通してお送り頂いた、質問内容/メールアドレスなどの、サイトでの取り扱いについては、サイト利用に関する各種取扱を参照してください。

 質問への応答がサイトへの掲載ではなく、直接の返信をご希望の場合では、直接の返信の必要性が、著者を道具として用いている、無形界のスピリチュアリズムを専門に担当する集団(瀞沁庵)によって検討され、直接の返信が必要と判断された場合に、著者を通して返信させていただきます。直接の返信が不要と判断された場合には、直接に返信されない、あるいは、質問への応答がサイトへ掲載されます。直接の返信をご希望されても、必ずしも返信されるとは限らない点に留意してください。

 ただし、このサイトでは、質問は受け付けていますが、悩みの相談を受け付けているのではない点に留意してください。悩みの内容は常に個体的あるいは個人的ですが、一方で、質問の内容は常に全体的です。悩みの相談は、多くの場合では、ある行為をおこなう/おこなわない決意(自由意志による選択)をできないために、決意する後押しをしてもらうために他者へ相談しています。本人は悩みを相談する前に、既に悩みを解決する方向性に気づいているのです。自身の決意する後押しをしてもらうために他者へ相談しているのならば、自身の自由意志でおこなう選択を他者へ依存する状況につながりやすくなり、自身の成長を阻碍するように、はたらきます。他者への質問によって「自身が何に悩んでいるのか?」を明確に自覚する切っ掛けは得られたとしても、悩みを解決するのは自身にのみおこなえ、自身が考察/内省して解決するのです。悩みについては、3章9節 精神 #質疑応答の「「悩み」は、感情に含まれますか?」を参照してください。

 本質的に、本人の抱えている/直面している様々な課題(悩み、トラウマ、心的外傷後ストレス障碍、感情をともなう思い出、などを含む)に対して、他者が具体的に解決/解消してくれる、あるいは、他者が具体的に解決/解消する方法を提示してくれる状況はありません。個々によって有している個性は異なるために、複数人が類似する内容の出来事へ遭遇しても、出来事を通して直面する課題の方向性は類似するものの、課題の内容は同じではないためです。課題を抱えている/直面している本人が、類似する内容の体験を通して類似する方向性の課題へ直面した他者の意見(他者が具体的に解決/解消してきた方法)を参考にしながらも、自身で苦しみながら模索して解決/解消する必要があります。どれほどに他者から支援/援助を受けていたとしても、本人が自身で課題へ向き合い、解決/解消へ努めなければ、何時[いつ]までも解決/解消へは至りません。同様に、他者へ解決/解消を依頼/依存しても、何時[いつ]までも解決/解消へは至りません。本人の抱えている/直面している課題の内容によっては、現在の内面の状況では正面から向き合い難く、自覚的に(自覚して/自覚できるものの自覚なく)課題から眼を逸らしてしまう場合もみられますが、眼を逸らし続けずに、自暴自棄に陥[おちい]らずに、常に苦しみをともなうものの、僅かずつでも向き合うように努め続ける過程で、解決/解消(多くの場合では関連する固定観念の解消)へと向かい、学びの獲得や成長へもつながるようになります。

 なお、物的な物事の是非を問う内容や、物的な物事に対する物的な解決方法を問う内容には、応答されません。どのような応答であったとしても、物的な物事の是非/解決方法を質問する者は、自身に都合良く応答の内容を利用しようとする、あるいは、自身で物的な物事の是非/解決方法を考察せずに応答の内容を盲信しようとするためです。物的な物事の是非を問う例として、兵器を用いて侵略された際に兵器を用いて応戦するのは誠実なのか? 不誠実なのか? 容認されるのか? 容認されないのか? があります。物的な物事に対する物的な解決方法を問う例として、どのようにすれば戦争/紛争/テロ行為を辞めさせられるのか? どのようにすれば民族間の対立を解消し融和させられるのか? どのようにすれば物的な貧困/差別を解消できるのか? などがあります。

 もしも、3,4次元に属する「物的な物事」の是非を問う内容へ文字/言語/図表などの有形的な媒体を用いて応答されたとしても、このサイトに掲載される応答の内容は 7次元に属しており、あらゆる物的な物事は、是か? 非か? では判断されません。そのため、質問者が応答の内容を7次元の認識の程度で理解しない限りは、是非を問うた物的な物事に関連する物的/有形的/無形的な物事との相互の「つながり」を同等に把握できないために、応答の内容を明確に理解できないか、あるいは、誤解しやすくなります。同様に、物的な物事に対する物的な解決方法は、ひとつひとつの状況によって異なり、類似する物的な物事であっても、類似する物的な解決方法が適切とは限らず、状況によっては物的に相反するような解決方法が適切な場合もあります。このサイトでは、読者自身が、ひとつひとつの物的な物事の是非/解決方法を考察するための「土台となる方向性/指針」を指し示しています。土台となる方向性/指針に基づいて考察することで、読者の生活状況や成長段階に相応する「物的な物事の是非/解決方法」へ気づくようになります。

 他者から物的な物事の是非/解決方法を与えられても、自己の成長は促進されません。他者から得た意見/助言を参考にする状況はあったとしても、自己が自身で物的な物事の是非/解決方法を考察/模索するからこそ、自己の成長へつながるのです。同様に、自己が他者へ安易に物的な物事の是非/解決方法を与えるのは、他者の成長する機会を阻碍している点にも留意してください。自己が成長を求めるのならば、他者の成長を手助けする状況はあっても、他者の成長を阻碍してはなりません。

 真摯に自己の成長を求める方々は、他者へ質問することよりも、自己の修養生活を実践する中で、自[みずか]ら気づき学んでいくことを優先されています。他者に質問して得られた応答の内容を考察するよりも、自己の体験を通して模索し、実証するほうが、自己に適した多くの知識を得られるためです。相対的に高い成長段階の者の生き方を模範として、自己が修養生活を実践し、自己の成長を促進していく中で、湧き浮かぶ疑問は自[おの]ずから答えを見出すようになります。

 加えて、地上社会では、「〇〇(物的な物事/出来事/現象、他者の発言/行動、書物の内容、など)について、どのような意見を持っていますか?」と相手へ質問する状況は頻繁にみられますが、相手から得た応答(意見)よりも、その質問を自己が相手へおこなっている「自覚できるものの自覚していない目的」に気づくほうが、自己の学びや成長へつながります。

 この質疑応答に関連する内容には、2章3節 有形界の構造 #質疑応答の「無形的認識に基づいて捉えた地上の様々な物事/現象を、サイト内に掲載してもらえませんか?」がありますので参考にしてください。

(1000/1000)

 サイトに記載されている内容に対する判断のすべては、サイトの読者に委ねられています。自己が、自己の自由意志で判断するための材料を他者へ求めるのは、自己の判断の責任を他者へ押し付けるための恐れ/怯えに基づいた責任逃避の行動に相当していることへ留意してください。責任逃避については、5章2節 幻想を参照してください。

 一切の偏見や先入観に囚われることなく、自身の知性/理性を用いて内容を詳細に考察した結果として、このサイトの内容が、地獄者/地縛者に憑依され、唆[そその]かされて記述された内容だと判断するのも、読者の自由意志へと委ねられています。加えて、どのような判断をしたとしても、判断した責任は、判断した者にあります。もしも、その判断の土台が誠実さではなく、自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない利己性/自己中心性/欲望による囚われであった場合には、相応する大きさの代償が、苦しみと成長の退行として本人へ還元されるだけなのです。

 なお、筋反射検査(キネシオロジーテスト)は、このサイト独自の検査方法ではなく、様々な分野で広汎に用いられている方法です。筋反射検査の検査条件を適切に満たしているのであれば、誰にでもサイトの内容(それぞれの記述の内容)が有する真実度や活動性の程度/性質の測定、また、「憑依され唆かされて記述している」という宣言文の真偽を検査することができます。サイトの内容が地獄者/地縛者に憑依され唆かされて記述しているのならば、サイトの内容には憑依され唆かされている状況に相応する真実度や活動性の程度/性質が測定されますので、自身で測定してみることを推奨します。筋反射検査については、1章3節 筋反射検査を参照してください。

 自己が自身で様々な物事/現象(書物などに掲載されている内容を含む)を考察しない状況は、自身で物事/現象を検証/証明せずに他者へ「科学では検証/証明できない」「文字/言語で表現できない」などと伝える、あるいは、他者に検証/証明を要求するようになります。自己が自身で物事/現象の考察に努めているのならば、自身で検証/証明せずに、他者へ「検証/証明できない」と伝える状況や、他者に検証/証明を要求する状況はみられません。もしも、様々に検証/証明を試みたうえで、現在の状況/段階/水準では検証/証明が不可能と判断したのならば、「現在の状況/段階/水準での検証/証明はできない」と伝えます。また、自己が自身で様々に検証/証明を試みた結果に基づいて他者へ質問します。

 世界の中で、これまでに「おこなわれていない行為/物事」の記録は無限の叡智へ保管されていないために証明できません。これまでに「おこなわれた行為/物事」の記録は無限の叡智へ保管されているために、証明できる可能性があります。無限の叡智へ保管されている、これまでに「おこなわれた行為/物事」の中で、物的/有形的な行為/物事は、行為/物事の有する誠実/不誠実の性質によって、証明できる内容と証明できない内容に分類され、証明できる内容であれば、行為/物事の有する真実度に相応する方法(主観的/客観的)で証明できます。無限の叡智には、誠実な性質の行為/物事の記録も、不誠実な性質の行為/物事の記録も保管されていますが、誠実な性質の行為/物事は証明できるものの、不誠実な性質の行為/物事は証明できません。物的/有形的な行為/物事の証明については、1章2節 真実度 #真実度と表現内容の証明を参照してください。

 一方で、無形的な行為/物事は、行為/物事の有する誠実/不誠実の性質によって、証明できる内容と証明できない内容に分類され、証明できる内容であれば、行為/物事へ付与された活動性の程度に関わらず、無形的認識に基づいて主観的に証明できます。無形的な行為/物事は真実度を有していません。物的/有形的な行為/物事と同様に、誠実な性質の行為/物事は証明できますが、不誠実な性質の行為/物事は証明できません。

(1000/1000)

 読者と著者との間に、物的に対面したことがあったとしても、対面したことがなかったとしても、その対面の有無は現在に誰の成長にも関係しません。以前に有形体を通して物的に対面した有無を、どうして著者へ尋ねているのか? 対面の有無そのものではなく、「対面の有無を尋ねている目的」を誠実に内省する必要があります。その目的には、自覚のある、あるいは、自覚できるものの自覚のない利己性/自己中心性/欲望を満たすための確証を得たいという内容が潜んでいる点に留意してください。

 誰と誰が対面/対話する場合であっても、双方の、あるいは、片方の成長へ物的に対面する必要があれば、様々な運命の流れによって、適切な時機に、適切な場所で物的に対面するようになります。運命の流れについては、4章6節 自由意志/運命を参照してください。

 ただし、相手との対面/対話を通して、様々に観察/考察し、自身を内省し、成長へとつなげるのか、あるいは、成長へとつなげないのかは、本人の自由意志で決められます。これは、特定の人物と非日常的に対面/対話する状況だけでなく、日常的に出会う様々な人と対面/対話する状況も含まれています。運命の流れによって必然に相手と対面/対話しているのであり、偶然に遭遇し、見掛け、道で擦れ違い、対面/対話しているのではないのです。

 対面/対話によって自己/他者の成長を促す可能性が日々の中に溢れていることへ気づいたのならば、ひとつひとつの対面/対話へ意識を集中して丁寧におこなえるようになります。ひとつひとつの対面/対話が、自己の成長を促進する機会になるのと同時に、他者の成長を促すための愛の行為をおこなう機会にもなるのです。日々の中で何ひとつ無駄になる出会いはありません。愛の行為については、5章6節 愛の行為を参照してください。

 ある人物との対面の有無が現在に誰の成長にも関係しないのと同様に、自己が、名の知られている者の子孫/末裔、名の知られている者の家族/親族、友人/知人に名の知られている者がいる、などと喧伝[けんでん]するのも、自己の虚栄心を満たすために、また、自己を優位にみせようとする虚勢のために、他者/自己以外を自覚して、あるいは、自覚できるものの自覚なく都合良く利用しているだけに過ぎず、この喧伝は誰の成長にもつながりません。寧[むし]ろ、他者/自己以外を自己に都合良く利用する生き方は、自己の成長を退行させるように、はたらいています。もしも、自己の利用している「名の知られている者」が、自己の今回以前の地上生活や無形界の生活で関係があったとしても、自己の今回の地上生活とは全く関係がありません。

 この質疑応答に関連する内容には、1章5節 宗教/スピリチュアリズム #質疑応答の「宗教団体の開祖や霊的指導者が歴史上の人物の生まれ変わりだと表明している場合があるのは、彼らが実際に過去の地上での生活を思い出したからなのでしょうか?」がありますので参考にしてください。

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